水の森公園 (神明六木遊歩道)
○水の森公園 (神明六木遊歩道:武蔵野の路)
「神明六木遊歩道」(武蔵野の路)に沿って、「神明水の森公園」「六木水の森公園」があります。
・神明水の森公園(けやき広場 むくの木広場 泉の広場 石の広場 風車広場)
・六木水の森公園(虹の広場 水車広場)
○神明水の森公園(けやき広場) 足立区神明1-9-6
けやき広場は、神明水の森公園の中では、平成30(2018)年3月30日に開園した一番新しい公園です。
垳川の向岸には「大仙寺」(八潮市浮塚)が見えます。
○神明水の森公園(むくの木広場) 足立区神明3-8-3
むくの木とトイレがあります。
○標柱「神明水の森公園」 足立区神明3-6-13
神明水の森公園(むくの木広場)の南、流山街道沿に、標柱「神明水の森公園」と「付近公園案内図」が設置されています。
○神明水の森公園(泉の広場) 足立区神明3-13-18
平成泉橋と繋がっている公園です。公園内に水の流れはありません。池には草が生えています。
○神明水の森公園(石の広場) 足立区神明3-21-15
日本庭園風に石や岩が配されています。
岩組からかつては落とされていたであろう水と流れは、現在はありません。
○神明水の森公園(風車広場) 足立区神明3-29
騒音が問題となり、風車は撤去され、池は埋立てられました。
風車の力で垳川から水を汲み上げていた水車の残骸は残っています。カワセミがいました。
トイレは煉瓦調です、後方に赤い社殿の東稲荷神社が見えます。
<神明六木遊歩道碑>
風車広場の垳川近くに、足立区が設置した「神明六木遊歩道碑」があります。
(碑文)
「武蔵野の路
神明六木遊歩道
足立区」
(碑文)
「神明六木遊歩道
足立区と埼玉県八潮市の都県境を流れるこの垳川は 昔 綾瀬川の本流でした
江戸時代以前の綾瀬川は 屈曲が多く 大雨になると附近一帯に大きな災害をもたらしました
そのため 寛永年間(一六二四〜四三)に 内匠新田を起点として新川が開削され綾瀬川はその姿を大きく変えていきました
一方 新川の開削で 支流となった古綾瀬川は 分岐点の内匠新田で堰止められ その後葛西用水の水を取り入れ渕江八ケ村灌漑用水として利用されるようになりました
また 享保十四年(一七二九)には 下流中川との合流点も遮断され 川としての機能は失われてしまいました
以来 この旧河道を「垳」「小溜井」と称していましたが 昭和四十四年一級河川に指定され「垳川」となりました
現在では 用水としての役割も終わり 岸辺に自生した樹木が繁茂し落ち着いた景観を作り出して区民の憩いの場となっています
足立区では この自然環境を大切に保存してゆくために「武蔵野の路」に指定し遊歩道として 後世に残すことにしました
昭和六十二年三月十五日 足立区」
○六木水の森公園 虹の広場 足立区六木3-39-26
水の森公園の数多の広場の中で、唯一こどもたちが遊んでいた広場です。
○六木水の森公園 水車広場 足立区六木3-49-1・50-6
唯一、水の流れが確保されている広場です。水車は回っていません。
道路を隔てたもう一方の広場に煉瓦ラセン塔から水が落とされています。
大正初期、花畑村では煉瓦土が掘り出されており、垳川には煉瓦土を八潮の工場(古新田の日本煉瓦製造株式会社潮止工場や大曽根の帝国煉瓦株式会社花畑第二工場など)へ運ぶ船が往来していました。公園に煉瓦調のオブジェが多い由縁です。
ぐるぐる回すと螺旋のパイプの上から水が出る手回し水車は故障中の掲示がありました。 ...
(参考)「神明六木遊歩道 (武蔵野の路)」こちらで記載
「神明六木遊歩道」(武蔵野の路)に沿って、「神明水の森公園」「六木水の森公園」があります。
・神明水の森公園(けやき広場 むくの木広場 泉の広場 石の広場 風車広場)
・六木水の森公園(虹の広場 水車広場)
○神明水の森公園(けやき広場) 足立区神明1-9-6
けやき広場は、神明水の森公園の中では、平成30(2018)年3月30日に開園した一番新しい公園です。
垳川の向岸には「大仙寺」(八潮市浮塚)が見えます。
○神明水の森公園(むくの木広場) 足立区神明3-8-3
むくの木とトイレがあります。
○標柱「神明水の森公園」 足立区神明3-6-13
神明水の森公園(むくの木広場)の南、流山街道沿に、標柱「神明水の森公園」と「付近公園案内図」が設置されています。
○神明水の森公園(泉の広場) 足立区神明3-13-18
平成泉橋と繋がっている公園です。公園内に水の流れはありません。池には草が生えています。
○神明水の森公園(石の広場) 足立区神明3-21-15
日本庭園風に石や岩が配されています。
岩組からかつては落とされていたであろう水と流れは、現在はありません。
○神明水の森公園(風車広場) 足立区神明3-29
騒音が問題となり、風車は撤去され、池は埋立てられました。
風車の力で垳川から水を汲み上げていた水車の残骸は残っています。カワセミがいました。
トイレは煉瓦調です、後方に赤い社殿の東稲荷神社が見えます。
<神明六木遊歩道碑>
風車広場の垳川近くに、足立区が設置した「神明六木遊歩道碑」があります。
(碑文)
「武蔵野の路
神明六木遊歩道
足立区」
(碑文)
「神明六木遊歩道
足立区と埼玉県八潮市の都県境を流れるこの垳川は 昔 綾瀬川の本流でした
江戸時代以前の綾瀬川は 屈曲が多く 大雨になると附近一帯に大きな災害をもたらしました
そのため 寛永年間(一六二四〜四三)に 内匠新田を起点として新川が開削され綾瀬川はその姿を大きく変えていきました
一方 新川の開削で 支流となった古綾瀬川は 分岐点の内匠新田で堰止められ その後葛西用水の水を取り入れ渕江八ケ村灌漑用水として利用されるようになりました
また 享保十四年(一七二九)には 下流中川との合流点も遮断され 川としての機能は失われてしまいました
以来 この旧河道を「垳」「小溜井」と称していましたが 昭和四十四年一級河川に指定され「垳川」となりました
現在では 用水としての役割も終わり 岸辺に自生した樹木が繁茂し落ち着いた景観を作り出して区民の憩いの場となっています
足立区では この自然環境を大切に保存してゆくために「武蔵野の路」に指定し遊歩道として 後世に残すことにしました
昭和六十二年三月十五日 足立区」
○六木水の森公園 虹の広場 足立区六木3-39-26
水の森公園の数多の広場の中で、唯一こどもたちが遊んでいた広場です。
○六木水の森公園 水車広場 足立区六木3-49-1・50-6
唯一、水の流れが確保されている広場です。水車は回っていません。
道路を隔てたもう一方の広場に煉瓦ラセン塔から水が落とされています。
大正初期、花畑村では煉瓦土が掘り出されており、垳川には煉瓦土を八潮の工場(古新田の日本煉瓦製造株式会社潮止工場や大曽根の帝国煉瓦株式会社花畑第二工場など)へ運ぶ船が往来していました。公園に煉瓦調のオブジェが多い由縁です。
ぐるぐる回すと螺旋のパイプの上から水が出る手回し水車は故障中の掲示がありました。 ...
(参考)「神明六木遊歩道 (武蔵野の路)」こちらで記載
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 武蔵野の路
法立寺
○法立寺 足立区谷中2-11-9
法立寺は、河合平内左衛門尉(明応2(1493)年寂)を開基とし、名主久右衛門の先祖が当村を開発した際、自分の屋敷地を寺の敷地として、日立上人によって開山されたと伝えています。寺の西側にはしょうぶ沼公園(こちらで記載)、しょうぶ沼公園の南側には下谷中稲荷神社(こちらで記載)があります。
<浄行菩薩>
<日蓮上人像>
<本堂>
<谷中新田>
谷中新田は、浅野久右衛門が開墾した「久右衛門新田」と吉野長左衛門が開発した長左衛門新田の通称です。一般的には久右衛門新田を「上谷中新田」、長左衛門新田を「下谷中新田」と呼びました。
足立区立郷土博物館掲示より抜粋加工
<浅野家墓所>
久右衛門新田を開いた浅野家先祖代々の墓があります。浅野家の墓所は多く、宗家の墓所はどこなのかわかりませんが、画像は浅野家墓所のうちの一つです。
(参考)
「旧浅野家長屋門」(こちらで記載)
旧浅野家長屋門が足立区都市農業公園に保存されています。
法立寺は、河合平内左衛門尉(明応2(1493)年寂)を開基とし、名主久右衛門の先祖が当村を開発した際、自分の屋敷地を寺の敷地として、日立上人によって開山されたと伝えています。寺の西側にはしょうぶ沼公園(こちらで記載)、しょうぶ沼公園の南側には下谷中稲荷神社(こちらで記載)があります。
<浄行菩薩>
<日蓮上人像>
<本堂>
<谷中新田>
谷中新田は、浅野久右衛門が開墾した「久右衛門新田」と吉野長左衛門が開発した長左衛門新田の通称です。一般的には久右衛門新田を「上谷中新田」、長左衛門新田を「下谷中新田」と呼びました。
足立区立郷土博物館掲示より抜粋加工
<浅野家墓所>
久右衛門新田を開いた浅野家先祖代々の墓があります。浅野家の墓所は多く、宗家の墓所はどこなのかわかりませんが、画像は浅野家墓所のうちの一つです。
(参考)
「旧浅野家長屋門」(こちらで記載)
旧浅野家長屋門が足立区都市農業公園に保存されています。
tag : 新田開発
河合平内と新田開発
○河合平内と新田開発
河合平内は、
・大谷田新田(足立区大谷田・中川)
・普賢寺・北三谷新田(足立区東和・綾瀬・東綾瀬)
・六木新田(足立区六木)
・千住榎木新田(位地未詳)、を開発しました。
外からの移住者が中心であった新田開発人の中で、珍しく室町時代辺りからこの地にいた一族のようです。
足立区立郷土博物館掲示より抜粋加工
「普賢寺北三谷新田宛伊奈忠治開発定書」(慶長19(1614)年 足立区立郷土博物館所蔵) 足立区文化祭
伊奈忠治が発給した開発定書の一つで、新田開発の入植者を五つの条件を示して募っています。宛所の「川井平内」は開発人、河合平内のことです。
「大谷田新田宛伊奈忠治開発定書」(元和2(1616)年 足立区立郷土博物館所蔵) 足立区文化財
伊奈忠治が発給した開発定書の一つで、新田開発の入植者を、五つの条件を示して募っています。宛所の「平内」は開発人、河合平内のことです。
「伊奈忠治印判状写(河合平内宛)」(元和5(1619)年 足立区立郷土博物館所蔵)
新田開発人の河合平内に対し、新田開発をすすめたことについて「御忠節」と位置づけ、「御褒美」として田畑屋敷地2町歩を与えるとしています。
○河合平内の墓 足立区文化財 足立区東和1-29-22 円性寺
円性寺の墓地の中ほどに河合家の墓所があり、そこに河合平内の墓である宝篋印塔があります。
「足立区登録有形文化財(歴史史料)
慶長元和期江戸時代初期の新田開発者
伝・河合平内の墓
平成十四年十二月
足立区教育委員会」
宝篋印塔(河合平内の墓)
<河合家由来墓誌>
河合平内の軌跡と河合家について記されています。当代とある河合平内は平成7年から8年まで足立区議会議長を務められました。
※ 円性寺全般については、こちらで記載。
河合平内は、
・大谷田新田(足立区大谷田・中川)
・普賢寺・北三谷新田(足立区東和・綾瀬・東綾瀬)
・六木新田(足立区六木)
・千住榎木新田(位地未詳)、を開発しました。
外からの移住者が中心であった新田開発人の中で、珍しく室町時代辺りからこの地にいた一族のようです。
足立区立郷土博物館掲示より抜粋加工
「普賢寺北三谷新田宛伊奈忠治開発定書」(慶長19(1614)年 足立区立郷土博物館所蔵) 足立区文化祭
伊奈忠治が発給した開発定書の一つで、新田開発の入植者を五つの条件を示して募っています。宛所の「川井平内」は開発人、河合平内のことです。
「大谷田新田宛伊奈忠治開発定書」(元和2(1616)年 足立区立郷土博物館所蔵) 足立区文化財
伊奈忠治が発給した開発定書の一つで、新田開発の入植者を、五つの条件を示して募っています。宛所の「平内」は開発人、河合平内のことです。
「伊奈忠治印判状写(河合平内宛)」(元和5(1619)年 足立区立郷土博物館所蔵)
新田開発人の河合平内に対し、新田開発をすすめたことについて「御忠節」と位置づけ、「御褒美」として田畑屋敷地2町歩を与えるとしています。
○河合平内の墓 足立区文化財 足立区東和1-29-22 円性寺
円性寺の墓地の中ほどに河合家の墓所があり、そこに河合平内の墓である宝篋印塔があります。
「足立区登録有形文化財(歴史史料)
慶長元和期江戸時代初期の新田開発者
伝・河合平内の墓
平成十四年十二月
足立区教育委員会」
宝篋印塔(河合平内の墓)
<河合家由来墓誌>
河合平内の軌跡と河合家について記されています。当代とある河合平内は平成7年から8年まで足立区議会議長を務められました。
※ 円性寺全般については、こちらで記載。
【休館】足立区立郷土博物館
○足立区立郷土博物館 足立区大谷田5-20-1 03-3620-9393 HP
※改修休館中:令和5(2023)年1月~令和7(2025)年3月
以下は、休館前の記録です。
入館無料日が多々設定されています。
【屋外展示】
屋外展示の庚申塔や馬頭観音です。屋根修理予定のため囲われて近寄れませんが、展示左から順に記載。
(掲示)
「屋根修理予定の為、囲ってあります。
立ち入らなうようご協力よろしお願いします。
立入禁止
郷土博物館」
<用水桶> 説明なし
<蓬来石/力石>
文政10(1827)年銘の蓬来石一基と力石が五基が集められています。
<庚申塔(文政年間銘)> 移設元:足立区江北2 江北橋土手下
下沼田村の庚申講中が文政年間に造立。覆屋に納められています。
<正八幡宮道標> 移設元:足立区竹の塚2-9-1
増田橋(赤山道/日光道)に設置されていた道標です。別途記載
<一心講の碑> 移設元:足立区千住4-5旧大野家庭先
富士講の一心講が昭和10(1935)年に建立。
(説明板)
「一心講の碑
もと千住四丁目5番、旧大野家庭先にあったものをここに移した。富士登山三十三度の大願成就を記念して、一心講の先達大野亀太郎のために講中が昭和10年に建てたものである。足立区は富士講が盛んで、富士塚が8基あり、多くの講中が組織されていた。現在でも区内七富士巡りなどが行われている。」
<橋供養塔> 移設元:足立区花畑6-25
安永2(1773)年銘の大鳥神社への道にあった大鳥橋の供養塔です。
「□本廻國供□橋」
【馬頭観音二基】
<馬頭観音坐像>
<馬頭観世音石祠>
石祠型庚申塔があるように、石祠型の「馬頭観世音」です。
<花畑・六木の分岐点道標> 移設元:内匠橋 (こちらでも記載)
明和4(1767)年銘の「庚申講中」による道標です。 「庚申講中」が造立したので、道標型庚申塔ですか?
(正面)「左 棋戸道 是ゟ千住迄 一里半」
(右面)「右 ニがう半道 是ゟ戸ヶ崎渡場迄 廿丁」
「明和四丁亥十一月吉日庚申講中」
<学童集団疎開平和記念碑>
令和2(2020)年10月建立と新しい碑です。
<石臼>
<甲良屋敷山神祠跡> 移設元:足立区千住旭町10-31(千寿常東小学校内)
甲良屋敷には邸内に5つの社があったようです。
<安養院礎石> 移設元:足立区千住元町
安養院については、こちらで記載しています。
<小溜井引入口圦> 移設元:垳川 (こちらでも記載)
垳川にあった小溜井引入口圦が置かれています。他にもう一基「弥五右衛門前圦」がありますが、よくわかりません。
【下妻街道石碑】
<百躰庚申塔(嘉永元年銘)> 移設元:足立区青井5-1下妻街道
嘉永元(1848)年銘の庚申塔(百躰庚申塔)です。二ツ谷庚申講中が造立。
<青面金剛庚申塔(寛政十二年銘)> 移設元:足立区青井5-1下妻街道
寛政12(1800)年銘の庚申塔です。二ツ谷庚申講中が造立。
<宝永三年(1706)銘道標> 移設元:足立区青井5-1下妻街道 (こちらでも記載)
宝永3(1706)年銘の蛇体(宇賀神)を主尊とする「花又村 不動院」への道標です。六町神社社務所境内覆屋にある道標と同型です(こちら)。
「是より□□□
花又村 不動院ヘヨシ
施主 中村□太夫」
<旧足立区立第二中学校校歌石碑> 移設元:足立区千住曙町34-12(現:東京未来大学)
昭和の俳人石田波郷が作詞した歌詞を、自筆原稿のまま刻んだ校歌碑です。
<裏門堰> 移設元:足立区西綾瀬1-8-1
「裏門堰」「大正四年三月竣工」と刻まれています。説明板がないので、詳細はよくわかりません。 裏門堰については、こちらで記載しています。
<蛇橋親柱> 移設元:足立区花畑8丁目2・3番〜花畑8丁目8・9番
別途記載
<写真展示>
昔の写真が展示されています。ガラスに光が反射して見えにくいです。お化け煙突だけ撮影。
【館内展示】
【東郊農村の誕生】
<移住と開発の奨励>
代官伊奈忠治は、移住と新田開発を勧め、新田開発者に5か条の開発定書を交付しました。新田には、開発した人物の名前が付けられる例が多く見られます。
※新田開発者名
パネルから新田開発者名をピックアップ。
「芦川内匠」「星野彦六」「天野国忠」「佐野新蔵胤信」「渡辺小衛門常頓」「伊藤嘉兵衛」「金子五兵衛」「河合平内」「浅田長右衛門」「京極弥五郎」「吉田四郎兵衛」「石出掃部介吉胤」
<米穀の流通>
米穀の流通には綾瀬川の舟運が主に利用されたことが伺えます。
【下肥の利用】
(下肥についてはこちらで記載)
<コエタンゴ(肥桶)/コエビシャク>
肥桶は天秤棒で担いで運びます。重さは一荷で80キロほどになります。肥桶には蓋がついていますね、明治維新後、肥桶に蓋をすることが義務付けられました。
<汲み取りのシステム>
汚わい船、人力による下肥の輸送経路が描かれてがいます。
<肥溜め>
肥溜めのシステムのパネルです。
【花づくりの発展】
チューリップを早く咲かせるための温室は足立区で発明されました。大正期には最新式のガラス温室「チューリップフレーム」を利用した栽培が試みられ、また、大正5年に足立区島根の鴨下金三氏によって完成された冷蔵によるチューリップの促成栽培は、「足立のチューリップ」として全国にその名をとどろかせました。
鴨下金三氏の墓が実性寺にあります(こちらで記載)。
【やっちゃ場】
別途記載
※ここまで1階の展示です。
※ここから2階の展示です。
【お化け煙突と工業化】
千住火力発電所は、大正15(1926)年1月に建設されました。昭和38(1963)年に発電所は解散され、煙突は昭和39(1964)年秋から取壊され11月末には姿を消しました。五所平之助監督の映画「煙突の見える場所」(昭和28(1953)年)で全国的に知られるようになりました。(お化け煙突については、こちらで記載)
<千住火力発電所の1/200の模型>
「煙突の見える場所」(五所平之助監督作品。昭和28年公開)
「お化け煙突(1本〜4本)」(昭和29(1954)年 足立区郷土博物館データベースより)
「取壊し中の4本煙突」(昭和39(1964)年 足立区郷土博物館データベースより)
【東郊の名所】
色々と掲示されていますが「六阿弥陀」関連をピックアップ。
(六阿弥陀についてはこちらで記載)
「六阿弥陀根本木余如来略縁起」
この冊子は六阿弥陀伝説を記した木版の印刷物で広く江戸の人々に読まれました。
「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」(文政12(1829)年)
文政12(1829)年に六阿弥陀四番与楽寺が作成した「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」です。
展示物と同じ巡拝図がデータベースにありました。
【高射砲陣地】
足立区には東京を空襲から守るための高射砲陣地(8か所)と、夜間空襲に備える照空灯陣地(3か所)が設けられていました。
「保木間高射砲陣地」写真や、高射砲陣地関連の収蔵品が展示されています。 (B29のタイヤについて、別途記載)
<展示パネル>
「高射砲陣地」「照空灯陣地」「墜落箇所」が図示されています。
B29は、入谷町(昭和20/5/26)、嘉兵衛町(昭和20/4/13)、荒川で墜落(昭和20/3/10)。
陸軍「屠龍」の体当たりで荒川に墜落(昭和19/12/27)。
<高射砲保木間陣地>
高射砲保木間陣地は、昭和18(1943)年に設置され、12cm高射砲をはじめ18門の高射砲がありました。昭和21(1946)年に撤去されています。
現在の日光街道西側の西保木間2・3丁目に第二及び第三陣地が、東側の保木間5丁目に第一陣地がありました。
・保木間第1陣地(口径12cm高射砲が6門レーダー1基) 足立区保木間5丁目
・保木間第2陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目
・保木間第3陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目・2丁目
第一陣地の跡地である南関東日野自動車株式会社足立支店(足立区保木間5-25-7)のリニューアル工事現場から、
令和3(2021)年4月に12cm高射砲が出土し、希少性から陸上自衛隊高射学校に移管保存されました。
展示パネル
「足立区歴史散策マップ」(足立区立郷土博物館発行)より部分抜粋。
<B-29のプロペラ>
墜落したB29のプロペラ1枚が保存されています。
(説明板)
「B29プロペラ(部分)
昭和20(1945)年 入谷南中学校寄贈・当館蔵
昭和20年5月25~26日空襲のとき撃墜されたB29の1機が入谷町(足立区入谷)に落ちました。
墜落地点近くの地元の人が保存していた#44-69728号機のプロペラの一部です。」
【東郊の名物フード】
<千住のすずめ焼き>
「千住名物 鮒寿々め焼」として展示されている千住大橋袂の店は、今はないようです。唯一残っているのが「鮒秋(ふなあき)」(足立区千住2-52)です。 小売りはしていませんが、やっちゃ場に江戸時代から続く川魚問屋「鮒与」があります(こちらで言及)。
※改修休館中:令和5(2023)年1月~令和7(2025)年3月
以下は、休館前の記録です。
入館無料日が多々設定されています。
【屋外展示】
屋外展示の庚申塔や馬頭観音です。屋根修理予定のため囲われて近寄れませんが、展示左から順に記載。
(掲示)
「屋根修理予定の為、囲ってあります。
立ち入らなうようご協力よろしお願いします。
立入禁止
郷土博物館」
<用水桶> 説明なし
<蓬来石/力石>
文政10(1827)年銘の蓬来石一基と力石が五基が集められています。
<庚申塔(文政年間銘)> 移設元:足立区江北2 江北橋土手下
下沼田村の庚申講中が文政年間に造立。覆屋に納められています。
<正八幡宮道標> 移設元:足立区竹の塚2-9-1
増田橋(赤山道/日光道)に設置されていた道標です。別途記載
<一心講の碑> 移設元:足立区千住4-5旧大野家庭先
富士講の一心講が昭和10(1935)年に建立。
(説明板)
「一心講の碑
もと千住四丁目5番、旧大野家庭先にあったものをここに移した。富士登山三十三度の大願成就を記念して、一心講の先達大野亀太郎のために講中が昭和10年に建てたものである。足立区は富士講が盛んで、富士塚が8基あり、多くの講中が組織されていた。現在でも区内七富士巡りなどが行われている。」
<橋供養塔> 移設元:足立区花畑6-25
安永2(1773)年銘の大鳥神社への道にあった大鳥橋の供養塔です。
「□本廻國供□橋」
【馬頭観音二基】
<馬頭観音坐像>
<馬頭観世音石祠>
石祠型庚申塔があるように、石祠型の「馬頭観世音」です。
<花畑・六木の分岐点道標> 移設元:内匠橋 (こちらでも記載)
明和4(1767)年銘の「庚申講中」による道標です。 「庚申講中」が造立したので、道標型庚申塔ですか?
(正面)「左 棋戸道 是ゟ千住迄 一里半」
(右面)「右 ニがう半道 是ゟ戸ヶ崎渡場迄 廿丁」
「明和四丁亥十一月吉日庚申講中」
<学童集団疎開平和記念碑>
令和2(2020)年10月建立と新しい碑です。
<石臼>
<甲良屋敷山神祠跡> 移設元:足立区千住旭町10-31(千寿常東小学校内)
甲良屋敷には邸内に5つの社があったようです。
<安養院礎石> 移設元:足立区千住元町
安養院については、こちらで記載しています。
<小溜井引入口圦> 移設元:垳川 (こちらでも記載)
垳川にあった小溜井引入口圦が置かれています。他にもう一基「弥五右衛門前圦」がありますが、よくわかりません。
【下妻街道石碑】
<百躰庚申塔(嘉永元年銘)> 移設元:足立区青井5-1下妻街道
嘉永元(1848)年銘の庚申塔(百躰庚申塔)です。二ツ谷庚申講中が造立。
<青面金剛庚申塔(寛政十二年銘)> 移設元:足立区青井5-1下妻街道
寛政12(1800)年銘の庚申塔です。二ツ谷庚申講中が造立。
<宝永三年(1706)銘道標> 移設元:足立区青井5-1下妻街道 (こちらでも記載)
宝永3(1706)年銘の蛇体(宇賀神)を主尊とする「花又村 不動院」への道標です。六町神社社務所境内覆屋にある道標と同型です(こちら)。
「是より□□□
花又村 不動院ヘヨシ
施主 中村□太夫」
<旧足立区立第二中学校校歌石碑> 移設元:足立区千住曙町34-12(現:東京未来大学)
昭和の俳人石田波郷が作詞した歌詞を、自筆原稿のまま刻んだ校歌碑です。
<裏門堰> 移設元:足立区西綾瀬1-8-1
「裏門堰」「大正四年三月竣工」と刻まれています。説明板がないので、詳細はよくわかりません。 裏門堰については、こちらで記載しています。
<蛇橋親柱> 移設元:足立区花畑8丁目2・3番〜花畑8丁目8・9番
別途記載
<写真展示>
昔の写真が展示されています。ガラスに光が反射して見えにくいです。お化け煙突だけ撮影。
【館内展示】
【東郊農村の誕生】
<移住と開発の奨励>
代官伊奈忠治は、移住と新田開発を勧め、新田開発者に5か条の開発定書を交付しました。新田には、開発した人物の名前が付けられる例が多く見られます。
※新田開発者名
パネルから新田開発者名をピックアップ。
「芦川内匠」「星野彦六」「天野国忠」「佐野新蔵胤信」「渡辺小衛門常頓」「伊藤嘉兵衛」「金子五兵衛」「河合平内」「浅田長右衛門」「京極弥五郎」「吉田四郎兵衛」「石出掃部介吉胤」
<米穀の流通>
米穀の流通には綾瀬川の舟運が主に利用されたことが伺えます。
【下肥の利用】
(下肥についてはこちらで記載)
<コエタンゴ(肥桶)/コエビシャク>
肥桶は天秤棒で担いで運びます。重さは一荷で80キロほどになります。肥桶には蓋がついていますね、明治維新後、肥桶に蓋をすることが義務付けられました。
<汲み取りのシステム>
汚わい船、人力による下肥の輸送経路が描かれてがいます。
<肥溜め>
肥溜めのシステムのパネルです。
【花づくりの発展】
チューリップを早く咲かせるための温室は足立区で発明されました。大正期には最新式のガラス温室「チューリップフレーム」を利用した栽培が試みられ、また、大正5年に足立区島根の鴨下金三氏によって完成された冷蔵によるチューリップの促成栽培は、「足立のチューリップ」として全国にその名をとどろかせました。
鴨下金三氏の墓が実性寺にあります(こちらで記載)。
【やっちゃ場】
別途記載
※ここまで1階の展示です。
※ここから2階の展示です。
【お化け煙突と工業化】
千住火力発電所は、大正15(1926)年1月に建設されました。昭和38(1963)年に発電所は解散され、煙突は昭和39(1964)年秋から取壊され11月末には姿を消しました。五所平之助監督の映画「煙突の見える場所」(昭和28(1953)年)で全国的に知られるようになりました。(お化け煙突については、こちらで記載)
<千住火力発電所の1/200の模型>
「煙突の見える場所」(五所平之助監督作品。昭和28年公開)
「お化け煙突(1本〜4本)」(昭和29(1954)年 足立区郷土博物館データベースより)
「取壊し中の4本煙突」(昭和39(1964)年 足立区郷土博物館データベースより)
【東郊の名所】
色々と掲示されていますが「六阿弥陀」関連をピックアップ。
(六阿弥陀についてはこちらで記載)
「六阿弥陀根本木余如来略縁起」
この冊子は六阿弥陀伝説を記した木版の印刷物で広く江戸の人々に読まれました。
「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」(文政12(1829)年)
文政12(1829)年に六阿弥陀四番与楽寺が作成した「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」です。
展示物と同じ巡拝図がデータベースにありました。
【高射砲陣地】
足立区には東京を空襲から守るための高射砲陣地(8か所)と、夜間空襲に備える照空灯陣地(3か所)が設けられていました。
「保木間高射砲陣地」写真や、高射砲陣地関連の収蔵品が展示されています。 (B29のタイヤについて、別途記載)
<展示パネル>
「高射砲陣地」「照空灯陣地」「墜落箇所」が図示されています。
B29は、入谷町(昭和20/5/26)、嘉兵衛町(昭和20/4/13)、荒川で墜落(昭和20/3/10)。
陸軍「屠龍」の体当たりで荒川に墜落(昭和19/12/27)。
<高射砲保木間陣地>
高射砲保木間陣地は、昭和18(1943)年に設置され、12cm高射砲をはじめ18門の高射砲がありました。昭和21(1946)年に撤去されています。
現在の日光街道西側の西保木間2・3丁目に第二及び第三陣地が、東側の保木間5丁目に第一陣地がありました。
・保木間第1陣地(口径12cm高射砲が6門レーダー1基) 足立区保木間5丁目
・保木間第2陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目
・保木間第3陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目・2丁目
第一陣地の跡地である南関東日野自動車株式会社足立支店(足立区保木間5-25-7)のリニューアル工事現場から、
令和3(2021)年4月に12cm高射砲が出土し、希少性から陸上自衛隊高射学校に移管保存されました。
展示パネル
「足立区歴史散策マップ」(足立区立郷土博物館発行)より部分抜粋。
<B-29のプロペラ>
墜落したB29のプロペラ1枚が保存されています。
(説明板)
「B29プロペラ(部分)
昭和20(1945)年 入谷南中学校寄贈・当館蔵
昭和20年5月25~26日空襲のとき撃墜されたB29の1機が入谷町(足立区入谷)に落ちました。
墜落地点近くの地元の人が保存していた#44-69728号機のプロペラの一部です。」
【東郊の名物フード】
<千住のすずめ焼き>
「千住名物 鮒寿々め焼」として展示されている千住大橋袂の店は、今はないようです。唯一残っているのが「鮒秋(ふなあき)」(足立区千住2-52)です。 小売りはしていませんが、やっちゃ場に江戸時代から続く川魚問屋「鮒与」があります(こちらで言及)。
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
神明六木遊歩道 (武蔵野の路)
○神明六木遊歩道(武蔵野の路) 足立区神明1丁目〜神明3丁目〜六木3丁目
垳川は、古綾瀬川を締め切った川で、西端は綾瀬川、東端は中川にそれぞれ接し、中間で葛西用水と交差します。綾瀬川、中川とは遮断され、「垳」「小溜井」と称されていました。
神明六木遊歩道は、垳川沿いに続く足立区側の遊歩道です。武蔵野の路の舎人コースになっています。
<足立区小溜井排水場> 足立区神明1-12-6
綾瀬川を締め切った場所で、ここから垳川(古綾瀬川)沿いに遊歩道が始まります。
垳川の水質改善のため、綾瀬川からの導水が行われています。 階段状の施設から水が落とされているのは酸素を取り込む装置です。
<神明六木遊歩道入口>
神明六木遊歩道入口に、案内板「武蔵野の路(舎人コース)」と遊歩道案内図があります。
<方向案内板/距離標> けやき広場入口
「綾瀬川から70m 中川から2110m」 トータルで、2,180mです。
<遊歩道案内図> むくの木広場手前
<方向案内板/距離標> むくの木広場入口
「綾瀬川460m 平成泉橋・泉の広場(トイレ)240m
むくの木広場(トイレ)」
「綾瀬川から460m 中川から1720m」
<平成泉橋(人道橋)> 足立区神明3丁目〜埼玉県八潮市浮塚
平成6(1994)年に架けられた人道橋です。平成7(1995)年に、国土交通省「手づくり郷土賞」を受賞しています。
欄干にはカワセミがいます。水処理施設がありますが、故障との掲示でした。
橋の先には「神明水の森公園(泉の広場)」があります。
足立区の花「チューリップ」の石板がはめられています。
平成泉橋から上流
平成泉橋から下流
<遊歩道>
遊歩道は森の中を進みます。
<神明水の森公園(石の広場)入口>
石の広場入口
石の広場横遊歩道
垳川上流
垳川下流
<方向案内板/距離標> 風車広場入口
「平成泉橋・泉の広場(トイレ)460m 虹の広場(トイレ)270m
風車広場(トイレ)」
「綾瀬川から1160m 中川から1020m」
<小溜井引入水門橋> 足立区神明3丁目・六木3丁目〜埼玉県八潮市垳
葛西用水との交差にある小溜井引入水門の脇の橋です。
<小溜井引入水門>
<小溜井引入口圦> 足立区郷土博物館
足立区立郷土博物館に、小溜井引入口圦(画像上)が保存されています。
<葛西第一水門>
葛西用水は垳川に交差し、葛西第一水門から下流に流れていきます。
<ふれあい桜橋> 足立区六木3丁目〜埼玉県八潮市
垳川に架かる「ふれあい桜橋」は、つくばエクスプレス八潮駅が開業した平成17(2005)年に開通しました。
<方向案内板/距離標> 虹の広場入口
「風車広場(トイレ)270m 水車広場(トイレ)600m
葛西用水親水水路 50m」
「綾瀬川から1430m 中川から750m」
<方向案内板/距離標> 水車広場入口
「虹の広場(トイレ)600m 中川 150m
水車広場」
「綾瀬川から2030m 中川から150m」
<垳川排水機場> 埼玉県八潮市垳255
垳川の終端です。
<神明六木遊歩道入口> 足立区六木3丁目
案内板「武蔵野の路(舎人コース)」があります。
現状とは異なりますが、開設当時の様子がわかります。
(案内板)
「武蔵野の路 舎人コース
六木水の森公園(水車広場)
垳川からくみ上げた水が、大きな水車を回して、水音を響かせています。
らせん塔を水が流れ落ちる噴水や、踏んで回せる水車など、水との遊びが楽しめます。
神明水の森公園(風車広場)
垳川からくみ上げた水を利用した池があり、水生植物が水面をおおっています。
実のなる木や、水を求めてくる野鳥、赤トンボなどの姿を見かけることもあります。
平成泉橋
足立区と八潮市を結ぶ平成泉橋は、桁川の水をきれいにする仕掛けがあります。
くみ上げられた水が、隣接する泉の広場の地下に設置された水処理施設で浄化され、橋から滝となって流れ落ちます。」
(案内板)
「武蔵野の路
武蔵野の路は、各地域の自然?歴史・文化にふれながら、東京を周回する全長270kmの散策路です。
東京湾を望む海の路や、河川沿いに延びる川の路、緑地や湖を巡る森の路、首都圏自然遊歩道につながる山の路など、それぞれ特色のある21のゴースが用意してあります。
これらの路を徒歩や自転車でたどりながら私たちのまち東京の大きさや、変化に富んだ四季の豊かさ、歴史や文化の奥行の深さにふれてください。」
(参考)
○「神明水の森公園・六木水の森公園」
○「垳川の樋管」
垳川は、古綾瀬川を締め切った川で、西端は綾瀬川、東端は中川にそれぞれ接し、中間で葛西用水と交差します。綾瀬川、中川とは遮断され、「垳」「小溜井」と称されていました。
神明六木遊歩道は、垳川沿いに続く足立区側の遊歩道です。武蔵野の路の舎人コースになっています。
<足立区小溜井排水場> 足立区神明1-12-6
綾瀬川を締め切った場所で、ここから垳川(古綾瀬川)沿いに遊歩道が始まります。
垳川の水質改善のため、綾瀬川からの導水が行われています。 階段状の施設から水が落とされているのは酸素を取り込む装置です。
<神明六木遊歩道入口>
神明六木遊歩道入口に、案内板「武蔵野の路(舎人コース)」と遊歩道案内図があります。
<方向案内板/距離標> けやき広場入口
「綾瀬川から70m 中川から2110m」 トータルで、2,180mです。
<遊歩道案内図> むくの木広場手前
<方向案内板/距離標> むくの木広場入口
「綾瀬川460m 平成泉橋・泉の広場(トイレ)240m
むくの木広場(トイレ)」
「綾瀬川から460m 中川から1720m」
<平成泉橋(人道橋)> 足立区神明3丁目〜埼玉県八潮市浮塚
平成6(1994)年に架けられた人道橋です。平成7(1995)年に、国土交通省「手づくり郷土賞」を受賞しています。
欄干にはカワセミがいます。水処理施設がありますが、故障との掲示でした。
橋の先には「神明水の森公園(泉の広場)」があります。
足立区の花「チューリップ」の石板がはめられています。
平成泉橋から上流
平成泉橋から下流
<遊歩道>
遊歩道は森の中を進みます。
<神明水の森公園(石の広場)入口>
石の広場入口
石の広場横遊歩道
垳川上流
垳川下流
<方向案内板/距離標> 風車広場入口
「平成泉橋・泉の広場(トイレ)460m 虹の広場(トイレ)270m
風車広場(トイレ)」
「綾瀬川から1160m 中川から1020m」
<小溜井引入水門橋> 足立区神明3丁目・六木3丁目〜埼玉県八潮市垳
葛西用水との交差にある小溜井引入水門の脇の橋です。
<小溜井引入水門>
<小溜井引入口圦> 足立区郷土博物館
足立区立郷土博物館に、小溜井引入口圦(画像上)が保存されています。
<葛西第一水門>
葛西用水は垳川に交差し、葛西第一水門から下流に流れていきます。
<ふれあい桜橋> 足立区六木3丁目〜埼玉県八潮市
垳川に架かる「ふれあい桜橋」は、つくばエクスプレス八潮駅が開業した平成17(2005)年に開通しました。
<方向案内板/距離標> 虹の広場入口
「風車広場(トイレ)270m 水車広場(トイレ)600m
葛西用水親水水路 50m」
「綾瀬川から1430m 中川から750m」
<方向案内板/距離標> 水車広場入口
「虹の広場(トイレ)600m 中川 150m
水車広場」
「綾瀬川から2030m 中川から150m」
<垳川排水機場> 埼玉県八潮市垳255
垳川の終端です。
<神明六木遊歩道入口> 足立区六木3丁目
案内板「武蔵野の路(舎人コース)」があります。
現状とは異なりますが、開設当時の様子がわかります。
(案内板)
「武蔵野の路 舎人コース
六木水の森公園(水車広場)
垳川からくみ上げた水が、大きな水車を回して、水音を響かせています。
らせん塔を水が流れ落ちる噴水や、踏んで回せる水車など、水との遊びが楽しめます。
神明水の森公園(風車広場)
垳川からくみ上げた水を利用した池があり、水生植物が水面をおおっています。
実のなる木や、水を求めてくる野鳥、赤トンボなどの姿を見かけることもあります。
平成泉橋
足立区と八潮市を結ぶ平成泉橋は、桁川の水をきれいにする仕掛けがあります。
くみ上げられた水が、隣接する泉の広場の地下に設置された水処理施設で浄化され、橋から滝となって流れ落ちます。」
(案内板)
「武蔵野の路
武蔵野の路は、各地域の自然?歴史・文化にふれながら、東京を周回する全長270kmの散策路です。
東京湾を望む海の路や、河川沿いに延びる川の路、緑地や湖を巡る森の路、首都圏自然遊歩道につながる山の路など、それぞれ特色のある21のゴースが用意してあります。
これらの路を徒歩や自転車でたどりながら私たちのまち東京の大きさや、変化に富んだ四季の豊かさ、歴史や文化の奥行の深さにふれてください。」
(参考)
○「神明水の森公園・六木水の森公園」
○「垳川の樋管」
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