「音楽の科学」はスゴ本
音楽とは何か? 音楽を「音楽」だと認識できるのは、なぜか? 音楽を「美しい」と感じたり、心を動かされるのは、なぜか?
音楽好きなら、誰でも一度は思ったことを、徹底的に調べ上げる。そして、究極の問いかけ、「音楽は普遍的なものか」に対して真正面から答えている―――答えは"No"なのだが、そこまでのプロセスがすごい。
類書として「響きの科楽」を読んでいるが、こちらのほうが入りやすい。リズムや平均律、協和音、周波数といった音楽に関するトピックを取り上げ、音楽と快楽のあいだにあるものを浮かび上がらせる。
いっぽう「音楽の科学」はかなり踏み込んでいる。音楽の定義から、楽曲と使う音の恣意性、「良い」メロディの考察、音楽のゲシュタルト原理、協和・不協和音、リズムと旋律、音色と楽器―――ほぼ全方位的に展開される。さらに、音楽を聴くときの脳の活性状態についての研究成果と、音楽に「ジャンル」がある理由、「音楽=言語」の音楽論など、膨大な知見が得られる。「響きの科楽」は物理学から斬り込んでいるのとは対照的に、「音楽の科学」は認知科学から解こうとする。「響きの科楽」→「音楽の科学」の順に読むといいかも。
たくさんの楽譜が引用されており、調査の確からしさを支えている。楽譜が読めなくても心配無用、ここ Music Instinct (原著タイトル)にて全ての音源が公開されている。読み手がネットにアクセスできるという前提で書かれているので、電子書籍との親和性も高いですな。
音楽の「快さ」に入る前に、人は音楽をどのように聴いているかに着目しているのが良い。芸術や文化論で補完しつつ、メインは認知科学だ。すなわち、「脳は音楽をどのように聴いているか」に力点を置くと、脳が意外とアナログな(文字どおり適当な)処理をしていることが分かる。
たとえば、脳は、情報量を自動的に減らす能力が備わっているという。音程がわずかに違うだけの音は「同じ」と判断してしまうのだ。おかげで、少しくらい調律が狂っていても、音楽を楽しむことができる。もし調律の狂った音がすべて別の音と認識されれば、音楽はとてつもなく複雑に感じられ、処理能力の限界を超えるからね。
あるいは、脳は、メロディの最初の一音を聞くだけで、すぐはたらきだす。そして、「メロディはどこへ向かうのか」、「次に来るのはどの音か」を予測し始めるという。リズムで補完しつつ、音を補いながら、調性を察知するようにはたらきだす。過去に聴いた、調と音の組み合わせの記憶と照らし合わせながら、調を想定し、次の音を予想する。これは、イントロクイズとか、ドレミファドン(古いか)などで、この能力の一端を垣間見ることができる。
そして、この解釈は一時的なものではなく、次々と聞こえてくる音と記憶の比較は絶えず続けられ、必要に応じて解釈が更新されていくのだという。どちらかというと受動的なイメージが先行していたが、本質はどうやら違うようだ。聴く、というのは予想をはるかに上回る創造的作業なんだね。
このとき、聞こえてきた次の音やメロディのパターンが分かり、次の展開が想像どおりになると、愉快な気持ちになるという。物事を正しく予見できれば、進化的に有利だからね―――これは音楽評論家デヴィッド・ヒューロンの主張だという。ソナタ形式や変奏曲における構成美を「美しい」「快い」と感じるのは、予感が当たったというご褒美なんだと。だから音楽は、次の展開をほのめかしては、そのとおりに展開したり、裏切ったりの連続で成り立っているという(これは、L.B.メイヤーの言)。
ここまでは、「響きの科楽」でも語られていた主張だ。だが、「音楽の科学」の著者フィリップ・ボールは、これに物言いをつける。音楽と感情の関係を、予測や裏切りで説明する理論には、大いに検討の余地があるという。
なぜなら、聴き手の「予測」が具体的に何なのか明確ではないから。聴き手が曲のどの箇所に感動しても、あてずっぽうに「予測が裏切られたからだ」と説明すればいいことになってしまう。実証が困難だから、「何とでも言える」「まともに答えていない」と腐すのはどうかと思うが、厳密を良とするサイエンスライター魂から来ているのだろう。
ただ、この研究から面白いことが分かっていることも事実だ。人が音楽を聴くとき、主音を探す「習性」があるという。これは、途中で主音をわざと出さない曲を聞かせる実験で分かったこと。被験者はそれに気づかず、無意識に主音を補って聴いてしまうのだ。そして、どれが主音かの判断は、統計によるのだという。すなわち、最も使用頻度の高い音を人は無意識のうちに主音とみなすというのだ。
これを逆手にとって、調性をなくしてしまう試みが出てくる。たとえば、アルノルト・シェーンベルクが1907年に書いた「弦楽四重奏曲第二番」になる。オクターヴを構成する12の音を均等に使い、すべての音が使われる前に同じ音がくり返されることのないようにする。そうすれば、他の音に比べて重要に感じられる音が生じることはない。
この調性を破壊するメロディを実際に聴くと、次がどう来るのか全く見えない。主音がどれか判断が揺れ動くような音楽は、人によるとひたすら退屈だったり、「音楽でない」と腹を立てたりするらしい。著者はこれを「帰る場所がない緊張感」「曲芸をはらはらしながら見るのに近い感覚なのかもしれない」という。シェーンベルクの作曲法で許容される音の配列操作を試すなら、MusicInstinct_chapter04をどうぞ。リンク先の「Fig4.22(1) ~(4)」がそれぞれ以下に相当する。
Fig4.22(1) … 音の配列
Fig4.22(2) … 反転
Fig4.22(3) … 転回
Fig4.22(4) … 反転と転回
破壊された調性、馴染みのない調性を聴いていると、調性とは恣意的な慣習ではなく、音楽の認知に一定の役割を果たすスキームなのだという主張が真実味を帯びてくる。調性があるおかげで、重要な音とそうでない音が出てくる。それが、メロディを理解する手がかりになる。いわば、道に迷わないための道標が調性だというのだ。
調性階層に加え、音程変化の幅やパターンについての記憶が、メロディを理解する手助けとなるのであれば、そいつを逆手にとって、同じような調性や音程変化をする曲を「似た曲」として探すことはできないか?
こんな素朴な問いに「響きの科楽」のコメント欄で、以下の論文を教えてもらう(asmさんありがとうございます)。コード進行の類似パターンをクラスタリングすることで、楽曲の「近さ」や「相関」を抽出する。Amazonの「これを買った人はこれにも興味があります」は純粋にユーザのふるまいを蓄積したデータだが、この仕掛けを楽曲そのものからあぶりだそうというわけ。
近親調を用いた楽曲クラスタリングシステムの構築に向けて(pdf)
ポピュラー音楽クラスタリングのための近親調を用いたコード進行類似度の提案
本書では一歩進んだ"サービス"が紹介されている。Search Inside Musicで、曲の音響学的属性(メロディ、テンポ、リズム、音色、楽器の編成など)を比較して、似ているか否かを判断する。ユーザーが自分の好きな曲を指定すれば、それに似た曲を探して勧めてくれるのだ。残念ながら活動中止になってしまっているようだが、これ、精度によっちゃ喜んで金を出すぜ。最近トンと聞かなくなった Google Books Library Project より実現性高そう。
音楽とコンピュータの幸せな融合なら初音ミクだろう常識的に考えて、と思ったのだが、2009年のロンドンまで届かなかったようだ(今ならきっと、知っているだろうが)。本書では、適応学習を応用した音楽の自動生成アルゴリズム"GenJam"を持ち上げている。これは、トランペッターでもあるプログラマが開発したシステムで、音楽を学習させることによって作曲と演奏を進化させることができるそうな(結果は…芳しくないようだが)。
究極の問いである、「音楽は普遍的なものか?」については否定的な答えが出ている。音楽を解する能力には、学習によって身につく要素がかなり大きい。同時に、音楽を聴くという行為と、文化的背景とは切り離せない。つまり、音楽がどう聞こえるか、ということ自体を、学習や属する文化がかなりの程度決めてしまうのだ。
これは、異文化の音楽を聴くときにはっきりする。音楽が文化によって違うのは、音楽の「解釈」にあると誤解されがちだ。しかし、実際のところ、耳に聞こえた時点で違ったものになっている可能性が高いという。脳が聞こえる音に手を加え、自分の文化の枠内にある音楽であるかのように錯覚させてしまうのだと。
音楽がわたしたちの耳にどう聞こえるかは、聞こえた音そのものだけによって決まるのではない。その人がこれまでどんな音楽を聴いてきたのか、つまりどういう音楽が聞こえると予測するかによっても聞こえ方は変わってくるというのだ。
このように、音楽の魅力について、科学的・文化的にかなり深いところまで連れて行かれる。ネットに接続できる環境を準備して、ゆっくり・じっくり、それこそお気に入りのBGMを聴きながら読んでほしい。きっと、いつものBGMの聞こえ方に耳を澄ませている自分に気づくだろう。
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コメント
>同じような調性や音程変化をする曲を「似た曲」として探すことはできないか?
こんな研究もありますよ。一般公開はされていなかったとおもいますが。
http://miu.i.ryukoku.ac.jp/web_J/labo/study/nitamo/index.html
投稿: | 2012.03.06 15:43