« 【PMP試験対策】 プロジェクトマネジメント・フレームワーク(その3) | トップページ | 「ヴァインランド」はスゴ本 »

自分でエラーに気づくために「失敗のしくみ」

 『失敗のしくみ』は、現場のリスクマネジメントの好著。「失敗」の原因と対策について、ケアレスミスから重大な過失まで幅広くカバーしている。見開き左右に本文+イラストの構成で非常に分かりやすい。

 仕事上、センシティブな情報に触れることがあるし、失敗の許されない作業もある(この「許されない」とは、失敗したら損害賠償という意)。クリティカルな作業は、複数人でレビューを経た手順を追い、チェックリストを指差呼称するのがあたりまえ。それでもミスを完全になくすことはできない。テストファイルを本番環境に突っこんだり、間違ったスクリプトを実行したり、ヒヤリハットは忘れた頃にやってくる。

 ありえないミスとして、単位の取り違えも有名だろう。1999年に起きた火星探査機の墜落事故は、メートルとフィートを間違えたことが原因だし、2010年早々に発生した「2000年問題」は、10進数(10)と16進数(0x10)を取り違え、2009年からいきなり2016年になったことが発端らしい。

 日常生活でもうっかりミスはある。わたしの場合、エレベーターに乗ってて扉が開く→降りる→違う階だった!というボケから、駐車券探すためにいったんエンジン止めて、見つけたのはいいけれど、今度はエンジンかからなくてパニック!(シフトがDのままだった)という恥ずかしいやら情けないやら。

 こうした日常生活や現場レベルでのミスを減らすには、どうしたらよいだろうか?

 さまざまな「気づき」が得られたのは、「絵でみる 失敗のしくみ」。ついうっかり「まちがえた!」「忘れた!」というとき、認識はどのように働いていたのか(いなかったのか)が、過去の事例とともに紹介される。つまり、「ドジ」「度忘れ」「勘違い」のメカニズムが明らかにされるのだ。

 著者によると、人は間違えるのが正常だという。「勘違い」とは即ち入力ミスであり、「度忘れ」は記憶や判断ミス、「ドジ」とは出力ミスだとカテゴリを分け、それぞれの防止策を解説する。本書によると、エレベーターで降りる階を間違えるのは、「出力ミス」になる。動作パターンを体が記憶しており、習慣化に慣らされた体が、逆にその習慣に乗っ取られた事例だそうな。対策はセルフモニタリング、自分の行動をふりかえる「癖」をつけよという。鍵かけ指差し呼称や、宛先はメール送信直前に入れるといった応用が利く。失敗が影響を与える前に気づき、検知する仕組みを習慣化するわけ。

 また、相手を巻き込む「確認会話」の提案は有効だ。わたし自身も実践しているテクニックだが、意外とこれでミスを発見できる。「確認会話」とは、「相手が使った言葉とは違う表現で返す」こと。たとえば、相手が「来週火曜の夜7時にしよう」といったら、「来週の火曜日は……1月26日の19時ですね」と応えるのだ。単なるオウム返しではない「言い換え」により、相手のいい間違いと、自分の聞き違いが一度に分かる。

 本書で知った事例なのだが、2008年に徳島で起きた医療事故が痛ましい。ホルモン剤を投与するつもりの医師が、間違えて筋弛緩剤を処方したため、患者が亡くなったのだ。ホルモン剤は「サクシゾン」という名称で、筋弛緩剤は「サクシン」という。

 病院は「サクシゾン」を常備リストから外すなどの予防処置をしていたが、医師は転勤したばかりで知らなかったこと、処方プログラムの先行入力(最初の数文字を入れると候補が出る)でカン違いしたことが重なったという。点滴を担当した看護師は不審に思い、「サクシンでいいのですか?」と確認したのに、医師は何を聞き間違えたのか、「20分でお願いします」と答えたとある。もちろん医師のミスであることは間違いないが、そもそもそんな紛らわしい名前にしていることの方が問題だろう。この事故の後、筋弛緩剤は「スキサメトニウム」と改名されている。

 著者が強く主張しているのは、「失敗を裁くな!」ということ。懸命にやった上でのミスは、懲罰では防げないという。ミスをした人が逮捕されたり、有罪になったりすると、同業者は意欲をなくしてしまうおそれがある。さらに、日本社会は、技術的エラーにもっと寛容になるべきではないか?と問いかける。

 もちろん、職務として与えられた役割を放棄していた(規範的エラー)のであれば、その怠慢は責められるべきだろう。しかし、行うべき職務を果たしたものの、結果が要求される水準より低かった(技術的エラー)場合を厳罰にするのはおかしいというのだ。「医療事故→医師有罪」を立式して煽るマスコミへ、釘を刺しているように見える。

 大惨事のレベルになっても、ミスやエラーの本質が変わっていないのが興味深い。「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」では、飛行船墜落や原発事故、ビル倒壊など50あまりの事例を紹介している。誰がどのように引き起こしたか、食い止めたか、人的要因とメカニズムがドキュメンタリータッチで描かれている。「エラーを起こすのは人、くい止めるのも人」というシンプルな結論は、その対策も巨大化しているだけで本質は同じ。全てのエラーはヒューマンエラーになる。わたしのレビューは「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」を参照のこと。

 失敗を不必要に怖がるべきではなく、むしろ、失敗から学ばないほうが怖い。ミスを減らす特効薬は、過去のミスから学ぶことなのだから。転ばぬ先のなんとやら、日常/仕事を問わず、「ミス」を確実に減らしていきたい。

このエントリーをはてなブックマークに追加

|

« 【PMP試験対策】 プロジェクトマネジメント・フレームワーク(その3) | トップページ | 「ヴァインランド」はスゴ本 »

コメント

この著者の「失敗の心理学」を読み終わり,非常に参考になる記述が多く感心しました。
同著者の本を探していて,当Blog記事に当りました。
当記事を読んで参考になり,図書館に予約を入れました。

ありがとうございました。

投稿: maida01 | 2010.06.25 12:35

>>maida01さん

失敗学関連は、同著者がいくつか出しています。「失敗のしくみ」はその入門的なやつになります。

投稿: Dain | 2010.06.27 23:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自分でエラーに気づくために「失敗のしくみ」:

» [ライフハック]失敗を許すことは強さの証 [keitaro-news]
一端、烙印を押されれば社会的に封殺され、永遠に苦しめられる。一度レールを踏み外すと二度と復活は不能。そんな社会に長く済めば、どんな人でも保守的になります。保守的な態度は前例踏襲を至上として変化することを放棄し始めます。そして未来にリターンを生み出すリスク... [続きを読む]

受信: 2010.01.20 19:48

» 失敗の現実 [ひろしの考え]
 私も何度か、比較的大きな失敗をして会社を去る人を数度見たことがあります。そしてそのスケープゴートにされる対象はいつも一般社員であり、本来ならばそのプロセスに問題がある部分や、プロセスを策定した上層部の人間が責任を負うべきところは看過されていない現状が散見されます。  記者会見するような社会的な問題や自己であれば、トップが辞任などするので、全てがこの限りではないと思いますが、それら以外の問題の責任は、上記のような状態になっていることも多いのではないのでしょうか。  これらのことを自分なり... [続きを読む]

受信: 2010.01.31 14:51

« 【PMP試験対策】 プロジェクトマネジメント・フレームワーク(その3) | トップページ | 「ヴァインランド」はスゴ本 »