被曝治療83日「朽ちていった命」
核爆発時の爆心地レベルで被爆した人は、どんな運命をたどるのか?
1999年9の月に起きた、東海村の臨界事故。核燃料の加工作業中に、大量の放射線を浴びた男を救うため、日本最先端の医療チームが結成される。本書は、患者とその家族、医療スタッフという「人」に焦点を合わせ、壮絶な83日間をレポートする。
運びこまれたときは"普通"に見えていた患者の染色体は、既に完全に破壊されていたため、症状が進行してゆくにつれ、臓器・組織・機能は深刻なダメージを受けていく。読み手は、放射線被爆の凄絶さとともに、前例のない治療を続ける医療スタッフの苦悩に向き合うことになる。
もちろん患者の細胞は、ほとんど分裂しない。新しい細胞が生み出されることなく、古くなった皮膚が剥がれ落ちてゆくと、どうなるか?カラー写真で示された「右腕」が詳細に語る。入院当初の、ふつうに見える右腕と、被爆26日目の、ちょうどミディアム・レアに焼けた同じ腕の写真は、おもわずページから目を背けるほど。
医療チームも闘いだ。これほどの放射線被曝をした患者の治療自体が初めてで、最高のスタッフとはいえ試行錯誤をしながらの治療だったという。再生をやめ、朽ちていく体。助かる見込みのない治療。病院を取り囲む報道陣(←この事実は、本書に書いてない)。現場のプレッシャーは相当なものだったろう。
今なら取りざたされる終末医療だが、これは10年前。「おれはモルモットじゃない」と激昂したり「痛い痛い、家に帰してくれ」と泣き叫ぶ患者のQOL(Quality of Life)は存在しない(QOLの方針は立てられない)。最後は「とにかく"生きている状態"を少しでも長く保たせること」が目的化する。ぼろぼろになった臓器や皮膚を前に、「治療と称するもの」を続けていかなければならない。そして、自分がやっていることは医療行為なのか?――と疑問を押さえ込もうとする。ぎりぎりの状況での発言は、即、士気の低下につながるから。
「朽ちていく」という上品な表現を使っているが、実質は、生きながら腐っていくカラダだったんじゃないかと。血液やリンパ液を注入しても、大半は流れ出し、包帯へしみこんでゆく。循環していない肉は腐る。本書から注意深く取り除かれていたけれど、治療室内の「臭い」はかなりのものだったと思う。
当時を「がんばった」と評するスタッフは多い…というか、ほぼ全員そう述べる。歴史的な事故の犠牲者に対し、最先端の機器で最高のスタッフが不眠不休で「がんばった」。どんな状況でも「生きることをあきらめない」を至上とし、「がんばる」。171頁目は、1ページに6回も「がんばる」が出てきて噴いた。そのとき、患者は大量の麻薬物質を注入され、痛みも意識もない状態。
そんな患者を「がんばった」とされると、ものすごい違和感にとらわれる。むりやり生かしたことに対する罪悪感を「がんばる」言葉でごまかしているように見える。いや、患者だけじゃなく、ケアは家族のためでもある、とも言える。そりゃそうだ。でも、「家族のためにがんばった」と思い込まないと、自分が許せなくなる看護師もいることも事実。NHK取材班が書いたのだから、「書いてないこと」に目を向けると、深くうなだれる読書になる。
最後に : ゆりさん、いい本をオススメいただき、ありがとうございます。背筋をのばして、一気に、読みました。
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