内容について
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「WORLD OF FANTASY」の記事における「内容について」の解説
夜の東京の街を上下左右にシンメトリーに表現されていて、浮遊感溢れる。 こしじまが運転するランボルギーニ・ガヤルドは時速1,000kmの「FLY MODE」に突入し、東京の夜空をハイスピードで駆け抜けていく。 こしじまがビルに映っていたり、中田ヤスタカやCDジャケットなども散りばめられている。
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内容について
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「ゾイド -ZOIDS- 邪神復活!〜ジェノブレイカー編〜」の記事における「内容について」の解説
ダンジョンは広大で階層が多く、エンカウント率が高い。敵ゾイドは自分のパーティーのレベルに応じて強くなるため、戦闘は殆ど楽にならず普通に挑むとボス戦並みに手ごわい。そのため単純なシナリオクリアはまだしも、全ゾイドを解放するには根気が必要である。なお、本作のサブタイトルを飾るジェノブレイカーはラスボスの前座として出てくるのみである。
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「愛情はふる星のごとく」の記事における「内容について」の解説
尾崎の手紙は検閲により一部抹消されたり没収されることがあった。尾崎はそれを認識して、死刑判決以後は番号を付けることにより没収された場合に抜けが分かるようにした。また、国際感覚を養うことの重要性を娘・楊子に伝える際にも「今に日本が英米を支配する日が来る」など、検閲を意識して時にわざと体制に迎合するレトリックを使いながら自分の思想を表現するよう努力して執筆された様子が見てとれる。 書簡の内容は尾崎が不在となった母娘の家庭生活への助言、差し入れの本や衣服などの希望、差し入れられた本への感想という形での戦争・国際情勢の議論などに及ぶ。
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内容について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:49 UTC 版)
序文を書いている「藪野椋十」は、渋川柳次郎の別名である。献辞では啄木を経済的・精神的に支えた宮崎郁雨・金田一京助への感謝や、夭折した長男・真一への哀悼が語られている。 挿絵は画家の名取春仙が描いている。 三行分かち書きのスタイルは、土岐哀果のローマ字歌集『NAKIWARAI』をヒントにしたとされる。 歌の制作時期別では1908年が64首、1909年が29首に対し、1910年のもの(本書初出を含む)が438首とその大半を占めている。1908年制作の歌には著名な「東海の小島の磯の白砂に…」や「たはむれに母を背負ひて…」といった作品が含まれ、一方で妻・節子の家出事件(1909年)や幸徳事件(大逆事件)を経た後は実生活に立脚した作品が増える。また、中学校時代など岩手県に暮らした頃や北海道在住時代を回想する作品もあり、それらは東京での生活の中で郷愁を詠んだと解されている。
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内容について
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内容は山辺の来歴が語られており、対雁への強制移住についても触れている。 文章は、日本語の本文にアイヌ語のルビをふるという特異な形式となっている。このスタイルについては、「アイヌ語の語学テキスト」としてみた場合に主従関係が逆転しているという坪井秀人の指摘があるほか、須田茂は、実際に山辺が語ったのは何語だったのか、破棄されたとされる当初の原稿の流用の有無、金田一が「翻訳」する課程で意訳が含まれていないのかといった、テキストに関する疑問点を挙げている。 須田によると「下編」は「上編」と比較して日本語が「たどたどし」く、脱字・誤訳も見られる上、アイヌ語ルビも上編より少ないという。 なお、十勝アイヌの教育者・武隈徳三郎がほぼ同名の書籍『アイヌ物語』を1918年に出版しているが、こちらは全面日本語によるものである。
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「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」の記事における「内容について」の解説
基本的にレッドゾーンに該当しVIP患者席に送られることは嫌がられているが、詳細を聞いて該当者が嫌がらなかったり該当しない方が嫌がられた例外も(2004年7月13日・2008年2月26日等)ある。 スキルス胃癌の権威として、泉ピン子の夫(武本ホーム・ドクター・クリニック院長・武本憲重)が2度出演している。 2004年11月30日の1本目の症例の再現VTRにて、眼窩膿瘍で右目を失明してしまうサラリーマンを元チャイルドマシーンの山本吉貴が演じていた。 2007年4月3日の放送に出演した山田邦子が取り上げられた自己検診法を実践した際に乳癌が発覚。手術により摘出し2007年7月10日の放送回で詳細を語った。 2008年2月19日の放送でゲスト患者全員がレッドゾーン以上になった際はVIP患者席が定員オーバーとなったため、扉は閉めずトータルテンボスが階段の前に座った状態となった。 メディカルホラーチェック以外の時でもたけしが何らかの発言をした時にレッドゾーン表示がされることが稀にある(例として2005年2月15日の放送でたけしが人生レッドゾーンと言った際に画面下に【人生レッドゾーン】と表示された事が挙げられる)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 03:23 UTC 版)
作中には、当時の世相や物価が詳細に言及されており、梶山は意図的に「リアリティー」を盛り込むことで、当時人気の源氏鶏太による「サラリーマン小説」との差別化を狙ったという。編集者を務めた種村季弘によると、中薗英助の政治スパイ小説に続けて経済スパイ小説を出すことを考え、後藤明生の紹介で梶山に執筆を依頼したという。題材とする業界については薬品、電化製品、カメラと案が出ては没になり、最後は梶山の提案で自動車になったと種村は記している。 事実上の続編として、同じくタイガー自動車のラリーチームを主な舞台とした『傷だらけの競走車』(1967年、光文社)がある。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 05:28 UTC 版)
「GAMERA1999」の記事における「内容について」の解説
当作品は、映画の撮影がどのように行われたか、という純粋なメイキングの部分以外に、「本編監督と特撮監督の意見の相違」「本編監督及び特撮監督とプロデューサーの意見の相違」「映画の完成が遅延することに対するプロデューサー側と製作スタッフの衝突」「予算上の問題に頭を悩ませるプロデューサーと制作スタッフの軋轢」といった、通常は表立って語られることのない部分が大幅に時間を割いて描写されている。 公平な立場から撮影、構成されているとは言い難い部分があり、金子修介は「南里幸プロデューサーが『草薙浅黄が登場することに関する反論』で金子を論破できなかったために、庵野秀明を利用して作った嫌がらせである」との見解を示している。 撮影時には特撮助監督(後に特撮監督)の神谷誠が、作品の製作に関しての問題点をカメラにむかって赤裸々に語っていたという。しかし、ビデオの監督を務めた摩砂雪のミスにより撮影は失敗したとされ、完成した映像では神谷が「もうしゃべんねーぞ」と叫ぶ姿のみ収録されている。 摩砂雪はこの作品をメイキングではなく、ドキュメンタリーとして製作しており、スキャンダラスな部分を意図的に演出している。しかし、公開前の宣伝用としての意味もあったため制限が多く、販売用は否定的な発言が大幅にカットされた。 後に、金子と神谷が組んだ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』にて、神谷はスーパーバイザーに徹して、特撮は金子の書いたコンテに忠実に撮影された。
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「美しいものの死」を描いた作品とされ、文鳥の姿から主人公が連想した、 昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えているところを、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌(きざ)していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後である。 という記述がしばしば取り上げられる。 漱石の養父、塩原昌之助の後妻の連れ子で、漱石と家族として暮らした日根野れんが病没した10日後に『文鳥』の連載が始められた。『文鳥』は、れんの追悼の小説ともされる。漱石が18歳の時に嫁いだ日根野れんは『道草』の御縫さんのモデルでもある。
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橋本博の『大武鑑』を見れば時代により掲載内容に違いがあるが、時代とともに内容は拡大している。『編年江戸武鑑文化武鑑』の例言によると巻1(親藩・10万石以上の諸大名)及び巻2(10万石未満の大名)の場合 大名の姓:系統の同じ一族庶流を一括し、【】で姓を記載。松平姓賜姓の場合は()で本姓を記載。 大名の本国(本貫地) 大名の系図 大名家当主の人名 大名の席次 家督相続年 位階 内室:正室。なお婚約者の場合でも内室として記載される。実名記載でない。 御嫡 参勤 時献上 家紋 槍印 押 駕 纏 船印、船幕印 屋敷地 菩提寺:藩主及び家臣が江戸で死去した際の菩提寺。但し、一部の藩では国元の菩提寺が掲載されている場合もある。また、小島藩で記載されているのが英信寺(下谷坂本)や西福寺(浅草)だが、同藩の年寄倉橋格が埋葬されているのが成覚寺だったりしており、家臣については強制的に菩提寺が決められていたわけではない。 家臣:最低でも家老、用人、江戸留守居が記載される。藩により側用人や中老、番頭などを記載する。また家臣の役職名も掲載されているが、家老の項目を付さずに加判の役職を一括して無項目で掲載したり、越後長岡藩のように奉行という呼称を避けて中老や年寄として掲載しているなど、実際の藩職とは異なる場合も存在する。 石高、居城、在所:表高を表記。なお、武鑑掲載順は親藩とその他の大名で大別した上で各大名家嫡家の石高順で掲載される。 封地 里程:江戸から居城までの里程。 歴代城主 舎弟:掲載されることは少ないが、いる場合は掲載する場合がある。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
『反デューリング論』の中心軸は弁証法的唯物論であり、自然科学から社会科学・人文科学に至る広範な科学領域における弁証法の適用の試みとなっている。 ウラジーミル・レーニンは、本書の位置づけを「最後まで一貫した唯物論か、それとも哲学的観念論のうそと混乱か、どちらかである。―これが『反デューリング論』の各パラグラフに与えられた問題提起である」と語っている。唯物弁証法が自然科学から社会科学に至る全領域にまたがる包括的な理論であることを立証することがその目的とされた。 序論においてヘーゲルの弁証法が総論として整理され、観念論の克服と唯物論への転換の重要性が指摘されている。序論の後半部分はデューリングの野心と活動への敵意が表明され、彼の学説に対する宣戦布告となっている。 次いで、第一編では自然科学分野への関心に留まらず、法や道徳、真理、平等や自由といった精神哲学の分野に踏み込んだ見解を提示していった。第五、第六章において弁証法が宇宙の秩序とどう関係するかが、第七、第八章で有機体、生体の働きに弁証法がどのように現れているか、デューリングの科学についての理解が如何に不十分なものであるかが論じられている。 後半は道徳ならびに法哲学が論じられた。エンゲルスはデューリングの未熟な価値観を紹介しながら、道徳や真理は時代とともに歴史的に形成されるもので、固定的な万世不易の代物ではないと論じた。 最後に弁証法理論が紹介されている。ヘーゲルの弁証法が総論として整理され、弁証法の核心部分が提示されている。物質や生物の世界で弁証法がどのように展開しているかを例示しながら、弁証法が1)「量から質への転化、ないしその逆の転化」、2)「対立物の相互浸透(統一)」、3)「否定の否定」の三つの構成要素から成り立っていることを明らかにしたのである。弁証法と自然科学の関係性は『自然の弁証法(ドイツ語版)』でさらに深く論じられていく予定であったが、エンゲルスがマルクス死後『資本論』の続編刊行の任に集中していたため、結局遺稿に終わった。エンゲルスは、自然科学分野への関心に留まらず、社会科学分野についての理論的考察を提示していった。 第二編では社会科学の領域に踏み込み経済学を中心に、デューリングが重視した「暴力」や「経済」という切り口から人類社会における政治、階級、奴隷制、国家、軍国主義が次々と論じられていく。私有制の発達から奴隷制や資本主義的階級制度の起源が論じられ、暴力による原初的秩序の形成というデューリングの見解が批判されていく。エンゲルスは、人類史における抑圧は経済システムの中核部分に存在する所有形態に起因するものであり、経済要因によって政治的支配の形態が変動していくという唯物史観の理論を紹介した。また、後半部分ではマルクス主義の骨格部分に当たる剰余価値論の紹介に充てられている。 最後に、第三編では社会主義思想の登場と発展を歴史的理論的な側面から概説がなされている。サン・シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オウエンを取り上げ、思想の革新性と問題点を整理し、これらを空想社会主義として位置づけた。一方、産業革命の本格化に伴う資本主義の発達が進行すると、時代状況を反映する新しい社会主義の登場が現実になっていく。マルクスはヘーゲル主義から弁証法を批判的に取り入れ、唯物論と結合させることにより、唯物弁証法に基づく歴史理論―史的唯物論を確立した。エンゲルスは、経済学的アプローチから資本主義の盛衰と社会主義の到来の必然性をマルクスが論じたことにより、科学的社会主義がついに確立を見たのだと論じた。 エンゲルスは、上述の歴史観を整理して「社会主義とはなにか?」という大衆の問題関心に応える章を追加した。『反デューリング論』はドイツ語だけであったのと、マルクスの娘婿で「フランス下院議員であるポール・ラファルグの要請によって、私はこの本の3つの章をパンフレットにまとめ、それをラファルグが翻訳して、1880年に『空想的社会主義と科学的社会主義』という表題で出版した」。これが『空想から科学へ』というタイトルで知られている著作である。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 05:08 UTC 版)
「夢の超特急 (小説)」の記事における「内容について」の解説
梶山は自選作品集の「あとがき」で、現実の新幹線用地買収疑惑が確証不足で警察・検察・マスコミのどれも取り上げないことに憤慨して独自に追求し、「小説」という形で訴えてみたが、「読者の方々の多くは、あくまで小説だ、架空の事件だとして、読み捨てられたようです」と嘆いた。そして、その「失望とショック」から「エンターテーメントな小説を書く、戯作者としての道を歩んでいくことにな」ったと述べ、「その意味では、思い出と、痛恨の深い作品」と記している。 作中では陽子の職業について「BG」(「ビジネスガール」の略)という当時の用語が使用されている(「BG」がOLに変わった経緯並びに年代はOLの記事を参照)。 「新神奈川駅」は横浜市港北区篠原付近、「新淀川駅」は大阪市東淀川区に所在する設定で、これはそれぞれ実在の新横浜駅・新大阪駅と同じである。 「新幹線公団」は架空の組織で、現実の東海道新幹線は国鉄自身(建設当時の部局は「新幹線総局」)が建設を担当している。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:45 UTC 版)
久米邦武の原書は、漢字片仮名交じりの日記体・美文調で書かれている。実記には実録的・客観的記述の他に、久米の意見や見方も付け加えており、同時に全巻300余の銅版画が添えられていて、当時物珍しい外国の風物がビジュアルに鑑賞できる工夫もなされている。 実記は、歴訪した国の順に記述され、各国ごとに総論を設けて、地理、気候、歴史、人種、言語、文化、政治形態、宗教、教育、軍備、経済、貿易、鉱工業、農林漁牧畜、民情などを詳述して、次に、見学した小・中・高校・大学、盲唖院、養老院、各種病院、消防署、刑務所(牢獄)、新聞社、発電所、名所旧跡、城郭、諸建物、市場、電信局、郵便局、造幣局、国会、議会、商工会議所、新聞社、博物館、美術館、図書館、動物園、植物園、水族館、公園、天文台、港湾、上下水道、橋、鉄道、地下鉄、高架鉄道、トンネルなどと共に、訪れた各種工場(製鉄所、武器製造所、鉄道製作所、蒸気機関製作所、各種機械製作所、製糖、陶器、ガラス,綿・毛織物等々)では原材料から、詳しい工程、メカニズムまで詳細に記述されており、百科事典(エンサイクロペディア)的とも称される所以である。 第五編には欧州総論として政俗総論、地理及び運漕総論、気候及び農業総論、工業総論、商業総論があり、さらには帰港日程として中東及びアジア論を書いてあるので、東西文明の比較論として高く評価されている。 実記以外にも、大使、書記官よる『大使書類』『公署日記』『謁見式』(各国首脳との)及び各省から派遣された理事官による『理事功程』の公式記録も報告されていることから、実記は大使の公務の余禄と各国の諸施設視察見聞実録に特化されている。この実記編纂には、ワシントンから現地参加した随行書記官の畠山義成(当時は杉浦弘蔵)も深く関わっている。英米での長い留学経験を活かし、各国での諸事情審問の通訳として活躍し、帰国後も持ち帰った大量の資料の翻訳などに携わったが、刊行を待たずに亡くなっている。 出版事情については、田中彰の解説では、1878年刊の初版500部から後5年間で、3000セットまで増刷されたとみられる。以後は長らく歴史の中に埋もれ、再脚光を浴びたのは太平洋戦争をはさみ、初版からほぼ一世紀を経た1977年から82年にかけ岩波文庫版が発刊されてからである。それでも一部研究者、識者の間での限定的な普及であった。 多くの読者にも読まれるようになったのは、下記の現代語訳や一般書籍が出されてからである。
※この「内容について」の解説は、「米欧回覧実記」の解説の一部です。
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