東周列国 戦国編 第三集(4)
こうして魏軍に勝利した衛鞅の前に、新法によって国が栄えたことを感謝する住民達が現れる。だが、たとえ賛成であって新法について言及したものは処罰するという法のもと、彼等は奴隷として辺境に飛ばされてしまうのだった。
衛鞅はこの勝利の報酬として、十五城を与えられ、商君の称号を授けられる。だが、そんな衛鞅の元にかつて彼の変法を支持した趙良が喪服を着て現れる。彼は勝利のために命を落とした孟蘭皐の弔いだと言い、衛鞅のあまりの容赦の無さを責める。今や衛鞅は民の恨みを一身に買っており、もし現在重病の床についている孝公が死んでしまえば、命を狙われても不思議ではないと忠告する。だが、それでも自説を曲げない衛鞅に趙良も去っていった。
そして、死の床についていた孝公の前に、太子の師である公子虔が呼び出される。公子虔はこのまま衛鞅の専横を許しておくことの危険性を訴え、さらに今や衛鞅を亡きものにしたとしても、彼の作った法があれば、秦が天下を取ることも可能であると説く。孝公は熟考の末、公子虔の意見を入れ、彼に後事を託すと崩御した。
新しい王が起つとすぐに、衛鞅の屋敷は焼き打ちにあい、衛鞅は身ひとつで焼け出されてしまう。姫娘の元に赴き、彼女と共に逃れようとする衛鞅だったが、彼自身が定めた方により、宿屋に泊まることすら出来ずに捕らわれてしまう。
こうして衛鞅は自ら定めた法にのっとって処刑されたのであった。
友を裏切り、腹心の部下を犠牲にして手にした勝利も、結局彼自身を救ってはくれなかった。あまりにも多くのことを一人で実現しようとして、その反動を全て一身に受けてしまったのだろうと思うと不憫である。
ただ、さすがに今回を見ていてもやり過ぎと思えるところは多かったし、反感を買うのも無理はないんだよね。秦を強国にして民を富ませたという功績はもちろん認められていたのだろうが、それを上回る反感があったということなんだろう。
衛鞅(商鞅)という人、忠や孝を全く顧みなかったということで、儒家には特に嫌われているようなのだが、ドラマで苦悩している場面とかを見てしまうと、この人はこの人なりに葛藤があったんだと思える。育ての母以外何も持たなかった少年が、秦という国の行く末まで変えてしまった後、また同じ場所に戻ってくる、というのが印象的であった。
千年虫さん、碧猫さん
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2008.08.15 (Fri) | うちゃ #9fUrC8Yk | URL | Edit