教科書問題(続きの章)
どちらがより悪質か、というのは比較するのは難しい。法律化してしまう方は、成立までのプロセスがオープンになっていることや、撤回させる為の手続きが明快という点で戦いやすいとは言えるかも知れないが、一旦決まってしまった法律をひっくり返すのは大変だし、なにより影響力がでかい。
検定制度悪用の方は、建前上は特定の政治思想からの独立を謳いながら、やってることは真逆というのが悪辣なところだ。ところで、裁判で係争中なのだから記述に配慮するのは当然、とか言いだす人がいるのだが、そんなわけがない。裁判というのは訴えた側に立証責任がある。そして現在まだ一審判決も出ていないのだから、原告側の”軍による強制は無かったという主張”は、まだ何ひとつ立証されていないことになる。この時点では被告側の主張を変える必要はまったくないはずだ。
そしてもし、こんな裁判を根拠に記述を変えてしまっても構わないということになれば、気に入らない記述があれば裁判を起こせばいいという非常に困ったことになる。なにしろ立証しなくても考慮してもらえるんだから勝つ必要はないわけだし。
では、これらに対抗した側の行動はどうであったか。前のエントリーでも書いたように、創造論者に対しては裁判という形で対抗したわけだが、この裁判、先にも書いたように結構危なかったのだ。実はこの時裁判に協力した科学者たちは、裁判そのものに関しては部外者。本当なら関わりになるはずもない彼らは、『法廷助言者による摘要書』という形式を使って、最高裁に意見を提出している。彼らの意見がこの裁判の結果に大きな影響を与えたことは間違いないようだ。
この時科学界がとった協力体制はそれまでにも例を見ないようなものだった。個性的で独立心旺盛な彼らが、分野を超えて結集したのは、やはり科学ではないことを科学と偽って教育するということに対する危機感にあったのだろう。進化生物学は専門外であり、裁判の直接の当事者ではなかったかも知れないが、彼らはやはり主要な”当事者”であったのだ。
さて一方で沖縄の件であるが、書き換えに反対している側がどのように対抗したかについては碧猫さんのこちらのエントリーにも経緯が上がっている(おかげで手抜きが出来ます、多謝)。全国紙では詳しい報道がなされない為、このあいだの県民大会だけが突出して見えてしまうのだが、これはこれまで何度もあげてきた抗議をことごく無視されてきたことに対する対抗手段であったわけだ。(なんだか、人数を数えることがメディアリテラシーだと思い込んでる馬鹿が大勢いるみたいだけどね)
もしここで、進化論裁判の時との共通点をあげるとしたなら、彼ら沖縄県民たちもまた、歴史の当事者であるが故に、立場をこえて共闘するに至っている点ではないだろうか。まだ沖縄戦を生き延びた人もいれば、それらの人々から直接話を聴いたひとも多くいる。専門家ではないかもしれないけれど、彼らの歴史をこんな適当な根拠で書き換えられてはたまらんだろう。
数の圧力で教科書を書き換えることに危惧を覚えるというのは、そこだけ取りだせば正論に聞こえる。あるいは進化論裁判の時のように、司法に訴える(行政訴訟を起こす)という手段もあったかもしれない。だけどね、方や一審判決も出てないような裁判を”考慮”する、その一方では訴訟による正規の訴えで立証されるまでは書き換えない。なんてのは著しく公正さを欠くんじゃないのかね?
9/30時点の報道では、(沖縄)県内41の全市町村議会と高知・香南市議会が「検定意見の撤回と記述回復を求める」意見書を採択したとの事でしたが、9日に鎌倉市議会が、10日に福岡県議会も意見書を採択したそうです。
近頃、地方議会の決議にうんざりさせられることがしばしばありましたけど、さすがにこの件に関しては危機感を持ってくれたようですね。歴史学研究会もアピール出してますし。
…南京事件や「慰安婦」問題と対比させると微妙な気分ですが。
*大量のTB、失礼いたしました。
これ全部がワンセットなんです(笑)。
2007.10.11 (Thu) | 碧猫 #fYTKg7yE | URL | Edit