「ゲド戦記」から学ぶ 今、大切にしたいこと
ひょうご子ども読書活動推進フォーラム 全県フォーラムに行ってきました。
昨年から始まった文部科学省委託事業です。
兵庫県各地で11月から開催されてきた地区フォーラムには、私たちのグループからも多くの人が参加しています。
全県フォーラムの基調講演講師は清水真砂子さん(青山学院女子短期大学名誉教授)です。「ゲド戦記」の翻訳家として著名な方ですから、ご存じの方が多いと思います。私自身は清水さんの講演を拝聴するのは3回目です。
「ゲド戦記」から学ぶことは現在でも革命的なことで、それは今の社会に対する「これでいいのか」という異議申し立てであるとの言葉に、初めて「ゲド戦記」を読んだ時の衝撃を思い出しました。
ゲド戦記の世界では、知を独占しているのは男性で、賢い能力のある女性は排除され、ローク島にある学院に入ることは許されません。
ゲド戦記の作者、ル・グゥインはそのロークを相対化していきます。かつての力を失っていく賢者たちと知と力を身に着けていく女性たち。生活をくぐり抜けた女性が持つ言葉の力がそこにあります。批判も多かったというゲド戦記第4巻ですが、清水真砂子さん自身は1~3巻とは違い“心と体で訳すことができた”とおっしゃいます。
私は4巻を読んだ時、実は3巻までの世界観との違いに戸惑ったひとりです。しかし、その後「なるほどそういうことか」と納得しました。ル・グウィンの言いたかったことが私の体に染み入るためには、時間が必要でした。英雄ではなくなったゲドと農家のおかみさんになっているテナーの真実の物語のために、3巻までが必要だったのでしょう。
清水真砂子さんは子どもたち、若い人たちの言葉の貧しさに痛々しさを感じると言われます。こんな貧しい言葉でどんな風にして自分の思いを伝えるのか、成長の途上で言葉を(本を)差し出す大人に出会わなかったのかと。
現在はみんなが消費者になってしまい、サービスを受けるだけになっているとの指摘もされました。文化は享受するだけのものではなく、
産み育てるものなのです。そのために本を読むということは必要なことです。
「人生を測る物差しは権力や世間が押し付けてくるものだけではないことを知り、押し付けられる物差しをはねつける力を持たせてくれるのが文学なのです。」という言葉が心に残りました。
昨年から始まった文部科学省委託事業です。
兵庫県各地で11月から開催されてきた地区フォーラムには、私たちのグループからも多くの人が参加しています。
全県フォーラムの基調講演講師は清水真砂子さん(青山学院女子短期大学名誉教授)です。「ゲド戦記」の翻訳家として著名な方ですから、ご存じの方が多いと思います。私自身は清水さんの講演を拝聴するのは3回目です。
「ゲド戦記」から学ぶことは現在でも革命的なことで、それは今の社会に対する「これでいいのか」という異議申し立てであるとの言葉に、初めて「ゲド戦記」を読んだ時の衝撃を思い出しました。
ゲド戦記の世界では、知を独占しているのは男性で、賢い能力のある女性は排除され、ローク島にある学院に入ることは許されません。
ゲド戦記の作者、ル・グゥインはそのロークを相対化していきます。かつての力を失っていく賢者たちと知と力を身に着けていく女性たち。生活をくぐり抜けた女性が持つ言葉の力がそこにあります。批判も多かったというゲド戦記第4巻ですが、清水真砂子さん自身は1~3巻とは違い“心と体で訳すことができた”とおっしゃいます。
私は4巻を読んだ時、実は3巻までの世界観との違いに戸惑ったひとりです。しかし、その後「なるほどそういうことか」と納得しました。ル・グウィンの言いたかったことが私の体に染み入るためには、時間が必要でした。英雄ではなくなったゲドと農家のおかみさんになっているテナーの真実の物語のために、3巻までが必要だったのでしょう。
清水真砂子さんは子どもたち、若い人たちの言葉の貧しさに痛々しさを感じると言われます。こんな貧しい言葉でどんな風にして自分の思いを伝えるのか、成長の途上で言葉を(本を)差し出す大人に出会わなかったのかと。
現在はみんなが消費者になってしまい、サービスを受けるだけになっているとの指摘もされました。文化は享受するだけのものではなく、
産み育てるものなのです。そのために本を読むということは必要なことです。
「人生を測る物差しは権力や世間が押し付けてくるものだけではないことを知り、押し付けられる物差しをはねつける力を持たせてくれるのが文学なのです。」という言葉が心に残りました。