産業まつりの沿革
10月12日のブログで、第34回 気仙沼市産業まつりを紹介したときに、「産業まつりは以前、〈気仙沼・本吉地方産業まつり〉だったのが、いつから〈気仙沼市産業まつり〉になったんだろう。そう思って調べて見たら、ちょっと長い話になりそうなので、これは来週にでも」と書きました。本日はその調査結果です。
まずはいつもの荒木英夫編「気仙沼文化史年表」。この中に、ふたつの記述がありました。
1983 昭和58年11月6日 第1回 市産業まつり開かれる
〈市産業まつり〉は〈気仙沼市産業まつり〉の略記でしょう。会場は記されていませんが、その後の経過を考えると魚市場と推定するのが妥当だと思います。そして翌年につぎの記述が。
1984 昭和59年10月28日 第1回気仙沼・本吉産業まつり開かれる
前年の気仙沼市単独開催は第1回のみで、翌年から本吉郡各町が加わった新しい産業まつりになったようです。文化史年表に会場の記述はありませんでしたが、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合サイトの沿革記述に「第1回気仙沼・本吉地方産業まつり」の付記として「気仙沼市魚市場」とありました。沿革に記述があることからみて、これは、同組合の関連催事として始まったのではないでしょうか。
ちょっと説明を加えると、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合が設立されたのは1971年(昭和46年)です。この時点では、気仙沼市と本吉郡の各町(唐桑町、本吉町、志津川町、歌津町など)で構成されていたはず。組合のもっとも大きな事業は広域消防です。それからリアス・アーク美術館なども。
組合の設立後、市・町の合併があいつぎます。たとえば、2006年3月に気仙沼市と唐桑町が合併、2009年9月に気仙沼市と本吉町が合併など。詳細は略しますが、現在の組合構成は、気仙沼市と南三陸町の1市1町です。
話を気仙沼・本吉地方産業まつりに戻します。2011年は東日本大震災のため、産業まつりを開催することはできませんでしたが、翌年2012年に第28回「気仙沼・本吉地方産業まつり」が開催されました。しかし、会場は気仙沼市魚市場ではなく気仙沼市本吉総合体育館。そして同会場で「 気仙沼市本吉産業まつり2012」も開催されたのです。市のサイトにあった、2012年のポスターを紹介しておきましょう。
翌年2013年も本吉総合体育館を会場にふたつのまつりが開催されましたが、「気仙沼・本吉地方産業まつり」は名称が変わり第29回「気仙沼市産業まつり」に。この年は、気仙沼市魚市場を会場として第1回目となる「市場で朝めし。」が開催されました。このときのポスター/チラシに〈産業まづりみだいに買い物もすっぺし!〉というキャッチフレーズが記されているのは、3年にわたって魚市場で産業まつりが開催されていないという背景があったのですね。
そして、2014年は気仙沼市魚市場に会場が戻り「第30回気仙沼市産業まつり」となりました。この年から「気仙沼市本吉産業まつり」とは会場も開催日も分離しての開催となり今に至っています。
こうして整理していくなかで、いくつかの疑問が残りました。ひとつは南三陸町の関わりです。南三陸町は2005年11月3日第1回南三陸町産業フェア(志津川会場)を開催しています。それ以前の南三陸町や旧 志津川町の気仙沼・本吉地方産業まつりへの参加が具体的にどのようなものだったのか、具体的なことがわかりませんでした。
それと、「産業まつり」は今年34回ということなのですが、第1回から数えてみると、震災があった2011年のほかにもう1回の休止があるようです。それがいつのことなのかはわかりませんでした。
今日もちょっと長くなってしまいましたが、産業まつりの沿革は以上のようなことです。これらを踏まえていえば、「気仙沼市産業まつり」という名称使用を厳密にいえば1983/昭和58年が第1回目、そして第2回目が2014年。今回は第6回目といってもよいでしょう。2014年の開催企画時に、この「産業まつり」名称の継承、面倒なことをいえばその正統性や回数の数え方などについての議論もあったかもしれません。
そうした様々な事情の変化をのりこえて、このたびめでたく34回を迎えることができた10月24日の産業まつり、そして同時開催される〈市場で朝めし。〉に是非お出かけくださいますように。詳細は下記のブログにて。
10月12日ブログ「10/28 産業まつり」
まずはいつもの荒木英夫編「気仙沼文化史年表」。この中に、ふたつの記述がありました。
1983 昭和58年11月6日 第1回 市産業まつり開かれる
〈市産業まつり〉は〈気仙沼市産業まつり〉の略記でしょう。会場は記されていませんが、その後の経過を考えると魚市場と推定するのが妥当だと思います。そして翌年につぎの記述が。
1984 昭和59年10月28日 第1回気仙沼・本吉産業まつり開かれる
前年の気仙沼市単独開催は第1回のみで、翌年から本吉郡各町が加わった新しい産業まつりになったようです。文化史年表に会場の記述はありませんでしたが、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合サイトの沿革記述に「第1回気仙沼・本吉地方産業まつり」の付記として「気仙沼市魚市場」とありました。沿革に記述があることからみて、これは、同組合の関連催事として始まったのではないでしょうか。
ちょっと説明を加えると、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合が設立されたのは1971年(昭和46年)です。この時点では、気仙沼市と本吉郡の各町(唐桑町、本吉町、志津川町、歌津町など)で構成されていたはず。組合のもっとも大きな事業は広域消防です。それからリアス・アーク美術館なども。
組合の設立後、市・町の合併があいつぎます。たとえば、2006年3月に気仙沼市と唐桑町が合併、2009年9月に気仙沼市と本吉町が合併など。詳細は略しますが、現在の組合構成は、気仙沼市と南三陸町の1市1町です。
話を気仙沼・本吉地方産業まつりに戻します。2011年は東日本大震災のため、産業まつりを開催することはできませんでしたが、翌年2012年に第28回「気仙沼・本吉地方産業まつり」が開催されました。しかし、会場は気仙沼市魚市場ではなく気仙沼市本吉総合体育館。そして同会場で「 気仙沼市本吉産業まつり2012」も開催されたのです。市のサイトにあった、2012年のポスターを紹介しておきましょう。
翌年2013年も本吉総合体育館を会場にふたつのまつりが開催されましたが、「気仙沼・本吉地方産業まつり」は名称が変わり第29回「気仙沼市産業まつり」に。この年は、気仙沼市魚市場を会場として第1回目となる「市場で朝めし。」が開催されました。このときのポスター/チラシに〈産業まづりみだいに買い物もすっぺし!〉というキャッチフレーズが記されているのは、3年にわたって魚市場で産業まつりが開催されていないという背景があったのですね。
そして、2014年は気仙沼市魚市場に会場が戻り「第30回気仙沼市産業まつり」となりました。この年から「気仙沼市本吉産業まつり」とは会場も開催日も分離しての開催となり今に至っています。
こうして整理していくなかで、いくつかの疑問が残りました。ひとつは南三陸町の関わりです。南三陸町は2005年11月3日第1回南三陸町産業フェア(志津川会場)を開催しています。それ以前の南三陸町や旧 志津川町の気仙沼・本吉地方産業まつりへの参加が具体的にどのようなものだったのか、具体的なことがわかりませんでした。
それと、「産業まつり」は今年34回ということなのですが、第1回から数えてみると、震災があった2011年のほかにもう1回の休止があるようです。それがいつのことなのかはわかりませんでした。
今日もちょっと長くなってしまいましたが、産業まつりの沿革は以上のようなことです。これらを踏まえていえば、「気仙沼市産業まつり」という名称使用を厳密にいえば1983/昭和58年が第1回目、そして第2回目が2014年。今回は第6回目といってもよいでしょう。2014年の開催企画時に、この「産業まつり」名称の継承、面倒なことをいえばその正統性や回数の数え方などについての議論もあったかもしれません。
そうした様々な事情の変化をのりこえて、このたびめでたく34回を迎えることができた10月24日の産業まつり、そして同時開催される〈市場で朝めし。〉に是非お出かけくださいますように。詳細は下記のブログにて。
10月12日ブログ「10/28 産業まつり」