昨日のブログで8月9日におこなわれる観音寺の観音像ご開帳について紹介しました。その観音像が気仙沼に伝わる〈皆鶴姫(みなづるひめ)伝説〉ゆかりの仏像ではないかと記したわけですが、本日はその伝説を紹介します。とはいっても、これがその伝説内容ですと明確に示すことも難しいのです。〈皆鶴姫伝説〉は気仙沼のほかにも室根山近辺や会津地方などにもありますし、気仙沼に伝えられる話にもいろいろと細部の違いがあるようです。まさに〈諸説あります〉状態。そこで、ネットで見つけた情報を気仙沼にまつわる話を都合よくつぎはぎしてみると、つぎのような内容になりました。仮案ということで。
◎気仙沼の皆鶴姫伝説(仮)
源義経(当時は牛若丸)は、京都鞍馬寺の鬼一方眼(きいちほうがん)のもとで文武の修行をしていたとき、方眼が持っていた中国伝来の兵法書を見たいと望みましたがかないませんでした。そのため義経は、恋人となっていた方眼の娘「皆鶴姫」に頼んだところ、姫は父に内緒で兵法書を義経に渡しました。義経はこれを持って奥州平泉へと旅立ちます。兵法書を盗まれたことに気づいた方眼は激怒し、皆鶴姫を器舟(うつぼ舟)に乗せて九十九里浜から流します。
姫は、気仙沼(松岩の阿弥陀ヶ鼻/松崎前浜)の母体田(もたいだ)海岸に流れ着き、地元のおじいさんとおばあさんの世話により元気を取り戻します(はじめに漂着したのは一景島で、その後に母体田へとの説も)。しばらくして、皆鶴姫は男の子(つまり義経の子)を出産しましたが、産後の日だちが悪く、日に日に弱っていきます。
その頃、平泉にいた義経はそうした状態にある皆鶴姫の夢を見ます。これを正夢と信じた義経は馬を走らせ母体田の浜に向かいましたが、たどり着いた時に皆鶴姫は息を引き取っていたのです。義経は、忘れ形見の子の世話をおじいさんとおばあさんに頼み、平泉に戻ります。後に義経は気仙沼と平泉の中間地(室根村でしょうか)に観音寺を建立し、姫の守り本尊だった観音像をまつり皆鶴姫を弔いました。その観音寺はその後、気仙沼に移りました。それが現在の気仙沼市本町の観音寺です。
以上が伝説のまとめ仮案。観音寺には、姫を乗せて漂着した舟の残骸や義経が背負ったという「笈(おい)」のほか、弁慶が袈裟を掛けたという「袈裟がけの岩」などがあります。また母体田の高台にも観音堂があるとのことです。
気仙沼市弁天町の一景嶋神社/一景島公園には、2004年3月に気仙沼ライオンズクラブが設置した皆鶴姫伝説の案内板がありました。津波で被災しましたが、関係者の努力で復旧したようです。
案内板の画像がネット上にありましたので、その内容を書き起こしておきます。
2013年撮影と思われる案内板
◎案内板内容:「皆鶴姫」漂着の地
義経伝説に登場する、義経の恋人の皆鶴姫は、陰陽師・鬼一法眼の娘として、古くから歌舞伎などで演じられ、親しまれてきたヒロインです。 気仙沼市本町の天台宗観音寺には、寛政2年(1790)に作成された「当山観世音縁起」という寺社縁起が所蔵されており、そこには、義経が頼朝の憤りを受けて平泉にいたころに、皆鶴姫が義経を慕って東国に至り、病死したことが書かれてあります。 皆鶴姫の守り本尊と共に遺骨が流れ着いたところが、この一景島公園にあたる「一ヶ嶋」でした。その後、義経は皆鶴姫と平家一門の供養をするために、姫の守り本尊であった観音像を安置し、そのことが観音寺の始まりと伝えられております。 皆鶴姫伝説は、後生には、松岩の阿弥陀ヶ鼻(気仙沼市字松崎前浜)にうつぼ舟に乗って漂着したと伝えられ、気仙沼地方の著名な伝説の一つとして、人々にくりかえし語られてきました。
・観音寺に伝わる源義経の笈(写真)
・皆鶴姫が乗ってきた「うつぼ舟」の船板(写真)
案内板内容は以上です。この気仙沼の皆鶴姫伝説については、1977年(昭和52)に「絵本 気仙沼の伝説 皆鶴姫」として発刊されたことがあります。発行は編纂委員会と気仙沼市民俗資料館建設運動促進委員会。そして、2006年に復刊されましたが、これは前年のNHK大河ドラマ「源義経」放送による義経ブームが背景にあったようです。気仙沼ジャンさんによるブログ
「気仙沼産の神奈川県人!」に詳しく紹介されていました。同ブログに紹介されていた「絵本 気仙沼の伝説 皆鶴姫」の画像を紹介します。

気仙沼コンベンション協会の会長などもつとめたホテル一景閣の斎藤徹社長(現会長)は、この皆鶴姫伝説をいかした地域おこし活動に熱心でした。上述したように、九十九里浜から流され漂着したのが、いまホテル一景閣がある一景島(一ヶ嶋)との伝説もあるわけですから、それも当然のことでしょう。2007年には同ホテルで皆鶴姫の浮世絵展なども開催しています。現在もホテル内のギャラリーにその一部を展示しているようです。また、同ホテル内にはスナック皆鶴姫もありました。斉藤社長の熱心な取り組みがよくわかります。しかし、そうした当時の機運も、今の気仙沼ではちょっとしぼんでしまったかのようで残念です。
気仙沼市史 第7巻 民俗・宗教編(P371〜374)には、「義経と皆鶴姫伝説」の項があります。そこには、上記の案内板にも記されていた観音寺に伝わる寛政2年(1790)の「當山観世音略縁起」の内容も掲載されており、観音寺の観世音菩薩の義経や皆鶴姫にまつわる由来を知ることができます。
また、この市史記述のなかには、義経が気仙沼大島に入婿(いりむこ)になった伝説があり、宮城県教育会(教育委員会のことか)編の『郷土の伝承』第2輯に報告されているとの話もありました。面白すぎる(笑)。この市史の関連頁は、皆様の伝説研究の一助としていただくために、明日のブログでページ画像を掲載しようと思っています。
かなり簡略にしたつもりでも伝説紹介がこれだけの長さになってしまいました。どうでしょう、8月9日(木)の観音寺「秘佛聖観世音菩薩御開扉法要」にお参りしてみようと思っていただけましたでしょうか。そうであればとてもうれしいです。
なお、昨日の気仙沼中央公民館の公式Facebookが、観音像ご開帳を紹介していました。こちらもご覧ください。
中央公民館Facebook加えて、気仙沼の皆鶴姫伝説に関する公的な感じのサイトをふたつ紹介しておきます。ご参考まで。
岩手・宮城県際広域観光推進研究会サイト情報
宮城県観光連盟サイト情報
8月6日ブログ「観音寺 観音像開帳」
テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア
tag : 気仙沼皆鶴姫伝説観音寺