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震災復興基金残金

3月23日のブログで、震災後に気仙沼市へ寄せられた寄付金を積み立てた「震災復興支援寄付寄金」の使われ方について紹介しました。本日は、3月14日の三陸新報に紹介されていた気仙沼市の「復興基金」についてです。これは、震災後に国の特別交付税を原資にして宮城県から交付されたもの。記事によれば、この復興基金の総額は106億7200万円です。このうち、82%をすでに充当し残りは19億2千万円とのこと。

3/14復興基金

三陸新報3月14日記事の一部イメージ

充当額で最多なのは住宅再建の市独自の支援と浄化槽設置補助の65億6100万円で全体の61.5%。次いで地域商業施設等復旧整備が6億3200万円。水産加工業従業員宿舎整備が1億7200万円、中小企業振興資金融資の利子補給金1億5800万円などです。

ソフト事業ではこのほか、コミュニティFM放送などの業務委託(3200万円)、東日本大震災の追悼式(7000万円)などにも充当しています。新年度は、店舗リニュアル補助金(500万円)など計5事業に新たに活用するとのこと。

寄付寄金の記事でも感じたのですが、この復興基金に関しても、とりあげる事業の選び方にちょっと疑問があります。コミュニティFMや震災の追悼式などをあげるのであれば、気仙沼版DMO推進事業なども市の重要施策として紹介するのが自然だろうと。一覧表にすればよいと思うのですが。私の理解では、2016年度までが17事業、17年度が新たに6事業。記事では2018年度では新たに5事業としていますので、単純合計で28事業となるはずなのですが。

復興基金など、国や県から交付されるお金の使いみちは様々な条件がついており、柔軟な活用が困難だということはよく聞く話です。記事がとりあげてい様々な事業も行政が様々な知恵を絞って展開しているのでしょう。残りの19億2千万円についても、気仙沼の将来に役立つ活用策を探って欲しいと思っています。

3月23日ブログ「復興支援寄付残金」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼復興基金

三陸道の名称整理

3月25日(日)、三陸沿岸道路(三陸道)の大谷海岸インターチェンジ(IC)~気仙沼中央IC間の7.1kmが開通しました。当日の式典には関係者や住民ら約400人が出席したとのことで、まさに待望の開通ということでしょう。同区間の事業費は255億円です。


開通式

三陸新報ニュースサイトより

3月25日の三陸新報3月25日記事から道路区間図を紹介します。〈きょう開通〉とあるのは3月25日のこと。

区間図
三陸新報3月25日記事より


なお、大谷海岸と気仙沼中央との間には、岩井崎ICが設けられていますが、このICは気仙沼中央方向への乗り口と同方向からの降り口のみのハーフインターとなっています。


しかしなんというか、三陸道関連の名称はわかりにくい。今回の区間開通に関しても、三陸新報は〈三陸道〉、河北新報は〈三陸沿岸道路〉の一部区間として紹介しています。上に紹介した式典写真の表示では〈三陸沿岸道路/本吉気仙沼道路(大谷海岸IC~気仙沼中央IC)開通〉としていますね。

この機会に道路名称を整理しておきましょう。包含する距離が長い道路名から説明します。まず「三陸沿岸道路」(仙台港北IC~八戸ジャンクション/JCT)は、三陸縦貫自動車道・三陸北縦貫道路・八戸久慈自動車道の3道路の総称です。そして「三陸縦貫自動車道」(仙台港北IC~田老北IC)の略称が「三陸自動車道」や「三陸道」。次に、「三陸縦貫自動車道」中の本吉IC ~ 気仙沼中央IC間が「本吉気仙沼道路」、気仙沼中央IC〜 唐桑南IC間が「気仙沼道路」です。今回の開通区間は「本吉気仙沼道路」の約7割部分になるかと思います。おわかりいただけたでしょうか。私はまたすぐに忘れそうです(笑)。

河北新報3月26日配信記事

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tag : 気仙沼三陸道本吉気仙沼道路

あい子さんの訃報

同級生の訃報です。気仙沼中学3年6組だった後藤(及川)あい子さんが3月24日に亡くなりました。三陸新報の訃報広告には〈病気療養中〉であったと記してあります。

あい子さん訃報
三陸新報3月27日掲載内容

私もきのうの午前中に三陸新報(デジタル版)をながめ訃報欄も見てはいたのですが、そこに同級生の名があることに気付きませんでした。夕方に菊田裕美君(3年1組)がメールで教えてくれました。その文面には、あい子さんのご主人は気仙沼高校の同年生(3年1組)だった後藤正俊君だと記してありました。そして〈同年生の訃報に接すると寂しくなってしまいます〉と。同感。

あい子さんのご冥福をお祈りするとともに、正俊君へ心からお悔やみを申し上げます。

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tag : 気仙沼中学訃報

黒潮に運ばれた道

きのう3月26日のブログでは、からくわ物語「海の古道」東京公演を紹介しました。本日は、その前日祭として行われた3月24日の「歴史探訪フォーラム」をご紹介します。

チラシ

冒頭は、気仙沼出身で東北大学教授の川島秀一さんによる約50分間の基調講演でした。テーマは翌日の舞台「海の古道」のテーマを踏まえ「黒潮に運ばれた道」。とても要約できるものではありませんが、柳田国男をはじめさまざま文献なども引用しながら話してくれました。黒潮は、カツオなどの回遊魚をはじめ様々な魚を三陸の海に運んでくれます。また、その魚を追う人/漁師たちの文化も共に。そして漁師の信仰と漁労との関わりなどについて。

川島先生

まとめとして川島さんが示したスライド内容を引用しておきます。①技術の「伝播」も、文化の「伝承」でも、伝わったところで、既に培っていたものを土台にして受け入れていること。けっして受動的ではなく、積極的に「選択」していると思われる。②海を通した人間とモノとの交流を捉えることは、中央集権的な社会観を相対化できること。(例/カツオ一本釣り漁(宮崎・高知・三重←→三陸)、追込み漁(糸満←→新島・隠岐・対馬・五島)、家船(瀬戸内海)

基調講演の後は、6氏(目黒区の鈴木副区長、新宮市の田岡市長、気仙沼市の赤川副市長、同志社大学の八木匡教授、唐桑町古舘家当主の鈴木伸太郎さん、そして川島教授)が、それぞれの立場から気仙沼との関わりなどを報告しました。

フォーラム

目黒区と気仙沼については既に皆さんご存じのとおりです。そして新宮市は、1675年に鮪立/古舘の鈴木勘右衛門が当時の紀州三輪崎(みわさき)(現・新宮市)の舟5艘と漁師約70名を迎え入れたことがご縁の始まりです。三輪崎とのつながりがなければ、現在の生鮮カツオ水揚げ日本一連続21年といったこともなかったことでしょう。赤川副市長は、多大なご支援を受けての気仙沼の復興の現状や、唐桑地区におけるまちづくり、特に若い移住者たちの活躍について話されました。

気仙沼市唐桑町・古舘(こだて)家の現当主である鈴木伸太郎さんのお話ははじめてお聞きしました。詳細は略しますが、〈唐桑をはじめ三陸地域は「陸の孤島」とも言われてきたが、歴史をさかのぼればむしろ「海の十字路」であった〉いう言葉は、まさにフォーラムのテーマ「黒潮に運ばれた道」そして翌日の芸能劇「海の古道」と重なる話であったように思います。ひとり10分程度のわりふりですから要点のみでしたが、祖先が紀州からわたってきたという古舘/鈴木家が当地で果たしてきた役割と意義を強く感じることができました。もっと聞きたかった。

残りの時間がほとんどなくなっていましたが、最後に川島秀一さんがまとめとしてつぎのような話をしてくれました。〈黒潮の流れによる漁労技術の伝播は文化の伝承でもあった〉〈黒潮に運ばれた道について考えることの意義は、中央集権的なくびきから離れて、海の道を通じて地域と地域が直接に手を結ぶという視点を与えてくれることにあるのではないか〉などといったことです。この中央集権的な支配から離れての、海道蝦夷(かいどうえみし)としての誇りといったようなことは鈴木伸太郎さんのお話にも強く感じたことでした。川島さんは最後に、〈黒潮はそうした様々な文化を伝えてくれた。サンマやカツオなど、魚に感謝したい〉と微笑みながら話を結びました。

会の最後に、崎浜の保存会3名による大漁唄い込みの披露もありました。会場から〈ヨーイドコラサ〉のかけ声もあがるなどして、明日の舞台に向けての前日祭は終了。以上、断片的な紹介ではありますが、私が皆さんの話のなかで印象に残ったことを記しました。興味深い話をたくさん聞くことができてなによりでした。関係者の皆様にお礼を申し上げます。

3月26日ブログ「海の古道 公演報告」

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海の古道 公演報告

きのう3月25日(日)は、郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の東京公演でした。会場は目黒区民センターホール。とてもよい天気で目黒川の桜も満開に近い8〜9分咲きといった感じ。ホールに向かう桜並木の沿道は大勢の花見客で混雑していました。

開場は1:30、開演は2:00。私たち夫婦は午後1時に会場につきましたが、すでにロビーは気仙沼市唐桑から上京したメンバーや、観劇に来た唐桑出身者と思われる人達でにぎやかな雰囲気。懐かしい言葉がとびかっていました。

会場の目黒区民センターは約400席ですが、ほぼ満員でした。開演前に会場後側から撮った写真を紹介しましょう。なんとなくの雰囲気ですが、8割以上が気仙沼/唐桑出身者や関係者という感じ。

開演前

演劇内容の詳細は略しますが、とても面白かった。唐桑の人達が演ずる劇中に、4団体(鮪立大漁唄込保存会、崎浜大漁唄込保存会、神止り(かどまり)七福神舞保存会、唐桑浜甚句保存会)の皆さんの唄や踊りが披露されます。大漁唄込みや祝い唄、浜甚句の朗朗とした唄声や踊り、仕草は本当に素晴らしい。みんな堂々としていて、地元の言葉での劇も実に自然でした。頂戴したリーフレットの中面を紹介しておきましょう。

リーフレット

劇が終了して、出演メンバーが舞台に順に登場しました。最後に勢揃いしたときはこんな感じ。前列は鮪立の保存会の皆さん。中央に古舘(こだて)の鈴木伸太郎さんがうつっています。

カーテンコール

観客退場時のロビーにはメンバーの皆さんが並んでお見送りです。開演前と同様の笑顔と歓声が満ちていました。東京公演の成功をみな喜んでいたように思います。とても素晴らしい舞台でした。出演者はじめ関係者の皆さん、そして支援・助成してくださった企業・団体の方々にもお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

なお、前日24日に行われた前日祭「歴史探訪フォーラム」にも行ってきました。その報告はまた明日。最後に、帰り路で撮った目黒川の桜の写真を一枚。唐桑から上京した皆さんも目にしたことでしょう。この近辺、目黒田道公園などで開催される目黒イーストエリア桜まつりは4月7日・8日ですが、そこまで桜の花がもつかどうかがちょっと心配。例年通り、気仙沼の物産市も行われるのですが。桜まつりはあらためて紹介します。まずは本日、〈海の古道〉の紹介のみにて。

桜

3月14日ブログ「海の古道 東京公演」

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tag : 気仙沼唐桑海の古道

復興支援寄付残金

3月6日の三陸新報が、気仙沼市がまとめた東日本大震災後に寄せられた寄付金の使途状況を紹介していました。総額9億8800万円のうち、これまで産業振興などを目的とした計33事業に7割の7億800万円(予定を含む)を充当。残りは2億8千万円となっているそうです。

3/6寄付金活用
三陸新報3月6日記事より

震災関連の寄付金は、「震災復興支援寄付寄金」として市が積み立てています。その寄付金の充当先で最も金額が大きいのは3月31日に開館予定の気仙沼図書館建設事業で1億5500万円。次いで毎年度2千万円を充てている「海の市」復旧整備事業補助金が1億2千万円、被災集会施設再建事業補助金8700万円、復興祈念後援整備事業4700万円、水産資源活用研究会への事業補助金3650万円などと続きます。「水産資源活用研究会」は、〈Kesemo〉ブランドでの化粧品や、ホヤソース、ホヤ醤油、わかめドレッシングを開発・発売してきた官民一体の組織です。

これまで計33事業に充当してきたということですが、記事では上記事業に加え、水産や観光などまちづくりの調査を目的とした民間とのノルウェー・ニュージーランド・米国などへの海外視察に計2250万円、大島中学校野球部のいわゆる〈離島甲子園〉参加補助金100万円なども紹介しています。海外視察や離党甲子園参加への補助は、たしか一部の市議会議員から疑問が呈されたように記憶しています。そんなことから記事でもとりあげているのだと推測しますが、ちょっと含みを感じます。それならば、33事業の一覧を掲載したほうがよいでしょう。2016年の7月には、つぎの一覧を掲載していました。これにその後の内容を追加するだけの話と思うのですが。

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三陸新報2016年7月8日記事より

寄付金の残りは2億8千万円とのこと。ただ、総額2億円を充てることが決まっている「海の市」への充当残り分8千万円を引くと、実際の残高は2億円になるそうです。

このブログで気仙沼の復興事業などを紹介するときに、予算や費用の情報があれば意識的に紹介するようにしてきました。その多くが国や県の復興予算、つまりは税金によってまかなわれるものであろうとの思いからです。本日紹介したのは〈寄付金〉の使いみちです。市や議会の皆さんには、寄付してくださった個人、企業、団体の皆様の気持ちに報いるため、最善の使途検討をお願いしたいと思っています。

2016年7月19日ブログ「市への寄付金総額」

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tag : 気仙沼復興支援寄付金

アイデア賞を受賞

本日3月22日の三陸新報に気仙沼市の復興祈念公園アイデアコンペの審査結果が紹介されていました。このコンペには、私も妻と一緒にモニュメント部門に応募し〈アイデア賞〉をいただきました。

復興祈念公園コンペ

三陸新報3月22日記事の一部イメージ


記事によると応募数は、総合部門(モニュメントを含む公園全体の計画)が29点、モニュメント部門が132点でした。そして両部門から優秀賞各5点、アイデア賞各4点が選ばれています。そして優秀作品のうち、評価が最も高かった槻橋修(神戸市)さんの作品を、公園の核となるデザインに採用し、6月末までに策定する基本設計に可能な限り反映させる方針とのこと。

記事には〈モニュメントの例として、港町・気仙沼を象徴する灯台や船をモチーフにしたものがあったほか、復興への願いを込めた羅針盤や祈りをささげる鐘の設置などの提案があった〉と記されていました。当方提案の詳細な紹介はひかえますが、基本コンセプトは「灯台」です。付随設備として「鐘」の設置にも触れております。

「灯台」のアイデアは沢山の人が提案したことでしょう。私たちはそれを後押しできればなと思ったのが応募理由のひとつです。それと、公園が整備される陣山のあの場所は、私の実家があった場所の後背地。小さなころに遊んだあの場所にできる祈念公園であればヘンなものにはしたくないと。受賞・入選作品の公開はあるのでしょうか。どのような作品が寄せられたのかぜひ見てみたいと思います。

この復興祈念公園は来年に着工し、2020年3月11日までの開園を目指すそうです。検討委員会の皆様、コンペの審査は大変だったと思います。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

2017年12月8日ブログ「復興祈念デザイン」

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tag : 気仙沼気仙沼中学復興祈念公園

気仙沼 「おでん牧」

2月25日。日曜日でしたが、仕事があって事務所に出ていたのですが、午後7時37分にファックスが動き始めました。受信されたのはつぎのような内容。ノイズだらけですが、かろうじて読むことができました。平30.2023読売宮城版と記してあります。



受信ファックスの一部


見出は〈内館牧子の仙台だより〉 第171回「ノリで?気仙沼アイドル」。さっそく読んでみるととても面白い。気仙沼の人がわざわざ送ってくれたのでしょう。でも誰だろう?と思っていたら、2日後にメールが届いて送信者が判明。仙台に住む吉野信雄君(3年1組)でした。ということで遅ればせながら、その内館牧子さんのコラム記事を紹介させてもらいます。

脚本家で2000年から10年間は横綱審議委員もつとめた内館牧子さんは「みなと気仙沼大使」のひとりです。そして内館さんの友人知人がそのことを知ると、必ず「あなたと気仙沼、何の関係があるの」と首をかしげるといいます。その疑問への答えを引用させてもらいます。

2月23日付け読売新聞(宮城県内版)
◎内館 牧子の仙台だより 第171回
「ノリで?気仙沼アイドル」

〈 (前略) 私がまだ40代の頃、いつか東北で「おでん屋」をやろうと夢見ていた。どこがいいだろうとさんざん考えて、「そうだ! 気仙沼だ」とひらめいた。それまで一度も行ったことがなく、一人の友達もいないのに。だが、海から戻ったばかりの漁師たちに、あったかいおでんと地酒を出す店がいい。女将(おかみ)の私は紬(つむぎ)なんぞ着てカウンターに立ち、漁師たちのアイドルになるのだ。決めた、気仙沼だ。
 私はそれをNHKラジオで語ったのである。すると何と、すぐに気仙沼のリスナーから市内地図が送られてきた。「店を出すならこの辺がいい」などと赤でマークしてあり、細かく町の様子を書いた手紙がついていた。このノリのよさ、好きだなァと感激し、その後、初めて出かけた。
 思った通り、町も人も食べ物もいい。調子にのって、「いつか気仙沼に『おでん牧』を開く」と雑誌にも書きまくったのである。
 すると、ある時、気仙沼青年会議所から講演を依頼され、お土産に仰天するモノを頂いた。これが何と、店の暖簾(のれん)である。
 紺地に「港 気仙沼 おでん牧」と白で染め抜いてある。大漁旗の製作者が染めたそうで、大漁旗と同じ布を使っている。それは立派で美しい(写真を見たい人は講談社文庫「食べるのが好き 料理は嫌い」をご覧ください)。
 気仙沼人のノリのよさ。これは全国でもトップクラスだ思ったほどだ。海への開けた風土とイキのいい魚が作ったに違いない。
 今日まで「おでん牧」は開店していないが、ノリに対するせめてものお礼に「みなと気仙沼大使」に就任し、PRにつとめようと思ったわけである。〉

以上が、「あなたと気仙沼、何の関係があるの」という友人の問いに対する牧子さんの答。そしてつぎのように文を結びます。

〈もっとも友人たちは、「もうアイドルは無理。おでんを食べながら人生相談にのるババの店にしなさいよ」と言う。無礼者どもが。〉

結局、最後まで引用してしまいました。私だけでなく、気仙沼関係者であれば、この内館さんの気持ちがありがたく、とても省略などできないでしょう。私は「おでん牧」の話を、この記事ではじめて知りました。気仙沼の人が「店を出すならこの辺がいい」と教えてくれたところはどの辺だろうか。〈マンボ通り〉だっただろうかなどと妄想が止まりません。

内館さんについては以上ですが、吉野君のファックスの話が残っていました。たぶんクリーニングが必要だと思います。まずは細長いガラス部を拭くことからはじめてみてはいかがでしょう(笑)。

内館牧子さん、いつも気仙沼がお世話になっております。読売新聞での文章もありがとうございました。どうぞ、また気仙沼においでくださいますように。多くの人が待っていることでしょう。

◎追記:テレビ番組情報

先週の放送予定が変更になっていた、NHK EテレのETV特集「カキと森と長靴と」アンコールの再放送が、本日深夜(日付は3月22日0:00〜)となりました。見逃された方は是非ご覧ください。

ETV特集アンコール「カキと森と長靴と」
3月22日(木)午前0:00~(1時間)
2月26日ブログ「カキと森と長靴と」

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tag : 気仙沼気仙沼中学内館牧子おでん牧

南町商店街の苦境

3月16日に河北新報が気になる記事を配信していました。昨年11月に街開きした「南町紫神社前商店街」の共同店舗(20店舗)が、集客に苦しんでいるというのです。

商店街苦境

河北新報3月16日配信記事の一部イメージ(クリックで記事にジャンプ)


記事の一部を引用します。
〈共同店舗は被災した商店主らが建てた。「休日も平日もこんな状態」。飲食店を営む30代の女性はため息を漏らす。開店以来、赤字が続く。会員制交流サイトで営業に励むが、来店者が1日10人に満たないこともある。「人の流れがない。このままでは厳しい」〉

そして今は工事現場の中に商業施設があるような状況。店舗前の道路や隣接する造成地の工事は2019年3月だといいます。

〈人口減にこうした事業の長期化が重なり、客足は遠のく。個々の事業計画のずれが、まちづくりの歯車を狂わせた〉〈災害公営住宅と併設する共同店舗の建設費は約14億円で、合同会社の前身の建設組合が建てた。グループ化補助金を活用し、災害公営住宅分は市が9億円で買い取ったが、1億数千万円は出店者の負担だ。安定収入がなければ、被災事業者は苦境に追い込まれる〉

昨日のブログで紹介した、内湾地区のウオーターフロント施設にも触れています。

〈店舗前の道路を挟んだ海沿いに今年10月、官民出資のまちづくり会社が整備する飲食店街が開業。11月には内湾で被災した市の交流拠点施設も復活する。新たに創出される人の流れの相乗効果を、にぎわい復活に生かすことができるか〉

〈官民出資のまちづくり会社〉というのは気仙沼地域開発(株)。飲食店街は〈内湾スロー村〉(仮称)のことでしょう。市の交流拠点施設は、仮称〈南町海岸公共・公益施設〉で、昨年7月7日のブログで紹介しました。これらが、旧エースポート跡地に一体的に整備されます。

建物はこうしてできていくけれど、人は果たして戻ってきてくれるのか。河北新報の記事は、南町をはじめ内湾地区全体の商業関係者の切実な思いを伝えていたように思います。河北新報気仙沼総局/大橋大介さんの署名記事でした。

2017年7月7日ブログ「内湾施設イメージ」

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tag : 気仙沼気仙沼中学南町紫神社前商店街

商業施設愛称募集

3月17日の三陸新報に、気仙沼地域開発(株)(菅原昭彦社長)が、気仙沼の内湾地区に建設中の「ウオーターフロント施設」が5月末に完成との記事が掲載されていました。

3/17フロント施設

三陸新報3月17日記事の一部イメージ

記事によれば、旧エースポート跡地で建設中のこの商業施設は、新設商業エリア「内湾スロー村」(仮称)構想の一環として昨年6月に着工されました。事業費は約4億6千万円。1階/カフェ・衣料品・小売・飲食、2階/飲食・カフェやイベントスペース、3階/気仙沼地域開発・気仙沼地域戦略といったフロア構成になっています。早いテナントは6月中に、残るテナントも順次入居し、9月中にはすべてそろうとのことです。

記事の最後にちょっと気になる記述がありました。オープンに向けてこの施設のロゴマークと愛称を募集しているというのです。応募期間は3月12日から28日まで。この期間の短さは置いといて、名前(愛称)も決まっていないのにロゴマークのデザインができるだろうかという大きな疑問を感じました。どんな名前になろうが、そこに添えておかしくないマーク的なものということでしょうか。そうしたデザインが不可能なわけではありませんが、ネーミングから着想されるデザインという大きな可能性を捨てることになりますね。それと、ネーミングの文字を主体としたロゴという方向もはじめから考えていない。

ここまでにしておきますが、いかに時間がないとはいえもったいないやり方だなと感じました。しかし、完成や引き渡しが5月末だというのに、愛称がまだ決まっていないというのは本当でしょうか。ちょっと信じられないのですが。そうだとすれば、新「エースポート」でよいのではないかという気さえしてきます。A(エース)port。ありゃま、K-portと似すぎてしまうので、こりゃだめか(笑)。応募される方は、気仙沼地域開発(株)のサイトをご覧ください。

2017年7月28日ブログ「内湾施設の地鎮祭」

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tag : 気仙沼気仙沼中学エースポート気仙沼地域開発

「知恵を持つ海」

一昨日は、3月25日に目黒区民センターホールで行われるからくわ物語「海の古道」東京公演を紹介しました。〈目黒のさんま祭〉をきっかけにして気仙沼市と友好都市協定を結ぶ目黒区さんにはこうしていつも大変お世話になっております。3月4日には、目黒区の「めぐろパーシモンホール」で「東日本大震災復興支援コンサート」が開催されたわけですが、3月7日の三陸新報にその様子が紹介されていました。

3:7コンサート

三陸新報3月7日記事の一部イメージ

私も翌日3月5日のブログでこのコンサートを紹介しましたが、ホール内は撮影ができないため写真を紹介することができませんでした。上の三陸新報の記事には目黒区芸術振興財団提供の写真がありますので、当日の雰囲気が少しはわかると思います。私は前から4列目、写真の左下という感じでした。写真にうつっている指揮者は、気仙沼市民吹奏楽団の団長、畠山広成さんだと思います。記事の一部を引用します。

〈気仙沼の畠山団長は、震災の津波で流されながらも奇跡的に見つかった楽譜を使って吹奏楽曲「シー・オブ・ウィズダム~知恵を持つ海」を指揮。演奏に先立って、泥で汚れた楽譜を客席に示し、この曲に託した復興の思いを伝えた。〉

これはちょっと説明が必要が必要かも知れません。たしか、2011年に気仙沼市民吹奏楽団の演奏会が予定されていたのですが、震災によって演奏会どころか楽譜も流されてしまったということでした。気仙沼のメンバーの皆さんにとっては、そうしたいろんな思いが込められた曲です。

冒頭では、クラリネットのマウスピースを使って、かもめ/うみねこの鳴き声を思わせる演奏がありました。私の勝手な想像ですが、楽譜に細かな音程などの指示はなく、〈冒頭4小節/朝の静かな海。かもめの鳴き声がきこえる〉といった指示だけが記されているのではないか。清水大輔さんというかたの作曲です。静かさと激しさが交錯する表現に、気仙沼を襲った津波を連想した人も多いと思います。

気仙沼から上京して目黒で演奏してくださった気仙沼市民吹奏楽団9名の皆さん、ありがとうございました。お知り合いの方がいらっしゃれば、是非に素晴らしい演奏だったとお伝えいただきたく、この記事といたしました。

3月5日ブログ「美由紀さんの曲目」

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「モノ語る人びと」

本日も催しのご紹介。3月17日(土)に千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)で開催される歴博映像フォーラム12「モノ語る人びと-津波被災地・気仙沼から」です。研究映像紹介後の講演では、「被災物から語りを引き出すこと」というテーマで、リアス・アーク美術館学芸係長の山内宏泰さんが登壇します。

フォーラム

期日:3月17日(土)
時間:13:00~16:30
場所:国立歴史民俗博物館 講堂
定員 :260名(先着順)
参加費:無料(要事前申込)
詳細内容や事前参加申込みは下記のサイトをご覧ください。
歴博フォーラムサイト

歴博は、気仙沼市小々汐(こごしお)で被災した尾形家住宅を対象とした生活資料の救援活動を続けてきました。今回のフォーラムは、その活動過程で記録された映像を紹介し、人々がいかに過去と現在、そして未来を結んでいくのかを考えることを趣旨として開催されます。

気仙沼市小々汐地区は、商港岸壁の対岸にあたるところです。そして尾形家は〈仁屋〉(にんや)と呼ばれたこの地区の旧家。下記2014年4月のブログでは、東北芸術工科大学東北文化研究センター発行の「小々汐仁屋の年中行事」を紹介しました。この冊子には、現在は東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一さんが撮影した写真が解説付きで56頁にわたって紹介されています。

2014年4月11日ブログ「小々汐仁屋の記憶」

私は残念ながら参加できませんが、国立歴史民俗博物館で気仙沼市小々汐の尾形家住宅に関するフォーラムが開催されることを多くの人に知ってもらいたく紹介いたしました。なお、下記ブログでは山内宏泰さんの日本博物館協会「棚橋賞」受賞について記しております。

2017年12月25日ブログ「山内さんに棚橋賞」

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tag : 気仙沼山内宏泰リアス・アーク美術館歴博

海の古道 東京公演

本日は催事の紹介。昨年12月17日に気仙沼市民会館で催された郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の東京公演が、3月25日(日)に目黒区民センターホールで行われます。

海の古道

◎唐桑物語「海の古道」東京公演
3月25日(日)13:30開場14:00開演
目黒区民センターホール(目黒区目黒2-4-36)
入場無料
唐桑大漁唄込復活推進実行委員会サイト

「海の古道」については、昨年12月4日のブログでも記しました。本日はその内容を再編集して紹介します。

この東京公演は唐桑大漁唄込復活推進実行委員会が主催するもので、劇団「夢の海」と唐桑の鮪立大漁唄込保存会/崎浜大漁唄込保存会/神止り(かどまり)七福神舞保存会/唐桑浜甚句保存会の皆様からなる総勢80名が出演します。2013年から各年度につぎのような公演を続けてきました。

2013:海の家族の棲むところ
2014:海の古道〜1300年の旅
2015:クリスマスに花束を…祈りのまち・唐桑
2016:海の古道〜神々の記憶
2017:海の古道〜神々の記憶/1300 years version

東京公演は、上記の2017年公演の再演です。末尾に1300 years version(バージョン)とあるのは、熊野神勧請1300年祝祭版ということだと思います。少し説明しておけば、室根山に熊野神(くまののかみ)を迎えてまつった、つまり勧請(かんじょう)したのは、養老2年(西暦718年)のこと。2018年で1300年となるのです。演題「海の古道」は世界遺産でもある「熊野古道」を連想させながら、海上の路、そして1300年前から今に至る時の流れを表しているのでしょう。

「唐桑ものがたり」は、昨年2017年3月に紀州熊野、和歌山県新宮市でも公演をおこなっています。昨年9月27日の目黒のさんま祭で、唐桑大漁唄込復活推進実行委員会の会長をつとめる古舘(こだて)/鈴木伸太郎さんと事務局長の戸羽芳文さんにお会いしました。お二人とも、新宮市では大変な歓迎を受けて感激したと語っていました。延宝3(1675)年に紀州三輪崎(いまの新宮市)から5艘の船と漁師約70名を迎えて鰹一本釣りの漁法を当地に導入したのは先祖である鈴木勘右衛門ですから、伸太郎さんにとってはなおさらのこと。340年前にさかのぼる鈴木家と紀州のご縁を感じたことでしょう。

なお、2014年からの各回とも、国や市などの行政や各種団体・企業からの後援、助成を受けていますが、今回の東京公演は、朝日新聞文化財団の助成を受けて実施されます。朝日新聞さんのご協力にお礼を申しあげます。

公演の前日3月24日(土)には「歴史探訪フォーラム」が催され、私たちの一年後輩/気中21回生で東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一さんが基調公演をおこないます。

フォーラム

3月24日(土)と25日(日)、ご都合がゆるせば是非に。2014年度(2015年3月22日)仙台公演:海の古道~1300年の旅については、つぎのブログに記しております。

2015年3月18日ブログ「唐桑のものがたり」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

小中校児童数見込

きのうのブログで、3月11日付け三陸新報の記事にあった〈止まらない人口減少など、将来への不安が尽きない中、復興に向かうこの地で暮らすわれわれ〉との一文を紹介しました。その2日前、3月9日の三陸新報は、〈歯止め利かぬ少子化〉との見出しで、気仙沼市と南三陸町の教育委員会が3月1日現在でまとめた2018年度小中学校の児童・生徒見込み数を紹介していました。気仙沼市教育委員会は〈憂慮すべき状況〉と。

児童数記事
三陸新報3月9日記事の一部イメージ


この記事に添えられた児童・生徒見込み数表を紹介しておきましょう。

児童数見込み数
三陸新報3月9日記事より

気仙沼市の教育委員会は本年4月の水梨小の松岩小への統合、月立小の新城小学校への統合を計画していましたが、地元の反対で先送りされました。なお、小原木(こはらぎ)小の唐桑小への統合は決定済みです。両校の本年4月の1年生児童数見込みは水梨が1名で全校児童数は16名とされています。月立小は1年生が5名、全校で27名です。

気仙沼出身とはいえ、市民でもない私がとやかく言うことは控えたいと思うものの、この状況はどうなのだろう。学校統合に失われることも確かにあると思いますが、その一方で新たに得られることもあると思います。児童にとって、そのプラスとマイナスの評価がどちらになるのか。父兄をはじめとする地元の理解を得るための活動がこれからも行われていくことでしょう。

上の数表をみてください。2018年度の気仙沼小学校児童見込み数は243名です。一方、私が気小低学年だったころは九条分校だった九条小が309名。そして面瀬小が285名、松岩小が329名です。かつてマンモス校といわれた気仙沼小学校がすっかり小さくなってしまって。そんな卒業生の思いもいまや郷愁といってよいでしょう。


なお、気仙沼市小中学校の統合計画はつぎのとおりです。


三陸新報2017年1月1日記事より


2017年12月21日ブログ「反対で統合先送り」

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tag : 気仙沼気仙沼中学気仙沼市教育委員会統合計画

それぞれの立場で

東日本大震災から7年が経ちました。3月11日の三陸新報一面記事です。

三陸新報311

三陸新報3月11日記事の一部イメージ


写真は〈 上空から望む気仙沼市赤岩港(左)、南気仙沼(右)両地区。手前は三陸道の仮称・気仙沼湾横断橋 〉。記事の冒頭には〈 2月末現在、気仙沼市の犠牲者は1042人(関連死を除く)、行方不明者は215人。南三陸町は犠牲者566人(同)、行方不明者211人となっている 〉とありました。

この写真を見て、復興が急速に進んでいると感じる人は少ないでしょう。まだまだだなあと。しかし、7年間の多くの人の協力と努力でやっとここまできたのです。写真の右下のリード文の末尾に、〈止まらない人口減少など、将来への不安が尽きない中、復興に向かうこの地で暮らすわれわれ。それぞれの立場で、スピードで、明日への一歩を踏み出そう〉とありました。〈復興に向かうこの地で暮らすわれわれ〉。私は18歳で気仙沼を離れ、いま東京で暮らしているわけですが、とても共感する一文でした。

「3月11日からのヒカリ」も無事に終了。下に、3月11日関連のテキスト中継を紹介しておきます。ほぼ日さんの「気仙沼で、お魚づくし。」は、糸井重里さんとほぼ日の〈チアフルギャルズ〉が、気仙沼をたずねた2日間のテキスト中継です。。気仙沼市唐桑の〈つなかん〉では、〈 車で気仙沼まで行く。〉の皆さんとも合流しました。関係者の皆様、今年もいろいろとありがとうございました。お礼を申し上げます。

きょうは3月12日。それぞれの立場、持ち場でがんばろう。それぞれのスピードで。新しい一週間が始まりました。


「3月11日からのヒカリ」テキスト中継
ほぼ日「気仙沼で、お魚づくし。」
ほぼ日「書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。」

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tag : 気仙沼3月11日からのヒカリ311

気仙沼の3月11日

私たち気仙沼中学20回生支援会も協賛している〈3月11日からのヒカリ〉のテキスト中継が3月9日正午から始まっています。3月11日までの気仙沼の3日間を皆さんの投稿で伝えます。

テキスト中継
画像クリックでサイトにジャンプします

今年は「震災から7年。光と影の景色、言葉たち。」というメッセージが添えられています。このテキスト中継は、〈3月11日からのヒカリ〉の関連イベントとして2013年から毎年おこなわれてきましたので今回で6回目。中継サイトではこれまでの各回内容も見ることができます。その投稿をあらためて見てみると、毎年の気仙沼の風景や人々の心情の変化の記録になっているなと感じます。鼎が浦から立ち上がる3本のヒカリは、これらの言葉や写真があることで、その象徴的な意味がさらにきわだつのでしょう。


もうひとつの中継記事を紹介します。〈ほぼ日刊イトイ新聞〉(ほぼ日)の〈書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。〉です。古賀史健さん、浅生鴨さん、田中泰延さん、そしてほぼ日の永田泰大さんの4人が9日に東京を出発しました。3月11日には気仙沼で糸井重里さんらに合流するようです。


車で気仙沼まで

画像クリックでサイトにジャンプ


テレビ番組も紹介しておきましょう。

NHK_20180309144108e55.jpg
画像クリックでサイトにジャンプ

◎NHK総合テレビ
証言記録スペシャル「いつか来る日のために」
震災7年 気仙沼の“あの人”は今
3月10日(土)10:05~10:54

司会はサンドウィッチマンさんら。生島ヒロシさんもゲストとして参加。気仙沼市のゲストはすがとよ酒店の菅原文子さん、VOAR LUZ(ボアラズ)の佐藤春佳さんなど。3月7日のブログでもお伝えしたように、番組の中でコヤマ菓子店の小山裕隆さんの取材映像も紹介されます。


この数日はテレビなどで震災特集番組がたくさん放送されることでしょう。それはそれとして、気仙沼の3月11日が静かな鎮魂と追悼の日となることを心から願っております。

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tag : 気仙沼3月11日からのヒカリ

憲二君の待受画面

3月5日(月)、菊田裕美君(3年1組)から千葉憲二君が登場するテレビ番組情報のメールがありました。裕美君は板橋和夫君(9組)から教えてもらったそうです。情報リレー(笑)。

この日、BS朝日で午後7時から放送された2時間番組「激ウマ!極上ラーメン プロが選ぶこの一杯パート2」です。人気有名ラーメン店の店主がお薦めする、今最も美味しいラーメンを紹介するという番組。メール当日の放送だったので、急いで妻に連絡して録画を依頼しました。

番組サイト

憲二君以外の〈人気有名ラーメン店の店主〉は、ラーメン店初のミシュランに輝いた「Japanese Soba Noodles蔦」の大西祐貴さん、関西で人気の豚骨ラーメン「無鉄砲」の赤迫重之さん。なお、憲二君がお勧めしたラーメン店は東京・足立区の博多長浜らーめん「田中商店」です。

憲二君の紹介映像では、銀座「まかない㐂いち」に始まり、「ちばき屋」葛西店、東京駅八重洲南口地下1階の牛タンねぎ塩ラーメン「㐂蔵(きぞう)」、気仙沼かもめ食堂などが紹介されました。幼い憲二君がお父さんとうつる写真も。

ちばき屋 かもめ食堂
少年時代 オフィス

私が注目したのは、最後の写真。オフィスで収録した映像の背景にうつっていたパソコンの待ち受け画面です。拡大してみましょう。

拡大

これは、2011年2月12日に気仙沼ホテル観洋で開催された私たち気仙沼中学校20回生還暦祝い会の祝宴のひとこま。ラッツ&スターに扮した同級生たちが踊っていますが、ゴールドの衣装でメインボーカルをつとめたのは憲二君です。曲目は「ランナウェイ」。この一カ月後、気仙沼は震災の大津波に襲われたのです。

待ち受け画面とちょっとだけ違う(ように見える)写真が、小松亀一君(6組)のブログに掲載されていますので拝借して紹介します。

舞台
亀一君2011年2月13日ブログより

BS朝日「激ウマ!極上ラーメン」は、3月11日を間近にしての震災特番ではありません。しかし、思いもかけず憲二君のPC待ち受け画面を見て、7年前2月12日の還暦祝い、そしてそのわずか一か月後の惨事を思い起こすこととなりました。

なお、気仙沼かもめ食堂は、3月11日(日)午前11時〜午後5時まで限定500食で〈かもめラーメン〉を無料提供します。憲二君らが震災後数度にわたっておこなってきた炊きだしのときもそうですが、一杯のラーメンにこめられた気持ちを味わってもらえればと。どうぞよろしく。

IMG_2913.jpg

小田が気仙沼モニターツアーの際に店頭で撮影

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コヤマの兄弟たち

3月1日と2日に東京の丸ビルで開催された復興応援イベント「マル・デ・ミヤギ」に気仙沼からコヤマ菓子店も出店しました。私は2日(金)午前中に日比谷でミーティングがありましたので、お昼過ぎに寄ってみました。日比谷から歩いて15~20分といったところ。会場に着いてコヤマのブースに行くと、裕隆さんではなくて弟の晃宏さんが接客していました。〈気仙沼がら来だのすか〉とふざけながら声をかけました。すぐに裕隆さんも戻ってきてくれて少しお話を。計画中の新しいお店のスケッチも見せてくれました。そしてブースに並んでもらって写真を一枚。


IMG_2983 2


私は大人気の〈はまぐりもなかくっきー〉と〈ホヤぼーやまんじゅう〉を購入。裕隆さんのブログによれば初日で2日分のお菓子をほぼ売ってしまい、急ぎ商品を追加したそうです。そして、二日目も完売したとのこと。なによりのことです。気仙沼での家業を継いだ兄(長男)の丸の内出張販売に、東京で働く弟(三男)が手伝いに来てくれている。父親 小山隆市君(3年6組)もきっとどこかで喜んでいることでしょう。

話は変わって、小山裕隆さんが3月10日(土)NHK総合テレビの番組に登場します。震災7年 気仙沼の“あの人”は今。〈震災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼。あれから7年、懸命に再建を果たそうとしていた銭湯や酒屋を訪ねると衝撃の事実が……〉。震災直後や復興への努力と現在の姿を紹介するようです。

◎震災7年 気仙沼の“あの人”は今
いつか来る日のために 証言記録スペシャル
NHK総合テレビ
3月10日(土) 午前10:05~午前10:55

この番組を紹介した裕隆さんのブログには、NHK東日本大震災アーカイブス「証言webドキュメント」に収録されている裕隆さんの映像が紹介されていました。2011年11月11日に取材されて番組「あの日 わたしは」で3回にわたって紹介された映像です。震災後に開いた新しい店で〈絆カステラ〉を焼く父親 小山隆市君(3年6組)の姿もうつっています。3月11日に気仙沼河北ビルから裕隆さんや隆市君が見た津波の風景も。10日の番組でも紹介されるでしょう。

それにしても、よく知っている街並みが津波にのみ込まれていく映像は、見るたびにつらくなります。仲町のコヤマの店が津波で倒れるところを隆市君が撮影した写真も紹介されるのですが、7年経ってやっと新しい自前の店舗構想を息子さんが語るまでになりました。10日の番組で紹介される新店舗構想を楽しみにしているところです。皆様もぜひご覧ください。

NHK「証言webドキュメント」

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森は海の恋人30年

3月5日(月)の読売新聞夕刊に、畠山重篤さんらの〈森は海の恋人〉活動が30年目を迎えるとの大きな記事が掲載されていました。

読売新聞

読売新聞3月5日記事の一部イメージ


記事はつぎのリード文で始まります。

〈宮城県気仙沼市で養殖漁業を営む畠山重篤さん(74)らが「森は海の恋人」を合言葉に植林活動を始めてから、今年で30年目を迎える。森を豊かにして海に栄養分を行き渡らせ、好漁場を作る取り組みで、植えた木は5万本以上。東日本大震災を経てもなお続けられ、植林のモデルとして国内外に広まっている。〉

その後、40年ほど前に川から流れ込む生活排水や農薬で赤潮にまみれた湾の話が続きます。多くの海水を吸い込むカキも赤く色が付き、「血ガキ」と呼ばれ、廃棄処分されたそうです。

〈「漁師は森、川、海と続く自然の中でしか生きられない」。畠山さんが出した答えは「陸(おか)に上がる」ことだった。気仙沼湾に注ぐ大川上流にある岩手県一関市の山で1989年、漁師仲間とブナやコナラなどの広葉樹を植え始めた。県境をまたいだ取り組みのため公的援助は受けられず、仲間と資金を出し合って始めた。効果は徐々に表れ、カキの収穫量が上がった。サケが戻り、しばらく湾で見られなくなったウナギも現れるようになった。〉

そして、2011年の大震災。養殖いかだが流され、活動の背中を押してくれていた母の小雪さんも亡くなりました。しかし、震災の2か月後、湾の水質を調査した京都大の研究チームが「カキが食べきれないほどの植物プランクトンがいる」と教えてくれました。その年にカキ養殖を再開すると、豊漁になったといいます。

30年目の植樹祭は6月3日。畠山さんは「人々の意識を高める、つまり『人々の心に木を植える』ことも大きな目的。次の世代に豊かな海を残すため、今後も続けたい」と話しているそうです。

記事の注釈に「森は海の恋人 」の簡潔な説明がありました。〈森の土壌に含まれる養分が川を通じて海に注ぎ、プランクトンを育てて魚や貝などに恵みをもたらすとして、1989年に始まった植林活動。2009年に同名のNPO法人が設立された。理事長の畠山重篤さんは2012年、国連の「フォレストヒーローズ(森の英雄)賞」の初代受賞者となった。〉

気仙沼の人たちは、畠山重篤さんや〈森は海の恋人〉のことをよく知っているはずです。しかし、こうした30年にもおよぶ活動の意味や価値をうまくほかの人に伝えることができるかどうかというのは別の問題。こうして読売新聞さんがうまくまとめて紹介してくれたことを大変うれしく思いました。記事をまとめてくださった中根圭一さん、ありがとうございました。

〈森は海の恋人〉活動が30年か。重篤さんが44歳のときに始めたのですね。今でこそこうして高い評価を受けていますが、活動開始初期など、決して順風に恵まれていたわけではないでしょう。逆風もあったと思う。こうした記事を読むとき、そうしたときの重篤さんらの気持ちはどんなだったのかとつい想像してしまうのです。

国連の「フォレストヒーローズ賞」受賞については、つぎのブログにて。

2012年2月14日ブログ「国連の畠山さん」

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tag : 気仙沼森は海の恋人畠山重篤

美由紀さんの曲目

きのう3月4日(日)は、東京・めぐろパーシモンホールで「東日本大震災復興支援コンサート」でした。今年で3回目。今年も素晴らしかった。

プログラムを紹介しましょう。第1部は例年同様に気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団の混成楽団による演奏。そして第2部は、気仙沼市出身のシンガーソングライター畠山美由紀さんが出演。司会は気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんでした。



1部の吹奏楽は、40名近くの編成のうち気仙沼市民吹奏楽団のメンバーが9名でした。そして5曲中2曲の指揮をとったのは気仙沼で吹奏楽団のリーダーをつとめる畠山広成さん。担当楽器はトランペットです。昨年もタクトを振りましたがほんの少し緊張していたようにも思えました。しかし今年は堂々とした指揮振り。演奏を終えて客席に向かい一礼したときにはホッとしたのか笑顔がありました。5曲の後のアンコール曲は「故郷」。歌唱があるわけではないのですが、歌詞が頭にうかぶものですから不覚にもグッときた。〈夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと〉。


2部の曲目(というと古いか。今風にいえばセットリスト)はプログラムに記されていなかったので、ここで紹介しておきましょう。私自身があとで思い出すためにも。

①Over the Rainbow(虹のかなたに) 
ミュージカル映画「オズの魔法使」でジュディ・ガーランドが歌った劇中歌。一昨年のコンサートでもこの歌で始まりました。Somewhere over the rainbow Bluebirds fly 〈虹のかなたのどこかに、青い鳥が飛ぶ場所がある〉
②風の栞(しおり)
美由紀さんの詩、中島ノブユキさんの曲。〈真夜中の嵐がわたしの街を 大好きな季節に変えていった〉
③あなたの街へ
トークのなかで、10代のとき、好きだった人に会いに気仙沼から大船渡に行ったことなども。秘話か?
④春の気配
〈思い出せそう なぜこうして 生まれてきたか 春の気配〉。トークでは若いころに遠野へ車ででかけた夕刻、神社そして白鹿が忽然とあらわれたことや風景の記憶など。
⑤カーニバルの朝
映画「黒いオルフェ」のテーマ曲。セルジオ・メンデスが日本の女性ボーカリストと競演したコラボレーションアルバム「ランデヴー」の中でも美由紀さんが歌っています。
⑥銀河鉄道999
いわずとしれた松本零士さん原作アニメ主題歌。オリジナルはゴダイゴ。
⑦伝えたくて(村上ゆき)
これはピアノとコーラスを担当していた村上ゆきさんの歌。歌もうまいし、ピアノも素晴らしい。美由紀さんとの相性もばっちりという印象。
⑧ロマンスをもう一度
小田急ロマンスカーのコマーシャルソングのカバー。
⑨わが美しき故郷よ
説明不要。トークでは、みなとまつりの話や、お父さんが高校のときにブラスバンドでサックスを吹いていたことなど。
⑩歌で逢いましょう
2014年9月発売のアルバム「歌で逢いましょう」のタイトルチューン。〈季節がめぐり 過ぎてゆくのは ほんとうにはやいものですね〉と始まり、〈懐かしく 愛おしい人たちに あの日の永遠の思い出に わたしは 歌で逢いましょう〉と。10曲目、まさに2部のエンディング曲にふさわしい選曲でした。

この後、中目黒小学校合唱団のみんなが2曲と「平和のうた」を歌ってくれました。そしてコンサートの最後は畠山美由紀さん、村上ゆきさんも加わって「花は咲く」。前回も、熊谷育美さん、岡本優子さんと中目黒小学校のみんなが一緒に歌いましたが、今回もとてもよかった。

こうして美由紀さんの歌をふりかえってみると、春の訪れをまつ季節感に望郷というか追憶というか、そんな思いを重ね合わせたという感じでしょうか。それらの曲を歌う美由紀さんの声に村上ゆきさんの絶妙のピアノ、そしていい感じのコーラスがからんで。1000円では本当に申し訳ない(笑)。

目黒区の皆様をはじめ関係者の方々に心からお礼申し上げます。そして出演者の皆様全員、司会をつとめてくれた佐藤千晶さんにも。素晴らしい時間をありがとうございました。

昨年の復興支援コンサートの様子はつぎのブログにて。

2017年3月6日ブログ「気仙沼アーチスト」

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tag : 気仙沼畠山美由紀佐藤千晶復興支援コンサート

3本の光に寄せて

今年も〈3月11日からのヒカリ〉が開催されます。気仙沼の内湾〈鼎ヶ浦〉の3カ所から「鎮魂」「希望」「感謝」の想いを込めた3本の光を放射するこの催しも今年で7回目となります。

3本のヒカリ
公式サイトの概要ページより

開催日 2018年3月11日(日)
時 間 18時30分から深夜0時まで
会 場 気仙沼市内湾(鼎が浦)
主 催 3月11日からのヒカリ実行委員会
後 援 気仙沼市 / 気仙沼商工会議所 / 河北新報「リアスの風」/(株)三陸新報社 / K-NET
協 賛 昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会/気仙沼中学20回生支援会/畠山法律事務所/気仙沼サポートビューロー(順不同)
協 力 (株)内海工業 / 川印村田漁業(株)/ 気楽会 / 気仙沼観光コンベンション協会 / 気仙沼のほぼ日 / 気仙沼プラザホテル /(株)マルニシ /(順不同)

私たち〈気仙沼中学20回生支援会〉も、会長の鈴木徳一君(3年3組)や事務局 菊田裕美君(1組)と相談して、今回も協賛いたします。初回からですから7回目。皆様からお寄せいただいた浄財を活用させていただきました。先日のブログでも紹介した新宿ゴールデン街〈洗濯船〉をはじめとする募金にお寄せいただいた多くの皆様のご厚意も含まれております。

公式サイトの協賛企業・団体の欄には、気中20のほかにKSS42(昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会)の名もあります。私たちと同学年の仙台地区近辺の同年会です。会長は本年2月から吉野信雄君(気中3年1組)、それまでは小山達朗君(同9組)がつとめていました。そして畠山法律事務所さん。ロゴマークが〈カクジュウ〉であることからもわかるように、以前の〈精良丸〉畠山水産の息子さんというかお孫さんというか、弁護士 畠山喜敬さんの事務所です。震災後の気仙沼復興支援の会などではよくお目にかかりました。その後、気仙沼に法律事務所を開所。元気に活躍されているようでなによりです。

以上の協賛のほか、多くの団体・企業の後援や協力で今回も3本の光が内湾にたちあがります。私たち気中20回生では、及川保規(やすのり)君(5組)と鷺(庄司)良子(よしこ)さん(8組)を失いました。そして、肉親や兄姉姉妹、子や孫などを亡くした人もいます。3月11日、天に向かって静かに放たれる3本の光が、多くの皆さまのさまざまな思いを込めたものになって欲しいとの願いから、本プロジェクトに協賛いたしました。プロジェクトの紹介とともに、当会をご支援いただいている方々へのご報告とさせていただきます。

なお、今回も例年どおり、企業団体そして個人からの募金がおこなわれています。5枚セット1500円のクリアファイルや1点1500円のポスター(A2サイズ/594×420mm)が用意されています。詳しくは募金サイトをご覧ください。

募金サイト
オンライン募金ページ
公式Facebook

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横浜での催事紹介

本日3月1日(木)から11日(日)までの12日間、横浜ワールドポーターズで「横浜・気仙沼つながりフェア」が開催されます。昨年に続き、第2回目となります。

横浜

2016年7月、気仙沼市は横浜ワールドポーターズを運営する(株)横浜インポートマートと震災復興と相互の持続的発展を目的とし連携協力協定を締結しました。今回の催事もこの協定に基づき実施されます。本日は6つの催事概要を紹介します。4日(日)には熊谷育美さんのライブ、11日(日)には堤幸彦監督の「Kesennuma,Voices.6」上映会やトークショーも行われます。

①気仙沼の美味しい食材で復興支援!

気仙沼市への義援金チャリティーにご賛同いただいた方に、気仙沼の食材を用いた振舞い。めかじき鍋(500食)ホルモン焼き(500食)の提供(なくなり次第終了)
日時:3月11日(日)12:00~15:00 
場所:ナビオス横浜前

②気仙沼食材フェア

飲食店で気仙沼産のメカジキ、いちご、フカヒレ、ホルモンなどを提供。
日時:3月1日(木)~3月11日(日)
場所:1Fハワイアンタウン

③気仙沼出身アーティスト 熊谷育美 LIVE

日時:3月4日(日)14:00~14:30/16:00~16:30
場所:2F汽車道側正面ゲート横 特設ステージ

④「Kesennuma,Voices.6」上映会 ×トークイベント

映画監督・堤幸彦が、3.11東日本大震災の被災地・気仙沼を撮影した映画「Kesennuma,Voices.6」の上映会と、復興支援を行っている方たちとのトークショー。
日時:3月11日(日)15:00開場、上映15:30~16:50、
 トークイベントは17:00~18:00
場所:6F 会議室3

⑤「気仙沼 震災、そして復興へ」写真展

日時:3月1日(木)~3月11日(日)
場所:2Fデッキストリート ヨコハマ・ポート・マーケット内「気仙沼PORT」
気仙沼PORTは、2016年7月から出店し、気仙沼物産を販売しています。

⑥気仙沼への義援金を募集

気仙沼への義援金を募集するため、募金箱を設置します。
日時:3月1日(木)~3月11日(日)
場所:2F汽車道側正面ゲート(インフォメーション側)

どうぞ横浜近辺にお住まいの方など、是非お出かけください。みなとみらい線「みなと未来」駅「馬車道」駅からいずれも徒歩約6〜7分です。

地図
アクセス地図(クリックで拡大)

2016年7月15日ブログ「祝!気仙沼PORT」

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tag : 気仙沼気仙沼中学横浜ワールドポーターズ熊谷育美

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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