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モネのなまり指導

NHK朝ドラ「おかえりモネ」は、本日でもう33回目の放送。私は録画して毎日夜に見るのを楽しみにしています。

このドラマで感心することは沢山あるのですが、そのひとつがモネの言葉づかいの〈なまり〉です。

ドラマのなかに登場する〈気仙沼弁〉については地元民からのいろんなご意見があるでしょうが、モネ(というかモネを演じる清原果耶さん)のちょっと気仙沼の色をつけたイントネーションは実に案配/塩梅がいい。

「おかえりモネ」の方言/宮城ことば指導は、宮城県出身の俳優で方言指導経験もある鹿野浩明(かのひろあき)さんをチーフに、気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんがサブで加わっています。5月4日のブログでも紹介しました。

私は、実際の方言指導というのはどのようにするのだろうかと思っていたのですが、5月27日の河北新報配信記事を読んで納得しました。つぎのツイートをクリックして記事をお読みください。


千晶さんの指導内容の説明のなかに〈台本のせりふを方言に書き換え、俳優の手本となる発音を録音。撮影現場での指導も一部サポートした〉とありました。

なるほど、台本にある言葉を方言に書き換えるんですね。しかし、気仙沼の人にしか通じない言葉にするわけにはいきません。千晶さんも〈当初、控えめにしたつもりの方言も「きつすぎて意味が通じない」とスタッフに突っ込まれた〉と語っています。また、これは脚本をいじることにもなるため、相当な注意をはらわなければなりませんね。一種の〈翻訳〉です。

そして千晶さんは〈イントネーションだけで方言になる。私自身も奥深さを再認識した〉と。具体的には、〈例えば、宮城の方言では「海」や「登米(とめ)」といった単語は2音目が強くなる。人名の「サヤカ」などは、真ん中にアクセントがくる〉というのです。

まさにこれ。私がモネのイントネーション/なまりで感心したのはこの2音目へのアクセント移動です。それがわざとらしくなく、とても自然。

なんていうのかな、あえていえば、気仙沼から東京に出てきて、本人は標準語をしゃべっているつもりでも、どうしても消えないなまり加減とでもいうか(笑)。

清原果耶さんは、そのあたりの微妙な調整がホント上手です。付け加えれば、清原さんの余韻を感じさせる演技、そしてそれを生かす演出もすばらしい。

気仙沼を離れて今は登米に暮らすモネ。気象予報士をめざしているということは、これから東京に行くのでしょうか。もしそうであれば、上京して間もないころ、標準語を話しているなかにさりげなく気仙沼のなまりをまぶしてくれないでしょうか。

清原果耶さんならきっとできるはず。どうぞよろしくお願いいたします。

5月4日ブログ 「モネ」の方言指導

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ佐藤千晶

空からの祈念公園

三陸新報の「ふるさと 空から散歩」の第6回目は〈陣山〉でした。今年3月11日に開園した「気仙沼市復興祈念公園」です。


陣山

三陸新報6月18日記事の一部イメージ


中央部にあるのがモニュメント「祈りの帆(セイル)」。その右側に白く見えるエリアには犠牲者のお名前を刻んだ銘板などが配置されています。

以前も紹介したように、この「ふるさと 空から散歩」の4K動画がYouTubeで配信されています。今回の陣山編の映像も素晴らしい。ぜひご覧ください。





ドローンによる高所からの撮影ということもありますが、鹿折方面や気仙沼湾横断橋(かなえ大橋)や気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)などの眺めなど、祈念公園としてこの場所を理由のひとつがよく理解される映像ですね。

開園から3カ月ちょっとで、植栽の成長はこれからという感じですかね。それと、私にとっては、鹿折地区からのアクセスが新鮮でした。小さなころ、あの場所には田谷の保育所(第二保育所)への道をのぼっていきましたから。

この映像シリーズは本当に素晴らしい。三陸新報さん、いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

2月15日ブログ「3/11祈念公園開園」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 復興祈念公園陣山

まちなかの街づくり

気仙沼市役所の庁舎は、2026年度に旧市立病院跡地(田中前地区)への移転が計画されています。この移転計画の議論にあたっては、現在の庁舎がある八日町などから地域経済の沈滞などを心配する声があがっていました。

市当局としては、移転後のまちづくり計画をしっかりとたてて対応することを前提にして田中前地区への計画を定めたと記憶しています。

その移転後のまちづくりを考える「気仙沼まちなかエリアプラットフォーム」が6月24日に設立されました。当日、菅原市長はつぎのようなツイートを投稿していました。


そして、6月26日の三陸新報もつぎのように伝えてくれました。

まつづくり

三陸新報6月26日記事の一部イメージ


記事のなかに、市長がいう〈このエリアに住んでいる人だけでなく、大震災後このエリアでビジネスや活動を始めた人も参加、フレッシュで多様なメンバー〉のお名前がありましたので紹介します。

◎団体
気仙沼地域開発、気仙沼八日町まちづくり、気仙沼地域戦略、気仙沼観光コンベンション協会、市都市計画課・産業戦略課
◎個人
志田淳、平野亜希子、猪狩伸忠、一色法人、廣野一誠、森田法子、小野寺一雄、小野寺靖忠、坂本倫理、佐々木正利、原田雄介、堀内真介、熊谷浩典、斎藤大悟、菅原大樹、武山陽子、藤田雄一郎、伊坂善明(コーディネーター)泉英明(同)

コーディネーターをつとめる伊坂善明さんは、中心市街地活性化のマネジメントに携わるコンサルタント会社「ハートビートプラン」(大阪市)の代表です。

記事によれば、「海」「食」「回遊」など5つのテーマごとにグループ分けしてアイデアを集積し、月1回の定例会議で情報共有していくことを確認したそうです。

会長や副会長は、次回以降決めるということで、当面は菅原市長が代行します。

今後、この「気仙沼まちなかエリアプラットフォーム」の活動が本格化してくれば、その議論内容が詳しく伝えられることでしょう。本日は、活動始動とメンバーの紹介ということで。


市役所庁舎の建設地が旧市立病院跡地と発表されたのはいつだったろうと思って調べたら、2020年1月28日のことでした。つぎのブログで紹介しております。

2020年1月29日ブログ「市役所建設地発表」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : まちづくり

藤竜也ニッティング

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の話です。藤竜也さんが演じるモネの祖父のキャラクター造形は、畠山重篤さんを参考にしているだろうということはこのブログでも記してきました。

5月18日ブログ「重篤さん 竜也さん」

そして6月16日、畠山重篤さんが理事長をつとめるNPO「森は海の恋人」事務局の公式インスタグラムにつぎの投稿がありました。



「おかえりモネ」について、〈事前に関係者との意見交換があり、森は海の恋人の理念が織り込まれています〉と。そして〈藤竜也さん演じる主人公の祖父(伝説の牡蠣漁師)は畠山重篤がモデルになっています〉とも。

これで脚本や演出において、重篤さんが参考とされていることが明確になりました。

私がこのドラマを見ていて感心するのは、藤竜也さんの演技です。単に重篤さんをモデルとして演じるのではなく、さまざまな〈気仙沼の漁師〉像を総合して役柄をつくりあげているような印象を受けるのです。

あえて極端にいえば、重篤さんのもつ思索者的な面ではなく、もっとなんというか世俗的なイメージを上手に加味しているというか。藤竜也さんのセリフやしぐさに、そうした意識的なものを感じます。それがいい。

私は思索者的と書きましたが、脚本の安達奈緒子さんはこれを〈仙人のような〉と評したのでしょう。この安達さんの言葉については、上記5月18日のブログに記しました。

しかし世俗的とはいっても、一流というか上質好みは重篤さんへの取材が反映されていますね。畠山重篤さんが着るアウターが「PATAGONIA」ブランドだとすると、モネ祖父が着ているセーターは、気仙沼ニッティングさんの「etude(エチュード)」を連想させます。

◎モネ祖父の編み物

モネ祖父/藤竜也さんは、6月22日(火)放送回で赤い毛糸をつかって編み物をしていました。マフラーかなあ。

(6/29追記:モネ祖父の編み物をする場面の画像を追加しておきます)

編み物
6月22日放送画面より

これは、長いあいだ洋上にいる漁師が編み物をするという取材内容を反映したものと思います。これは気仙沼ニッティングさんのサイトなどでも紹介される話です。

漁師/漁船員が陸(おか)にあがってもこうして編み物をするのかどうか私にはわかりませんが、フィッシャーマンズ(?)セーターを着て編み物をする藤さんの背景には、こうした重層的なストーリーが感じられます。

2015年のお正月。お膳を囲む家族5人中でニットを着ていたのは3人。モネのアーガイルセーターはともかくも、モネ祖父のセーターとモネ母のカーディガンは、モネ祖父/藤竜也さんが編んだものという設定かもしれません。

参考まで記しておくと、この放送のクレジットに〈編み物指導〉として三國万里子さんのお名前がありました。気仙沼ニッティングの商品は、ニットデザイナー三國さんのデザインです。

このシーン収録時、三國さんが藤竜也さんに編み物の手ほどきをしている様子を想像すると、なにかとてもほほえましい。

こうして気仙沼ゆかりの人もいろいろと加わって、物語のモデルとリアルが交錯するこのドラマは、まるで編み物のようです。なんちゃって。


なお、三國万里子さんが、〈気仙沼ニッティング〉をたちあげる御手洗瑞子さんや、糸井重里さん、そして斉吉商店の斉藤和枝さんらと、フィッシャーマンズセーターで有名なアイルランドのアラン島をたずねたのは2012年6月のことでした。つぎのブログで記しております。

2013年3月22日ブログ「気仙沼ニット」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ畠山重篤藤竜也

村上教行君の訃報

6月15日のことになりますが、菊田裕美君(3年1組)から、イオンモールの村上教行(のりゆき)君が6月9日に逝去したとの連絡がありました。気仙沼のたしかな筋からの情報として。

また、6月17日には気仙沼市役所の知人から同じ内容の連絡をいただきました。市の秘書広報課にイオンから連絡があったとのこと。村上君は、市の「みなと気仙沼大使」でもありました。

これで間違いはないと思いながらも、いずれも私にとっては伝聞情報ですから、このブログに記すのは控えておりました。しかし2週間経ちましたので本日の記事といたします。

教行君が肝臓ガンをわずらっていると聞いたのは震災後のことだった思います。何度も大きな手術をしたはず。

村上教行君は唐桑中学出身で気仙沼高校の同年生です。銀座での気仙沼出身者同年会「けせもい会」などではいつも、東大病院での手術のことなどを面白おかしく話してくれました。病状はけっして楽観できるものではなかったはずですが、それを聞いてみんな大笑いしておりました。川柳も大好きでしたね。

今年のけせもい会はコロナ対応で中止としましたので、2020年2月1日の新年会で会ったのが最後となりました。

写真を探してみたら、2019年7月の気仙沼高校関東同窓会の2次会で撮ったものがありました。右端が村上君、そして順に小田、西城君、裕美君です。病をかかえていたとはいえ、当時の元気そうな様子がうかがえます。


村上教行君
2019年7月13日撮影 右端が村上教行君


◎イオンでの村上教行君

村上君は、気仙沼高校から東北学院大学に進み、卒業後にジャスコ(株)(現イオン(株))に入社。2003年には同社常務執行役に就任し、2006年にはイオンモール(株)専務、2007年には同社代表取締役社長、2011年に取締役会長となりました。

さらに2012年3月にはイオンモール会長をつとめながら、イオングループの持株会社であるイオン(株)専務執行役にも就任しています。まさにイオングループの大幹部でした。

2018年5月には、イオンモール会長から顧問となっていますから、このころにやっと経営から退くことができたということだったのでしょうか。

◎被災地復興の支援

東日本大震災後の2011年4月14日、村上君は、日本経済新聞に寄稿しています。そこで、〈ふるさとの風景は絵はがきに出てくるような本当に美しい海と山でした。その港町がこの大津波で、私の実家も含め海岸に隣接する家屋はすべて流されました〉と記しています。ここでいう〈ふるさと〉とは、気仙沼市唐桑町、とくに鮪立(しびたち)でしょう。

日本経済新聞2011年4月14日配信記事

そしてその後、詳細は略しますが、イオングループとしての東北支援はもちろんのこと、気仙沼の復興についても尽力しています。市としてもとても心強い存在だったことでしょう。

イオンの気仙沼での植樹活動などにも参加していたはずですが、最後に気仙沼を訪れたのはいつだったのか。そんな近況をたずねることもできなくなってしまいました。

経済界/流通業界での活躍、そして震災後には被災地復興の支援と本当に忙しい毎日だったことでしょう。やれることはやったとの感慨とともに静かな眠りについたことと思います。

村上教行さんのご冥福を謹んでお祈りいたします。

2012年3月7日ブログ「祝 村上教行専務」


12/3追記
東京でのお別れの会について、12月3日のブログに記しました。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : イオン村上教行

角十の法律事務所

6月20日の三陸新報に、「畠山法律事務所」移転の案内広告が掲載されていました。


畠山法律事務所

三陸新報6月20日掲載広告


まあ、なんというか普通のよくある広告ということなのでしょうが、魚町で生まれ育った私はちょっと違った感慨を覚えました。〈カクジュウさんが元の場所に戻ってきた〉。

畠山喜敬(よしたか)弁護士の実家は、魚町の畠山水産。屋号は「角十/カクジュウ」です。気仙沼での古くからの漁業家で、私が知る漁船名は「精良丸」。

土地区画整理で少しは違うかもしれませんが、畠山法律事務所の新オフィスの場所がほぼ元のカクジュウさんがあったところでしょう。以前は海岸通りのほうまで地所が続いていました。

喜敬さんのお祖父さん畠山久兵衛さんは、旧制気仙沼中学の6回生です。東京高等商業学校(現 一橋大学)を卒業して家業を継いでいます。お子さんもみな優秀で、喜敬さんのお母さんは3姉妹の長女でした。次妹は私たちの一つ下で気中21回生ですから、世代がおわかりになるでしょう。仙台の宮城一女高から早稲田へ。

考えてみると、カクジュウさんも麻屋さんも、それから魚町のご近所だった〈マルハチ〉神白水産さんも、みな3姉妹でしたね。マルハチの長女、トモちゃんは私たちの一学年下でした。

カクジュウさんが遠洋漁業をやめたのはずいぶん前のことになります。しかし、漁船漁業からは離れたものの、喜敬さんはカクジュウさんの息子さん、あるいはお孫さんと呼ばれたでしょう。その荷を重く感じたこともあったのではないかと。

〈気仙沼を元気にする会〉など、東京で喜敬さんにお目にかかる機会が何度かありました。気仙沼での法律事務所開設の話を聞いたときに、〈お祖母さんも喜んでいるでしょう〉と聞くと、うなづいていたことを思い出します。

そんなこんな、私が〈カクジュウさんが法律事務所として魚町に帰ってきた〉と感じた背景がご理解いただけましたでしょうか。

広告には「地元気仙沼の未来のために尽力いたします」と記してあります。

カクジュウさんが気仙沼で果たしてきた役割やその功績を思うとき、畠山喜敬さんの使命感をこの一文に感じました。

喜敬さん、魚町への事務所移転、おめでとうございます。益々のご活躍を願っております。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山喜敬畠山法律事務所

生島さん 志望動機

きのうに続き、本日も6月19日に気仙沼でおこなわれた聖火リレーに関する話です。

聖火リレーの様子はNHKがネットでライブ中継し、その録画をいまでも見ることができます。そのサイトには、各区間のランニング動画とともに各ランナーの志望動機も掲載されています。気仙沼市内19人のランナーのなかには、第1走者の千田健一さんのほか、〈男山本店〉の菅原昭彦さんや、〈気仙沼ニッティング〉代表の御手洗瑞子さんなども。

私はそれぞれの文章を興味深く読ませていただきました。本日はその中から生島ヒロシさんの文章を紹介します。


NHK聖火リレー/生島ヒロシさん

サイトに掲載されている「志望動機」は、2020年時点で大会組織委員会に提出された内容とのことですが、生島さんの文章につぎの一節がありました。

〈 56年前、中学生の私は東京オリンピックに夢中でした!陸上100mのボブ・ヘイズ…同じ短距離の私は走法をマネしましたが、走れば走るほど記録が悪くなりました。今でも心地よい思い出。その夢と希望を東日本大震災の被災地である気仙沼の皆さんに届けるべく、聖火ランナーに応募いたしました。私はその震災で掛け替えのない妹を失いました。「東洋の魔女」に憧れ、バレーボールをこよなく愛した妹……〉

生島ヒロシさんは気仙沼小・中・高校で私たちの一年先輩です。気中19回生。ですから、1964年の東京オリンピック開催時には気仙沼中学の2年生でした。

生島さんは気中在学時、陸上部に所属していました。指導教諭は〈アカザル〉の異名をもつ小松紀之先生です。指導も厳しかったのではないでしょうか。生島さんが校庭で熱心に練習に取り組んでいる姿を覚えています。陸上100mのボブ・ヘイズの走法をマネしたというのも本当のことでしょう。

それだけに、聖火ランナーのひとりとして気仙沼の街を走ることができたことには感慨深いものがあったことと思います。

そして妹さんである喜代美さんについて。生島さんは〈震災で掛け替えのない妹を失いました〉と記しています。

私たちの2学年下で、気中1年生だった喜代美さんがクラス担当としてベルマークの紙片整理に一生懸命とりくんでいる姿を覚えています。つぎのブログにそのことを。

2011年7月13日ブログ「ベルマークの時代」

生島さんのリレー区間は、港町のENEOS/GSから柏崎鉄工や石川電装あたりまでの約200m。生島さんはゴール近くになると「早いな。もうおわりだ」とつぶやいていました。

それもそのはず、生島さんが気中時代に一生懸命練習していたのは短距離走ですから。ということで、本日はこれまで。

生島さん、ご苦労さまでした。

6月21日ブログ「気仙沼 聖火リレー」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 聖火リレー生島ヒロシ

気仙沼 聖火リレー

6月19日(土)、宮城県の東京五輪聖火リレーは気仙沼からスタートしました。岩手県からの聖火を受け取っての宮城県第1走者は、千田健一さん。

6月20日の三陸新報はつぎのように伝えていました。


聖火リレー
三陸新報6月20日記事の一部イメージ


この気仙沼市内での聖火リレーが無事におこなわれて本当によかった。新型コロナの感染者が多数でるようなことがあれば、開催計画の変更なども必要だったでしょう。

聖火を手にして、鹿折地区の災害公営住宅をスタートした千田健一さん。その姿を見てうれしく思ったかたが多かったことと思います。私もそのひとりです。

千田さんは、1980年モスクワ五輪のフェンシング日本代表に選ばれましたが、日本の参加ボイコットで出場がかないませんでした。同大会「幻の日本代表」のおひとりです。

千田さんには、気仙沼高校関東同窓会の総会後にいつも開催される気仙沼向洋高校と合同の懇親会のときにお目にかかったことがあります。向洋高校の校長として出席されていました。そんなことも含めて、昨年12月に千田さんが聖火ランナーのひとりに内定したことをつぎのブログに記しております。

2019年12月16日ブログ「五輪聖火ランナー」

私は、このブログをつぎのように結んでいました。「2020年の聖火リレー。千田健一さんから指導を受けた多くのフェンサーたちが、聖火ランナー千田先生に声援と拍手をおくることでしょう」と。このときは、その後の新型コロナの感染拡大など知るよしもなかったのです。

19日の三陸新報の記事に、千田さんの言葉が紹介されていました。「皆さんの笑顔の中、楽しく走れた。教え子たち、支えてくれた多くの方々に感謝の気持ちを込めた。気仙沼から市民みんなのパワーを届けられた」と万感の思いを語ったと。

コロナ禍にあって、東京オリンピック・パラリンピックは当初計画どおりの実行がなかなか難しい現状です。そんな中、気仙沼市内を19人のランナーでつないだ聖火リレーは、久々に「復興五輪」という言葉を思い出させてくれました。

聖火ランナーの皆さま、ご苦労さまでした。ありがとうございました。

なお、気仙沼でフェンシングが盛んな理由や背景についてはつぎのブログにて。

2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 聖火リレー千田健一

モネの「ラッツォク」

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の第12回(6月1日放送)では、気仙沼の「迎え火」の場面がありました。

登米から亀島(つまりは気仙沼大島)に帰省したモネが、祖母の初盆の準備を手伝います。そして幼なじみ4人と久しぶりに会い、一緒に迎え火を。そして、モネたちは言葉を唱えながら片足を火にかざします。迎え火と足を火にかざす場面はこんな感じ。




IMG_4806_202106181146391f8.jpg


なお、2枚目の画像にうつっているのは、永瀬廉さんが演じる〈りょーちん〉の左足です。

このときにみんなが唱えている言葉が話題になりました。

「ヘ~ビ〜、ムガデにかれねぇよ〜に、ど~ごもいでどこね~よ~に〜」

これは〈蛇やムカデに食われないように、どこも痛いところないように〉という意味。私はこの朝ドラではじめて知りましたが、ツイッターなどでは気仙沼の人からの〈なつかしい〉という声もあれば、私と同様に知らなかったという方も。

そこで、気仙沼市史に収録されているかもしれないなと思い調べてみました。


◎気仙沼市史の記述

第7巻 民俗・宗教編の第3章「むらの生活」p209〜211にかけて「盆行事」という見出しでの記載がありました。該当頁の画像を掲載しておきましょう。第3章の執筆者は川島秀一さんです。




IMG_4811_20210618120251da3.jpg

画像はすべて気仙沼市市史 第7巻 民俗・宗教編より


この中の「④盆火」の記述を引用します。

④盆火

盆火をたく日は、13日・14日・16日・20日・31日である。家の前で火を焚くが、その盆火を越えてはいけないとか、水で消してはいけないといわれた。

また、15日の晩や二十盆・晦日盆に、麻殻の先端に硫黄を付けたラッツォクというものを買って、家の回りやトノグチ(玄関前)や盆棚前の庭でそれを燃やした。そのときに、頭や足などを煙に当てながら、「蛇、ムカデに食(か)れないように。頭痛くないように腹病まないように」と唱える。昔は、オガミの盆棚の前で、下に灰皿を置き、線香花火をした。(引用は以上)

なお、上記引用中の「〜31日である。家の前で火を焚くが〜」の原文は「〜31日である家の前で火を焚くが〜」ですが、「。」の脱落と判断して当方が修正しております。


◎盆棚

④「盆火」の前には③「盆棚」の記述があり、〈口絵参照〉との注釈がありました。その口絵写真を以下に。

盆棚2

気仙沼市市史 第7巻 民俗・宗教編 口絵写真


この写真は小々汐(こごしお)での撮影とされています。これは川島秀一さんが長く取材を続けてきた小々汐の尾形家の盆棚だと思います。小々汐の〈仁屋(にんや)〉尾形家についてはつぎのブログにて。

2014年4月11日ブログ「小々汐仁屋の記憶」

「おかえりモネ」の迎え火や盆棚づくりのシーンは、関連資料を参照したうえで設定されたものと思います。気仙沼大島だけでなく、小々汐や唐桑など諸地域での習俗を総合しているのではないかと。


◎熊谷達也「ラッツォクの灯」

「おかえりモネ」のドラマづくりでは東日本大震災が強く意識されていることはまちがいありません。そして、「迎え火」でたかれるラッツォク。私は、熊谷達也さんの短編集「希望の海 仙河海叙景」のなかの小説『ラッツォクの灯(ひ)』を思い出しました。

この小説についてはつぎのブログで詳しく記しております。

2018年7月20日ブログ 「ラッツォクの灯」

祖母の初盆の日。そこにいる人、いない人。いないけれど、あたかもいるように思える人。モネたちが囲んだ迎え火の背景に『ラッツォクの灯』を感じるのは、同小説の読者にとっては自然なことであるように思えます。

『ラッツォクの灯』。それはとても悲しく、そしてとても美しい物語です。



 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネラッツォク

スローフェスタ '21

きのう6月16日の三陸新報1面に、「気仙沼スローフェスタ2021」が10月に開催されるとの記事が掲載されていました。

(追記:この催事は新型コロナ対応で延期され、11月6日・7日に開催されることになりました)


スローフェスタ
三陸新報6月16日記事の一部イメージ


東日本大震災の復興記念事業として、気仙沼市と民間団体による「気仙沼スローフェスタ2021」が10月2日と3日に内湾地区で開催されることが6月15日の実行委員会初会合で決まったそうです。

ここでいう「スロー」とは「スローフード」や「スローシティ」のこと。記事のなかに、気仙沼市は2003年に国内初となる「スローフード都市」宣言を、そして2013年には「スローシティ」認証という記述がありました。


◎「気仙沼スローフード」都市宣言

「気仙沼スローフード都市宣言」は、市が制作したパンフレットによれば、平成15年/2003年3月18日におこなわれました。そして唐桑町合併後の新気仙沼市として平成18年/2006年9月27日に同一の宣言をしたという経緯です。宣言内容はつぎのリンクにて。

「気仙沼スローフード」都市宣言

なお、昭和61年/1986年9月24日には、旧気仙沼市が「魚食健康都市宣言」を発表しています。そして、平成18年/2006年9月27日に、新気仙沼市として「スローフード都市宣言」と同時に、同一内容の再宣言をしています。


◎「スローシティ」認証

そして2013年には、イタリア北部のトリノで開催された、伝統を尊重し持続可能な都市作りをめざす「チッタスロー」の催しで、気仙沼市が日本初となる認証を受けたのです。

「チッタスロー」はスローシティを意味するイタリア語です。三陸新報の記事ではわかりやすく「スローシティ認証」としています。

私はつぎのブログでこの「スローシティ」認証について記しました。ブログ中で紹介したイタリアでの認証が決まった催事は2012年10月28日なのですが、正式な認証年月は2013年になっているようです。

2012年10月31日ブログ 「スローシティ」認証

このブログでも紹介しましたが、2007年には、旧月立(つきだて)小学校の木造校舎でスローフェスティバルが開催されています。私は三陸新報の記事でその盛況ぶりを知り大変うれしく思ったことを覚えています。

さらに2010年11月には南町を中心に「気仙沼スローフードタウン&ライフフェスティバル」も開かれましたが、翌年3月11日の東日本大震災で気仙沼の街は変貌しました。

震災から10年を過ぎての「スローフェスタ」の企画に期待しております。気仙沼の食文化を現代において新たに捉え直すきっかけになればなによりのことです。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : スローフードスローシティ

三陸未来/畜養ウニ

6月10日のブログで、株式会社さんりくみらい/ワカメで恩送りプロジェクトによる「こども食堂」等への支援活動を紹介しました。同社の社長は、藤田商店の代表でもある藤田純一さんです。

その藤田さんの大きな顔が、きのう6月15日の三陸新報1面のトップ記事にも登場していました。


畜養ウニ

三陸新報6月15日記事の一部イメージ


気仙沼市階上地区の共同カキ処理場を活用して行われているウニの蓄養が順調という記事。6月18〜20日の3日間、回転寿司「根室花まる」銀座店で試験販売されるとのことです。

回転寿司「根室花まる」銀座店は、銀座5丁目の東急プラザ銀座10階です。この東急プラザ銀座があった場所には以前、銀座TSビルがありました。そして震災後には同ビル1・2階に気仙沼産品のショップとして東日本復興応援プラザ「銀座いきなり市場」が開設されたのです。東急不動産さんの被災地支援活動のひとつです。「根室花まる」銀座店での試験販売にはそうした気仙沼と東急不動産さんとのご縁を感じます。

さて、記事によれば、このウニの畜養は、さんりくみらい(株)と、全国で蓄養事業を手掛けているウニノミクス(株)、宮城県漁協気仙沼地区支所がおこなっています。

実入りの悪いウニ(キタムラサキウニ)を海にもぐってとり、カキ処理場内の専用水槽に移して蓄養するのだそうです。つまり育てるわけですね。

畜養のノウハウはウニノミクスが提供しています。海水をくみ上げて水槽を循環させ、エサは、本来なら廃棄するコンブの一部を使って同社が開発したものとのこと。

「根室花まる」には、6月16日に340個を発送し、店では殻付きで提供するそうです。好評だといいですね。県漁協関係者などの試食では「普段食べているウニよりも甘い」といった声が聞かれたそうです。

ウニのエサとして本来なら廃棄するコンブを使っているというのがいいですね。

この話を知って、NHK「おかえりモネ」6月14日放送回で、登米の木材センターにおける入札の場面を思い出しました。モネは、入札で売れ残ったナラの木は粉砕されてチップになると聞かされるのです。木材としてではなくパルプや紙、木質ボード原料、あるいは燃料として利用されるわけですね。

話をモネではなくウニに戻します。

さんりくみらいの〈ワカメで恩送り〉というのが記憶に残っているせいか、〈コンブの恩返し〉という言葉も私のあたまにうかんできました。

〈あのときお世話になったコンブです〉と純一さんの前にあらわれたのは美味しそうなウニだったのです。みたいな(笑)。

6月10日ブログ 「恩送り」報告記事

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : さんりくみらい藤田純一

馬籠小旧校舎活用

6月6日の三陸新報に「馬籠小跡地に工場進出」という見出しの記事が掲載されました。市内で被災の都内企業が進出意向とのこと。


馬籠小活用
三陸新報6月6日記事の一部イメージ


記事を読んで驚きました。その企業は私がよく知る会社だったのです。稲葉斡也さんが社長をつとめるインプレックス株式会社です。

気仙沼市本吉町にあった馬籠(まごめ)小学校は2017年に津谷小との統合で閉校しました。記事によれば、その旧校舎を半導体製造部品の修理・メンテナンスなどをてがけるインプレックスが工場として利活用する意向を示しているとのこと。

稲場社長は、気仙沼市出身で、内ノ脇にあった工場が東日本大震災で被災。市内での再建を検討していた昨年9月に、市産業戦略課から旧馬籠小の利活用に関する紹介を受け、産業振興の一助にとこれに応じたそうです。

市議会6月定例会に提案される建物の無償貸し付け議案が可決されれば、来年3月ごろに供用が開始される見込みとのこと。地元説明会では、反対はなかったそうです。なお、体育館は地域の避難所となっており、貸し付けを受けている間は使用せず、将来的に購入する場合でも同社と市が災害協定を結ぶことでで、災害時には開放されるとのことです。

稲葉斡也さんは、気仙沼小・中・高校で私より6学年下になります。気中26回生。気仙沼市魚町のご近所でしたからよく知っています。私の妻の同級生。

そんなことで、稲葉さんが独立して会社を設立したときに依頼されて、社名のネーミングやコーポレートロゴのお手伝いをさせてもらいました。設立が1994年11月ですから、27年前の話ですね。

今年の正月に稲葉さんから届いた年賀状に、気仙沼での工場再建を計画していると記してありました。このことだったのですね。市議会の議決はもう済んだのかな、まだかな。

なお、社名「インプレックス」に込めた意味は IMPRESS(感動させる)+X(未知の可能性)です。

気仙沼での工場再建とさらなる事業の発展を願っております。

2011年9月16日ブログ「インプレックスの17年」
 

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小中学校統合問題

気仙沼市の小・中学校の統合問題について、きのう6月13日の第1面トップ「ニュースを追って」でも取り上げられていました。その記事では、階上(はしかみ)中と大谷(おおや)中、そして気仙沼中と条南中の統合方針について紹介しながら、〈計画と実態そぐわず〉との見出し。

なにが問題とされているのか、気仙沼を離れている人にとってはちょっとわかりにくいと思います。ということで本日は、階上中と大谷中の統合について紹介することにいたします。

まずは三陸新報6月5日記事から。気仙沼市教育委員会は、階上中学校と大谷中学校との統合を見直す方針を示したそうです。


統合見直し
三陸新報6月5日記事の一部イメージ


両校の統合を見直すとはどのようなことなのか。記事を読んでもちょっとわかりにくいのですが、私なりにまとめるつぎのようなことです。

本年4月の市議会議員全体説明会で市教委は、住民から賛否がある階上中と大谷中の統合は難しいとしていました。そして6月4日、階上中で開かれた市義務教育環境整備計画の説明会で市教委は、統合について〈計画を進める含みを残しながらも「現実的な対応」が必要〉と語ったとのこと。

この説明会は階上中と階上小5・6年生の保護者を対象に開かれ、参加者は保護者約20人でした。

統合計画を見直す理由はつぎのようなことです。

・階上中生徒は現在の103人から2033年には61人まで減り、大谷中と統合しても生徒数は105人までしか増えず、1学年3学級以上の適正規模にならない。
・さらに減少が続けば、100人を下回る可能性も出る。
・その上で、減少がゆるやかな2029年度までは1クラス30人台の規模を維持できる。
・大谷中との統合に関しては、大谷地区から津谷中との統合を望む声がある。

「1クラスのまま継続していってもいいのか」という出席者からの質問に対して、市教委は「多くの人と関わることは、生徒が成長する環境として有効的だが、統合を無理に進めることが正しいのか疑問もある」と応え、原点に立ち返って見直す方針を示したとのこと。

ニュアンスとしては、階上中と大谷中とを統合しても、将来的には津谷中との統合を検討する必要も出てくるだろうから、そのことも含めて議論するために階上中と大谷中の統合計画は見直すということなのでしょうか。とりあえずは計画どおりの早期の統合は中止すると。

この記事には、階上中の生徒数しか示されていませんでしたが、参考までに4月9日のブログでも紹介した大谷中と津谷中の生徒数を記しておきましょう。2021年4月1日現在の生徒数(見込み)はつぎのとおりです。

階上中  103人
大谷中   87人
津谷中  128人

2021年4月9日ブログ「児童生徒数見込み」

階上中と大谷中が統合したら、校舎の場所はどこになるのか。そしてさらに津谷中とも統合したらどうなる。とてもデリケートな議論になることが容易に想像されます。

というようなことを6月5日の記事を見て感じていたわけですが、6月8日の三陸新報に、市教委が説明会での発言を6月7日に訂正したとの記事が掲載されました。


訂正記事

三陸新報6月8日記事


大谷中との統合に関して、市教委は「大谷地区から津谷中との統合を望む声が出ている」と発言したが、実際は「津谷地区から大谷中との統合を望む声が出ていた」ということだそうです。

なにがなにやら。3日の説明会での市教委の発言がその場では特に訂正されることなかったというのは、それはそれで自然に受け止められたということでしょうか。


◎第3段階は目標にこだわらず

三陸新報6月5日の記事の話に戻ります。その見出しには「第3段階は目標にこだわらず」とありました。これは、すでに統合が決まった大島中と鹿折中は別として、2022年4月以降の早い段階にとしていた「めどにこだわらない」ことにしたということです。

なお、市教育委員会は、条南中と気仙沼中の統合について、6月8日に条南中で保護者への説明会をおこなっています。これについてはあらためて紹介することにいたしますが、13日の三陸新報記事では、〈市教委は計画通り進めていくとした〉と紹介しています。統合時期について10日の記事では〈現時点では回答できない〉との小山淳教育長の言葉を記していました。

6月11日には気仙沼中での説明会もおこなわれたはずです。明日あたりの三陸新報新報でその内容が報じられることでしょう。そんなこんなはまたあらためて。

本日は、階上中と大谷中の統合問題に関してのみの紹介といたします。
  

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「モネ」のサントラ

NHK朝ドラ「おかえりモネ」の音楽を担当しているのが高木正勝さんであることは既にみなさんご存じのとおりです。

そのサウンドトラックが一昨日6月9日に発売されました。CDは3枚組4400円で全65曲が収録されています。ダウンロード版も3部にわけてのリリースとのことです。

なお、高木さんの6月8日のツイートによれば、CDパッケージには、幡野広志さんが気仙沼で撮影された写真が数点使われているとのことです。高木さんは〈音楽チームみんなで心を込めて作った曲と、幡野さんの優しさに満ちた写真が一緒になって、とても幸せです〉と記していました。

◎サウンドトラックのダイジェスト

うれしいことに高木さんご自身が、3枚それぞれのダイジェストをYouTubeにあげてくださいました。ありがとうございます。

ということで本日は、そのYouTubeでのダイジェスト3編を紹介します。

なお、5月27日のブログで、「おかえりモネ」の音楽におけるアンサリーさんと坂本美雨さんの歌唱/ヴォカリーズについて記しましたので、参考までお二人の声を聴くことができる曲を記しておきました。

(6/21追記:このYouTube投稿は現在、非公開になっております。ご了承ください。7月2日のブログ「モネのサントラ2」で新しい投稿を紹介しております)




03 おかえり/Homecoming(アン・サリー)
19 天と手/Heaven and My Hands(坂本美雨)



03 小さな願い/Peace of Mind(アン・サリー)
21 優しさと孤独/Tender Solitude(アン・サリー)



これにはお二人の歌唱はありませんでした。

なお、上記中No.2の「03 小さな願い」は、ほかの楽曲情報では「小さな想い」となっています。YouTube画像の表示になにか手違いがあったようにも思います。それと、No.1の「この星はやさし」の画像の英文「Teder is the Planet」の「Teder」は「Tender」かと。ごめんなさいね細かくて。このタイトルもとてもきれいだと思っただけに。念のため。

◎和英タイトル

私は、音楽の素晴らしさはもちろんのこと、和文・英文ともに、そのタイトルがとても気に入りました。

たとえば「天と手/Heaven and My Hands」。天と手は、〈て〉で始まり漢字はともに4画。そして文字のつくりもなんとなく似ています。そして、HeavenとHandsは両方ともイニシャルはH。

英文のMy Hands(私の両手)によって、単なる「天&手」ではなく、天国や天気を連想させながら天に向かって掲げられたふたつの掌(てのひら)のイメージが喚起されます。そうして、和文と英文が互いに補完というか、支え合っているのでしょう。

ま、いつもの私の妄想ですが。ほかの曲名にもそうした工夫がちりばめられているはずです。

しかし、まいったなあ。こうして「おかえりモネ」のことばっかり書いて、ほかの話がずいぶんとたまっていくのが私の最近の悩み事です。

2021年5月27日ブログ「アンサリーさんの歌」


 

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「恩送り」報告記事

東日本大震災で多くのご支援を受けたことへの「恩送り」として、「こども食堂」や「子ども支援団体」に、気仙沼の「ワカメ」をメインとした食材を届けたいというクラウドファンディングをご記憶でしょうか。

企画したのはネット販売サイト〈極上市場「三陸未来」〉を展開している株式会社さんりくみらい。代表は藤田純一さんです。

5月30日の三陸新報に、子どもたちへの「恩送り」の活動が紹介されていました。


三陸未来

三陸新報5月30日記事の一部イメージ


記事によれば、当初は1000食分を予定していた提供食材は、目標金額の30万円を大きくこえた約80万円を達成することができたために1800食分に増やしました。

その支給対象も、震災後につながりができた仙台市と東京都の2団体から、宮城県内や福島県などの約30団体まで拡大したそうです。

三陸新報の記事で紹介されていたのは、気仙沼市本吉町で子供たちの遊び場を運営し、子供食堂を毎月ひらいている一般社団法人「あそびーばーの会」での様子。同法人の代表は鈴木美和子さんです。

さんりくみらいでは、5月28日に、階上(はしかみ)産のワカメや、甘エビの刺身、アジフライ、アカマンボウの唐揚げなど40食を届け、翌日29日の子供食堂で提供されたそうです。

記事の最後に藤田純一さんのコメントが紹介されていました。藤田さんは、活動を通じて、食事できない子供が多い現状を知ったそうです。そして〈今後もできる支援を続けていきたい〉と。

藤田さん、いい〈恩送り〉になりましたね。子供たちもよろこんだことでしょう。

今回のクラウドファンディングに対してご支援くださった多くの方々にも敬意を表します。ありがとうございました。

2月22日ブログ ワカメで「恩送り」
 
 

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2021年の植樹祭

今年の「森は海の恋人 植樹祭」は新型コロナ感染拡大防止のために昨年に引き続き中止されたことはすでにお伝えしました。しかし、〈中止〉とはいっても、大勢の人が集まることをとりやめるということで、関係者による植樹は今年も昨年と同じくおこなわれました。

6月6日の植樹の様子をNPO「森は海の恋人」の公式ツイッターは理事長畠山重篤さんの写真とともにつぎのように投稿していました。



また、6月8日には、三陸新報も1面で伝えていました。

植樹祭

三陸新報6月8日記事の一部イメージ


この記事によれば、岩手県室根町の矢越山「ひこばえの森」で植樹には、植樹祭の主催団体であるNPO「森は海の恋人」と室根町第12区自治会(三浦幹夫会長)の役員など約30人が参加したそうです。

植樹にあたっては、植樹者がそれぞれの思いを記したプレートも苗木のそばにたてました。そして、畠山重篤さんが今年プレートに記した言葉は「おかえり舞根(もうね)」です。

これはNHK朝ドラ「おかえりモネ」の単なるもじりではないことを気仙沼の多くの人はご存じでしょう。畠山重篤さんらの「森は海の恋人」の思想が「おかえりモネ」のテーマに色濃く反映されていますし、安達奈緒子(あだちなおこ)さんの脚本における藤竜也さんの演じるモネ祖父の人物像には畠山重篤さんのキャラクターが参考にされています。そのあたりのことはつぎのブログでも記しました。

5月18日ブログ「重篤さん 竜也さん」

そんなこともあって、この「ひこばえの森」での植樹と「おかえりモネ」は密接なつながりをもっているわけです。そうしたことを踏まえて今年の重篤さんのプレートの言葉「おかえり舞根」をながめれば、〈「おかえりモネ」放送開始記念植樹〉といったニュアンスも感じられるような。

なお、昨年の植樹にあたって重篤さんが記した言葉は、「たとえ明日、地球が滅びようとも私は梓(あずさ)の木を植える」でした。そのことをつぎのブログに記しております。

2020年6月12日ブログ「梓の木を植える」

森は海の恋人の植樹祭は、今年で33回目。そこに集まる人数の多い少ないといったことはさほどの問題ではなく、こうして毎年続けられていくことに大きな意味があるのだと思います。

畠山重篤さんは今年も、植樹を始めたときのことを思い出していたことでしょう。
 

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気高同窓会の中止

先週なかばに、気仙沼高校関東同窓会からお知らせが届きました。7月3日に予定していた本年度の総会・懇親会を中止するとのこと。


関東同窓会お知らせ


今年はどうなるだろうと思っておりましたが、やはりね。しかたなし。会長はじめ事務局の方々も、新型コロナの感染拡大状況をにらみながらどうすべきかと悩んでいたことでしょう。

関東同窓会は昨年に引き続いての中止です。決算承認などの総会はともかくも、懇親会の2年連続の中止を残念に思う方も多いことでしょう。和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気で遠慮のない話をいつも楽しみにしておりました。

以上は関東同窓会の話ですが、気仙沼での〈本家〉同窓会にあたる、宮城県気仙沼高等学校同窓会も総会開催を中止しました。

5月22日の三陸新報にはつぎの広告が掲載され、6月6日にも同じ内容が再掲されました。


同窓会広告
三陸新報5月22日・ 6月6日掲載広告


東京そして気仙沼での気高同窓会も、新型コロナの感染状況によっては中止もありとしていたでしょう。しかし、まずは開催することを前提にしての会場予約や諸準備を進めていたはず。そしてぎりぎりのタイミングでの中止決定と告知・連絡となりました。

両同窓会の関係者の皆さま、本当にご苦労さまです。まさに〈来年こそは〉ということで。

蛇足ながら、わたくし(東京都世田谷区在住69歳)は第1回目の新型コロナワクチンを5月末におえ、来週末に2度目の接種を予定しています。1回目のワクチン注射そのものは、アッという間に終了。健康診断の採血などよりよっぽど軽い感じです。昼前に打って、夕方あたりに少しだるいかなと思ったぐらい。

なにかこのワクチンが問題となる既往症があれば別ですが、気中20回生の皆さまには、わけのわからない話に惑わされることなく、一日も早く接種していただければと。10月には1年延期された気中20回生の「古稀祝い」が控えていますしね。

以上、あくまで〈個人の感想〉です(笑)。どうぞよろしく。

2020年5月26日ブログ「関東同窓会の中止」

 

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「母のような人」とは

昨年9月に、「おかえりモネ」の気仙沼の家族役が発表されました。その中には、モネの祖母役を演じるとともに語りを担当している竹下景子さんの名も。

そして発表時の竹下さんのコメントの中に、〈気仙沼は大切な場所です。母のような人がいるところ。この役をいただいたとき、運命を感じました〉とありました。

私は、その〈母のような人〉とは、気仙沼大島の〈宮古屋〉熊谷すん子さんではないかと次のブログに記しました。

2020年9月14日ブログ「モネの家族」発表

その推測はまちがっていませんでした。NHK「あさイチ」6月3日(木)〈みんなでシェア旅・宮城県〉のゲストとして出演した竹下景子さんが明言していたのです。

放送ではお名前をだすだけでなく、昨年の夏に大島のすん子さんを訪ねたときの写真も紹介されました。(番組テロップでは、お名前を〈寿ん子〉さんという表記にしていましたが、本ブログでは、メディア掲載時の通例にしたがって〈すん子〉さんとしております)




2021年6月3日NHK放送画面より


景子さんが気仙沼大島にはじめて行ったときに〈今の私にとっては、気仙沼の母のような人〉との出会いがあったというのです。

竹下さんが気仙沼大島をはじめて訪れたのは諸情報を総合すると、1997年の旅番組でのことだと思います。その4年後2011年にも冬を迎える大島を訪れてすん子さんと再会しています。

景子さんは次のように語っていました。

「モネの話が決まったときに、もうこれは運命だなと思いました。いま台本を読むと、すん子さんの本当にあったかくて優しい声が聞こえてくるんですね。

ですので、その気持ちを忘れないように、いま私は、東京で録音していますけれども、その大島の空気、もっといえば、その東北の方たちのあったかい気持ちとか優しさ、強さみたいなものを一緒にお伝えできればなあと」

そして6月4日、NHK「おかえりモネ」公式サイトで、竹下景子さんのインタビューが公開されました。その冒頭でも、〈母のように慕っている方〉について語っています。


竹下景子さん演ずるモネのお祖母ちゃんはすでに亡くなり、いまは〈牡蠣に生まれ変わって〉ドラマの語りを担当しています。気仙沼大島の人と風土への竹下さんの思いをきいて、とてもありがたく感じました。

「おかえりモネ」はまだ始まったばかり。竹下景子さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


なお、2012年8月1日の朝日新聞朝刊での熊谷すん子さんに関する記事をつぎのブログで紹介しております。

2012年8月2日ブログ「大島の海と生きる」
 

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「大空詩人」永井淑

5月22日の三陸新報「論説」に、「大空詩人」 永井淑(ながい・よし)さんの名があったことに驚きました。久しぶりに聞いたお名前です。

5:22大空詩人

三陸新報5月22日記事の一部イメージ


私がこの詩というか言葉を永井淑さんの風貌とともに親しく思い出すのは、『目で見る気仙沼の歴史』(1972年 気仙沼ライオンズクラブ発行)のつぎの記事をよく見ていたからです。


大空詩人

『目で見る気仙沼の歴史』 p186より


この写真で永井さんを囲んでいるのは、気仙沼小学校の子供たちなのですが、この中には、私の一年先輩に似た人がいます。永井さんの気仙沼図書館訪問は今から60年前の1961年5月。私が気仙沼小学校4年のときのことですから、時代感が一致しますね。もしかすると同級生がいるかもしれません。

◎気仙沼図書館公式Facebook

さて、三陸新報の論説では、「大空詩人」永井淑さんと気仙沼のご縁を紹介しながら、読書の意義と図書館の役割の重要性を述べています。気仙沼市図書館の巡回移動図書館車「おおぞら号」の名は、この大空詩人にちなむものとのこと。

永井淑さんに関する説明は気仙沼図書館の公式Facebookのつぎの記事を参照していると思います。



このFacebook画像から、「大空詩人」永井さんの詩/言葉を引用します。

図書館へ行く道をきいている
あのおじさんは きっと
好い人にちがいない!

気仙沼と全世界の図書館さまへ
永井 淑(大空詩人)
一九六一・五・廿七

〈ちがいない〉の後にあるのは〈!〉ですよね。三陸新報/論説や気仙沼図書館Facebook、そして『目で見る気仙沼の歴史』でも、この〈!〉を省略しているのはなぜでしょう。私はとても大事な感嘆符だと思うのですが。わざわざ太くしているし。

また「大空詩人」の原文は「大空の詩人」であるようにも見えます。日付は画像がちょっと不鮮明ですが廿七でしょう。これは27のこと。

◎気仙沼文化史年表

参考まで、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)での永井淑関連事項を引用しておきます。4項目ありました。

1959年9月8日「大空詩人 永井淑 菅野青顔を訪問」
1961年5月25日「大空詩人永井淑が来訪 市図書館に詩を贈る」
1969年5月9日「寅卯会が図書館新築記念に永井淑の詩碑を建立」
1970年10月4日「大空詩人永井淑来市、図書館の歌碑と対面」


市図書館に詩を贈ったのが1961年5月25日としてありますが、上述したようにこれは5月27日かもしれません。念のため。


◎Wikipedia記載内容

『目で見る気仙沼の歴史』の説明文によれば、マンドリンを弾きながら永井さんが歌っているのは『良寛さん』とのこと。

その姿は、子どもたちと遊ぶ良寛さんの姿と重なってくるような気もするのですが、永井さんの生涯は、少なくとも獄中生活を送るまでは相当に激しいものであったようです。それはWikipediaでの記載内容をちょっとのぞいてみるだけでも、わかるでしょう。

また、その内なる激しさは、永井淑さんと菅野青顔さんとの関係が、ともにダダイスト辻潤(つじ・じゅん)を敬愛していたことからも容易にうかがえます。半端(はんぱ)であるわけがないのです。

こうしていろいろ書いているうちに、村の子供と遊ぶ優しいおじいさん、好々爺(こうこうや)に見える良寛さんが、〈風狂〉の人であったことを思い出しました。
 

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「気仙沼ビズ」開所

気仙沼ビジネスサポートセンター(略称は「気仙沼ビズ」)が5月29日にオープンしました。場所は、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)1階です。5月30日の三陸新報がつぎのように伝えています。


気仙沼ビズ

三陸新報5月30日記事の一部イメージ


記事によれば「気仙沼ビズ」は、中小企業や個人事業者などを対象とした伴走支援型の無料経営相談所です。

その相談を担うセンター長は吉澤貴幸(よしざわ・たかゆき)さん51歳。記事写真の左から3人目。昨年10月から全国公募され、応募した113人から選ばれました。

センター長内定を伝えた2月9日の市プレスリリースによれば、吉澤さんは早稲田大学を卒業後、複数の広告会社などでの勤務を経て、2015 年に(株)AOI Pro.に入社。同社でクリエイティブディレクター、体験設計部長、グループ会社の取締役をつとめ、ブランディングやプロモーション戦略、新サービス開発などを担当したとのこと。

AOI Pro.(アオイプロ)は、私たち世代には以前の葵プロモーションといったほうがわかりやすいかもしれません。CMなど広告映像の制作会社として知られています。広告代理店ではなく代理店から発注を受ける広告制作会社です。

そうした広告などのコンテンツ制作の第一線で活躍していた方ですから、気仙沼の事業者の皆さんの具体的な営業展開、コミュニケーションの方法など、具体的な相談にのってくれることでしょう。

センター長決定までは、3段階での選考がおこなわれました。2月の市プレスリリースによれば、応募者113人を書類審査した後に2次選考としてオンライン集団面接をおこないました。そして3次選考においては絞られた候補者に対しての個別面接を市内事業者らも含めたかたちでおこなっています。

応募内容をみると、センター長は気仙沼ビジネスサポート協議会(気仙沼市・気仙沼商工会議所・本吉唐桑商工会・気仙沼信用金庫の4者で設立)が雇用する形で、原則として1年ごとの契約。給与は月額100万円(年収1,200万円相当)とされています。


吉澤貴幸さんについて三陸新報は、5月27日の「顔」欄でも紹介していました。

顔

三陸新報5月27日記事より


この記事のなかで私が興味深く感じたのは、地方で働くことに関心をもったきっかけです。〈鹿児島の離島で地域おこし協力隊を務めた長女の生き方などに刺激され〉たと。娘さんの生き方にお父さんが影響を受けたというわけです。

吉澤さんの趣味はサーフィン。自宅はサーファーにとってはとても便利な神奈川県茅ヶ崎市です。気仙沼では古町のアパートに単身で赴任とのこと。気仙沼でもサーフィンを楽しめることでしょう。

吉澤さん、気仙沼の事業者たちの大きな期待に応えるために忙しい毎日が続くことと思いますが、たまにはサーフィンも楽しんでください。どうぞよろしくお願いいたします。
 

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モネのRaindrops

きのうから6月になりました。梅雨のシーズンが始まりますね。きのう1日の三陸新報1面には、気仙沼クルーシップの「おかえりキャンペーン」の広告が掲載されていました。

おかえりキャンペーン

三陸新報6月1日掲載広告より


気仙沼クルーシップ/キャンペーンサイト


6月中に気仙沼クルーシップ加盟店の利用でクルーポイントが3倍という販売促進キャンペーンです。広告のイラストレーションは、これまで3回のフレー!フレー!地元キャンペーンと同じくサユミさんによるもの。

気仙沼では、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会が昨年8月に設立され、官民による〈モネ効果〉促進にむけての活動がはじまっています。このキャンペーンもそのひとつといってよいかもしれません。

サユミさんのイラストは今回もいいですね。気仙沼クルーシップのTシャツをきてのれんをくぐるのは、和食の店を営む実家にかえってきた娘さんでしょうか。あるいは、震災後の気仙沼でボランティア活動をしていた学生が数年ぶりに気仙沼を訪れて、よく知るお店のご夫婦に会いに来たのか。いろんな見たてができるでしょう。

昨年6月30日のブログでは、「フレー!フレー!地元」イラストでのサユミさんの小技を紹介しました。

2020年6月30日ブログ「サユミさんの小技」

そして、今回もなかなかのもの。

〈モネカラー〉が配されたイラストの背景は雨滴の形です。ドラマのテーマのひとつ〈気象〉を連想させながら、梅雨のシーズン6月のキャンペーンであることを伝えています。広告背面にちりばめられたモネカラーのレインドロップスも気に入った。広告全体を楽しく、彩りあるものしています。ウミネコもかわいいし。

そういえば話の流れでレインドロップスと書きましたが、映画『明日に向って撃て!』の主題歌「Raindrops Keep Fallin' on My Head」(邦題「雨にぬれても」)を歌ったB.J.トーマスさんが5月29日に亡くなりましたね。78歳だったそうです。

ポール・ニューマンがキャサリン・ロスを自転車の前部にのせて走る素晴らしいシーンとともに、あのバート・バカラックの名曲を思い出します。トーマスさんのご冥福を祈ります。

なお、サユミさんについては、河北新報が5月25日配信記事で紹介しています。見出しは〈「おかえりモネ」、気仙沼でフィーバー ネットで日記配信〉。気仙沼の公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」で連載中のサユミさんによる「『おかえりモネ』日記」のことなどが詳しく記されています。是非お読みください。

河北新報5月25日配信記事
 

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tag : サユミ気仙沼クルーシップ

亮ちんの「一進丸」

6月11日の三陸新報1面。5月24日に、高知県の小型マグロはえ縄船「第18敏丸」が本マグロ(クロマグロ)7匹を気仙沼魚市場に水揚げしたとの記事です。1匹平均84.3kgだったと。


マグロ

三陸新報5月25日記事の一部イメージ


この記事を紹介したのは、写真にうつっているのが気中同級生ではないかと思ったから。写真右側でかがみながらマグロの脂ののりや鮮度を確認しているのは、弁天町〈ミツウロコ〉の千葉隆一君(3年10組)ではないでしょうか。

以前にも本マグロの水揚げを紹介する三陸新報の記事でミツウロコ代表としての隆一君のコメントを目にしたことが何度かあります。屋号の〈ミツウロコ〉については、次のブログで紹介しております。

2018年12月11日ブログ「ミツウロコ隆一君」


(追記:菊田裕美君(3年1組)から、隆一君の左後にメモをとっている高橋千尋(ちひろ)君がうつっていると教えてもらいました。気づきませんでした。たしかに鹿折中出身で気仙沼高校の同級生、〈高長商店〉の千尋君でした)

今日はおかえりモネではなく、同級生の話だなと思ったら大間違い。本題はこれからです。

三陸新報記事の末尾には、気仙沼魚市場ではこのところ本マグロの水揚げが相次いでいると記されていました。そして5月22日には大目流し網船「第18一丸(かずまる)」が5匹(平均70.4kg)を揚げたと。


一丸


5月24日のNHK「おかえりモネ」に、この「第18一丸」が登場したのをご存じでしょうか。まあ、きっと気仙沼ではみんな知っていることなのかも。

一丸がうつるのはモネの幼なじみ〈りょーちん〉こと及川亮が初登場するシーンです。永瀬廉さん演じる亮ちんが水産高校を卒業して4月から漁師としてのっている船の左舷には「第十八 一進丸」と表示されています。亮ちんはモネの妹との話のなかで、船の名を〈いっしんまる〉と呼んでいました。

しかし、その後にちらっとうつる右舷には「第十八一丸」とあったのです。これで、一丸を借りて一進丸としたことがはっきりとわかりました。

「第18一丸」は、気仙沼市唐桑の佐々木夫一(ささき・ゆういち)所有の漁船のはず。そう思って録画を再度見てみると、佐々木さんらしき人がちらっと2度ほどうつっていました。

一丸の佐々木さんは、唐桑地区のまちづくり活動などにもいろいろと協力されている方です。今回のおかえりモネのドラマ収録にも協力しているのでしょう。ありがとうございます。

佐々木さんについては次のブログでも紹介しました。唐桑地区でのイベントにて、道具の始末などの後片付けがなってないと強くスタッフをしかった佐々木さんの姿などについても記しております。

2018年9月13日ブログ「メカジキ突きん棒」

冒頭の三陸新報の記事に話を戻します。5月25日に第18一丸が水揚げした本マグロ5匹。漁場にて甲板への引き揚げを手伝う亮ちんを想像してみましょう。

〈あんなほそこい体でだいじょぶだべが〉と笑いながら心配する、気仙沼のおばちゃんたちの声が聞こえてくるようです。
 

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tag : おかえりモネミツウロコ第18一丸

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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