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野又穫の空想建築

NHK「横尾忠則 87歳の現在地」はBSプレミアム4Kで3月18日に初回放送されました。残念ながら我が家では4Kの視聴はできないので見ることはできませんでした。

そのうちNHK BSでも放送されるだろうと思っていましたら、6月2日にやっと。もちろん録画しました。

この大好きな横尾さんのドキュメンタリーのなかに、気仙沼との縁を感じたシーンがありましたので紹介します。

番組紹介で〈2年前心筋梗塞に倒れ、生死の境をさまよった。ほかにも難聴、視力の低下、五感が衰えつつある〉とされる横尾さんが、お世話になっている病院をたずねる場面。わずかな秒数なのですが、応接スペースの壁にかけられた一枚の絵に目がとまりました。

横尾さん


野又穫(のまた・みのる)さんの絵だと思うのですが。原画なのか複製なのか、あるいはリトグラフかなど詳しいことはわかりません。

◎「野又穫の空想建築」展

野又さんは気仙沼との縁があるのです。1995年 6月21日から8月20日まで、リアス・アーク美術館での展覧会「野又穫の空想建築」が開催されました。同美術館は1994(平成6年)10月25日に開館しましたから、7カ月後の展覧会ですね。

私は30年前、1994年の夏、気仙沼への帰省時にこの展覧会を見ています。できて間もないリアス・アーク美術館を見てみようということだったのでしょう。

図録も買いました。


図録
リアス・アーク美術館「野又穫の空想建築」展(1995)図録


なかなかいい感じ。表紙デザインを担当したのはアキタ・デザイン・カンと記してあります。グラフィックデザイナー秋田寛さんの事務所です。田中一光デザイン室から独立して事務所を設立して3年後の仕事。秋田さんは2012年に逝去。53歳でした。

展覧会もそうですが、この図録にしても結構ぜいたくな印象を受けます。リアス・アーク美術館は、宮城県によって整備されました。開館間もないころですから、予算も潤沢だったのかもしれません。同美術館は、その後2004年に現在の管理運営者である気仙沼・本吉地域広域行政事務組合に譲渡されています。

◎「野又穫 想像の語彙」展

その野又さんの東京での展覧会がありました。「野又穫 Continuum 想像の語彙」。東京オペラシティ アートギャラリーで2023年7月から9月までの開催でした。Continuum(コンティニュアム)とは、連続するつながりといった意味のようです。

私が訪れたのは9月下旬。酷暑が続く毎日のなかで少し暑さがおさまったかなという雨の日でした。

この展覧会では作品撮影やその画像のSNS投稿も許可されており、これ幸いと結構な枚数の写真を撮りました。そのなかから3点を紹介します。紹介しやすい横長の絵を選んだら、期せずして球体が描かれたものになってしまいました。これはこれで面白い。


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この3点で野又さんの世界を知ることはできませんね。どうぞネットで画像検索などしてご覧いただければと。

◎リアスの「ノアの方舟」

最後にもう1点。「Skyglow-H5」という2008年の作品。


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Skyglowとは、都会の夜空の輝きといった意味のようです。絵のモチーフとの直接的な関連は感じません。H5とあるので、シリーズ作品名なのでしょう。

作品名はともかくも、この絵を見た多くの人が、「ノアの方舟」を連想するのでないかと。野又さんには、ノアの方舟と同様に旧約聖書「創世記」に登場するバベルの塔をモチーフにした複数の作品があります。展覧会図録の表紙にはそのひとつ「Babel 2005」が使われていました。

そんなこともあって、この絵から「ノアの方舟」を連想するのはごく自然なことに思えます。そして「方舟」といえば、リアス・アーク美術館ですね。同美術館サイトの館名紹介では〈アーク〉をつぎのように説明しています。

〈《アーク》とは《方舟》(はこぶね)を意味し、旧約聖書に記されている洪水伝説中に登場する《方舟》と共通するイメージを持っています。つまり、荒波にも似た時代の流れ、変化の中にある圏域の文化資源を《地域の記憶=無二の財産》として調査研究、収集し、後世に伝えていく当館の使命を象徴しています。〉

〈洪水伝説〉という言葉に〈津波〉を連想してしまいますが、それはまた別の話。


「横尾忠則 87歳の現在地」からずいぶん遠いところに流れついたような気がします。この辺にしておきましょう。

リアスの海辺にある造船場で建造されている、あるいは建造されていた方舟の絵。人の姿はありません。過去の遺物なのか、あるいは未来の遺物のイメージか。

野又さんが描いたこの絵は、旧約聖書の「創世記」ではなく、遠い未来の新世紀にリアスの浜辺で建造されているアーク美術館かもしれません。

以上、私の「空想建築」妄想解説ということで。今週はこれにて。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 野又穫リアス・アーク美術館

関東同窓会の広告

6月22日の三陸新報にめずらしい広告が掲載されていました。7月6日に東京で開催される気仙沼高校関東同窓会の告知です。「気仙沼からのご参加も大歓迎!」、「東京に気仙沼の風が吹く!」とも。


同窓会広告
三陸新報6月22日掲載広告より


これまで、三陸新報で気仙沼高校関東同窓会の広告が掲載されたことがあったのでしょうか。私の記憶にはありません。

この同窓会については、6月5日のブログで紹介しました。

6月5日ブログ「気仙沼高校同窓会」

広告には、「気仙沼高校」のわきに(気仙沼西高・鼎が浦高校)と記されています。

これは、両校の統合経緯を受けてのこと。このブログで何度も記していますが、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)になりました。そして2018年4月に気仙沼西高校も統合したのです。

なお、同窓会の総会は30分ぐらいのこと。メインイベントは懇親会となります。これは気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会と合同でおこなわれます。

私たちへの案内では申込締切が6月28日となっていましたが、この広告では7月3日(水)となっています。

気仙沼の皆さんの参加はもちろんのことですが、広告にありますように「首都圏在住のお子様・ご友人にぜひご案内ください」。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 気仙沼高校関東同窓会

アリガト!JAPAN

明日6月27日(木)の気仙沼関連テレビ情報です。今朝、菊田裕美君(3年1組)が教えてくれました。


◎アリガト!JAPAN~助けてくれた日本人を捜しています
 6月27日(木)21:00〜22:48
 フジテレビ系列(気仙沼は仙台放送)

博多華丸・大吉さんがMCを務めるこの特番は、外国人が日本のどこかにいる恩人を捜し出し、「アリガト!」の気持ちを伝えるという企画です。2020年3月に第1弾が放送され、今回が第2弾となります。

日本にいる恩人を捜し出したいという1人目の外国人としてイギリス在住のアレキサンダー・ロバートソンさん、63歳が登場します。以下、紹介記事を引用します。

〈52年前に12歳だったアレキサンダーさんは、家族と太平洋を航海中に遭難。救命ボートで38日間漂流したというアレキサンダーさんは、父・母・兄2人の一家5人で生死をさまよったといいます。

そんなアレキサンダーさん一家の命を救ってくれたのは、マグロ漁船に乗る22人の日本人船員。「彼らがいなければ、私も家族も今はなかった。きちんと感謝を伝えられていないのが心残りだった」と語るアレキサンダーさんですが、22人誰一人の連絡先も知らず、消息もつかめていない状況。

唯一の手がかりは、救助後に撮った写真と船の名前だけ。船が気仙沼にある会社のものだという情報をつかんだアレキサンダーさんは、気仙沼港へと足を運び、漁業協同組合や漁師たちが所属する協会を尋ねて大捜索。

捜索の果てに…想像を超える真実が待ち受けます。そして、先の見えない漂流生活を過ごすことになったアレキサンダーさんたちの壮絶な38日間を描いた奇跡の救出劇も紹介します。 〉(引用は以上)

この話は、5月23日の三陸新報でも紹介されています。


三陸新報

三陸新報5月23日記事の一部イメージ


「やっと会えた命の恩人」「50年前遭難した英国男性」との見出しです。

ヨットで遭難した英国人男性はサンディ・ロバートソンさん(65)です。12歳だった1972年6月に父のヨットで家族ら6人と世界一周していたときにガラパゴス沖でシャチに襲われて遭難しヨットは沈没。救命艇で漂流し、38日目に近くを航行していた遠洋マグロはえ縄漁船「第1東華丸」(旧志津川町船籍)に救助されたといいます。

サンディさんは、当時の三陸新報の記事を手掛かりに東華丸の乗組員を探します。番組では、その船長だった鈴木清人さん(88)と機関員だった小川直志さん(70)との再会が紹介されます。お二人とも気仙沼市唐桑町在住です。

明日の放送を楽しみにしています。裕美君、アリガトね。
 

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tag : アリガト!JAPAN

新最終処分場稼働

気仙沼の九条地区大曲(おおまがり)に整備された気仙沼市の新一般廃棄物最終処分場が6月5日に開所、稼働しました。同日、菅原市長がつぎのように投稿しています。



6月6日の三陸新報はつぎのように伝えています。

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三陸新報6月6日記事の一部イメージ


記事によれば、この施設は、大曲コミュニティセンター西側の丘陵地に整備されました。容量は現在稼働している大曲最終処分場の約2分の1となる8万㎥です。計画では焼却灰、ガラスなどの破砕不燃物、焼却作業中に出る汚泥を約15年間にわたって埋め立てるそうです。事業費は約40億6千万円で、2022年秋に着工して2023年3月に完成しました。当初は昨年度に稼働する計画だったそうですが、大曲最終処分場の埋め立て容量に想定より余裕が生まれたことで、6月の稼働開始に変更していたとのこと。

あれっ、おかしいよね。この処分場の工事は2022年秋に着工して2023年3月に完成するほど簡単なものではありません。2022年5月26日の三陸新報によれば、着工は2020年11月です。つぎのブログで紹介しています。

2022年6月9日ブログ「大曲の最終処分場」

着工から3年半で無事稼働したことになります。

◎気高マラソン大会

この新最終処分場は、大曲地区に整備されたわけですが、冒頭に書いたように大きくいえば九条地区です。2月9日の三陸新報の記事「新最終処分場6月稼働」記事に地図が掲載されていましたので、拝借します。


地図1
三陸新報2月9日記事より


私が「大曲」と聞いて思い出すのは気仙沼高校のマラソン大会です。毎年11月におこなわれていました。10㎞ぐらいだったかなあ。スタートは、通学路の坂「追越坂」を下っていきます。そして大川沿いを上流にといったルート。大曲は最後のほうということもあってかなりきつい。

(6/26追記:2コ下の気中20回生今泉直喜さんから連絡をもらいました。マラソン大会のルートに関する私の記憶は逆だったようです。大曲はスタート直後の難所で、追越坂は最後の難関。野球場グラウンドから校庭に入ってゴールという設定だったとのこと。お詫びして訂正いたします。直喜さん、ありがとうございました)

私などは後半のほとんどを歩いていたように思いますが、運動部のみんなは部対抗といった感じで意気込んでいました。陸上部が強いかといえばそうでもなくて、私の記憶では硬式テニス部などが上位にはいっていたように思います。この恒例だった「マラソン大会」は、男女共学となったいまでも実施されているのでしょうか。

話を処分場に戻しましょう。大曲地区の皆さんのご理解とご協力があっての新最終処分場の稼働です。関係者の皆さまへの御礼とお祝いを。このたびの新最終処分場稼働、おめでとうございます。そしてありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 最終処分場

学校再編検討広告

気仙沼市立小中学校の新たな再編枠組みを協議する「気仙沼小中学校再編検討委員会」が6月5日に発足しました。

そして6月23日(日)には、三陸新報1面につぎの広告が掲載されました。


6:23三陸新報広告
三陸新報6月23日掲載広告より


第1回目となる6月5日の再編検討委員会については、翌日6日の三陸新報がつぎのように伝えています。


6:6三陸

三陸新報6月6日記事の一部イメージ


記事では、〈小中学生からも意見聴取〉することを見出しとしています。「どんな学校が望ましいか」などをテーマに聞くことを想定し、小学5・6年生と中学校の全学年を対象とする考えとのこと。

これについては、新聞広告では、今後のスケジュールのなかで、意見交換をおこなう機会のひとつとして「小学生、中学生、高校生、若者とのワークショップ」をあげていました。

今後の情報発信としては、市の公式ホームページ掲載や小中学生保護者を対象にした学校配信メール、そして新聞掲載が掲げられています。三陸新報での広告はこの一環でしょう。

広告にQRコードが表示されていますが、これは、気仙沼市サイトのなかの「教育委員会」のなかにあるつぎのページです。

気仙沼市立小中学校再編検討委員会


現在は、6月5日の第1回検討委員会会議報告が掲載されていますが、今回の三陸新報掲載広告も見られるようにするといいのではないかと。

また、これまでの小中学校再編の基本計画である「気仙沼市義務教育環境整備計画見直し」内容のリンク表示があってもよいのでは。現在は「教育委員会」ではなく、暮らしの情報 > 教育・文化・スポーツ > 学校教育 > 「義務教育環境整備」というところに埋もれています。

2月9日におこなわれた「気仙沼市立小・中学再編検討準備会」の最終会合についてはつぎのブログで紹介しております。

3月26日ブログ「学校再編に関心を」

なお、このブ3月26日ブログでは、検討委員会のメンバーは準備会委員11名がスライドすることが了承されたとしていますが、20名に増えています。スライド&プラスアルファなのですね。

準備委員会のメンバーは上のブログで紹介していますので、新たな委員を紹介しておきましょう。準備委員会の委員だった芳賀周太さん(津谷小PTA会長)は退任したようです。

小野寺隆成(社会教育委員会議 議長)、伊藤征吉(気仙沼中央自治会連絡協議会 会長)、佐藤由美子(気仙沼ESD/RCE推進委員会副委員長)、村上里美(唐桑小学校PTA副会長)、笠原寛子(大谷中学PTA監事)、佐々木有佳里(松岩中学校PTA会長)、増田真弓(大谷幼稚園保護者 子ども・子育て会議委員)、荒木順(気仙沼高等学校校長)、小野寺裕史(令和6年度市立校長会会長・鹿折小学校長)、小松智子(私立幼稚園連合会代表・気仙沼カトリック幼稚園長)、熊谷智子(マザーズホーム管理者) (敬称略)

なお、気中20回生(3年9組)の春日敏春君(気仙沼市体育協会長)は準備委員会から引き続き委員をつとめます。

なかなかに難しい課題の多い小中学校再編計画の検討となります。それだけに、今回の新聞広告なども含め、検討経過の周知、共有活動はとても大事ですね。

検討委員会メンバーの皆さまをはじめ関係者の方々はいろいろと大変だと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 小中学校再編

気高伊藤英造校長

6月16日の三陸新報「タイムトラベル/20年前のあの日あの時」は、2004(平成6)年6月16日記事の紹介でした。そのなかに、「気仙沼の思い出語る NHKアナ伊藤さん」という見出しがありました。


タイムトラベル

三陸新報6月16日記事より


少年時代を気仙沼で過ごしたNHKアナウンサーの伊藤博英さん(20年前当時は49歳)のトークショーが開かれたという記事。伊藤さんは、小学校4年生のときに父親が気仙沼高校の校長となったことで九条小学校に転校したとのこと。九条小が開校した1964年から2年間を気仙沼市内で過ごしたそうです。参考まで記しておくと、九条小が独立開校するまでは気仙沼小学校の九条分校でした。

◎伊藤英造校長

伊藤博英さんの父親は気仙沼高校第11代校長の伊藤英造さんです。気高が1967年10月に発行した「創立四十周年記念 40年の歩み」に写真が掲載されていましたので紹介します。1964(昭和39)年4月から1966年3月までの2年間、校長をつとめました。私が入学したときには12代飯田常亮校長でしたので、面識はありません。卒業時は13代北村潮校長でした。

伊藤英造校長


◎伊藤知春君

伊藤博英さんのお兄さんのことをご存じでしょうか。伊藤知春君です。同じクラスになったことはなかったのですが気仙沼中学の同年生です。1964年4月からだとすれば中学1年のときから気中でしょう。

私は知春君についてあまり覚えていなかったのですが、気中2年10組で同級だったという吉野信雄君から2017年10月にもらったメールでいろいろと教えてもらいました。2年10組では、齋藤(広沢)高史君や菅原久良君らと一緒だったそうです。担任は千葉泰二先生。

皆さんご存じのように吉野君の家は九条にありましたから、同地区にあった知春君の家/校長官舎にはよく行ってレコードをかけるなどして遊んだとのこと。吉野君のビートルズ愛は有名ですが、知春君はローリングストーンズびいきだったそうです。

吉野君によれば、知春君は英造先生の築館高校への転任に伴い 、中学3年のとき築館中学に転校しました。その後、知春君は仙台二高、そして東北大学経済学部へ。弟の博英さんは仙台二高から早稲田大学法学部へ進みました。お父さんの伊藤英造校長は東京大学(世代からすると東京帝国大学か)出身。皆さん優秀です。ちなみに私たちが気仙沼高校に入学したときの入試成績トップは吉野君でした。入学式で入学生代表として宣誓をおこなっています。

吉野君は知春君が築館に引っ越してからも校長官舎に泊めてもらったり、その後は仙台の家にも遊びにいったりしたといいますから、相当に親密なつきあいだったようです。知春君の仙台での結婚式にも出席したとのこと。知春君は大学卒業後NECに入社しました。人事畑で活躍したそうです。

こうして詳しく記したのは訳があってのこと。知春君は1997年に交通事故で意識不明となり間もなく亡くなったというのです。45歳か46歳でしょう。若かった。

◎伊藤博英さんと東北

知春君や弟の博英さんの父親である伊藤英造校長は、岩手県遠野の出身です。ネットで調べると、遠野市立博物館第33回特別展の図録『南部氏と遠野』(1996年刊)の執筆者としてその名がありました。確証はありませんが、伊藤校長でしょう。生まれ故郷である遠野への強い思いがうかがわれます。

そして、岩手県遠野市で生まれ、気仙沼や築館、仙台で暮らしたこともある伊藤博英さん。NHKでの初任地は福島放送局だったそうです。東日本大震災の発生直後にはラジオの緊急報道を担当しました。

局次長級ともいわれるエグゼクティブアナウンサーとしては異例の福島への異動は自ら希望してのことだったとも。東北という地域や風土への思い入れは父親の影響というか薫陶もあったのではないかと。

◎追悼 伊藤知春君

吉野信雄君2017年10月31日の長文メールには、〈すべてが懐かしく、知春君の早逝は返す返す残念で仕方ありません〉とありました。

吉野君がこのブログ記事をよろこんでくれればうれしいです。なつかしい中2時代1965年へのタイムトラベルになればなによりのこと。BGMはローリングストーンズで。

参考:つぎのブログでも、伊藤知春君のことを記しています。知春君の結婚にあたっての媒酌人は気高教諭だった若松武徳先生でした。

2020年2月28日ブログ「気高 若松武徳先生」

 

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tag : 伊藤知春伊藤英造

転入奥様講座名称

本日は6月12日ブログ「山本重也展NEWS」を書いていたときの話から。まずは〈山本さんの奥様である朋子さん〉と書いたのですがちょっと迷い、配信記事の表記にならって〈山本さんの妻・朋子さん〉と書き直しました。

ちょっと迷ったというのは、この「奥様」という言葉の使い方について、気仙沼でちょっとしたことがあったからなのです。

5月30日の三陸新報コラム記事「記者席」で筆者の(菊)さんは、つぎのように記事を始めていました。「『奥様』という表現を変更するかもしれない」。これは、気仙沼中央公民館の伝統講座「転入奥様のためのけせんぬま講座」について、名称の変更を検討していることについての館長の発言です。論旨の誤解がないよう、全文画像を掲載させてもらいます。


記者席

三陸新報5月30日記事より


名称変更の検討は、講座名の「奥様」が時代に即していないのではないかという意見が、同館などにメールや電話で寄せられたことがきっかけだそうです。

誤解のないように記しておくと、寄せられた意見は公的機関の講座名としての「転入奥様」に対してのものであって、冒頭に記したような私的用語としての「奥様」に対する疑問ではありません。念のため。

私はこれに関する4月30日のツイッター(現X)投稿を目にしています。そこには、名称を変更したらどうかと言い続けてきたが、検討しますという返答をもらうのに今年度も変更なしだったとありました。転入者は女性とは限らないし、公的機関の「奥様」という用語への疑問も記されていたのです。

6月3日には河北新報もこのことを報じました。同日にオンライン配信されています。見出しは、〈「転入奥様講座」名称に違和感? 宮城・気仙沼中央公民館が見直しを検討〉です。

河北新報オンライン6月3日配信記事

登録しないと全文は読めないので、概要を紹介します。まずは冒頭部を引用。

〈開催44年目を迎えた「転入奥様のためのけせんぬま講座」を巡り、宮城県気仙沼市の内外から名称に違和感があるとの声が相次ぎ、主催する気仙沼中央公民館が見直しを迫られている。長く親しまれた講座でもあり、公民館としては伝統を尊重してきた側面もあったが、「時代にそぐわなくなっているのも事実」と受け止め、変更を検討している〉(引用は以上)

この講座は1981年に「転勤奥様講座」として始まったそうです。本年度は5月から翌年2月までの全10回の開催を予定しています。生鮮カツオのおろし方や内湾地区の文化財を巡りも。毎年10~30人が参加し、リピーターもいるとのこと。

記事では、交流サイト(SNS)上での複数の意見を紹介しています。「転入するのが女性とは限らない」「(講座の名称が)奥様に限定されているのはどうなのか」「男性だが参加してみたかった。対象を広げてくれたらありがたい」など。

話を三陸新報「記者席」の記事に戻します。私がちょっと気になったのは、〈「奥様」に代わる名称を本年度の受講生と共に考えていくという〉との記述。現行名称への親和性というか受容度が高いと推測される受講生の意見には偏りがあるのではないかと。

しかし、河北新報記事の畠山館長のコメントを見て、ちょっと安心しました。「本来の目的は、転入してきた人が気仙沼の文化に触れ、仲間をつくること。さまざまな人から意見をもらいながら、ふさわしい名称や対象者を考えたい」と。

これら三陸新報や河北新報の記事については、すぐに紹介するのはちょっと生々しい感じもして控えておりましたが、2週間以上たってそろそろいいかと思っての本日のブログです。

私としては、「奥様」という用語への疑問もよくわかるし、長期にわたって使用されてきた名称を変更することに対する関係者の心理的ハードルも容易に想像できます。

それだけに、これをよいきっかけとして今後の講座内容や名称のあり方が議論されることを願っています。今年度は講座がスタートしていることもありますから、計画どおりの進行でよろしいのではと。あくまで外部からの一意見としてですが。どうぞよろしく。
 

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tag : 転入奥様のためのけせんぬま講座

ベテランフェンサー

6月15日の三陸新報にちょっとなつかしい方の写真が掲載されていました。見出しは、「佐藤さん 世界の舞台へ」。


佐藤さん

三陸新報6月15日記事の一部イメージ


すぐにわかったわけではないのです。記事を読んでやっと、あの佐藤恭子さんであることに気づきました。

この記事は同日の三陸新報オンラインでも配信されています。

記事によれば、気仙沼ジュニアフェンシングクラブのコーチをつとめる佐藤恭子さんが、フェンシングの世界ベテラン選手権大会の女子50〜59歳フルーレ日本代表に選ばれたとのこと。同大会は本年10月にアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催されます。

佐藤さんは、旧鼎が浦高校時代にフェンシングを始め、顧問だった千田健一さん(現・日本フェンシング協会 会長)の指導を受けたそうです。3年のときにはインターハイでの優勝、個人(フルーレ)準優勝を経験しています。大学生そして社会人になってからも競技を続け、国体の県代表にも選ばれたといいます。

◎3年前に帰郷

記事に、佐藤さんは3年前に帰郷したとありました。

佐藤さんとはじめてお会いしたのは東京での気仙沼高校関東同窓会でした。たしか米国コンピュータ会社の日本法人につとめていたと思います。その後、私の妻が佐藤さんにスーパーマーケットで会い、ご近所に住んでいることを知りました。関東同窓会は、2020から22年の3年間は新型コロナ対応で開催されなかったので、最後に会ったのはたぶん2019年でしょう。

佐藤さんは2022年10月8日にオンラインでおこなわれた「気仙沼を元気にする会」にリモートで登場し株式会社カネダイの「かに物語」を紹介してくれました。そのなかの話で、2021年3月に東京から気仙沼にUターンし、5月にカネダイに入社したと話しています。つぎのブログで紹介しました。

2022年10月17日ブログ「オンラインで元気に」

気仙沼に戻られて実家が経営するカネダイさんで仕事をしていることは知っていましたが、ジュニアフェンシングクラブのコーチもつとめていたのですね。記事によれば競技への復帰は考えていなかったそうですが、ベテラン選手権の日本代表として活躍する知人の勧めで選考会に臨んだそうです。

佐藤さんは20年の競技ブランクがありながらも世界ベテラン選手権日本代表に選ばれました。すばらしい。10月の大会では、団体戦と個人戦にエントリーする予定とのこと。ベテランフェンサー佐藤恭子さんの活躍を楽しみにしております。


参考:気仙沼でフェンシングが盛んなのはなぜなのか。その理由や背景についてはつぎのブログにて。

2015年5月22日ブログ「気仙沼/剣の源流」

 

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tag : フェンシング佐藤恭子

ビズ 新センター長

6月1日の三陸新報に「新センター長に栗山氏」という見出しがありました。昨年4月から不在となっていた「気仙沼ビジネスサポートセンター」(気仙沼ビズ)のセンター長に神奈川県川崎市在住の栗山麗子さんが就任すると気仙沼市が発表しました。


栗山氏

三陸新報6月1日記事の一部イメージ


「気仙沼ビズ」は中小企業や個人事業者などを対象とした伴走支援型の無料経営相談所として、2021年5月29日に開所しました。気仙沼市や気仙沼商工会議所などでつくる「気仙沼ビジネスサポート協議会」が運営しています。場所は、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)1階です。

開所時のセンター長は吉澤貴幸さんでした。2020年10月から全国公募され、これに応募した113人から選ばれました。つぎのブログで気仙沼ビズの開所を紹介しています。

2021年6月3日ブログ 「気仙沼ビズ」開所

その後、5カ月で相談件数が400件を超えたなどと好調に推移していると伝えられていました。

2021年11月17日ブログ 「気仙沼ビズ」好調

ところが昨年2023年6月、センター長が交代することになったとの報道がありました。

センター長交代の理由について市当局は、「評価委員会で、得意分野の相談対応には事業者の満足が高いとの評価だった」とする一方、「相談者の強みを見いだし、新たな商品やサービスをつくり出す本来のビズモデルの再現ができなかったということだった」と説明したとのことでした。つぎのブログで紹介しています。

2023年3月16日ブログ 「センター長」の交代

2023年3月の三陸新報記事では、後任について2023年2月末に書類選考を実施し、3月下旬に最終面接をおこなったうえで決定とのことでした。

しかし、その後すんなりはいかなかったようです。上掲6月1日の三陸新報記事によれば、2代目センター長に就任予定だった内定者が辞退したのです。そのため昨年12月から今年1月にかけて全国公募。これには58人が応募し、書類選考と面接により栗山さんに決定したそうです。

栗山麗子さんは、東京農業大学農芸化学科を卒業し、東京大学大学院農学生命科学研究科で応用生命工学を専攻。約20年間勤めた大手食品メーカー・日本製粉(現ニップン)では、商品開発や営業企画、マーケティングなどの業務に携わり、大ヒット商品を生み出した実績を持つとのことです。昨年4月に独立して地域活性化を軸とした企画、PRのコンサルティングなどの活動をおこなっています。

7月まで全国のビズで研修後、8月31日に着任、9月2日から相談に応じるそうです。センター長の契約期間は、研修が始まった4月からの1年間。延長は成果に基づき協議するとのこと。

河北新報オンライン6月8日配信記事によれば、栗山さんはセンター長就任を機に、夫と小学生の子ども2人と共に市内に移住します。報酬は月額100万円。これらの雇用条件は開所時と同様です。

前センター長との契約が2年で終了したことを考えると、運営主体である気仙沼ビジネスサポート協議会とセンター長とは、成果・業務評価方法の共有や期待値の調整も大事でしょうね。

気仙沼ビズは2021年度に開所しながらも2023年度はセンター長不在でした。それだけに、栗山新センター長には大きな期待が寄せられていることでしょう。慣れるまでちょっと時間が必要かもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : 気仙沼ビズ

柏崎聖観世音由来

6月5日の気仙沼ニッティングさんツイッター(現X)投稿を興味深く読みました。同社の本店「メモリーズ」は柏崎(かしざき)にあるのですが、近くにある柏崎観音(柏崎聖観世音)の由来が紹介されていたのです。投稿者は、気仙沼ニッティング代表の御手洗さんでしょうか。



2枚目の画像は柏崎聖観世音の由来を記した石碑の写真です。この内容を初めて知りましたので、書き起こして紹介します。正字(旧字)は新字体に、漢数字は洋数字に当方が変換しました。

なお、標題は「由来」の「来」の字が葉で少し隠れていますし、そのつぎに何か字があるのかどうか不明ですが、「柏崎聖観世音由来」(かしざきしょうかんぜおんゆらい)で間違いないでしょう。


柏崎聖観世音由来

 天正10年(1582)齋藤和泉盛方 通(この後1字不明/名か称か)四郎兵衛、越後国柏崎より鎌倉時代製作の聖観世音菩薩、右脇侍鬼子母神、左脇侍不動尊を勧請して、少林寺山陣後保 通称釈迦堂に柏崎観音・紫明神を建立す。
 2代隼之助、3代若狭、4代馬之助、5代又エ門、6代又四郎と続き、この間、5代又エ門代に堂宇焼失により正保年間(1644〜1648)6代又四郎代より当地に移転。屋敷の東に柏崎観音堂として再建。依頼この地域を柏崎と称さる。又、西風釜鐙坂(現小学校通学路)傍に紫明神を祭り、後の明治元年(1868)、神仏分離令により紫神社と改称。
 現在の観音堂は昭和52年(1977)の堂宇建て替え伴い、旧堂趾より東方去る3米に移築。
 猶、旧暦7月17日をご縁日となし、旧暦17日を月参詣日とす。従来よりご開帳は33年毎なり。

昭和53年旧7月17日

柏崎総本家 第25代 齋藤真知子
紫神社別当  齋藤 一
     古谷 齋藤保雄
     山根 齋藤豊太郎
     齋大 齋藤有三
     丸良 小野寺良助


由来内容は以上です。

由来碑建立の関係者名に「丸良 小野寺良助」とあります。小野良組の創立者である小野寺良助さんかなと思ったのですが、ちょっと違うようです。つぎのブログでも記したのですが、小野寺良助さんは石碑建立の1年前、昭和52(1977)年2月3日に死去しています。ただし、建立企画時にはご存命だったということも考えられますね。


気仙沼の柏崎と新潟県柏崎とのご縁については、2015年のブログで紹介しました。リンクだけでもよいのでしょうが、上記由来と合わせてご覧いただくため、以下に再掲します。


2015年4月16日ブログ再掲
気仙沼と柏崎の縁


私は本日、新潟県柏崎(かしわざき)へ1泊2日の旅行です。柏崎は母が生まれ育ったところで、今も母の弟と妹が住んでいます。久しぶりに母と兄と私3人で訪れ、ゆっくりしようという趣向。そんなことで、今日と明日のブログは予約投稿です。

皆さんは、気仙沼と柏崎に江戸時代にさかのぼるちょっとした縁があるのをご存じでしょうか。それは〈柏崎〉の名。気仙沼プラザホテルなどが建つ〈柏崎(かしざき)〉は、新潟の柏崎に由来しているのです。

今日と明日、母と兄と一緒にひさしぶりの越後柏崎を、叔父らと共に楽しもうと思っています。

柏崎
昭和40年代はじめ頃の気仙沼/柏崎付近。〈浜らいん〉カレンダーより

宮城県神社庁のサイト〈紫神社〉由緒にはつぎように記されています。

「当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う」

慶長10年は西暦1605年、徳川秀忠が江戸幕府2代将軍に就任した年。柏崎の斎藤氏が気仙沼の笹が陣(気仙沼小学校や市民会館がある高台の一帯)に移住してきました。そのときにまつった紫明神と観音様の御堂はその後焼失します。しかし、気仙沼への移住から約40年後となる正保(しょうほう)(1645〜1648)年代に気仙沼湾の海辺高台に屋敷を移すとともに観音をまつり、その名を一族の出身地である柏崎にちなみ「柏崎観音」としました。というようなことです。

そして観音とともに勧請(かんじょう)した紫明神のほうは、同由緒によれば〈地続きの西風釜(ならいがま)鐙坂(あぶみざか)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う〉とのこと。これが今の〈紫神社〉。〈西風釜〉は南町の旧名です。

気仙沼の柏崎の名が、新潟の柏崎に由来することは知っていたのですが、今回くわしく調べてみて、紫神社との関係がよくわかりました。しかし、〈紫〉が柏崎から気仙沼に移り住んだ斎藤家の家紋である〈藤〉の花の色からきていたとは。知りませんでした。

2014年3月4日ブログ「昭和の気仙沼柏崎」

2015年ブログ再掲内容は以上です。


その後、2017年10月には母が、2022年には柏崎で暮らしていた叔父夫婦が亡くなりました。柏崎との縁が細くなった感じもしてちょっとさびしいです。

以上、気仙沼と柏崎の縁Part2ということで。

気仙沼ニッティングさんの画像投稿のおかげで、久しぶりに越後柏崎と気仙沼のご縁にふれることができてなによりです。ありがとうございました。
 

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tag : 柏崎柏崎観音

弘明さんの名画座

偶然 目にした5月24日の読売新聞に俳優村上弘明さんのインタビュー記事が掲載されていました。「ふるさと」というシリーズ記事のようです。見出しは〈岩手県陸前高田市 「復興の力に」県特使就任〉。


読売新聞

読売新聞5月24日付け紙面より

これは都内版地域面の記事なのですが、気仙沼など宮城県内版では掲載されたのでしょうか。ネットでの読売新聞オンラインでも配信が見当たりません。概略を紹介しましょう。

見出しに〈復興〉の文字がありました。東日本大震災では、村上さんのご両親は無事だったものの、津波で叔父夫婦が犠牲になったそうです。そして、〈微力でも復興の力になりたい〉と、2014年に岩手県の「いわて☆はまらいん特使」に就任しました。見出しにある「県特使就任」というのはそのようなことです。昨年/2023年6月には、地元陸前高田市で全国植樹祭が開かれ、式典の進行を担当しました。

◎気仙沼高校へ

村上さんは岩手県陸前高田市広田町生まれ。〈波の音を聞いて育ちました〉。実家は自転車屋を営むかたわら、ワカメの養殖も手がけていたとのこと。中学を卒業した村上さんが進学したのは、気仙沼高校です。

記事の下部に「思い出の一枚」というコーナー記事的な文章がありました。写真は村上さんが気仙沼高校に入学したての頃に実家前で撮ったもの。

〈ずっと野球をやっていた私は、甲子園の出場実績のあった宮城県気仙沼市の気仙沼高校に進学しました。越境入学は受験の難易度が高く、何とか合格できたので、学生帽をかぶった時は誇らしかったです。結局、親の反対もあって野球部は諦めましたが、入部していたら俳優はしていなかったでしょうね〉

◎仙台へ

気仙沼高校を卒業した村上さんは仙台へ。

〈陸前高田を離れたのは、東北大入学を目指して、仙台市で浪人生活をした時。私は予備校に通わず、名画座に入り浸り、「風と共に去りぬ」や「戦場にかける橋」など映画を100本ちかく見ました。映画では、色々な国を見て、過去や未来の世界を体験できる〉

陸前高田を気仙沼と置き換えれば、まさにマイストーリー。村上さんは、気高27回生ですから、私より5つ下です。〈予備校に通わず〉とあるのは、入学したがサボっていたということだとすれば、私も通った「文理予備校」ではないかと。同校はいま河合塾仙台校となっているようです。青葉区本町。家具屋さんが多かった。

そして、村上さんが入り浸った映画館は「仙台名画座」だと思います。東一番丁を南に下って青葉通りを過ぎたあたりの右側。料金は2本立てで300円ぐらいだったかなあ。私は2浪ですので仙台で2年間暮らしました。しょっちゅう名画座に行っておりましたから見た映画は相当な本数になるでしょう。

たしか、向かい側には書店の金港堂や丸善があったのではないかと。丸善仙台店はすでに別の場所に移っているようですし、金港堂本店は本年4月末で閉店しました。どちらの書店も雑誌などずいぶん立ち読みさせてもらいました。

◎東京へ

仙台での浪人生活のあと、村上さんは〈もっと色々な経験をしたいと、上京を決断〉。「東京の大学で教員免許を取って帰ってくるから」と親を説得し、法政大学法学部に進みます。ネット情報によれば、医学部を目指して3浪した末にということらしい。

そして、法政大学在学中に映画の世界に入っていくことになるわけですが、俳優としていまに至るまでの話はよく知られていることなので略します。

私はといえば2浪中の夏休みに大きな方針転換をおこないました。大学にいくのをやめようと思ったのです。そのアイデアを思いついた場所が仙台名画座でした。見ていた映画は「エルビス・オン・ステージ」。「ウッドストック」を見てとかならまだわかるのですが、なぜエルビスだったのか。いまだに不明。

ただし映画館を出て太陽の光をあびたら、〈でもなあ〉といろいろと考え直したり。結局は東京の多摩美術大学に進みました。新設2年目の建築科でしたが、美大にいくことが主目的でしたので建築の仕事をしたことはありません。

卒業時の就活のひとつは、日活(現にっかつ)助監督試験の受験でした。その頃、映画監督になるためにはまずは助監督になる必要があったのです。当時の映画会社(いわゆる五社)で助監督試験をおこなっていたのは日活のみ。

筆記試験は受かり、10数人の現役監督が居並ぶなかでの個別面接や撮影所長を含む役員面接も受けましたが結局は不合格となりました。結構おもしろい経験でしたので、これはまたあらためて。

◎気仙風土記

ネット上に、村上さんが40歳を過ぎたころからの〈郷愁〉について語ったインタビュー記事がありました。それは東日本大震災で大きくなったとも。

読売新聞の記事でも岩手県の特使就任のほか、〈気仙風土記〉についての話が紹介されていました。

陸前高田市は大船渡市や住田町なども含め気仙(けせん)地区と呼ばれます。そして同地区の方言、山浦玄嗣さんが呼ぶところの「ケセン語」は、気仙沼弁と似通ったところを多くもちつつもちょっと違います。村上さんはつぎのように語っています。

〈方言も、自分が生まれ育った場所が持つ大切な文化です。もし、各地の民話を方言で伝えるイベントがあれば、私は祖父母から伝えられてきた地元の「気仙風土記」を多くの人へ語りたいですね。〉

気仙地方の風土記をケセン語で語りたいということでしょう。これはいいね。

◎名画座はまるで玉手箱のよう

長くなりました。そろそろおしまいにしましょう。すでに紹介した名画座についての村上さんの話はつぎのように続いています。

〈名画座はまるで玉手箱のようで、都会には私の知らない世界が広がっていると感じました〉

まさに同感。18歳で気仙沼を離れ仙台で暮らした私の〈未成年時代の心境〉がよみがえってくるようです。ちょっと自分語りが過ぎたかも。今週はこれにて。


参考:山浦玄嗣さんとケセン語については、つぎのブログにて。この中で紹介している読売新聞記事の見出しにも「復興の力に」とありました。

2019年11月28日ブログ「山浦さん 教皇面会」

 

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気仙沼の「トレイル」

「広報けせんぬま」6月号に「みちのく潮風トレイル」の記事が掲載されていました。6月9日で全線開通5周年とのこと。

「みちのく潮風トレイル」は、東日本大震災後に環境省の復興事業の一環として始まり、気仙沼市を含む29の市町村で協力して取り組んできたそうです。英国タイムズ紙「日本で訪れるべき14の場所」のひとつにも選ばれ、国内外からハイカーが増えているとのこと。

6月7日の河北新報オンラインによれば、トレイル区間は青森県八戸市-福島県相馬市の約1000kmです。上記の英タイムズのほか、米紙ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルも特集で紹介し、海辺の美しさや震災復興を伝えているとも。

英語のトレイル/trailは、トレイルバイクの連想から山の小道をイメージしましたが、潮風トレイルにおいては自然散策道といったところでしょう。なお、「みちのく潮風トレイル」は公募により決定した愛称で、正式名称は「東北太平洋岸自然歩道」なのだそうです。

私は「みちのく潮風トレイル」区間に気仙沼が含まれていることを知ってはいたものの、具体的にどのあたりがトレイル/歩く道になっているのかよくわかりませんでした。

今回、広報けせんぬまの記事にあった地図でそのルートを理解することができました。これです。


トレイルMAP
「広報けせんぬま」2024年6月号より


岩手県から唐桑地区に入り、大島を回ったあとに鹿折(ししおり)地区へ。それからは内湾沿いを歩くのかと思っていたら違うのですね。安波山方面に行ってから太田の坂を下って魚町にという感じ。つぎの「気仙沼さ来てけらいん」2022年3月16日の記事中にあったMAPでルートの詳細を知りました。

気仙沼さ来てけらいん
みちのく潮風トレイル気仙沼コース

「広報けせんぬま」記事のMAP中にある「ルート情報」と「注意情報」のQRコードはつぎのサイトです。いずれも「みちのくトレイルクラブ」サイト。

ルート情報  注意情報

これでなんとか「みちのく潮風トレイル」の気仙沼区間の概略は理解できたようにも思うのですが、細部となるといまいちといった感も。もうちょっと勉強が必要かもしれません。

なお、「広報けせんぬま」は気仙沼市内の全世帯に配布されているそうです。私は市の公式サイトPDFで読んでいます。東京都民ですが、〈はまったふりして〉笑。

気仙沼市サイト「広報けせんぬま」

 

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山本重也展NEWS

イラストレーター・画家の山本重也さんの個展「気仙沼の小さな風景画366点」が、男山本店魚町店舗で開催されています。6月16日まで。

この展覧会は開催前から多くのメディアで紹介されています。みな好意的にとりあげてくださるのがうれしいですね。〈日常茶飯絵〉として毎日描かれる水彩画の魅力に加え、山本さんのお人柄もあるのではないかと。

6月9日には2つのテレビニュースで展覧会と山本さんの自宅兼アトリエでの描画に様子などが詳しく紹介されました。どちらも魚市場付近やお神明(しんめい)さんなどでの取材も含めて約7分間の充実した紹介映像になっています。

6月9日夕方のNHK宮城「てれまさ」での放送から紹介しましょう。山本さんがつぎのように投稿していました。


6月10日には、tbc東北放送のニュース映像がヤフーニュースで配信されていました。放送はNHKと同じく前日6月9日でしょう。


この放送では、山本さんの妻・朋子さんの言葉が印象に残りました。重也さんを見ながらつぎのように語っています。「ポスターとかを配るとね、すごいなんか、やっぱり気仙沼っていいでしょっていう、なんかちょっと誇らしい顔をするんだよね。だから、ここの街の人たちにとって、この絵が、このポスターにしたこの港と漁船が誇りなんだなっていうのがすごい分かったね。だからこの町を(震災後に)もう一度つくり直したし、守ろうとしてる人たちがいま頑張ってるんだっていう」。

そして重也さんは「特別なことではなくて、日常の、まあ今日なんかでも、旅行に来て雨が降ってたらちょっとがっかりしますよね。でも、それにはそれの良さがあるよっていう。その良さを導き出す視点みたいなことを僕の絵で提案できているんじゃないかと思うんですね」と 。

東日本大震災のあとは、私自身も〈気仙沼の失われた風景〉という言葉をずいぶんと使ってきたように思います。しかし13年を経過したいま、〈気仙沼の日常風景〉の素晴らしさを語ることができるようになったのですね。山本重也さん、ありがとうございます。

山本重也展「気仙沼の小さな風景画366点」は、男山本店魚町店舗にて6月16日(日)まで。入場無料です。

6月7日ブログ「山本重也展開催中」

(6/13追記)本日の山本重也さんの投稿を紹介します。上記の当方ブログ末尾に記したことが、地元の方の言葉として語られていると感じました)

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「お伊勢浜」の岩礁

気仙沼のお伊勢浜海水浴場が、今年度は開設されないことになったそうです。6月7日の三陸新報がつぎのように伝えていました。


お伊勢浜海水浴場

三陸新報6月7日記事の一部イメージ


記事によれば、開設見送りの理由は遊泳区域内の岩礁です。砂からむき出しになる箇所があり、運営を担う気仙沼市観光協会階上支部が「遊泳客の安全が確保できない」と判断したとのこと。

昨シーズンに遊泳区域内の海底で、岩礁や震災の津波で流出した堤防のコンクリート片とみられるものが複数箇所で見つかり、大量の砂を入れて復旧させた浜も、岩礁や大きな石が目につくようになったと。

お伊勢浜海水浴場は東日本大震災で被災したために開設できない年が続いたあと、新型コロナ対応などもあり2年前2022年に12年ぶりの再開となりました。遊泳客は震災前の2010年に約2万9千人が訪れましたが、再開1年目の2022年は約3400人、昨年は約2400人と減少しているそうです。

記事には市観光協会階上支部の畠山徹支部長のコメントが紹介されていました。「残念だが、遊泳客の安全確保が第一なのでやむを得ない。海の状況は年々変化しており、来年以降も心配。海水浴以外の利用の仕方も模索していかなければならない」。

「海水浴以外の利用の仕方も模索」という言葉に問題の深刻さが感じられます。私も大変お世話になった海水浴場だけに、なんとか回復の道筋が見えてくることを願っています。

2022年のお伊勢浜の海開きについてはつぎのブログで。

2022年6月16日ブログ「12年ぶりの海開き」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : お伊勢浜

橋本純一の足跡展

6月9日の三陸新報に懐かしい名前を見つけました。橋本純一さん。気仙沼高校美術部の2年先輩で3年生のときに部長でした。現在は米国在住ですが、一時帰国に合わせて中学時代の同級生が個展を企画してくれたというのです。個展名は「橋本純一 青春の足跡」。

橋本さん
三陸新報6月9日記事の一部イメージ


調べてみると、河北新報オンラインでも6月7日に記事が配信されていました。登録しないと全文は読めませんがご参考まで。

両紙記事を総合すると、橋本純一さんは、階上中学から気仙沼高校へ進みました。同校卒業後、岩手大学教育学部に進学。東京のセツ・モードセミナーに学んだ後、広告代理店でのデザイナーを経て1979年30歳のときに渡米。ニューヨークを拠点に雑誌や広告のイラストレーションなどを手がけてきました。

今回の個展は、橋本さんが一時帰国するのにあわせ、階上(はしかみ)中学1965年卒業生でつくる「さざなみ会」が企画して実現しました。

今回展示されている作品は、高校や大学など日本にいるときに描いたものが中心とのことですので、階上の実家(岩月宝ケ沢)に保管していたものでしょう。点数は三陸新報では100点、河北新報では50点。希望者には作品を譲ると記事にありました。

両紙での橋本さんのコメントを紹介します。三陸新報は「処分する予定の作品が日の目を見る機会を与えてもらった。古くからの友人のありがたさを感じている」。河北新報では「かつて画家になろうと描きまくり、日の目を見なかった油絵などの数々は整理するつもりでいた。展示の場を用意してくれた幼なじみのありがたさ、人生の幸運を身に染みて感じる」と。

橋本さんは絵がうまいことはもちろんですが、学業も優秀で温厚、いつも笑顔だったことが印象に残っています。そんな思い出話はつぎのブログにも記しております。2013年4月に一時帰国したとき、母校である階上中学で「進路講演会」をおこなったことを紹介しました。

2013年4月17日ブログ「橋本純一さん」

三陸新報記事には会場名が記されていないので下記にまとめました。

会場:ルネス北最知(きたさいち)
気仙沼市最知北最知(気仙沼線BRT/最知駅 徒歩5分)
会期:6月8日(土)〜11日(火)10:00〜16:00
連絡先:事務局/藤田裕喜さん090-1066-4031

上記連絡先の電話番号をブログに記してよいかどうか、藤田さんに電話し了解を得ました。そうしましたら、会場に橋本さんご本人もいるとのこと。久しぶりに橋本さんの声を聞くことができました。お元気そうでなにより。

「橋本純一 青春の足跡」。橋本さんには〈青春〉の二文字がよく似合う。どうぞよろしく。


(6/12追記)6月12日の三陸新報に、つぎの御礼広告が掲載されていました。

御礼広告
  

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tag : 橋本純一

山本重也展開催中

イラストレーター山本重也さんの個展「気仙沼の小さな風景画366点」が昨日6月6日に始まりました。16日(日)まで。

山本さんは昨年5月に仙台から気仙沼に移住しました。この展覧会には、今年5月28日まで毎日描いた気仙沼の風景画1年分が展示されています。今年はうるう年だったので366点です。


表

画像は山本重也さんの6月6日X投稿より


山本重也展
気仙沼の小さな風景画366点

期間:6月6日(木)〜16日(日)
(6/11火曜日は休館)
開催時間:9:30〜17:00
会場:「男山本店」魚町店舗
気仙沼市魚町2-2-12
(入場無料)
主催:山本重也イラストレーション
共催:(株)男山本店
協力:気仙沼まちなかエリアデザイン会議


フライヤー(チラシ)のデザインもいいいですね。イラストレーションを邪魔しないように文字のレイアウトや太さが考慮されています。細かな話になりますが、書体はモリサワの「ヒラギノ角ゴ」、太さはW1かW2でしょう。

裏面も紹介しておきます。

裏


◎気仙沼まちなかエリアデザイン会議

フライヤー表面右下のロゴマークにお気づきでしょうか。これは「気仙沼まちなかエリアデザイン会議」が協力していることの表示だと思います。「わくわく大作戦」のロゴマーク。

「wkwk」の文字が噴水と雲のように見える図形と組み合わされていますね。気持ちがわくわくするとか、水が〈湧く〉雲が〈湧く〉というイメージでしょうか。人文字になっている「wkwk」は、「walk walk/歩け歩け」にも見えてきます。

気仙沼市は、市役所庁舎移転後の跡地周辺から内湾地区一帯のまちづくりの指針として2023年3月に「気仙沼なちなかエリアビジョン」を策定しました。そのビジョンの具体化に向けて、2023年6月には官民が連携しての「気仙沼まちなかエリアデザイン会議」が発足し、同年9月には同会議による社会実験「わくわく大作戦2023」がおこなわれました。ロゴは、2022年に使われたものが継続して使用されています。

2月5日におこなわれた第2回まちなかエリアデザイン会議についての市の議事概要によれば、同会議は6月15日におこなわれる立川志の輔師匠のおかえり寄席と連動した内湾周辺での取り組み(エリアリノベーション、ないわん朝市、キックボード等)をおこなうとのこと。そして、この山本重也展についても、デザイン会議としてポスター、チラシの配布、展示場什器の提供元紹介などの協力をしていくことになったそうです。

立川志の輔独演会/おかえり気仙沼2024のために気仙沼へ来訪された方々にも、ぜひご覧いただきたい展覧会ですね。

◎気仙沼の新しい風景の発見

山本重也さんの水彩画の私にとっての魅力は、〈気仙沼の新しい風景の発見〉にあります。生まれてから18年間暮らし、知っているつもりの気仙沼の風景ではあっても、山本さんの視点と描画によって、とても新鮮に感じる風景が多いのです。

私は東京で暮らしており観覧はかないませんが、多くの人に山本さんの風景画366点をご覧いただきたいと願っております。どうぞよろしく。

5月29日ブログ「山本さん紹介記事」

 

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tag : 山本重也気仙沼まちなかエリアデザイン会議

気仙沼小「作法室」

私が通っていたころの気仙沼小学校には「作法室」(さほうしつ)という教室というか大部屋がありました。中央校舎の2階、職員室の上といった感じでしたね。

このブログでも何度か作法室の思い出話を書いております。正面に本田鼎雪さんの鰹の絵が飾ってあったとか、日本各地の民芸玩具のようなものが沢山ならぶガラスばりの飾り棚があったなどと。

本日はその「作法室」の写真を紹介します。気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』(1978年2月発行)p103のなかにありました。


作法室
気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』より


これは、昭和49年3月の『鼎浦学報』101号に掲載された「夏休みの生活指導を話し合う地区会長会」の写真です。『鼎浦学報』は、昭和5年の教育勅語換発40周年を記念して、学校と家庭の連絡機関(これは機関誌ということでしょうか)のひとつとして、昭和6年3月13日に創刊されました。気仙沼小学校児童保護会の第2代会長、高橋幸一さんによるものとのことです。高橋幸市さんは気仙沼商会の初代社長です。現社長高橋正樹さんの曾祖父にあたると思います。

私が懐かしく感じたのは参加者のまえにある机というか台です。高さ20cmぐらいの木製枕のようなものをならべて、洗い張りの板のようなものをその上に置くのです。洗い張りの板のようなものと書きましたが、洗い張り板そのものだったのかもしれません。なにせ〈作法室〉ですから。念のために記しておくと、洗い張り板は着物をほどいて反物の状態にして洗いのばして乾かすための板。

◎児童会「安波会」

この写真を見て私が思い出すのは、気仙沼小学校の児童会「安波会」(あんばかい)です。会長や副会長、書記らが正面に座って、三方には各クラスの学級委員が座ります。

安波会の会長は6年生で前期と後期に分かれていました。私は後期の会長。前期は南町〈新京〉門馬亨君(気中3年11組)でした。

安波会でどんなことを話し合っていたのか、細かなことは忘れましたが、いまでも覚えていることがあります。たぶん4年生のときのことですが、タイトスカートをはいている女子児童がいるが禁止すべきではないかという話が出たのです。私が驚いたのは、名指しはされていないものの、その6年生の女子も会合に同席していたこと。病院の娘さんで、たしかにちょっと大人びた感じで目立っていたのです。安波会での議論の結果は忘れました。

ここまで書いて、安波会のときの廊下に沢山の上履きが雑然とおかれていた様子を思い出しました。作法室を出て廊下を左にいくと売店がありましたね。

ここまでにしておきます。作法室の写真を見ての小さな思い出話です。


参考:『三十年のあゆみ』の表紙にあった気仙沼小学校の全景についてはつぎのブログで。

2014年6月17日ブログ「気仙沼小学校全景」

作法室から撮影したのではないかと私が思っている昭和15(1940)年ころの気仙沼小学校校庭の写真をつぎのブログで紹介しています。現在の気仙沼中学校体育館のあたりはちょっとした小山になっています。

2017年6月22日ブログ「77年前の気小校庭」

 

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tag : 気仙沼小学校作法室安波会

気仙沼高校同窓会

気仙沼高校関東同窓会からの案内が届きました。今年の総会・懇親会が7月6日に開催されるとのこと。同窓会事務局の皆さま、準備や当日の運営、いつもありがとうございます。


同窓会


案内にあった開催概要を紹介します。

◎気仙沼高校関東同窓会/総会・懇親会

○日 時:2024年7月6日(土)
○総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
○懇親会:12:10〜(着席ビュッフェ形式)
○場 所:ルポール麹町(麹町会館)
東京都千代田区平河町2-4-3 03-3265-5361

○会 費:
年会費 :1000円
懇親会費:(年会費1000円含む):
来年3月末時点での年代で
40代以上 9,000円
30代 5,000円
20代 3,000円
10代 無料

なお、これまでと同様に懇親会は気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会との共催となります。

○お振込
年会費・懇親会費のWEBクレジットカード払いが開始されました。
従来の郵便振替口座でも。
(口座番号)00130-6-615097
(口座名)宮城県気仙沼高等学校関東同窓会

○お申込:
下記の関東同窓会サイトのお申込フォームからご登録ください。
申込締切:6月28日(金)

○お問合せはメールにて
[email protected]
FAX:03-5367-5863
詳細やお申込みは次のサイトにて。

気仙沼高校関東同窓会サイト

なお、気仙沼高校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校(新気高)に。そして2018年4月に気仙沼西高校も統合しています。また、気仙沼高校および鼎が浦高校の前身となる、旧制気仙沼中学校、気仙沼実科高等女学校、気仙沼高等女学校の同窓会も新気仙沼高校の同窓会に統合されています。

◎気仙沼での気高同窓会

5月19日の三陸新報には、気仙沼での気仙沼高等学校同窓会/総会の案内広告が掲載されていました。いわば本家の同窓会です。こちらは、6月15日(土)です。


気高同窓会

三陸新報5月19日掲載広告


この気仙沼での同窓会も、旧気仙沼高校、鼎が浦高校、気仙沼西高校、そして各校の前身校の同窓生が参集します。会費5000円ということは、総会議事のほかに、懇親会的なプログラムもあるのでしょうね。

話を東京での同窓会に戻します。7月6日は私も参加しようと思っています。会場でお会いしましょう。

参考:前回/2023年の関東同窓会(東京)の様子はつぎのブログにて。2022年、2021年、2020年の3年間は新型コロナ対応で開催されませんでした。

2023年7月3日ブログ「関東同窓会の報告」

 

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第二保育所の閉所

5月19日の三陸新報を見ておどろいたことがあります。陣山にある気仙沼第二保育所が本年度/2024年度末に閉所するというのです。私がお世話になった保育所。私たちは〈田谷の保育所〉と呼んでいました。〈田谷〉とは、あの辺の土地が田谷氏のものだったからと聞いたことがあります。


第二保育所閉所

三陸新報5月19日記事の一部イメージ


閉所理由は、少子化によって運営が厳しくなり、今後も入所児童の増加が見込めないこと。昨年度の入所児童は定員いっぱいの40人でしたが、本年度は28人まで減ったそうです。

同保育所は、三日町にある少林寺さんが運営しています。5月下旬に開いた同寺の理事会で閉所を正式に決めたとのこと。

記事には同保育所の沿革が記されていました。まずは1932(昭和7)年、市内入沢地内に気仙沼第二託児所として開設されました。そして1940年に市内陣山の現在地に移転し、1948年に県から認可を受けています。

記事によれば、気仙沼湾を一望できる「港の見える保育所」として親しまれており、現在は市内に3つある私立認可保育所のひとつ。これまで約1500人の子供たちが通ったとありました。

◎市史における記述

「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)には、「昭和7年5月 入沢法玄寺に第二託児所を開設(典拠:大気新聞)」とありました。法玄寺さんは日蓮宗の寺院ですが、少林寺は曹洞宗です。どういうことなのだろう。

「気仙沼市史」(第6巻 教育・文化編)に記述がありました。読みやすくまとめるとつぎのようなことです。

〈昭和7年5月1日、少林寺住職橋本文栄が入沢7-1の法玄寺内に気仙沼第二託児所を開設。その後昭和15年に昆野太弥治を中心とする地域の協力を得て現在地に移転。昭和23年12月8日、児童福祉法による認可〉

開設時から少林寺さんによるものだったのですね。昆野太弥治さんは、陣山の〈鼈甲屋〉本家でしょうかね。

◎観音寺の保育所

気中20回生の同級生たちに、どこの幼稚園や保育所に通ったかを聞くと、必ず登場するのが「観音寺」の保育所です。市史にも記述がありましたので参考情報として紹介しましょう。これも読みやすくして。

〈昭和7年7月、鮎貝真観が農繁託児所を開設、観音寺幼稚園と称した。昭和10年10月、隣保館を建設し気仙沼隣保館として常設保育所を開館。昭和24年4月、児童福祉法による保育所として認可〉

「隣保館」(りんぽかん)という名称もなつかしい。たしか観音寺の化粧坂側入口には「観音寺セツルメント」という名を掲げたゲートがあったような気がします。地域福祉活動「セツルメント」の和語が隣保館。今風にいえばコミュニティセンターです。

「気仙沼文化史年表」には、「昭和11年4月3日 観音寺にセツルメント季節保育園として気仙沼隣保館開館」とありました。

◎第二保育所 83年の歴史

入沢での1932年開所から数えると2025年の閉所で83年となりますね。自分もお世話になった保育所が閉じるのはやはりさびしい感じがします。

卒園時の記念写真などもあるので機会をみて紹介しましょう。本日は、第二保育所がいよいよ閉所というお知らせのみお伝えしておきます。
 

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阿部和義君の訃報

気仙沼中学の同級生である阿部和義君が5月25日に亡くなったとのことです。気仙沼市内に住んでいるのであれば、三陸新報の訃報広告などで知ることができますが、和義君はたしか一関市に住んでいました。

和義君と私は気中3年8組のクラスメイト。文字通りの同級生です。何度も同じクラスになったことがあり、南町の木下冷蔵の後ろ側にあった家に遊びにいったこともありました。

最後にあったのは、昨年2023年7月17日に気仙沼でおこなわれた気中20回生同年会。当初は2年前の2021年に予定されていた古稀祝いが新型コロナの関係で開催できずにこの同年会が催されました。

その数週間前だったでしょうか、出席予定者のなかに和義君の名がなかったので電話をかけました。そして、私の誘いの言葉に〈ほんで、行ってみっか〉ということになったのです。

会場で3年8組メンバーで撮った写真のなかに和義君もいました。


和義君


当日は楽しそうにしていましたし、来てよかったとも。4次会となった新町「ムーラン」にも一緒に。

体調がわるく検査入院になったと聞いたのは夏ごろだったと思います。そしてその後、状況がどうもよくないらしいという話は聞いておりました。本人も〈余命〉を意識するなかでつらかったと思います。しかし、亡くなるちょっと前まで同級生が見舞いに訪れたり、電話で話していたということを聞いてすこしホッとしました。

2023年7月の同年会の写真を掲げておきます。記念写真撮影風景。11組まであった気中3年の後半クラスの皆さんです。前から3列前で両手をあげてふざけているのが和義君。


2_20240602134536a31.jpg


前半クラスの写真も。


IMG_6351.jpg


10カ月ほどまえには、こんなに多くの同級生と旧交をあたためていました。和義君にとっても楽しい時間だったことでしょう。

和義君は72歳かな、73歳になっていたかな。いずれにしてもまだ若い。残念です。

〈カズヨシ〉阿部和義君のご冥福を謹んでお祈りいたします。
 

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プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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