今朝の河北新報オンライン記事をみて驚きました。気仙沼出身の元プロ野球選手、島田源太郎さんが病気のため6月16日に死去していたことが分かったというのです。
河北新報による親族への取材でわかったとのことで、見出しに【独自】とありました。島田投手の偉業を詳しく紹介しているこの記事は有料ですが、登録すれば1日1本の記事を無料で読むことができます。
記事の冒頭のみ引用します。
〈プロ野球大洋(現DeNA)の元投手で、1960年に史上最年少で完全試合を達成した島田源太郎(しまだ・げんたろう)さんが病気のため6月16日に死去していたことが3日、親族への取材で分かった。84歳。宮城県気仙沼市出身。
島田さんは宮城・気仙沼高から1958年に大洋に入団。1960年8月11日の阪神戦で完全試合を達成した。20歳11カ月での完全試合は2022年にロッテの佐々木朗希投手(岩手・大船渡高出)が20歳5カ月で更新するまでの62年間、最年少記録だった。1960年は大洋のセリーグ初制覇、日本一達成のけん引役にもなった。〉(引用は以上)
島田源太郎さんについては4年前のブログでその偉業を紹介しておりますので、再掲します。2002年7月の気仙沼高校関東同窓会で島田さんと一緒に撮った写真も紹介しております。
なお、この記事には〈現在のところ、日本プロ野球での完全試合は15度/15人にすぎません。1994年の巨人/槙原投手が最後です〉と記しておりますが、冒頭で紹介したように、その後2022年に佐々木朗希投手が28年ぶり史上16人目の完全試合を達成しています。
2020年8月21日ブログ再掲
島田源太郎の偉業
(2020年)8月10日のブログ「まるは 第12東丸」で、気仙沼に大洋漁業の工場があったことを紹介しました。気仙沼への大洋漁業進出が決まったのは昭和28年11月のこと。1953年。
このブログを読んで、島田源太郎さんのことが抜けているなと思った方もいたのではないでしょうか。大洋漁業のプロ野球チーム「大洋ホエールズ」(現 横浜DeNAベイスターズ)の島田投手です。
島田源太郎さんは、1958年に大洋球団に入団し、1959年に初先発を果たしました。当時の気仙沼は大洋漁業の工場があった時代ですから、大きな期待がわきあがったことでしょう。
Wikipediaから島田源太郎さんの経歴を引用します。
〈 気仙沼高校では3年次の1957年、夏の甲子園県予選準決勝に進むが仙台二高に敗退。卒業後は盛岡鉄道管理局への入社が決まっていたが、プロ入りへの夢が捨てきれず、1958年に大洋ホエールズへテスト入団。
1年目の同年から一軍に上がり、2年目の1959年4月には初先発を果たす。3年目の1960年は開幕から先発の柱として起用され、8月11日の対大阪戦(川崎)で史上最年少となる20歳11ヶ月での完全試合を達成する。
同年はチーム最多の41試合に先発、秋山登の21勝に次ぐ19勝を挙げ、球団の初優勝に貢献。大毎との日本シリーズでも2試合に先発、第2戦では勝利投手となりチーム日本一に大きく寄与した。(中略)
1970年のシーズン終了後に引退。引退の翌年の1971年に大洋の投手コーチ補佐を務めていたが、1972年に突如現役に復帰。8月16日の中日戦(川崎)での完投勝ちを含む3勝を記録したが、1973年に再び引退。
引退後は東北放送・仙台放送解説者(1974年-1981年)を経て、1982年から1983年までロッテオリオンズ二軍投手コーチを務めた。〉
(引用は以上)◎史上6人目の完全試合達成
私たちのような気仙沼関係者をのぞき、島田源太郎投手が多くのプロ野球ファンの記憶に残っているのは、やはり1960年8月11日の完全試合達成によるものでしょう。上記にもあったように、日本プロ野球史上6人目。20歳11か月での達成はいまだに史上最年少記録です。
この完全試合達成を伝える日刊スポーツ1面を紹介したツイートがありましたので引用させてもらいます。
現在のところ、日本プロ野球での完全試合は15度/15人にすぎません。1994年の巨人/槙原投手が最後です。
先日、8月15日にはヤクルト小川康弘投手が、ノーヒットノーランを達成しましたが、これは史上82人目/93度目。これに比して、いかに完全試合達成が難しいことなのかがわかります。
島田源太郎さんは気高10回生で私たちの12年先輩です。ずいぶん前のことですが、気仙沼高校関東同窓会でお会いしたことがありました。同級生らと一緒に写真を撮らせてもらったことを覚えているのですが、あれはいつのことだったか。菊田裕美君(気中3年1組)にたずねて判明しました。平成14/2002年7月20日とのこと。18年前のことでした。
裕美君がそのときの写真を送ってくれました。複写の関係でちょっとわかりにくいのですが、真ん中が島田源太郎さん。左端がわたくしです。

そしてその同窓会から10年後、島田さんが詐欺容疑で逮捕されたとの報道がありました。2012年4 月のことになります。ある配信記事では、島田源太郎さんについてつぎのように紹介していました。
〈1958年に大洋に入団。60年8月に完全試合を達成し、初優勝の原動力となった。70勝77敗の成績を残して73年に現役引退した〉
この事件は、とても残念なことではありましたが、それはそれこれはこれ。島田源太郎投手の〈パーフェクトゲーム〉が今後も語り継がれる偉業であることに変わりはないでしょう。
8月10日ブログ「まるは 第12東丸」
再掲内容は以上です。
河北新報の記事には源太郎さんの弟邦夫さん(80)(千葉県浦安市在住)の「早過ぎる偉業だった」と思う時があるとの言葉を紹介して記事を結んでいます。
「周囲の期待に応えようとする兄は、もっといい投手になろうとして空回りした。もう少し年を重ねてからの完全試合達成なら、兄の野球人生はどうなっていただろうか」と思いをはせた。
この記事の筆者は河北新報金野正之さんです。ありがとうございました。
島田源太郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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