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気仙沼の2024年

本日は12月30日。2024年もあと2日ですね。昨年末のブログを見てみたら、12月29日に「気仙沼の2023年」として、「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」候補28項目を紹介していました。

今年最後のブログとしては、「気仙沼の2024年」がふさわしいと思うのですが、それはすでに12月9日のブログで紹介しておりました。今年の五大ニュース候補決定がいつもより早かったのです。

でもまあいいか。ということで2024年版「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」候補22項目をもう一度。

◎再掲「気仙沼の2024年」

気仙沼市立公民館と気仙沼市教育委員会による「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」候補22項目が決まりました。12月5日の三陸新報が伝えてくれました。

五大ニュース候補

三陸新報12月5日記事より


2月4日に開催された五大ニュース候補の項目決定会議には、公民館長や地元報道機関の関係者ら16人が出席したそうです。

このニュース候補発表は例年より3週間ほど早いですね。なにか理由があるのでしょうか。2023年は12月27日、22年は12月23日でした。

私の予想を記しておきましょう。こんな感じです。

①生鮮カツオ28年連続日本一。水揚げ金額が震災後最高の100億円超え
②令和5年度のふるさと納税、2年連続東北1位
③小泉小が津谷小に、中井小が唐桑小に、条南中が気仙沼中に統合
④小野寺五典氏が自民党政調会長に就任
⑤三陸道の気仙沼湾横断橋が、土木学会デザイン賞で最優秀賞

生鮮カツオの連続日本一はなんか当たり前っぽい感じもあるのですが、今年は圧倒的な水揚げでした。カツオが好調だった2024年ということで第1位。なお、この水揚高は最終確定数字が出ていませんが、1位間違いなしという判断でしょう。

ニュース項目として28番目にあがっている「市教委が中学校9校から4校への再編案提示」は、相当なインパクトがあるニュースですが、学校統合は小泉小・中井小・条南中のニュース項目があるので除外。再編案決定が来年の五大ニュースのひとつになることは間違いないでしょう。

皆さんが選ぶ五大ニュースはどんな感じかな。

この22候補に対する市民の投票は1月10日から23日まで。投票箱は、市内の各公民館、中学校、高校、郵便局、イオン気仙沼店など51カ所に設置されます。気仙沼市のホームページでのネット投票も可能です。

2023年の五大ニュース候補はつぎのブログにて。

2023年12月29日ブログ「気仙沼の2023年」

そして五大ニュース決定項目はこちら。

2024年2月1日ブログ「五大ニュース2023」


再掲内容は以上です。

本年もこの気中20ブログをお読みいただきありがとうございました。どうぞみなさま、良い年をお迎えください。
 

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ジャンル : 地域情報

tag : 五大ニュース

『海と生きる』 写真

唐澤和也さんの著書『海と生きる』については既に紹介しております。副題が 「気仙沼つばき会」と『気仙沼漁師カレンダー』の10年」。本日紹介するのは、同書のカバーです。表紙をつつんでいる紙。「ジャケット」ともいいます。


カバー


いいですよね。この写真を撮影してくださったのは岩根愛(いわね・あい)さんです。以前のブログでも紹介しましたが、岩根さんは2018年度の木村伊兵衛写真賞を受賞しています。私は〈なんと贅沢なキャスティング。11人目の漁師写真家といってよいのではないかと〉と記しました。

手前にうつる橋は気仙沼湾横断橋です。2021年3月6日に供用が開始されました。愛称は「かなえおおはし」。橋脚の左上には「みらい造船」がうつっています。この場所につくられた新工場に移転し開業したのは2019年9月のことでした。

左上は気仙沼大島で左側には気仙沼大島大橋が。愛称は「鶴亀大橋」。開通は、2019年4月7日。

内湾を出て外洋に向かう船もあれば、内湾方向に向かう船も。航跡からすると朝日町岸壁での作業をおえて内湾へという感じでしょうか。出船入船(でふねいりふね)といったところです。

遠くにはグラデーションがかかった水平線がうつっています。太平洋です。

書籍本体の表紙写真も紹介しましょう。左側がいわゆる表紙(表1)、右側が裏表紙(表4)です。


表紙


うつっている漁船は、集魚灯がたくさんあるようなのでサンマ船でしょうか。カバー写真にうつる船と同じなのかどうかはよくわかりません。カバー写真を見たあとでは、外洋に向けての出船のように感じられます。

◎ドローンでの撮影

12月9日に青山ブックセンターで『海と生きる』刊行記念としておこなわれた市橋織江さんと幡野広志さんのトークイベントに参加しました。そこでの話で同書のカバー・表紙の写真がドローンを用いての撮影だったことを知りました。また、気仙沼漁師カレンダーの計10作のなかで、〈最終章〉となった2024年版の瀧本幹也さんのみがドローンを使用しての撮影もおこなったとのこと。

私のイメージを記しておくと、表紙のモノクローム写真からドローンの高度をあげていくと、気仙沼湾横断橋や気仙沼大島などが視界にはいってきます。それがカバー写真。そしてさらに高度をあげていくと、気仙沼湾を含む三陸海岸が。さらなる高みにのぼれば日本列島を中心にした大海原が見えてくるでしょう。

◎出船おくり時の撮影か

『海と生きる』では、カバー、表紙のほかに、総扉頁にも岩根愛さんの写真が使われています。見返しのつぎの左頁なのですが、気仙沼つばき会の主要メンバーがそろっての集合写真で、皆さんが福来旗(ふらいき)を持っています。

もしかすると、岩根さんの撮影は「出船おくり」の日におこなわれたのかもしれませんね。と書いてから、なんかそれについての情報があったなと思い調べてみたらありました。Xの「集英社 よみタイ」さん12月5日投稿。〈カバーに選ばれた8月8日のサンマ船「出船おくり」の一枚。小さく映る船は中舘捷夫船頭の「第 81豊清丸」〉。

出船は第 81豊清丸だったのですね。中舘捷夫船頭については説明不要でしょう。瀧本幹也さん撮影の2024年版カレンダーにも登場していますが、『海と生きる』では中舘船頭についても詳しく記しており、2016年版、2017年版にも登場しているとのことでした。

こうした「出船おくり」の日の撮影ということを考えると、岩根さん撮影の『海と生きる』写真の背景には、航海の安全と大漁の祈りがあるのかもしれません。

◎編集担当の宮崎さん

気仙沼漁師カレンダーの2作目から最後の10作目までのプロデューサーをつとめてくださった竹内順平さんの12月16日X投稿にはつぎのようにありました。〈表紙は集英社の宮崎さんが「11年目があったのなら」という目線で岩根愛さんにご依頼されたのこと。まさに作り手の本気をまた別の作り手が本気で描いた一冊です!〉

同書の奥付を見ると、編集担当者として宮崎幸二さんのお名前がありました。12月9日のトークイベントでも進行役をつとめていました。

岩根愛さんの写真には、唐澤和也さんの著書『海と生きる』の初版完売、重版祈願という宮崎さんの祈りと本気が込められているような気がします。

集英社さんからの唐澤和也さん著書『海と生きる』。どうぞよろしく。

◎参考ブログ

11月18日ブログ 新刊『海と生きる』
11月29日ブログ「10人の漁師写真家」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 海と生きる漁師カレンダー

中学4校案「論説」

12月12日の三陸新報「論説」の見出しは、「中学校4校案 中期的には妥当ではないか」でした。かなり踏み込んだ論調で、読んでいてちょっとおどろきました。そして、今後の再編案検討に関する気仙沼市民の議論によい影響を与えるのではないかと感じたのです。


論説

三陸新報12月12日記事の一部イメージ


論説記事では、中学校を現状の9校から4校にすることについて〈長期的にはなお統合が求められる〉としています。つまり4校をさらに統合していく必要があるだろうと。記事を引用します。

〈気仙沼市教育委員会は先日、中学校を現状の9校から4校にする再編案を示した。中期的には妥当だが、急速に進む少子化の現状をみれば、長期的にはなお統合が求められる。〉

9校を4校にというだけで市民には相当なインパクトがあると思いますが、長期的には3校とか2校とかということでしょうか。あるいは1校か。

論説の末尾にはこうありました。〈同市の少子化は深刻だ。出生数からみれば、想定の再編時期から10年後は1学年200人程度になる。子供の教育は大人の責務。環境の充実へさらなる計画も練っておきたい。〉

気仙沼市全部ひっくるめて1学年200人ということは、40人学級として5クラスです。そうしたことを想定しての計画が必要だと述べているのです。

昨年までの再編論議では、教育委員会の切迫感がなかなか市民に伝わっていないような感じがありました。新聞などでも、少人数クラスでの教育にも良さがあるとか、議論を急ぐことなくさらにいろんな意見を吸い上げるべきといった声が紹介されることが結構ありました。

条南中学と気仙沼中学の統合を巡ってのあれこれは、今となってみれば随分と悠長な話だったのではないかと。

今回の「論説」は、そうした悠長な議論を吹き飛ばす迫力がありますね。統合・再編後の校名についても触れています。該当部を引用します。

〈再編では、自分の地域名を冠名とする学校がなくなり、統合先の校名になることに抵抗を感じる住民も少なからずいる。心情に配慮するなら、「市立第1中、第2中」など、校名から地域名を外すことも検討に値するだろう。〉

これもかなり踏み込んだ提案です。私は気仙沼中学校の卒業生。できることなら「気仙沼中学」の名が残ってほしいと思っていますが、そうした気持ちが目指すべき統合・再編の障害になるのであれば、その希望は捨てることにします。大事なのは将来の子供たちに最善の教育環境を用意してあげることですから。

◎12月18日「萬有流転」

12月18日の三陸新報1面コラム「萬有流転」も気仙沼市の中学校再編案についてでした。


萬有流転
三陸新報12月18日記事の一部イメージ


一部を引用します。

〈唐桑と鹿折が組み合わされたこで、「大変だ」と素人考えで感じたが、市内通勤者の両親がいる場合は通り道であり、一緒に通勤できそうだ。〉

そして〈全ての思いに沿うことはできず、これなら、大方が納得できるというところで手を打つしかない。それが今回提案された4ブロックに分けることなのだろう。松岩、面瀬、階上にしても、なぜ真ん中の面瀬ではないのかと思うが、この場合、教室数などを考慮した上での、再編案となったようだ〉とも。

4校/4ブロックへの再編案に対して、はじめは「大変だ」と思ったものの、4校への再編理由などを知って納得した(あるいは納得せざるを得ない)といったトーンでの文章になっています。

12月12日の論説、そして18日の萬有流転を続けて読むと、三陸新報さんは再編検討委員会の議論を肯定的に受け止めているように思います。

急速な少子化傾向という現実に向き合えば、選択肢も限られてくるということでしょうね。今後も、前向きな議論のための情報や報道をどうぞよろしくお願いいたします。

◎参考ブログ

中学校4校再編案の内容やこれについての三陸新報「ニュースを追って」のことなどはつぎのブログにて。

12月10日ブログ「中学校4校再編案」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ,小中学校再編検討

EMMAさん1990

12月14日と15日に放送された〈懐かしの「NHK紅白歌合戦〜第22回」〉はご覧になりましたか。1971年放送のリマスター版でした。面白かった。司会は水前寺清子さんと宮田輝アナウンサー。バックで踊る「スクールメイツ」も懐かしいけれど、「ステージ101」のメンバー2人が登場していたのもポイントが高かった。

1971年といえば、私は仙台での大学受験2浪時代です。年末は気仙沼に帰っていたでしょうから、この紅白歌合戦も見ていたと思います。どんな気持ちで見ていたのだろう。

気仙沼出身者が、NHK紅白歌合戦に、テロップで名前も出て出演したことがありました。2019年第70回の「DJ EMMA」。DJエンマさんです。MISIAさんのバックでDJプレイを。つぎのブログで紹介しています。

2020年1月8日ブログ「紅白のEMMAさん」


◎宇川直宏さんとEMMAさん

デザイン雑誌『アイデア』(誠文堂新光社刊)は、高校時代にもお世話になりました。今でも読むというか眺めますが、3千円以上するのでおいそれと買うわけにはいきません。もっぱら図書館利用。

先日借りたのは、雑誌「アイデア」の363号(2014年3月号)です。特集のひとつが〈大類信のデザイン——その傾向と対策〉。

大類信(おおるい・まこと)さんの名前を知らずとも、私たち世代のロック好きであればそのデザインを目にしている人も多いかもしれません。大類さんは、『ロッキング・オン』の6号(1973年8月号)から表紙デザインを担当しています。そのあたりのことについて、同誌の創刊編集長、渋谷陽一さんのインタビュー記事も掲載されていました。

本日紹介するのは、宇川直宏さんのインタビュー記事です。宇川さんは、ちょっと説明が難しいのですが、Wikipediaでは、現代美術家、映像作家、グラフィックデザイナー、VJ、文筆家としています。2010年には、ライブストリーム「DOMMUNE (ドミューン)」を開局し、現在も運営を続けています。すごい人。

その話のなかに、EMMAさんの名が登場していたのです。


アイデア

雑誌「アイデア」の363号より



関連部分を以下に引用します。

〈それ以前に、ハウスフリークだった僕は、THE deepが開店(1990年8月20日)して数ヶ月後にはオーディエンスとして既に現場にいたと思う。当時、THE deepは毎週金曜日にEMMAくんがハウスをPLAYしていて、あの真っ暗闇のフロアに身を沈めることが、アンダーグラウンドなハウス好きには至福の時でした。EMMAくんは数年後、高橋透さんから芝浦GOLDのレジデントDJの後継として、襷を渡されることになるのですが、当時、コニー・イーがオーガナイズしていたパーティーのレジデントだったEMMAくんのハウスを聞けるのはTHE deepしかなかったし、そう考えるとEMMA HOUSEを日本に定着させたのは、大類さんだったとも言えますね。ジム・トスがデザインしたGOLDのサウンドシステムに耳が慣れている身としては、THE deepはコンクリート打ちっぱなしで防音も吸音もしていないフロアだったので、高域は反響して耳が痛かったけど、きちんと重低域もでていて、それがウェアハウス・パーティー体験として今も鼓膜に残っています。そんな密室で当時、EMMAくんはよく飛行機のエンジン音をミックスしていて、それで苦情がきてたのを覚えてる。あの体験は、成田の滑走路で踊っている感覚でした(笑)。〉(引用は以上)

『デザイン』誌を読んでいたら、宇川直宏と共にDJ EMMAの名があって驚いたという話。だからどうしたと言われそうな感じもしますが、サブカルチャーとかDJシーンにおけるなかなか貴重な証言を掘り当てたという実感があります。クリスマスの日にそれを分かちあいたく。よろしく。

2020年1月9日ブログ 気仙沼人「EMMA」

 

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ジャンル : 地域情報

tag : DJEMMA

白石隆一「魚たち」

12月2日の三陸新報に掲載された車屋さんの広告に千厩町(せんまやちょう)出身の洋画家白石隆一の絵「魚たち」が紹介されていました。8号とありますから、F8号として横45cmぐらいです。


魚たち
三陸新報12月2日掲載広告より


魚の種類を記すのはやめておきましょう。間違えるとはずかしいので。いろんな魚たち。

こうして気仙沼には白石隆一の絵が結構あるのですね。白石隆一と気仙沼の関係については、本年4月2日のブログでも紹介しました。

4月2日ブログ「白石隆一と気仙沼」

このなかで、白石は〈気仙沼から魚を取り寄せていたそうだ〉という三陸新報の記事を紹介し、気仙沼が妹の嫁ぎ先であった話なども記しました。その後、妹の嫁ぎ先という話への疑問も当方に寄せられたのですが、なにが正しい話なのかはよくわかりませんでした。

妹の嫁ぎ先という話は地域新聞「盛岡タイムス」2007年3月1日の記事だったのですが、同紙は本年3月末で廃刊となり、記事サイトもなくなってしまいました。残念。そんなことで、白石隆一と気仙沼の関係についてなにかご存じの方がいらっしゃれば、本ブログのメールフォームなどを利用してお教えいただければ幸いです。

こうして車屋さんの広告を紹介するときに、いったいお値段はいくらぐらいなのだろうとも思うのです。買う気がないのに値をたずねるのは失礼なので聞いたことはないのですが。

また、どのような流れでこの「魚たち」が車屋さんにたどりついたのだろうか。そんなことも想像してみる年の瀬です。

2019年6月21日ブログ「千厩町の白石隆一」

 

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tag : 白石隆一

ふるさと納税好調

気仙沼市は本年度(2024年度)のふるさと納税寄付見込み額を110億円に上方修正するそうです。12月18日の三陸新報が伝えています。


三陸12:18
三陸新報12月18日記事の一部イメージ

記事によれば、本年度のふるさと納税で気仙沼市に寄せられた寄付額は昨年度を上回るペースとのこと。そして市議会12月定例会の当初提案では、50億円だった見込み額を80億円に引き上げる関連予算が提案されていましたが、さらに30億円上積みしての関連予算案を12月19日に追加提案するそうです。これについて19日に可決されたと20日の三陸新報が伝えていました。

18日の記事では昨年度の気仙沼市へのふるさと納税寄付金についても紹介されていました。昨年度(2023年度)はルール改正に伴い、9月に駆け込み需要が発生。年末需要と会わせて過去最高の94億円8900万円に達し、2年連続で東北1位、全国順位では前年度(2022年度)を大きく上回る12位にランクインしたのです。

◎河北新報記事

この110億円への上方修正については、12月9日の河北新報オンラインも記事を配信しています。


何度も書いていますが、寄付額がそのまま市の歳入となるわけではありません。河北新報の記事では、〈ふるさと納税に関する補正予算は、返礼品の送付など関連経費を差し引いた約5割が、子育て支援や教育環境の整備といった独自の事業に充当する「市ふるさと応援基金」として積み立てられる〉としています。

そして、〈人気の返礼品は銀ザケの切り身やカニ、フカヒレ、牛タンなど。食品加工の工場は対応に追われており、市によると、相次ぐ寄付の申し込みで在庫切れとなった品目もあるという〉とも。

いよいよ寄付金額100億円越えどころか110億円達成も見えてきたようです。なんかこわいぐらい。

昨年度(2023年度)のふるさと納税寄付金額が94億8600万円になったときの記事をつぎのブログで紹介しております。そのなかで、ふるさと納税寄付額の推移も紹介しているのですが、4年前2020年度は約4億6千万円でした。

4月11日ブログ「ふるさと納税95億円」

ここまでの寄付金額の成長は、市の関係部署の皆さんと返礼品提供企業とが連携してのさまざまな工夫と努力によるものでしょう。ありがとうございます。

それと今年度も気仙沼市へのふるさと納税を選択していただいた全国の多くの方々に御礼を。おかげさまで、気仙沼市の人口減少対策や教育環境の整備などへの投資をさらに充実したものにすることができます。ありがとうございました。

ちょっと気が早いというか調子がよすぎますが、来年度もどうぞよろしくお願いいたします。
 

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tag : ふるさと納税

気仙沼西高校校歌

12月6日のブログでは、鼎が浦高校の「旧校歌」とされている気仙沼実科高等女学校の校歌を紹介しております。その記事の末尾に、「2018年4月に気仙沼高校に統合した気仙沼西高校の校歌はあらためて紹介することにいたします」と記しました。大変遅くなりましたが、本日やっとの紹介です。

宮城県気仙沼西高校は、1985(昭和60)年4月に開校しました。私が33歳のときのこと。校歌は同年10月18日制定で10月31日には開校及び校舎落成記念式典が挙行されています。

そして、33年後の2018(平成30)年3月31日に閉校、気仙沼高校と統合しました。

気仙沼西高校の公式HPはまだ閲覧することができます。そこに「校歌」として次の画像が掲載されていました。この画像は縦方向が少し縮小されているようですね。




気仙沼西高等学校HPより


◎気仙沼西高等学校 校歌

作詞 橋浦 兵一
作曲 海鋒 義美
昭和60(1985)年10月制定

1.
しののめの空 海の碧
潮騒近き 松が丘
わが学び舎の 雄々しき教へ
志 熱きまなざし
青春の 思ひを 生きん

2.
西牧の山 緑濃く
さわらび つつじ 花の績
わが学び舎の 清しき教へ
友われら のぞみ揚げて
青春の 心を生きん

3.
故郷の森 光る風
いのちの道を たどり行く
わが学び舎の 変わらぬ教へ
豊かなる 知恵を求めて
青春の ねがひを生きん


「西牧の山」の「西牧」はどう読むのでしょうか。西高校があった赤岩牧沢(まきさわ)の牧だとは思うのですが。「花の績」の「績」は「紡績」の「績」(せき)ですが、「はなのせき」でよいのかどうか。西高HPの校歌のMIDIファイルがあったのですが、読み出すことができず。気高関東同窓会HPの西高校歌音声はメロディのみでした。残念。

◎作詞者・作曲者

作詞者の橋浦兵一さんは、ネット情報によれば宮城県石巻出身の日本近代文学研究者、詩人とのこと。詩人としての筆名は高木肇です。1943年東京帝国大学文学部卒、東北帝国大学・宮城学院女子大学助教授、宮城教育大学教授、1985年定年退官、名誉教授といった経歴です。西高校の校歌は宮城教育大学教授だったころの作品でしょう。

作曲者は海鋒義美さんです。その名に覚えがあるなと思い調べたら、このブログで鹿折小学校の作曲者としてつぎのように紹介していました。

河北新報オンライン2022年4月16日配信記事によれば、海鋒義美(かいほこ・よしみ)さん(1905〜97)は、天童市出身。東京音楽学校(現東京藝術大学)卒業後、熊本県教員を経て1933年、仙台市立学校の音楽指導員に就任しました。以来、仙台を拠点に教育、作曲活動を続けた。東北6県に広がる小中高校などの校歌の数は約400といわれています。(自ブログ引用は以上)

2023年10月6日ブログ「鹿折小学校の校歌」

来年の気仙沼高校関東同窓会では、この西高校の校歌も歌われることでしょう。
鼎が浦高校の旧校歌もそうですが、このブログを書いたことでどちらも親しく感じられます。同窓会の壇上で、OB・OGらが歌う両校歌を聞くのを楽しみにしております。

◎参考ブログ

鼎が浦高校の「旧校歌」、気仙沼実科高等女学校の校歌についてはこちらのブログで。

12月6日ブログ「旧校歌誕生の由来」


テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼西高等学校校歌

検討委員会だより4

12月17日の三陸新報に、「学校再編検討委員会だよりNo.4」が掲載されていました。12月3日に開催された気仙沼市小中学校再編検討委員会の第5回会合で、市教育委員会からたたき台として示された「中学校4校再編案」が紹介されています。


たより4
三陸新報12月17日掲載広告より


はじめに記しておくと、上掲広告の一部に誤りがあり、本日12月19日の三陸新報に訂正とお詫びの広告が掲載されていました。

訂正
三陸新報12月19日掲載広告より


「松岩中学校舎を利用」のなかの下記の記述訂正です。松岩中ではなく面瀬中ということ。
(誤)松岩中:〜松岩小2.0km
(正)面瀬中:〜松岩小2.0km

話を戻します。この再編案の広告は、関連する各地区小学校の関連なども含め、複雑な要素がわかりやすく示されています。これは第5回委員会の別紙資料2で示されている説明図です。

配慮が感じられたのは、4校への再編/統合という先入観を避けるために、4校各校の「校舎を利用」としているところ。「気仙沼中学校+新月中学校」でいえば、「気仙沼中学校校舎を利用」する再編案ということです。

◎市のホームページ「学校再編」

この「中学校4校再編案」の図は気仙沼市のホームページでも見ることができます。

三陸新報の広告の右上を見てください。「会議資料は、気仙沼市公式ホームページで御覧いただけます」として検索ワード「学校再編」とあるのですが、これで現れるページはこれです。

この中から、「気仙沼市小中学校再編検討委員会」あるいは「気仙沼市小中学校再編検討委員会会議報告」へ、そして「第5回気仙沼市小中学校再編検討委員会会議報告」。さらにその中の「別紙資料」へというステップです。

以前のブログでも書きましたが、「検討委員会だより」というページを設けて、三陸新報掲載広告を参照できるようにできないものかなあと。いろいろ難しいこともあるのですが、なんかとてももったいない感じがするのです。

そんなことを毎回感じながらの、「学校再編検討委員会だよりNo.4」の紹介でした。どうぞよろしく。


◎参考ブログ

検討委員会だよりNo.3はつぎのブログにて。

12月11日ブログ「検討委員会だより3」

中学校4校再編案についての12月4日付け三陸新報記事はつぎのブログで。

12月10日ブログ「中学校4校再編案」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小中学校再編検討

BTBの第2醸造所

気仙沼市内湾地区の「拓/ヒラケル」内にクラフトビールの醸造所とタップルームを設けているBLACK TIDE BREWING(ブラック・タイド・ブルーイング、BTB)が12月14日、市内で事業説明会を開き、同市浪板(なみいた)地区に第2工場を建設することを明らかにしたそうです。

まずは12月14日に、河北新報オンラインがつぎのように伝えています。


「工場」というのは「醸造所」のことでしょうね。記事によれば第2工場の予定地は、旧木戸浦造船跡地です。所有者から約2500㎡の敷地を借り受け、鉄骨2階の工場を建設するとのこと。総事業費は約9億円で、国の津波・原子力災害地域雇用創出企業立地補助金を活用するそうです。
来年2025年2月に着工し、2026年2月の操業開始を見込んでいます。新たに従業員3人を雇用し、稼働後10年で年間製造量は現行の約4倍に増える見通し。

増産による売り上げの拡大や経営基盤の強化につなげるほか、記事の見出しにもありましたが、工場を観光拠点として活用する方針も示されたとのこと。〈予定地からは内湾地区や市魚市場を一望できる。第2工場に本社機能を持たせ、見学ツアーなどを実施して観光スポット化を目指すほか、隣接地に宿泊、娯楽事業者を誘致することも構想しているという〉。

〈隣接地に宿泊、娯楽事業者を誘致〉といった構想も面白いですね。内湾を望む浪板という立地も魅力的です。

記事の末尾に、ブラック・タイド・ブルーイング合同会社の共同代表、千倫義(せん・ともよし)さんの話が紹介されていました。

〈BTBは市内外の投資家や企業でつくる合同会社。2020年4月に醸造を始めた。共同代表で、東北や首都圏で飲食店を展開する千倫義(せん・ともよし)さん(51)=東京都=は「BTBのファンをさらに増やし、気仙沼の新たな名所としてにぎわい創出に貢献したい」と話した。〉

12月14日には、内湾「拓/ヒラケル」でBTBのTap Room周年祭が開催されました。千代表も参加したでしょうから、この第2工場構想に関する取材もそのときのものでしょう。


◎三陸新報12月17日記事

昨日12月17日には、三陸新報も記事を掲載してくれました。



三陸新報12月17日記事の一部イメージ


記事内容は、河北新報と同様ですが、BLACK TIDE BREWINGの社長として丹治和也さんのお名前がありました。

この記事は、三陸新報オンラインでも配信されており、記事写真をカラーで大きく見ることができます。これを見ると、記事にあったBTB関係者の〈建設候補地は3年ほど前から内部で検討を進め「安波山、内湾エリア、魚市場が一望できる魅力的な場所〉というのがよくわかります。

三陸新報で、〈気仙沼初のクラフトビール 内湾地区にブリュワリー〉の見出しで記事が掲載されたのは2019年2月3日のことでした。つぎのブログで紹介しています。

2019年3月5日ブログ「気仙沼内湾醸造所」

2019年12月20日にBTBの醸造所とTapRoomがテナントとして入る商業施設「拓(ヒラケル)」がプレオープンしました。そして2020年4月にBTBの醸造も開始されたわけですが、この時期はいわゆる〈コロナ禍〉が社会的な問題となってきたときでもありました。

いろいろと大変だったと思います。しかし、それから5年ほどたった今、新たな醸造所の構想を発表できるまでになりました。すばらしい。

浪板での醸造開始記念クラフトビールは、縁起を担いで「TORAMAI」かな。

2026年2月の醸造開始が楽しみですね。第2工場の無事の着工と順調な工事進捗を願っております。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

ブリンばんばんとは

気仙沼条南商店街の年末年始スタンプラリーが12月13日から始まっています。来年の1月13日まで。

条南商店街の名誉会長である赤間文彌さんがコスプレで登場するポスターは毎年話題になりますが、今年も面白い。ドジャースの大谷選手です。菅原市長も12月2日のX投稿でつぎのように紹介していました。


90歳だという赤間さんのユーモアにあふれた元気な姿にはいつも感心しております。背番号も90です。

菅原市長がいう〈気合いが入っている商店街幹部〉の右端は、中華そば「まるき」店主の熊谷一政さん(52歳)です。ひげが多い。

12月13日の三陸新報1面には、スタンプラリーの広告が掲載されていました。


スタンプラリー
三陸新報12月13日掲載広告より


いつも笑ってしまうのは、賞品券が当たる各賞の名です。

・ご満悦で賞
・ブリンばんばん買えるで賞
・めんごくなるで賞
・うんめいもの食いで賞
・遊びさ行くすぺ賞
・ごっつを様で賞

「めんこぐなるで賞」は気仙沼弁のほっこりとした感じが出ていて大好きです。そして、うんめいもの食いで賞、遊びさ行くすぺ賞、ごっつぉ様で賞と続きます。

私がわからなかったのが、「ブリンばんばん買えるで賞」です。調べてみたら、TVアニメ「マッシュル」の主題歌なんですね。ヒップホップユニット「Creepy Nuts」による「Bling-Bang-Bang-Born」(ブリン・バン・バン・ボーン)。まったく知らなかった。放送局は東京はTOKYO-MX、気仙沼ではミヤギテレビです。

Wikipediaによれば、オープニングムービーに合わせた通称「BBBBダンス」がTikTokなどで流行しているとのこと。なんかわからないことだらけなのですが、〈ビリーバンバン菅原進も一部カバーしている〉という記述でちょっと救われた気持ちがいたしました。バンバンつながりか。

君はおぼえているかしら
あの白いブランコ
風に吹かれて ふたりでゆれた
あの白いブランコ

1969年の楽曲だそうです。なつかしい。ビリーバンバンさん、ありがとう!

2020年12月10日ブログ「赤間さんのポスター」
 

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幡野さんのトーク

先週の月曜日12月9日は、東京・青山ブックセンター本店へ。唐澤和也さんの著書『海と生きる』刊行記念としておこなわれた市橋織江さんと幡野広志さんのトークイベントでした。聞き手は唐澤さん。『海と生きる』の副題は〈 「気仙沼つばき会」と『気仙沼漁師カレンダー』の10年〉です。

市橋さんの話は2度目です。2年前2022年10月16日にも青山ブックセンターのトークイベントに参加しました。そこで2023年版気仙沼漁師カレンダーの写真を担当してくださった市橋さんの話をじっくり聞くことができました。あれからもう2年経ったかというのが実感。

◎幡野さんの会場写真

幡野さんの12月12日X投稿に当日の会場写真がありました。



3枚目の画像がトークイベント会場です。着席しているのが『海と生きる』の著者である唐澤和也さん。私もうつっています。左側前列に座っていました。写真では左から2人目。坊主頭というかはげています。

左から4人目の後姿は、気仙沼漁師カレンダーの2作目から10作目までのプロデューサーであるBambooCutの竹内順平さんです。お三方の話の途中で壇上に招かれて4人によるトークとなりました。

写真の左端は、BambooCutの切替瑶太さん。竹内の竹と切替の切で竹切、つまりバンブーカットです。切替さんには以前にお目にかかったことがあります。2022年10月に漁師カレンダー2023年版の写真を担当してくださった公文健太郎さんのトークイベントがあったのですが、その会場がBambooCutが経営する浅草のお店「梅と星」だったのです。 切替さんは気仙沼に何度も訪れているとのことでした。ありがとうございます。

話がはずむなかで、気仙沼の方はいらっしゃいますかとの問いがありました。手があがらないので、私が挙手して〈出身者ですが〉と。続いて気仙沼に行ったことのある方との問いには、多くの方が手をあげていました。ありがたいことです。

◎聞き取れたのは10%

会場からの質問タイムがあれば聞きたいと思っていたことがありました。〈気仙沼の人たちの言葉、気仙沼弁は聞き取れましたか〉と。しかし私から聞く必要はありませんでした。幡野さんが、話のやりとりのなかで、ほかのお二人にその問いを投げかけてくれたのです。

幡野さんは〈10%ぐらいしかわからなかった〉と。そして、〈気仙沼の言葉は、ズーズー弁というのとも違うし、なんていうか南米のようなっていうか〉と付け加えます。これに対し、市橋さんも〈そうそう〉と。唐澤さんは〈私は12%ぐらいかな〉と笑いながら。

〈南米〉、つまりラテンアメリカ。スペイン語とかポルトガル語的なということでしょうね。これはよく言われることですね。単なるナマリではない独自の語彙が気仙沼弁にはあります。

気仙沼への撮影での訪問は幡野さんが4回、市橋さんが2回だったとのこと。撮影対象である漁師さんや「つばき会」のメンバー同士が話す気仙沼弁がお二人にどのように聞こえていたのか興味深いものがあります。

◎幡野さんの秘話

当初、幡野さんと市橋さんは今回のトークイベントが初対面ということでした。しかしそうではなかったのです。幡野さんから、実は市橋さんとは以前に会っているんですとの話が。それを言うかどうかさっきまで迷っていたんですがというので、まさに〈秘話〉。それを聞かされた市橋さんも驚いていました。

その話の中身ですか。それはいえません。〈秘話〉ですから(笑)。

午後7時から100分にわたるトークイベント。私が強く感じたのは幡野さんの会話能力の高さです。唐澤さんが聞き手としてお二人の話を聞くというのが基本なのですが、幡野さんが質問に答えるだけでなく、市橋さんや唐澤さんへ新たな問いを投げかけるというやりとりが随所にありました。とても自然に。幡野さんの文章をいつも感心しながら読んでいる私ですが、トークイベントでの話の回し方にも驚かされたのです。

以上、幡野さんの話を中心に紹介しましたが、市橋さんと唐澤さんの話も興味深いものでした。市橋さんのトークイベントは2度目でしたが、今回は漁師カレンダーの撮影を担当したほかの写真家との視点の違いといった話がおもしろかった。それまでに撮影を担当した名だたる人たちとどのように違う写真を撮るのかについて意識的にならざるを得ないのでしょうね。これは幡野さんも同様のことを話していました。

唐澤さんは、静かな語り口というか抑制的な話し方が印象に残りました。聞き手という役割を意識してのことでしょう。唐澤さんだけのトークイベントであれば、気仙沼のこと、気仙沼つばき会のこと、2作目からの9人の写真家の皆さんのことなどいろいろと話を聞けたはず。と書いて、大きな勘違いに気づきました。そうした話は『海と生きる』にて、ということでしょう。

今回のトークイベントでのお三方はもちろんのことですが、イベントを企画、進行してくださった集英社のご担当者宮崎さんにも御礼も。楽しいトークイベント、ありがとうございました。

◎参考ブログ

『海と生きる』そして気仙沼漁師カレンダーの写真を担当してくださった10人の写真家についてはつぎのブログにて。

11月29日ブログ「10人の漁師写真家」

 

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tag : 気仙沼漁師カレンダー

宏幹先生の「遺贈」

今年2月26日にお亡くなりになった気仙沼出身の宗教人類学者、佐々木宏幹さんの関係者から、気仙沼図書館に遺産2千万円が寄付されたそうです。朝日新聞デジタルが12月7日に記事を配信してくれました。


記事の筆者は石橋英昭さんです。いつもありがとうございます。

記事によれば、佐々木さんから遺贈を受けた関係者が今年9月、「ふるさとのために役立ててほしい」と気仙沼市に寄付を申し出て、3館ある図書館で受け入れることになったそうです。関係者を介してのことではありますが、実質的には佐々木宏幹さんからの気仙沼市への遺贈といってよいでしょう。

気仙沼図書館では、来年度以降、宗教や歴史、文学を中心に5年間で図書約8500冊を購入するとのこと。検索用のパソコンなど備品整備にもあてるとしています。

「気仙沼市図書館」は、市内に3館あります。気仙沼図書館、気仙沼図書館唐桑分館、本吉図書館。佐々木宏幹さんの遺産がこうした形で故郷気仙沼のために活用されるのはとてもありがたいことです。

関係者が〈今年9月に寄付を申し出て〉と記事にありましたが、9月15日には気仙沼市三日町の少林寺に建立された佐々木さんの顕彰碑の除幕式がおこなわれています。関係者の気仙沼訪問時に今回の寄付に関するご意向が市に伝えられたのではないかと勝手に想像しています。

10月1日ブログ「佐々木先生顕彰碑」

◎宏幹先生と気仙沼

佐々木宏幹さんと気仙沼市図書館とは生前にもご縁がありました。佐々木さんの著書『仏教人類学の諸相』(2023年9月刊)100冊が気仙沼市に寄贈され、市内3館の図書館で希望者に無償で贈呈されたのです。

佐々木宏幹さんは、気仙沼市三日町の少林寺に生まれました。しかし2歳のときに父を、3歳のときに母を失ったため、母方の祖父が住職をつとめる市内河原崎(新城)の宝鏡寺で育ったのです。その後、旧制気仙沼中学に入学して新制気仙沼高校第1回生として卒業しています。

その後に駒澤大学教授をつとめるなど、シャーマニズム研究の第一人者と呼ばれるまでになった宏幹先生の生い立ちなどはつぎのブログにまとめております。

2023年11月17日ブログ「宏幹先生と気仙沼」

この図書館への遺産2千万円の寄付については、三陸新報も詳しく伝えてくれると思っておりました。それを待って本ブログで紹介しようと思っていたのですが未だに。そんなことでの本日のブログです。

佐々木先生そしてこのたびの寄付に関する関係者に心からの御礼を。佐々木宏幹先生の「遺産」は、気仙沼市民の学びのためにいろいろと工夫して活用されることと思います。本当にありがとうございました。合掌


◎参考ブログ

2024年3月4日ブログ 宏幹先生の「望郷」
 

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tag : 佐々木宏幹

新「皆鶴姫観音堂」

気仙沼市松崎前浜の母体田(もたいだ)地区の「皆鶴姫観音堂」の新築移転については11月28日のブログでも紹介しました。その落慶法要が12月1日におこなわれました。その新「皆鶴姫観音堂」完成を報じた新聞記事などを紹介します。

まずは河北新報オンライン12月3日配信記事から。


記事の後半部を引用します。

〈 (前略)観音堂は1977年に気仙沼湾を望む場所に建立され、同市母体田地区の住民が供養を続けてきた。建物の老朽化に加え、東日本大震災の影響で地盤も悪化したため、約300m南にある津波で流失した自治会館の跡地に移された。
 式典には約60人が参加。朝に古いお堂から運ばれた観音像に向かい、静かに手を合わせた。がけ地だった以前の場所とは違い、防潮堤のそばに整備された道路沿いに立地する。近くには伝説と地域の関わりを紹介した看板も新設された。
 観音堂は地元の「母体田皆鶴会」が約100万円かけて整備した。小松義人会長(71)は「移転新築は長年の念願だった。物語が末代まで伝承され、広く愛される場所になってほしい」と話した。〉(引用は以上)


◎三陸新報12月3日記事

三陸新報も12月3日に記事を掲載していました。

12:3三陸
三陸新報12月3日記事の一部イメージ


観音堂の説明は、11月24日の同紙記事にもありましたので省略しますが、母体田皆鶴会の小松義人会長のコメントが紹介されていました。

「震災によって母体田精義会は前浜自治会と合併したため、会館跡地は空き地のままだった。そこに観音堂ができたことで、再び人びとが集う場所になった。公園のように親しまれる場となり、子供たちに皆鶴姫伝説を語り継ぐきっかけが生まれれば」と。

東日本大震災や自治会合併といった背景があるのですね。新しい観音堂が人びとが集う場所になればという願いになるほどと思いました。

◎仙台放送12月1日配信映像

実は仙台放送が12月1日のテレビニュースで新しい皆鶴姫観音堂の完成を紹介してくれたのですが、すでに配信を終了していました。残念。ただし、その映像にうつっていた説明看板のスクリーンショットをとっていたので、日をあらためて紹介することにいたします。

最後になりましたが、母体田皆鶴会をはじめ、関係者の皆様にお祝いを。このたびの新「皆鶴姫観音堂」完成、おめでとうございます。

11月28日ブログ「皆鶴姫観音堂移転」
 

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tag : 皆鶴姫観音堂皆鶴姫伝説

検討委員会だより3

昨日のブログで、12月3日の検討委員会において気仙沼市立中学校を現在の9校から4校とする方向に沿って、たたき台としての具体的な校名等が市教委から示されたことを紹介しました。

本日紹介するのは、それに先だって11月27日の三陸新報に掲載された「学校再編検討委員会だよりNo.3」です。報告されている内容は、11月8日の第4回気仙沼市立小中学校再編検討委員会に報告された小・中学生や高校生/若者のワークショップや市民からの意見聴取会の概要です。


委員会だより3号

三陸新報11月27日掲載広告より


広告の右側に、〈協議の中で、「小学校はなるべく手をつけず、中学校は早期の再編」の考えを受けた委員長からの促しで、教育委員会から次の考えが示されました〉として、つぎの3項目が記されています。

▶早期の再編が必要
▶現在の校舎等の施設の状況を踏まえると、中学校は4校に再編するのがだろう
▶2カ年(令和9・10年)に分けて4校に

そして、〈次回の検討委員会では、教育委員会案(4ブロック・4校名)を具体的に示し、市民の皆様の意見を踏まえつつ、中間報告に向けて協議していきます〉と記しています。

この〈次回の委員会〉が昨日紹介した12月3日開催の検討委員会でした。

12月10日ブログ「中学校4校再編案」

順番でいうと、この広告を紹介したあとで、12月3日に提示された4ブロック・4校名のたたき台を紹介すればよかったのですが、ちょっとまどろっこしい感じもあり本日の紹介といたしました。

この3回のシリーズ広告を通じて感じるメッセージは、〈細かな内容は別として、教育委員会は検討委員会はいろいろと工夫して検討内容を伝えようとしているな〉ということです。これはとても大事なコミュニケーションです。

市のサイトには検討委員会の各回資料や議事録が掲載されていますので、関心のある方はそれを見ることができます。しかし、そうした努力をして情報に触れる方は多くはないでしょう。そして、経過をよく知ることなく、検討内容がわかりにくいとか
、もっと時間をかけて多くの人の意見を聞くべきという意見も出てくるのが現実です。それだけに、多くの市民の目に触れる形での広報努力が必要になってくるのでしょう。

ひとつ残念なのは、この三陸新報掲載の広告が、検討委員会サイトに転載されていないことです。見ようと思えばいつでも見られる状態にしておいたほうがよいのではないかなあ。予算を使っての地元新聞掲載広告ですので、より有効に使うことでできればと。あくまで細かな事情を知らない外部からの意見としてですが。

参考まで、これまでの検討委員会だよりの紹介記事を下記に。お手すきのときにでも。

8月22日ブログ「検討委員会だより1」
9月26日ブログ「検討委員会だより2」
 

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tag : 小中学校再編検討委員会

中学校4校再編案

12月4日の三陸新報をみて驚かれた方も多いのではないでしょうか。現在は9校ある気仙沼市立中学校を4校とする再編案として、具体的な校名が示されたのです。


4校再編
三陸新報12月4日記事の一部イメージ


この再編案は12月3日に開催された気仙沼市立小中学校再編検討委員会で示されたもの。前回11月8日の第4回目委員会で中学校は4校とするのが妥当との市教育委員会の考えが示され、次回(つまり今回12/3委員会)には、たたき台となる中学校の組み合わせと学校の位置を示すとされていました。

9校を4校にということだけでもありますが、こうして具体的な校名が明らかになってくると、かなりのインパクトがあると思います。

記事では、今回の提示内容についてつぎのように記しています。〈本図委員長は「これは確定した案ではない〉と強調した上で、より議論を深めるためのグループセッションを提案。3グループに分かれた委員が来月まで複数会の会議を開いて、中間報告に向けて市教委の提案や学校の魅力化に対する意見を出し合う〉。なお、本図愛美委員長は宮城教育大学教職大学院教授です。

◎12月8日「ニュースを追って」

12月8日の三陸新報1面「ニュースを追って」では、この中学校4校再編案のポイントを解説しています。筆者は守竜太記者。


ニュースを追って

三陸新報12月8日記事の一部イメージ


記事では再編案で考慮された4点を紹介しています。①学校間の距離②学校から最も遠い住居地までの距離比較③必要な教室数④災害の危険性の4点です。

そして具体的な提案背景などを解説してくれました。これを読むと、あちらを立てればこちらが立たずといった、なかなかに複雑な問題、課題であることがよくわかります。

松岩、面瀬、階上の再編についてを例にとると、記事では〈校舎がなぜ3校の中心部で、築年数34年と松岩より8年新しい面瀬ではないのか〉について記しています。校舎の規模の関係だとのこと。再編すれば最も学級数が多い12クラスとなり、教室は20室が必要。これに対し最も校舎が大きい松岩であれば最大17室を確保して、不足分はひとつの考えとして仮設校舎による対応が可能だといいます。面瀬だと、こうはいかないのでしょう。

いろいろと検討した上での今回の〈再編案たたき台〉ということでしょうね。

守竜太さんは、取材などを通してこれまでの再編検討の経緯をよくご存じです。その上でつぎのように記しています。

〈将来的な生徒数を考えれば、1〜2校への再編が理想だろう。市民からの意見聴取でも大胆な再編を望む声はあったら、既存校舎の規模で受け入れられる生徒数には限りがある。
 一方、教育環境の改善は急がなければならない。このため、既存校舎の活用を第一に模索しつつ、可能な限り学校規模を拡大できる4校での再編案が示されたようで、ある検討委員は市教委の案に対し、「検討の土台ができ、話し合いが進めやすくなった」と話した。〉

守さんは、少子化傾向などを踏まえてだと思いますが、〈将来的な生徒数を考えれば、1〜2校への再編が理想だろう〉と記します。しかし、ことはそう簡単ではありません。これからもさまざまな議論が展開されることでしょう。〈ニュースを追って〉の末尾部分を引用します。

〈教育環境が大きく変わることに対する保護者、住民の不安、反論にも丁寧に答えていく必要がある。検討委の本図委員長は「気仙沼が魅力的な文教都市になるかどうかの分水嶺。多少時間がかかってもみんなで議論を積み重ねていきたい」と話す。
 子供の成長には時間が限られている。その可能性を大人が奪ってしまわないためにも建設的な再編議論を望みたい。〉

守さんは記事を〈建設的な再編議論を望みたい〉と結んでいましたが、同感です。

小中学校再編については、既に一定の手順を踏んで決定していた、以前の再編計画が、実行段階になっていろいろと議論が蒸し返された経緯があります。条南中と気仙沼中の統合についても、統合反対の立場からの市民の投稿掲載もありましたし、論説記事をみていると、統合計画の実行に関する社論が一定していないなと感じるときもありました。

三陸新報さんはじめ、メディアが果たすべき役割も大きいものがあるのではないかと。守竜太さんには、今後の再編議論について、これからもいろいろと伝えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


11月12日ブログ「中学校4校に再編」

 

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tag : 小中学校再編検討

気仙沼の2024年

気仙沼市立公民館と気仙沼市教育委員会による「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」候補22項目が決まりました。12月5日の三陸新報が伝えてくれました。

五大ニュース候補

三陸新報12月5日記事より


2月4日に開催された五大ニュース候補の項目決定会議には、公民館長や地元報道機関の関係者ら16人が出席したそうです。

このニュース候補発表は例年より3週間ほど早いですね。なにか理由があるのでしょうか。2023年は12月27日、22年は12月23日でした。

私の予想を記しておきましょう。こんな感じです。

①生鮮カツオ28年連続日本一。水揚げ金額が震災後最高の100億円超え
②令和5年度のふるさと納税、2年連続東北1位
③小泉小が津谷小に、中井小が唐桑小に、条南中が気仙沼中に統合
④小野寺五典氏が自民党政調会長に就任
⑤三陸道の気仙沼湾横断橋が、土木学会デザイン賞で最優秀賞

生鮮カツオの連続日本一はなんか当たり前っぽい感じもあるのですが、今年は圧倒的な水揚げでした。カツオが好調だった2024年ということで第1位。なお、この水揚高は最終確定数字が出ていませんが、1位間違いなしという判断でしょう。

ニュース項目として22番目にあがっている「市教委が中学校9校から4校への再編案提示」は、相当なインパクトがあるニュースですが、学校統合は小泉小・中井小・条南中のニュース項目があるので除外。再編案決定が来年の五大ニュースのひとつになることは間違いないでしょう。

皆さんが選ぶ五大ニュースはどんな感じかな。

この22候補に対する市民の投票は1月10日から23日まで。投票箱は、市内の各公民館、中学校、高校、郵便局、イオン気仙沼店など51カ所に設置されます。気仙沼市のホームページでのネット投票も可能です。

2023年の五大ニュース候補はつぎのブログにて。

2023年12月29日ブログ「気仙沼の2023年」

そして五大ニュース決定項目はこちら。

2024年2月1日ブログ「五大ニュース2023」

 

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tag : 五大ニュース

旧校歌誕生の由来

9月12日のブログ「実家女学校の校歌」で、〈これが「実科女学校」の校歌なのかどうか確証はありませんが、ご参考まで〉として、鼎が浦高等学校の「旧校歌」歌詞の一節を紹介しました。

これを見た気仙沼高校仙台同窓会の副会長である宮城宣明さん(気中26回・気高28回)が、2日後の同会公式Facebookに「鼎が浦高校八十年史」の関連頁画像をアップしてくれました。


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『宮城県鼎が浦高等学校八十年史』p340より



『宮城県鼎が浦高等学校八十年史』p341より



本日はこの「八十年史」画像に記されている、気仙沼実科高等女学校の校歌誕生に関する記述を紹介します。

同書p340では「旧校歌」誕生の由来について、〈同窓会報第15号(平成2年)に寄せられた次の文でみることにする〉として、次頁p341に気仙沼実科高等女学校14回生である横山志ずゑ(しずえ)さんの寄稿文を掲載しています。貴重な情報であると思いますので以下に引用します。


「旧校歌に寄せて」

横山志ずゑ(実科女学校14回生)

 昭和12年早春卒業の近づいたある日、卒業記念品を何にしようかというクラスの相談会がもたれた。2クラス80名の中からは、それぞれの意見がだされたが、学年中一番進歩的な考えをもたれるTさんの「この学校には校歌がない。形ある物は何時かは失われてしまう。私達は後輩のために校歌を遺そうではないか」という提案に全員一致で即座に決定された。当時教鞭をとっておられた鹿児島出身の、中尾良忠先生の知人であった当時の詩人大木惇夫氏の作詞により、はじめて気仙沼高等女学校の校歌が出来たのである。唯卒業式でこの校歌を歌ったかどうかは、定かではない。本科の卒業アルバムに載っていなかったことは残念だが、補修科に残った1年間、行事ある毎に、在校生一同合唱することが出来たのは大変嬉しいことだった。
 昭和13年の卒業アルバムの第一頁に、校旗と共に流麗な歌詞が掲げられてあるのを見ると、あの頃の一人一人の顔が浮かんできて懐かしい。

安波の山の気を汲みて
みどりも清しわが操……

 世代が移り、世相が変わりつつあっても、根本的な神髄は変わってはいないであろう。

 また乗松昭博氏作曲のこの校歌は、昭和13年3月6日皇后陛下ご誕辰記念として、全校生徒に披露され、以後昭和25年の新校歌制定まで歌い続けられた。

(引用は以上)

そしてp342には、校歌の楽譜と歌詞が掲載されています。歌詞を引用します。


宮城県気仙沼実科高等女学校校歌(旧校歌)

作詞 大木惇夫
作曲 乗松昭博

一、
安波の山の気をくみて
緑もすがしわが操
澄みて流るる大川に
日ごと心をすすぐなり
  美はしや 尊しや
  ああ気仙沼 わが学び舎

二、
鼎が浦に寄る波の
やさしき調べわが心
光あまねき丘ゆけば
洋のはるかに希望あり
  美はしや 尊しや
  ああ気仙沼 学び舎

三、
教への道にいそしまむ
絶えせぬ出船入船も
夜は岬の燈台に
水脈のしるしをあやまたじ
  美はしや 尊しや
  ああ気仙沼 学び舎

歌詞引用は以上です。


旧鼎が浦高校と旧気仙沼高校が統合しての新気仙沼高校の公式HPに旧鼎が浦高校沿革が掲載されています。これに、昭和25(1950)年2月7日「校歌制定」とあります。翌年の昭和26(1951)年3月1日に、〈校名変更「宮城県鼎が浦高等学校」と称す〉とありました。

昭和25年に新校歌が制定されたということは、「旧校歌」が歌われた期間は12年間ということになりますね。

この沿革で校名の変遷をたどると、気仙沼実科高等女学校→気仙沼高等女学校→鼎が浦高等学校→気仙沼高校 ということになります。気仙沼高校への変更は、旧気仙沼高校(男子校)との統合でした。

気高仙台同窓会の宮城副会長に御礼を。おかげさまで、「旧校歌」だけでなく、旧鼎が浦高校の沿革をたどることもできました。2018年4月に気仙沼高校に統合した気仙沼西高校の校歌はあらためて紹介することにいたします。

ありがとうございました。

◎参考ブログ:

旧気仙沼高校と旧鼎が浦高校、そして新(現)気仙沼高校の校歌はつぎのブログにて。

2015年7月10日ブログ「気仙沼高校 校歌」

 

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横断橋が最優秀賞

三陸道「気仙沼湾横断橋」が、土木学会デザイン賞2024の最優秀賞に選ばれました。気仙沼市の菅原市長は11月30日につぎのようにX投稿しています。


市長投稿の〈今朝の地元紙にあるように〉というのは三陸新報の次の記事です。1面トップに太ゴシックでの見出し。受賞のよろこびが伝わってきます。

土木学会賞


三陸新報11月30日記事の一部イメージ


土木学会デザイン賞は、公益社団法人土木学会景観・デザイン委員会によるもの。同学会のサイトによれば、公募対象を広く土木構造物や公共的な空間に求め、計画や設計技術、制度の活用、組織活動の創意工夫によって周辺環境や地域と一体となった景観の創造や保全を実現した作品およびそれらの実現に貢献した関係者や関係組織の顕彰を行っているとのことです。

◎選考結果について「講評」

土木学会デザイン賞サイトには今回のデザイン賞2024に関する「選考結果について」というページがありました。これを見てみると気仙沼湾横断橋の概要と関係者・組織が詳しく紹介されています。そして、最後に選考委員の中から2氏の「講評」が記されていました。これがなかなかに読ませる内容なのです。久保田氏と泉氏の講評から一部を抜粋して紹介します。

・久保田善明氏(富山大学 都市デザイン学部 教授)

2011年、東日本大震災が発生して半年ほど経った後に、気仙沼市を訪れた。建物は崩れ、道路は割れて、港は傾いていた。日に焼けた老人が一人ベンチに腰掛けて、無表情にただぼーっと海の方を見つめていた。あの街が今、美しい街へと復興し、あのときの老人が見ていた海には、一筋の白いラインが湾を横断して架かっている。復興までのさまざまな苦難も、この橋の純度の高い造形の中に幾分か吸い込まれ、美しいものへと昇華されていく。そのようなある種の象徴性、まさに「復興のシンボル」としての役割がこの橋には感じられる。(後略)

・泉英明氏(有限会社ハートビートプラン 代表取締役)

(前略)海と山が近接するリアス地形ゆえの眺望名所である、安波山、復興祈念公園、神明崎、亀山などからの眺めは美しく、特に安波山からの気仙沼湾横断橋と大島大橋の2橋が重なる景観は、気仙沼を代表する景色として多く紹介されるフォトスポットである。また、魚市場に水揚げする全国の漁船にとっては気仙沼のGATE的存在で、遊覧船に乗ると橋のストーリーや橋桁下面の安全航海・帰港歓迎の国際信号機の案内があり、観光客は橋の上から下から両方を楽しむこととなる。(中略)復興のシンボルとして、今後のまちの展開にも、多くの人に光を照らし元気を与えてくれるに違いない。

(引用は以上です)

上記講評のうち、「ハートビートプラン」と泉さんの名に聞き覚えがあると思ったら、気仙沼まちなかエリアプラットフォーム/気仙沼まちなかエリアデザイン会議の委員で、企画立案やサポートなどプロジェクトマネジメントなどで気仙沼が大変お世話になっている方でした。いろいろとありがとうございます。

◎2022年度には土木学会「田中賞」受賞

記事にもありましたが、気仙沼湾横断橋は、2022年に、土木学会の2022年度「田中賞」を受賞しています。これは、橋梁・鋼構造工学での優れた業績に対してのもの。つぎのブログで紹介しました。

2023年6月19日ブログ 土木学会「田中賞」

◎「気仙沼湾ウォーターフロント」は2022年に優秀賞

今回の受賞は「土木学会デザイン賞」の最優秀賞ですが、気仙沼には優秀賞の受賞実績があります。気仙沼市南町海岸の防潮堤、公園、ムカエル、ウマレルなどの「気仙沼湾ウォーターフロント」が土木学会デザイン賞2022を受賞しました。つぎのブログで。

2023年2月1日ブログ「内湾デザイン 受賞」


「気仙沼湾横断橋」は土木学会による顕彰において、構造工学とデザインの両面で賞を受けたことになりますね。すばらしい。

関係者の皆様にお祝いを申し上げます。このたびの土木学会デザイン賞2024最優秀賞受賞、おめでとうございました。
 

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tag : 気仙沼湾横断橋土木学会デザイン賞

島田源太郎氏訃報

今朝の河北新報オンライン記事をみて驚きました。気仙沼出身の元プロ野球選手、島田源太郎さんが病気のため6月16日に死去していたことが分かったというのです。


河北新報による親族への取材でわかったとのことで、見出しに【独自】とありました。島田投手の偉業を詳しく紹介しているこの記事は有料ですが、登録すれば1日1本の記事を無料で読むことができます。

記事の冒頭のみ引用します。

〈プロ野球大洋(現DeNA)の元投手で、1960年に史上最年少で完全試合を達成した島田源太郎(しまだ・げんたろう)さんが病気のため6月16日に死去していたことが3日、親族への取材で分かった。84歳。宮城県気仙沼市出身。
 島田さんは宮城・気仙沼高から1958年に大洋に入団。1960年8月11日の阪神戦で完全試合を達成した。20歳11カ月での完全試合は2022年にロッテの佐々木朗希投手(岩手・大船渡高出)が20歳5カ月で更新するまでの62年間、最年少記録だった。1960年は大洋のセリーグ初制覇、日本一達成のけん引役にもなった。〉(引用は以上)

島田源太郎さんについては4年前のブログでその偉業を紹介しておりますので、再掲します。2002年7月の気仙沼高校関東同窓会で島田さんと一緒に撮った写真も紹介しております。

なお、この記事には〈現在のところ、日本プロ野球での完全試合は15度/15人にすぎません。1994年の巨人/槙原投手が最後です〉と記しておりますが、冒頭で紹介したように、その後2022年に佐々木朗希投手が28年ぶり史上16人目の完全試合を達成しています。


2020年8月21日ブログ再掲

島田源太郎の偉業

(2020年)8月10日のブログ「まるは 第12東丸」で、気仙沼に大洋漁業の工場があったことを紹介しました。気仙沼への大洋漁業進出が決まったのは昭和28年11月のこと。1953年。

このブログを読んで、島田源太郎さんのことが抜けているなと思った方もいたのではないでしょうか。大洋漁業のプロ野球チーム「大洋ホエールズ」(現 横浜DeNAベイスターズ)の島田投手です。

島田源太郎さんは、1958年に大洋球団に入団し、1959年に初先発を果たしました。当時の気仙沼は大洋漁業の工場があった時代ですから、大きな期待がわきあがったことでしょう。

Wikipediaから島田源太郎さんの経歴を引用します。

〈 気仙沼高校では3年次の1957年、夏の甲子園県予選準決勝に進むが仙台二高に敗退。卒業後は盛岡鉄道管理局への入社が決まっていたが、プロ入りへの夢が捨てきれず、1958年に大洋ホエールズへテスト入団。

1年目の同年から一軍に上がり、2年目の1959年4月には初先発を果たす。3年目の1960年は開幕から先発の柱として起用され、8月11日の対大阪戦(川崎)で史上最年少となる20歳11ヶ月での完全試合を達成する。

同年はチーム最多の41試合に先発、秋山登の21勝に次ぐ19勝を挙げ、球団の初優勝に貢献。大毎との日本シリーズでも2試合に先発、第2戦では勝利投手となりチーム日本一に大きく寄与した。(中略)

1970年のシーズン終了後に引退。引退の翌年の1971年に大洋の投手コーチ補佐を務めていたが、1972年に突如現役に復帰。8月16日の中日戦(川崎)での完投勝ちを含む3勝を記録したが、1973年に再び引退。

引退後は東北放送・仙台放送解説者(1974年-1981年)を経て、1982年から1983年までロッテオリオンズ二軍投手コーチを務めた。〉(引用は以上)


◎史上6人目の完全試合達成

私たちのような気仙沼関係者をのぞき、島田源太郎投手が多くのプロ野球ファンの記憶に残っているのは、やはり1960年8月11日の完全試合達成によるものでしょう。上記にもあったように、日本プロ野球史上6人目。20歳11か月での達成はいまだに史上最年少記録です。

この完全試合達成を伝える日刊スポーツ1面を紹介したツイートがありましたので引用させてもらいます。



現在のところ、日本プロ野球での完全試合は15度/15人にすぎません。1994年の巨人/槙原投手が最後です。

先日、8月15日にはヤクルト小川康弘投手が、ノーヒットノーランを達成しましたが、これは史上82人目/93度目。これに比して、いかに完全試合達成が難しいことなのかがわかります。

島田源太郎さんは気高10回生で私たちの12年先輩です。ずいぶん前のことですが、気仙沼高校関東同窓会でお会いしたことがありました。同級生らと一緒に写真を撮らせてもらったことを覚えているのですが、あれはいつのことだったか。菊田裕美君(気中3年1組)にたずねて判明しました。平成14/2002年7月20日とのこと。18年前のことでした。

裕美君がそのときの写真を送ってくれました。複写の関係でちょっとわかりにくいのですが、真ん中が島田源太郎さん。左端がわたくしです。




そしてその同窓会から10年後、島田さんが詐欺容疑で逮捕されたとの報道がありました。2012年4 月のことになります。ある配信記事では、島田源太郎さんについてつぎのように紹介していました。

〈1958年に大洋に入団。60年8月に完全試合を達成し、初優勝の原動力となった。70勝77敗の成績を残して73年に現役引退した〉

この事件は、とても残念なことではありましたが、それはそれこれはこれ。島田源太郎投手の〈パーフェクトゲーム〉が今後も語り継がれる偉業であることに変わりはないでしょう。

8月10日ブログ「まるは 第12東丸」
 

再掲内容は以上です。


河北新報の記事には源太郎さんの弟邦夫さん(80)(千葉県浦安市在住)の「早過ぎる偉業だった」と思う時があるとの言葉を紹介して記事を結んでいます。

「周囲の期待に応えようとする兄は、もっといい投手になろうとして空回りした。もう少し年を重ねてからの完全試合達成なら、兄の野球人生はどうなっていただろうか」と思いをはせた。

この記事の筆者は河北新報金野正之さんです。ありがとうございました。

島田源太郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 島田源太郎

直文「みささぎの」

11月15日の三陸新報掲載の古美術骨董店「車屋」さんの広告で、落合直文の書が紹介されていました。


車屋

三陸新報11月15日掲載広告より

広告では冒頭の5文字が記されています。「みささぎの」。「みささぎ」とは天皇・皇后などの墓とのこと。いずれかの天皇陵を訪れたときの歌でしょうか。

これはどのような短歌なのだろうかと、手元の伊藤文隆編著『定本落合直文綜合歌集』(以下、綜合歌集)で調べてみました。まずは、歌の内容を。

みささぎの松のしづくにたちぬれしこの旅衣たたみてゆかむ

「明星」7号に掲載された「白雁」と題する14首中の1首です。「明星」7号発行は、明治33(1900)年10月なので直文は満38歳。亡くなる3年前の歌です。

どのようなことを詠じたのか。正直なところよくわかりません。ということで、参考情報として「白雁」14首から上掲歌のほかに4首を紹介しておきましょう。


海遠く月いでそめて砂の上に君とわれとの影はうつりぬ

よき歌のいよいよおほくなるままにいよいよ君の痩せてゆくかな

今朝のみはいづかにねぶれ君のため米もとぐべし水もくむべし

身ひとつは山にいりてもありぬべし君をいかにせむ親をいかにせむ


◎当時の直文

『綜合歌集』の年譜をみると明治31年に〈糖尿病にかかる〉との記載がありました。明治32年1月には小田原海岸で療養。同33年1月には千葉県北条町(現館山市)の海岸で療養とも。

「君」とは誰なのか。推測になりますが、明治30年5月9日に生まれた双子中のひとりである五男・直弟(なおと)かもしれません。明治32年8月に夭逝との記載があったからです。満2歳3か月。直弟の母は直文の妻、操子でしょう。

以前のブログで、上掲の年譜を紹介したことがありますが、操子について31歳のときの記述を要約するとつぎのようなことです。

明治24年(1891)31歳(満30歳):4月、2年前から不治の病の竹路と離婚。6月に浅草薬研堀の神主 菊川流雪の次女操子と結婚。当時、操子は15歳と年譜にありますが、数え年で記されているので満14歳だったかもしれません。これをはじめて知ったときにその年齢におどろきました。

落合直文「みささぎ」の歌についての「周辺」情報は以上です。

◎鮎貝松園の書

「車屋」広告の左に掲載されているのは、鮎貝松園の書。「松園」と号した初代気仙沼町長の鮎貝盛徳です。

本年4月にも車屋さんの広告で鮎貝盛徳の六曲一隻(ろっきょくいっせき)屏風がありました。つぎのブログで紹介しております。

4月5日ブログ「鮎貝盛徳六曲一隻」

「松園」鮎貝盛徳は落合直文の兄。直文は、国学者・落合直亮の養子となり落合姓となっています。その下の弟が古代朝鮮の歴史や民俗の研究でも知られた「槐園/かいえん」鮎貝房之進です。

◎実母〈とし〉の逝去

明治36年(1903)3月15日には、直文は実母である〈とし〉を失いました。『綜合歌集』年譜に「高田病院入院中、危篤の報により、松岩片浜の実家に帰省するも既に亡し」とありました。「松岩片浜の実家」というのは煙雲館ですね。つぎの歌を成したとのことです。

人の子よ母をもつ子よあらば旅にないでそわれにくひあり

〈われにくひあり〉は、〈我に悔いあり〉でしょうか。その9か月後12月16日、直文は逝去するのです。42年の生涯でした。

◎参考ブログ

落合直文の年譜などはつぎのブログにて。

2023年5月5日ブログ「Inspire! 落合直文」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 落合直文

日日是好日 第2集

三陸新報で連載中の「気仙沼弁 日日是好日(ひびこれこうじつ)」からの50話が、同タイトルでの書籍として発刊されたのは本年7月3日のことでした。

それからなんとわずか4か月半の11月26日、続編となる『気仙沼弁 日日是好日 第2集』が発刊されました。11月29日には三陸新報さんがつぎのように紹介してくれました。見出しに〈大好評〉とあるのがとてもうれしい。


三陸新報
三陸新報11月29日記事の一部イメージ



第2集も前作同様に50話を収録して標準語訳も添えられています。今回は、1月から12月までの季節と暮らしの変化を気仙沼弁で楽しむことができます。記事の見出しに〈元日からの一年一冊に〉とあるのはそういうこと。つまり気仙沼弁での春夏秋冬です。

『気仙沼弁 日日是好日』の著者は鼎女さん。本書は鼎女さんの自費出版です。そしてイラストはコミマルで私の妻。表紙デザインもコミマルが担当しましたので紹介しておきましょう。

第2集表紙イメージ


書名:「気仙沼弁 日日是好日 第2集」(ひびこれこうじつ)
2024年11月26日発行
著者: 鼎女(ていじょ)
文: 鼎女(加藤美貴子)
絵: コミマル(小田まゆみ)
A4判 本文112頁フルカラー
1冊1540円(税込み)

前作は幸いなことに大好評で、増刷分もすぐに売り切れに。そんなこともあり、今回の第2集発刊に際して、前作の書名を「気仙沼弁 日日是好日 第1集」として増刷、販売中です。この機会にこちらもお求めいただければと。この「第1集」の表紙も紹介します。


第1集第2版表紙イメージ


第1集、第2集ともに、気仙沼市内の3店で販売中とのことです。

宮脇書店 気仙沼
気仙沼市仲町二丁目1番30-1
電話 0226-21-4800

未来屋書店気仙沼(イオン気仙沼店2F)
気仙沼市字赤岩舘下6-1外
電話 0226-21-1171

昭文堂書店
気仙沼市本吉町津谷松岡19
電話 0226-42-3027

どうぞよろしく。

7月12日ブログ 「日日是好日」発刊

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼弁日日是好日

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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