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牡蠣の森と生きる

9月25日のブログ「西舞根川護岸撤去」で、畠山重篤さんのことにも少し触れました。ブログを書いていて、紹介しようと思いながらもそのままにしていた重篤さんの新著のことを思い出しました。「牡蠣の森と生きる」です。6月16日の三陸新報も新刊紹介ということでとりあげていました。


6:16重篤さん
三陸新報6月16日記事より


この本は、読売新聞のシリーズ「時代の証言者」記事をまとめたものです。昨年12月17日から1か月、約30回の連載ははじめて知ることも多くとても興味深いものでした。このブログでは2度紹介しました。

2018年12月17日ブログ「重篤さんの新連載」
2019年1月11日ブログ「三陸ホタテ黎明期」


第1回目の記事はこんな感じ。再度のご紹介です。

1回目3
読売新聞2018年12月17日掲載記事


新聞連載の第1回目では、〈聞き手〉の編集委員 鵜飼哲夫さんがつぎのように書いていました。

〈漁師が山に木を植え、海を豊かにする活動「森は海の恋人」を始めて30年になる。海と川、そして山をひとつながりの自然として大切にする実践は高く評価され、2012年に国連の「フォレストヒーローズ(森の英雄たち)」に選ばれた。東日本大震災での苦難をも乗り越えた挑戦の人生を振り返ってもらった〉

これだけ充実した内容であればいずれ書籍として出版されるだろうと思っておりましたが、読売新聞グループの中央公論新社が書籍化してくれました。

新著についてAmazonの紹介文を引用しておきましょう。

◎内容紹介
宮城県気仙沼の牡蠣養殖家はなぜ森に気を植える活動を始めたのか。生きものを友だちだった孤独な少年時代から、養殖家として成功し、東日本大震災で甚大な被害を受けながらも、それを乗り超えるまでを一気に語り下ろす「牡蠣じいさん」初の聞き書き自伝。中学校の国語教科書に採用されたエッセイ「森は海の恋人」など付録も充実。『読売新聞』に「時代の証言者」として連載中から、「子に、孫に読ませたい」と問い合わせ殺到。

◎内容(「BOOK」データベースより)
牡蛎じいさん、初めての半生記。ウサギや野鳥が友だちだった幼少期、父の仕事を継いで養殖に励んだ若き日々、森に目を向けるきっかけとなったフランスへの旅、すべてを津波が押し流した東日本大震災、そして、今。大反響を呼んだ読売新聞「時代の証言者」待望の書籍化。文章家として世に出るきっかけとなった懸賞作文、教科書に掲載された「森は海の恋人」など、この30年の名エッセイも収録。(引用は以上)

なるほど、読売新聞の連載記事に加えて、ほかのエッセイなども収録されているのですね。新聞の連載を読んでいたし、切り抜きもあるので買わずにおくかと思っておりましたが、購入を検討しなければなりませんね。なお、気仙沼図書館、本吉図書館のいずれもが本書を館蔵しているようです。

「牡蠣の森と生きる」は、気仙沼のより多くの人に読んでいただきたい書籍です。気仙沼市内各書店などにて。どうぞよろしく。



 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山重篤牡蠣の森と生きる

舞根地区高台移転

今度の日曜日9月29日のNHKテレビ「明日へ つなげよう」で気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区の高台移転がとりあげられます。


舞根

NHK番組サイトより


◎明日へ つなげよう/証言記録▽気仙沼市
「ふるさとの絆を守れ~住民主導の高台移転」
NHK総合テレビ
9月29日(日)午前10:05〜10:52

番組サイト

番組案内を引用します。

〈津波で家屋の大半が被災した舞根地区。住民たちは故郷の絆を守りたいと、安全な高台へともに移転する方針を決定。行政の支援を受けられる、防災集団移転制度の適用を気仙沼市に求めた。しかし、市は財政破綻の恐れなどから動き出せず、時間が経つにつれ離脱する世帯も現れた。住民たちは市の先手を打ち、移転先の用地確保や宅地造成費削減などの具体策を提案。事業費を大幅に抑えて高台移転に成功した。住民主導の取り組みを追う〉(引用は以上)

9月25日のブログで舞根地区の干潟保全や畠山重篤さんの話を書いたばかりでした。舞根の話がつづきますね。

2016年4月15日のブログ「舞根の生命の再生」で、同年3月8日の読売新聞に掲載された畠山重篤さんや舞根地区の記事を紹介したことがあります。そのなかで、重篤さんが舞根地区の被害をつぎのように語っています。

「 あの日の夕方、裏山から見た光景は地獄絵図そのものであった。大津波の峠は越したものの、ゴーゴーと音をたてて潮が急流のように行ったりきたりしていた。余震も続いていた。

 海抜25mの高台に建つ我が家は辛うじて助かったようだが、風景の一部である海辺の家が全部姿を消していた。殆(ほとん)どの家が畠山という同一姓の地区なので各戸に屋号がついていた。

 二百年は続いていただろう旧家の寺釜(気仙大工が建てた赤瓦の大きい家)、釜の前(昔は塩を炊いていたので屋号になった。最近増築したばかりだ)。釜の前の上、中新、釜の前の下。横峰、前港、後港、貝浜別家、大岩、角、中、中新屋、中新屋別家、荒浜、上新屋、丸光、横峰隣。夕暮れの中でこれだけ数えられた。」(引用は以上)

9月29日の「明日へ つなげよう」の映像にうつるであろう人たちも、その多くが上にかかげた屋号をもつ方々なのでしょう。

私は2016年4月のブログのなかでつぎのように記しました。

〈この屋号の話を私は面白く読みましたが、その後には、集落52世帯のうち44世帯が流されて4人が亡くなったという話が続きます。そして老人ホームでお世話になっていた(重篤さんの)お母様の小雪さんも亡くなったと。火葬まで2週間を要したそうです〉

9月29日午前10:05より。お見逃しのなきように。

2016年4月15日ブログ「舞根の生命の再生」

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tag : 舞根集団移転

鶴亀食堂の「人情」

きのう9月25日の三陸新報「論説」が、気仙沼市魚市場前みしおね横丁の「鶴亀食堂」のことを取り上げていました。タイトルは〈人情のある接客を大事に〉ということで、とても好意的な内容でした。

鶴亀食堂

三陸新報9月25日記事の一部イメージ


論説記事を少し引用させてもらいます。

〈 営業は午前6時から。この時間に朝食を食べられる飲食店は市内では珍しい。しかも、気仙沼自慢の旬の魚が使われているとなれば、魚市場見学に来た観光客にも利用を勧めたい。

この店には、カツオ船の乗組員が品質の良いカツオを片手にやって来る。今の時期はちょうど脂が乗っていて、メニューの主役として提供されることもある。〉(引用は以上)

気仙沼を〈日本一、漁師を大切にするまちにしたい〉と、「鶴亀食堂」や「鶴亀の湯」を企画し運営するのは一般社団法人「歓迎プロデュース」さん(小野寺紀子代表理事)です。三陸新報の論説筆者は、その開業の意義を理解する一方、資金調達などの苦労も知っているだけに、盛況ぶりをうれしく思っているのでしょう。〈論説〉というよりも〈応援〉のメッセージを感じます。

みしおね横丁がオープンしたのは、7月26日。今日でちょうど2か月です。


7月30日ブログ「みしおね横丁開業」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鶴亀食堂みしおね横丁

西舞根川護岸撤去

気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区で、震災の災害復旧工事の一環として河川護岸を撤去しただけで造り直さないという珍しい工事が9月21日におこなわれたそうです。9月22日の三陸新報が伝えています。

舞根川

三陸新報9月22日記事の一部イメージ


記事によれば、撤去されたのは西舞根川の左岸のコンクリート製護岸です。150mほど離れたところに東舞根川が流れていますが、その水は間にある干潟(ひがた)を通って西舞根川に合流しています。工事は、東舞根川の水を西舞根川に流すためにおこなわれました。10mほどの護岸が撤去されたことによって、干潟の水の出入りが増えて生態系がより豊かになることが期待されています。

この場所にある干潟は、環境省が生物多様性の観点から重要な湿地を保全することを目的に2001年に発表した「日本の重要湿地500」にも選出されるなど、学術的にも貴重なものだそうです。この護岸撤去を要望したのはNPO法人「森は海の恋人」の理事長でもある畠山重篤さんです。重篤さんが干潟の大部分を所有し、干潟周辺の地権者も同意したことから、工事の事業主体である気仙沼市も要望を受け入れたとのこと。

記事では、「舞根森里海研究所」を拠点に海の水質などを調査している首都大学東京/都市環境学部の横山勝英教授のコメントを紹介しています。横山教授は「通常の災害復旧工事とは正反対の作業で、おそらく日本初の事例。構造物ではなく、自然環境を回復させる取り組みとして、とても意義深い」と評価しています。

今回の工事は、地権者の要望によって護岸を撤去したという事例です。これとは逆に、そこに暮らす人もいなくなったような土地であっても、それを守るための防潮堤が建設された例も多いように思います。こうしたことに対しては賛否両論あり、私も軽々に語るつもりはありませんが、報道をみるたびに地権者の財産権というのは本当に大きなものだなと感じたものです。

記事には畠山重篤さんの話も紹介されていました。「汽水域動植物の宝庫。これまでは干潟と川の水交換はごくわずかだったが、それでも多くの植物や生物がみられた。護岸撤去によって、さらに環境が豊かになり“自然の博物館”のようになるだろう」と。

最後に。記事には、東舞根川の水は間にある干潟を通って西舞根川に合流しているとあるのですが、これがよくわかりませんでした。逆の流れであれば、護岸撤去によって干潟を通り東舞根川へ流れこむ水量が増えるというのがすなおに理解できるのですが。河川の左岸や右岸ってどっちがどっちということも含めて、私の頭はこんがらがってしまいました。紙に書いてみたりもしたのですが、どうにもわからない。ま、年のせいということにしておきましょう。私には難しすぎる(笑)。

なお、NPO法人「森は海の恋人」事務局日誌「周回軌道」の関連記事を以下に。工事の写真も掲載されています。

「周回軌道」9月23日記事
 

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tag : 舞根森は海の恋人

かねせん店舗移転

本日9月24日の三陸新報にうれしい広告が掲載されていました。かまぼこの「かねせん」さんが10月7日に魚町にもどって新店舗をオーブンするとのこと。

かねせん
三陸新報9月24日掲載広告


この広告、背景に屋号「かねせん」をグレーで配したのもシンプルでとてもいいですね。かねせんさんの店舗は、震災前は魚町、太田入口の山友薬局の右側にありました。帰省して東京に帰るときなどはよく土産に笹かまを買いました。

現在の田中前店は2015年9月からだったのですね。4年間か。また魚町にもどってお店をと計画していたのなら、とても長い4年間だったことでしょう。その間の魚町/土地区画整理事業の進行や防潮堤のことなどもあり、いろいろと心配なこともあったはず。

広告には、新店舗が魚町のどこにオープンするのかは記されていませんでした。〈元の場所近く〉だとしても、道路の取り付けも変わっていますしね。

ま、細かなことは別として、こうして魚町にお店が戻ってきてくれるというのは、元住民としてとてもうれしい。やっとこうした動きが目に見えるようになってきました。

10月7日近くなれば、詳しい住所などもわかると思います。そのときにまた紹介することとしますが、まずは魚町に戻っての新店舗オープンが決まったことのお祝いを申し上げたく。おめでとうございました。
 

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tag : かねせん

屋号ヤマキの「キ」

三陸新報の連載記事「わが社の屋号」をしばら見ていないなと思っていたのですが、9月17日に久しぶりの掲載がありました。その第19回目は弁天町の「ヤマキ」さんです。

ヤマキ
三陸新報9月17日記事より


記事によれば、屋号「ヤマキ」のルーツは、斉藤康社長の親戚に当たる「斉吉商店」にあるといいます。斉吉商店の現会長である斉藤健一さんは、斉藤社長の伯父さん。康さんも斉吉商店の回船部で約30年働いており、震災後に独立したのだそうです。屋号の「ヤマキ」はもともと斉吉商店の屋号でした。

つまり斉吉商店の回船問屋事業が、ヤマキの屋号とともに斉藤康社長に譲られたのですね。屋号の事業ブランドとしての機能がよくわかる例のひとつかと。この〈ヤマキ〉の名に、長年つちかってきた信用や信頼が蓄積されているということでしょう。

斉吉商店は、1921(大正10)年に魚町で食料品小売業として創業しました。屋号中の「キ」は、創業者で元海軍軍人の斉藤吉之進(キチノシン)さんの名の頭文字からとったそうです。なるほど、これは初めて知りました。「斉吉」は氏名それぞれの頭文字かと。

私が斉藤康さんのお名前を見て思い出すのは、〈ひょっとこ踊り〉です。2013年にこのブログで、宮崎県日向市の「ひょっとこ踊り保存会」と気仙沼の人々との交流を追ったドキュメンタリーを紹介しました。そのなかで、日向市との交流のなかで生まれた「気仙沼ひょっとこ踊り保存会」会長が斉藤康さんであると知ったのです。

いま思えば、2011年2月22日の気仙沼中学20回生の還暦を祝う会でも、ひょっとこ踊りの皆さんが会場を回って踊ってくださいました。お面をかぶっていたのでわかりませんが、その中に斉藤康さんもいらっしゃったのでしょう。大震災のわずか1か月前のこと。あの時はお世話になりました。8年7か月たっての御礼になってしまいました。

2013年10月25日ブログ「ひょっとこおどり」
 

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tag : ヤマキひょっとこ踊り

目黒のさんま新聞

「目黒のさんま祭」についての最後の話題は「目黒のさんま新聞」。気仙沼からの生さんま5000尾を楽しみに並んでくださった方々には気仙沼の観光関連パンフレットなどがはいった袋が渡されました。そのなかに「目黒のさんま新聞」も。今回が第30号とのこと。表面には菅原市長のメッセージが記されていました。タイトルは「さんまは何処(いずこ/どこ)に」。


表
「目黒のさんま新聞」第13号


9月15日のさんま祭のためにこの原稿を書いたのは9月5日のことだったそうです。今年のサンマが歴史的な不漁であることを記して、こう続けます。〈とにかかくあと一週間、奇跡が起こって欲しいと思います。ひたすら祈るのみです〉と。開会式の市長の挨拶でも、この新聞に記したことに触れて、気仙沼から目黒に運んだ5000尾を〈奇跡のさんま〉と呼んでいました。

このさんま新聞の裏面には、これまでのさんま祭の写真などでさんま焼きのほか、すり身汁や塩づくり、ホタテ貝アートなどの気仙沼の皆さんによるイベントも紹介されていました。そしてもう一枚、号外として配られたものがありました。さんま祭を開催するにあたってご支援をいただいた方々が紹介されています。


号外
「目黒のさんま新聞」号外


知っている会社名、団体名、そして個人名のなかには堤幸彦さんのお名前もありますね。ありがとうございます。末尾には匿名でのご支援もいただいているとの記述も。そして、ここに名前こそ記されていませんが、参加費を負担して気仙沼からバスにのり目黒に駆けつけてくださった多くのスタッフの方々のことも忘れてはいけないでしょう。

私などは毎年のさんま祭を同級生らと楽しむばかりなのですが、その楽しいひとときがこうした多くの人の善意で支えられていることを思わずにはいられません。最後になりましたが、今回も大勢の皆様のご協力ご支援、本当にありがとうございました。心から御礼を申し上げます。
 

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tag : 目黒のさんま祭

目黒の早稲谷鹿踊

本日も9月15日の「目黒のさんま祭」の話。11時近くに会場内のスペースで、気仙沼市立月立(つきだて)小学校児童の5年生と6年生計12名による「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」が披露されました。これもきのう紹介した「どや節」の動画と同じく途中で録画終了となってしまいましがご参考まで。



2017年のさんま祭でも、月立小の子供たちが踊ってくれました。そのときの動画を紹介しましょう。



この「早稲谷鹿踊」はNPO法人目黒ユネスコ協会さんのご招待によるものでした。同協会は2012年から毎年、地元民俗芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼の小学校児童を招待してくださっています。これまでの記録をまとめるとつぎのとおり。

2012年:月立小/早稲谷鹿踊、2013年:水梨小/羽田神楽、2014年:新城小/廿一(二十一)田植踊り、2015年:月立小、2016年:馬篭小/馬篭(まごめ)ばやし、2017年:月立小、2018年:中井小/松圃(まつばたけ)虎舞、2019年:月立小。

17日のブログにも書きましたが、会場でお会いした目黒ユネスコ協会の宮下晶子会長に、ご支援に対する御礼を申し上げました。本当に毎年ありがとうございますと。


本来の「早稲谷鹿踊」は、旧暦6月24日の前後に甘酒地蔵尊祭典で奉納されます。そうした由来について、2016年8月26日のブログを再掲します。

2016年8月26日ブログ
◎早稲谷鹿踊の伝承

(2016年)8月2日の三陸新報に、気仙沼市早稲谷(わせや)の鹿踊(ししおどり)の記事が掲載されていました。

三陸8,2早稲谷3
三陸新報8月2日記事の一部イメージ

記事の一部を引用します。

「気仙沼市早稲谷地区の甘酒地蔵尊祭典が(7月)31日、現地で行われた。県指定無形民俗文化財の早稲谷鹿踊が奉納され、地域の繁栄を願って厄災、疫病をはらうとともに、祖先の霊を供養した。地蔵尊は、飢饉や疫病などで亡くなった幼子を供養するために建立された。早稲谷鹿踊が伝わってからは毎年、旧暦6月24日の前後に奉納されている。」(引用は以上)

宮城県の指定文化財のウェブサイトにはつぎの説明がありました。

「早稲谷地区に伝わる8頭の鹿踊りである。記録には文政10年(1827)、岩手県大原山口の喜左衛門より月立八瀬の林蔵に伝承されたものという。毎年旧暦6月24日に地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典に奉納し、災厄や疫病をはらう魔除けの踊りといわれるが、本来は祖先の霊を供養するものである。背中に竹を削って結束した3m以上のササラを立て、腰太鼓をさげ、唄いながら踊り跳ねる。政宗から「仰山なり」と賞詞されたといういい伝えにちなみ「仰山(ぎょうざん)流」と称する。」

また、甘酒地蔵尊は、天明の大飢饉(約230年前)で亡くなった乳児や幼児を供養するために建立されたそうです。甘酒は母乳に見立てたものといいます。源義経の一行が平泉に向かう途中、猿がお地蔵様に姿を変え、甘酒で迎えたとの言い伝えもあるようです。

私が驚いたのは、気仙沼ニッティングさんのフェイスブック7月31日の記事でこの鹿踊りがつぎのように紹介されていたこと。代表の御手洗さんによるものでしょう。

〈昨日は、気仙沼の山の方の、早稲谷という集落で「鹿踊り」がありました。この1年にこの集落で亡くなった方々のために、お地蔵さまの前で鹿たちが祈りを捧げるのだそうです。気仙沼でもほとんど告知されないため、気仙沼在住でも見たことがある人は少ないかもしれません。この集落の人たちが、静かに行うお祭りです。空と山を背景にした舞台で、鹿たちが角に見立てた長い「ささら」を振り回して踊る様子は圧巻でした。この踊りのあとは、新しいお位牌の前で鹿たちがお祈りをします。亡くなったあと、こうして村のみんなに祈ってもらえるというのは、なんとあたたかな文化だろうと思います。続いていきますように。〉

17分間の動画も紹介されているのですが、これを見ると〈本物の奉納の踊り〉の雰囲気が伝わってきます。私は〈宮澤賢治〉や〈遠野物語〉を連想しました。早稲谷の鹿踊も岩手県一関を経由して伝えられたもののようですので、さほどずれた印象ではないと思います。

御手洗さんの〈圧巻〉の印象は、気仙沼の人があまり気づいていない地域文化の価値を外の人に教えてもらうという、よくあるパターンのひとつかもしれません。

2014年の目黒のさんま祭では、気仙沼市落合地区の廿一(二十一)田植踊りが披露されました。廿一の現場ではなく、あくまで東京のイベント会場での演舞ではあったものの、その素晴らしさに驚きました。気仙沼市で県の無形民俗文化財指定は3件あるのですが、早稲谷鹿踊とならんでこれもそのひとつ。残る一つは〈新城の田植踊〉です。

50年以上前の気仙沼みなとまつり。魚町坂口の実家前で鹿折(ししおり)方面から連なって進む祭の行列を見ていました。鹿踊りや田植踊り、そしていろんな地区の太鼓もあったように思います。それを〈いつものだしもの〉としか見ていませんでした。またかよ、と。それから半世紀。そのひとつが、地域の人によってしっかりとひっそりと伝承されていることを知り、うれしく思ったのです。また、長くなってしまいました。今週はこれにて。

気仙沼ニッティング/facebook映像(約17分)

(再掲内容は以上)

早稲谷鹿踊は、今年3月17日にNHK Eテレで放送された第19回地域伝統芸能まつりにも出演しました。保存会の皆さんの練習の様子については3月14日のブログに記しております。甘酒地蔵尊での鹿踊の映像やNHK大ホールでの演技の様子を思い起こすと、さんま祭での子供たちが懸命に踊る姿と一本の線でつながるような気がします。

月立小学校は当初2018年度に新城小学校への統合が計画されていましたが、地元での反対などもありその実施が延期されています。今後、統合がおこなわれことになっても、地元の皆さんの協力によって続けられてきた小学生による早稲谷鹿踊の伝承は続けて欲しい。以前の新聞報道で見たおぼえがあるのですが、市教育委員会もそう考えているようです。是非に。

 

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tag : 早稲谷鹿踊目黒ユネスコ協会

さんま祭 「どや節」

きのうのブログでは、9月15日の「目黒のさんま祭」の様子を紹介しました。その中では、「どや節」のことを簡単にしか記しませんでしたが、本日は動画とともに少し詳しく。目黒区民まつりの開会式の挨拶などがおわり、さんま祭の献上式の準備をしているときに気仙沼の皆さんが披露してくれました。

動画は何枚か写真を撮ったあとにきりのよいところから撮影を開始したのですが、容量不足かなんかで途中でストップ。最後の気持ちよい一本締めまで紹介したかったのですが。ま、こんな感じだったということの報告ということで。





この「どや節」については、2011年9月24日のブログでも紹介しています。その内容を再掲します。

2011年9月24日ブログ再掲
◎気仙沼 「どや節」

今日の東京は、気持ちのよい秋晴れです。

先週の日曜日さんま祭での私の収穫のひとつは、「どや節」を知ったことでした。30分あまりの開会式のあと、さんま焼き開始前に、焼き場ではんてん姿の有志がこの「どや節」を披露しました。あとで聞けばこれは、さんま祭恒例のものだそうで、ネットにも昨年の映像が投稿されていました。

なんていったらいいんだろう、地元の人がうたう本物の民謡、というのとも違うな、ワークソングというとこれまたわざとらしい。ツイッターで“気仙沼くん”は、このどや節について「今年は開会式、終わってからの懇親会で爆発的に盛り上がっていました。強烈なグルーヴ感を巻き起こす圧巻のジャパニーズ・ラップ」と書いていましたが、まさに同感。リリックというかメッセージとリズムのからみあい、かけあいが実にいいのです。いやあ本当に驚いた。

ネットで調べてみると、斉吉商店の斉藤和枝さんが「斉吉気仙沼便り」2010年1月1日投稿でつぎのように書いていました。

「 今朝の出船に えーえーえええーよいどこらさ 花が咲きそろう ほほえーど

手漕ぎの和船時代から漁師の労働歌として歌われた「どや節」(大漁祝い唄)の一節です。(中略)どや節の歌詞はその浜ごとに多様です。岩手県三陸町から気仙沼までのごく限られた地域で唄われるもので郷土の宝です」

ほかのサイトでは次のような歌詞の紹介と解説がありました。

〈今朝のなぎで 端島の沖で 大鮪(しび)小鮪 唐丸に 満船させて 塩釜港に 走り込む〉

「松島港あたりで漁船が出漁する時に大漁を祈念して唄う予祝唄で、それが艪漕ぎ唄や一般の祝宴の唄に拡大して用いられた。「どや」の語源は、この唄が「たたら唄」「銭吹き唄」から来たことから製錬場を意味する烔屋(どうや)から生まれたとか、大漁礼願を捧げる際の当屋(とうや)の音韻変化だとか、艪押しのトーヤトットの掛声からでたとか諸説があります」

なるほど。地域それぞれで唄が違うんだ。松島なので、塩釜港なのか。さんま祭では鮪ではなくサンマ~気仙沼港に走り込むと唄っていました。

気仙沼みなと祭の海上うんずらの映像を見てもこの“どや節”の「えーえーえええーよいどこらさ」が延々と続きます。気仙沼にいたころも聞いていたのかもしれないのですが、今になって「どや節」の良さをしりました。

浜はもちろんのこと、さんまの焼き場とか、打ち上げとかの“現場”で聞く「どや節」は最高でしょうね。

2010年さんま祭の「どや節」映像
2010年港まつり海上うんずらの「どや節」映像

浮見堂を背景とした「どや節」スローバージョン。なにか今見ると、灯籠流しにも似て。(再掲内容は以上)

再掲内容の最後に2010年さんま祭の「どや節」映像のリンクを貼ってありますが、それは〈太鼓学舎 ね〉の皆さんが歌う「どや節」フルバージョンです。このブログでも紹介しておきましょう。この半年後に東日本大震災があったことを思うと、なにか特別の感慨がわいてきます。


 

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tag : さんま祭どや節

目黒さんま祭報告

9月15日(日)は、目黒のさんま祭でした。目黒区民まつり(愛称「目黒のSUNまつり」)のなかのイベントとしての開催です。区民まつりは今年で43回目、さんま祭は24回目を迎えたとのことです。

私は例年通り、9時半からの開会式から会場に。開会式はさんま祭を含む4つのイベントがおこなわれる〈目黒区民まつり〉としてのものです。目黒区の青木区長をはじめ、多くの来賓の方々のご挨拶がつづきます。気仙沼市菅原市長も挨拶に立ちました。

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菅原市長はその挨拶のなかで、今年のさんまの歴史的な不漁に触れ、さんま祭のために気仙沼から運んできたサンマは、9月13日に奇跡的に気仙沼港に水揚げされた奇跡のサンマですと紹介しました。そして〈本日のさんま焼きやつみれ汁などのために気仙沼からバスでここに来ている多くの人もまだ今年のサンマを食べていない〉と。また〈大きさも少し小さいかも知れない、あぶらののりもいまひとつかも。しかし、気仙沼の多くの人の気持ちがたくさんこもった奇跡のサンマを是非味わってほしい〉とも。

区民まつり開会式が終了した後は、恒例の気仙沼「どや節」が披露されました。この様子は少しだけ動画も撮ったのであらためて紹介することにします。背後のテントが気仙沼からのサンマ焼隊がずらっと並んでいるテントです。お客様の入場はまだ。

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どや節の後は、目黒のさんま祭オープニングとしての「献上式」。殿様に目黒のさんま/すなわち気仙沼のサンマや大分県のカボスなどを献上する寸劇のようなもの。ホヤぼーやも登壇。

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こうして気仙沼からのさんま5000尾が焼かれ始め、早い人は夜明け前から並んだという大勢のお客様に順にふるまわれました。それが午前10時15分ぐらいだったかな。焼さんまの行列のほか、さんまのつみれ汁(1杯100円)にも長い行列ができています。こんな感じ。荒木容子さん(3年10組)が今年も手伝いにきていて、久しぶりに会うことができました。

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11時近くには、会場内のスペースで、月立小学校の児童12名による「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」の披露が始まりました。NPO法人目黒ユネスコ協会さんのご招待によるものです。これも少し動画を撮りましたであらためて紹介しますが、本日は演技後の記念写真を。鹿のかぶりものがあるので、子供たちの顔がしっかりとうつっていませんが、無事おえてホッとしたところでしょう。右端にうつるのが目黒ユネスコ協会の宮下晶子会長。会場で、毎年のご支援へのお礼を申し上げることができたのはなによりのことでした。

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このあたりになると、気中、気高の同級生らも会場にそろいはじめました。会場の田道広場公園に隣接するふれあい館の喫茶スペースに集まってみんなでビールなどをいただきます。今年ははじめて中井殖君(3年8組)も来てくれました。熊長こと/熊谷武敏君(3年4組)もひさしぶり。そして、気仙沼物産コーナーであさひ鮨〈さんま姿寿し〉の販売をおえた佐々木徹君(3年1組)も合流してしばし休憩。ここで記念写真。

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私は昨年同様に夫婦で祭にいきました。妻は気中26回生で菅原茂市長と同級生です。そんなこともあり26回生4人も加わって帰りぎわに写真を撮りました。左端が家内。

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今回とてもうれしい再会がありました。一年下/気中21回生の武蔵洋一さんと会うことができました。武蔵さんは気仙沼高校のときも硬式テニスでかなり活躍していましたからご存じの人も多いことでしょう。私は中学のころからよく知っていますが、へたをすると50年ぶりぐらいになるかもしれません。そんなことで、菅原市長、そして目黒のさんま祭気仙沼実行委員会の松井会長にも入ってもらって写真を撮りました。右から3人目が武蔵さん、4人目が中井殖君です。

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そして最後の写真がこれ。データを見ると午後2時半ごろですね。右から熊長/武敏君、佐々木徹君、そしてわたくし小田。なにがおかしかったのか、大笑い。今回の目黒のさんま祭の報告を笑顔の写真でおえることができてうれしいです。

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徹君、容子さんをはじめ、気仙沼から上京してくれた大勢のスタッフの皆さん、お疲れさまでした。多くの関係者の皆様に心から御礼を申し上げます。今年も本当にありがとうございました。

昨年2018年の「目黒のさんま祭報告」
 

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tag : 目黒のさんま祭

祝 はなまるうどん

今日は祝日「敬老の日」。きのうの「目黒のさんま祭」の様子については明日することにして本日は先週の話題。

9月13日(金)、気仙沼にセルフ式讃岐うどん店として知られる「はなまるうどん」が開店しました。場所は仲町。宮脇書店やツルハドラッグの並びです。


はなまる
三陸新報9月13日掲載広告より


「はなまるうどん」を展開する(株)はなまるは現在、吉野屋ホールディングスのグループ会社になっています。牛丼でおなじみの吉野家はすでに気仙沼に出店していますので、吉野家ホールディングス傘下でふたつめのお店ということになりますね。

都内にもお店が各所にありますが、私は入ったことがあるかないか。丸亀製麺とイメージが重なってちょっと記憶が定かではありません。調べてみたら、2019年4月に500店舗を達成しています。

地元飲食店ではない全国チェーンのお店ではありますが、こうして新しいお店がオープンするとのニュースはとてもうれしい。周辺の住宅整備はまだこれからということだと思いますが、その呼び水のひとつになってくれればと思っています。

なお、給排水設備工事を担当したのは、みっちゃん/澤井充君(3年4組)経営の澤井製作所。ということで、はなまるうどんさんの水道関係はバッチリかと(笑)。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : はなまるうどん

第57回けせもい展

気仙沼・本吉地区の高校美術部による合同作品展「けせもい展」が9月11日から9月16日までリアス・アーク美術館で開催されているとのこと。本日13日の三陸
新報が伝えています。

けせもい展
三陸新報9月13日記事の一部イメージ


◎けせもい展
会場:リアス・アーク美術館
会期:9月11日〜16日(火)
時間:午前9:30〜17:00(最終日は14:00まで)
入場無料

私は気仙沼高校のときに美術部に属していました。以前もブログに書いたことがありますが、当時の「けせもい展」は、旧 気仙沼高(男子校)と旧 鼎が浦高(女子校)2校の合同展でした。その後、2005年に両校が統合されて男女共学との気仙沼高校になったことは皆さんご存じのとおりです。

現在の「けせもい展」は、気仙沼・本吉地区の各校合同の作品展になっています。今回も、気仙沼、志津川、本吉響、東陵の4校からポスター部門45点、作品部門に平面55点、立体7点が出展されているそうです。

三陸新報の記事で紹介されているアルミ板による立体作品もなかなかよさげです。制作はもちろんですが、運ぶのも一苦労でしょう。絵画も大きな作品がならんでいます。みんな一所懸命に描いたはず。なんかとても懐かしいし、とてもうれしい。

記事によれば「けせもい展」は今回が57回目とのこと。開催が毎年連続していたかどうかは不明ですが、単純に計算して私の美術部時代は6〜8回目あたりということになりますね。すでに半世紀たち、会場もリアス・アーク美術館となっています。

私が高校3年とのときの「けせもい展」で、広野画塾の広野重雄先生が絵を見に来てくれたときのことを2011年7月のブログに記しました。土日祝日は、美術部員も会場にいるのでしょうか。もし、会場で作者に会うことがことがあれば、作品の印象や感想をどうぞ伝えてあげてください。みんなとても喜ぶと思います。すくなくとも50年前の私はそうでしたから。

展覧会は敬老の日16日の午後2時まで。どうぞよろしく。

2011年7月28日ブログ「画塾の広野先生」
 
 

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tag : けせもい展

紫神社祭典ご案内

9月10日の三陸新報に、気仙沼の紫神社祭典の案内広告が掲載されていました。9月14日が前夜祭・宵祭り、15日が例大祭・復興祈願祭です。

紫神社
三陸新報9月10日掲載広告


昨年の祭典もこのブログで紹介しました。そこに紫神社の由緒などを記しましたので、以下に再掲します。

◎紫神社祭典ご案内

紫神社〈紫さん〉は、南町から気仙沼小学校にのぼる坂道の左側にあります。その坂の名も〈紫さん〉。私たちが中学のころでも帰りに寄って遊んで帰るなどした場所なのでとても懐かしい。震災時には、集会所が避難所となっていました。

紫神社の社殿というか社屋自体は簡素なもので、宮司の常駐もありませんが、しっかりとした歴史をもつ神社です。宮城県神社庁の「神社検索」サイトでは、この神社の由緒をつぎのように記しています。以前もブログに書きましたが、気仙沼の柏崎(かしざき)だけでなく、紫神社も新潟県の柏崎と縁があることがこの由緒からわかります。


当神社は慶長10年、越後、柏崎の人、斎藤四郎兵衛和泉盛方が計仙麻(ケセマ)陣ケ保(現気仙沼市笹ケ陣)に移り住むとき屋敷内に紫明神と観音を勧請せしが五代又衛門の時火災にて御堂を焼失し、正保年中、六代又四郎が鼎ケ浦(気仙沼湾)海辺高台に屋敷を移し建てるとき、敷内に観音を祀り柏崎観音とした、故に今もその所を柏崎山と云う、また紫明神は地続きの西風釜(ナライガマ)鐙坂(アブミザカ)に鎮め祀りて分家に別当を命じた、今も分家斎藤家の屋号を別当と云う。

紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋、藤の花の紫より名付けたと云う。昭和23年御社地を別当斎藤家より寄進され宗教法人紫神社となり、近辺、南町、柏崎地区を氏子とし、毎年の例祭はカボチャ祭りのむらさきさんと賑わっている。

(カボチャ祭り)カボチャ(南瓜)まつりの起こりは定かではないが、言い伝えによれば、むかしはまつり師といって、祭りの山車等を作る職人がいた。紫明神の祭りに、そのまつり師の作った人形が境内に並べられたと云う、ところが江戸時代末期か明治時代初期のことか、折角準備した人形が火災により焼失したので、付近の若者たちが方々の畑より南瓜を集め来て、南瓜を頭にした人形を作り、境内に並べ飾ったことが大勢の人々の喝采を浴びたと云う、その時の美談や時代を諷刺したもの色々で、以来、祭りが近づくと、各地区の若者たちが出しものを秘密裡に作成しその出来栄を競った。現在も氏子地域、南町、柏崎青年会によって受け継がれている。(引用は以上)

紫明神は西風釜(ならいがま/南町の旧称)の鐙坂(あぶみざか)にまつられたとあるのですが、鐙坂が現在の紫神社の場所かどうかはわかりません。柏崎と地続きのという記述がありますが、ちょっと距離がありますよね。紫明神の「むらさき」は斎藤家の家紋である藤の花の紫より名付けたという話は以前も紹介しました。

かぼちゃ祭についての説明も面白い。言い伝えで、祭の山車(だし)などをつくる職人〈まつり師〉がつくった人形を境内に並べたのが発祥とか。また案内広告には、名物〈紫まんじゅう〉の販売もあると書かれています。これも懐かしい。限定600袋だそうです。

震災後にオープンした仮設商店街は「南町紫市場」でした。そして昨年に本設としてスタートした商店街が「南町紫神社前商店街」。いずれもこの「紫神社」とのご縁を意識して名付けられています。9月8日の前夜祭・宵祭りでは、南町の中心街にて弘前ねぷたまつり運行も行われます。

なお、紫神社の主祭神は「屋船豊受姫大神」。〈やぶね とようけ ひめのおおかみ〉と読み、家屋守護の神様のようです。どうぞ南町紫神社前商店街に寄りながら、お参りくださいますように。(再掲内容は以上)

今年も、かぼちゃ人形のお飾りや弘前ねぷたまつり運行が予定されていますね。そんななかで、昨年の紫神社祭典と違っていることがあります。鳥居が新しくなっているのです。昨年末に氏子さんら多くの方々の寄進によって新設されました。

1月10日ブログ「紫神社の鳥居新設」

新しい鳥居をくぐって参拝し、かぼちゃ人形をながめ、帰りには名物の紫まんじゅうを買って帰りましょう。それが浜見山のふもとに暮らす人々の作法かと。どうぞよろしく。

2015年4月16日ブログ「気仙沼と柏崎の縁」

  

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tag : 紫神社

みらい造船新工場

9月8日(日)、気仙沼の株式会社みらい造船の新工場が完成し、現地で式典がおこなわれました。この日の三陸新報にはつぎの広告が掲載されました。


みらい造船
三陸新報9月8日掲載広告より


みらい
三陸新報2018年1月25日記事より


広告の写真の全体がみらい造船ではありません。三陸新報2018年1月25日の記事に掲載されていた図で説明しましょう。

左側のタンク5基があるとことろは、6月11日に竣工した気仙沼紹介の燃油タンク/気仙沼油槽所です。そして右側にシップリフトとともに描かれているのが、みらい造船。

このみらい造船新工場の完成については、テレビや新聞など多くのメディアが伝えていました。ここでは、河北新報9月10日配信記事を引用させてもらいます。

〈東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の造船会社4社が合併した新会社「みらい造船」の新工場が完成し、同市朝日町の現地で8日、式典があった。東北運輸局によると、漁船専門に修理、建造する造船所としては東北で最大級という。新工場は市が整備した約4.1ha建設。高さ7mの防潮堤内に建設され、津波への安全性も高まった。事業費は約106億円で、うち70億円は国土交通省の補助金を活用した。

国内3例目となる「シップリフト」方式を導入。船をエレベーターのように垂直に上昇させ、台車で水平移動する方式で、船体の損傷リスクを回避できるほか作業効率が向上、大型船10隻の作業が同時にできる。既に新船4隻の建造が始まっており、今後は年間に大型4隻を含む最大6隻の新造を目指す。「漁船の総合病院」(木戸浦健歓社長)として点検や修理も担い、東北の漁業を支える。

完成式典には渡辺博道復興相ら国、県、市の関係者約400人が出席。木戸浦社長が「震災の壊滅的被害の中で、新しい造船所などできるはずがないと言われたこともある。だが夢と情熱と信念を持った仲間がいて、新造船所ができた。未来へ向かって共に船を出そう」とあいさつした。

みらい造船は気仙沼市浪板地区で被災し地盤沈下した木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、沢田造船所などが出資して設立。昨年4月に4社が合併し、新体制となった。〉(引用は以上)

株式会社みらい造船はまず、2015年5月に造船会社4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)と関連会社3社の出資による合併の受け皿会社として設立されました。2016年10月21日には、今回完成した新工場の起工式がおこなわれています。そして2018年4月2日、みらい造船が造船会社4社を吸収する形で合併し、名実ともにひとつの会社となったのです。

この日にこぎつけるまでにはいろいろなことがありました。気仙沼港の造船・鉄工所の団地化構想については、朝日町、浪板、潮見町の3地区が候補地とされていましたが、朝日町については、水産加工業への環境上の影響なども懸念もあったのです。そうした議論を経ての合併、そして新工場完成ということで、関係者の皆さんの感慨ひとしおのものがあるでしょう。

その関係者のひとりに、取締役 石川勇人(ゆうと)さんもいます。以前も書いたことがありますが、私たちの一学年下の気中21回生で石川電装の代表。みらい造船の設立にも参画しているのです。8日の式典では、お祝いを受けると共に、お世話になった方々への御礼を語り続けていたことでしょう。

木戸浦社長はじめ、みらい造船関係者の皆様、新工場完成おめでとうございました。その名にふさわしい素晴らしい造船所となることを願っております。

2018年4月12日ブログ「石川電装 勇人社長」

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目黒のさんま「祭」

気仙沼のサンマがふるまわれる〈目黒のさんま祭〉。今年は9月15日(日)開催です。なお、何度も書いていますが、9月8日におこなわれた〈目黒のさんま祭り〉は目黒駅前の品川区側イベントで、宮古のサンマです。目黒区が「祭」、品川区が「祭り」。ちょっと違う(笑)。

目黒区民まつり(愛称「目黒のSUNまつり」)は、「目黒のさんま祭」「ふるさと物産展」「おまつり広場」「子ども広場」の4つの催しからなるおまつりで、今年で43回目をむかえます。


区民まつり

●目黒のさんま祭
日時:9月15日(日)10:00~15:30
会場:目黒区田道広場公園
主催:目黒区民まつり実行委員会

〈目黒のさんま祭〉のほか、田道小学校校庭会場では、気仙沼スタッフによる恒例の「塩づくり体験、ホタテ貝アート」も。また、児童館・図書館前の屋外ステージで13:30より花柳流日本舞踊花柳寿々菊会による日本舞踊も披露されます。

もちろん、さんま祭会場では気仙沼の物産も販売されます。今年もあさひ鮨の佐々木徹君(3年1組)が上京し、〈さんま姿寿し〉を販売。荒木容子さん(10組)も、毎年さんまのすり身汁のお手伝いをしています。今年も会えるかな。

そしてさんま祭には、NPO法人目黒ユネスコ協会さんが、伝統芸能の伝承に取り組んでいる気仙沼市内の小学校児童を毎年招待してくださっています。今年は気仙沼市立月立(つきだて)小学校の児童による鹿踊です。パンフレットには、「鹿踊り」と記してありますが、詳しくは「早稲谷鹿踊(わせやししおどり)」でしょう。2012年、15年、17年と招かれていますので、今度が4回目となります。

一昨年2017年のさんま祭「早稲谷鹿踊」は、このブログでその様子を2分24秒の映像とともに紹介しました。月立小学校は、2018年4月に新城小学校へ統合する計画でしたが、保護者や地域の反対などで統合延期となっています。

2017年9月20日ブログ「月立小児童の鹿踊」

さんま祭の会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

私は今年も菊田裕美君(3年1組)らと会場に。どうぞ皆さんもお出かけくださいますように。
 

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「マジカルツアー」

台風15号の影響で、電車がかなり混んだものの、無事に仕事場着。台風が過ぎ去ったあとでとても暑い。お昼現在、台風は福島沖を北上中のようですが、東北とりわけ気仙沼での暴風などが心配です。特に海上。

きのう9月8日には気仙沼市唐桑のマグロはえ縄漁船「第18鴻丸」が北海道襟裳岬沖で転覆しました。幸い乗組員6人は全員救助されましたが、8月28日の「第38順栄丸」転覆に続く海難事故の知らせに大変驚きました。

さて、今回の台風の影響で旅行の予定が大きく変わってしまった人も多いのではないでしょうか。ということで(と無理に話をつなぐ必要はないのですが)本日のテーマはツアーです。

2014年6月に、ほぼ日刊イトイ新聞創刊16周年企画としておこなわれた「マジカル気仙沼ツアー」。その2回目となる「マジカル気仙沼ツアー2019」が今年10月31日から11月1日にかけて催行されます。その申込受付が9月5日から始まりました。


ツアー

ほぼ日「マジカル気仙沼ツアー」サイトより


マジカル気仙沼ツアー2019は、「気仙沼の魅力をぎゅっと詰め込んだ、ほぼ日プロデュースの一泊二日ツアー」。詳細は、ほぼ日「マジカル気仙沼ツアー」サイトをご覧いただきますが、日程はつぎのとおり。旅行代金は53,200円(税込・1名様)です。

◎10月31日(木)
7:16 東京駅出発(新幹線利用)
9:20 一ノ関駅着 ほぼ日貸切バスで気仙沼へ
ラ・ジェント・イン気仙沼宿泊
◎11月1日(金)
16:48 一ノ関駅発(新幹線利用)
18:56 東京駅着

このブログの冒頭に紹介したツアー企画のメインビジュアルは「気仙沼まわし」です。これは女性4人のユニット「sunui」(素縫い)さんが制作したもの。船も連想させるベースの布は大漁旗。「KESENNUMA」の文字は、斉吉商店のばっぱから受け取った帯芯とのこと。これらの素材は、「sunui」のメンバー3人が気仙沼で集めたものです。今年5月のこと。その「マジカル気仙沼ツアー2019」の準備の旅の様子はほぼ日でテキスト中継されました。

この中継に登場するのは「sunui」のメンバー3人に加え、前回のツアーから企画を担当しているほぼ日の永田さんと山下さん、そして総務担当とデザイン担当のエイミーさん、まりささん。案内役は、気仙沼のほぼ日「沼のハナヨメ」でおなじみのサユミさんです。

テキスト中継は、つぎのサイトでご覧いただけます。

準備の旅のテキスト中継

このテキスト中継をはじめ、ほぼ日さんはその気仙沼関連催事をこれまで何度も中継してくれました。いつもありがとうございます。気仙沼を離れて暮らす私にとっては、そこにうつる画像それぞれに気仙沼の〈今〉を感じとってきました。いわば、私のマジカル気仙沼ツアーなのです。

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巡視艇 「あさかぜ」

本日9月9日の三陸新報につぎの御礼広告が掲載されていました。

順栄丸広告
 三陸新報9月9日掲載広告


8月28日に気仙沼市唐桑の「第38順栄丸」が釧路沖で転覆しました。幸いなことに日本人3人とインドネシア人実習生4人のあわせて7人の乗組員は全員無事に救助されました。この広告はそのことについて、関係者の皆様への御礼として掲載されました。

広告には「同日(8月28日)、午前11時10分に釧路海上保安部の巡視艇「あさかぜ」により乗組員7名全員無事に救助していただき、お陰さまで9月3日、気仙沼へ戻ることができました」と記してあります。

「あさかぜ」はどんな船なのだろう。そう思って調べてみたら、海上保安庁の広報資料に、釧路海上保安部所属で昨年3月13日に就役した新型船であることが記してありました。旧型の巡視艇に比べ、最新の機器を装備し、夜間監視装置による捜索監視能力の向上、停船命令等表示装置による視覚情報伝達能力の向上等海上保安業務全般にわたり、対応能力の充実強化が図られているとのことです。

釧路という地域性を考え合わせると、海難救助のほか、密漁対応なども考慮された装備充実かなとも思います。そして、同船の装備や性能が、今回の「第38順栄丸」救助にも役だったのではないかと想像しています。広報資料にあった「あさかぜ」の写真を紹介しておきましょう。第38順栄丸の皆さんは救助を待つ船腹上から、この「あさかぜ」の接近を見て、どんなに力強く感じたことか。

あさかぜ
海上保安庁2018年1月31日付け広報資料より


それにしても、伊東順一船長はじめ「第38順栄丸」の皆さんが全員救助されて本当によかった。釧路海上保安部「あさかぜ」の皆さんにも心からの御礼を。ありがとうございました。

8月29日ブログ「海保が7人を救助」
 

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菅原渉さんの「志」

気仙沼魚市場前「みしおね横丁」内のイスラム教の祈祷所「AR-RAUDHA(アル・ラウダー)」の設置者が、横丁内のインドネシア料理店「ワルーン・マハール」を出店している「SUGAWARA」(菅原渉代表)さんであることは、8月26日のブログ「アル・ラウダー」でも紹介しました。

そしてまた、菅原渉さんが専務をつとめる(株)菅原工業がインドネシアに現地法人を設立し、同国初となるリサイクルアスファルトのプラントを建設して事業を展開していることは、8月20日のブログ「みしおねの礼拝所」に記しました。

本日紹介するのは、8月29日の三陸新報記事。菅原工業さんが、インドネシアの大手ゼネコンと立ち上げた合弁会社のリサイクルアスファルトが同国の産業規格認証を受けたことを紹介しています。


菅原工業
三陸新報8月29日記事の一部イメージ


記事によれば、菅原工業がインドネシアへの進出を計画したのは2013年のことだったといいます。インドネシア人研修生の受け入れを目的に現地に足を運んだときに、リサイクルアスファルトの需要に着目したとのこと。その後、同国政府や国際協力機構(JICA)と協議を重ねて2017年にプラントを建設して民間工事に参入しました。

現地に駐在する菅原工業海外事業部長の佐藤重光さんによると、今回の産業企画認証は、民間工事で実績を積み、粘り強く折衝した結果だということです。そして菅原専務は、認証後は強い引き合いがあり、今後は年間7~8万トンを生産する計画でプラントの増設なども進めたいとしています。そして、日本とインドネシア両国の発展と課題解決への糸口にできればと話しています。

私はインドネシアへの進出計画が2013年であると知り、ちょっと思いあたることがありました。「経営未来塾」との関連です。

菅原渉専務は、アイリスオーヤマの大山健太郎さんが塾長をつとめ2013年に始まった気仙沼・南三陸の人材育成道場「経営未来塾」(塾長はアイリスオーヤマの大山健太郎さん)第2期生です。詳しくはわかりませんが、受講していたのは2013年から14年にかけてのことでしょう。

私の勝手な想像ですが、当時は菅原工業の常務だった菅原さんがインドネシア事業の構想を具体化していく背景には「経営未来塾」における多くのコンサルタントからの指導や刺激があったのではないでしょうか。それは震災前にはあり得なかったとも思える有力コンサルティング企業や監査法人などによる復興支援でした。

というようなことで、菅原工業/菅原渉さんの大き「志」を感じさせるインドネシア事業構想とその展開は、人材育成道場「経営未来塾」の成果のひとつといってもよいのではないでしょうか。

いろいろと大変なことも多いと思いますが、今後もがんばって事業を展開していってほしいなと。三陸新報の記事を読んでそんなことを考えておりました。

8月20日のブログ「みしおねの礼拝所」
8月26日のブログ「アル・ラウダー」
  

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tag : 菅原工業インドネシア

生島さんの新刊本

ラグビーワールドカップ2019日本大会の開幕を間近にして、ラグビー関連書籍の発刊が相次いでいます。そのひとつ、気仙沼出身のスポーツライターである大友信彦さんの新刊「オールブラックスが強い理由」を8月28日のブログで紹介しました。

本日はもうひとりの気仙沼出身スポーツライター、スポーツジャーナリストである生島淳さんの著書をご紹介。きのう9月3日に発売された「奇跡のチーム」です。


文春文庫

文藝春秋BOOKSサイトより


この本は、2016年に発刊された生島さんの「エディー・ウォーズ」に新章を加筆して文庫化したものです。Amazonから内容紹介を引用します。


奇跡のチーム
ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ

世界が震える勝利はこうして生まれた!
2015年9月19日、ラグビーW杯イングランド大会。強豪南アフリカに劇的な逆転勝ちをおさめ、世界を驚かせたラグビー日本代表〝エディー・ジャパン〟。勝利に至る歩みのすべてを選手・関係者への徹底取材して明らかにした傑作ノンフィクション。世界を舞台に勝ちたいすべての人に、示唆に富む一冊。単行本『エディー・ウォーズ』に新章を加筆して文庫化。

目次
プロローグ
第一章 エディー・ジョーンズ
第二章 マインド・ゲーム
第三章 スーパー・ラグビー・クライシス
第四章 ボーダーライン
第五章 カウントダウン
第六章 ゲーム・デイ
第七章 ドリームズ・カム・トゥルー
第八章 ラスト・デイズ
第九章 オン・ザ・ウェイ・ホーム
第十章 ミラクル・チーム
エピローグ

解説 畠山健介

(引用は以上)

引用部の最後に注目。解説者は畠山健介。畠山さんは、気仙沼出身(階上中学→仙台育英高校→早稲田大学)のラグビー選手として2011、2015年ワールドカップで連続して日本代表に選出されています。2017年5月から日本ラグビーフットボール選手会の会長をつとめています。サントリーサンゴリアスからの勇退は本年2月に発表されました。2008年から11シーズン在籍したことになります。

話を生島さんに戻すと、「奇跡のチーム」は文春文庫としての発刊です。大友さんの「オールブラックスが強い理由」は講談社文庫でした。生島さんも大友さんも気仙沼高校から早稲田。そのふたりによる文春文庫 VS 講談社文庫。こちらの戦いも見逃せません。なんちゃって(笑)。



2017年11月27日ブログ「生島さん兄弟の話」
 

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気仙沼PORT 閉店

7月26日のブログで、「横浜ワールドポーターズ」内にある気仙沼市アピールショップ「気仙沼PORT」の3周年感謝フェアをお伝えしました。熊谷育美さんのミニライブなどもおこなわれました。

そのアピールショップ「気仙沼PORT」が9月2日をもって閉店しました。8月29日の三陸新報が伝えています。

閉店
三陸新報8月29日記事より


この「気仙沼PORT」は、「横浜ワールドポーターズ」内のテナント「ヨコハマ・ポート・マーケット」の一角を借りる形で運営してきましたが、 同テナントが撤退することに伴い閉店となりました。

気仙沼市は、2016年7月8日に、「横浜ワールドポーターズ」を運営する(株)横浜インポートマート(神奈川県や横浜市などの出資による第3セクター)連携協力協定を締結しました。「気仙沼PORT」もこの協定によりオープンしたものです。当時の報道によれば、スペース賃貸料は免除され、その他の費用については、「東日本大震災復興支援基金」を財源にして運営するとのことでした。

なお、ショップとしての「気仙沼PORT」は閉店しますが協定は継続しており、新たに気仙沼市アピールコーナー「気仙沼PORT」が「横浜ワールドポーターズ」1階に設置されます。 つまり、「気仙沼PORT」という名は残し、アピールショップからアピールコーナーになるということですね。

このコーナーでは、映像モニターを利用してイベント告知、PR映像を放映するほか、地場産品の展示、観光パンフレットの陳列、ホヤぼーやと一緒に記念撮影できるフォトスポットの設置など、気仙沼市に関する情報を発信するとのことです。10月中旬の設置を予定しています。市の記者発表資料にはコーナーイメージが示されていました。


◎アピールコーナー「気仙沼PORT」のイメージ

コーナーイメージ

気仙沼市記者発表資料8月28日付けより


(株)横浜インポートマートさん、いつもいろいろとありがとうございます。これからもお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2016年7月25日ブログ「祝!気仙沼PORT」
 

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tag : 気仙沼PORT横浜インポートマート

観光魅力創造事業

気仙沼市は、観光魅力創造補助金交付事業の募集を始めました。8月27日付けで記者発表資料/プレスリリースが出され、翌日28日の三陸新報もその概要を伝えています。

補助金
三陸新報8月28日記事の一部イメージ


記者発表資料から概要を紹介します。この補助金は、市の観光戦略に基づき、活力ある地域づくりや魅力ある観光地づりへの取り組みを喚起・支援するため、市民が主体となって実施する「気仙沼ならでは」の自然、歴史、食、文化などを活用した創造的な事業で、かつ継続的な実施、による誘客促進効果が見込まれる事業に対して交付されます。

1 補助対象事業・補助額
(1)補助対象経費の総額が60万円以上の事業
(2)補助額は補助対象経費の1/3以内
(3)本年4月1日から令和2年3月31日までに実施する事業
2 審査
別紙「観光魅力創造補助金審査のポイント」を基準に審査します。
3 募集詳細
(1)申請期限 9月20日(金)必着
(2)申請書提出先 気仙沼市産業部観光課観光係
(3)審査委員会 10 月上旬
(4)予算額 800万円

記者発表資料に添付された説明チラシには昨年度の実績として補助金が交付された事業も公開されています。三陸新報の記事では3件しか紹介されていませんでしたが、つぎの6事業です。昨年度も予算額予定は約800万円でした。

(2018年度)気仙沼「海の市」イベント事業/氷の水族館定期イベントの実施・PR 事業/気仙沼サンマフェスティバル 2018/気仙沼漁師カレンダープロジェクト/市場で朝めし。/ONE-LINE2018〜気仙沼イルミネーション

参考までに一昨年度の実績も紹介しておきましょう。2018年5月16日付け記者発表資料より。

(2017年度)ふかふか村まつり 2017/ 第30回気仙沼天旗まつり/気仙沼「海の市」誘客事業//三陸復興大同窓会さんりくるっと/市場で朝めし。/気仙沼漁師カレンダープロジェクト/気仙沼サンマフェスティバル 2017

こうした交付実績の明示は応募に際してとても参考になりますね。

市の予算を使っての補助事業ですから、応募資格や各種の申請書類もあります。そう簡単なことではありませんが、様々な活動をおこなっている皆さんにとっては大きな支援となるでしょう。

市の募集要項をみると、〈常に新しい気仙沼の魅力が創造されていくことを〉求め、新規の応募/申請を促進したいとの意向がうかがえます。資料にはつぎのメッセージも記されていました。〈気仙沼の良さの掘り起しなどの独創的な企画をお考えの団体など、この機会にぜひ応募ください〉

申請期限/受付締切は9月20日(金)です。

市観光魅力創造補助金事業募集について(PDF)
 

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tag : 観光魅力創造事業補助金

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

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