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住民合意800日

本日夜のテレビ番組のご紹介です。

住民合意
番組サイトのイメージ

◎NHKスペシャル/シリーズ東日本大震災
「住民合意
800日 葛藤の記録」
・NHK総合テレビ
・6月28日(金)
午後10時00分~10時49分

被災地復興における〈住民合意〉というテーマはなかなか難しい課題です。気仙沼の〈防潮堤を考える会〉でも、〈住民合意〉をどう得るのか、そしてそもそも〈住民合意〉とはどういうことなのかが議論のテーマのひとつであったように思います。

このNHKスペシャルでは、宮城県名取市での長期取材を通じてこの問題を考えます。番組サイトでは内容をつぎのように紹介しています。

「 一向に進まない被災地の復興。今その最大の課題が「住民合意」である。被災地各地で今、行政への住民の不信拡大、さらに住民同士が対立する事態が起きている。

震災直後、ガレキ撤去などを1ヶ月で終えるなど復興のトップランナーだった宮城県名取市。しかし町づくりの議論が始まると、復興は進まなくなった。住民の合意形成が進まず、計画を根底から見直すべきだとの声まで上がっている。さらに「現地再建」や「集団移転」など様々な主張の住民団体が結成され、分裂。市はそうした状況下で現行案にこだわり、復興に向けた話しあいは膠着してしまう可能性をはらんでいる。しかしその中でも、なんとかしたいと考える住民が現れ、「意見の違いをこえて話あいの場を持とう」という自発的な動きも出始めた。

どうしてもぶつからざるをえない利害や思い。今後は土地の権利移転を含むさらに困難な課題が待ち受けている。合意はいかにして可能になるのか。何が鍵となるのか。復興への道に立ちふさがるこの難題を、長期取材を続けてきた名取市のドキュメントを通して、考える。 」

紹介文引用は以上です。
気仙沼でも防潮堤問題をはじめ、地域住民の合意が求められる様々な課題があります。住民のなかにも異なる意見や利害の衝突があるだろうことを容易に想像することができます。しかし、難しい問題だからといって逃げるわけにはいきません。〈住民合意〉とはなんなのか、どんな方法があるのか。この番組で少し勉強しようと思っています。

番組公式サイト

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故郷の訛り懐かし

25日のブログ「たんがいでけんね」に、「31回生3年11組20番」さんからのコメントがありました。「(気仙沼中学)31回生」さんは大阪在住で、昨年8月に気仙沼の高軟式野球部が全国大会に出場したときもいろいろと情報をくださいました。スマホなどではコメントが見にくいと思いますので、ここに再掲させていただきます。

「ご無沙汰です。書かずにおられず筆をとりました(マウスを握りました!かな?)。大学に入って居酒屋でアルバイトを始めましたが、ごみの片付けの時に同じようなことがありました。

〈ちっと、そっちたんがいでもらえませんか?〉と言った言葉に反応してくれたのは、福島いわきの出身の先輩で、〈H君(私のこと)、たんがぐって言っても誰もわがんねぇよ!〉と、〈わがんねえよ〉の語尾が上がる独特の訛りで腹を抱えて笑われました。先輩も久しぶりに聞いたのか、笑いのツボにはまった様子でしばらく笑いが止らず状態。上京2ヶ月くらいのことですし、兄と同居してたので、標準語とは思わないまでも、無意識のうちに口をついてましたね。

石川啄木は、ふるさとの言葉を求めて上野の停車場に行ってたようですが、時代は下って『ふるさとの 訛りなつかし おださんの ブログのなかに そを聴きにゆく』に変わりましたね(笑)」

コメント引用は以上です。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく

東北本線の終着駅である上野駅15番線の車止めの前には、啄木のこの短歌を記した歌碑があるそうです。〈そを〉は〈それを〉の意。

私は〈31回生〉さんの詳しいプロフィールは存じ上げないのですが、推測するに高校卒業後は気仙沼を離れ、〈標準語〉や〈共通語〉に満ちた東京で学んだ後、強い個性をもった〈大阪弁〉〈関西弁〉の環境で28年を過ごし、現在は50歳前後。

啄木の歌もとてもいい。しかし私は、〈たんがぐ〉の言葉に〈書かずにおられず筆をとった〉31回生さんの心境にこそ、しみじみとしたものを感じました。

31回生さん、ありがとうございました。話を盛りすぎていたらごめんなさい(笑)。

6月25日ブログ「たんがいでけんね」

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アキの上京ルート

今週からNHK連続ドラマ〈あまちゃん〉は東京編。アキが上京しました。2009年の夏のことです。月曜日24日には〈鉄拳〉のパラパラ漫画でアキの上京ルート、北三陸駅から上野駅までがつぎのように紹介されました。

北三陸(北三陸鉄道) 宮古(山田線)釜石(南三陸鉄道)盛(大船渡線)気仙沼(気仙沼線)石巻(石巻線)仙台(東北新幹線)上野 着

路線図
JR路線図(2009年)クリックで拡大します。なお、路線図中、被災した気仙沼線の柳津~気仙沼間、大船渡線の気仙沼〜盛間の鉄路は未復旧で、専用バス(BRT)で運行されています。

ドラマ上の北三陸駅は実際にはなく、三陸鉄道北リアス線「久慈駅」がモデルになっています。三陸鉄道やJR山田線を利用しながら、気仙沼を通過します。そして次に出てきた駅名が〈石巻〉。私は混乱しました。なんでわざわざ石巻に。

上に掲げた路線図はJRのもの(そのために第3セクターで運営されている三陸鉄道は示されていません)。石巻を経由するためには、前谷地で乗り換えて石巻線で石巻に、そして今度は仙石線で仙台に出る必要があります。石巻線で仙台に行けるわけではないので、ちょっとここは誤りというか誤解を与えますね。

24日にはネット上でもこのルートへの疑問の声があがりました。なんで石巻を経由したのだろうと。便利さでいえば、気仙沼からは大船渡線(ドラゴンレール)で一ノ関(いちのせき)に出て、東北新幹線に乗車するのが自然だからです。

できるだけ内陸に入らずに、気仙沼線を使いながら三陸海岸をフォローしつつ〈石巻〉の名も出したいといったところでしょうか。宮藤官九郎さん、何か考えてこのルートにしたはず。

ここで新たな疑問。1984年の夏、アキの母〈キョンキョン〉春子は、どのようなルートで上京したのか。気仙沼を通過しているのか。たぶん、宮古から山田線で盛岡に抜け、そこから東北新幹線で一気に東京に向かったのでしょう。キョンキョンはそんな性格だと思う。なんかそんな気がする。

ところで、この路線図には、気仙沼の大谷海岸や岩手県の大槌、吉里吉里(きりきり)をはじめ、23日の防潮堤シンポジウムのなかでも何度も話された地名、駅名がならんでいます。上の路線図の下側、アキが上京するときには左方向にあった三陸沿岸一帯に巨大防潮堤が計画されているのです。

そんなことを考えていたら、〈あまちゃん〉の終盤に、アイドルとなったアキが上京時とは逆に、石巻をはじめ大津波が襲来した三陸沿岸を北上するイメージが頭にうかびました。〈あまちゃん故郷に帰る〉。なんかそんな気がする(笑)。

4月30日ブログ「三陸鉄道開業の年」

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たんがいでけんね

防潮堤問題についての〈コンクリート〉な話が続いておりましたので、本日は気仙沼弁の話題でしばしリラックス。

気仙沼の南町で育った妻から聞いた話です。私が適当につくり直しているところがありますが、つぎのようなことでした。

気仙沼魚町出身のAさんが東京の大学で音楽を学んでおりました。そしてある日のこと、演奏会の準備のために楽器を運んでいたとき、回りの人に声をかけます。
〈誰か、一緒にたんがいでくれませんか〉
そしてその声に〈は〜い〉といって手伝ってくれたのが、山形出身の女子学生だったというのです。

この話を聞いたのは20年以上も前のことなのですが、いま思い出してもかなり笑えます。〈たんがぐ〉とは、〈持ち上げる、移動する〉。『けせんぬま方言アラカルト』(菅原孝雄編)では、用例として「こいづ、重(おも)でがらたんがえですけらいん」を掲げています。〈すけらいん〉は〈助けてください/手伝ってください〉。

Aさんは〈たんがぐ〉を標準語と思っていたのですね。地元気仙沼では〈誰か、一緒にたんがいでけんねすか〉というところを、ちょっとすまして〈誰か、一緒にたんがいでくれませんか〉と。

そのお願いにすぐに反応した山形出身の人。〈たんがぐ〉は山形と〈共通語〉だったのですね。とってもいい感じ。やさしい人柄がしのばれます。

東京に出てきた人の口からこぼれでる故郷の言葉。これをとっても好ましく感じるのは還暦を過ぎたからなのでしょうか。

気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんはいま、毎週土曜日の午前11時から2時間、FMヨコハマの〈Travelin' Light〉という番組でDJをつとめています。なかなか楽しい番組で私も聴いているのですが、美由紀さんのおしゃべりの中に、時として気仙沼の〈なまり〉というか〈かおり〉を感じることがあります。けっして〈たんがぐ〉みたいな言葉を使うということではなく、微妙なイントネーションなのですが、わかる人にはわかる、うれしい瞬間です(笑)。

このFM番組、ネットの〈radiko〉でも聴けますので、是非みなさんも、美由紀さんの語りのなかに気仙沼の〈かおり〉を感じてとってみてください。じゃなかった、〈聴イデミデケンネ〉か。


FMヨコハマ〈Travelin' Light〉番組サイト

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駒場で防潮堤再考

きのう23日、東京大学の駒場キャンパスでの〈防潮堤を再考するシンポジウム〉に行ってきました。妻と一緒に会場に向かって歩いていたら後ろから〈オダくん〉と呼ぶ声が。振り向けば菊田裕美君。約180席の会場は満員でした。私たちも含め気仙沼出身者はわかっただけで7人ですが、ほかにもいたのでしょう。

全体 シンポジウム
左:会場全体(休憩時) 右:2部セッション
大谷報告 小熊さん4
左:大谷の三浦さんからの報告 右:小熊さん(右)と三浦さん

第1部ではまず、会の世話役でもある南三陸町出身の山内明美さんが会の趣旨や防潮堤問題の概略を説明しました。続いて気仙沼の三浦友幸さんから気仙沼の大谷地区での防潮堤問題、岩手県大槌町の碇川(いかりがわ)豊町長からは大槌町の現状と鎮魂の森構想について、それぞれ30分ほどの報告がありました。

第2部では、1部の三浦さんと碇川町長に、小熊英二さん(慶應義塾大学教授)と高橋博之さん(元岩手県議で前回の知事選に立候補)が加わり、丸山真人さん(東京大学大学院総合文化研究科教授)の司会のもとに意見交換が行われました。その後30分ほど会場から質問を受けるなどして3時間半の会を終えました。

報告や発言内容は多岐にわたりますので要約することはしませんが、巨大防潮堤計画をめぐる問題が複雑であることがよくわかりました。第1回目のシンポジウムとして大変有意義であったと思います。

全体としては巨大防潮堤計画に疑問をもつ人が多く集まっていたように感じました。しかし、会としては単なる反対運動ということではなく、十分な議論がないままに被災地を手始めに全国で展開されようとしている巨大防潮堤計画に対して〈ちょっと待ってください!〉と呼びかけているのでしょう。その気持ち、よくわかります。

このシンポジウムにはNHKのテレビ取材がはいっていました。どのような形で報道されるのかはわかりませんが、国民的な議論のきっかけになってくれればなと思います。

潮目が変わり始めているのではないでしょうか。私は思い出します。大津波から半年が過ぎた2011年10月ごろ、民放テレビの朝の番組で防潮堤問題をとりあげていました。気仙沼市内湾地区での6.2メートルの防潮堤計画に反対する声を受けて、スタジオのコメンテーターの方々は〈観光産業と人間の命とどっちが大切なのでしょうか〉とちょっとあきれ顔で語っていました。気仙沼のあの景観を守りたいという気持ちを、あたかも〈命よりも目先の利益や経済を優先するあさはかな考え〉であるかのように。

しかし今、同じコメンテーターの方にこの巨大防潮堤問題への意見を聞けば、〈こんな巨大な防潮堤を計画するなんて、国はなにを考えているのでしょうか〉と語るでしょう。

その高さは別として防潮堤が必要なところもあると思います。なにも一律にやめろなどと言ってるわけではないのです。自治体によっても、また浜によってもそれぞれ違う事情をかかえています。だから複雑で難しい問題なのです。

こうして東京でも始まった巨大防潮堤問題をめぐる議論。ひとりでも多くの人がこの問題を正しく理解し、それぞれの地域そしてこの国にとって最善の選択がなされるよう願っています。

2011年10月14日ブログ「高すぎる壁」

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防潮堤を考えよう

19日のブログで6月23日に東京大学の駒場キャンパスで開催される〈防潮堤を再考するシンポジウム〉をご案内しました。今日はその関連で、〈防潮堤を考える〉という映像を紹介します。約12分で、巨大防潮堤計画の問題がわかりやすくまとめられています。


https://www.youtube.com/watch?v=g4TI7eF72PI&feature=player_embedded

この映像を制作した大塚博子さんは、気仙沼の大谷(おおや)出身で、現在はオーストラリアのタスマニアで教師をなさっています。そして、〈被災地だけでなく全国の沿岸部に建設が予定されているコンクリートの巨大防潮堤に危機感を抱き、全国の皆さんにこの計画について考えて頂くため〉にFacebookで「ThinkSeawall防潮堤を考える」のフォーラムを始めたのです。23日のシンポジウムもこのフォーラムの活動がベースになっているようです。

Facebook「ThinkSeawall防潮堤を考える」
Facebookのアカウントを持っていなくてもご覧いただけます

また大塚さんは自身のサイト「change.org」で、阿倍首相に〈被災地を囲むコンクリート巨大防潮堤建設の再検証を要望する〉署名運動も展開しています。

「change.org」署名運動サイト

なお、6月23日のシンポジウムが毎日新聞に紹介されています。7月13日には仙台の東北学院大学でもこのシンポジウムが開催されるということです。詳しくはあらためて。

毎日新聞夕刊 6月20日配信

今日はサイトのリンクが多くて読みにくいかもしれませんが、防潮堤をめぐる議論が気仙沼などの被災地域を越えて始まっていることを知っていただきたくご紹介しました。

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気仙沼のジョニ黒

NHK連続ドラマ「あまちゃん」。主人公アキが暮らす天野家のスタジオセットはよくできています。いかにも三陸沿岸の漁業を営む家の雰囲気です。2週間ほど前のNHKテレビ〈とっておきサンデー〉で〈あまちゃん〉の小道具などについて美術担当者の仕事を紹介していました。画面にうつるかどうかわからないところまで、ちょっと古ぼけた感じを出す〈エイジング〉をほどこすなど、細かな処理がなされています。

天野家のちらかった感じもなかなかですね。画面のそこかしこにうつるちょっとしたグッズの数々もそうした美術担当者の努力のたまものなのでしょう。そんな小道具のひとつに、アキの祖父 天野忠兵衛が遠洋漁業の寄港先で買ってきたとおぼしき人形や船の置物があります。あれを見たとき、気仙沼の多くの人が笑ったのではないでしょうか。〈あるある〉〈あったあった〉と。

以前、気仙沼南町の妻の実家にも、スペイン土産なのかフラメンコの人形や、メキシコ風のソンブレロがありました。魚町の私の実家には、人形はありませんでしたが、30センチぐらいのワニの剥製。あれは実はトカゲだと聞いたことがありますが、友達の家にいくとだいたいありましたね。あとはサメの頭というか顎(あご)の骨。小学生のころ、三角形のサメの歯を得意そうに友達が見せてくれました。もらったかもしれません。

そして置物ではありませんが、スコッチウィスキー〈ジョニーウォーカー〉の黒ラベル。ジョニ黒。実家の茶箪笥というかサイドボードにもありました。飲まずに飾ってあるという意味ではあれも置物か(笑)。今はずいぶん安くなりましたが、40〜50年前は高価でした。ウィキペディアによれば1957年当時は1万円で、当時の大卒初任給の2カ月分に相当したそうです。私の父はあまりお酒を飲まなかったので、来客時に少し飲んだり、飲まずにストックしておいてほかの方に差し上げていたと思います。

気仙沼の遠洋漁業が盛んだったあの頃、遠い国からやってきたジョニーさんは高級贈答品としてあっちに行ったりこっちに来たり。気仙沼中を歩き回っていたのでしょう。今は見かけないと思う。たぶん。

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防潮堤を再考する

今度の日曜日23日に、東京大学の駒場キャンパスで〈防潮堤を再考するシンポジウム〉第1回目が開催されます。主催は「東北から日本の未来を考える会」で、気仙沼の「防潮堤を考える会」も共催団体に名を連ねています。

防潮堤再考する
シンポジウム案内状の一部イメージ

まずは日程や内容を以下に。

東北から、100年後の日本を考える
防潮堤を再考するシンポジウム(1)

日時:2013年6月23日(日) 13:00〜16:00
場所:東京大学駒場キャンパス 18号館1階 ホール
地図はこちら

シンポジウム スケジュール

第1部 現地からの報告
司会 丸山 真人 (東京大学大学院総合文化研究科教授)
山内 明美 (一橋大学大学院言語社会研究科、宮城県南三陸町)趣旨説明 20分
三浦 友幸(宮城県気仙沼市)気仙沼市大谷海岸からの報告 30分
碇川 豊(岩手県大槌町)大槌町の現状と鎮魂の森構想について 30 分

(休憩 15分)

第2部 セッション
司会 丸山 真人(東京大学教授)
小熊 英二(慶応義塾大学教授)
三浦 友幸(気仙沼市大谷地区)
碇川 豊 (岩手県大槌町)
高橋 博之(岩手県花巻市)

主催:東北から日本の未来を考える会
共催:東京大学大学院総合文化研究科 「人間の安全保障」プログラム (HSP)
防潮堤を勉強する会(気仙沼)
後援:公益財団法人日本生態系協会/「人間の安全保障」プログラム(HSF)

「東北から日本の未来を考える会」ホームページ

第2部のセッションメンバーの一人、小熊英二さんは、慶應義塾大学総合政策学部教授で50歳。昨年の官邸前での反原発の市民団体と野田首相との面会を仲立ちしたことでも知られています。昨年の著書『社会を変えるには』(講談社現代新書)もずいぶん話題になりました。

会のホームページに、この活動の〈呼びかけ人〉が紹介されていますが、小熊さんのほかにも、養老孟司さんや山折哲雄さん、そして建築家の伊藤豊雄さん、山本理顕さん、妹島和世さんなどの名が続きます。この方々のお名前を見ていると、巨大防潮堤問題について、やっと国レベルの議論が始まったかとの思いがあります。

開催趣旨の中につぎの一節がありました。
〈2011年3月11日以後、被災地で暮してきたわたしたちは、もうひとつの社会へむけて歩み出す必要性を感じています。この災害は、途方もない破壊と分断を生み出しています。ひとの生命や財産を守るということがどういうことなのか、根底から問われているように思います。三陸沿岸の人々の暮らしが海からの恵みと脅威の狭間で成立してきたことを、今一度考えたいと思います〉

被災3県のみならず、今後は、日本列島全域の災害対応の課題とされている巨大防潮堤について議論していくとのことです。第1回目のこのシンポジウム、お時間が許せば是非ご参加ください。

5月24日ブログ「現代版万里の長城」
3月15日ブログ「海が奪われる」

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気高の関東同窓会

きのうの夜は、このブログでも何度か紹介してきた民俗学者 川島秀一さんとの懇親の会に出席しました。川島さんは気仙沼小・中・高で一年後輩です。気中21回生。気仙沼の魚町で同じ風景を見て、同じ気仙沼の匂いを感じながら育ちました。川島さんは昨年4月に気仙沼を離れ、神奈川大学特任教授を経て本年4月から仙台にて「東北大学 災害科学国際研究所」の教授として忙しく活動されています。

40数年ぶりの再会です。お互いが小さかったころの魚町界隈のあれやこれやを懐かしい同級生らの名をあげながら話しました。楽しかった。と、前置きが長くなりましたが、本日は、7月13日の気仙沼高校関東同窓会総会・懇親会のご案内。



気仙沼高校関東同窓会総会・懇親会
・日時:2013年7月13日(土)
 総 会:11:30〜12:00(受付11:00〜)
 懇親会:12:10〜 (着席ビュッフェ形式)
・場所:九段下・ホテルグランドパレス
・会費(懇親会費):
  〜平成13年卒業:9,000円(年会費込み)
  平成14年〜25年卒業:3,000円(年会費込み)
  平成24年〜25年卒業:無料(年会費込み)

出席申込みや詳細は次のサイトをご覧ください。

気仙沼高校関東同窓会サイト

関東同窓会事務局
TEL 03-5925-8033 (株)イーシンコミュニケーションズ内

なお、気仙沼高校は、2005年に旧気仙沼高校(男子校)と旧鼎が浦高校(女子校)が統合して新しい気仙沼高校となっています。本年は、気仙沼向洋高校(旧気仙沼水産高校)関東同窓会との合同懇親会となります。また、昨年もそうでしたが、気仙沼のほかの高校卒業生の懇親会参加も可能なはずですので、事務局にご相談ください。

昨年の関東同窓会では、多くの懐かしい人に会うことができました。今年もまた会場でお会いしましょう。

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観光特区 気仙沼

先週水曜日の朝、打ち合わせがあり直行で恵比寿へ。その帰りにJR恵比寿駅に行ったら〈あっ、斉吉さんだ〉。みどりの窓口などがある〈びゅープラザ〉のビデオディスプレーに気仙沼の斉吉商店専務である斉藤和枝さんの笑顔がうつっていたのです。すぐ画面がきりかわったのでほんの一瞬のことでした。

斉吉商店
キャンペーンPRビデオの斉藤和枝さん。笑顔がうまく撮れずすみません。

立ち止まって見てみると、JRの仙台・宮城デスティネーションキャンペーン「笑顔咲くたび 伊達な旅」のPRビデオでした。宮城県を5地区にわけて20分ほど紹介するのですが、気仙沼は〈三陸エリア〉の中で3分ほど。徳仙丈山や田束山(たつがねさん)のツツジや、同級生平塚一信君の店がある〈さかなの駅〉も紹介されていました。音量が絞られていましたので音は聞こえないのですが、たぶん斉藤さんは〈どうぞ、気仙沼にいらしてください。みんなお待ちしています〉と語っていたのでしょう。

この日、ニュースでは気仙沼市が「観光特区」に認定されたと伝えていました。
2016年3月末までに区域内に立地する観光関連の事業所は、固定資産税、不動産取得税、法人税などの減免を最大5年間受けられるというものです。

報道によれば、震災前には年間約250万人の観光客が気仙沼を訪れていましたが、震災が起きた年には43万人へと急激に落ち込んだそうです。昨年は78万人と盛り返しましたが、震災前とは程遠い状況だといいます。

今回のJRの観光キャンペーンは、4月1日から6月末まで。12日の朝、恵比寿駅で乗車し原宿で乗り換えたのですが、原宿駅構内の放送でも〈笑顔咲くたび 伊達な旅〉とキャンペーンの案内をしていました。これまではあまり気づくことはなかったのに、この日はちょっと特別だったようです。

JRさんをはじめ観光関連企業の努力に対し、気仙沼の〈観光特区〉認定が追い風になってくれるよう願っています。

さあ、気仙沼においでよ!

河北新報6月12日配信内容「気仙沼の観光特区」

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同級生をしのぶ会

先日、実行委員長 臼井真人君と事務局 小山謙一君の名がある封書が届きました。開けてみると「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」の案内でした。

気仙沼中学校20回生の皆様
気仙沼高校22回生有志の皆様

「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」開催について

平成23年2月12日に開催した「気仙沼中学校昭和42年卒業第20回生の還暦を祝う会」には、約200名の仲間が集い、歌、踊りや太鼓などで大いに盛り上がり旧交を温めました。その楽しかった余韻がまだ残る3月11日の午後2時46分に「東北地方太平洋沖地震」が発生、気仙沼市域に最大20mの津波が押し寄せ、さらに火災が発生したことにより故郷の風景は一変してしまいました。東日本大震災であります。(中略)

「還暦後1年、震災復興支援感謝の集い」を昨年11月3、4日に南三陸ホテル観洋で開催したところ、約120名の仲間が集い、復興に向けて寄せられた支援に感謝するとともに、お互いに健康で元気に頑張っていくことを確認しました。それなのに、昨年12月7日には、気仙沼市柔道協会副会長で、気仙沼高校の不惑ソフトボール大会では同じ回生の世話役などでも活躍し、病気とは縁のないように思われ、一番頑丈そうに見えた阿部健樹君が、そして、33歳、42歳の大厄、還暦などの節目の年に、20回生(卒業時473人)が一堂に集う企画、運営などを事務局長としてお世話いただいたほか、気仙沼のまちづくりにも大きな役割を果たしていた小山隆市君が今年1月14日に亡くなるという、とても悲しくつらい出来事が起きてしまいました。

1月17日の小山隆市君の葬儀、告別式に参列した仲間から、落ち着いたら「二人を偲ぶ同年会」をやろうという声があがり、遠方から帰省される方々のことも考え、お盆の時期の開催としたところであります。
多くの方々にお集まりをいただき、二人を偲びながら、再び旧交を温めたいと思いますので、趣旨をご理解いただきたくご出席くださるようご案内申し上げます。敬具


日時 平成25年8月17日(土)午後6時〜
場所 気仙沼プラザホテル
会費 6000円

引用は以上です。なお、上記の案内が届いていない方など、お問い合わせは本ブログのメールフォームあるいは [email protected] まで。

今回の偲ぶ会ではお二人のお名前が掲げられていますが、大震災では及川保規君、鷺(庄司)良子さんが亡くなっていますし、私の3年8組ではその3カ月後6月23日に秋月幸夫君を失っています。そして杉目俊夫先生も。

お盆の時期に開かれるこの集まりは、そうした同級生をはじめ惜しくも亡くなられた方々をみんなで偲ぶ会になることでしょう。

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気仙沼の歴史

先月末、気仙沼図書館が「気仙沼市史」を無償で譲渡していると知り、早速申し込みました。そして7日に到着したのがこれ。

市史
手元に届いた「気仙沼市史」(第2巻が欠けています)

残っている巻もまだあるようなので、気仙沼図書館サイトの告知内容を紹介します。

◎「気仙沼市史」をお譲りします。

 東日本大震災により「気仙沼市史」の保管先が被災したことにより、若干のカビが発生していますが、ご了承いただける方に無償でお譲りします。また、各巻それぞれ冊数に限りがありますので、ご了承ください。

1.譲渡対象者
(1)気仙沼図書館に来館し、受け取りが可能な市内在住の方
(2)送料着払いでの受け取りが可能な気仙沼市出身の方
(3)(1)または(2)の方で本の状態が悪くても了承いただける方

2.申し込み先
  気仙沼図書館

3.申込方法
(1)来館し、受け取り可能な方・・・申込書をダウンロードし、必要事項を記入してカウンターに出すかカウンターでお話し下さい。
(2)着払いで受け取りの方・・・申込書をダウンロードし、気仙沼図書館まで送付してください。送付する前に必ず、気仙沼図書館(電話0226-22-6778)まで連絡をお願いします。申込書が届き次第、発送いたします。

気仙沼図書館ウェブサイト
申込書ダウンロード

気仙沼市史の8日現在の在庫数は次のとおり。

「気仙沼市史」在庫数(6月8日現在)
 第1巻:自然編       75冊
 第2巻:先史・古代・中世編 品切
 第3巻:近世編         5冊(13日現在品切)
 第4巻:近代・現代編    46冊
 第5巻(上):産業編(上)  品切
 第5巻(下):産業編(下) 337冊
 第6巻:教育・文化編    85冊
 第7巻:民俗・宗教編    15冊(13日現在品切)
 第8巻:資料編       76冊
 補遺編          395冊
 索引            77冊

私が申し込んだときには第2巻が欠けているだけでしたが、今は3巻、5巻上、7巻もなくなっています。なお、比較的冊数のある第5巻(下)産業編(下)には、気仙沼の漁業の歴史がまとめられています。漁業関係者はこの巻だけでも入手なさるとよいと思います。

気仙沼文化史年表(荒木英夫編)によれば市史編纂室が気仙沼図書館に置かれたのが1979年2月。それから各巻が編纂され「総索引・総目次」の発行は1999年3月です。20年をかけて編纂された「気仙沼の歴史」。この機会にお手元におかれてはいかがでしょうか。

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弘君からの電話

昨日、無印良品のふかひれスープについてのブログを書いたあとに、気仙沼の臼井弘君(3年4組)に電話しました。弘君が経営する福寿水産ではフカヒレの加工・販売をおこなっています。やはり、連絡しておかないとね。

弘君は無印良品のニュースリリース内容は知らなかったとのことでしたが、〈この前、無印良品の人達が気仙沼に来て、市場の視察や関係者の話を聞いていった〉そうです。
〈んで、あどでブログ見でみっから〉

そして午後7時過ぎに弘君から電話がありました。
〈ああして毅然と語ってもらえるとホント助かる〉という無印良品への感謝の言葉のあと、〈ひとつ誤解があるといけないので念のため〉ということでつぎのことを話してくれました。

ニュースリリースの中に、〈気仙沼港で水揚げされるヨシキリザメは、主にマグロ延縄漁の‘混獲魚’として水揚げされたものであり〉という表現があるが、ちょっと実態と違うというのです。ここでいう「混獲(こんかく)」とは、漁獲対象とは違う魚種が獲れてしまうこと。つまり、マグロを獲ろうとしているのだがフカがついでに獲れてしまう。弘君がいうには、確かにフカが混獲魚であったときもあったそうですが、現在の延縄(はえなわ)漁では、フカも漁獲対象としているのだそうです。

私もずいぶん昔に〈気仙沼のフカヒレはマグロ漁の副産物〉と聞いていて、これまで漠然とそう思っていました。でも今は違うのですね。弘君の話は続きます。

〈混獲ではないからこそ、ヒレでも皮でも肉から軟骨まで、みんなうまく使うのっさ〉

ウィキベディアで「混獲」を調べてみると〈サメの混獲〉についてつぎのように書いています。
「マグロ延縄漁ではサメ類も混穫され、気仙沼港からのマグロ延縄漁では全体の75パーセントがヨシキリザメという結果が出ている(刺身用の三種のマグロが1025尾に対してヨシキリザメは16836尾である)。このサメ類の混穫ではフカヒレだけをとって捨てる場合も多く、環境保護団体に問題視されるが、日本においては魚肉もすり身として活用しており、無駄になってはいない」

この文中の数字は大丈夫だろうか。出典は「魚の経済学〜市場メカニズムの活用で資源を護る」(山下東子著 日本評論社刊157-158頁)。2009年の本ですので、そんなに古い数字ではないのでしょうが。

ちょっと話が複雑になってきたのでこの辺にしておきますが、臼井弘君の〈無印良品への感謝〉と〈事実を多くの人に正確に理解して欲しい〉という気持ちを知っていただきたくこの話を紹介しました。

6月11日ブログ「頑張れ!無印良品」
2012年7月18日ブログ「福寿水産・再起動」

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頑張れ!無印良品

〈無印良品〉は、1990年に西武流通グループの〈西友ストアー〉自社開発製品ブランドとしてスタートし、現在は(株)良品計画が展開する人気ブランドです。

〈無印良品〉はレトルトなどの食品も開発・販売していますが、そのなかの「ごはんにかける ふかひれスープ」に対し、インターネット上でその販売中止を求めるキャンペーンが今年3月ごろから展開されていると知り、驚きました。

ふかひれスープ
    〈無印良品〉ネットストア上の商品画像

これは鯨の保護と同様にサメ(フカ)の乱獲防止を求める立場からのフカヒレ加工や販売を規制すべきというキャンペーン、反対運動のひとつです。最近もサメの漁獲規制がニュースで伝えられましたが、鯨をめぐる保護の動きがサメにも広がっています。

このフカヒレスープの販売中止を求める動きに対し、〈無印良品〉の良品計画は6月7日付けでニュースリリース(報道発表)を行っています。

2013年6月7日ニュースリリース

少し長いのですが、内容が正確に伝わるように前半部をそのまま引用します。

◎無印良品「ごはんにかける ふかひれスープ」の販売中止を求めるご意見について

本年3月頃より、全国の無印良品の店頭およびネットストアなどで販売する「ごはんにかける ふかひれスープ」の販売中止を求めるキャンペーンが、インターネットのサイト等を中心に展開されています。
これまで、弊社では静観の姿勢を保ってまいりましたが、この度のキャンペーンにおいて販売中止を求める主張の根拠とされている主たるポイントの中には、一般消費者の皆様に対して誤解と混乱を招くのではないかという懸念を抱かざるを得ないものも含まれており、今般、弊社の見解を以下のように申し上げることといたしました。

今キャンペーンのサイトなどからの引用によれば、販売中止を求める主たる根拠は以下の2つです。

「フカヒレスープの需要により殺害されるサメの数は何と年間約1億匹」
「同社の利用するヨシキリザメは国際自然保護連合(IUCN)により準絶滅危惧種に指定」

上記、1、2に対する弊社の見解を以下のとおり申し上げます。

1、弊社製品に使用するふかひれは、約70%以上の量が宮城県気仙沼港の他、日本国内にて水揚げされたサメからのものであり、残り30%弱がスペイン産のものです。
この気仙沼港で水揚げされるヨシキリザメは、主にマグロ延縄漁の‘混獲魚’として水揚げされたものであり、その混獲されたサメは水揚げされたのち、その身は各種練り物製品へ、また軟骨は健康食品、皮革は工芸品等にと、さまざまなものへ利用されています。このことは、弊社商品開発担当者が現地の港にて、サメの水揚げから加工までの工程を実地検分にて確認が済んでおります。
すなわち、弊社製品に使用されているふかひれの入手方法は、一部の地域で行われているようなFinning(ヒレだけを取るためにサメを殺戮し、その他の部分は海上で投棄する)によるものとは明らかに一線を画す手法であり、同一視されるべきものでもありません。
なお、弊社では原料のトレーサビリティーを一層向上させるため、出来るだけ早い機会に全ての原料を国産のみに切り替える方針ですが、現在使用しているスペイン産につきましても、すでに1年前よりヨーロッパとアメリカでもサメのヒレを切り離してリリースすることは禁止されていますので、ふかひれは日本のものと同様の入手方法です。

以上が、1に対する良品計画の見解の引用です。これに続き、2のヨシキリザメが国際自然保護連合(IUCN)の「保全状況の評価リスト」における準絶滅危惧種に指定されているということについて、これが「低リスク」に分類されていることと、ヨシキリザメはその中でも下位に位置づけられていることを述べています。また、日本の所管省庁への確認のみならず、日本の法令によっても何ら漁獲規制のないことは確認が済んでいるとしています。なお、Finningに関する規制は存在するとのこと。

ニュースリリースはつぎのように結ばれています。

「私たち無印良品は常に生産者の皆様と共に、世界のお客様に向けて最適な商品のご提案に努めております。〈ごはんにかける ふかひれスープ〉については、以上の理由に加え、生産者である宮城県の気仙沼を中心として行われてきた伝統的地場産業の一助となることからも、販売を継続することが妥当と考えております」

無印良品/良品計画さん、ありがとうございます。〈気仙沼を中心として行われてきた伝統的地場産業の一助となることからも、販売を継続〉というところに多くの気仙沼関係者が拍手していることと思います。

ただ、低リスクとはいえ、ヨシキリザメが国際自然保護連合により準絶滅危惧種とされていることは事実です。将来に向けてのフカヒレ産業の発展のためにも資源の保護やマグロを含む漁獲規制という課題に取り組む必要があることを私たちもしっかりと認識しておくべきでしょう。

販売中止を求めるキャンペーンサイト

なお、この問題についての2011年までの経過についてはつぎのブログ記事が詳しく解説しています。
2011年2月Red Fox「ガーディアンの気仙沼サメ漁批判記事の背後にグリーンピース」

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投票しめきり迫る

日本百貨店協会主催の「ご当地キャラ総選挙」。現在おこなわれている地区予選投票がいよいよ6月16日(日)で締め切りとなります。

本日10日(月)午前11時の得票数をみて見ると、宮城県代表の気仙沼「海の子ホヤぼーや」は2位。1位の青森県「たか丸くん」にかなり差をつけられています。この1週間でなんとかもりかえさないと。

キャラ
「ご当地キャラ総選挙」地区予選投票画面イメージ(6月10日午前11時)

投票は、インターネットでの1人1票のほか、各地の日本百貨店協会加盟の店舗で行うことができます。ネットでの投票はお済みのことと思いますが、仙台、そして気仙沼の方々の店舗投票をお願いしたく。仙台では仙台三越、藤崎、さくら野百貨店(青葉区中央1丁目)です。5月の時点では気仙沼での店舗投票ができず気仙沼のハンディとなっていましたが、現在は神山にある藤崎ギフトショップ気仙沼店でも投票可能となりました。東浜街道(26号線)沿いトヨタカローラ宮城の向かいです。

(株)藤崎 気仙沼店/藤崎ギフトショップ気仙沼店
気仙沼市神山1−5 電話:0226-22-2460

さ、みんなで藤崎さ行くべ! ということで、どうぞよろしく。

ネット投票はこちらから。
地区予選投票サイト

5月22日ブログ「再び投票のお願い」

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気仙沼エネルギー

おとつい5日、気仙沼高校の同級生である大島〈宮古屋〉熊谷雅裕君からメール。
「先週発売の週刊新潮6月6日号の64ページに気仙沼商会の高橋正樹社長の記事が載っている。ご連絡まで」

高橋正樹
週刊新潮6月6日号 記事の一部イメージ

早速見てみると、2月のブログで紹介した三陸飼料の記事と同じく、三菱商事のPR記事として、地元の間伐材を活用した木質バイオマス発電事業を行う気仙沼地域エネルギー開発が紹介されています。三菱商事復興支援財団は、気仙沼信用金庫と「気仙沼きぼう基金」を設立し、復興のための企業支援活動を行っているのです。ちょっと長めですが、記事の一部を紹介します。

〈 「気仙沼の希望を繋ぐためのエネルギーを何とかしたいなと」。こう語るのは気仙沼地域エネルギー開発の高橋正樹社長(50)だ。高橋はガソリンスタンド(GS)を地元中心に18店舗展開し、90年余の歴史を有する気仙沼商会の社長でもある。彼は東日本大震災の翌日には給油を再開させた気骨の男だ。

「震災当日はGSで社員面談をしていた。尋常でない揺れに、直ちに山に逃げるように指示しました」。自分も車で避難。渋滞のため途中で車を乗り捨てると、歩いて帰宅した。家族の安否を確認し、共に近くの役所のある高台に避難した。間もなく役所の下の通りでは、クラクションが鳴りっ放しの車があちこちで何台も水に浮き始めた。
高橋は状況を修行時代に上司だった昭和シェル石油の亀岡常務(現副社長)に携帯メールでレポートした。
夜に避難した小中学校では暖を取る手段がろうそくしかないほど混乱していた。稼働可能なGSは2店しかなかったが、高橋は諦めず、一夜明けると、「停電していたので計量機の付属ポンプを手で回し、地下タンクから給油した」。

初日は1台10リットル限定で給油。やがて東京消防庁や愛知県警から大量給油の要請がきた。高橋は市役所内の災害対策本部へ駆け込むと衛星電話を副市長から借りた。昭和シェル石油の亀岡常務と繋がり、1日に3回、定時連絡を容れるよう命ぜられ、タンクローリーを手配してもらえた。3日後には香藤会長がわざわざ電話に出てくれたが、「高橋君…と行ったまま絶句してしまった。身を案じ、電話口で泣いてくれる人がいることに安心感を抱き、勇気がわいたという。その後、魚市場再開のための市の会議に、エネルギー会社として参画。採算度外視で給油船を購入する。「気仙沼の産業をとにかく早く興し、皆の希望を繋ぎたかった」。

求められて市の震災復興市民委員会にも参加。元々スローフード協会の一員で、「森と山と海の町」を作るため、持続可能な環境実現を目指していた高橋は、市の復興計画の一つの柱である「再生エネルギーの導入」に向け、昨年4月、気仙沼地域エネルギー開発を起業した 〉

引用は以上です。この後に、気仙沼地域エネルギー開発(株)についての説明が続きます。同社は、地元の間伐材を木製チップに加工し、これをガス化して発電します。この過程で発生する熱も地元企業に供給する循環型事業です。発電プラントは欧州製で、その購入には気仙沼信用金庫と三菱商事復興支援財団による支援があったそうです。冒頭に述べた「気仙沼きぼう基金」でしょう。

記事の最後に高橋正樹さんの言葉が記されています。
「高校、大学、新卒社会人時代を東京で過ごしたが、淡々とした寂しげな葬式を見た時、地元に帰りたいと思った。以来、自分の生きた証を示したいとずっと考え、地域のために行動してきた。ガスエンジンによるバイオマス発電が稼働すれば、日本初となる。地域の活性化のためにも成功させたい」

発電は来年3月に開始される予定とのこと。その成功を願うとともに、三菱商事さんはじめ関係者の皆様のご支援にお礼申し上げます。

2月14日ブログ「三陸飼料の復旧」

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10年後の被災地を

先週末、事務局の菊田裕美君(3年1組)からメール。

「6月7日(金)午後7時30分から8時43分のNHK仙台放送局のテレビ番組「ふるさと宮城の復興は」に、隆市君の長男裕隆さんが「10年後の被災地を考えよう」のパネラーとして出演するそうです。宮城県のみの放送なので首都圏で見られませんので、仙台や気仙沼の同級生にテレビを視聴するよう勧めてみて下さい」

nhk宮城
番組ホームページの画面イメージ

・NHKテレビ(仙台放送局/宮城県域のみ)
・6月7日(金)午後7:30〜8:43
・ふるさと宮城の復興は「10年後の被災地を考えよう」

NHK仙台/番組ホームページ

番組内容をホームページでは、つぎのように紹介しています。

〈宮城県の復興について視聴者といっしょに考える番組「ふるさと宮城の復興は」。今回は、20代から30代の若い世代の人たちとともに、「10年後の被災地」を考えます。復興が本格的に動き出し、被災地ではまちづくりの議論が進められていますが、将来をになう若い世代は、被災地にどんな未来を描いているのでしょうか。番組では、復興の中心となって活躍している20代から30代の方々に集まってもらい、「10年後の被災地」の具体像について、じっくり語っていただきます〉

東京で見られないのが残念ですが、気仙沼をはじめ宮城県の方には是非ご覧いただければと。なお、裕美君のメールにもありましたが、小山裕隆さんは、故・小山隆市君(3年6組)の長男。隆ちゃんの跡を継いでコヤマ菓子店を元気にきりもりしています。そして〈気楽会〉をはじめ、気仙沼の復興に向けてのさまざまな活動を行っていることはご存じのとおりです。

ということで、
矢野顕子さんも推奨するコヤマの〈はまぐりもなかくっきー〉もどうぞよろしく。

5月20日ブログ「顕子さんご推薦」

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徳仙丈のツツジ

いま、気仙沼の徳仙丈山(とくせんじょうさん)のツツジが見ごろを迎えているとのこと。徳仙丈山は気仙沼市と本吉町の境にあり、約50万株のヤマツツジやレンゲツツジの群生は国内最大級といわれています。


youtubeからの徳仙丈のツツジ動画映像(1分30秒)2009年5月25日投稿

これらのツツジは、もともと徳仙丈山に自生していましたが、いつのまにかこんなに見事な姿になったわけではありません。30数年以上にもわたる手入れや保護活動があってのことなのです。

その中心となったのが2008年2月に亡くなった佐々木梅吉さん。親しかった県会議員から、山に自生するヤマツツジの手入れを勧められたのをきっかけに、木挽き(こびき)仲間の数人で移植や下草刈りに取り組み、間もなく「徳仙丈の自然とつつじを守る会」を発足しました。1976年ごろのことのようです。〈木挽き〉とは、伐採した丸太を鋸でひいたりして材木にする職人さんです。

ツツジの育成や保護活動を続けてきた〈守る会〉は、2007年に毎年開催してきたツツジ祭が30回を迎えたことを機に解散。しかし翌2008年には、佐々木さんらの志を受け継ぎ、「徳仙丈のつつじを愛する会」が発足し現在に至っています。なお、徳仙丈山の本吉町側の保護活動については、故・須藤隆さんのお名前がありましたので記しておきます。

私が中学や高校のころは、この徳仙丈のツツジの話を聞いた記憶がありません。しかし、佐々木梅吉さんの名前は市議会議員としてよく知っています。母と近所のおばちゃんらとの〈オジャコノミ(お茶飲み)〉の中で、〈梅吉さん(うめきっつぁん)は、山の中で仕事をしながら大きな声で演説の練習をしているらしい〉と笑いながら話しているのを聞いたこともあります。決してからかっているのではなく、なんていうんだろう、今風にいえば〈愛されるキャラ〉か。漁業関係者をはじめ市の有力者がならぶ市議会議員のなかにあって、木訥(ぼくとつ)な印象ながらも一貫して日本共産党員として市議をつとめた梅吉さんを、みな敬愛していたのだと思います。

ネットに、梅吉さんの著書〈山つつじ燃ゆ〜満蒙開拓青少年義勇軍からの軌跡〉(光陽出版社1998年刊)の書籍情報がありました。それによれば、梅吉さんは満蒙開拓青少年義勇軍に応募した後、敗戦、シベリア抑留を経て帰国。その後に日本共産党に入党、気仙沼市会議員として活躍しました。

2007年に建立された徳仙丈山頂近くの石碑に、私たちの同級生 武山美加(号 櫻子)さんの書による、梅吉さんの歌6首が刻まれています。そのうちの2首をつぎに。

青春を知らずに逝きし我が戦友へ 八十路を生きてつつじ手向けん
海原に姿映すか山つつじ われ無き後も末の末まで

シベリアの地で過酷な強制労働を共にしつつも祖国の地を踏むことがかなわなかった戦友。この季節、徳仙丈を一面の朱に染めるツツジは、その慰霊の花でもあったのです。

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室根の山の植樹祭

先日の土曜日、イオンの村上教行君からメール。そのなかに〈明日は室根の山に木を植えにいきます〉とありました。気仙沼の人ならおわかりでしょう、「森は海の恋人」の植樹祭です。6月2日(日)に行われました。

FNNローカルニュースがその様子を伝えています。



以下はニュース内容。

〈 豊かな気仙沼の海を育むため、上流の山に木を植える「森は海の恋人植樹祭」が、今年も岩手・一関市で開かれました。
この植樹祭は、気仙沼湾でカキ養殖を営む人たちが、「海の養分は、流れ込む川によって運ばれる」ことに着目して始めたもので、今年で25回目となります。
会場の一関市室根町の矢越山は、気仙沼湾に注ぐ大川の源流域にあたります。
2日は、全国からおよそ1400人が集まり、ミズナラやコナラなど、広葉樹の苗木1500本を丁寧に植えていきました。

(参加者)「太い、大きな木になってほしい」「また、子どもが大きくなったら、見に来られればいいですね」
(牡蠣の森を慕う会の畠山重篤代表)「子どもたちが参加するようになって、若い人も参加するようになって、(植樹が)続けられていくんじゃないでしょうか」〉

NHKもニュースで取り上げています。

NHK仙台放送局ニュース「豊かな海に 上流に植樹」

これによれば、24年前に始まったこの活動によって、去年までに3万4千本近くの木を15ヘクタールあまりに植樹してきたということです。今回植樹された苗木1500本は、企業などからの寄付などによるものとのこと。村上君の参加も全国で植樹活動を進めているイオングループを代表してのものだったのでしょう。ボランティアの方々、そして多くの協力企業の皆様、ありがとうございました。

2012年10月18日ブログ「木を植えています」

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やがて震災が襲う

見てますよね、〈あまちゃん〉。今日が第55回目でした。9月28日まで全156回の予定ですから、まだ3分の1。さてこの先はどのように展開するのか。

コヤマ菓子店の〈はまぐりもなかくっきー〉が紹介されていた週刊文春の5月23日号。その中に、阿川佐和子さんとNHKドラマ『あまちゃん』の脚本を書いている宮藤官九郎さんの対談が収録されています。宮藤さんが監督・脚本をつとめた『中学生円山』をめぐる話が中心なのですが、最後に『あまちゃん』について語られていますので紹介します。

阿川対談
週刊文春5月23日号 誌面イメージ

阿川 放映はまだ序盤ですけど、脚本はどのへんまで……?
宮藤 あと4週分なので、そろそろ終わりが見えてきてます。
阿川 今は大河ドラマ(『八重の桜』)もそうですけど、東日本大震災の被災地を舞台にした物語が多くなっていますよね。『あまちゃん』もそれは意識されたんですか。
宮藤 うん、結局そうなんですね。
阿川 宮藤さんご自身も宮城のご出身だし。
宮藤 はい。でも、もともとは2年前、普通の女の子が町のアイドルになる話をやりたいってところから始まったんですよ。で、何かないかな〜と考えているうちに海女さんというアイデアが出てきて、そういえば岩手にも海女さんがいるなって。ただ、岩手、しかも三陸となると震災を避けて通れない。どうしようかと思いました。
阿川 ええ。
宮藤 で、最初は「今は震災を描くのはやめておこう」と思ったんです。でも、時間による気分の変化ってすごいなと思うんですけど−−−。
阿川 考えが変わってきた?
宮藤 一年経って、いざ描き始めるとなったとき、震災を描かないのも嘘だなと。もちろん『あまちゃん』はフィクションですけど、だからといってすべてをなかったことにするのも違うんじゃないかって考えたんですね。やがて震災が襲う町で明るく暮らしている人たちが、震災を乗り越えてまた明るい日常を取り戻す、そんな話にできればいいなと思って、それで震災の3年前を出発点にして書き始めたんです。
阿川 なるほど。
宮藤 でも書き始めたときと今とでは、また気持ちは違いまして、今は2013年から始まる『あまちゃん』もありだったかなとも思ってます。
阿川 08年から始まるんだじゃなくて。
宮藤 そうです。だから実は、もっと書きたいなとも思ってるんです。「その後」の話を。
阿川 エ〜ッ、それはぜひNHKに言いましょうよ。まだ続きます、『おしん』みたいに一年にしてくださいって。
宮藤 いやいやいや、さすがにそこまでは……。今、ようやくゴールが見えてきたところなんで(笑)。

引用は以上です。

〈やがて震災が襲う町で明るく暮らしている人たち〉。そうか、あの北三陸の町も津波に襲われるのか。気仙沼のように。そう思って見ると、毎日楽しみにしているあのドラマの中の日常が、ちょっと違った深さを持ってくるように感じられるのです。

4月29日ブログ「宮藤官九郎さん」

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プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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