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「拓(ヒラケル)」

4月24日のブログで、気仙沼地域開発(株)が内湾地区で計画していた(仮称)スローフードマーケットを、日本アムウェイ財団と合同で建設することになったと紹介しました。名称は「気仙沼アムウェイハウス(仮称)」であると。

その後どうなっただろうかと思っていましたが、1か月前、7月27日の三陸新報に前日26日におこなわれた地鎮祭に関する記事が掲載されていました。

ヒラケル
三陸新報7月27日記事の一部イメージ


コミュニティ施設の名称は「拓(ヒラケル)」です。記事によれば、シアターを備えたコミュニティーホールや生鮮食品を扱うマーケット、クラフトビール醸造所が入る計画です。気仙沼地域開発が運営し、建設は日本アムウェイ財団(佟 嘉楓代表)が手がけるとのこと。総工費2億6千万円は、同財団に寄せられた支援金で全額をまかないます。

建物は11月の完成予定で、早ければ12月に一部がオープンし、グランドオープンは来年中を予定しているとのことです。

「拓(ヒラケル)」という名称について、気仙沼地域開発の菅原昭彦社長は「施設名には観光客や市民がここに集まって交わり、コミュニティーをつくりながら地域の未来を“拓(ひら)”いてほしいとの思いを込めた」と語っています。

記事には、来月オープン予定の商業施設「スローストリート『結(ユワエル)』」という記述もありました。ヒラケルにユワエル。これらの名称を見て感じた私のとまどいについては日をあらためて。

4月24日ブログ「アムウェイハウス」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ヒラケル

海保が7人を救助

きのう8月28日(水)のお昼前、ネットでの映像ニュースから〈宮城県漁協唐桑支所所属の第38順栄丸〉という船名が聞こえてきました。気仙沼市唐桑町の漁船が釧路沖で転覆し、乗組員7人全員が救助されたというのです。ヤフーニュースでも日テレNEWS24の映像が配信されました。

漁船遭難

日テレNEWS24/8月28日配信画面より


配信記事を引用します。

「 北海道の釧路沖で28日朝、宮城県の流し網漁船が横波を受けて転覆した。海上保安部が捜索にあたり、乗組員7人全員を発見し、無事救助した。救助されたのは、宮城県漁業協同組合唐桑支所所属のカジキ流し網漁船「第38順栄丸」に乗っていた、日本人3人とインドネシア人実習生4人のあわせて7人。

午前7時20分ごろ、仲間の漁船から「操業中に第38順栄丸と連絡がとれなくなった」と海上保安部に通報があった。その後、海上保安部の巡視船と航空機による捜索活動が行われ、午前9時半ごろ、釧路沖およそ110キロの海上で転覆した船の上にいる乗員7人を発見したという。

その後、午前11時10分ごろ、乗員7人は海上保安部の巡視艇に無事救助された。7人は命に別条なく、午後3時ごろまでには釧路港に戻る予定。」(引用は以上)

ほかのニュース報道などを総合すると、28日午前6時半ごろ、第38順栄丸から僚船に「浸水して危ない状態だ」と連絡がありました。そしてその後、連絡がとれなくなったことから海上保安部に通報したとのこと。上の海保提供画像にうつる転覆した船の上に見える赤や緑色などが漁船員でしょうか。とにかく無事に救助されて本当によかった。

乗組員7人のうち4人はインドネシア実習生だといいます。8月20日のブログ「みしおねの礼拝所」でイスラム教徒のための礼拝所を紹介したときに、気仙沼市内にはおよそ300人のインドネシア人が暮らしていると記しました。同国の仲間達も全員救助の報を受けてホッとしたことでしょう。

仲間の漁船関係者、そして第1管区海上保安本部をはじめとする救助関係の方々、ありがとうございました。お礼を申し上げます。

8月20日ブログ「みしおねの礼拝所」
8月26日ブログ「アル・ラウダー」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 第38順栄丸

大友信彦さん新刊

8月24日の三陸新報に、気仙沼出身のスポーツライターである大友信彦さんの著書が紹介されていました。

大友さん新刊
三陸新報8月24日掲載記事より


オールブラックスが強い理由
世界最強チーム勝利のメソッド

大友信彦 著
講談社文庫 670円
2019年8月9日刊

大友さんは、たしか松岩中学出身で気仙沼高校33回生ですから私たち(22回)より11学年下ですね。56〜57歳だと思いますが、もっと若く見えます。早稲田大学に進み、1985年からフリーランスのスポーツライターとして講談社の雑誌「 Number」で活動。その後も誌への寄稿、著書の発刊など精力的に活動しています。

Amazonでは大友信彦さんの著書20冊が紹介されていますが、そのすべてがラグビー関連のものです。今回の著書の内容紹介には、大友信彦さんに関して〈ラグビーW杯を7大会連続で全期間取材し、ラグビーの楽しさと厳しさを知り尽くす著者〉と記しています。

昨年の7月に大友さんの話をする機会がありました。東京・赤坂での気仙沼高校関東同窓会の2次会です。ビールを飲みながらいろんな話をさせてもらいましたが、今でも覚えているのは虫明亜呂無(むしあけあろむ)さん(1923–1991)のこと。スポーツに関しても多くの文章をものした作家・評論家です。

私は高校のときから愛読していた雑誌「話の特集」の連載で虫明亜呂無さんを知りました。とても魅力的な文章で、読むたびにいつもしびれていました。連載がまとめられ話の特集から単行本「ロマンチック街道」として発刊されたのは1979年。私が連載を読んでいたのは大学生のときだっとように記憶しています。その文章はロマンチックというよりもエロチック。スポーツにまつわる性や生理といったテーマにも触れながら、生というか人間というか、とても深い内容を描いていたように思います。

虫明さんがなにか〈忘れられた作家〉になっていることを残念に思っていた私は、虫明さんをよく知る大友さんを相手に、思い出の文章などについて気持ちよく話したのでしょう。気持ちよすぎてビールを飲み過ぎ、細部は覚えていないのですが(笑)。

このブログを書くにあたって虫明さんの著書をしらべたら、「ラグビーへの招待」(1975年)がありました。平凡社カラー新書としての発刊です。古本でも4000円もします。当時の早大ラグビー部監督、日比野弘さんが編集協力者となっています。虫明さんも早稲田の出身。みな大友さんの大先輩ということだったのですね。

大友信彦さんの新刊「オールブラックスが強い理由」のAmazonリンクを下に貼っておきましょう。隣には、参考として上記の「ラグビーへの招待」も。虫明さんの著書と並べられても大友さんはいやがらないでしょう。

ラグビーワールドカップ2019日本大会は、9月29日から開催されます。


 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大友信彦

エゾシカのスープ

きのう8月26日夕方の谷真海さんのツイート。NHK「きょうの料理」に義父の谷昇シェフと少し出るとのお知らせでした。テーマは「アスリートを支えるチカラめし」。

ツイッター


昨日と本日の放送はおわってしまいましたが、8月30日(金)午前10:15〜10:40(NHK総合)の再放送があります。是非ご覧ください。私はきのうの放送を見ましたので、本日はその紹介を。

谷昇さんは、東京・神楽坂のフレンチレストランのシェフだったのですね。番組では、真海さんが大事な大会を控えている時期に体調を崩していたときに谷昇さんがつくってくれたエゾシカのコンソメスープが紹介されます。真海さんは、一昨年のアジア大会でおなかをこわして帰国しました。一週間後に大事な試合を控えているのになにも食べることができません。そこに届いたのが谷シェフのコンソメだったのです。

NHKのサイト「みんなのきょうの料理」に、フランス料理の講師のひとりとして谷昇さんが紹介されていました。

谷昇さん:東京・神楽坂にあるフランス料理店「ル・マンジュ・トゥー」のシェフ。六本木の「イル・ド・フランス」からフレンチの世界に入る。1976年、1989年と2度フランスへ渡り修行。帰国後、複数の店ででシェフを務めたあと、1994年に「ル・マンジュ・トゥー」をオープン。ミシュランガイドTokyoに3年連続掲載される。

話がちょっと横道にそれますが、この経歴をみてちょっと驚きましたた。私は六本木「イル・ド・フランス」に大学生のときにいったことがあるのです。友達と武道館で(「カントリーロード」で知られる)ジョン・デンバーのコンサートをみたあとに誘われていきました。六本木通りに面していて、たしかフランスパンなどで人気のあった〈ドンク〉の地下1階。当時の有名店です。裕福な友人がおごってくれたのですが、ちゃんとしたフランス料理の店など初めての体験でした。たぶん緊張していたと思う。そしてはじめてウサギの肉を食しました。鶏肉のササミみたいな味でした(笑)。

話を戻すと、ほかのサイトでも谷シェフについて多くの賛辞がならんでいます。テレビ画面でみた谷昇さんは、きさくでとても優しい感じ。笑顔も素晴らしい。真海さんへの特製コンソメは豊富な滋養ばかりか大きな愛情にも満ちていたことでしょう。

いくつか放送画面をご紹介。



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1枚目の画面にうつっている言葉は、〈Be Safe Have Fun Go Fast〉。安全に 楽しく 速く。気仙沼出身のアスリート谷(佐藤)真海さんは2020年東京パラリンピックにパラトライアスロンでの出場を目指しています。気仙沼の人たちもその活躍を期待し、応援していることでしょう。

1月8日ブログ「東京パラを目指す」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 谷真海谷昇

「アル・ラウダー」

8月20日のブログで、気仙沼魚市場前「みしおね横丁」内に開設されたイスラム教の祈祷所に関するTBC東北放送のニュースを紹介しました。本日は8月24日(土)の三陸新報の記事を。

ムショラ

三陸新報8月24日記事の一部イメージ


この記事で新しく知ったことがいくつかありました。まずは設置者ですが、横丁内のインドネシア料理店「ワルーン・マハール」を出店している市内の「SUGAWARA」(菅原渉代表)と紹介しています。(株)菅原工業の専務、菅原渉さんですね。

そして祈祷所名は、「AR-RAUDHA(アル・ラウダー)」。「天国」「平和」を意味する言葉とのこと。名付け親は、先日の気仙沼みなとまつりにも出席した在日インドネシア大使館のアリフィン・タスリフ特命全権大使です。大使直筆の看板を入口の上に取り付けてあるそうです。大使の〈お墨付き〉といったところでしょうか。

もうひとつ新しい情報があります。今回の記事では、イスラム教の祈祷所を〈モスク〉ではなく〈ムショラ〉としています。以前のブログでこの礼拝所は〈モスクではなくムショラ〉ではないかと記しましたが、その理解でよかったようです。なお、祈祷所の開所時間は、午前11時から午後11時まで(火曜日を除く)。


この8月24日の三陸新報には、イスラム教徒が9割近くといわれるインドネシア関連の記事も掲載されていました。

図書館
三陸新報8月24日記事の一部イメージ

気仙沼市内の水産加工場への技能実習生送り出し機関「LPKコープインドネシア」さんが気仙沼図書館にインドネシアの関連本を寄贈したという記事です。写真中央が同機関の日本駐在員の佐原さん。右は気仙沼市の受け入れ機関である気仙沼製氷冷凍業協同組合の岡本寛理事長。岡本製氷の代表です。左は吉田睦美館長。

記事によれば、館内の特設コーナーにはインドネシアに関連する図書など約60冊があり、今回の寄贈本もそこに加えられるのでしょう。

この記事にはこのほか、気仙沼図書館とインドネシアとのありがたいご縁が記されています。2018年3月に開館した同図書館の建設資金としてインドネシア政府から1億6千万円が寄付されているのです。昨年4月3日のブログにも記しましたが、この寄付により図書館1階の児童図書エリア「ユドヨノ友好こども館」が設置されています。〈ユドヨノ〉はインドネシアのユドヨノ大統領(2014年に退任)のお名前だと思います。

海外からの技能実習生については、その負の側面などが報道されることも多いですね。そうしたなかにあって、気仙沼とインドネシア両国の友好関係を育もうという長年の努力はもっと知られていいように思います。

LPKコープインドネシアは本年度に計72人のインドネシア人技能実習生を新たに気仙沼市に送り出すことにしているとありました。実習生の皆さん、そして受け入れ企業の皆さんも、いろいろと苦労が多いこととは思いますが、課題をひとつずつ解決してより良い関係が続いてくれればと。

祈祷所「AR-RAUDHA」での祈りが平安なものであってほしいと心から願っています。
 
8月20日ブログ「みしおねの礼拝所」
 
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みしおね横丁礼拝所

同級生の震災記録

一昨日のブログで、気仙沼市「東日本大震災 災害対応記録集」に同級生/気中20回生3人の文章が掲載されていることをお伝えしました。本日は、その文章内容を画像で紹介します。①林(奥玉)小春さん(3年2組)、②小山謙一君(9組)、③臼井真人君(2組)の順に。役職は震災時のもの。(画像クリックで拡大します)


①林小春「中央公民館屋上で園児とともに救助を待つ」
(保険福祉部 社会福祉事務所一景島保育所 所長)
小春

②小山謙一「授業再開、心を鬼にして教室を空けてもらった」
(教育委員会 教育次長)
小山

③臼井真人「被災したまちの被災した議長として、被災した仲間の声に応えたい」
(気仙沼市議会 議長)
真人

各人の文章は以上です。

一昨日の午後、小春さんにこの記録集の原稿作成手順について聞いてみました。彼女の話では、3年前だったか市役所で三菱UFJリサーチ&コンサルティングの方のヒアリングを受け、当時のことをいろいろと話したそうです。その内容が記録原稿としてできあがり、それに対しての修正や加筆などを繰り返して、今回の記録集の文章になっているとのこと。謙一君や真人君の文章も同様の手順ではないかと。

小春さんは、震災から8年以上がたち、当時のことで思い出せないこと、忘れてしまったこともあるといいます。それだけにこうして文字として記録しておくことが大切であるとも。私も久しぶりに震災体験談を読んだような気がします。そして、同級生の語るそれぞれの話に感ずるところがいろいろとあったのです。

燃える火が迫る中央公民館で保育園児らと二晩を過ごした小春さんの話。何度も聞いたり読んだりしたことなのですが、あらためてそのときの気持ちがどんなだったろうかと想像せずにはいられません。そして謙一君の文章のなかには、震災の二日前に病院に入院したお母様が震災10日後になくなったことも記してありました。〈もっと大変な患者さんがいるから延命治療はしない〉と医師から申し渡されたと。そして2回しか見舞いにいけないうちに。真人君は、中央公民館に避難した家族が〈もうだめだ〉と思ったこともあったようです。公民館のあたりはオイルについた火で一面火の海でしたから。

そうした〈私〉の心情なども語られているのですが、この記録集はあくまでもどのように災害に対応したかについて記すこと。その視点から3人の文章には、それぞれに課された〈公〉の役割をどのように果たそうとしたのかがしっかりと記録されています。本当に大変だったと思う。

記録集におさめられている文章は365人分。1日に1人分を読んでも1年かかってしまいますが、せめて同級生3人分ぐらいはと思いご紹介しました。時間のあるときにでもお読みいただければと。

8月20日ブログ「災害対応記録集」
 

テーマ : 気仙沼
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tag : 災害対応記録集

菅原清 「巨釜半造」

本日8月22日の三陸新報に、気仙沼出身の画家 菅原清さんの絵画が紹介されていました。

菅原さん
三陸新報8月22日記事の一部イメージ


菅原清さんの絵画「三陸海岸 巨釜半造」は、F120号(1.94m×1.30m)の大作で、8月21日から28日まで東京芸術劇場での「日本海洋画展」に出展されています。

記事によれば、菅原清さん(埼玉県ふじみ野市在住)は1948年に気仙沼水産高校(現 気仙沼向洋高校)を卒業。1973、74年の二科展で連続入賞や、2012年の旺文展での文部科学大臣賞を受賞しています。

菅原清さんについて、このブログで紹介したことがあります。気仙沼向洋高校の新校舎完成を祝い、同校OBである菅原さんが岩井崎の潮吹き岩を描いた120号の絵画を寄贈したという三陸新報のつぎの記事についてです。

菅原清さん

三陸新報9月24日記事の一部イメージ


この昨年の記事によれば菅原さんは、約50年前から埼玉県で理容業を営むかたわら絵画制作を続けているとのこと。当時は87歳と記事にありましたから、現在は88歳となっているかもしれません。ご高齢であっても、こうして大きな画面に故郷 気仙沼のなつかしい風景を描いているということが本当に素晴らしい。

元気に絵画制作をつづける菅原さんに少しでもあやかりたいと思い紹介させていただきました。

2018年11月1日ブログ「菅原清さんの絵画」
 

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tag : 菅原清

「災害対応記録集」

8月15日の三陸新報に、気仙沼市の「東日本大震災 災害対応記録集」発刊が紹介されていました。

記録集
三陸新報8月15日記事の一部イメージ


記事によればこの記録集に寄稿しているのは、菅原茂市長、加藤慶太副市長(当時)をはじめとする市職員ら213人や、当時の市議、避難所運営者、団体・企業の関係者、応援職員など合わせて365人。編集は市の委託を受けた三菱UFJリサーチ&コンサルティングです。

記事には、〈それぞれが震災発生当時の行動や復旧に向けた活動などを執筆し、2016年度から3年間、市の委託を受けた三菱UFJリサーチ&コンサルティングが寄稿者にヒアリングしてまとめた〉との記述がありました。まずは寄稿してもらい、ヒアリングをおこなうなどして内容を整え最終化したということでしょうか。

本書は300部作成して寄稿者らに配布したほか、ホームページにも掲載しているとありましたので、早速さがしてみました。かなり階層の深いところに潜んでいました。トップページ > 暮らしの情報 > 安心・安全 > 防災 > 東日本大震災災害対応記録。トップページで「災害対応記録集」で検索するか、つぎの赤字をクリックしてください。

東日本大震災災害対応記録

この記録集のホームページでの公開は7月31日付けになっていますが、特に記者発表資料などもリリースされていません。本書の奥付をみると、発行月は平成31年3月。その当時になにか発表があったのかと思い調べてみましたが注目情報にも新着情報にも見当たらず。せっかく3年もかけて編集した記録集ですので、もっと広く市民に知らせたほうがよいのになと。

なお、記事によれば、この記録集のほか、震災当時から3年間の市の対応をまとめた冊子「東日本大震災における災害対応の記録と検証」も昨年度に作成しており、今後加筆修正するなどして来年度に公開する予定とのことです。

「東日本大震災 災害対応記録集」の内容をみてみると、寄稿者365名のなかに3名の気仙沼中学同級生の名がありました。林(奥玉)小春さん(3年2組)、小山謙一君(9組)、臼井真人君(2組)です。各人のテーマと震災当時の役職などを以下に。末尾の数字は、記録集の頁表示です。

◎林小春「中央公民館屋上で園児とともに救助を待つ」1-86
(保険福祉部 社会福祉事務所一景島保育所 所長)
◎小山謙一「授業再開、心を鬼にして教室を空けてもらった」1-148
(教育委員会 教育次長)
◎臼井真人「被災したまちの被災した議長として、被災した仲間の声に応えたい」2-1
(気仙沼市議会 議長)

公共性の高い記録集ですから、回をあらためてその内容を紹介しようと思います。本日は、記録集発刊の紹介のみで失礼します。
 

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tag : 災害対応記録集

みしおねの礼拝所

本日も「みしおね」関連の話です。7月26日にオープンした「みしおね横丁」には、イスラム教徒のための礼拝所も設けられています。その詳しい施設内容がわからなかったのですが、8月12日にTBC東北放送がテレビニュースで伝えてくれました。ヤフーニュースもこれを配信していましたのでご覧になった方もいることでしょう。

いずれの配信も1週間を過ぎていまは見ることができませんが、画面写真でその内容をお伝えします。


◎宮城県気仙沼市に技能実習生の礼拝所完成



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以上、TBC東北放送8月12日配信画面より


アナウンサーが伝えてくれたニュース内容を引用します。

「宮城県気仙沼市の商店街に市内では初めてとなるイスラム教徒のための礼拝所が完成し、さっそくインドネシア人の技能実習生らが祈りを捧げました。

礼拝所は7月、気仙沼市の魚市場前にトレーラーハウスを使ってオープンした商店街「みしおね横丁」の一角に開設されました。設置したのは市内の建設会社「菅原工業」で、さっそく菅原工業や市内の水産加工会社で働くインドネシア人の技能実習生11人が母国での礼拝時間にあわせて祈りをささげました。

気仙沼市によりますと市内には現在、およそ300人のインドネシア人が暮らしていますが、これまで礼拝施設がなかったため、それぞれ寮などで祈りをささげていたということです。この施設は年中開放されるということで菅原工業では実習生らの交流の場にもなればと話しています。」(引用は以上)


ニュースでは、(株)菅原工業の専務、菅原渉さんが取材を受けていました。菅原工業さんはインドネシアに現地法人を設立し、同国初となるリサイクルアスファルトのプラントの建設など、同国と深く関わりをもっています。それだけに、インドネシアの人をはじめ、イスラム教徒の皆さんにとっての礼拝/祈りの大切さをよくご存じなのでしょう。

みしおね横丁には、この礼拝所のほかにインドネシア料理店もあるとのこと。まさにいたれりつくせり。同国の皆さんにとって、とてもうれしい施設ができたようです。

3月1日ブログ「外国人技能実習生」
7月30日ブログ「みしおね横丁開業」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

育美さんの海潮音

気仙沼市魚市場前の「みしおね横丁」がオープンしたのは、7月26日。この日の三陸新報には、〈祝・みしおね横丁オープン〉の文字を掲げ、熊谷育美さんのアルバム「みしおね」の広告が掲載されていました。

7月26日みしおね
三陸新報7月26日掲載広告より


このミニアルバム「みしおね」は、6月26日に気仙沼限定で発売されたミニアルバムです。料金は1500円(税込)。収録曲はつぎのとおりです。

1. 海潮音(みしおね)
2. 希望橋(のぞみばし)
3. 東北みちのく音頭
4. MISHIONE
5. 海潮音 Instrumental
6. 希望橋 Instrumental
7. 東北みちのく音頭 Instrumental
8. MISHIONE Instrumental
9. 海潮音 < 太鼓学舎 ね version >

育美さんはこの夏、気仙沼のイベントでも大活躍。先週8月17日の大型さんま船一斉出船送りや、8月11日の鹿折復興盆踊り大会にも。8月4日のみなとまつりでは、打ちばやし大競演のオープニングにも出演してくれました。

これらの催事では市内の太鼓団体の参加もありましたから、太鼓の演奏とともに「海潮音」も披露されたことでしょう。

広告に掲載されている販売店名を以下に。

●みしおね横丁●気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館●海の市 シャーク・ミュージアム●ラーメン炎●ブルースカイマーケット気仙沼●気仙沼波止場(横浜ワールドポーターズ)●気仙沼大島観光協会●気仙沼プラザホテル●アンカーコーヒーマザーポート店●アンカーコーヒー内湾店●すがとよ酒店●メンズショップ ヤマウチ●浜の家●塚本八百屋●山長 小野寺商店●気仙沼 シャークス●ビーチサイド●休暇村 気仙沼大島●ジェイズミウラ●メディアカフェ・ティモーネ●十人十色ライフサービス●おだづまっこ●藤田製函店●さかなの駅 宮川商店●スタジオアート ほか熊谷育美ライブ会場にて

広告には、〈気仙沼の定番ソング「海潮音」「希望橋」〉と記してありました。気仙沼の人が聴き慣れたメロディーを、気仙沼のシンガーが歌ってくれるというのはとても素晴らしい。

「みしおね横丁」も、そして育美さんの「みしおね」も、どうぞよろしく、

7月30日ブログ「みしおね横丁開業」

 

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tag : 熊谷育美海潮音

秋刀魚船出船送り

気仙沼港を出港する大型さんま船に対する一斉出船送りが8月17日(土)におこなわれます。気仙沼つばき会さんが平成22年から開催し今年で10回目となります。

出船送り

公式気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」より

◎大型さんま船一斉出船送り

日時:8月17日(土)8:30~11:30
場所:気仙沼市魚浜町コの字岸壁

8:30〜9:10 /呼び出し太鼓
太鼓団体有志による打ちばやし
9:10~9:30/オープニング
鮪立大漁唄い込み,熊谷育美,うを座
9:30〜9:50 /来賓挨拶・御神酒上げ・花束贈呈・漁労長代表挨拶
9:50~10:00/餅まき
10:00~準備が整った船から順次出港
11:30/閉会

8:30からの呼び出し太鼓は、太鼓団体有志による打ちばやしです。そして9:10からはオープニング。鮪立大漁唄い込みや、熊谷育美さんの歌も披露されます。うを座の皆さんも参加。ドローン撮影もおこなわれるとのことです。来賓挨拶や餅まきの後、漁船団は10時から順次出港します。

7月27日の三陸新報によれば、100トン以上の大型船は8月20日からロシアの排他的経済水域内で操業を開始する予定。17日に出港する各船も前線基地となる北海道の花咲港などに向かいます。

8月14日の気仙沼市記者発表資料によれば、漁船団の出港は12隻が予定されています。船名を記しておきましょう。第1恵比寿丸,第1庄光丸,第3太喜丸,第5太喜丸, 第6太喜丸,第8朝洋丸,第8千代丸,第28安洋丸, 第38千代丸,第63幸漁丸,第68福神丸,第81豊清丸の各船です。

話は変わりますが、気仙沼港を拠点とする大型サンマ棒受け網漁船の漁労長の皆さんは、毎年のみなとまつりでの打ち上げ花火のために寄付をおこなっています。7月27日の三陸新報によれば今年も、富山県船籍の第81豊清丸の漁労長をつとめる中舘捷夫(なかだて かつお)さんの呼びかけで、宮城県船団14隻、根室船団20隻の各漁労長から42万円もの寄付が寄せられました。


寄付
三陸新報7月27日記事より


第81豊清丸さんは、みなとまつりの打ちばやし大競演に合わせて、サンマ集魚灯のライトアップや、湾内でのサンマ棒受け網漁の実演をおこなってくれました。毎年、本当にありがたいことです。

17日は、台風の影響が残らないかちょっと心配ですが、大漁と航海安全を願い、多くの人が出船を見送ってくれればと思っております。どうぞよろしく。
 

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焼き場に立つ少年

きょうは8月15日、終戦の日。毎年のこの日には、戦争にまつわることをその時々に記してきましたが、今年は一昨年のブログを再掲することにしました。先日、写真「焼き場に立つ少年」についてとりあげたテレビニュースを見て、思いを新たにしたからです。


2017年8月15日ブログ再掲

◎焼き場に立つ少年

きょう8月15日は終戦の日。先週から今週にかけては、新聞やテレビでも太平洋戦争をとりあげる番組や記事が多く見られます。本日紹介するのもそのひとつ。8月9日に朝日新聞が配信した記事の写真です。よく知られている「焼き場に立つ少年」。



朝日新聞8月9日配信記事より

記事を引用します。〈原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている〉(引用は以上)

この写真が掲載されたずいぶん前の新聞記事のスクラップは私ももっていて、見るたびになんともいえないせつない気持ちをおぼえるのです。30年以上も前のことですが、気仙沼に帰省したときに、この写真のことを父と話したことがあります。父は、少年の姿勢がまさに帝国陸軍兵士を思わせると語っていました。息子がこの写真にいだく気持ちを聞いて、うれしそうというかホッとしたような表情をうかべていたのです。

父は招集されて中国大陸での戦争を経験しています。私に細かな戦争のことを話すことはほとんどありませんでしたが、関係書籍を購入して読んでいたことを覚えています。自分が戦った戦争というか作戦がどういうものだったのかを知りたかったのでしょう。同級生 佐々木徹君(3年1組)のお父さんも、同じく中国戦線で戦ったことがあるのですが、あるとき二人で書籍の付録資料の地図を広げ、それぞれの転進の道程を追っていたことを思い出します。父が、在家得度を受けるために曹洞宗の大本山 永平寺に一週間滞在したときも佐々木さんと一緒でした。中国大陸で同じ経験をし、同じ風景を見てきたという思いがあったのでしょう。

父は仏像をたくさん集めていて、元気なころはその前で朝晩に読経しておりました。古いダイアリーに知人の命日と戒名/法名が記してあり、その日に亡くなった方の菩提(ぼだい)をとむらっていたのです。その父も9年前に亡くなったのですが、仏像の整理をしていた私は、厚紙に貼った新聞の切り抜きが仏像の後側にたてかけてあるのに気付きました。それが「焼き場に立つ少年」でした。

この写真を見るたびに、袈裟(けさ)を胸に、数珠を手に経をあげる父の姿を思い出します。最後はつぎのように声を発したはずです。

〈 じょうらい、きょうしゅをふじゅす、あつむるところの功徳(くどく)は、○○霊位にえこうし、ほうちをしょうごんせんことを 〉

終戦/敗戦から72年が経ちました。(再録/引用は以上)


この写真の撮影者ジョー・オダネルさんの妻、坂井貴美子さんの思いをとりあげた日本テレビのニュース番組で、この写真を見た女性のコメントを紹介していました。長崎で被爆し今80歳になる八木道子さんは「この写真を見て1番最初にぱっと目についたのが指先。この手の指先を見たときに本当に涙がでた。しかも裸足。これ見たときは涙がでた」と。

少年の〈指先〉という言葉に、一昨年のブログに記した父の言葉を思い出したのです。父が亡くなって11年たちます。

日本テレビ8月9日配信(動画あり)

本日は2019年8月15日。終戦/敗戦から74年がたちました。


以下に、米軍機による気仙沼空襲や、気仙沼町民による海軍や陸軍への戦闘機献納についてのブログを記しておきます。多くの人に読んで欲しいということはもちろんですが、自分自身にとってもまとめ/覚書ということもあり。

2017年6月21日ブログ「気仙沼空襲の記録」
2017年8月18日ブログ 投稿「気仙沼空襲」
2018年8月15日ブログ「気仙沼空襲の記憶」

2017年6月20日ブログ「気仙沼町民献納機」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 焼き場に立つ少年

ラプラス・シップ

大島汽船(株)による大島航路の定期運航は、気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)の開通にともない、4月7日で終了しました。しかしその後は、気仙沼ベイクルーズ遊覧船としての運航を日曜・祝日などにおこなっています。

そのベイクルーズ遊覧船が、8月10日からポケモンの「ラプラス」を描いた「ラプラス・シップ」にお色直しして運航しています。8月9日の公式気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」が伝えています。




公式サイト「気仙沼さ来てけらいん」より

ラプラス・シップは、株式会社ポケモンさんの全面監修のもと、ポケモンの人気キャラクター「ラプラス」が船の外観と、内側のドアの部分にデザインされているそうです。ラプラスの顔出しパネルも登場します。

8月10日の三陸新報もこの話題をとりあげていました。記事によればこの企画は、株式会社ポケモンさんと気仙沼観光推進機構、大島汽船が連携して昨年から準備してきたそうです。


ポケモン新聞
三陸新報8月10日記事より


このラプラス・シップの運航日は8月10日~18日/24日/25日。10時00分発、11時10分発、13時20分発、14時30分発の4便です。料金は大人(中学生以上)1500円、子供(小学生)750円。チケットは大島汽船チケット販売所、気仙沼観光コンベンション協会、サンマリン気仙沼ホテル観洋で購入できるとのこと。

株式会社ポケモンさんは、震災後の気仙沼に対して様々な形で支援してくれています。2012年には、ポケモンの被災地支援活動「POKÉMON with YOU」によるJR大船渡線でのポケモントレイン運航も始まりました。現在、気仙沼市内ではポケモントレインの来訪者に向けたスタンプラリーが行われているそうです。また本年7月には、「ラプラス」がみやぎ応援ポケモンに任命され、宮城県の観光復興、復興支援等を展開しています。今回のラプラス・シップもその一環ということでしょう。

株式会社ポケモンさんをはじめ、関係者の皆様のご支援に心から御礼を申し上げます。いつもありがとうございます。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

三陸道開通見通し

お盆の帰省シーズンということで、ニュースでは高速道路渋滞の様子などが伝えられています。ということで、本日は道路の話。

国土交通省は8月8日、東日本大震災の被災地で国が建設している復興道路や復興支援道路計550kmが、2020年度内に全線開通する見通しになったと発表しました。なお、三陸沿岸を南北に縦貫する三陸沿岸道路(三陸道)が復興道路、東北道と三陸沿岸道路を結ぶ東西方向の道路が復興支援道路に位置付けられています。

8月9日の三陸新報は、三陸道において供用開始/開通時期が明らかにされていなかった区間をはじめ、気仙沼市内三陸道の開通予定時期をくわしく伝えています。

三陸道

三陸新報8月9日記事の一部イメージ


記事によれば、宮城県内でひとつだけ開通時期の見通しが示されていなかった(仮称)気仙沼港IC~(仮称)唐桑南IC(7km)は2020年度内の開通となります。この区間には、現在も工事が進められている気仙沼湾横断橋が含まれています。

また、小泉海岸IC〜本吉津谷ICの開通時期がは2020年度内とされていましたが、2020年内と前倒しされました。気仙沼中央IC〜気仙沼港ICはすでに2019年度開通予定とされていました。記事中の区間図を拡大します。

区間図

今回の国交省の発表により、仙台市から八戸市までの三陸道の全線開通予定時期が定まったことになります。冒頭に記したように、三陸道が復興道路と位置づけられたことにより、その建設計画推進が加速されました。それは皮肉なことにも思えますが、長期にわたってその開通を国に求めてきた多くの皆さんの悲願達成の見通しがたったことを喜びたいと思います。

残る工事が安全に進行され、無事に開通の日を迎えられるようにと心から願っております。

4月1日ブログ「三陸道で2県接続」

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 三陸道

打ちばやしの御礼

8月3日4日におこなわれた気仙沼みなとまつり。8月6日の三陸新報には、みなとまつりの各種行事関係団体の御礼広告がたくさん掲載されていました。そのなかでもひとき大きく目立っていたのがつぎの広告でした。

打ちばやし

三陸新報8月6日掲載広告より(クリックで拡大)


〈打ちばやし大競演〉の御礼です。みなとまつり2日目の4日(日)午後5時から8時半まで内湾/港町臨港道路で催されました。3時間半もの長時間にわたる演奏だったのですね。数えてみると24団体です。

2014年のみなとまつり/打ちばやし大競演の御礼広告をブログで紹介したことがあるのですが、そのときは23団体でした。今年は「上沢打囃子会」さんが加わっての24団体です。8月6日の三陸新報の記事に〈総勢800人が大競演〉とありました。これは本当にすごいこと。

昨年は大雨のため中断・中止となり残念でしたね。東京にいる私は、演奏者、関係者の皆さんがいったいどんな気持ちでいるだろうかと思うばかりでした。

私は〈打ちばやし大競演〉をみたことがありません。大学生のころは夏休みで気仙沼に帰省していましたが、就職してからはみなとまつりの時期に気仙沼に帰ることができなかった。お盆には帰っていましたが。

それだけに、これだけの太鼓の競演を一度でいいから見てみたい思っているのですが、なかなか果たせず。そんな思いを毎年ブログに記しています。

2014年のブログでは、震災の前の年2010年のみなとまつり/打ちばやし大競演の約1分の動画を紹介しました。つぎの映像です。



ブログではつぎのように記しました。「左に〈男山〉がうつるエースポート付近からお神明さん方向に向かう内湾会場1分間の映像。この、ごくあたりまえだった風景が、今はすっかり変わってしまいました」

魚町の防潮堤ができあがると、打ちばやし大競演の会場も戻ってくるのかな。そんなことを思いながら9年前の打ちばやし、太鼓の音を聴いています。

2014年8月22日ブログ「気仙沼打ちばやし」
 

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tag : みなとまつり打ちばやし

階上小学校の校歌

3月26日のブログで、本年4月に松岩小学校と統合した水梨小学校の校歌を紹介しました。作詞が気仙沼大島出身の水上不二(みずかみふじ)さん、作曲が磯部俶(いそべとし)さんです。

先月のことになりますが、ちょっとしたことから気仙沼市立階上(はしかみ)小学校の校歌も水梨小と同じく、水上さんと磯部さんによるものであると知りました。階上小の校歌制定の経緯など詳しいことはわからないのですが、本日はその歌詞を紹介します。


階上小学校 校歌

作詞 水上 不二
作曲 磯部 俶



松のみどり くろしお 岩井崎のしぶき
世界はめざめる 朝日はのぼる
化石は地球の歴史をかたる
いつもあかるくのびのびと
元気いっぱいりんりんと すすむ階上小学校
風は呼ぶ 風は呼ぶ



高つつじをはるかに 穐葉さまを窓に
たがいにきたえる たゆまずはげむ
ひばりは豊かなみのりを歌う
いつもあかるくのびのびと
元気いっぱいりんりんと すすむ階上小学校
雲はわく 雲はわく



磯のかおり さざなみ 太平洋のひかり
かがやくこの道 花さく校舎
星座はたのしい未来をかたる
いつもあかるくのびのびと
元気いっぱいりんりんと すすむ階上小学校
旗は鳴る 旗は鳴る


「高つつじ」は「たかつつじ」と読むのでしょうか。「穐葉さま」は「穐葉(あきば)神社」のことでしょう。階上小の北西方向にあります。

1番にある「化石」ですが、これは岩井崎で多くみられる古生代ペルム紀(2億8千年前~2億5千万年前とか)のウミユリ、フズリナ、サンゴなどの石灰岩化石のことだと思います。宮城県の天然記念物に指定されています。まさに〈地球の歴史をかたる〉。

1・2・3番のそれぞれに〈朝日〉〈青空〉〈星座〉のイメージを感じますね。さらに〈過去:古生代ペルム紀〉〈現在〉〈たのしい未来〉へと、2億年以上の時をタイムトリップ。

そして3番の〈旗〉ですが、もしかすると大漁旗かもと、想像がふくらみます(笑)。

冒頭に記した〈ちょっとしたこと〉については回をあらためて紹介することにしたく。本日は歌詞の紹介のみにて失礼します。今週はこれにて。

3月26日ブログ「水梨小学校の校歌」
 

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tag : 階上小学校水上不二磯部俶

小泉海岸空撮映像

気仙沼市本吉町/小泉海岸の海開きについて、2度にわたって紹介しました。

8月5日ブログ「小泉海岸の海開き」
8月7日ブログ「小泉地区の高校生」

本日もその続きです。小泉海水浴場をドローンで捉えた空撮映像をsakko droneserviceさんが海開き10日前の7月10日にYouTubeで公開してくれていたのです。〈震災後8年初の海開き 気仙沼市小泉海水浴場空撮2019 07〉とのタイトルですので同月の撮影だと思います。まずはご覧ください。約3分間の映像です。





SAKKO DRONESERVICEは、気仙沼市本吉町小金沢の咲幸物産さんのドローンサービス事業部門です。前田善則さんがその担当責任者であることは以前にもこのブログで紹介しました。YouTubeの投稿コメントには次のように記されています。

〈震災から8年、まもなく震災後初の海開きをする気仙沼市小泉海水浴場。7月20日、21日には海フェス(地元高校生と本吉夢プロジェクト委員会、海フェスプロジェクトチームが共同でフェスティバルを開催)が開催されます。さまざまな思いを胸に、小泉海水浴場がスタートします〉

前回の海開きは2010年8月でしたので、今回は9年ぶり。2011年の震災から数えると8年経って初の海開きということになります。

このコメントは咲幸物産の前田さんが記したのだと思いますが、〈さまざまな思いを胸に〉というところに地元の意識というか事情というか、まさにさまざまな思いを感じます。

しかし、そうした様々な思いは別にして、小泉海岸はとても美しい。私は高校時代の夏に同級生の中井茶舗/中井殖君(3年8組)の軽四輪に乗せてもらって大谷海岸にはよくいきましたが、小泉海岸にはいったことがありませんでした。それだけに、この空撮映像は新鮮な印象を受けました。

今回の海開きで遊泳可能になったのは、約650mの砂浜のうち、北側約150mです。以前の状況をよく知らないのですが、この美しい小泉海岸が以前のにぎわいを取り戻す日を多くの人が願っていることでしょう。

咲幸物産/SAKKO DRONESERVICEさん、ありがとうございました。

4月22日ブログ「咲幸さん空撮映像」

 

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tag : 小泉海水浴場小泉海岸

小泉地区の高校生

一昨日のブログでは小泉海水浴場の海開きや、宮城県内で最も高い海抜14.7mの防潮堤のことについて記しました。そのなかに〈防潮堤の背後地にある「小泉海岸広場」には特設ステージや地元高校生徒による屋台などもあったそうです〉と書いたのですが、本日はそうした高校生らの活動を紹介します。

地元の高校生が9年ぶりとなる海開きに際して企画したのは「海フェス」です。この企画をバックアップしたのは、本吉夢プロジェクト委員会の海の部「うみや」。その立ち上げにあたっては、NPO法人「浜わらす」もタッグをくみました。

そして海フェス開催にあたり、海の家のオープン費用などにあてるためクラウドファンディングもおこないました。目標金額は150万円。そして6月28日、164人の支援者による総額169万7000円の支援を受けることができました。7月19日の三陸新報の2面見開き広告の費用もここからのものかもしれません。

海フェス
クラウドファンディング「readyfor」サイトより


同サイト/プロジェクトの概要
同サイト/プロジェクト終了報告

2014年7月、小泉地区の防潮堤に関して宮城県がおこなった住民説明会では、「防潮堤の必要性が分かりません」と発言した高校生に対して「高校生が何を言ってるんだ」と罵声を浴びせる参加者もいたとの報道もありました。県としては、前年2013年11月の説明会で合意が得られたとしたものの、その後も計画再考を求める声、反対の声がやまなかったのです。その後の経過については省略しますが、こうした地域内での意見が対立する局面もあったのです。

私は、この「高校生が何を言ってるんだ」という発言報道を忘れることができません。それだけに、今回の小泉海岸海開きで地元高校生が海フェスを企画し、それをまちづくりの委員会やNPOが支援してくれたということをとてもうれしく思ったのです。

フェスの準備も簡単なことではなかったと思いますよ。クラウドファンディングのプロジェクト終了報告のなかに、〈様々な想いが入り交じった海岸でもありましたので、全ての人に受け入れられているのか、そして、私たち自身も葛藤していたのが正直なところでした〉とありました。率直な思いを語っていると思います。

5年前の説明会で発言した高校生はいまどうしているかな。元気かな。地元にいるのかどうかもわかりませんが、自分が暮らす町の未来を真剣に考え、勇気をもって発言した高校生がいたことを今でもおぼえているよとお伝えしたく。その気持ちは海フェスを企画した高校生たちにも受け継がれているのでしょう。

7月27日の三陸新報にはつぎの御礼広告が掲載されていました。

御礼

三陸新報7月27日掲載広告より


すでに2週間もたってしまいましたが、9年ぶりの小泉海岸の海開き、おめでとうございました。

2014年10月21日ブログ「小泉地区の防潮堤」
2014年12月19日ブログ「小泉防潮堤着工へ」
 

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tag : 小泉海岸防潮堤

岡本優子at旭が丘

今朝の岡本優子さんのツイッター/Instagramではじめて知ったのですが、ジャズピアニストの岡本優子さんのトリオ演奏会が8月7日(水)に、気仙沼市舘山の旭が丘学園で催されます。


演奏会

岡本優子Instagramより


◎岡本優子トリオ演奏会
8月7日(水)14:00〜
場所:児童養護施設 旭が丘学園
(気仙沼市舘山2丁目2番32号)
入場無料

この演奏会は、子供の未来応援国民運動「子供たちへ音楽で支援」の一環として開催されるもの。ポスターでは「子供の未来国民応援運動」となっていますが、正しくは「子供の未来応援国民運動」です。

このプロジェクトは2015年4月から始まった子供の貧困解消に取り組む官民一体の取り組み。子供の未来応援基金を設置し、全国のNPO等の活動を支援しています。今回の演奏会も同基金の支援を受けての開催でしょう。入場無料ですが、会場では子供の未来国民応援運動への募金もおこなうとのことです。


ポスターには様々なロゴや団体名が並んでいます。ポスター下部には協賛団体として気仙沼ライオンズクラブの名がありました。上田中のSONYショップ「ナカデンキ」さんも協賛ということなのでしょうか。中央部には内閣府とならんで「クオンタムリープ株式会社」の名がありました。同社は、ソニー(株)の代表をつとめた出井(いでい)伸之さんが創業し今も社長をつとめるコンサルティング会社です。

岡本優子さんについては何度もこのブログで紹介してきました。私は2017年の東京・めぐろパーシモンホールでの「東日本大震災復興支援コンサート」でその演奏に触れることができました。ピアノはもちろんのことですが、ボーカルもとても素晴らしい。つぎのブログにその印象を記しました。

2017年3月6日ブログ「気仙沼アーチスト」

岡本優子さんは現在、仙台に暮らして演奏活動をつづけていますが、8月3日のみなとまつり/はまらいんや踊りではバイソンバンドに加わってピアノを演奏しています。そして翌日4日は、実家というか家業の「岡本製氷」の出店でかき氷などのお手伝いも。そして7日は旭が丘と、気仙沼での活動が続きます。優子さんのお父様は、私たちの一学年先輩/気中19回生で岡本製氷の代表 岡本寛さんです。娘さんが1週間近くも実家にいてくれて喜んでいることでしょう。

7日(水)は平日午後ということで、仕事があるという方も多いとは思いますが、都合がつく方はぜひ旭が丘学園にお出かけください。ピアノも歌も本当にすてきです。どうぞよろしく。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 岡本優子旭が丘学園

小泉海岸の海開き

土日のみなとまつりが終了しましたね。きのう4日午後7時半近くの地震は、東京も結構ゆれました。津波の心配がないのかどうかの情報もすぐには出なかったので気仙沼のことが心配に。まつりは一時中断したものの、間もなく再開したとのことでよかった。観客の皆様、そして準備や当日の運営にあたった関係者の皆様、お疲れさまでした。いつもありがとうございます。

さて本題。7月29日のブログでは読売新聞の2頁(全30段)広告を紹介しました。本日は7月19日の三陸新報の2頁広告を。2週間前のことになりますが、小泉海水浴場海開きの広告です。


小泉海水浴場海開き
三陸新報7月19日掲載広告


私はデジタル版の購読などで実際の紙面の大きさを実感できませんが、結構な大きさの写真ですよね。

気仙沼市本吉町の小泉海水浴場海開きは7月20日(土)におこなわれました。9年ぶりのこととなります。7月21日の河北新報配信記事によれば、かつて環境省の「快水浴場百選」にも選ばれた砂浜約650mのうち、約150mが遊泳可能になったそうです。防潮堤の背後地にある「小泉海岸広場」には特設ステージや地元の高校生徒による屋台などもあったそうです。この高校生らによるイベントなどの開催については、日をあらためて紹介しようと思います。

写真の右側にうつるのは、宮城県内で最も高い海抜14.7mの防潮堤です。河北新報の記事には、〈小泉海水浴場は2010年に約55万人が訪れたが、震災で砂浜が消滅。防潮堤の建設に関し、住民の意見が分かれた経緯がある〉とありました。

広告の写真ではあまりわかりませんが、地上から撮影した映像をみるとそれは本当に巨大な防潮堤です。そうした映像とともに、巨大防潮堤の建設に反対する報道は今後も続くことでしょう。それはそれでよし。私もその建設計画が発表されたときには、こんな大きな防潮堤が必要なのだろうかと疑問をもっていましたし、建設途中の写真や映像をみても同じ印象をもちました。

しかし現時点では前向きにとらえようと思っています。今後のほかの地区の防潮堤建設に際しての参考事例としては意味のあることですが、この小泉海岸での反対意見はもう遅いのです。2014年には工事の入札や契約がなされたはずです。できてしまったからには、海水浴場やイベントスペースとしての環境整備を進めて欲しい。それが現在の私の率直な気持ち。

7月13日に東京で気仙沼高校・気仙沼向洋高校の関東同窓会懇親会がありました。そこに来賓として出席されていた菅原市長が最近の気仙沼の復興状況などを紹介したのですが、その中に小泉海岸の防潮堤の話もありました。つぎのようなことです。私の記憶からの再現ですので言葉そのものの違いなどがあると思いますので、文責はあくまで小田ということで。

〈 ここにお集まりのかた、東京などに暮らしているかたの多くは防潮堤が嫌いだと思います。気仙沼でも多くの人は防潮堤が嫌いです。私も好きかときかれれば嫌いです。しかし、気仙沼市は人の命を守るための防潮堤建設を選びました。小泉海岸にぜひ行ってみてください。本当に大きいんです。2万4000個のブロックをならべてあるんですが、そのブロックは大人2人がゆったりと座るのにちょうどいい。コンサートとかイベントの開催などでの活用を東京の皆さんにも是非お願いしたい 〉

あくまで〈イメージ〉というか〈個人の印象〉ですが、大体はこんなことでした。私はちょっと驚いたのです。その巨大さが批判されることが多かったのに、まるで巨大であることを自慢というかなんというか。前向きすぎる(笑)。ブロックについて、あとで市の記者発表資料を確認したら、2万4000人の観覧席としての活用が可能とありました。ブロックの数ですね。

私は、この気仙沼市の行政の長としての発言をなるほどなと感じました。基本的に小泉海岸の防潮堤は宮城県の事業でしたから市の関与には限界があったはず。そして、県議会でも承認されて建設された以上、これを活用しようよということ。市長として、気仙沼出身者に協力を求めたということでしょう。そう思って、納得したのです。

気仙沼では、大島の小田の浜(「小田の浜ビーチ」と呼ぶのだそうです)でも7月20日に海開きがおこなわれました。小泉そして小田の浜、いずれの海水浴場も震災前のにぎわいを取り戻して欲しいと願っております。
 

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tag : 小泉海岸防潮堤

1954年 武者行列

きのうのブログでは、みなと倶楽部発行の「昭和の気仙沼風情」カレンダー2019年版のみなとまつり写真を紹介しました。当初は、今年のカレンダー写真ではなく、昨年版のみなとまつり写真を紹介しようと思っていたのですが、〈太陽の季節〉の文字を見つけたために方針を変更しました。

そして本日は、その昨年版7・8月写真を紹介します。

2018.jpg

「みなと倶楽部」発行〈昭和の気仙沼風情〉2018年版より


「みなと祭りの日」(昭和29年)八日町付近との説明があります。昭和29年/1954年8月だと、私は4歳です。気中20回生の学年でいえば4〜5歳。写真の撮影方向は、森田医院から大堀銀座交差点方向をうつしています。中央奥に見える洋館風の建物は玩具店の長澤(ながさわ)です。通りの右側に〈本吉屋〉、左側に〈昆喜畳店〉などの看板が見えます。

右側にうつっているのは、子供達の武者行列です。のぼりに〈南町〉の文字。ちゃんと草履をはいて、具足もしっかりとしているように見えます。結構な費用がかかったのではないかと。

このブログで、魚町の子供達のみなとまつり/武者行列を紹介したことがあります。以下に再掲しておきます。


◎魚町の武者勢揃い

2015年7月6日ブログ再掲

3日のブログ「1953年 武者行列」で、昭和28年8月の港まつりの風景を紹介しました。あの写真にうつっていたのは南町の子供たちですが、本日は魚町の〈小さな武者たち〉を紹介します。

魚町武者

2004年1月28日付け三陸新報記事のイメージ(クリックで拡大)


これは、2004年1月28日付けの三陸新報の連載記事〈とっておきこの一枚〉。見出しは〈りりしい武者姿/昭和28年 市制施行みなとまつり〉です。写真の持ち主は、魚町2丁目の〈ヤマジュウイチ〉佐藤八重子さん。私たちの一年先輩 佐藤秀一さんのお母様です。記事を引用します。

「 登米町から嫁いできたのが昭和25年。翌26年に長男(秀一)さんを出産した。気仙沼市制が施行されたのはその2年後。

写真は市制施行記念のみとまつり。パレードに参加するため、地区内の子どもたちが武者姿で魚町大通りに集合している。写真・矢印の女性が八重子さん。前列の長男を心配そうに見つめる。カメラ好きだった夫の市太郎さん(故人)が、知らない間に撮影し、自分で現像したもの。「希望者にはコピーして譲りたいと思います」

当時は生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった。合併直後だっただけに、希望に満ちあふれていた中での祭りだった。「港の心意気を示そうと、みんな一生懸命でした」と振り返る。魚町通りには、あらゆる種類の商店が軒を連ねていた。市経済の玄関口である港と魚市場があったからだ。「漁船は、町にとって宝船だったんです」。今もその思いは変わらない。」引用は以上。

記事に〈生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった〉とあります。終戦/敗戦からちょうど8年。漁業を中心としての気仙沼の産業発展や生活レベルの向上などを、子供の成長に重ね合わせて実感し始める時代だったのでしょう。

この三陸新報の記事は、7年前に亡くなった父が一週間に一度まとめて送ってくれたものから切り抜いておきました。11年前にも、この記事に、懐かしいなにかを感じたのでしょう。私にとっても〈とっておきの一枚〉だったのです。(再掲内容は以上)

上の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダーの写真は、昭和29年/1954年、三陸新報記事の写真は昭和28年/1953年 市制施行記念のみなとまつり風景です。

気仙沼町・鹿折町・松岩村の2町1村が合併して気仙沼市が誕生したのは、この年昭和28年/1953年6月1日のことでした。私たち気仙沼中学20回生は本吉郡気仙沼町の子供達として誕生したのですね。

明日からは気仙沼みなとまつり。天気に恵まれて楽しいまつりとなることを願っております。どうぞお出かけください。


なお、再掲ブログの冒頭に記している7月3日「1953年 武者行列」はつぎのブログです。昭和28年/1953年の〈旧気仙沼魚市場前をねり歩くみなと祭りの風景〉写真を紹介しています。是非ご覧ください。

2015年7月3日ブログ「1953年 武者行列」
 

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tag : みなとまつり

1956年の港まつり

今日から8月。いよいよ今週末、8月3日・4日は気仙沼みなとまつりですね。私がみなとまつりを最後に見たのは20年前なのか30年前なのか、今ではそれさえも定かではありません。その記憶のあいまいさの一方で、幼かったころのみなとまつりの記憶の断片が年を経るほどなつかしく思い出されます。

「みなと倶楽部」さん発行の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー2019年版の7・8月分の写真も、そんな私の回顧趣味をくすぐります。




「みなと倶楽部」発行「昭和の気仙沼風情」2019年版より


昭和29年(1954年)の第4回気仙沼みなとまつりとのこと。八日町の広野新聞店の上あたりから三日町方向をうつしています。私の知る華やかなみなとまつりの風景と重なります。

そうした思い出にひたりながら写真をながめていたら、写真中央にうつる横断幕に記されている文字が気になりました。裏側からなので左右逆転していますが、〈太陽の季節〉と読めます。小さく、〈原作 石原慎太郎〉〈シネマスコープ〉などの文字も。

しかしなんか気になる。映画「太陽の季節」は、私が2歳のときのはずはありません。もっとあと。ということで調べてみたら、やはり違いますね。

Wikipediaによれば、小説「太陽の季節」が雑誌『文學界』7月号に掲載されたのが1955年(昭和30年)、芥川賞を受賞したのは翌年。そして映画「太陽の季節」が公開されたのはそのまた翌年の1956年(昭和31年)5月のことでした。気仙沼での上映も同年と考えるのが自然でしょう。

映画館はどこだったか。横断幕の中央下部の文字は〈旭映劇〉と読めます。旭映画劇場でしょう。気仙沼文化史年表(荒木英夫 著)につぎの記述がありました。

昭和30年8月2日 旭映画劇場が南町鼎座通りに開館。経営者 高橋正雄。

これらを総合すると、旭映画劇場の開館2年目に日活の映画「太陽の季節」を上映したのだと思います。〈旭は東宝系で、日活なら南映での上映だろう〉と思う人も多いでしょうが、南映が河原田を下ったあたりの港町に開館したのは気仙沼市史によれば昭和40年のことです。なお、市史には旭映画劇場の経営は旭産業株式会社(代表 高橋正男)とあります。気仙沼商会の2代目社長も高橋正男さん(現社長の正樹さんのお祖父様)ですが、同じ人でしょうか。文化史年表で「正雄」とあるのは誤記かもしれません。

とりあえず、冒頭の写真は、昭和31年/1956年のみなとまつりだとしましょう。第1回は昭和26年の開催ですから、写真は第6回だと思います。文化史年表には7月14日開幕とあったのですが、そのひとつ上の項目に〈昭和31年7月14日 東洋一と称された新魚市場落成式挙行〉との記述がありました。開業は4か月前の3月1日です。それにしても、みなとまつりの写真の撮影年を調べて、新魚市場落成の話にゆきつくとは思いませんでした。おどろいた。

私が4歳だった1956年のみなとまつり。それは気仙沼の〈太陽の季節〉を祝うまつりでもありました。なんちゃって。

2014年7月18日「気仙沼の映画館史」
 

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tag : みなとまつり

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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