きのうのブログでは、みなと倶楽部発行の「昭和の気仙沼風情」カレンダー2019年版のみなとまつり写真を紹介しました。当初は、今年のカレンダー写真ではなく、昨年版のみなとまつり写真を紹介しようと思っていたのですが、〈太陽の季節〉の文字を見つけたために方針を変更しました。
そして本日は、その昨年版7・8月写真を紹介します。
「みなと倶楽部」発行〈昭和の気仙沼風情〉2018年版より
「みなと祭りの日」(昭和29年)八日町付近との説明があります。昭和29年/1954年8月だと、私は4歳です。気中20回生の学年でいえば4〜5歳。写真の撮影方向は、森田医院から大堀銀座交差点方向をうつしています。中央奥に見える洋館風の建物は玩具店の長澤(ながさわ)です。通りの右側に〈本吉屋〉、左側に〈昆喜畳店〉などの看板が見えます。
右側にうつっているのは、子供達の武者行列です。のぼりに〈南町〉の文字。ちゃんと草履をはいて、具足もしっかりとしているように見えます。結構な費用がかかったのではないかと。
このブログで、魚町の子供達のみなとまつり/武者行列を紹介したことがあります。以下に再掲しておきます。
◎魚町の武者勢揃い
2015年7月6日ブログ再掲
3日のブログ「1953年 武者行列」で、昭和28年8月の港まつりの風景を紹介しました。あの写真にうつっていたのは南町の子供たちですが、本日は魚町の〈小さな武者たち〉を紹介します。
2004年1月28日付け三陸新報記事のイメージ(クリックで拡大)
これは、2004年1月28日付けの三陸新報の連載記事〈とっておきこの一枚〉。見出しは〈りりしい武者姿/昭和28年 市制施行みなとまつり〉です。写真の持ち主は、魚町2丁目の〈ヤマジュウイチ〉佐藤八重子さん。私たちの一年先輩 佐藤秀一さんのお母様です。記事を引用します。
「 登米町から嫁いできたのが昭和25年。翌26年に長男(秀一)さんを出産した。気仙沼市制が施行されたのはその2年後。
写真は市制施行記念のみとまつり。パレードに参加するため、地区内の子どもたちが武者姿で魚町大通りに集合している。写真・矢印の女性が八重子さん。前列の長男を心配そうに見つめる。カメラ好きだった夫の市太郎さん(故人)が、知らない間に撮影し、自分で現像したもの。「希望者にはコピーして譲りたいと思います」
当時は生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった。合併直後だっただけに、希望に満ちあふれていた中での祭りだった。「港の心意気を示そうと、みんな一生懸命でした」と振り返る。魚町通りには、あらゆる種類の商店が軒を連ねていた。市経済の玄関口である港と魚市場があったからだ。「漁船は、町にとって宝船だったんです」。今もその思いは変わらない。」引用は以上。
記事に〈生活していくだけでも大変な時代だった。が、町の中には熱気と活気があった〉とあります。終戦/敗戦からちょうど8年。漁業を中心としての気仙沼の産業発展や生活レベルの向上などを、子供の成長に重ね合わせて実感し始める時代だったのでしょう。
この三陸新報の記事は、7年前に亡くなった父が一週間に一度まとめて送ってくれたものから切り抜いておきました。11年前にも、この記事に、懐かしいなにかを感じたのでしょう。私にとっても〈とっておきの一枚〉だったのです。(再掲内容は以上)
上の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダーの写真は、昭和29年/1954年、三陸新報記事の写真は昭和28年/1953年 市制施行記念のみなとまつり風景です。
気仙沼町・鹿折町・松岩村の2町1村が合併して気仙沼市が誕生したのは、この年昭和28年/1953年6月1日のことでした。私たち気仙沼中学20回生は本吉郡気仙沼町の子供達として誕生したのですね。
明日からは気仙沼みなとまつり。天気に恵まれて楽しいまつりとなることを願っております。どうぞお出かけください。
なお、再掲ブログの冒頭に記している7月3日「1953年 武者行列」はつぎのブログです。昭和28年/1953年の〈旧気仙沼魚市場前をねり歩くみなと祭りの風景〉写真を紹介しています。是非ご覧ください。
2015年7月3日ブログ「1953年 武者行列」
テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報
tag : みなとまつり