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赤坂7丁目の散策

気仙沼ニッティングさんが、3月から毎月第1土曜日に、東京・青山通りの草月会館2階〈コーネルコーヒー〉に出張しています。4月1日(土)はその2回目。〈コーネルコーヒー〉の運営には、気仙沼のアンカーコーヒーなどを展開する〈マザーポートコーヒー〉も加わっていることは3月2日のブログで紹介しました。

コーネルコーヒー
気仙沼ニッティング公式Facebookより(クリックでジャンプ)

出張1回目となった3月4日、私ははじめてコーネルコーヒーを訪ねました。草月会館のある赤坂7丁目付近は、30数年前30歳ぐらいまでつとめていたオフィスがあった場所なのです。本日は、訪問の直後に〈忘れないうちに〉とつづっておいた印象記です。ちょっとというか、かなり長いのでとばし読みをお勧めします。


草月会館は地下鉄〈青山一丁目〉と〈赤坂見附〉の中間ですが、私は以前の通勤ルートにしたがって青山一丁目から。まずは駅のある新青山ビル〈青山ツイン〉の地下1階。飲食中心のフロアで、以前からの店が結構のこっています。ニュートーキョー運営の居酒屋〈庄屋〉もまだあった。料金が手頃で同僚やアルバイトの学生たちとよくいきました。物販フロアで津川雅彦さんが経営していた幼児向けの玩具店〈グランパパ〉がすでになくなっていることは知っておりました。

地上に出て赤坂御用地を左に見ながら青山通り沿いを歩きます。赤坂郵便局を過ぎたあたりのビルには監査法人の〈アーサーアンダーセン〉が入っていたのですが、いまは〈ユナイテッドアローズ〉の本部が。アーサーアンダーセンは紆余曲折の後、コンサルティング会社〈アクセンチュア〉として発展、このビルには収まりきれない規模になりました。

その先にあるカナダ大使館を過ぎると、大蔵大臣や総理大臣をつとめた〈ダルマさん〉高橋是清の邸宅跡〈高橋是清翁記念公園〉です。ここはほとんど変わっていません。通勤時に公園のなかを通っておりましたが、樹木の根っこが地上に露出している様子までもがそのままという印象。

そして草月会館の正面玄関から2階のコーネルコーヒーへ。気仙沼ニッティングさんは入口付近のスペースでお客様の採寸や試着などで接客中です。私はドリップコーヒーを。カウンターからはさきほどの是清公園の緑が見えます。つまり、以前にレストラン〈薔薇〉があったところが〈コーネルコーヒー〉になったのですね。

コーネルコーヒー1
是清公園からながめた草月会館/コーネルコーヒー

コーネルコーヒーからも見ることのできる石庭〈天国〉は今も変わることなくそこにありました。イサム・ノグチの傑作とされています。このイサム・ノグチの天国が、私にはいつもとてもさびしく感じられるのはなぜでしょう。

美味しいコーヒーをいただいたあと、気仙沼ニッティングのスタッフ遠藤さんにちょっとだけ声をおかけした後、青山通りに面したラウンジスペースへ。草月会館の案内を見ると〈談話室〉となっています。テイクアウトした飲み物をここで楽しむこともできるのでしょう。雰囲気は元のまま。

お次は、草月会館と是清公園の間を奥に入っての〈ドイツ文化会館〉OAG(オーアーゲー)ハウス。〈オアゲ〉と呼んでおりました。1階のレストランは以前のままにありましたが、料金がちょっと高くなったかもしれない。それでも草月会館のついでに寄るのもよろしいかと。オアゲのもっと奥の方に、餃子やレバニラをお昼に食べた中華〈珉珉(みんみん)〉があったはずですが、この日は確認できず。

ドイツ文化会館の隣が、私がつとめていたオフィスがあったマンション。その赤坂パークハウスは、三菱地所のマンション事業第1号として1970年に竣工した高級マンションらしいのですが、働いていたころの私はそんなこととはつゆしらず。今はビンテージというか、昔のまんまの姿に正直おどろきました。

当時、駐車場で島倉千代子さんをみかけることがありました。というのも、このパークハウスの向かいには日本コロムビアの本社ビルがあったのです。島倉さんはコロムビア所属でしたから、至近のマンションに住んでいたのでしょう。面する通り〈薬研(やげん)坂〉は、〈コロムビア通り〉とも呼ばれていました。

この通りで、気仙沼高校の同級生にばったり会ったことがあります。北(きた)君。岩手県の中学から気高に進学し、佐々木徹君(3年1組)の家に下宿していました。九州芸術工科大学で工業デザインを学び、コロムビアでは製品デザインを担当していたはずです。昼飯どきにばったり会ったときには驚いた。どうして君がこんなところにいるのかと。お互いに。そのコロムビアの場所にはいま高層ビルが建っています。そして向かって左方向の青山通り沿いのたしか〈東北新社〉があった場所にも同様の高層ビル。風景がすっかり変わってしまいました。

帰りは赤坂見附駅に向かいます。レトロな味わいがあった〈赤坂支所〉の建物は既になく、赤坂区民センターになってしまった。ま、古かったからねえ。大きな暖簾(のれん)が印象的だった和菓子の名店〈とらや〉赤坂本店は、建て替えのために休業中でした。その近くにあったイラストレーター安西水丸さんの実家だったビルは見当たりません。水丸さんも2014年に亡くなりましたね。思いついて、青山通りの向かいにある〈豊川稲荷〉さんへ。諸事の安寧を祈りました。

コーネルコーヒー/気仙沼ニッティング出張をきっかけとしての赤坂七丁目/草月会館訪問。30数年前の記憶を眼前の風景に重ね合わせながらの散策は、私にとってちょっとしたタイムトリップでした。もう一度訪れても、この不思議な感覚〈奇妙な味〉を感じることはできないでしょう。

「CONNEL COFFEE by Mother Port Coffee」公式HP
3月2日ブログ「コーネルコーヒー」

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tag : 気仙沼気中20気仙沼ニッティングコーネルコーヒーアンカーコーヒー

みなとのがっこう

気仙沼の地域講座〈みなとのがっこう〉が4月8日(土)、約1年ぶりに開催されます。第6回目となる今回は、熊谷達也さん3度目の講座となります。

みなとのがっこう
「みなとのがっこう」公式Facebookより(クリックでサイトにジャンプ)

「みなとのがっこう」案内文を引用します。

◎みなとのがっこう/STORY
作家・熊谷達也から見た気仙沼
第3章~『仙河海』のこれまでとこれから

気仙沼中学校で教師を3年間勤められた経歴がある直木賞作家・熊谷達也さんの講座を下記のとおり開催します。

熊谷達也さんは、昔と今の気仙沼を知る稀有な現役作家で、東日本大震災後は、気仙沼をモデルにした架空の街 「仙河海市」を舞台に、年代や登場人物が交錯した複数の物語を同時に描かれています。

そんな熊谷達也さんの描く「仙河海(せんがうみ)」の物語は、気仙沼人の人柄や気質、気仙沼の風土、文化、風習、水産を中心とした産業の成り立ちと変遷を深く知り、感じることができる貴重な読み物にもなっています。

3回目となる今回は、新刊『鮪立の海』が3月28日に刊行され、仙河海シリーズがこれまでの8冊を一区切りとして一旦お休みに入るタイミングでもあることから、シリーズの全体像や相関関係についても解説いただきながら、小説に込めた想いや今後の構想など、裏話をたっぷり交えて語っていただきます。(ご参加の方にはなんと、著者自らが作った「仙河海シリーズ人物相関図」も特別に資料配布します!)

さらに、今回は仙台の出版社「荒蝦夷」代表の土方正志さんにも聞き手として一緒に登壇いただきます。土方さんは熊谷達也さんが東日本大震災後に「仙河海」の物語を描くきっかけを作られた方でもあり、より深く話を引き出していただけることは間違いありませんので、どうぞお楽しみに!

作家自らが、気仙沼を舞台にした自作について語る、非常に貴重な機会です。今まで私たちが気づかなかった気仙沼について改めて考える機会にもなると思いますので、書籍を読んだ方も読んでない方も、この機会をお見逃しなくぜひご参加ください!(当日は宮脇書店さんのご協力により、数量限定でサイン本の販売もいたします!)

<開催概要>
■日 時:平成29年4月8日(土)
18:30〜20:00(開場:18:00)
※受付は18:20までにお願いします。
※カウンターでドリンクを一杯注文&支払いしてから店内にお入りください。
※18:00から熊谷達也さんのサイン本を数量限定で販売いたします。

■場 所:アンカーコーヒーマザーポート店/気仙沼市館山1-127-1
■参加費:1000円/人(※ドリンク代は別途注文・支払いただきます)
■定 員:25名(先着順)
■講 師:熊谷達也(作家)
(1)趣旨説明(5分)
(2)熊谷達也さんによるトーク(聞き手/土方正志さん)(70分)
(3)質疑応答・フリートーク(15分)

■懇親会:20:00から引き続き開催
 ※会費は一人4千円を予定しています。

◎参加申し込み
以下内容明記のうえ、みなとのがっこう事務局までメールでお申込みください。
[email protected]

1.氏名
2.メールアドレス
3.懇親会参加の有無
(案内文引用は以上)

参考まで、〈みなとのがっこう〉のこれまでのテーマを紹介しておきます。講師はROOTSシリーズが川島秀一さん、STORYシリーズが熊谷達也さんです。

ROOTS:気仙沼のルーツ・成り立ちを探る
STORY:熊谷達也から見た気仙沼

第1回 ROOTS1気仙沼のルーツ・成り立ちを探る
第2回 ROOTS2気仙沼とカツオの◯◯な関係
第3回 STORY1『リアスの子』から『微睡みの海』
第4回 ROOTS3世界を目指したマグロ漁師!
第5回 STORY2『ティーンズ・エッジ・ロックンロール』から『希望の海 仙河海叙景』

私は昨年9月5日に東京・赤坂で開催された気仙沼サポートビューロー主催のKSB復興フォーラムで熊谷達也先生のお話をうかがいました。こじんまりした会で「仙河海」シリーズにまつわる話を著者から直接うかがうことができ、とても贅沢な時間を過ごすことができました。今度の会も定員25名とのことですので、是非お早めに予約されることをお勧めします。

2016年9月5日ブログ「熊谷達也先生の話」

これまでの熊谷達也先生『仙河海』シリーズ本8冊のリンクを下に貼っておきます。

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森田家ヒストリー

26日予定が変更となり本日29日となった大島架橋のアーチ部架設作業は、午後3時には終える予定となっています。午前5時40分頃には、朝日埠頭でアーチ部の吊り上げをおえて、午前9時頃には架設現場まで曳航されたようです。無事の工事完了を願っています。

さて、大島医院の後任医師に、気仙沼〈森田医院〉森田潔院長の弟さんである森田良平さんが内定したことは、きのう3月27日のブログで紹介しました。私は先週はじめにこのニュースを知り、気仙沼において森田家が果たしてきた役割というものを思い起こしたのです。本日は、少し長くなるのですがその話を。

森田潔・良平ご兄弟の父君は〈森田内科〉森田昭夫先生です。私の父も公私ともに親しくさせていただきました。昭夫先生が八日町で医院を開業したとき、そのお披露目にうかがった父が少しお酒をいただいたのか上機嫌で帰ってきたことをおぼえています。「気仙沼市文化史年表」によれば、昭和36年(1961年)2月ですから、私が小学校3年生のときのこと。

そして昭夫先生の先代となる森田八郎氏は、新沼綱五郎町長の後継として昭和3年から7年まで、第7代となる気仙沼町長をつとめました。

森田八郎
第7代町長 森田八郎(気仙沼市史 第4巻口絵より)

気仙沼市史第4巻「近代・現代編」では、その功績を年表形式で紹介し、〈森田町長は、苦闘の中に気仙沼町の復興を果たし下野した〉と記しています。その後に、森田家に関する記述がありましたので引用します。

〈 森田家は代々医家である。八郎は祖(の)東周から四代目、父(の)東州は西磐井郡中尊寺生れで、東京済生学舎に学び女医として有名な吉岡弥生と同期だったという。四代松山平兵衛が中風に懸かり、一関から赤間医師を招致して治療に当らせたとき、随行してきたのが東州で、森田家の長女わよと結婚して嗣子(しし/後継ぎ)となった人である。したがって森田は松山家で育ち、後に同じく町長となった五代松山平兵衛は森田を兄と呼んだという。 森田は初め法律の学校に通っていたというが、のちに医学校に学んだ。 気仙沼電気会社社長(大正13年頃)、気仙沼港製氷株式会社社長(同)、気仙沼信用組合長と実業面の功績は大きく、町長として大火災の後始末、上水道の完成、魚市場開設には業界を調整して基本的方向を定めた。〉(引用は以上。括弧内は年代記述を除いて小田による補足)

文章の最後の系図によれば、東周を1代目として、2代目の養子〈清安〉と養女〈てい〉の長女が〈わよ〉。わよと結婚したのが3代目となる養子〈東州〉です。中尊寺村の菅原家の生まれとのこと。2代目の青安、そしてその妻てい については、唐桑村伊藤家生れとの記述がありました。森田昭夫先生の奥様は唐桑町鮪立(しびたち)の旧家〈古舘(こだて)〉から嫁いだ方ですが、3代さかのぼったときから唐桑との縁があったのですね。

参考まで付け加えれば、森田八郎町長の奥様が森田イマノさん。昭和20年には気仙沼町婦人会の会長、21年には教育委員に選ばれています。34年には気仙沼市の婦人会長に選出されるなど、教養人として知られる女性でした。

気仙沼で図書館長をつとめた菅野青顔さんは、ご自身が執筆連載していた三陸新報コラム「万有流転」(1972年2月20日記事)でイマノさんの訃報にふれて、つぎのように書いています。〈三陸新報社編集局の森田宅時代のことだが、便所に行くと、いちいち挨拶して用をたしたら「あんだだけです、挨拶するのは」といって、茶の間に上げて上酒のモッキリ二杯を飲ませてくれた刀自(とじ/年配の女性に対する敬称)でもあった。片意地の強い人のように言うひともあるが、情理をわきまえぬ人ではなかった〉。(三陸新報社刊「菅野青顔の万有流転」下巻より)

上記の市史引用文中に、森田八郎氏が気仙沼信用組合長をつとめたという記述があります。現気仙沼信用金庫の沿革をみてみると、大正15年9月に信用組合が設立されたときの初代組合長が森田八郎氏です。その関係でしょう、第5代目としての理事長に森田昭夫先生が就任しています。この沿革のなかに、当時は信用金庫会長をつとめていた昭夫先生が平成17年12月に死去との記述もありました。

気仙沼市史の〈森田町政〉に関する記述の最後には、東周に始まり昭夫先生までの森田家5代にわたる系譜が記されています。これをながめていると、6代目としての潔先生、そして大島医院の医師となる良平先生も、まさしく森田家のファミリーヒストリーに連なる人達だなということが実感されるのです。

3月28日ブログ「大島後任医師内定」

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大島後任医師内定

気仙沼大島唯一の医療機関である大島医院の山本馨医師がこの3月末で退職します。その後任医師を探しているとの話は、昨年12月19日のブログで紹介しました。3月21日、その後任が内定したと気仙沼市が発表しました。翌日の三陸新報はトップ記事で伝えています。

森田医師内定
三陸新報3月22日記事の一部イメージ

内定したのは、気仙沼市出身で千葉県船橋市在住の森田良平医師(52)です。森田医師は日本医科大学付属病院の高度救命救急センターに勤務後、民間病院の救命救急センターなどを経て、現在は千葉県八街市の長谷川病院整形外科に勤めています。開業後の診療科目は内科と整形外科。森田医師が開業するまでの4月と5月は、市が保健師らを派遣して健康相談会や戸別訪問を行うそうです。

気仙沼市の発表や河北新報の記事には記されていませんでしたが、三陸新報によれば、森田良平医師は気仙沼市八日町〈森田医院〉院長で気仙沼市医師会の会長もつとめる森田潔先生の弟さんです。気仙沼高校の同窓会名簿にもその名がありました。気高35回生ですから私たちの13学年下。獨協医科大学に進んでいます。

ご両人の写真を見て、お父様である〈森田医院〉森田昭夫先生の表情を思い出しました。似ています。息子さんお二人が、気仙沼の地域医療に携わることになって、喜んでいることでしょう。

大島には2月末現在で2599人が暮らしています。大島架橋が完成して道路がつながるのは2年後のこと。森田医師の着任によって長期にわたって無医地区となることが避けられたのは、なによりのことでした。島民の方々はもちろんのこと、市をはじめ関係者の皆さんもホッとしたことでしょう。

三陸新報の記事の最後は、3月末で退任なされる山本医師のことを記しています。2007年5月に着任してからこれまで、離島大島の地域医療に尽力されたと。島民の皆さんも感謝していることと思います。山本馨医師に心から御礼を申し上げます。

明日のブログでは、気仙沼町長などもつとめ、森田潔・良平ご兄弟の祖父にあたる森田八郎さんについてご紹介します。

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催事・テレビ情報

新しい週がまた始まりました。本日は目黒の桜まつりなどの催事とテレビ番組情報をお伝えします。

1:目黒の桜まつり     

目黒のさんま祭と同じ会場で毎年おこなわれる桜まつり。今年も気仙沼物産の販売ブースが設けられます。

◎目黒イーストエリア桜まつり
4月1日(土)2日(日)10:30〜19:00
田道広場公園・ふれあい橋
(目黒区目黒一丁目25番8号)
気仙沼物産展のほか、模擬店、お茶の野点、ゆるキャラと遊べる子供広場、ダンス、演奏、若手芸人・大道芸人のステージなど

会場は、JR目黒駅の西口(改札を出て左側)から、目黒通りか権之助坂を下ります。400mほどいくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して200mぐらいいくと田道広場公園です。駅から12〜13分という感じでしょうか。私も同級生を誘って1日のお昼ごろに行こうと思っております。皆様も是非。

2:NHK WORLD      

3月15日のブログで、気仙沼市唐桑の〈つなかん〉菅野一代さんと移住者らとの関わりを記録したNHK WORLDの番組を紹介しました。本日紹介するのは、『TOKYO FASHION EXPRESS』。震災から6年経った気仙沼で活躍する3人をとりあげます。NHK WORLDでの放送は3月27日ですが、BSでの国内再放送は下記日時となります。

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NHK WORLD番組サイトより(クリックでジャンプ)

◎NHK BS1『TOKYO FASHION EXPRESS』
3月29日(水)27:00~27:30
(3月30日(木)3:00~3:30)

登場するのは、オイカワデニムの及川洋(ひろし)さん、ニット製品の梅村マルティナさん、藍染め〈オーシャンブルー〉の藤村さやかさんの3名です。早朝3時からの放送ですので、録画予約でどうぞ。

3:Kesennuma,Voices.6 上映会 

3月11日と23日にTBSのCS放送〈TBSチャンネル〉で〈Kesennuma,Voices.6〉が放送されました。この堤幸彦監督が被災地・気仙沼で生きる人々の〈声〉を伝えるオリジナル番組第6弾の上映会が気仙沼で行われます。妹夫婦を津波で亡くした生島ヒロシさんの長男と次男のふたりと気仙沼との関わりを追いながら、心の復興を伝え続ける2017年作品です。CS放送なので私もまだ視聴できておりません。気仙沼の方にご覧いただければと。

堤幸彦
番組サイトより(クリックでジャンプ)

◎Kesennuma,Voices.6 上映会
日時:4月9日(日)13:30〜 17:00〜
(各回約90分のイベントで、開場は上記時刻30分前)
会場:気仙沼プラザホテル2階コンベンションホール
各回上映後に、堤幸彦監督はじめ出演者の舞台挨拶も。
入場無料

4:マギー審司さんのマジック 

実は、3月30日(木)19:00からのBS朝日〈ザ・ドキュメンタリー/震災から6年「帰りたい」〉を紹介しようと思っておりました。震災後6年の現実に気仙沼市出身のマギー審司さんが迫るというテーマとのこと。しかし、番組サイトを確認してびっくり。番組内容が変更されて〈マリリンモンロー〉のドキュメントになっていました。マギーさんがモンローに。これもマジックでしょうか(笑)。

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伴走者との送別会

3月は年度末ということで、学校では卒業式、企業では転勤や異動に伴う送別会などがひらかれています。春は別れの季節。〈東北未来創造イニシアティブ〉の活動終了に伴い、気仙沼に派遣されていた出向者6名の方々も3月末で離任となります。本日は、お世話になった気仙沼関係者による3つの送別会を紹介します。

2012年4月に始まったプロジェクト〈東北未来創造イニシアティブ〉には経済同友会が特別協力し、会員所属企業からの有志による出向者が被災地に派遣されました。気仙沼でも出向者の皆さんが、復興計画の具現化支援や、〈経営未来塾〉の運営、そして〈リアス観光創造プラットフォーム〉の事務局業務などにあたってきました。出向者の市役所での位置づけは、気仙沼市震災復興・企画部〈震災復興支援チーム エキスパート〉ということのようです。

メンバーのなかでも、リクルートの森成人(なるひと)さん、富士通の小松志大(もとお)さんは、2013年4月開始時から終了までと、4年間の長期出向となりました。森さんの気仙沼での仕事や暮らしの様子は、ブログ〈気仙沼仮設生活〉に記されています。その後に仮設住宅を出たため現在のブログ名は〈気仙沼出向生活〉となっていますが、森さんの苦悩と喜びの両面がプロジェクトの紹介とともにつづられており、興味深く拝見しておりました。3月末でこのブログも終了するのであれば残念です。以下、森さんのブログ中の記事をリンクしながら、3つの送別会を紹介します。

3月13日には、本吉町のはまなす海洋館で〈震災復興支援チーム送別会〉が菅原市長や商工会議所菅原会頭なども出席しておこなわれました。市役所から会場までを送迎バス利用という送別会でした。

3月17日には、一般社団法人リアス観光創造プラットフォーム事務局のお別れ会が開催されています。このプラットフォームの活動は、〈ば!ば!ば!の場〉や〈ちょいのぞき〉など、市民が企画し実行する参加型プロジェクトや〈気仙沼メカジキ〉のプロモーションなど、気仙沼の観光資源の発掘と進化の大きな力となりました。

ちょっと前のこととなりますが3月4日には、出向者の皆様がその運営を担った経営未来塾の事務局送別会が行われました。東北未来創造イニシアティブの人材育成道場「経営未来塾」(気仙沼・南三陸)は、4年間の全5期で合計86名の塾生を送り出したとのこと。気仙沼や南三陸の次代を担うリーダーとなることが期待されています。同級生の息子さん数名も卒塾生です。

この経営未来塾のサイトには、塾生全員とともに、事務局メンバーも紹介されています。その中から、現在出向中で3月末をもって各企業に戻られる6名の方々を紹介いたします。以前は出向を終えた方々も紹介されていたのですが、現在は出向中の方のみとなっておりました。
出向者6名
経営未来塾サイトより(クリックでサイトへ)

森成人さん(リクルート)2013/4~
小松志大さん(富士通)
2013/4~
松谷慶子さん(アイリスオーヤマ)
2014/5~
沼津広憲さん(ローソン
)2014/9~
百瀬旬さん(デロイト トーマツ)
2015/4~
加藤靖史さん(中外製薬)
2015/10~

出向者の皆様には、気仙沼のより良き未来を創造するための基盤づくりを、地域の人の伴走者として力強くご支援いただきました。この6名の皆様はもちろんのこと、これまでにご出向いただいた方々や経済同友会をはじめ多くの関係者の皆様に敬意を表し、心からの御礼を申し上げます。どうぞこれからも気仙沼の復興を見守ってくださいますよう。本当にありがとうございました。


きのう3月23日の盛屋水産/つなかん「第一信盛丸」転覆のニュースには本当に驚きました。本日も捜索活動がおこなわれます。なんていったらよいのか。言葉が見つかりません。 河北新報3月24日配信記事

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ヒカリの御礼広告

きのう3月22日の三陸新報に、第6回「3月11日からのヒカリ」実行委員会からの御礼広告が掲載されていました。

3:22ひかりお礼広告
三陸新報3月22日掲載広告


私たち〈気仙沼中学20回生支援会〉も協賛させていただきましたので、支援者の皆様へのご報告を兼ねて紹介いたしました。本プロジェクトのテキスト中継〈39_311 気仙沼を届けよう。〉はつぎのリンクからご覧になれます。

3月11日からのヒカリ/テキスト中継

最後になりましたが、実行委員の皆様をはじめ、関係者の皆様にお礼を申し上げます。諸々のお世話、ありがとうございました。広告の文章にもありましたが、気仙沼の豊かな日常が一日でも早く戻ってくることを心から願っております。

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サプライズ成人式

本日3月22日(水)のフジテレビ系列(気仙沼は仙台放送)〈FNSうたの春まつり〉で、気仙沼収録のイベントが放映されます。昨日の三陸新報で知りました。

うたの春まつり
画像クリックで番組サイトへ

◎3月22日(水)19:00〜23:18
◎フジテレビ系列(気仙沼は仙台放送)
◎FNSうたの春まつり

女川町の遠洋マグロはえ縄船〈第8明神丸〉が先月、気仙沼市魚町の〈コの字岸壁〉でお披露目されました。今回放映されるのは同船の新人船員である瀬戸山郁人さんの〈サプライズ成人式〉です。記事によればつぎのようなことです。

瀬戸山さんは、洋上で操業していたために成人式に出席することができませんでした。そんな彼を、同船の石田孝春機関長が祝ってあげたいという思ったことからこの企画がスタートしました。番組スタッフから打診を受けた県北部船主協会が、港関係者の協力を得ながら秘密理に準備を進めたそうです。

気仙沼での収録は2月下旬。AKB48の渡辺麻友さんや柏木由紀さん、指原莉乃さんら主要メンバー8人が気仙沼を訪れました。コの字岸壁の特設ステージで歌い、瀬戸山さんを驚かせ、成人を祝う様子が紹介されるとのことです。

〈コの字岸壁〉での収録というのも珍しいなと思いました。商港岸壁は、大島架橋のアーチ橋部などもあって使えないからかなとも想像しております。

そういえば、19日の三陸新報には大島架橋の作業予定の変更が報じられていました。3月26日(日)におこなわれる予定だったアーチ部仮設作業は29日(水)に変更になりました。20日に大島側で予定されていた橋桁の架設作業が強風で延期になり、その影響とのことです。日曜日の一大イベントということで、見学などでの集客も期待されていましたので、関係者はちょっと残念かもしれません。しかし、安全な工事進行のためですので仕方がありませんね。念のためにお知らせしておきます。

1月27日ブログ「大島架橋手順紹介」

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上場インタビュー

東京は朝から雨なのですが、午前10時すぎには都心での開花が発表されました。満開は7〜10日後とのこと。

さて、本日もきのうに続いて〈ほぼ日〉さんのジャスダック新規上場についてです。上場に関しての糸井さんのインタビューは、テレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)でも放送されていますが、気仙沼ではネットされていません。そこで今日は、東京証券取引所スタジオからの株式情報ネットTV〈Stock Voice〉での糸井さんインタビュー映像を紹介します。約13分間です。


〈Stock Voice〉3月16日公開動画

糸井さんは東証でのセレモニーを終えて、東証内のスタジオに入ったのでしょう。ネクタイをしめています。ある種の正装でしょうか(笑)。このインタビューを見て感じたことをちょっとだけ。利益や成長についてです。

上場、つまり株式を公開しているわけですから、株主からは一定レベルの利益や成長を求められるのが普通の話。でも、ほぼ日は通常の株式会社とはちょっと違った志向をもつ企業です。映像では10分ぐらい過ぎたところで、そこをどう考えているかをたずねられました。糸井さんはつぎのように答えました。

〈自然な成長を僕らは否定しているわけじゃないんですけど……。金もうけだけがうまい人っていうの、友達になりたくないんですよね、あんまり。友達になって欲しい会社なんです。チカラがないとやっぱり何の役にも立たなくなっちゃうから、自然に成長して、少しずつ付いてゆく体力とか筋力みたいなものとか、それを使っていきたいというのが……。ま、一見、反成長みたいに聞こえるかもしれませんが。成長は否定していません。〉(発言引用は以上)

発言中の〈友達になって欲しい会社なんです〉というのは、〈ほぼ日は、友達になって欲しいと思われたい会社なんです。そういう会社になりたいんです〉という意味に私は受け取りました。

逆にとらえれば、お金をもうけるためだけの人よりは、友達になって欲しいと思うような人に株主になって欲しい。だって、そんなに大きな成長を目的にしている会社ではありませんから。といったところでしょうか。

なお、上場当日3月16日の東証での様子は、下記の〈ほぼ日ニュース〉がくわしく伝えています。東証の〈あの鐘を鳴らす〉セレモニーなども。上場を実現するまでには相当に大変な努力と苦労があったと思います。それだけに糸井さんはじめメンバーの方々のうれしさと喜びが伝わってくるような気がいたしました。こちらもご覧いただければと。

ほぼ日ニュース/3月18日
3月20日ブログ記事「ほぼ日さんの上場」

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ほぼ日さんの上場

皆様すでにご存じのように、糸井重里さんが社長をつとめる〈株式会社ほぼ日〉が、3月16日に東証JASDAQ市場に新規上場しました。本日は、気仙沼の人が知っておいたほうがよさそうな、ほぼ日上場の基本情報をまとめます。

まず、JASDAQ(ジャスダック)ですが、東京証券取引所(東証)が運営する株式市場です。東証には一部、二部の市場もありますが、ジャスダックは以前の〈店頭登録〉と同様に新興企業向けといってよいでしょう。東証一部はもっとも上場基準が厳しく、いわゆる〈一部上場企業〉との呼称は一流企業の証ともいわれます。

法人としての〈ほぼ日〉の歴史は、1979(昭和54)年に糸井さんが個人事務所を設立したことに始まります。同社コーポレートサイトに記された沿革から主要項目と気仙沼関連事項を抜粋してみましょう。

1979年(有)東京糸井重里事務所設立
1998年『ほぼ日刊イトイ新聞』 創刊
2001年「ほぼ日手帳」販売開始
2002年(株)東京糸井重里事務所に組織変更
2011年 気仙沼のほぼ日開設(11月)
2013年 株式会社気仙沼ニッティング設立(6月)
2016年 株式会社ほぼ日に社名変更(12月)
2017年 東京証券取引所JASDAQ市場に上場(3月16日)

なお、本年2017年2月1日には佐藤卓さんがデザインした〈ほぼ日〉のロゴマークが発表されています。詳しくはこの記事で。

なぜ〈ほぼ日〉が上場したのか。その疑問に対しては、東洋経済のインタビュー記事がわかりやすいと思います。糸井さんにつぐ第2位の大株主としてのお嬢さん池田(糸井)あんださんにも触れるなど、踏み込んだ内容となっています。

東洋経済オンライン3月16日配信記事

上場日の3月16日には、糸井社長の記者会見があり、各紙がその内容を伝えていますが、〈fashionsnap.com〉の3月16日配信記事には、震災に触れてつぎの記述がありました。

〈 約10年かけて上場への準備を重ねてきた糸井社長は、「これまでの“トレーニング”の歴史が認められたことに喜びを感じている」とコメント。2011年3月に発生した東日本大震災が社会性を強く意識する大きなきっかけになったといい、「社会的な存在であることがとても重要なんだと意識した。歴史や社会から『あってよかった会社』と思われたい」と意欲を示した〉(引用は以上)

気仙沼の皆様をはじめ、ほぼ日の支社ともいうべき〈気仙沼のほぼ日〉をよく知る人はとても共感できる言葉でしょう。そして3月17日の読売新聞朝刊には、糸井さんと気仙沼の関わりについて、さらに詳しい記事が掲載されていました。その紹介はあらためて。

糸井重里さんはじめ、ほぼ日関係者の皆様にあらためてお祝いを申し上げます。ジャスダック上場、おめでとうございました。

日本経済新聞 3月16日配信記事
日本経済新聞 3月4日配信記事

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tag : 気仙沼気中20ほぼ日糸井重里

TV&ネット情報

もう金曜日。3月11日関連などテレビ番組やネット関連の情報がたまっているのでまとめて紹介します。

1:「サラメシ」に斉吉さん     

働くオトナのランチ/お昼ご飯を紹介するNHKの〈サラメシ〉。中井貴一さんのナレーションでもおなじみです。この人気番組に気仙沼の〈斉吉商店〉が登場します。取材ランチ3本中の1本。番組紹介には〈感謝をこめて会長の妻(79歳)が月に数回作るまかない〉とありました。〈ばっぱ〉こと斉藤貞子さんが登場します。

サラメシ
番組サイトより(画像クリックでジャンプ)

◎3月21日(火)午後8:15~ 8:43
◎NHK総合「サラメシ」

2:3月11日からのヒカリ/テキスト中継

気仙沼の〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクトも無事終了しました。そのテキスト中継〈39_311 気仙沼を届けよう。〉がサイトで公開されています。私も投稿しました。投稿名は〈気中20オダ〉。

テキスト中継
画像クリックでサイトにジャンプ

3:気仙沼から相馬へ、       

2012年から3回おこなわれてきた〈気仙沼さんま寄席〉。昨年はひとまずお休みし、その代わりというか〈志の輔らくご in 気仙沼〉が開催されました。そして今年2017年の〈さんま寄席〉は福島県で。9月17日の〈相馬で気仙沼さんま寄席〉です。

その打合せなどのために、糸井重里さんら〈ほぼ日〉さんの8名のメンバーが3月11日と12日に気仙沼と相馬を訪問。その様子がほぼ日のサイトで中継されました。いろいろな気仙沼の人々が登場しますが、11日16:39には、同級生の荒木容子さん(3年10組)も登場します。是非、ご覧ください。

相馬へ
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4:NHKワールド         

3月15日のブログ「唐桑ワールド」で紹介したNHKの海外向け放送「NHK WORLD」が3月6日に放送したドキュメンタリー「KIZUNA」です。聴期限が3月20日(月)ですので、再度のご紹介を。

NHKワールド
画像クリックでサイトにジャンプ

以上4本のテレビ番組やネット情報を紹介しました。

末尾になりましたが、きのう3月16日、気仙沼が大変お世話になっている糸井重里さん率いる〈株式会社ほぼ日〉が、株式市場ジャスダックへの上場を無事完了されました。気仙沼の多くの人も喜んでいることと思います。お祝いを申し上げます。おめでとうございました。これについては、またあらためて。今週はこれにて。

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復興屋台村の閉村

〈復興屋台村 気仙沼横丁〉が3月20日をもって全店舗の営業を終了します。3月14日の三陸新報に〈ありがとうございました〉と御礼の広告が掲載されていました。

気仙沼横丁閉村
三陸新報3月14日掲載広告(クリックで拡大)

屋台村ができたのは震災の年2011年11月のこと。それから5年4カ月を経て、いよいよ〈閉村〉です。広告の最後に皆様へのお礼の言葉がつぎのように記されていました。

〈皆様のお心とご支援に支えられて『復興屋台村 気仙沼横丁』は、5年4か月の日々を全うすることが出来ました。店主たちのうち幾人かは先に横丁を卒業し既に再建を果たしております。また今回の閉村に伴い新たに店を構える予定の店主たちもおりますし、別の道を進む予定の店主たちもおります。我々は皆様から頂いたご支援のへの感謝を胸に、それぞれ次のステージへの進んでまいります。本当に、本当にありがとうございました!〉(引用は以上)

この気仙沼横丁には、同級生 大友つき子さん(3年9組)のラーメン店〈あたみ屋〉も出店しています。移転先がまだ決まっていないとの話は、3月1日のブログでも紹介しました。

20日の営業終了日に先立って、3月18日(土)午前11時から閉村式があります。ご都合の許す方は是非ご参加ください。閉店前に〈あたみ屋〉へも是非おでかけ頂ければと。


なお、「屋台村気仙沼横丁を残す会」が、新たな場所で〈気仙沼横丁〉をつくっていくクラウドファンディングのプロジェクトも始まっています。屋台村〈七輪屋500.com〉の熊谷美幸さんが代表をつとめています。詳しくはつぎのリンクでサイトをご覧ください。

復興屋台村 “気仙沼横丁” を存続させたい。「絆」をつなぐプロジェクト

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「唐桑 WORLD」

本日の話題は3月10日の気仙沼市海外向け公式フェイスブック「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」の記事。NHKの海外向け放送「NHK WORLD」が3月6日に放送したドキュメンタリー「KIZUNA - Volunteers Stay Connected」を紹介しています。

nhkワールド
気仙沼市海外向け公式フェイスブックより(クリックで「NHK WORLD」にジャンプ)

画像にうつっているのは、気仙沼市唐桑町でボランティア活動をしてきた若者や、その経験をきっかけとして唐桑に移住し様々な活動を展開している人達です。タイトル「KIZUNA - Volunteers Stay Connected」は、〈絆〜つながり続けるボランティアたち〉といったような意味でしょうか。上の画像をクリックすると「NHK WORLD」のサイトとなり、配信映像を見ることができます。

28分間の番組は、唐桑の民宿〈つなかん〉の菅野一代(かんのいちよ)さんとボランティアの若者との関わりを基調としています。そして、唐桑に移住してエコツーリズムやワークショップなどの活動を継続している加藤拓馬さんや根岸えまさんをはじめ、ボランティア活動を通じて唐桑とつながった若者たちを紹介します。

海外向けとはいうものの、唐桑の人たちが話す言葉は日本語ですから(笑)、番組が伝えたいことは十分に理解できると思います。ざっと画面イメージを並べておきましょう。

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番組の後半で、宮越さんという女性が紹介されます。気仙沼への移住を真剣に考えながらも、まだ結論が出せません。一代さんが宮越さんに、はじめて唐桑に来たのはいつだっけとたずねます。宮越さんが22歳の時ですと答えると、一代さんが〈私も22歳ではじめて唐桑に(嫁いで)来た〉と。一代さんは、岩手県久慈市の出身です。22歳で唐桑に〈移住〉してきたのです。そしてインタビューで次のように続けます。

〈たとえ(彼女が唐桑に)来ないという結果になっても、ずっとつきあっていきたいし、遠く離れていても応援してやりたいし、母親の気持ちで受け入れなくちゃいけないって。それも震災のおかげだなと思ってます〉

そんな母親の気持ちで接する若い人達とのつながりができたのも、ある意味で震災のおかげだということでしょう。映像のなかではさりげなく、一代さんとご主人の和享(やすたか)さんの若い頃の写真が挿入されています。

一代夫婦

そういえば、この映像のなかでは加藤拓馬さんが震災前からつきあっていたガールフレンドの話も登場します。唐桑でのボランティアが片付いたら東京に帰ってくるからという拓馬さんを待っていた彼女でしたが、彼はなかなか帰ってきません(この辺はかなりの意訳です)。しかしめでたく結婚。子供も生まれ、いま唐桑で子育て中です。

この映像番組には、移住と結婚、伝統行事の継承と子供という新世代の誕生、そして唐桑での経験が海外での活動にもつながっていることなど、重層的なメッセージが込められています。見事な仕事。ディレクターは番組のなかにも登場しているMichael Goldbergさん。日本在住35年になるカナダの人とのことです。

公式フェイスブックの記事には、この映像の視聴期限が3月19日(日)と書いてありましたが、いま「NHK WORLD」には3月20日(月)までとなっていました。いずれにしても、今のうちに多くの人に見て欲しいと思い紹介いたしました。28分間の唐桑ワールド。どうぞお早めに。

一代さんについては、牡蠣じゃなかった(笑)下記のほぼ日記事をご覧ください。

ほぼ日「カッパに惚れた、牡蠣の一代さん。」
「NHK WORLD」本番組サイト

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かもめ通りの復活

3月11日の三陸新報の一面には、気仙沼市鹿折(ししおり)地区の空撮写真が掲げられていました。

311三陸
三陸新報3月11日記事より(クリックで拡大)

そして翌日3月12日の三陸新報には、つぎの広告が。

長谷川海苔店
三陸新報3月12日掲載広告の一部

長谷川海苔店が3月13日(月)本設店舗にて営業開始との広告です。同店は震災後、東新城の仮設店舗で営業を続けていました。広告に記された新住所の末尾には〈鹿折かもめ通り〉と記されています。震災前に店のあった通りの名も復活ということでしょう。地図には、佐川写真館、斉新米店、御食事処塩田、オオサワヤ、斉清魚店などの店名も並んでいます。

この地図を見てから空撮写真に目を転じてみると、一瞬〈あれっどこだろう〉と思いましたが、わかりました。災害公営住宅が4棟ならんで建つ場所の手前ですね。とても小さく見えるのですが、公営住宅が大きいのかもしれません。震災前に鹿折に住んでいた多くの方がここでまた暮らし始めているのです。

11日の三陸新報の写真下には〈災害公営住宅や店舗が建ち始め、少しずつにぎわいを取り戻している〉とのキャプションが記されていましたが、この空撮写真を見ると、鹿折全体のにぎわい復活にはまだまだ多くの時間がかかるなあというのが実感です。

ともあれ、鹿折かもめ通りがこうして新しい歩みを始めていることは何よりのこと。長谷川海苔店さんは、魚町で暮らしていた母が親しくさせていただいておりました。そんなこともあって、このたびの本設開店をうれしく感じたのです。鹿折かもめ通りでの再開店、おめでとうございました。少しずつではあっても、以前の街のにぎわいが戻ってくることを心から願っております。

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被災の記憶の重さ

3月11日は、震災から6年ということで、テレビ各局が特集番組を組んでいました。私は仕事場でラジオ放送を聴いていたのですが、文化放送で気仙沼からの中継があるというのです。伊東四朗さんと吉田照美さんの〈親父・熱愛(パッション)〉という番組。午後3時から5時まで、渡辺謙さんのカフェK-portからの生放送でした。

中継
番組サイトより(画像クリックでジャンプ)

4時をすぎた頃、追悼式典などを終えた菅原市長がK-portに到着して話に参加しました。市長からは気仙沼の被災や復興の現状などの話があったわけですが、私がちょっと驚いたのは市長が〈家内の話なのですが〉といって語ってくれたつぎのような話です。

菅原市長の自宅は、津波で流されました。自宅にいた奥様や市長のお母様、次女の娘さんらは避難し、幸いにも命を失うことはありませんでした。しかし、その奥様が震災後に〈あの津波や避難は前の世界のことで、もしかすると私はいま、あの世にいるのではないか〉というようなことを言っていたというのです。さすがに今はそんなことはないが、震災後しばらくは思い出すように語っていたと。

SF/サイエンス・フィクションでよくある〈パラレルワールド〉、もう一つ別の世界を連想させる話です。私は被災の記憶というものの重さというか深さをあらためて知らされたような気がしました。

6年たってやっと当時のことを話すことができることになったとか、自ら撮影したあの日の写真に向かい合うことができるようになったという同級生の話も見聞きします。3月11日に私が感じたことのひとつとして記しました。

話は変わります。伊東四朗さんと吉田照美さんは、気仙沼の現地を見ての感想なども語ってくれました。復興の遅れや巨大防潮堤についての疑問など。気仙沼のことをいろいろと心配してくださって、とてもありがたいと思いました。ただ、〈ちょっと違うんだけどなあ〉という印象をもったところも。問題はもっと複雑なんだけどなと。しかし、それは細かなこと。3月11日に気仙沼から中継生放送おこなってくださった伊東さんや吉田さんをはじめ、文化放送や関係者の皆様にお礼を申しあげます。ありがとうございました。

こうして3月11日は、菅原市長の奥様の被災の記憶の重さ、そして当事者しか知り得ない、そして語り得ないことがあるんだなということを、強く感じた日となりました。

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tag : 気仙沼気中20気仙沼中学文化放送親父熱愛K-port

3.11の光りと祈り

今日は追悼の日。市の資料によれば、気仙沼市での東日本大震災による人的被害は1358人(内訳:直接死1031人、関連死108人、行方不明者219人)です。そして本日午後6時半には、気仙沼の内湾〈鼎ヶ浦〉の3カ所から天に向けて3本の光が放射されます。3月11日からのヒカリです。

ポスター2017
2017年版ポスター(画像クリックで募金ページへ)

これは〈3月11日からのヒカリ〉2017年版新作ポスター。事務局の許可を得て掲載いたしました。このプロジェクトでは、運営資金の一助とするため、クリアファイルセットやポスターなどのグッズ販売による募金活動もおこなっています。ポスターのデザインは、第1回と2回が共通で、その後は毎年の新作が用意されましたので、今回で計5種となりました。3回目と4回目は写真家 初沢亜利さんの撮影です。テキスト中継をみていたら、初沢さんは9日の夜、すでに気仙沼に入っているのですね。ありがたいことです。

そして今回2017年版の撮影者は、プロジェクト実行委員会の代表もつとめる斉藤道有さん。実家は八日町マルト〈齊藤茶舗〉です。この写真、とてもいいですね。用紙をタテに使ったことで天にのぼるヒカリがとてもシンボリックです。下部中央にうつっているのはJR大船渡線、その先に見えるのは気仙沼駅の灯りでしょうか。サイズはA2判(594×420mm)で1枚1500円。今までよりも周囲の余白が大きいので、パネルやフレームにもいれやすいかと。おすすめです。なお、オンライン募金の販売期限は3月12日の午後5時ですが、コンビニ/ATMでのお支払いは本日3月11日に締め切られるとのこと。どうぞお早めに。

気仙沼中学20回生では、及川保規君(3年5組)と鷺(庄司)良子さん(8組)を震災で失いました。お二方の思い出などは下記のブログにて。良子さんの友達や保規君の息子さんの言葉を紹介しています。

今日は、テキスト中継やヒカリのポスターなどをながめながら過ごします。静かな祈りの日となりますように。

2011年7月4日ブログ「ラストダンス」
2012年2月1日ブログ「庄司良子さん」
2013年1月25日ブログ「受け継いだもの」

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tag : 気仙沼気中203月11日からのヒカリ

あした、3月11日

あしたで震災の日から丸6年。気仙沼市の追悼式は、午後2時30分から総合体育館「ケー・ウェーブ」で開催されます。明日に関連する話をふたつほど。

1:〈3月11日からのヒカリ〉テキスト中継 

気仙沼〈3月11日からのヒカリ〉プロジェクトのインターネット・テキスト中継が9日の昼から始まっています。「39-311 気仙沼を届けよう。」テキスト中継サイトのイラストレーションは、このブログでも紹介した小池アミイゴさんの作品「三月の朝」です。

テキスト中継サイト
テキスト中継サイトのイメージ(クリックでサイトにジャンプ)


〈3月11日からのヒカリ〉は今年で6回目。私たち気仙沼中学20回生支援会(気中20)も初回から協賛しております。きのうの3月9日には、米国生まれのネットメディア「ハフィントンポスト」日本版がこのヒカリのプロジェクトを紹介しています。3月11日には、ハフィントンポスト公式Facebookページで「3月11日からのヒカリ」を気仙沼から生中継する予定ということです。


2:かもめ食堂500食提供        

気仙沼〈かもめ食堂〉では、3月11日にラーメン500食を無償提供します。1月末の〈けせもい会〉の新年会のときに、千葉憲二君(3年4組)から聞きました。今回も気仙沼の児童養護施設「旭が丘学園」の子供らを招待する予定とのこと。

本人もこの日は気仙沼に帰ってラーメンをつくります。〈ちばき屋〉や〈㐂いち〉などで忙しい毎日を送っている憲二君ですが、3月11日はやはり気仙沼へ。震災復興のシンボルとしての〈かもめ食堂〉復活開店は、気仙沼への恩返しを目的としたものですから当然といえば当然か。どうぞ、店に寄って憲二君に声をかけてあげてください。なによりの激励、慰労になると思います。

あした3月11日は、気仙沼にとって特別な一日になることでしょう。いつもはブログの投稿を休む土曜日なのですが、私も特別〈投稿日〉にしたいと思っております。

(追記)3月11日(土)18:30~19:00のBS-TBS「アスリート夢対談!」では、気仙沼出身の谷真海さんがIOCでのスピーチに込めた思いを語ります。番組サイト

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tag : 気仙沼気中20気仙沼中学かもめ食堂3月11日からのヒカリ

唐桑の人達の祈り

本日3月9日(木)の朝、NHKテレビ「あさイチ」を見ていたら、〈この後、アッキーが気仙沼へ〉とのこと。ニュースのあとで始まったのは、〈バスで!列車で!アッキーがゆく“復興の地”2017 岩手 大槌&宮城 気仙沼〉。

アッキーこと篠山輝信さんが、写真家 篠山紀信さんと歌手 南沙織さんの次男であることは皆さんご存じのとおり。その篠山さんが気仙沼を訪ねるのは2年ぶりです。まずは気仙沼駅、そして4月末で閉鎖となる復興商店街南町紫市場へ。ホヤぼーやのグッズを扱う店(みなみまち青空市?)や魚屋さん(丸入商店?)をたずねた後は、建設が進む南町商店街の現場に。以前、このブログでも紹介しました。

この後は魚町へ。6年経って、これからかさ上げのために建物を解体するという現状が紹介されます。山友薬局がうつりました。そして話の中に出てきた魚町の銭湯〈亀の湯〉へ。3月末に閉店予定です。齊藤克之さん、ちか子さんご夫婦とのやりとりの後に篠山さんは入浴。いい湯だと。

収録ビデオ紹介の後のスタジオで篠山さんは、まだまだ復興はこれからだという現状を知って欲しいと語っていました。スタジオでは、V6イノッチ(井ノ原)や柳澤キャスターもはげしく同意。といった流れでした。

ここからもテレビ番組の紹介です。いずれも再放送ですが、震災関連番組としての編成だと思います。

1:NHK「プロフェッショナル」   

プロフェッショナル
番組サイトより(クリックでジャンプ)

これは、2011年12月12日に放送されたものです。5年以上前の唐桑町舞根(もうね)の風景を見ることができます。

◎プロフェッショナル 仕事の流儀
NHK総合テレビ
「それでも、海を信じている」
カキ養殖・畠山重篤
3月13日(月) 午後10:25~11:14
再放送は3月20日(月)午後3:10~3:59

(紹介文より)畠山重篤は、宮城・気仙沼でも特別な存在のカキ養殖のプロだ。かつて赤潮が頻発した気仙沼湾。畠山は森に木を植えることで、海をよみがえらせようと努力してきた。6年前の3月11日。その豊穣の海が牙をむいた。東日本大震災の津波は、地区の9割の家をのみ込み、畠山は家族を失った。育てていたカキはほぼ全滅、育んできた海には、がれきや泥が降り積もった。養殖の再開は、故郷を再生させることでもある。地区の仲間たちがぼう然とする中、畠山はいち早くカキ養殖を再開させることを決意。だがその直後、体調を崩してしまった。海に生きる人々の震災直後からの8か月にわたる格闘の姿を再びお送りする。

2:NHK BSプレミアム「新日本風土記」 

これは3月7日のブログでも紹介しましたが、再度のご案内。初回放送は2013年1月25日です。

◎NHK BSプレミアム「新日本風土記」
3月10日(金)午前8:00〜8:59
「東北の冬」(再々放送)

1時間番組の半ばすぎ15分間ほど、気仙沼市唐桑が登場。この部分のテーマがテロップで表示されます。〈海を越える祈り〉。はじめは小野寺登美子さん一家。ご主人はマグロ船に乗っています。震災の津波で自宅を流されたために仮住まいでの神棚へのお祈り。そして御崎神社へのお参りやご祈祷、そして地区の祠を回っての〈お参詣(さんけ)〉などが紹介されます。(写真はクリックで拡大)

神棚 お参詣
お参詣2 海岸

最後は、前回ブログにも書いた元漁労長の海に向かってのお祈りです(追記:唐桑出身者におたずねしたところ、うつる風景は鮪立/しびたち湾とのことです)。〈今も拝んできたんですよ。亡くなった人たちに〉。そして〈必ず亡くなった人の霊がいるんです。だから毎日拝んでいるんです〉〈絶対(その人たちの霊がいるん)ですから〉と言って去る後姿をカメラがとらえます。

祈り1 祈り2

大震災の津波による被災ということだけではなく、時を越え、昔から漁業に従事してきた唐桑の人達の祈りが、見るものの心にしみじみと伝わってきます。明日の朝の再放送。ぜひ録画などしてご視聴いただければと。

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日門漁港の防潮堤

2月26日の三陸新報の一面トップ記事〈ニュースを追って〉は、大谷の海水浴場から南西方向にある日門(ひかど)漁港の防潮堤問題をとりあげていました。

2月26日日門漁港

三陸新報2月26日記事の一部イメージ


記事のリード部を引用します。

〈県が気仙沼市本吉町の日門漁港に計画している、海抜9.8mの高さの防潮堤に、住民が反発している。昨年末に示された計画は、国道から見える海や港の景色をさえぎるものだった。生命と財産を守ろうと理解を求める県に対し、「到底受け入れられない」と待ったをかける住民。両者の考えに隔たりが大きく、議論の長期が予想される。〉(引用は以上)

宮城県(気仙沼地方振興事務所水産漁港部)が昨年末の説明会で示した計画では、国道に沿うような形で延長約280mの防潮堤を築きます。数十年から百数十年のペースで発生するL1津波に対応するためとされています。

三陸新報の〈ニュースを追って〉は、気仙沼周辺地域の課題や問題点を通常の記事よりも一歩踏み込んで伝える記事。今回は、守竜太記者の署名記事となっています。

本日この記事を紹介したのは、日門の防潮堤問題について知って欲しいということもあるのですが、それ以上に気仙沼における防潮堤に関する議論が低調になっているのではないかと感じているからです。気仙沼の〈防潮堤を勉強する会〉の活動も内湾の防潮堤計画が定まったあとの動きは聞こえてきません。私からすると、港町から魚市場までの防潮堤はその後どうなっているのかなど気になることも多いのですが。ごめんなさいね、勝手なことを言って。元市民の声ということで許してください。

三陸新報さんはこの防潮堤についてどう考えているのでしょうか。記事の筆者である守記者はつぎのように書いています。

〈県の考え方から、高さを変えること、無堤とすること、さらに背後の国道かさ上げなど、どの方向性を目指すにしても、日門の地理的条件などが加わってハードルは高い。どこまで計画変更が可能かどうかは、今のところ見通せない。
隣の大谷海水浴場周辺では、住民が粘り強く行政機関と話し合った結果、当初の計画を変更し、互いに納得した結果を導き出している。大島浦の浜なども同様で、住民の熱意が行政を動かした事実がある。〉(引用は以上)

確実に一歩は踏み込んでいるのですが、さらにもう一歩をと思うのは私だけでしょうか。それでも、一面トップにこの記事をもってきたということで十分に気持ちは伝わりました。6年近く経って、大震災の記憶の風化とよく言われます。しかし、少なくとも防潮堤の問題に関しては、被災地気仙沼の人の関心も薄くなっているのではないでしょうか。杞憂であればいいのですが。

2016年8月3日ブログ「大谷防潮堤の続報」

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tag : 気仙沼気中20防潮堤日門漁港

テレビ番組の情報

本日は2本のテレビ番組紹介です。

1:NHK「うたコン」     

本日3月7日(火)のNHK「うたコン」に気仙沼出身のシンガー畠山美由紀さんが出演します。生放送とのこと。


うたコン
番組サイトより(クリックでジャンプ)

◎NHK総合テレビ「うたコン」
3月7日(火)午後7:30〜8:43
「東北に届け!春を告げる歌の花束SP」

(紹介文より)東日本大震災からまもなく6年。今夜は東北に向けて春を告げる希望の歌を届ける。東北の子どもたちが震災を振り返った作文を紹介し、歌でエールを送るコーナーも。出演は、石丸幹二、Kis-My-Ft2、島津亜矢、スガシカオ、天童よしみ、中川晃教、新沼謙治、畠山美由紀、Perfume、福田こうへい、miwa。宮城からの中継では千昌夫、MONKEY MAJIKが!司会:谷原章介・橋本奈穂子アナウンサー。

美由紀さんはどんな曲を聴かせてくれるのでしょうか。楽しみです。この番組は昨日、〈畠山美由紀スタッフ〉さんのツイートで知りました。それまでは知りませんでしたから、あぶないところでした。そんな見逃し番組がたくさんあるのでしょうね。


2:「新日本風土記」    


東北の冬
番組サイトより(クリックでジャンプ)

◎NHKプレミアム「新日本風土記」
3月10日(金)午前8:00〜8:59
「東北の冬」(再々放送)

これは、2012年12月7日に放送されたものの再放送です。先日3月3日に再放送されましたから、正しく言えば10日は再々放送です。私は録画していたものをきのう見たのですが、番組のなかで気仙沼市唐桑町の家族が紹介されていました。10分間ぐらいでしょうか。御崎神社でのご祈祷や、唐桑の年配の女性たちの〈お参詣〉の様子なども。〈さんけい〉ではなく〈さんけ〉と言うのだそうです。

唐桑の港というか浜を前にして年配の男性が、震災の津波で亡くなった人に限らず、海で命を失った人のことを毎日いのっていると語っていたのがとても印象に残りました。金曜日朝の放送ですので、録画なさるのがよろしいかと。

以上、3月11日を前にしての気仙沼関連テレビ番組情報ということで。どうぞよろしく。

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気仙沼アーチスト

きのう3月5日(日)は、東京・めぐろパーシモンホールでの「東日本大震災復興支援コンサート」でした。

会場の写真撮影は禁止でしたので、入口前ホワイエでの物産展の様子をご紹介。今回の会場は小ホール200席なのですが、多くの方が気仙沼産品をお買い上げくださっていました。とてもありがたい。

目黒1 目黒2

コンサート第1部は、気仙沼市民吹奏楽団とヤマハ目黒吹奏楽団の混成楽団による演奏。気仙沼からのメンバーはたしか10数人だったかな。アンコールも含めての6曲を楽しむことができました。

第2部のはじめは、熊谷育美さん。「雲の遥か」「春の永遠」などを含めて4曲ほど、ピアノを弾きながら歌ってくれました。歌のうまさはもちろんのことですが曲間の気仙沼に関してのトークもとてもよかった。育美さんについてはもう説明不要でしょう。

その次も気仙沼出身のジャズピアニスト 岡本優子さん。ボストンのバークリー音楽大学卒業後はニューヨークに活動拠点を移しましたが、3年ほど前に帰国して仙台を中心に演奏をおこなっています。2月11日には東京のプリンスパークタワー「MELODY LINE」でジャズライブをおこないました。きのう私がびっくりしたのは、岡本さんが歌ったこと。勝手にピアノ演奏だけと思っていたのです。トークのなかで〈最近は歌も〉とご本人が語っていました。歌もとてもうまいので驚きました。

一曲目はベット・ミドラーが同名の映画のなかで歌った曲「The Rose」。岡本さんが〈英語なのでわかりづらいかもしれませんが、とても深い意味がこめられた歌詞〉というようなことを語っていました。歌詞の最後の意味はこんな感じかと。

〈夜がさびしすぎ、歩む道も長すぎて、愛は運に恵まれた強い人のためにあるんだとあなたが思うとき、ちょっと冬を思い出してみて。厳しい冬の雪の下で眠っている種のことを。太陽の愛を受けて、春になれば、あの薔薇になる〉

なるほど。岡本さんがこの歌を選んだ理由がよくわかりました。この曲のあとは、「Fly me to the Moon」「Over The Rainbow〜虹のかなたへ」など。「Over The Rainbow」は、昨年のコンサートで畠山美由紀さんも歌ってくれましたね。そして最後はピアノ演奏「Sweet Home」。これは優子さんがニューヨークで暮らしていたときにつくった曲です。2011年のブログで岡本優子さんのことを書いた時、ユーチューブにあったこの曲も紹介しました。きのうの演奏を聴いて私が思い出しのはジャズピアニスト キース・ジャレットの「マイ・バック・ページ」。タイトルにも影響されているかもしれません。追憶とか追想とか、家族とか故郷とか。

おふたりの後は、中目黒小学校合唱団のみなさん。緊張しながらステージにならんで最初の声を聴いたとき、〈おっ、いいね〉と思いました。ボーイソプラノがとても効果的に響いてとてもよかった。数曲歌ってくれた後は、育美さん、優子さんが加わって〈花は咲く〉。育美さんが自分の声をちょっと控えめにして合唱団の声がみんなに届くようにしていたように感じられました。

長くなりすぎました。紹介はこの辺にしておきましょう。おっといけない、司会はもうおなじみ、気仙沼出身のフリーアナウンサー佐藤千晶さんでした。育美さんとはとても親しい仲。

最後になりましたが、目黒区や気仙沼の関係者の皆様にお礼を申し上げます。昨年に引き続き、こんな素晴らしいコンサートを開催していただき、ありがとうございました。

もうひとつ、気仙沼中学の同級生に。コンサート前日3月4日は、育美さんのシンガーソングライターとしての成長をなによりも楽しみにしていた〈スタジオアート〉熊谷孝良君(3年3組)の命日でした。3年経ちました。

2011年12月1日ブログ「岡本優子さん」
2011年6月7日ブログ「My Back Pages」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

横浜で気仙沼催事

3月1日から横浜ワールドポーターズで、「横浜・気仙沼つながりフェア」が開催されています。気仙沼の食材を活かした料理提供のほか、3月4日(土)には熊谷育美さんのライブも開催されます。

横浜フェア
横浜ワールドポーターズ公式サイトより(クリックで拡大)

この〈横浜ワールドポーターズ〉の2階デッキストリートには、昨年7月から、気仙沼関連商品の販売ブース「気仙沼PORT(ポート)」が出店しています。これは、横浜ワールドポーターズを運営する(株)横浜インポートマートと気仙沼市の連携協力協定によるもの。今回の催事も同社と気仙沼市との共催です。

催事概要を紹介しておきます。

◎気仙沼食材フェア
3月1日(水)~12日(日)
横浜ワールドポーターズ(以下、横浜WP)内の飲食店を中心とした8店舗で気仙沼産のメカジキ、生わかめ、生めかぶ、サメ肉などを活用した料理を提供します。

◎みなと気仙沼大使 熊谷育美LIVE
3月4日(土)14:00~、16:00~
横浜WP2F インフォメーション前ステージ
気仙沼出身の熊谷育美さんによるライブを開催。MCでは、気仙沼の「食」などをテーマにお話しいただきます。

◎漁師って、カッコいい!写真展
3月6日(月)~12日(日)
横浜WP2F インフォメーション前ステージ
漁師カレンダーの写真を中心とした写真展を開催し、水産業をPRします。
・同時開催「気仙沼 震災、そして復興へ」写真展(気仙沼市アピールショップ「気仙沼PORT」内)

◎メカジキ解体ショー
3月18日(土)12:30~
1F「まぐろ問屋 三浦三崎港」
気仙沼港で水揚げされた吻(ふん)付きメカジキを職人が解体します。天候や水揚げ状況等により解体ショーができない場合がありますが、気仙沼産メカジキの提供は行います。

◎気仙沼の美味しい鍋で復興支援!
3月11日(土)12:00~15:00
ナビオス横浜前特設会場(横浜市中区新港二丁目1-1)
気仙沼メカジキ鍋(1,000杯)の提供。株式会社横浜インポートマートが募金を募り、ご協力いただいた方に提供するものです。集まった募金はご厚意により気仙沼市に寄付いただく予定です。

どうぞこの3月、〈横浜ワールドポーターズ〉そして〈気仙沼PORT〉へ。みなとみらい線「みなと未来」駅「馬車道」駅からいずれも徒歩約5分です。

地図
アクセス地図(クリックで拡大)

2016年7月15日ブログ「祝!気仙沼PORT」

テーマ : 東日本大震災支援活動
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tag : 気仙沼気中20横浜ワールドポーターズ気仙沼PORT熊谷育美

コーネルコーヒー

2月24日のブログでも紹介しましたが、3月2日(木)午後9:54からのテレビ東京「カンブリア宮殿」で、気仙沼ニッティングが紹介されます。そしてきょうは、同社のもうひとつ別の話題です。

気仙沼ニッティングが、今月から毎月第1土曜日に、東京・青山通りの草月会館2階〈コーネルコーヒー〉で商品展示をおこなうというのです。3月4日(土)がその第1回目となります。

コーネルコーヒー
気仙沼ニッティング公式HPより(クリックでサイトにジャンプ)

コーネルコーヒー(CONNEL COFFEE by Mother Port Coffee)については、自分が行ってから紹介しようと思いながら果たせずにおりました。30数年前につとめていたオフィスがこの裏側にあり、とてもなつかしい建物であり地域なのです。

丹下健三さんが設計した草月会館の2階に、昨年8月オープンした〈コーネルコーヒー〉は、デザインオフィス〈nendo(ねんど)〉と、気仙沼のアンカーコーヒーなどを展開する〈マザーポートコーヒー〉、そしてクラウドファンディングサービスの〈ミュージックセキュリティーズ〉が共に運営しています。ですから、コーネルコーヒーで提供されるコーヒーは、アンカーコーヒーと同じく気仙沼で自家焙煎されたもの。

〈nendo〉や、代表の佐藤オオキさんの仕事については、デザイン好きな人ならすでにご存じのことでしょうから省略。私は、〈アンカーコーヒーとnendoのコラボ〉と聞いて、なんでそんな組合せが実現できたのかと本当に驚きました。なお、nendoの東京オフィスは草月会館のビル内にあります。(あとで思い出したのですが、設計者である丹下健三さんのオフィスも、以前はこの草月会館の中にありました)

写真をみると、1階の彫刻家イサム・ノグチによる石庭「天国」を2階からのぞめる構造も、建築家サーリネンのチェアなども(色は塗り替えたそうですが)以前のままですね。私が近辺で働いていた頃、この草月会館には〈薔薇〉というレストランがあり、草月流の創始者/家元だった勅使河原蒼風さん夫妻も何度かお見かけしました。そして、ランチなどの後に2階スペースにいくとほとんど他の人がおらず、ガラス越しにながめる赤坂御用地の緑などとても贅沢な風景と時間を、ゆっくりと〈無料〉で楽しむことができたのです。

気仙沼ニッティングよりもコーネルコーヒーの話が長くなってしまいましたね。どうぞ、おでかけくださいますよう。場所は青山通り沿いで、地下鉄「青山一丁目」と「赤坂見附」の中間です。「青山一丁目」のほうが少し近いと思います。5〜6分でしょうか。

「CONNEL COFFEE by Mother Port Coffee」公式HP

テーマ : 東日本大震災支援活動
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tag : 気仙沼気中20気仙沼ニッティングコーネルコーヒーアンカーコーヒー

仮設からの旅立ち

今日から3月ですね。さて、先日から三陸新報で〈仮設からの旅立ち〉というシリーズ記事が掲載されています。これは、復興屋台村気仙沼横丁や、気仙沼復興商店街南町紫市場が、この3月で閉じられることを受けてのものです。そして本日3月1日の第3回目の記事に登場したのは、気仙沼横丁でラーメン店〈あたみ屋〉を営む大友つき子さん(3年9組)でした。

あたみ屋
三陸新報3月1日記事より

記事のなかから少しだけ引用させてもらいます。

〈屋台村からの移転先は決まっていません。最近は訪れる観光客も少なくなり、年齢を考えると不安はありますが、再建を期待する声や長年続けてきた商売に愛着もあるので続けようと思っています。〉(引用は以上)

昨年9月の〈あれから50年同年会〉で気仙沼を訪れたときに〈あたみ屋〉に寄りました。たくさんのお客さんから寄せられた激励のメッセージがお店にあふれていたことを思い出します。そうか、まだ移転先が決まっていないのか。そして〈最近は訪れる観光客も少なくなり〉と。

そういえば、〈あたみ屋〉の〈あたみ〉は「明るく、楽しく、未来の気仙沼」の頭文字からとったということを思い出しました。屋台村での営業は3月20日まで。どうぞ皆様、〈あたみ屋〉へ。つきちゃんがお待ちしております。

2015年1月28日ブログ「ラーメンあたみ屋」

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tag : 気仙沼気中20気仙沼中学あたみ屋復興屋台村気仙沼横丁

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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