三陸新報2月6日〈リレー随想〉の筆者は、同級生の林(奥玉)小春さん(3年2組)。小春さんは、震災時に一景島保育所の所長として子供たち71人をひきつれて気仙沼市立中央公民館に避難しました。この随想にもその当時の様子がつづられています。長文ですが、引用紹介させてもらいます。
三陸新報2月6日(クリックで拡大)「あの日の地震は大きかった。長かった。子どもたちと一緒に避難した中央公民館への道のりは遠く感じた。到着と同時に、2階の和室に座り込む。
「ここでも危ない!10メートルの津波だってぇー」。おいの叫ぶ声。はいずるように上へ、より上へと……。71人の子どもたちを一人一人おんぶして、はしごを伝って屋根のてっぺんまで上り詰める。近所の子どもたちも十数人いた。
それは、大人たちの見事な連携プレーだった。「私たちはいいから、子どもたちを助けてぇー」。高齢の方の声が聞こえた。子どもたちを守ろうと誰もが思った。
津波は何度襲来しただろう。階下からカーテンが投げ込まれ、「子どもたちにかぶせてー」と公民館長の声。「がんばろうねぇー、だいじょうぶぅ!」と保育士の声、
「キャッ、助けてぇママー」。お母さんと子どもの声が飛び交う。悲痛な声が叫び狂う。皆、震えていた。青ざめていた。
やがて津波は火の海と化し、さらに子どもたちと私たちを追い込んだ。手も顔も煙で真っ黒。家が流され屋根の上で人が叫んでいる。車も船もひっくり返り、目の前に油の入った大きなタンクが横たわっている。まるで地獄だ。
雪がのんのんと降った。凍えるような寒さに、やむを得ず3階へと下がったが、身動きができないほどの人、人。その間、相次ぐ余震と爆発音に身がたじろぎ固くなる。自衛隊からわずかの水と食糧が投げ込まれるが足りない。辺りは暗闇に包まれ絶望のふちに立たされた。
「ダメだ!」何度も頭をよぎる。へこむ大人たち。しかし、子どもたちはへこたれなかった。時折聞こえる天使とも思える歌声、生きようとする希望の声、命の叫び、誰もが救われた。過酷な極限状態の3日間を耐え抜いた子どもたちに拍手を送りたい。そして、子どもたちを励まし守り続けてくれた全ての人達に感謝。
また、ミルクが無くて生きる術をなくしていた赤ちゃんたちに、がれきの中からミルク代わりにとガムシロップを見つけてくれた方、ありがとう。
陸からの救助は無理と判断し、空からヘリコプターの指令を下してくれた猪瀬都知事、本当にありがとう。
震災がもたらした本当の幸福の意味を「どんなに苦しくても」ここから始めようと思う。子どもたちの未来へエールを送りたい!」
引用は以上です。〈まるで地獄だ〉という当時の過酷な状況がリアルに伝わってくる文章です。小春ちゃんは〈小さい頃からの大の子ども好きで、近所の子どもを探しては、お母さん気取りでおんぶや抱っこをしたり、ミルクを飲ませたり、おむつ交換までした〉そうです。そして〈家が商売をしていたせいか、結構おしゃまで人懐っこく、お客さんからトランジスタラジオと呼ばれるくらい、にぎやかだった〉そうです。小春ちゃんが子供好きで本当によかったです(笑)。
2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」
テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア
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