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共徳丸は解体か

2月26日の三陸新報によれば、気仙沼の鹿折地区に津波で打ち上げられた巻き網船「第18共徳丸」の船主が「住民の心理的負担を考えると保存すべきではない。いつまでも宙に浮いたままにはできず、解体を決断し、市に伝えた」と語ったそうです。「震災遺構として保存することにいろいろ意見を聞いたが、賛成意見は少なかった。長期保存に耐えるような船の構造でもなく、多額の保存費用をかけてまで保存する必要は感じられない」とのこと。

共徳丸
2月26日ネット版三陸新報ニュースより

市は船を保存して一帯をメモリアル公園とする構想を打ち出していました。菅原茂市長は「解体が決まれば市としても協力するが、保存に納得してもらえるように最後まで努力したい」とまだ保存をあきらめてはいないようです。

しかし、共徳丸の保存や公園化構想は、国の予算化を前提にしても計画ですし、先行きが不透明になってきたようです。ちょっと難しいのではないでしょうか。

2012年12月11日ブログ「共徳丸の保存案」

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家族の歴史

NHKの番組「ファミリーヒストリー」。番組サイトによれば〈著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、「アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる番組。驚きあり、感動ありのドキュメント〉ですが、3月4日(月)の回は気仙沼出身のマジシャン、マギー審司さんの家族の歴史をとりあげます。

マギーさん
審司さんのご両親。番組サイトから

◎ファミリーヒストリー「マギー審司~故郷、気仙沼の海に誓う覚悟とは」
3月4日(月)午後10:00〜10:50 NHK総合テレビ
再放送
3月8日(金)午前0時25分~1時15分(7日木曜深夜)

「ファミリーヒストリー」番組サイト

以下は番組サイトから

「宮城・気仙沼で300年以上前から暮らすマギー審司の一家。これまで何度も津波にあいながらも乗り越えてきた家族の日々があった。父の代で始めた電気店。遠洋漁業が好景気で沸く中、店は順調に拡大。しかし、その後の漁業の衰退で売上は減少していく。東日本大震災で、審司は、祖母と親戚を亡くした。実家の電気店は浸水し商品は台無し。それでも両親は命が助かったことに感謝しつつ、故郷の復興のために強く生きる覚悟を持つ」

審司さんのお祖母さん吉野さんには、私の父母も親しくおつきあいいただいておりました。いつも娘さんの息子、孫の〈審ちゃん〉の活躍をうれしそうに話していたそうです。私も帰省のおりに何度かお会いしたことがあります。高齢でしたが、大変明るくお元気な方でした。書もよくし、5年前に私の父がなくなったときには、わざわざ般若心経を全面に墨書した経帷子(きょうかたびら)を頂戴いたしました。そんな吉野さんの話も出てくるのでしょう。見逃すことのないよう、今から録画予約しておきます。

この「ファミリーヒストリー」は、なかなか良い番組だなと思っておりましたが、なんとこのマギー審司さんの回が最終回とのこと。本人も知らない家族のルーツをたどる好企画だっただけに残念です。

来週月曜日の午後10時。皆さんもお見逃しのないように。再放送は金曜深夜です。

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気仙沼の縄文人

本日も雑誌記事のご紹介。昨年の雑誌『芸術新潮』11月号を読んでいたら、記事の中に「気仙沼」の小さな文字を発見しました。この号の特集は〈縄文の歩き方〉。縄文時代の文化について様々な角度から紹介しています。

〈縄文人の暮らし〉という記事に、縄文時代の釣針の写真がのっているのですが、その中に気仙沼で出土したものが2点紹介されていたのです。東北歴史博物館蔵。〈田柄貝塚〉から出土したとあるので調べてみると、住所は気仙沼市字所沢。気仙沼高校第2運動場と新城小学校の中間地点にあたります。

縄文3
『芸術新潮』2012年11月号の記事イメージ

写真の左上2点が気仙沼で出土したものです。長さは6.1cmと1.5cm。ほかは東松島市里浜貝塚から出土。

中学生のころ、気仙沼中学の校庭の下方の崖でも貝の化石がとれると聞いたことがあります。しかし釣針となると、どんな魚を釣っていたのだろうかとか、縄文人の暮らしを想像してしまいます。そして、気仙沼高校などがあるあの高台近くまで海だったのだろうかとも。

〈釣っこ〉を楽しんでいたわけでなく、日々の食糧として魚を釣っていたのでしょうが、3000年以上前の気仙沼に釣り糸(?)を垂れる縄文人がいたことを想像し、ちょっと愉快な気分になりました。

〈ナニガツレダノスカ?〉
〈ナニモツレネ。ダメデガス〉
とかね(笑)。

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気仙沼発ロンドン

「気仙沼発ロンドン行 フェンシングがつなぐ絆」。2月21日発売の人気スポーツ雑誌「Number(ナンバー)」823号に掲載されている生島淳さんの4頁にわたる文章のタイトルです。

ナンバー2
読めない程度にNumberの 誌面イメージをご紹介

リード文を紹介します。
〈三陸の港町・気仙沼からロンドンに発った2人。引退していた女剣士は、教え子たちの期待を胸に現役復帰を果たし、3度目の大舞台へと挑む。そして幻の五輪代表選手に育てられた若武者は、励まし続けた親友の声を思い出し、活躍を誓う。フェンシングと被災地を結ぶ、絆のストーリー〉

そして、菅原智恵子選手と千田健太選手の震災後の葛藤などが詳しく紹介されます。また、健太さんの父でモスクワオリンピックのフェンシング日本代表に選ばれながらもボイコットで出場がかなわなかった千田健一さんにも取材しています。

4頁にわたる文章は次のように結ばれています。

〈千田健太は様々な葛藤があった気仙沼の日々を、今では感謝とともに思い出す。
「気仙沼で育ってなかったら、オリンピックには行けなかったと思いますよ」
穏やかな微笑みを浮かべ、千田は続けた。
「だって、誘惑がなにもないんですから。高校に行って授業を受けて、それから練習して自転車で帰る。それだけですから」
同じ高校で学んだ筆者には、彼の気持ちがよく分かる。なにも刺激がない町、というのは簡単だ。でも、だからこそ自分の内面と向き合う時間を与えられていたのだ。
大震災で、気仙沼から形あるものがたくさん失われた。しかし、ふたりのフェンサーがオリンピックで見せた活躍は、気仙沼に新たな誇りをもたらしたのである。〉

引用は以上です。

生島淳さんは、気仙沼中学、気仙沼高校で私たちの16学年後輩です。生島さんの著書『気仙沼に消えた姉を追って』は、このブログでも紹介しました。ますますの活躍でなにより。この「Number」誌の記事も是非お読みいただければと。

2011年11月29日ブログ「生島淳さんの本」

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大島防潮堤に反対

2月20日の三陸新報に「防潮堤と防災に疑問〜まず生活、産業、避難道を」と題する投稿記事が掲載されました。投稿者は大島中学出身で気仙沼高校の同級生〈宮古屋〉熊谷雅裕君です。彼の防潮堤に関する投稿記事はこれが3回目となります。

雅裕三陸3
2月20日三陸新報投稿記事イメージ(クリックで拡大

投稿内容は、このブログでも紹介した、気仙沼市出身で関西学院大学の長峯純一教授ら大学関係者でつくる「気仙沼大島未来チーム」が行った気仙沼大島の「復興に向けたアンケート」結果をもとに、大島における防潮堤計画に強い疑問をなげかけています。簡単に言えば〈大島の防潮堤計画に反対する声〉といってよいでしょう。内容を抜粋して紹介します。

「防潮堤計画に対してクロス集計の結果、現行計画案支持9%、見直し希望64%、分からない27%と回答されました。つまり現行計画案に9割の人が賛成をしていないのです。どの防災減災対策を優先すべきか、11項目のうち3つ選択する問いでは、避難路22%。物資食糧備蓄19%、緊急放送システム17%の順で回答があり、防潮堤は11%でした。この2つの項目結果から、島民にとって今必要なのは防潮堤ではなく、震災時の正確な情報であり、避難路であり、物資食糧確保なのです。

震災から2年もたとうとしているのに、生活基盤である漁港修復や災害者用公営住宅の建設はほとんど進まず、命を守る避難路整備はまったく示されておりません。なぜそれらを先に造らず、防潮堤を優先するのですか。大島の財産の多くは海にあります。

防潮堤計画は知らないうちに着々と進み、用地買収の直前まできています。その中には震災を免れた家を壊したり、海を20メートル先まで埋めてまで造ろうと計画されています。

県や市はアンケートに示された島民の意向をくみ取り、計画を見直してほしい。大島振興協議会も計画を見直すよう働きかけてはどうでしょうか。第一、防潮堤の建設は住民の同意が必要なはずです。

30年度には橋が開通する予定です。その橋は出て行く人のためではなく、定住する若い人が入ってくる橋でなければなりません。しかし、このまま防潮堤が優先的に進められ、大島が将来発展する計画が立てられなければ、若い人や子供のいない、独居老人の島になります。

島民が一番心配している「人口流出」「少子高齢化」を防ぐため、行政、島民が一体となり、考え行動していくべきと思います。」

引用は以上です。記事の末尾には(大島中学校仮設住人)と記されていました。大島・浦の浜にあった雅裕君の実家〈宮古屋〉は津波で流出しました。お母様(熊谷すん子さん)は幸いにも無事で、雅裕君は東京から帰郷して〈宮古屋〉を再興しつつ仮設住宅でお母さんと奥さんの3人で暮らしています。

〈自分と同じ思いを持っている人が沢山いるだろうに、なんでその声がまとまって大きな力とならないのか〉。そんな現状へのいらだちが手にとるようにわかります。

2月13日ブログ「大島未来チーム」(アンケート内容紹介)

2012年6月25日ブログ「防潮堤は誰のため」(雅裕君1回目投稿)
2012年8月15日ブログ「大島の防潮堤計画」(雅裕君2回目投稿)

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小さな旅「唐桑」

今度の日曜日2月24日、NHK総合テレビの番組「小さな旅」で、気仙沼の唐桑が紹介されます。ぜひご覧ください。

NHK総合テレビ「小さな旅」
2月24日(日) 午前8:00~午前8:25(25分)
シリーズ東北「あすを刻む日~宮城県気仙沼市唐桑町~」

小さな旅

以下は番組ホームページより。

東北を訪ねる3回シリーズ。第1回は、宮城県気仙沼市の東端にある、複雑に入り組んだリアス式海岸の町・唐桑町。遠洋、近海漁業、カキの養殖が盛んで、人々は海と共に生きてきた。震災からまもなく2年。港では名産のカキの復活にかける家族が汗を流し、海の安全を祈願する神社では、津波の記憶を伝える石碑が建てられた。そこには、いつか日付を入れるため、「復興完了」の文字が刻まれている。明日に向かい、歩む人々に出会う。

「小さな旅」ホームページ

この番組取材に協力した唐桑地区復興支援協同体のFacebookページ「気仙沼 唐桑の人びと」には、次のように紹介されています。「唐桑地区復興支援協同体の会長でかき漁師の畠山政則や、副会長の早馬神社宮司である梶原忠利が取材協力し、震災から2年目を迎える被災地の現状をお伝えします。全国で放送されますのでどうぞ皆様ご覧下さい」

「気仙沼 唐桑の人びと」

この番組も必見ですね。日曜の朝8時ですから、今のうちに録画のご予約を。念のため。

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ホタルの会上映会

気仙沼の文化を支える「ホタルの会」(菊田清一会長)による2本の映画「北のカナリアたち」「あなたへ」の上映会が2月2日の三陸新報に紹介されていました。

「北のカナリアたち」は吉永小百合さん主演で2012年東映創立60周年記念作品。第36回日本アカデミー賞では、最多タイとなる12部門で優秀賞を受賞しています。「あなたへ」は、高倉健さん主演で、2012年公開。これもずいぶん話題になった映画ですね。昨年10月に亡くなった大滝秀治さん最後の出演作品だと思います。

◎日時:3月10日(日)
◎会場:気仙沼市民会館大ホール
◎プログラム:
  10:00〜「北のカナリアたち」1回目
  12:30〜「あなたへ」
  14:50〜「北のカナリアたち」2回目
◎入場料:前売チケット500円(当日800円)何本見ても同一料金
◎問い合わせ:事務局の昆野牧恵さんまで(電話090・7930・9302)
◎チケットの販売所はつぎの通り。
市民会館・気仙沼商工会議所・三陸新報社・宮脇書店・ゴトウ学習塾・川崎海事・カネシメイチ・苑書会

北のカナリアたち」公式サイト
「あなたへ」公式サイト

〈気仙沼の文化を支えるホタルの会〉は、12年前に市民有志で結成されたそうです。その後も、「映画館のない街に、映画文化を提供する機会を与え、 気仙沼市民に映画を通して安らぎ・夢・希望を提供することにより、 明るい街づくりと気仙沼地区の文化の向上に寄与すること」を目的に、映画の上映会や講演会を行ってきたとのこと。今回の上映会は、日本ユネスコ協会連盟の支援を受け、震災後初の上映会として企画されました。

この〈ホタルの会〉では気中20回生が活躍。事務局の昆野牧恵さんをはじめ、小山容子さん、武山美加さんもメンバーとして活動を支えています。しかし、なぜ〈ホタル〉なんだろう? 五右衞門ヶ原の仮設住宅に住む牧恵さんに電話して聞いたところ、市民会館の館長だったときに企画した初めての上映会が高倉健さん主演の映画「ホタル」で、その実行組織名が〈「ホタル」を見る会〉だったとのこと。なるほど、それが現在のホタルの会につながっているのですね。

ホタルの会の皆様、いつもご苦労さまです。そして日本ユネスコ協会連盟関係者の皆様、ご支援にお礼申し上げます。

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3.11からのヒカリ

昨年の3月11日に行われた「3月11日からのヒカリ」プロジェクトが今年も行われます。そして昨年に引き続き、気中20支援会としてもわずかながら協賛することにいたしました。

HIKARI.jpg

このプロジェクトは、東日本大震災が発生した3月11日に、気仙沼市内湾から日の入り後の夜空に3本のひかりを立ちあげ、世界中の人々の気持ちを寄せ合いながら震災の記憶を刻む碑に、そして私たちの未来を照らす灯にしようというものです。

開催日:2013年3月11日(月)
時 間:18時30分から深夜0時まで
会 場:気仙沼市内湾(鼎が浦)
主 催:3月11日からのヒカリ実行委員会
後 援:気仙沼市 / 気仙沼商工会議所 /河北新報「リアスの風」
   (株)三陸新報社 / K-NET

「3月11日からのヒカリ」公式サイト
 金や協賛について(1口1000円から)
 ゆうちょ銀行振込のほかクレジットカードやコンビニ振込が利用できます。

以下は公式サイトから。

「 光 」
多大な犠牲への追悼を表すとともに、見る人の様々な想いを投影できる根源的なイメージとして静かに夜空 へと立ちあがります。
「 時 」
3月11日18時30分に防災無線から流れる「見上げてごらん夜の星を」のメロディーを合図に点灯し、深夜0時までの約20,000秒を祈りの時として刻みます。
「 場 」
3つの岬で囲まれた気仙沼内湾は、古来より3つの足に支えられた器を意味する「鼎(かなえ)」から「鼎が浦」と呼ばれてきました。そこは山・里・海が1つになって営みを育んできた場所です。

「このイベントはどこかの会場への集客を目的とはしておりません、気仙沼の内湾を望む地域であれば、どこにいてもご覧になっていただけると思います。皆様が生活されている場所から、空を見上げていただけましたら幸いです」


気仙沼の若者を中心としたメンバーで企画・運営されるこのプロジェクト。いろいろと苦労もあるでしょうが、是非成功させて欲しいと思っています。皆さんのご支援もいただければと。よろしくお願いいたします。

「気中20」支援者の皆様のご紹介

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地方出身者の難関

今は私立大学の入試シーズン。10日ほど前、地下鉄でドアのわきの広告が目に入りました。駒澤大学の広告で、〈受験日が記念日になった〉とかなんとかいうキャッチコピー。30年前の大学受験のときを回想するという形で長めの文章が続きます。大学受験日が、30年経ってみると何かしらの成長の記念日に思えるということなのでしょう。

私の印象に残ったのは、〈地方出身者の私にとっての最難関は、電車や地下鉄の乗り換えでした〉というところ。いやぁ、わかるなあ、それ。

私が上京したのは大学に入学した20歳のとき。受験したときは特に苦労もしませんでしたが、その後にアパート探しなどで上京したときのことです。新宿から京王線にのろうとしたのですが、やってきた電車が〈急行〉。ありゃま、どうしよう〈急行券をもってない〉。当時、気仙沼から仙台に出るときに利用していたのは国鉄〈準急・むろね号〉。たしか普通運賃プラス急行券(準急券?)が必要でした。ですから、京王線の急行もなにか追加料金が必要かもしれないと思ったのです。迷ったあげく、オダ君は各駅停車にのっていったとさ。

あとは新宿駅。西口におりてしまうと、なかなか東口側にいけない。駅に向かって左側の細い通路を使えばいいのですが、それがわからない。困ったあげくに切符を買って東口に出たこともあったと思います。

学生のときには、かっこが悪いからそんなことをわざわざ披露したりはしないのでしょうが、ちょっとたてば、飲み会のときの定番ネタとして大笑い。〈地方出身者にとっての難関〉がいろいろとありました。

駒澤大学の広告は、私にそんなことを思いださせてくれたのです。
あれから40年。〈そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ〉

気分は中島みゆきです(笑)。

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小春さんの3.11

三陸新報2月6日〈リレー随想〉の筆者は、同級生の林(奥玉)小春さん(3年2組)。小春さんは、震災時に一景島保育所の所長として子供たち71人をひきつれて気仙沼市立中央公民館に避難しました。この随想にもその当時の様子がつづられています。長文ですが、引用紹介させてもらいます。

奥玉小春
三陸新報2月6日(クリックで拡大)

「あの日の地震は大きかった。長かった。子どもたちと一緒に避難した中央公民館への道のりは遠く感じた。到着と同時に、2階の和室に座り込む。
「ここでも危ない!10メートルの津波だってぇー」。おいの叫ぶ声。はいずるように上へ、より上へと……。71人の子どもたちを一人一人おんぶして、はしごを伝って屋根のてっぺんまで上り詰める。近所の子どもたちも十数人いた。
それは、大人たちの見事な連携プレーだった。「私たちはいいから、子どもたちを助けてぇー」。高齢の方の声が聞こえた。子どもたちを守ろうと誰もが思った。
津波は何度襲来しただろう。階下からカーテンが投げ込まれ、「子どもたちにかぶせてー」と公民館長の声。「がんばろうねぇー、だいじょうぶぅ!」と保育士の声、
「キャッ、助けてぇママー」。お母さんと子どもの声が飛び交う。悲痛な声が叫び狂う。皆、震えていた。青ざめていた。
やがて津波は火の海と化し、さらに子どもたちと私たちを追い込んだ。手も顔も煙で真っ黒。家が流され屋根の上で人が叫んでいる。車も船もひっくり返り、目の前に油の入った大きなタンクが横たわっている。まるで地獄だ。
雪がのんのんと降った。凍えるような寒さに、やむを得ず3階へと下がったが、身動きができないほどの人、人。その間、相次ぐ余震と爆発音に身がたじろぎ固くなる。自衛隊からわずかの水と食糧が投げ込まれるが足りない。辺りは暗闇に包まれ絶望のふちに立たされた。
「ダメだ!」何度も頭をよぎる。へこむ大人たち。しかし、子どもたちはへこたれなかった。時折聞こえる天使とも思える歌声、生きようとする希望の声、命の叫び、誰もが救われた。過酷な極限状態の3日間を耐え抜いた子どもたちに拍手を送りたい。そして、子どもたちを励まし守り続けてくれた全ての人達に感謝。
また、ミルクが無くて生きる術をなくしていた赤ちゃんたちに、がれきの中からミルク代わりにとガムシロップを見つけてくれた方、ありがとう。
陸からの救助は無理と判断し、空からヘリコプターの指令を下してくれた猪瀬都知事、本当にありがとう。
震災がもたらした本当の幸福の意味を「どんなに苦しくても」ここから始めようと思う。子どもたちの未来へエールを送りたい!」

引用は以上です。〈まるで地獄だ〉という当時の過酷な状況がリアルに伝わってくる文章です。小春ちゃんは〈小さい頃からの大の子ども好きで、近所の子どもを探しては、お母さん気取りでおんぶや抱っこをしたり、ミルクを飲ませたり、おむつ交換までした〉そうです。そして〈家が商売をしていたせいか、結構おしゃまで人懐っこく、お客さんからトランジスタラジオと呼ばれるくらい、にぎやかだった〉そうです。小春ちゃんが子供好きで本当によかったです(笑)。

2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」

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三陸飼料の復旧

週刊新潮2月7日号を見ていたら「気仙沼漁港に被災前の活気を」の見出しで一頁の記事。そして、女性の顔写真と「三陸飼料株式会社 足利喜恵子社長」の文字も。

三陸飼料
週刊新潮の誌面イメージ

これは三菱商事提供のPR記事でした。その記事内容を抜粋して紹介します。

「三陸飼料は、魚市場や加工業者から出る魚のアラや血水などを処理し、畜産飼料を製造している。昭和30年に魚の仲買人だった亡父が設立し、昭和47年に現在の大川河口付近に移転した。

4姉妹の3女の足利社長は、震災後急遽、3代目を引き継いだ。震災時、共同経営していた姉とは別々に避難。最後に建物を出たのは姉だったが、連絡がないまま、2週間後遺体で発見された。

復旧費用は思いのほかかさみ、資金調達が大きな壁となった。しかし、幸い父と姉が地元での信用を築いていたこともあり、気仙沼信用金庫が融資を含めた全面的な支援を決定。担当者は国のグループ化補助金取得にも協力を惜しまなかった。また三菱商事復興支援財団を紹介し、この支援が事業再開を大きく後押しした。」

三陸飼料は、流されずに済んだ機械設備をあえて修理再生して再稼働させました。40年前に父親が2億円もかけてノルウェーから輸入したプラントだったそうです。昨年秋に一部操業を再開し、この1月に完全復旧を果たしました。

以上がPR記事内容ですが、2月6日には、新聞各紙が三菱商事復興支援財団と気仙沼信用金庫による「気仙沼きぼう基金」の設立を伝えていました。

これは財団から出資した地元企業の配当収入を基金の原資にし、地域に再投資するというもの。復興資金が循環する仕組みを作り地域経済の自立を促そうという試みです。財団と気仙沼信用金庫と気仙沼市が共同で運営します。そして、市内の三陸飼料、気仙沼ケーブルネットワーク、気仙沼地域エネルギー開発の3社に財団から総額2億5000万円の出資を決定。出資先からの配当収入全額を基金に寄付するとのことです。出資先は信金の営業網を活用して今後も増やす計画です。

多くの企業グループが気仙沼の復興のために力を貸してくれていますね。三菱商事さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

河北新報2月6日配信記事

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大島未来チーム

2月10日、気仙沼大島の「復興に向けたアンケート」報告会が行われました。その内容を河北新報の記事から紹介します。

アンケートは、気仙沼市出身で関西学院大総合政策学部の長峯純一教授ら、復興支援に携わる大学関係者でつくる「気仙沼大島未来チーム」が1月、自治会組織の協力を得て島民2700人を対象に実施したもの。回答率は63%。

河北新報2月11日配信内容

「今後も大島に住み続けたいか」という問いには、76.0%が「住み続ける」と回答。「最も心配なこと(複数回答)」は人口流出、少子高齢化、医療・福祉施設不足が各10%以上。「欲しい施設」も福祉、医療、温浴の健康関連など回答が集まった。「島に残したいもの」は亀山(山頂からの景観)、海水浴場の小田の浜、鳴り砂の十八鳴浜が支持を集めた。被災し撤去された亀山リフトの代替施設を望む回答は72.6%。2018年度予定の大島架橋完成後、78.0%が船便存続を希望した。望ましい将来像(複数回答)は「高齢者が安心して暮らせる福祉の島」が最高の27.7%、「自然環境を残した島」も24.5%を集めた。

この河北新報の記事(ネット配信版)ではなぜか防潮堤についての回答が紹介されていません。三陸新報では次のように伝えています。

回答した住民1749人のうち、「防潮堤を計画通り建設してほしい」と答えたのは16%。「造らないか、低い案を再検討」20%、「浦の浜・田中浜・小田の浜は他の対策と組み合わせて低くする案を再検討する」30%、「地区ごとに決める」15%、「分からない」10%でした。受け入れられる防潮堤高は、「低い案を再検討」と回答した人の約7割が2メートル以下を求めています。

「気仙沼大島未来チーム」は、今後も月1回程度のペースで「大島のみらいを考える会」を開催し、3月3日には「安全な大島」「復興の大島」をテーマにした復興まちづくりシンポジウムを開催する予定とのことです。

この長峯教授ら大島未来チームの活動に期待しています。

2012年8月15日ブログ「大島の防潮堤計画」

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気仙沼の人手不足

きょうは2月12日。一昨年のこの日、ホテル観洋に気仙沼中学20回生200人以上が集まって〈還暦祝い〉を楽しみました。その一カ月後にあの津波が気仙沼を襲ったのです。

さて、きのう2月11日にTBSの動画ニュースサイトが気仙沼関連のニュースを配信しています。タイトルは「気仙沼の水産加工、「人手不足」という新たな悩み」。水産加工業の復興が進みつつあるものの、肝心の人手が復旧工事に取られ、基幹産業である水産加工に人が集まらないというのです。このサイトは1週間しか視聴できませんので、お早めにご覧ください。

小野万
TBS動画ニュースサイト「TBS News i」


ニュース内容をあとでも知ることができるよう、ニュース内容を以下に紹介。

「 行方不明者の捜索が続く一方、復興事業は本格化しています。しかし、宮城の気仙沼では、肝心の人手が復旧工事に取られ、基幹産業である水産加工に人が集まらないという新たな悩みも抱えています。

新鮮なイカをふんだんに使って熟成させた塩辛。青森県沖などで獲れたイカの塩辛の製造に従業員が追われています。気仙沼市の水産加工会社「小野万」は、全国の塩辛の生産量のうち3割程を占めています。

「原料ベースだと1日10トンほど仕込んでいる。毎日フル生産でがんばっている」(「小野万」の及川克敏工場長)

創業から半世紀近く地元の雇用を担ってきた小野万。津波で工場が被災したため、従業員をいったん全員解雇しましたが、7か月後には再開し、現在はおよそ100人が働いています。来月には新工場ができるため、20人程従業員を増やそうとしています。しかし・・・

「ハローワークに広告出しても実際は人が来ないのが現状」(同社の小野寺邦夫社長)

6割の企業が再開した気仙沼市。去年11月には仕事を探している人の数が初めて震災前よりも少なくなるなど、雇用は改善しています。こうした中、賃金などの条件が良い復旧事業に人気が集まっているのです。

「今の家庭環境を考えると少しでも賃金が欲しいといっている人が多い。これからますます人手不足が言われる」(ハローワーク気仙沼・太田博統括職業指導官)

水産加工の賃金は復旧事業よりも4万円ほど低い状況。しかし再建は半ばだけに賃金アップは困難です。

「復興に向けてまだ進んでいる状況なので、そこまで(賃金アップ)は無理」(小野寺社長)

街を支えてきた水産加工。ようやく再生し始めるなか、雇用の確保という新たな課題に直面しています。」(2月11日10:46配信)

ニュース引用は以上です。
気仙沼の賃金水準は、震災前でも県内の主要市部に比べて低いという話は聞いておりました。巨大な復興予算が投入される一方で、それらに依存するような経済構造、社会構造となっては困るのですが。国の助成を求める一方でのこうした問題。まさに〈気仙沼のジレンマ〉といってよいでしょう。

2012年2月13日ブログ「還暦祝い一周年」

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5大ニュース決定

今日は2月11日。あと1カ月で2年か。

平成24年(2012)「あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース」が決定したと2月6日の三陸新報が伝えています。順位はつぎのとおり。カッコ内数字は得票数です。

1位(1492)
ロンドン五輪、パラ五輪で気仙沼勢大活躍。千田健太選手が銀メダル。菅原智恵子選手、佐藤真海選手とともに、初の市民栄誉賞
2位(1068)
衆議院選挙宮城6区で小野寺五典氏が5度目の当選。防衛大臣に就任
3位(858)
気仙沼港、生鮮カツオ水揚げ量、16年連続日本一
4位(788)
ゆるキャラグランプリ2012で、「海の子ホヤぼーや」全国26位
5位(760)
2年ぶり気仙沼みなとまつり、田中前大通りをメイン会場に開催

次点(674)
南気仙沼小学校閉校。45年の歴史に幕

この内容を見ての皆さんの感想はいかがでしょう。私はまあ順当かなと。ただ、南気仙沼小出身の方には〈みなどまづりより南小でないの〉というご意見もあるかと。

2位は小野寺五典(いつのり)さんの防衛大臣就任です。中国海軍艦船のレーダー照射問題で、小野寺大臣の発言が紹介される機会も増えていますが、大変落ち着いている印象。役所の台本どおりにしゃべるのではなく、確かな知識と理解をうかがわせますし、適度な抑制感もある。先日9日には、安倍首相が気仙沼を訪れて朝日町に新設された気仙沼漁協の製氷工場を視察しましたが、小野寺大臣も同行。気仙沼復興の現状と課題についても、しっかり伝えてくれていることでしょう。応援しつつ今後の活躍をさらに期待します。

五大ニュースの22候補内容はこちら
1月21日ブログ「気仙沼の2012年」

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復興が「人質」に

毎日新聞の2月6日付東京夕刊の防潮堤関連記事がネットで配信されていました。見出しは「東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民」。

記事そのものは次の毎日新聞サイト〈毎日JP〉でご覧ください。

毎日新聞2月6日付東京夕刊記事

記事のなかの、「男山」社長 菅原昭彦さんのコメントを以下に紹介します。

気仙沼市民有志の「防潮堤を勉強する会」の発起人、酒造会社社長の菅原昭彦さん(50)が説明する。「防潮堤は2011年9月に宮城県の震災復興計画として最初に示されました。震災から半年しかたっておらず、これで確定とは誰も思わなかった。県と市は昨年7月から説明会を始めたが内容は当初のまま。しかも防潮堤の位置や形状は話し合えるけれど、高さは変えられないという。あまりに唐突、強引だった」

 住民は昨年8月から専門家を招いて「勉強する会」を計13回開き、毎回100人以上が参加した。だがあえて賛成反対を言わなかった。「私たち住民は復興の予算とスピードを人質に取られているようなもの。文句を言うことで復興全体が遅れることがあっては困るから」と説明する。

 同じ被災地でも地域によって実情は異なる。「工場や産業エリアなら防潮堤が高くてもいいが、海辺の景観で商売をしている所は問題になる。ワカメや昆布などの資源のある地域では生態系への影響が懸念される。でも、防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえないのです。

話の途中、菅原さんの携帯電話に友人からメールが入った。「防潮堤各地でどんどん決まっていきますね。いいんですか。このままで?」とあった。年度末が迫り、県は合意形成を急ぐ。菅原さんは「県の担当者が『隣の人は合意した』と戸別訪問したことがあり、強く抗議しました。そんなやり方では、地域の信頼関係が壊れてしまう」と懸念する。」

以上が記事からの引用です。
〈防潮堤各地でどんどん決まっていきますね〉。本当にそのとおり。魚町・南町のまちづくりにしても、いつのまにか県や市(そして国もか)といった行政の考えにそった計画が進められています。内湾については時すでに遅しの感が、なきにしもあらず。

記事の後半では、気仙沼市のNPO法人「森は海の恋人」副理事長の畠山信さん(34)の発言も紹介しています。信さんは、以前このブログでも紹介したテレビ朝日番組のインタビューにも登場しています。

記事の末尾は「海と陸の境目にコンクリートの巨大な壁を打ち立てて、本当にふるさとは再生するのか。何かゆがんだ発想がこの国を覆おうとしていないか」。

しかしなあ、〈本音は「反対」だが…復興が「人質」に〉か。そして〈口閉ざす住民〉。ちょっと気仙沼出身者にとっては刺激的というか気になる見出しです。毎日新聞のこの記事、大変ありがたいのですが、欲を言えば、もっと早く出して欲しかった。そして今からでも遅くないから、さらにもっと大きな声でくりかえし言って欲しいと。口を閉ざす気仙沼の人の代わりに。そう思いました。

2012年12月14日ブログ「TV/そもそも総研」
1月28日ブログ「内湾のまちづくり2」

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写真展 そして、今

2月2日、土曜日。渋谷〈bunkamura〉での〈白隠〉展を見てから、同じく渋谷のギャラリー〈ルデコ〉で開催中の写真展〈そして、今〜震災後1年半、被災地の「今」を追う〉に足を運びました。

DM_ルデコ
写真は許可を得て掲載しております(クリックで拡大)

この写真展は、日本写真芸術専門学校の社会貢献サークル「Future Light Project」の企画展です。同サークルの気仙沼との関わりは、2011年に「前を向く〜東日本大震災後復興に向けて立ち上がる30のストーリー」として被災地気仙沼の様々な立場の方々の写真30枚とインタビュー内容をのせた冊子を発表したことに始まります。そして2012年に5月にあらためて新サークル「Future Lights Project」として始動し、7月末からの6日間、2度目となる気仙沼での取材を行いました。そして、その時に撮影した気仙沼の人のポートレートやパノラマ写真を9月の学園祭で展示するとともに、インタビューをまとめた小冊子も作成しました。そして、この時の展示内容をさらに多くの人に見てもらおうと、今回の渋谷での展示が企画されたようです。

写真展は2フロアから構成されていました。まずは50枚近くのポートレート写真。上に紹介した写真は、その中の1枚を使った案内はがきで、新造船を背景にしたマルイ水産の代表井上宣幸さんです。こうした写真の脇にそれぞれのインタビュー集文章が掲示されていました。もうひとつのフロアでは、気仙沼の各地点で撮影された多くの写真がディスプレー上に紹介されるとともに、大きなパノラマ写真が掲示されていました。その中でも、鹿折唐桑駅の跡を背に、第18共徳丸を正面とするパノラマ写真に、私はかなりリアルな記憶を呼び起こされました。鹿折唐桑駅のホームで〈カン・カン・カン〉と踏切が閉まる音が聞こえてきた後にディーゼル車が現れてくる風景。実家の魚町からは鹿折の駅のほうが近かったので、よく利用していたのです。

この写真展、2日が最終日でした。知ったのが前日で、皆様に紹介できなかったのが残念です。会場で昨年9月発行のインタビューをまとめた44頁からなる冊子をいただきました。ここに紹介されている44のヒストリーは貴重な証言集となっています。その巻末に、このプロジェクトがカメラ映像機器工業会と日本財団の支援を受けているとの記述がありました。日本写真芸術専門学校の皆様をはじめ、こうした多くの支援関係者の方々にも心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

「Future Light Project」ブログ
気仙沼での取材など昨年からの活動内容が紹介されています。ぜひご覧ください。

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隆ちゃんの海神様

2月3日の三陸新報に「小山さん まかせとけ」の見出し。小山隆市君(3年6組)らが創始した「海神様」についての記事でした。抜粋して紹介します。


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三陸新報2月3日付の記事イメージ(クリックで拡大)


「気仙沼版「なまはげ」として、子供たちの健やかな成長を願う「海神様」が16日、市内で行われる。今年は仕掛人で先月、病で亡くなった甚六鬼の会の代表の小山隆市さん(享年61)の遺志を受け継ごうと、メンバーが特別な思いで準備を進めている。
昭和62年に始まり、今年で27回目を迎える「海神様」は、市民有志でつくる同会が毎年2月に実施。
市内魚市場前で菓子店を営んでいた小山さんが当時、友人と3人で始めた。希望家庭は口コミで広がり、多い年では60軒以上の家や商店などを回った。
年明け早々に小山さんが病で亡くなり、今年は実施を見送ることも検討したが、後を託されたメンバーたちは小山さんの遺志を尊重、例年通り実施することを決めた。
今年は6体の海神様が市内を回る予定になっており、現在、訪問を希望する家庭や事業所などの申し込みを受け付けている。締め切りは14日。申し込み、問い合わせは事務局(電話090-9533-5429)まで 」

記事では、隆市君と30年以上の付き合いというメンバー金森政昭さんの「最後まで子供たちの成長を願い続けた小山さんの思いを、若い人たちに伝えていきたい」という言葉も紹介されていました。

なお、この海神様が各家庭などを訪問(っていうと、なんか、おばんでございますって感じだけど)したときに渡す干支の文字が書かれた木のお札があるんですが、これは私たちの同級生で書家の武山美加(号:櫻子)さん(9組)が一枚一枚書いたものです。美加さん、いつもご苦労さまです。

この海神様の記事を読んで、〈なまこどり〉のように継承がとだえたものもある一方で、いわば〈新しき伝統行事〉として受け継がれていくものもあるのだなあと感じました。

「甚六鬼の会」の皆様、いつもありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いいたします。

2012年2月9日ブログ「26回目の海神様」
2012年2月10日ブログ「海神様ポスター」
 

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なまこどり2

2日のブログ「なまこどり」に齋藤(旧姓広沢)高史君がコメントをくれました。小さいころに自分たちもなまこどりをやったというのです。左の〈最新コメント〉欄のクリックでも読むことができますが、当時の口上(こうじょう)なども紹介されていますので、ここに再録します。

「久しぶり。 気中20回生3年8組の齋藤(旧広沢)です。 私も太田出身(魚町7区)で、 ちゃせんこもらいに始まり、なまこどりも行いました。仲の良い仲間4~5人で。私たちが使ったかけ声をしらせます。

な~まこどり~、おど~り~
ぜ~に~と、か~ね~儲かった
百万両も、千万両も、蔵の七つも立つように
も~ひとつおまけに、どっこいしょ~。

やあ~なつかしい。
ところで、昨日震災後私がお世話になっている塩竃市の東園寺にて、熊谷育美さんのチャリティコンサートが、ありました。父親の孝良君にお願いして来ていただきました。素晴らしいコンサートでした。孝良君とは、魚町7区いらいの幼なじみで親友です。 私たち夫婦の仲人を孝良君の両親にしてもらい、育美さんも小さいときからのしりあいです 」

高史君とは、昨年の感謝の集いの翌日、気仙沼に寄ったときの3年8組同級生たちとの昼食会で会いました。震災で高史君経営のジム「K&B」や奥さん みき子さんの店「喫茶 エスポアール」は被災。現在、ジムは利府町で、エスポアールは気仙沼市田谷の福幸小町でそれぞれ再開しています。しかしなあ、なまこどりを同級生もやっていたとは。ちょっと驚きました。

高史君のジム「K&B」ブログ

エスポアール:
住所:気仙沼市田谷11-18(福幸小町 田谷通り)電話:0226-23-8666

高史君、ありがとう。ジムの商売繁盛を願っています。百万両も、千万両も、蔵の七つも立つように(笑)。そして皆様、田谷方面にお出かけのときには喫茶〈エスポアール〉にもどうぞお寄りください。

2月1日ブログ「なまこどり」

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けせもい会新年会

2月2日(土)は、「けせもい会」の新年会でした。けせもい会は、気中20回生をはじめ気仙沼各地区の中学・高校の同年会。会場は昨年と同じく、千葉憲二君の銀座のお店〈まかない喜いち〉。男子19名、女子7名の計26名が集まりました。斎藤みゆき(3年6組)さんが気仙沼から参加してくれたのはなによりでした。この会に合わせ〈孫の顔を見に〉上京とのこと。

まずは会長、鈴木徳一君の挨拶。昨年は阿部健樹君、そして今年に入って小山隆市君が亡くなっています。黙祷。そして話の結びは〈今年もみんな仲良くやっぺし〉と。続いて村上教行君のいつもながら皆を笑わせながらの挨拶と発声で乾杯。そして歓談。

夕方5時に始まった会でしたが、あっという間に時はすぎ、8時半にお開きとなりました。最後に店内で撮った写真と帰りぎわの外での写真を紹介します。

店内

店外
(写真はクリックで拡大)

この写真は菊田裕美君が送ってくれました。〈喜いち〉の隣のビル1階には、話題のお店「俺のイタリアン」ができており長い行列が。下の写真は、その列に並んでいた女性に頼んで撮ってもらいました。
細かな話は略しますが、先日の仙台における同年生の会と同様に、東京近辺の仲間の仲良くやっている様子が少しでも伝わればと思います。みなさん、ありがとうございました。

昨年の「けせもい会報告」
まかない喜いち銀座

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なまこどり

1月14日の成人の日のころ、ネット情報を見ていたら、気仙沼・唐桑地区での子供達の小正月行事が紹介されていました。大漁旗を手にして家々を回り口上を述べて、お菓子などをもらいます。それを見て、私が小学生のころの〈なまこどり〉を思い出しました。

なまこ(海鼠)どりは、4〜5人の子供が家に回ってきて、〈な〜まこど〜り〜、おおど〜り〜〉とか皆でいいながら縄の先についた20〜30センチほどの(なまこの入った)細長い袋を床にたたきつけます。終わると母がお金かお菓子を渡したと思う。でも、確かな記憶はこの一度だけです。隣のカネサ(セイちゃんち)には毎年回ってきたとのことですから、なにかのついでに我が家にも寄ってくれたのでしょう。あとは〈ちゃせんこもらい〉というのがあって、これはザルかなにかを持って家を回ってお金をもらうだけ。実際に見たことはないのですが、母が〈なまこどりは良いけれど、ちゃせんこもらいはお金をもらって歩くだけなのでなんだかなあ〉と語っていました。そして〈ちゃせんこもらいは、学校で禁止された〉みたいな話を聞いた記憶もあります。

こうした魚町の小正月行事について、元気仙沼図書館の館長で三陸新報の「万有流転」の筆者でもあった菅野青顔さんの『菅野青顔の万有流転(上)』(P312)の〈小正月〉という記事に次の記述がありました。

「海鼠(なまこ)ひき」、あるいは「なまこどり」。これは釜の前の男の子等の行事で、萱(かや)で作った矢壺(やつぼ/しこ)にナマコを包み、それに曳き縄をつけて大勢で曳き、鐘太鼓ではやしながら「なまこどりのお通り、もぐらもちに内に。銭と金舞い込んだ(あるいは銭と金儲かれ)」と唱しながら、各戸の土蔵蔵を三度めぐり歩き、ご祝儀をもらう。この行事は、土竜(もぐら)に地形を崩されない呪いで、大阪地方から入ってきたかなり古い行事である。(1954年2月16日掲載)

〈釜の前(かまのまえ)〉というのは魚町の旧称。青顔さんはその魚町の生まれです。

この〈なまこどり〉、30年ほど前に太田地区でPTA行事として復活しました。ネット上の三陸河北新報配信記事に、その様子が写真とともに紹介されていました。写真を見ると、なまこが入れてある袋は、カゴみたいになっていて結構大きい。私の記憶とはずいぶん違います。そして記事では、口上を「蔵の七つも建つように、もう一つおまけにどっこいしょ」「商売繁盛するように、もう一つおまけにどっこいしょ」と紹介しています。

三陸河北新報2010年1月15日配信記事

〈もひとつおまけにどっこいしょ〉。いやあなつかしいなあ。実際のなまこどりはあまり知らなくとも、私たち世代の魚町の子供達はこのはやし言葉をみな知っているでしょう。この太田の復活〈なまこどり〉は、少子化による継承者難で2011年1月を最後に震災とは関係なく中断とのことでした。残念。

それでは最後に、気仙沼の復興と皆々様の商売繁盛を祈念してご唱和ください。
あ、そ〜れ、も〜ひとつおまけにどっこいしょおお、と。

ありがとうございました(笑)。

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プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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