1960年 港まつり
このブログを見た仙台に住む兄が、一枚の写真を送ってくれました。昭和35年(1960)の気仙沼みなとまつりです。図書館で借りた写真集にあったものだそうです。懐かしくてスマホで撮っておいたとのこと。スナップ写真ということでご覧いただければと。
『宮城三陸・登米の昭和』より/熊谷駿一氏撮影
この写真集は『宮城三陸・登米の昭和』(いき出版 平成31年刊)、撮影者として熊谷駿一氏のお名前があるとのことです。
気仙沼のみなとまつりは昭和26年(1951)7月26日が第1回目。人でいえば気中20回生と同年齢です。70年前のこと。
その後毎年開催されているとすれば、この写真は第9回目。私が8歳のときということになりますね。たぶんこの写真の風景を見ていると思います。
すごいよねえ。かつおの一本釣り船を模した山車(だし)です。トラックの荷台ではおさまりませんから、大きな台車の上にしつらえてトラックかなにかで牽引しているのでしょう。
漁協の山車でしょうか。それとも船上に子供がのっていることからするとどこかの漁業会社が出したものか。自分のところのカツオ船ということなのかもしれません。矢車のような着物の模様にヒントがあるような感じもします。文字の一部が〈問屋〉にも見えるのですが、どこかの魚問屋でしょうか。
芸が細かいと思うのは船体脇からの散水です。もちろん本当の水ではなく作り物。これがなければ一本釣りはできないよということでしょう。実際のカツオ一本釣りは左舷での一本釣りおよび散水なので、この山車も左方向に向かっているということかなあ。
(追記:観客が両側にいることを考えると、左右両舷で釣っているのではないかと。そして山車の進行方向は写真の上方へということだと思います)
カツオ船の向こうには屋根をかけた山車がふたつ見えますね。少なくともそのうちのひとつは日本舞踊の山車だと思います。婦人会の皆さんとか。もしかすると台車の上の舞台には畳が敷いてあったかも。
撮影場所ですが、ここは私の地元であった魚町坂口です。ホテル望洋にのぼっていく坂の入口。ちょうどこの山車の右側が佐々木徹君(3年1組)の実家である食料品店があったところ。左側は、〈マルハチ〉神白水産ですね。もちろんビルにする前のこと。
(追記:この当時、ホテル望洋はまだなく、旅館「望洋館」の時代。ホテル望洋の開業は写真の7年後1967年4月です)
撮影者は、〈鼈甲屋〉昆野家か矢田さんちの2階あたりから撮ったのかなあ。それともその間にあった〈桶(おけ)屋〉こと吉田製樽店あたりか。
奥のほうに平らに見える屋根の建物が見えますね。いくつかの今でいえばテナントが入る建物でした。居酒屋の「福よし」さんが初出店したのはここの一番手前の区画だったと思います。そしてその右隣がカネシメイチ。その右がペンキなどの船舶塗料を扱っていた両全商会かなあ。私は工作用の豆ラッカーをここで買いました。
それらの家の軒から突き出されているのが〈軒花/のきばな〉です。竹にちり紙でつくった花を飾ったもの。
写真の一番上にうつる建物はどこだろう。森産婦人科かなと思うのですがちょっと自信がありません。
私たちの世代はみな、昔の港まつりはすごかったねといいます。そのすごさを少しでも知っていただければと。そして、この写真は私の記憶の底に眠っていた魚町坂口の風景を思い起こさせてくれました。右側にうつる子供たちや自動車なども含め構図もすばらしい。
いき出版さん、撮影の熊谷駿一さん、ありがとうございます。こんな形での写真紹介、ご容赦いただければ幸いです。
昔なつかしい以前のみなとまつりについては、つぎのブログでも。
2018年8月3日ブログ「追憶 みなとまつり」
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