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1960年 港まつり

11月26日のブログ「レストハウス前公園」では、昭和44年/1969年の気仙沼みなとまつりを商会しました。

このブログを見た仙台に住む兄が、一枚の写真を送ってくれました。昭和35年(1960)の気仙沼みなとまつりです。図書館で借りた写真集にあったものだそうです。懐かしくてスマホで撮っておいたとのこと。スナップ写真ということでご覧いただければと。


港まつり

『宮城三陸・登米の昭和』より/熊谷駿一氏撮影


この写真集は『宮城三陸・登米の昭和』(いき出版 平成31年刊)、撮影者として熊谷駿一氏のお名前があるとのことです。

気仙沼のみなとまつりは昭和26年(1951)7月26日が第1回目。人でいえば気中20回生と同年齢です。70年前のこと。

その後毎年開催されているとすれば、この写真は第9回目。私が8歳のときということになりますね。たぶんこの写真の風景を見ていると思います。

すごいよねえ。かつおの一本釣り船を模した山車(だし)です。トラックの荷台ではおさまりませんから、大きな台車の上にしつらえてトラックかなにかで牽引しているのでしょう。

漁協の山車でしょうか。それとも船上に子供がのっていることからするとどこかの漁業会社が出したものか。自分のところのカツオ船ということなのかもしれません。矢車のような着物の模様にヒントがあるような感じもします。文字の一部が〈問屋〉にも見えるのですが、どこかの魚問屋でしょうか。

芸が細かいと思うのは船体脇からの散水です。もちろん本当の水ではなく作り物。これがなければ一本釣りはできないよということでしょう。実際のカツオ一本釣りは左舷での一本釣りおよび散水なので、この山車も左方向に向かっているということかなあ。

(追記:観客が両側にいることを考えると、左右両舷で釣っているのではないかと。そして山車の進行方向は写真の上方へということだと思います)

カツオ船の向こうには屋根をかけた山車がふたつ見えますね。少なくともそのうちのひとつは日本舞踊の山車だと思います。婦人会の皆さんとか。もしかすると台車の上の舞台には畳が敷いてあったかも。

撮影場所ですが、ここは私の地元であった魚町坂口です。ホテル望洋にのぼっていく坂の入口。ちょうどこの山車の右側が佐々木徹君(3年1組)の実家である食料品店があったところ。左側は、〈マルハチ〉神白水産ですね。もちろんビルにする前のこと。

(追記:この当時、ホテル望洋はまだなく、旅館「望洋館」の時代。ホテル望洋の開業は写真の7年後1967年4月です)

撮影者は、〈鼈甲屋〉昆野家か矢田さんちの2階あたりから撮ったのかなあ。それともその間にあった〈桶(おけ)屋〉こと吉田製樽店あたりか。

奥のほうに平らに見える屋根の建物が見えますね。いくつかの今でいえばテナントが入る建物でした。居酒屋の「福よし」さんが初出店したのはここの一番手前の区画だったと思います。そしてその右隣がカネシメイチ。その右がペンキなどの船舶塗料を扱っていた両全商会かなあ。私は工作用の豆ラッカーをここで買いました。

それらの家の軒から突き出されているのが〈軒花/のきばな〉です。竹にちり紙でつくった花を飾ったもの。

写真の一番上にうつる建物はどこだろう。森産婦人科かなと思うのですがちょっと自信がありません。

私たちの世代はみな、昔の港まつりはすごかったねといいます。そのすごさを少しでも知っていただければと。そして、この写真は私の記憶の底に眠っていた魚町坂口の風景を思い起こさせてくれました。右側にうつる子供たちや自動車なども含め構図もすばらしい。

いき出版さん、撮影の熊谷駿一さん、ありがとうございます。こんな形での写真紹介、ご容赦いただければ幸いです。

昔なつかしい以前のみなとまつりについては、つぎのブログでも。

2018年8月3日ブログ「追憶 みなとまつり」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : みなとまつり

猪苗代病院の閉院

11月26日の三陸新報記事を見ておどろきました。南町の猪苗代(いなわしろ)病院が11月30日で閉院するというのです。


猪苗代

三陸新報11月26日記事の一部イメージ


記事によれば、入院患者の減少で経営状況が厳しいほか、猪苗代盛貞院長の体調不良で医療体制を整えられないことなどが理由とのことです。

同日の三陸新報紙面には猪苗代病院の〈閉院のお知らせ〉が掲載されていました。


お知らせ

三陸新報11月26日掲載広告より


上記記事で、同病院は(猪苗代病院によると)1945年に開業とありましたが、このお知らせでは昭和20年(1946年)12月に開業とされています。こちらが正しいようです。

開業当時は木造2階建て。そして昭和57年1982年7月に医療法人順化会の創立とともに病院建物を6階建てに増築していまに至るとのこと。

三陸新報では11月27日にもこの猪苗代病院閉院の続報を掲載していました。この記事では同院だけでなく、当地域における開業医経営の厳しさが増していることを伝えています。


記事

三陸新報11月27日記事の一部イメージ


この記事にも記されていましたが、気仙沼市医師会付属高等看護学校は2023年度末で閉校し、準看護学校の来年度以降の募集停止も決まっています。医師不足だけでなく、看護師不足も深刻な問題となっているのです。

気仙沼文化史年表には、猪苗代病院関連で2つの事項が掲載されていました。

昭和20/1946年12月15日「猪苗代馨 南町に猪苗代外科病院開院」
平成12/2000年4月12日「猪苗代馨歿 90歳 元気仙沼医師会長」

私が陣山の第2保育所(田谷の保育所と呼んでいました)で、崖に引っかかった紙飛行機を取ろうとして転落。すぐに運ばれた病院が猪苗代病院でした。当時はみな猪苗代外科と呼んでいたように思います。左の大腿骨を骨折していました。手術後の経過が思わしくなく公立病院に転院。そこでの担当医は、独立前の志田先生でした。といった思い出話もいろいろあるのですが省略します。

気仙沼の地域医療への影響といった大きな課題が残りますね。しかし、猪苗代病院さんが75年間にわたり気仙沼の地域医療を支えてくださったことにまずは御礼を申し上げたく。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

レストハウス広場

11月6日7日に開催された気仙沼スローフェスタ2021では、内湾特設ステージが設けられ、音楽ライブや民俗芸能などが披露されました。ネットで会場風景などの写真をながめながら、以前のエースポート前の公園がいまではこんな空間になっているんだと驚きました。

本日紹介するのは、地域情報誌「浜らいん」の〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー7月8月の写真です。ここにうつるのが、スローフェスタの内湾特設ステージと同じとは言いませんが、海との関係でいえば同様の広場スペースです。


レストハウス前

浜らいん〈昭和の気仙沼風情〉カレンダー令和3年版より


キャプションに「気仙沼みなとまつり」(昭和44年)とあります。昭和44年は1969年。今から52年前の写真です。私が気仙沼高校3年生のとき。米国アポロ11号が、着陸船「イーグル」によって人類初の月面着陸に成功した年です。

右下に撮影場所として小さく「南町エースポート公園」と記してあります。困りましたね。またちょっと細かなことを書かなくてはいけません。というか面白いことになってきた(笑)。昭和44年(1969年)という撮影年が正しければ、エースポートはまだないのです。

気仙沼市観光物産センターが「エースポート」として開設されたのは昭和59年(1984)4月1日のことです。東日本大震災でエースポートの建物は被災しました。その後、気仙沼市勤労青少年ホーム(サン・パル)と合築再建された施設が、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)です。

なお、エースポートの開業と同じ日、潮見町に新築された気仙沼中央公民館も業務を開始しています。この中央公民館も被災したわけですが、南気仙沼に新築された新しい中央公民館が来月12月1日に正式オープンします。

◎内湾レストハウス

話を戻しましょう。エースポートがまだないということになると、あそこにあったのは「レストハウス」ですね。気仙沼文化史年表を調べてみると、レストハウスは1965年5月22日開業です。ここからは和暦なし西暦のみの表記とします。

そしてその4年後、1969年6月30日「内湾レストハウス前に公園が完成」とありました。そうか、この写真の年に公園というか広場ができたのか。この場所での催事はいわばお披露目、公園完成記念といった意味合いがあったのかもしれません。

当然のことながら、森進一さんの港町ブルース歌碑はまだありません。歌碑は今から21年前の2000年10月に建立されました。

まあ、あの場所は我々の世代でも、〈エースポート〉のほうが通じやすいとは思うのです。しかし、昭和の風情カレンダーということであれば、〈内湾レストハウス前公園〉としてほしかった。そのほうが、昭和の風情をより強く感じることができたのではないかと。

◎青空鼓笛隊・気高ブラバン

写真には女子によるバトントワリングがうつっています。これは「青空鼓笛隊」でしょう。1959年12月に新町(あらまち)や福見町の児童を中心に結成されました。舞台上のブラスバンドは気仙沼高校の吹奏楽部だと思います。

その背後には、「気仙沼浪板虎舞」の幟(のぼり)とはしごが見えます。昨年7月の浮見堂再建や3代目恵比寿像建立式典で披露されたのも浪板(なみいた)虎舞でした。魚町や南町に近い鹿折地区の虎舞ですから、深いご縁があるのでしょう。

◎背景の家並み

右端にちょっとうつっているのが「男山本店」です。文化史年表によればこの年1969年7月6日に気仙沼青年会議所が結成され、初代理事長として男山の菅原雅さんが選出されています。その後、気仙沼市長もつとめた菅原雅さんは本年9月9日に逝去されました。享年90。上の写真の頃は38歳ぐらいでしょうか。当時の男山本店社長は、お父様の菅原克己さんだと思います。

その左は「コーシン(弘進)ゴム長靴などの看板があった斉竹商店、そして左角が果物などを扱っていた磯屋です。

写真左端に「ずしん」と見えるのは「すずしん」。右隣の「おみやげセンター」もなつかしい。そのまた右は「丸正毛糸店」だったかと。棚にはボタンの箱がずらっと並んでいました。

写真正面にうつる瓦屋根の建物がうつっています。ここは以前、〈村米(ムラヨネ)〉村上家でしたが、写真当時は時計・宝飾店の精工堂になっているようですね。村米の村上米治さんは、気仙沼漁業協同組合の組合長をつとめていたことがあります。この写真をみていると、戦前から続く気仙沼の漁船漁業が大きく転換していたことを感じます。たしか遠洋漁業の隆盛期もおわりを告げていた時代だったような。

精工堂の左はお茶の角星園、その左が清酒「両國」の角星です。そのまた隣には田中砂糖店があったはず。ちょっときりがないのでこの辺でやめておきましょう。

それにしてもこの写真は情報量が多い。みなと倶楽部さん、いつもありがとうございます。

1969年夏のみなまつり風景。レストハウス前の広場からお伝えしました。解説は、気仙沼の歴史にちょっとうるさい気中20の小田。またどこかでお会いしましょう。

2014年9月26日ブログ「昭和はじめの内湾」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : エースポートレストハウスみなとまつり

小泉海岸黄金海道

「気仙沼市民憲章カレンダー」2022年版が11月8日から販売されています。このカレンダーは、市民写真コンクールの最優秀作品を表紙に、優秀賞作品を暦面に掲載したもの。優秀賞は6作品で2か月1ページのカレンダーです。

気仙沼市サイトに掲載されていた表紙/優秀賞作品を紹介します。




気仙沼市サイトより


これは及川善賢(よしたか)さんの写真。タイトルは「小泉海岸元旦の黄金海道」です。気仙沼市議会議員の及川善賢さんですね。小泉小浜にお住まいの方ですから小泉海岸はまさに地元です。本年1月1日に、よく知る海岸の防潮堤ごしにのぼる初日の出を撮影した写真。

私がいいなと思ったのは写真にあざとさが感じないところです。自然と人工物との対比、巨大防潮堤によって失われた以前の浜辺といった、ある意味でよくある直接的な批評/表現でないところがとてもいい(あくまで個人の感想です)。

とはいえ、写真を見る人は、この〈新しい風景〉のなかに撮影者の思いといったことをいろいろと想像することでしょう。そこが〈最優秀作品〉とされた最大のポイントではないかと。

東日本大震災から10年を過ぎて迎える2022年。新しい一年が希望に満ちたものであって欲しいという祈りも感じますし、そうした見る人の願いを受け止める表現にもなっているように思います。

この「気仙沼市民憲章カレンダー」2022年版は、気仙沼市地域づくり推進課、唐桑・本吉総合支所、市内公民館にて1冊500円で販売中です。300部限定ということですのでお急ぎください。


最後に、気仙沼市民憲章を以下に。

◎気仙沼市民憲章

わたくしたちの気仙沼市は、豊かな海や山の恵みと、先人のたゆまぬ努力により栄えてきました。

わたくしたちは、このふるさとを大切にし、人と自然が輝き、活力に満ちたまちの実現をめざし、市民憲章をさだめます。

・ 自然を愛し、海と緑の美しいまちをつくります。
・ 心とからだを鍛え、健康で明るいまちをつくります。
・ 働くことを喜び、産業の盛んなまちをつくります。
・ いたわり、助けあい、きまりを守って安全安心なまちをつくります。
・ 学ぶ心を大切にし、文化の香り高いまちをつくります。

この市民憲章は、唐桑町と合併した1年後2007年3月7日に制定されました。


ことし2021年版の市民憲章カレンダーについてはつぎのブログにて。

2020年11月16日ブログ「気仙沼カレンダー」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 市民憲章

大阪のRCご支援

本日ご紹介するのは、東日本大震災後の大阪地区ロータリークラブの皆さまによる気仙沼への支援活動です。11月20日の三陸新報につぎの記事が掲載されていました。


大阪RC
三陸新報11月20日記事の一部イメージ


記事によれば、大阪リバーサイドロータリークラブは、単独や大阪西ロータリークラブなどとの協力で、2012年の気仙沼小学校を皮切りに、両市町の小中学校にユニホーム、テント、太陽光発電式ン常夜灯などを贈ってきたとのこと。

2014〜16年には、南三陸町名足小学校に図書やサッカーゴール、3年間の卒業アルバム制作費などで計300万円を寄贈。そして気仙沼演劇塾「うを座」には、活動資金計400万円を支援してくださいました。

11月17日には、大阪リバーサイドRCの徳上会長や大阪西RCの寺田幹事ら関係者15人が気仙沼に来市しました。すでに今夏、大谷海水浴場のための大型テント2基を本吉町観光協会に寄贈しており、その目録を同協会に手渡したそうです。新型コロナへの対応でこの日の訪問となったのでしょう。

このテント寄贈を含めた支援総額は10年間で900万円にものぼるそうです。

そして、上の記事の翌日11月21日の三陸新報 1面「萬有流転」。大阪リバーサイドRCのメンバーとの話を紹介しています。そして同クラブの支援活動の紹介も。

萬有流転

三陸新報11月21日記事の一部イメージ


この日の萬有流転筆者も、大阪のロータリークラブの皆さんの継続的なご支援に感じ入ったのだと思います。文章をつぎのように結んでいます。

〈 東日本大震災は忘れることはできないが、10年余が経過し、当時の記憶は少しずつ薄れていく。しかし、何年たっても被災地に寄り添い、支え続けてくれる人は多く、感謝しきれない。

途方に暮れた時、国内外からたくさんの励ましで、前を向くことができた。支えられ、歩き続けた日々を決して忘れてはならない。〉(引用は以上)


大阪リバーサイドロータリークラブ、そして大阪西ロータリークラブの皆さま。本当にありがとうございます。出身者のひとりとして心から感謝と御礼を申し上げます。


なお、2017年11月12日の「うを座」発表会の案内チラシに協賛団体として、大阪リバーサイドロータリークラブ、大阪西ロータリークラブ、そして仙台ロータリークラブの名がありました。つぎのブログにて。

2017年11月8日ブログ 「うを座」発表会

 

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tag : 大阪リバーサイドRCロータリークラブ

落合直文の事績展

気仙沼出身の国文学者で歌人の落合直文の事績展が、直文の生家である市内松崎片浜の鮎貝家「煙雲館」で開催されています。11月20日から本日23日まで。


事績展

三陸新報11月21日記事の一部イメージ


この事績展は、落合直文顕彰会による気仙沼市東日本大震災10年復興記念事業のひとつ「落合直文生誕160年祭」の催しのひとつです。

菅原市長も11月20日につぎのようにツイートしていました。


現在の落合直文顕彰会の会長は、このブログでもお世話になっている『気仙沼文化史年表』の著者で元気仙沼図書館長の荒木英夫さんです。三陸新報の記事では荒木さんの言葉をつぎのように紹介していました。

〈津波で流された物もあるが、今ある資料をしっかり保管し、新しいことにどんどん挑戦した直文の生涯と業績を多くの人に継承していきたい〉

市長のツイートにもあったように事績展は本日11月23日15時まで。庭園も一般開放されています。

問い合わせは下記の煙雲館まで。

気仙沼さ来てけらいん「煙雲館」

落合直文についてはつぎのブログでも記しております。

2月5日ブログ「鮎貝家の落合直文」
10月8日ブログ「直文綜合歌集紹介」
 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 落合直文煙雲館

全国星空継続観察

前回ブログ「大島の美しい星空」の続き。「日本一星空が綺麗な港町」の映像についてです。まずは、再度その映像を。





前回ブログの末尾につぎのように記しました。気仙沼市は環境庁の平成11(1999)年度夏期「全国星空継続観察」で全国2位に。その観察場所は、大島ではなく上八瀬(かみやっせ)の気仙沼市五右衛門が原運動広場駐車場です。といったようなこと。

この「全国星空継続観察」は、昭和63(1988)年から、環境庁(現環境省)と(財)日本環境協会が参加団体を募り実施していました。平成25(2013)年3月末で休止しているとのこと。

気仙沼市の名が登場する平成11年度夏期観察結果の報道資料は下記サイトで見ることができます。本日のブログはこの内容の紹介です。

環境省 全国星空継続観察 平成11年度夏期観察結果

この観察結果の中に「参考」として「平成11年度夏期観察において夜空が星の観測に適していた場所」が示されていました。その記述が、気仙沼市を「星空が美しいまち全国2位」とする根拠なのでしょう。


観測適所
環境省 全国星空継続観察 平成11年度夏期観察結果報道資料より


上記表の左側に示されている数字は、夜空の明るさ/暗さを星の「等級」に換算した値です。一定条件で撮影したカラースライド写真から測定したそうです。数値が大きいほど夜空が暗い状態、つまり星の観測に適していることになります。

1位1地区、2位3地区の場所をまとめておきます。参考資料には1位とか1番といった順番はついていないのですが、便宜的に表示しました。

◎!位(1番暗かった場所)

21.5等級
秋田県東成瀬村
(東成瀬村育苗センター前広場)

◎2位(2番目に暗かった場所/3カ所)

21.3等級
宮城県気仙沼市
(気仙沼市五右衛門が原運動公園広場駐車場)
鹿児島県川辺町
(諏訪運動公園管理事務所屋上)
京都府宮津市
(大江山スキー場)

前回ブログに記したように1位の東鳴瀬村は海に面していません。そして2位中の川辺町も内陸部。海に面しているのは2位の気仙沼市と京都府宮津市です。

調べてみると宮津市は若狭湾に面しており、なんと日本三景のひとつ「天橋立」(あまのはしだて)があるまちでした。そして天橋立の東側、栗田半島にはリアス式海岸があり、複数の漁港が存在します。

つまり、平成11年度夏期全国星空継続観察結果において、「日本一星空がきれいな港町」は気仙沼市と宮津市であったということかと。

◎岩手県一関市もすごかった

気仙沼の観光関係者の皆さんが、おかえりモネ効果もねらいつつ、大島の星空の美しさをプロモートしようというのはとってもいいですよね。気仙沼の人たちが漠然と感じていたその美しさを再認識するよい機会にもなるでしょう。

今回の大島の星空映像を企画したSDGsアドベンチャーツーリズム気仙沼、「星空プロジェクト」の皆さんも上に紹介したようなことも含めていろいろと知恵を絞ったのだと思います。

日本一星空がきれいな村として観光プロモーションをおこなっている長野県阿智村の事例なども参考にしたと思います。同村は、平成18年度全国星空継続観察(夏期)で1位になっています。なお、この回の2位(2地区)に岩手県一関市(天文台「ひろ」室根山星空の会)の名がありました。23.6等級ですから、気仙沼よりも暗い。1位の阿智村は23.7ですから〈タッチの差〉。これもすごいですね。

こうなったら、気仙沼も一ノ関も〈日本で2番目に星空のきれいなまち〉ということでいかがでしょうか。広告関係者であれば、1960年代のアメリカの広告会社DDBによるレンタカー会社エイビスの広告キャンペーン「We are No.2」を思い出すかもしれません。

でもなあ、もうプロモーションがはじまっているしなあ。私は、「日本一星空が綺麗な港町」に、*(アスタリスク)か(注)を付して、つぎのような説明を下部に小さく表示しておいておくのがよいのではないかと思います。

*注記例
平成11年度「全国星空継続観察」夏期観察結果より。気仙沼市は、環境庁(現環境省)による平成11年度「全国星空継続観察」夏期観察において、「夜空が星の観測に適していた場所」全国2位(同位3地区)となりました。1位の地区は海に面していないことから、気仙沼市を「日本一星空の綺麗な港町」と表現いたしました。(以上)

Wikipediaで「全国星空継続観察」を調べると、星の観測に適した場所として例示している地区に、東京都小笠原村小港海岸(平成22年度25.1等級)や沖縄県竹富町波照間星空観測タワー(平成20年度24.5等級)もありました。いずれも港町といってよいでしょう。

こうしたいかにも星空がきれいそうな港町がほかにもあると思います。しかし、気仙沼を「日本一星空が綺麗な港町」とした根拠をしっかりと記しておけば〈セーフ〉かと。

今回、日本一ということがちょっと気になって調べてみたわけですが、いろいろと勉強になりました。思い出したのは、小学生のころ星座早見盤を買ってもらったときのうれしさです。早見盤を持ちながらながめる天空にはきれいな星空が広がっていたように思います。

観光プロモーションでのキャッチフレーズは別として、〈気仙沼は全国有数の星空がきれいなまちとして知られています〉といった表現はこれから自信をもって使えますね。年度の違いや、八瀬とか大島とかの地区の違いも回避できますし。

以上、典型的な〈余計なお世話〉ということで。どうぞよろしく。

11月19日ブログ「大島の美しい星空」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : おかえりモネ星空プロジェクト

大島の美しい星空

気仙沼の観光関係者らが制作した気仙沼大島の美しい星空映像を紹介します。タイトルは「日本一星空が綺麗な港町」。まずは10月5日にYouTubeで公開された映像をご覧ください。2分14秒。撮影場所は、大島の竜舞崎や亀山、小田の浜など約20カ所です。





この映像については、映像公開の2日後10月7日に三陸新報が紹介していました。


大島の星空


三陸新報10月7日記事の一部イメージ


この映像を公開した団体は「SDGsアドベンチャーツーリズム気仙沼」です。自然や文化を持続させていくために「保護」と「活用」を両立させながら、観光を通じて地域資源を大切にしていく取り組みをしていくとのこと。気仙沼観光コンベンション協会と気仙沼大島観光協会、大島の宿泊事業者、認定観光ガイドなどで組織され、代表はセントラルホテル松軒の代表、鈴木淳平さんです。

同団体では3月から準備を進め、当初は星空観察と音楽ライブ、物産販売などを融合させた「SDGs大島スターライトフェスティバル」を10月16日に大島で開催予定だったそうです。しかし、新型コロナ対応で、来春に延期することを決めたとのこと。

11月14日には河北新報も紹介記事を配信してくれました。

映像の制作を担当したのは「Team83」です。1983年生まれの気仙沼出身で首都圏在住のクリエーターらのグループ。河北新報記事によれば、代表をつとめる佐々木理奈さんらが昨年12月から今年5月まで、星が映える新月の日を中心に気仙沼に通い撮影してきたそうです。

「Team83」についてはつぎのブログでも紹介しました。Team83さん、今回の映像制作もありがとうございました。

2020年5月18日ブログ「気仙沼大島PR映像」

◎日本一星空が綺麗な港町

この映像タイトル「日本一星空が綺麗な港町」について、〈あれっ、日本一だったのか〉と思われた方も多いのではないでしょうか。私もそのひとり。

YouTubeの紹介文には、つぎのように記されています。

〈気仙沼市は環境省の全国星空継続観察で全国2位になった星空が美しいまちです。気仙沼大島にある亀山山頂からは、気仙沼湾の夜景と漁火、星空の3つの光が一緒に楽しむことができます。気仙沼でしか見ることができない夜空の絶景をお楽しみください。 〉

ここには全国2位とあります。すると、1位は港町ではないのかな。ということで、環境省の全国星空継続観察の報告内容を見てみました。その詳しい内容は回をあらためますが、要点だけ記しておきましょう。

気仙沼市が環境省「全国星空継続観察」で全国2位となったのは平成11(1999)年度夏期観察です。その観察場所は、気仙沼市五右衛門が原運動広場駐車場。大島ではなく、気仙沼市上八瀬(かみやっせ)です。気仙沼市の北西。内陸部といってよいでしょう。

1位は秋田県東成瀬村の育苗センター前広場。同村は海に面していませんから港町ではありません。したがって2位の気仙沼は、港町として1位/日本一ということになります。

しかしちょっと面倒な話も。気仙沼とならんで全国2位の港町がもうひとつあるのです。

これについての話はまた週明けにでも。どうぞ美しい星空などをながめながら、良い週末をお過ごしください。

SDGsアドベンチャーツーリズム気仙沼サイト

 

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tag : 星空SDGsアドベンチャーツーリズム気仙沼

ライオンズ60周年

気仙沼ライオンズクラブが結成60周年を迎えたそうです。11月14日には、気仙沼アーバンで、記念式典が開催されました。11月16日の三陸新報が伝えています。


ライオンズクラブ式典

三陸新報11月16日記事の一部イメージ


記事などによれば、気仙沼ライオンズクラブは、1961年12月3日に、43人の会員で国内357番目のクラブとして結成されました。翌1962年5月27日に認証式を迎えたとのことです。

現在の会員は78人です。第60代目となる現在の会長は損保代理店「東北安田」の代表、生駒正博さん。

11月14日の三陸新報最終面には、同クラブの近年の活動と会長や記念大会長の挨拶など、全頁を使っての記事広告が掲載されていました。なお、結成60周年記念大会長は「カネダイ」の佐藤亮輔さんです。佐藤亮輔さんは長く同社社長をつとめていましたが、本年9月1日付けで会長となりました。新社長は、専務だった息子の俊輔さんです。

14日の記事広告のなかに現在の会員名が記されていました。同級生もいますので紹介させていただきます。


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リスト2

2画像とも三陸新報11月14日掲載記事広告より


気中同級生は2人ですね。〈福寿水産〉の臼井弘君(3年4組)、書道教室〈苑書会〉の武山櫻子(美加)さん(3年9組)です。気仙沼高校の同級生では〈高田電気工業所〉の高田俊孝君の名もありました。高田君の奥様は(旧姓大森)登喜子さん(3年5組)。

武山さんは、2017年から18年にかけて会長をつとめていました。その頃の同クラブの寄付について、つぎのブログで記しております。

2018年5月29日ブログ「ライオンズの寄付」

なお、記念式典では、結成60周年を記念して気仙沼市民会館に寄贈された大型デジタル時計や、気仙沼新中央公民館のホワイエで使用される「あかねいろタペストリー」の寄贈が紹介されたそうです。

参考まで記しておくと、新しい中央公民館は12月1日に正式オープンしますが、11月15日にプレオープンされ、市民などが見学に訪れたとのこと。この茜色のタペストリーも多くの人が目にしたことでしょう。ありがとうございます。

三陸新報の記事では、気仙沼ライオンズクラブの献血活動や災害時の被災地支援を目的とした街頭募金、各種団体への寄付、清掃活動なども紹介されていました。それらの熱心な活動については、気仙沼の皆さんがよくご存じのこと。

なお、同クラブの40年以上にわたる献血活動は、本年9月の第57回献血運動推進全国大会で厚生労働大臣表彰を受けています。

結成60周年を迎えられた気仙沼ライオンズクラブさんに御礼とお祝いを。いつもありがとうございます。そして、おめでとうございます。

気仙沼ライオンズクラブ公式Facebook

 

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tag : 気仙沼ライオンズクラブ

「気仙沼ビズ」好調

11月13日の三陸新報に、本年5月29日に開所した「気仙沼ビジネスサポートセンター」の相談件数が400件を超えたとの記事が掲載されていました。


気仙沼ビズ

三陸新報11月13日記事の一部イメージ


「気仙沼ビジネスサポートセンター」(略称:気仙沼ビズ)は、気仙沼市・気仙沼商工会議所・本吉唐桑商工会・気仙沼信用金庫の4者で設立した気仙沼ビジネスサポート協議会が運営しています。場所は、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)1階です。

6月3日ブログ 「気仙沼ビズ」開所

このブログでも紹介したように、気仙沼ビズは中小企業や個人事業者などを対象とした伴走支援型の無料経営相談所です。センター長は吉澤貴幸(よしざわ・たかゆき)さんです。

三陸新報の記事によれば、6月1日の業務開始から11月9日までの相談件数は412件。225件が中小企業、個人事業主98件、非営利事業者44件など。起業を考えている人の相談も20件あったとのことです。

4か月で400件以上の相談に応じているわけですから、確かな実績といえるでしょう。気仙沼ビズのサイトには、相談のしかたや支援事例などが紹介されています。それらの支援が無料でおこなわれているわけですから、課題をかかえる皆さんにとってはとてもありがたい。ブログにもとても興味深い話が書かれています。ぜひご覧ください。

気仙沼ビズWEBサイト

センター長の吉澤さんの趣味はサーフィンとのこと。業務が好調なのはなによりなのですが、リアルな波にのる機会があまりないのではないかと。余計な心配とは思いつつ(笑)。

吉澤センター長、いろいろとありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
 

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理佐子さんの随想

11月3日の三陸新報「リレー随想」の筆者は、熊谷理佐子さんでした。タイトルは「私の好きな気仙沼の景色」。


リレー随想

三陸新報11月3日記事の一部イメージ


文章は、〈私には、いくつかお気に入りの景色がある〉と始まり、気仙沼のすてきな場所というか場面を紹介していきます。その描写がとても絵画的です。きっと、気仙沼で育ったひとなのだろうと想像していたら違いました。

〈祖父が一生懸命、海で働いて建てた唐桑の家にいつかは帰りたい、と夫は結婚当初から言っていた。そんな言葉に一大決心で、東京から親子で越してきて11年がたつ〉。

東京からご主人の故郷である気仙沼市唐桑へ。そうだったのか。そしてさらに読みすすむと筆者紹介に、〈東京都出身。東京外国語大学卒業〉とありました。あれっ、と思ってお名前をもう一度みてみると〈熊谷〉です。そうか、熊谷千寿(ちとし)さんの奥様、理佐子さんでしたか。

熊谷夫妻にお会いしたことはないのですが、お二人がうつっている画像がこのブログに一枚だけあるのです。これです。





気仙沼市の英語版公式フェイスブック(FB)ページ「KESENNUMA - BUILDING FOR THE FUTURE」本年3月28日の最終投稿です。大漁旗の写真左下にうつっているのが熊谷理佐子さんと千寿さん。熊谷夫妻は、このFB制作ボランティアチームのメンバーだったのです。

熊谷千寿さんは、唐桑中学出身。気仙沼高校38回生ですから私たちよりも16学年下になりますね。東京外国語大学を卒業し、現在は海外ミステリー小説などの翻訳家として広く知られています。唐桑に引っ越してきたのは2010年3月と聞いています。震災のちょうど1年前。

熊谷夫妻が東京外国語大学時代の同級生同士と教えてくれたのは、同じく同級生でFBボランティアメンバーでもあった高田さんです。つぎのブログで詳しく紹介しました。

4月20日ブログ「グレートチャレンジ」

理佐子さんにとって、東京から唐桑に引っ越すことを決めた〈一大決心〉。それも〈グレートチャレンジ〉だったことでしょう。

理佐子さんは文中で、このすてきな景色を見せてくれた気仙沼の人との出会いについても記しています。〈温かい人たちがくれた一言で、私の気仙沼での生活風景も多彩になった〉と。そして〈その一言がなかったら、全く違った景色が見えていただろう〉とも。

熊谷さん家族が、さらに気仙沼のすてきな景色を見つけられるようにと願っております。色彩に満ちた、すてきな〈随想〉をありがとうございました。
 

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梶原登城さんの話

気仙沼スローフェスタ2021でのシンポジウム「海と生きる〜おかえりモネで描かれた気仙沼」におけるNHKディレクター梶原登城(かじわら とき)さんの講演については、11月9日のブログでも紹介しました。

11月9日ブログ「伝えたかったもの」

9日のブログでは三陸新報の記事を紹介しましたが、河北新報も11月10日に記事を配信してくれました。私が見ているのはオンラインニュースですが、紙版でも10日掲載でしょうかね。

(ツイート画像クリックで配信記事へ)

河北新報は、三陸新報とはちょっと違った角度から講演内容を紹介していました。少し引用させてもらいます。

〈 梶原さんらは舞台地選定で石巻市や名取市など沿岸部を巡り、2019年12月に気仙沼市を訪問。大島・亀山からの眺望で「ここだな」と直感したという。島内で取材を進め、東日本大震災時に孤立したエピソードなどを軸に物語が形成されたと明かした。

震災時に島にいなかった主人公・永浦百音(ももね)(モネ)と、島で被災した妹・未知の仲直りが当初からゴールだったという。「人を否定しない、ある種の寛容さ(の大切さ)をじわっとでも感じてほしかった」と込めたメッセージを説いた。〉引用は以上。

〈舞台地〉選定の話は、石巻市や名取市の皆さんにとってはちょっと残念な話かもしれません。まさに〈舞台裏〉の話。気仙沼にとっては本当にありがたいことでした。

河北新報の記事では、見出しを〈姉妹の仲直りがゴール〉としていましたが、私はちょっと違うニュアンスを感じました。記事の本文を読むかぎり、最後には仲直りすると当初から決めていたということにすぎません。〈仲直り〉という言葉が適当かどうかとも思いますが、梶原さんの話のなかにあったのでしょう。

重要なテーマはやはり、「人を否定しない、ある種の寛容さ(の大切さ)」だと思います。それが重層的にそして複合的に、深さをもって描かれていたのがあのドラマでした。

シンポジウムのテーマは「海と生きる〜おかえりモネで描かれた気仙沼」です。描かれた気仙沼とリアルな気仙沼との違いはもちろんあるでしょう。

しかし、あのドラマで描かれた気仙沼の姿から逆に学ぶことも多いのではないかと感じています。そのあたりがシンポジウム開催の目的そして意義であったのかもしれません。

梶原さん、ありがとうございました。
 

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インドネシア・デイ

「気仙沼インドネシア・デイ」が11月14日(日)、気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)で開催されます。まずはポスターから。


インドネシアデイ


このイベントは、気仙沼インドネシア友好協会、八日町まちづくりの会、東洋大学社会学部長津ゼミが主催します。

一般社団法人「気仙沼インドネシア友好協会」が設立されたことは、つぎのブログで気仙沼とインドネシアのご縁などを含め紹介しました。

10月18日ブログ「インドネシアと交流」

詳細は公式サイトをご覧いただきますが、14日当日のイベント概要を紹介しておきます。

◎気仙沼インドネシア・デイ
期日:11月14日(日)10:00~18:00
会場:気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ(PIER7)
入場無料 どなたでも

9:30~12:30
遊び体験(日本&インドネシアの伝統的な遊びを体験)
10:00
歓迎セレモニー(バリ舞踊 歓迎の舞)
10:30〜12:00
ファッション交流会(1周目:滞日インドネシア人着物試着会・インドネシア伝統衣装クバヤ試着会など)
13:00〜14:00
バリ舞踊(PM 1:00 歓迎の舞PM 1:45 極楽鳥の舞)
14:30~16:30
ファッション交流会(2周目)
14:45
サマンダンス(学生ボランティアによるサマンダンス)
15:15
シラット実演(滞日インドネシア人有志による実演)
15:30
ジャティラン実演(滞日インドネシア人有志による実演)
16:00
「心の友」(五輪真弓)インドネシアでもっともポピュラーな日本語ソングをみんなで静かに歌います。


本日11月19日の三陸新報にこのイベントが紹介されていました。その記事で気仙沼インドネシア協会のコメントがつぎのように紹介されていました。

「インドネシアの技能実習生や漁船員などは、東日本大震災の気仙沼の復興を支えてくれた大切なパートナー。市民との交流を深める機会になれば」と。

先週末の内湾エリアは、気仙沼スローフェスタ2021でにぎわいました。

今度の日曜日は、「インドネシアの日」。どうぞよろしく。
 

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美恵子さんの訃報

本日11月11日の三陸新報に気仙沼中学の同級生、塩田(本田)美恵子さん(3年9組)の訃報広告が掲載されていました。永らく病気療養中だったそうですが、11月9日に逝去とのこと。

訃報
三陸新報11月11日掲載広告より


美恵子さんとは気小か気中のときに同じクラスになったことがあります。思い出す美恵子さんは背が高く、微笑んでいます。家は河原田でしたね。

喪主は美恵子さんの夫である塩田重次さんです。今朝、菊田裕美君(3年1組)から教えてもらうまで知らなかったのですが、鹿折中学出身で気仙沼高校の同年生だった塩田君です。小山隆市君(3年6組)とおなじ山岳部でしたね。

訃報広告には息子さんお二人と娘さんお一人のお名前がありました。そのわきには孫一同とも。

美恵子さんは69歳か70歳です。まだまだ若いのにと思うばかり。

塩田美恵子さんのご冥福を謹んでお祈りいたします。
 

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復興支援コンサート

新型コロナの感染拡大防止のために、多くの催事開催が中止されました。しかし、9月30日に緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置が全都道府県で解除されたことにより、徐々にイベント開催の知らせが届くようになりました。

本日紹介するのも、そんなうれしいニュースのひとつです。東京「めぐろパーシモンホール」での東日本大震災復興支援コンサートが来年2月に開催されます。

11月6日に気仙沼出身のアナウンサー佐藤千晶さんがつぎのように知らせてくれました。千晶さんは今回も司会をつとめてくれます。


めぐろパーシモンホール/公演情報

このコンサートは、2016年から2019年まで毎年開催されてきました。2020年も3月15日の開催が予定されていましたが、新型コロナ対応のために中止されました。今年の開催も見送りとなったわけですが、来年2月ということですから2021年度内の開催です。本当によかった。

なお、公演情報には〈2年ぶり〉の開催とあり、千晶さんのツイートでもそれを引用していましたが、前回は2019年3月17日開催ですので、今度の2022年2月のコンサートは3年ぶりということになるのかな。〜年ぶりという言葉はほんと使いにくいですね。(追記:現在は公演報が修正され「3年ぶり」となっています)

この東日本大震災復興支援コンサートは、東京の目黒区と公益財団法人 目黒区芸術文化振興財団が主催します。概要はつぎのとおりです。

期日:2022年2月27日(日)
会場:めぐろパーシモンホール 大ホール
    (東京都目黒区八雲1-1-1)
時間:13:15開場/14:00開演
出演:
【第1部】気仙沼市民吹奏楽団と目黒吹奏楽団による混成楽団
【第2部】畠山美由紀、熊谷育美(シンガー・ソング・ライター)、目黒区立中目黒小学校合唱団
司会:佐藤千晶
料金:全席指定1000円
チケット販売:11月13日(土)午前10時から

詳細は後日、ホームページで公開されるとのことですが、チケット販売が11月13日(土)の午前10時に開始されます。全席指定で料金は1000円です。

気仙沼からは気仙沼市民吹奏楽団の皆さんと熊谷育美さん、そして気仙沼出身の畠山美由紀さんも。これらの顔ぶれは2016年の第1回コンサートと同様ですね。これまでに開催された4回のコンサートについてはまたあらためて紹介しようと思います。

大ホールは1200席ありますが、このコンサートは人気がありすぐに売り切れになってしまいます。そんなことで、本日は取り急ぎのご紹介ということで。どうぞよろしく。
 

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伝えたかったもの

本日、11月8日の三陸新報1面トップは、6日・7日に気仙沼の内湾エリアで開催された気仙沼スローフェスタ2021の盛況についてです。見出しは「2日間で2万5000人」です。


スローフェスタ

三陸新報11月9日記事より


スローフェスタは土日の開催でしたが、三陸新報は月曜休刊なので本日の記事掲載です。これをながめていると、なんというか、このイベントの成功をみんなが喜んでいることが伝わってくるようです。左側の〈秋サバ本格化へ〉との記事もその気分をさらにあげてくれます。

記事では、各催事の様子を伝えています。そして、7日に開催されたシンポジウム「海と生きる〜おかえりモネで描かれた気仙沼」については、〈人を否定しない寛容さを〉との見出しを立てて紹介していました。

このシンポジウムの第1部はおかえりモネの演出を担当したひとり梶原登城(かじわら とき)さんの基調講演でした。テーマは〈”おかえりモネ”が伝えたかったもの〉。

梶原さんは、NHK制作局 第4制作ユニットチーフディレクターです。第2部のパネルディスカッションにもパネリストとして参加してくださいました。

三陸新報の記事に梶原さんの言葉が紹介されていました。たぶん基調講演での発言でしょう。引用させてもらいます。

〈ドラマで伝えたかったことに関して、梶原さんは「今は何でも高速社会で、すぐに結果を求めてしまいます。でも、ゆっくりでいいということを言い続けてきた。人を否定しない寛容さのようなものが伝わっていたらいいなと思う」と語り、「『あなたの痛みは分かりません。でも分かりたいと思っています』という菅波(坂口健太郎さん)のセリフに、脚本の安達(奈緒子)さんや私たちの思いが集約されている」と締めくくった。〉引用は以上

ドラマのテーマを一言に集約できるものではないでしょうし、当日の梶原さんの言葉と記事内容にはニュアンスの違いもあると思います。しかし、全120回を味わいつくした人は、この梶原さんの言葉にうなづくことでしょう。梶原さん、ありがとうございました。

なお、このシンポジウムの会場は、内湾に面した気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ/PIER7(ピアセブン)/創(ウマレル)2階の軽運動場でした。こうしたイベントの会場としても利用できるのですね。いいね。

シンポジウムのことのみ紹介しましたが、この気仙沼スローフェスタは実に多彩なイベントが催されました。その成功は多くの皆さんの協力、ご尽力の賜物でしょう。ありがとうございました。

きょうの東京は朝から雨。気仙沼も同じく雨とのこと。もしもスローフェスタ当日がこんな天気だったらと想像するとぞっとしますね。スローフェスタにふさわしい両日の晴天。それも〈おかえりモネ効果〉のひとつかもしれません。


「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会が制作し、10月29日に公開されたWEBサイト「KESENNUMA PRIDE」についてはつぎのブログにて。

11月5日ブログ 気仙沼の「PRIDE」

 

テーマ : 気仙沼
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tag : おかえりモネスローフェスタ

みなとまつり花火

6日(土)7日(日)の気仙沼スローフェスタ2021は天気にも恵まれ、とてもよいイベントになったようでよかったです。スローフェスタは7日午後3時に終了し、6時から湾内で花火が打ち上げられました。

11月6日の三陸新報に、この7日の「海上打ち上げ花火」案内広告が掲載されていました。


花火広告
三陸新報11月6日掲載広告より


広告の上部に「第69回気仙沼みなとまつり」と記されています。これを見て、今年のみなとまつりは新型コロナの関係で中止されたのではなかったかと思った方がいるかも。ちょっと復習しておきましょう。

今年のみなとまつりは当初、東京五輪や本吉マンボウ・サンバ大会の開催などを考慮して、8月21・22日に予定されていました。

しかし5月11日の主催団体長会議で、新型コロナへの対応のため、8月21日の〈はまらいんや踊り〉は実施を見送り、22日の行事に限定して開催することを決定したのです。具体的には、港町でのパレード、うちばやし大競演、海上うんづら、花火などの開催。

5月17日ブログ「8/22みなとまつり」

そして3か月後の8月11日、みなとまつり委員会(会長:菅原市長)から、港町でのパレードやうちばやし大競演などの陸上行事は中止し、接岸なしの海上うんづら、海上打ち上げ花火のみとすると発表されました。

しかしその翌日の8月12日、宮城県は独自の新型コロナ緊急事態宣言を発令、気仙沼市でも感染拡大の傾向がみられました。これを受け、同日付けで8月22日の全ての行事開催を取り止めることとしたのです。

8月18日ブログ「感染拡大の余波」

上記18日のブログでは、8月15日の三陸新報に掲載された全行事開催取り止めの案内広告を紹介しました。そのなかに、「海上打ち上げ花火」などについては、感染状況の推移などを踏まえながら、延期開催について検討していくと記してありました。

ちょっと経過説明が長くなってしまいましたが、この流れでの11月7日の花火であったということです。

7日は、内湾エリアで開催された気仙沼スローフェスタ2021の2日目/最終日。午後3時終了ですから、その3時間後に花火があがりました。20分間。第69回気仙沼みなとまつりは、こうして終了。

みなとまつりの多くの関係者、その多くはスローフェスタにも関係していたのではないかと。そんな皆さんにとって、7日の花火は気持ちのよい〈打ち上げ〉の合図になったことでしょう。

お疲れさまでした。ご苦労さまでした。ありがとうございました。
 

テーマ : 気仙沼
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tag : みなとまつり

気仙沼の「PRIDE」

10月29日、WEBサイト「KESENNUMA PRIDE」が公開されました。

トップ画像

「KESENNUMA PRIDE」トップページ5画像中の1画像

WEBサイト「KESENNUMA PRIDE」


私は公開を知ってすぐに拝見。なかなか充実した内容で読みごたえがありました。

サイト紹介文には〈おかえりモネの舞台・宮城県気仙沼市に住む人々の誇りを伝えるwebサイト〉と記されています。「KESENNUMA PRIDE/気仙沼プライド」とはなにか。気仙沼に住む人たちは何を誇りとするのか。

サイトでは「KESENNUMA PRIDE」を、先人たちから受け継がれたスピリットをまちの「誇り」として次代に伝え、 ひとりひとりが心豊かに、自然と共生することとしています。そして、〈先人たちから受け継がれたスピリット〉としてつぎの5つをあげています。

・リアスの海と緑豊かな山や川の恵みを享受していること
・命の源である自然を大切に守ること
・地域ならではの食文化と生活を育むこと
・新しいものを受け入れ、多様性を尊重すること
・自然を敬い、ともに生きること

サイトではこうしたテーマについて、気仙沼のさまざまな人の取り組みを丁寧に紹介しています。そのなかには、気仙沼高校の同級生で美術部の仲間でもあった齋藤益男(ますお)君も。2019年5月まで気仙沼市の教育長をつとめ、現在は気仙沼ESD/RCE推進委員会委員長という立場です。

サイト内容をのぞいてみれば、充実した内容であることがすぐに理解されるはずです。是非ご覧くださいますように。

◎「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会

トップページで示されるテーマは、「Slow City Kesennuma」と「海と生きる」のふたつです。スローシティ気仙沼のメッセージが前面に示されていることから、私ははじめ、気仙沼スローフェスタの実行委員会によるサイトかと思いました。それにしても相当に力が入っているなと。

しかしそれは私の勘違い。気仙沼市の10月29日付け記者発表資料につぎのように記されていました。

〈このたび連続テレビ小説「おかえりモネ」気仙沼プロジェクト実行委員会では、シティプロモーションとして、ドラマの世界観との調和を図りながら、本市の海と山と空の循環に育まれた食文化と生活、自然との共生と持続可能な社会の構築を目指す気仙沼の姿を凝縮した WEBサイト「KESENNUMA PRIDE」を作成しました〉

そうだったのか。なお、このモネの実行委員会は、行政、経済団体、金融機関、まちづくり組織など11団体により2020年8月26日に設立されました。委員長は菅原市長。つぎのブログで紹介しております。

2020年8月31日ブログ「モネの実行委員会」

しかし、このサイトのなかに同実行委員会の名はありません。なぜ、運営主体を明示しなかったのでしょう。サイト構造としては、気仙沼観光推進機構「気仙沼さ来てけらいん」のサブドメインなのですが、同機構の名もなく、著作権者表示は「KESENNUMA PRIDE」です。

情報出所がもっと明確になされれば、この充実した内容の説得力がより強いものになったように思います。しかし、関係団体・組織が多いですからね、簡単なことではないのでしょう。

「KESENNUMA PRIDE」についてはいろいろ書きたいことがありますが、またの機会に。

なお、冒頭に紹介した画像は「KESENNUMA PRIDE」トップページのアニメーション画像の中からの一枚です。5枚の画像すべてに帽子をかぶった女性のイラストが配されています。

これは上述した気仙沼プロジェクト実行委員会のことを考えれば、モネかもね。

明日11月6日そして7日の両日は、気仙沼スローフェスタ2021ですね。「KESENNUMA PRIDE」の浸透や体験のよい機会になることを願っております。楽しい週末をお過ごしください。
 

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tag : KESENNUMAPRIDEおかえりモネ

幻の「古稀祝い会」

きのうのブログで、今週末に内湾エリアで開催される気仙沼スローフェスタ2021の内容を紹介しました。そんな楽しいイベントの紹介をできるのも、新型コロナが一応の落ち着きをみせてくれたからですよね。

私たち気仙沼中学20回生の「古稀を祝う会」は、元々は2020年10月24日に開催予定でした。しかし、新型コロナの関係で1年延期して本年10月30日(土)の開催とされました。延期の知らせを聞いたときは、1年たてばさすがに落ちついているだろうと思っていたのです。

しかし、その考えは甘かった。8月17日に開かれた実行委員会にて中止と決定されました。延期ということではなく開催しないこととなったのです。

結果として10月24日ごろの感染拡大状況をみれば、実行できたのではないかとも思います。しかし、2か月前のあの状況で予定通りの開催を決めることはできなかったでしょう。その決定は正しかったと思います。

私たちの「還暦を祝う会」は、2011年2月12日に気仙沼ホテル観洋で開催されました。その記念写真はつぎのブログでも紹介しました。

2019年11月21日ブログ「気中20回生古稀祝」

本日は、その5年後、今から5年前の2016年9月24日に開催された気中20回生「あれから50年同年会」の写真を再掲しておきます。2016年9月26日ブログ「同年会の記念写真」で正式な記念写真とはちょっと違う記念写真撮影風景として紹介しました。11クラスの3グループにわけての撮影です。


 同年会1

 同年会2

 記念写真4

5年前の写真ですが、やはり5年分若い感じがします。当たり前のことなのですが。

この3枚の写真のうち、はじめの2枚は私が撮影。最後の1枚は、私も被写体のひとりとなるために小松亀一君(3年6組)にお願いしました。

いまあらためて見ると、3枚目は弁護士の亀一君らしく皆の表情がしっかりと撮られていますね。私の写真はまさにスナップで証拠能力にとぼしいような気がします。亀一君、ありがとうございました。

古稀祝いは中止となりましたが、気仙沼の同級生の皆さんがいろいろと知恵をしぼってまた集まる機会をつくってくれることでしょう。「あれから56年同年会」とかね(笑)。
 

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tag : 同年会古稀祝い

SLOW FESTIVAL

気仙沼スローフェスタ2021が今度の土日、11月6日と7日に内湾エリアを中心に開催されることは10月26のブログでも紹介しました。


 sfポスター1015-2-1


10月26日の段階では、公式サイトにおける出店者情報が準備中になっているところもありましたが、現在は詳しい情報が掲載されています。

また昨日は、スローフェスタのパンフレットが完成したと、実行委員会がツイートしていました。


なんかとても面白いイベントになりそうですね。アトラクションエリアでのライブや地元の伝統民俗芸能のプログラム、そして飲食・物販エリアへの出店者リストをながめていると、なんというか、今年の行事開催が取りやめとなった気仙沼みなとまつりや産業まつりなども統合したイベントのような感じもいたします。

このイベント会場への入場には、事前申込が必要です。当日の会場入場ゲートにおいても申込受付をするとのことですが、感染症予防対策と混雑回避のため事前の申し込みをお願いしているとのことです。

スローフェスタの詳細内容や事前申し込みについてはつぎのサイトにて。

気仙沼スローフェスタ公式サイト

とても盛りだくさんのプログラムで、50数年前に高校生だった私であれば2日間をめいっぱい楽しんだことでしょう。気仙沼の人がうらやましい。その一方で、私が心配してどうなることでもないのですが、来年の「みなとまつり」「産業まつり/市場で朝めし」「スローフェスタ」それぞれの開催時期をどのように案配するのか、知恵のしぼりどころかもしれません。

体験・展示エリアや、シンポジウムなど、上記の入場申し込みとは別に事前申し込みが必要となるプログラムがあるのでご注意ください。早めのお申し込みを。本日は10月26日のブログ内容の補足情報ということで。どうぞよろしく。

10月27日ブログ「産業まつりは中止」

 

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tag : 気仙沼スローフェスタ

おかえりとただいま

10年前の2011年11月1日、気仙沼にほぼ日の支社ができました。この「気仙沼のほぼ日」創立の日でもある昨日、糸井重里さんが気仙沼を訪れてくださいました。午後の「ラヂオ気仙沼」番組にも10分ほど出演し、気仙沼との縁がどのようにしてできたのかなどについても。宮城県庁の〈山ちゃん〉こと山田さんのお名前なども話の中に登場していました。

きのうのブログでも紹介しましたが、糸井さんらの気仙沼訪問の様子はつぎのサイトでテキスト中継されました。

ほぼ日
おかえり気仙沼、ただいま気仙沼。

そして本日11月2日のほぼ日「今日のダーリン」で糸井さんは気仙沼訪問のことを記していました。末尾には〈気仙沼、きっと、もっともっとおもしろい町になって行くよ〉とも。ありがとうございます。

さて。11月1日は「気仙沼のほぼ日」の事務所開設の日でありますが、〈お開きの日〉でもありました。2019年11月1日に8年間の拠点活動に一区切りつけたのです。

本日は、2019年11月1日のブログを再掲します。ご覧いただければすぐわかるように、このブログでは、同日の三陸新報に掲載された、ほぼ日さんへの御礼広告を紹介しました。

私は、この広告のイラストレーションが、「おかえりモネ」の最終回ラストシーンのイメージと重なりあったことにおどろきました。

おかえりモネで見送られたのは亮ちん/永瀬廉さんでしたが、2年前の広告で船にのり五色のテープを手にしているのは糸井重里さんです。2年前のブログ、どうぞお読みください。


2019年11月1日ブログ再掲

◎今日は「出船送り」

きょうは「気仙沼のほぼ日」さん〈お開き〉の日です。2011年11月1日の事務所開設からちょうど8年間。糸井重里さんをはじめほぼ日の皆さんには本当にお世話になりました。

2012年11月1日、糸井さんは〈ほぼ日/今日のダーリン〉でつぎのように記しています。

「今日、11月1日は、『気仙沼のほぼ日』ができた日です。なにをするか、あんまり大きなことは言えないけれど、居場所があれば、「忘れない」ということだけはできる。そのくらいの気持ちで、はじまったことです。とにかく、「二年はいる」と約束しましたが、もう一年経っていました。あと一年は‥‥ちょっと短いかなぁ‥‥。二年という時間を、それなりにちゃんとした長さとして決めたつもりでしたが、想像以上に短いものですね」2012年11月7日ブログで紹介)

「2年はいる」との約束が8年間にも。気仙沼の多くの人の胸にある、一言ではとても言いつくせない感謝の気持ち。その思いを込めた広告が本日の地元紙「三陸新報」に掲載されています。


気仙沼のほぼ日
三陸新報11月1日掲載広告より


糸井さんらには内緒で進めた広告企画だったようです。お声がけいただき私の名も加えてもらえたのはなによりのことでした。本日の三陸新報は記事面でも、気仙沼のほぼ日閉所を、8年前の開設時の糸井さんがうつる写真とともに伝えています。

今朝、気仙沼でこの感謝広告を見た糸井さんのツイッターでの反応はこちらです。

七福神とともに糸井さんがのる船の帆には、丸にほぼ日のほ。マルハならぬマルホの印です。出船送りの人々のなかにはラグビー日本代表リーチさんも?。この小技をきかしたイラストレーションは、きのうのブログでも紹介した奥原しんこさんによるもの。

文章もよかった。みんなの気持ちをくみとってやさしい言葉にしてくれました。きょうのブログは、余計なことを書くよりも、この広告の文章を引用させてもらいお開きといたします。


8年前、あの大混乱の中での事務所開設に
私たちはどれだけ励まされたことでしょう。
一緒になにかを起こすたび
新しい視点を教えていただきました。
そして「楽しさ」を学んだこと
それこそが、私たちがほぼ日さんから授かった宝です。
今日でお開きになるのは少しさびしいですが
この宝が消えることはありませんし
いつでも「おかえりなさい」です。
なぜならここは港町・気仙沼。
紙面でにぎやかに
気仙沼のほぼ日さんを出船送りいたします。

ありがとうございました
「気仙沼のほぼ日」さん



再掲内容は以上です。

広告のなかに〈いつでも「おかえりなさい」です〉という言葉がありました。〈なぜならここは港町・気仙沼〉とも。

糸井重里さんが、この11月1日や3月11日といった日に、こうして気仙沼を訪れてくださることを本当にありがたく感じております。心からお礼を申し上げます。

そして「おかえりモネ」。その最終週、最終回は、まさにいろんな人のいろんな形での〈出船送り〉だったんだなとあらためて感じました。

きのうのブログで紹介したサユミさんの「日記」最終回/10月19日放送分はつぎのように結ばれています。

〈出ていく人には、いってらっしゃいと元気よく。帰ってきた人には、おかえりなさい。気仙沼はそんな街です。〉

おかえりモネと2年前の御礼広告のイメージが交錯して、なにがなにやら。そしてそれがとてもここちいいのです。

11月1日ブログ サユミさんの「日記」

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

サユミさんの「日記」

NHK「おかえりモネ」がおわってしまいましたね。放送開始が5月17日でしたから10月29日までの全24週/全120回でした。

もうひとつおわってしまって残念なのが、気仙沼観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」で連載されていた「おかえりモネが楽しみすぎる日記」です。1週間分のドラマ各回を、「サユミ」さんがイラストと文で紹介してくれました。「気仙沼クルーカード」アプリでの先行配信をご覧になっていた方も多いことでしょう。


第1回

2020年6月11日更新 初回画面より(画像クリックでジャンプ)


サユミさんは月曜から金曜まで、毎回しっかりとこのドラマを見て、読み込んで絵を描き文章をつづってきたわけです。全120回分と放送開始前の14回。すごいですよね。

私は毎週、この〈日記〉を読んで、なるほどなあと感心することばかりでした。たとえばと、その一例を紹介しようとも思ったのですがやめました。読んでいただければ、ドラマ理解と表現の彩度と深度がすぐにわかるでしょう。

私はおかえりモネの重要回は録画を消さずにおります。放送は終了しましたが、これからはサユミさんの「楽しみすぎる日記」を復習しながら、ドラマの展開を振り返ってみようと思っています。和田誠さん流にいえば〈お楽しみはこれからだ〉。

サイト「気仙沼さ来てけらいん」のつぎの一覧から全24週分と放送開始前14回分を見ることができます。

気仙沼さ来てけらいん/モネ日記

◎沼のハナヨメ。

ちょうど6年前、2015年11月1日にサユミさんの連載記事が始まりました。ほぼ日さん「気仙沼のほぼ日」での「沼のハナヨメ。」です。当時、サユミさんは気仙沼のほぼ日に勤務していました。最終回212話は、4年後の2019年。これも11月1日。

この連載もすごかったですね。楽しかった。「楽しみすぎる日記」と作風はことなりますが、その違いにサユミさんの表現の試行錯誤が感じられます。切磋琢磨というべきか。

「沼のハナヨメ。」はいまでも楽しむことができます。ほぼ日さんのご厚意によるものでしょう。つぎの一覧からぜひに。

「沼のハナヨメ。」全212話一覧

サユミさん、すばらしい「日記」の連載、本当にご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。なにかまた新しい連載の開始を楽しみにしております。

◎おかえり気仙沼、ただいま気仙沼。

2011年11月1日、気仙沼にほぼ日の支社ができました。糸井さんは今朝、〈11月01日は、1101の日。1101.comの日です。「気仙沼のほぼ日」創立の日でもあるので、いま、そっちへ向かっております。〉とツイートしていました。

その様子は、ほぼ日さんのつぎのサイトでテキスト中継されています。どうぞご覧ください。

ほぼ日
おかえり気仙沼、ただいま気仙沼。

 

テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/72~73歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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