室根マツリバ行事
室根神社特別大祭/マツリバ(祭場)行事が今週末、10月26日から28日までの3日間、岩手県一関市室根町のJR大船渡線「折壁(おりかべ)」駅近くでとりおこなわれます。相馬野馬追い、塩竃祭りとともに「東北3大荒祭り」のひとつとされています。
一関市観光サイトより
一関市観光サイト「室根神社特別大祭 マツリバ行事」
国の重要無形民俗文化財も指定されているこの祭は、奈良時代の養老2年(718)に紀州熊野大社/熊野神(くまののかみ)の分霊が室根山に勧請(かんじょう)されたことにちなむものです。そして今年2018年は、それから1300年になることから〈勧請1300年祭〉ともされています。
特別大祭の日は、熊野神が勧請された旧暦閏年(うるうどし)翌年9月19日とされ、同17日からがマツリバ行事とされてきましたが、平成19年からは新暦10月最終週の金土日の開催となっています。近年の室根神社特別大祭開催年を調べてみると、2010年、2013年、2015年、そして今回の2018年となります。新暦(太陽歴)閏年は約4年に1度ですが、旧暦(太陰暦)では閏年・閏月の数え方がずいぶん違うようです。
室根神社とマツリバ行事は、気仙沼市唐桑町とも深いつながりを持っています。今から1300年前に、熊野神の分霊をのせた小舟が黒潮にのり5か月をかけて到着したのは現在の気仙沼市唐桑町舞根(もうね)でした。鮪立(しびたち)に到着し舞根神社を仮宮としたとの説明も見かけましたが、その鮪立は舞根を含む地域名という可能性もありますね。(追記:室根神社の縁起などでは、唐桑浜の鮪立に到着し仮宮に安置された後、舞根に移されたとしているようです。こうした経緯についてはあらためて紹介しようと思います)。大祭/マツリバ行事が唐桑湾からの「御潮(御塩)汲み」から始まるのは、このことに由来します。祭の様々な役割は「神役(じんやく)」と呼ばれ、古くからその役を担う各地区の家々が定められていますが、そのひとつ御塩献納役(御塩役)は舞根の「畠山家」が務めています。
その畠山家との関係はわかりませんが、舞根の畠山重篤さんはその著書『森は海の恋人』の一節〈森の神と海の神〉をつぎのような「御潮汲み」の情景ではじめています。
「夜も明けやらぬ気仙沼湾口で、肌を突き刺す冬の季節風を真正面に受けながら、遙か彼方に見え隠れする霊峰室根山に向かって手を合わせている白装束に身を固めた漁民の姿があった。やがて、小船の魚艙(かめ)の中から取りだした、花瓶のような竹筒に海水を汲み、もう一度、うやうやしく山に手を合わせると、舞根の港を目指して船を静かに進めた。白装束の漁民は、これから始まる室根神社大祭の、清めの海水を汲んでいたのである。(中略)
因みに、舞根(もうね)の語源は牟婁峯(むろね)といわれ、そのルーツは、遥か和歌山県牟婁郡へと、黒潮の路づたいに続いているのである。このような歴史的繋がりから、室根村の人びとは、私たちを舞根さんと呼んで、日頃から親しみを感じている間柄であった。」(引用は以上)
重篤さんはこの後、室根山に木を植えるという漁民の想いを当時の室根村 加藤村長さんに伝えたときの様子を記しています。加藤村長は、神社にほど近い見晴らし広場と呼ばれる神社林を解放する手はずを整えてくれたといいます。実にありがたいことです。舞根と室根の1300年近くの縁がなければ、「森は海の恋人」の活動もいまとは違ったものになっていたかもしれません。
以前にこのブログでも紹介した郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の2017年公演や今年の東京公演は〈熊野神勧請1300年記念バージョン〉として演じられました。340年ほど前、海の古道/黒潮は紀州から唐桑に鰹一本釣りの漁法を伝えてくれました。そして1300年前には熊野神も。マツリバ行事は、陸にあがった分霊の後日譚(ごじつたん)といってよいかもしれません。熊野から唐桑へ、黒潮によってつながれた縁が、さらに室根へとつながるネクストストーリーです。
今週末の室根神社祭/マツリバ行事は、室根地区の人たちはもちろんのこと、唐桑の人たちにとっても特別な祭となることでしょう。
一関市公式サイト「室根神社特別大祭について」
一関市公式サイト「室根神社特別大祭の歴史」
一関市観光サイトより
一関市観光サイト「室根神社特別大祭 マツリバ行事」
国の重要無形民俗文化財も指定されているこの祭は、奈良時代の養老2年(718)に紀州熊野大社/熊野神(くまののかみ)の分霊が室根山に勧請(かんじょう)されたことにちなむものです。そして今年2018年は、それから1300年になることから〈勧請1300年祭〉ともされています。
特別大祭の日は、熊野神が勧請された旧暦閏年(うるうどし)翌年9月19日とされ、同17日からがマツリバ行事とされてきましたが、平成19年からは新暦10月最終週の金土日の開催となっています。近年の室根神社特別大祭開催年を調べてみると、2010年、2013年、2015年、そして今回の2018年となります。新暦(太陽歴)閏年は約4年に1度ですが、旧暦(太陰暦)では閏年・閏月の数え方がずいぶん違うようです。
室根神社とマツリバ行事は、気仙沼市唐桑町とも深いつながりを持っています。今から1300年前に、熊野神の分霊をのせた小舟が黒潮にのり5か月をかけて到着したのは現在の気仙沼市唐桑町舞根(もうね)でした。鮪立(しびたち)に到着し舞根神社を仮宮としたとの説明も見かけましたが、その鮪立は舞根を含む地域名という可能性もありますね。(追記:室根神社の縁起などでは、唐桑浜の鮪立に到着し仮宮に安置された後、舞根に移されたとしているようです。こうした経緯についてはあらためて紹介しようと思います)。大祭/マツリバ行事が唐桑湾からの「御潮(御塩)汲み」から始まるのは、このことに由来します。祭の様々な役割は「神役(じんやく)」と呼ばれ、古くからその役を担う各地区の家々が定められていますが、そのひとつ御塩献納役(御塩役)は舞根の「畠山家」が務めています。
その畠山家との関係はわかりませんが、舞根の畠山重篤さんはその著書『森は海の恋人』の一節〈森の神と海の神〉をつぎのような「御潮汲み」の情景ではじめています。
「夜も明けやらぬ気仙沼湾口で、肌を突き刺す冬の季節風を真正面に受けながら、遙か彼方に見え隠れする霊峰室根山に向かって手を合わせている白装束に身を固めた漁民の姿があった。やがて、小船の魚艙(かめ)の中から取りだした、花瓶のような竹筒に海水を汲み、もう一度、うやうやしく山に手を合わせると、舞根の港を目指して船を静かに進めた。白装束の漁民は、これから始まる室根神社大祭の、清めの海水を汲んでいたのである。(中略)
因みに、舞根(もうね)の語源は牟婁峯(むろね)といわれ、そのルーツは、遥か和歌山県牟婁郡へと、黒潮の路づたいに続いているのである。このような歴史的繋がりから、室根村の人びとは、私たちを舞根さんと呼んで、日頃から親しみを感じている間柄であった。」(引用は以上)
重篤さんはこの後、室根山に木を植えるという漁民の想いを当時の室根村 加藤村長さんに伝えたときの様子を記しています。加藤村長は、神社にほど近い見晴らし広場と呼ばれる神社林を解放する手はずを整えてくれたといいます。実にありがたいことです。舞根と室根の1300年近くの縁がなければ、「森は海の恋人」の活動もいまとは違ったものになっていたかもしれません。
以前にこのブログでも紹介した郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の2017年公演や今年の東京公演は〈熊野神勧請1300年記念バージョン〉として演じられました。340年ほど前、海の古道/黒潮は紀州から唐桑に鰹一本釣りの漁法を伝えてくれました。そして1300年前には熊野神も。マツリバ行事は、陸にあがった分霊の後日譚(ごじつたん)といってよいかもしれません。熊野から唐桑へ、黒潮によってつながれた縁が、さらに室根へとつながるネクストストーリーです。
今週末の室根神社祭/マツリバ行事は、室根地区の人たちはもちろんのこと、唐桑の人たちにとっても特別な祭となることでしょう。
一関市公式サイト「室根神社特別大祭について」
一関市公式サイト「室根神社特別大祭の歴史」