あなたは、その「何様」でしかない
傲慢な人間を戒める言い方が世間によくある。
「お前1人で生きているんじゃないぞ」
「世界がお前を中心に回っていると思っているのか」
あたりはよく聞くと思う。
ところが、事実は、1人で生きているのである。
他人など存在しない。
ただし、人が自分と思っているものも、本当は存在していない。
正しく1人で生きてこそ、他人、あるいは、自分という幻想とも折り合っていけるのである。
世界は自分を中心に回っているのである。
もちろん、物理的な意味ではない。
ただし、人が自分と思っているものも世界と一緒に私を中心に回っているのである。
「何様のつもり」の「何」とは何だろうか?
そこには、「神」が入ることを暗示しているのだろうか?
なら、もっとはっきり、「お前は神様のつもりか」と言えば良い。
「つもり」ではなく、その通りなのだから。
ただ、織田信長を演じる役者が織田信長でないように、神様を演じる者は神様ではない。
演じる限りは、本物ではない。神様が神様を演じることはできない。
ある有名人の映画を作る時、その有名人自身が他人のふりをして応募した。そして、見事採用されたが、彼は言われる。
「ちっとも本物らしくない」
彼が自分を演じたからだ。
我々は、子供の時からこう言われる。
「自分らしくありなさい」
「規則に従いなさい」
我々が混乱した人間にならざるを得ないのは当然のことだ。
自分らしくあるなら世間の規則に従えるはずもなく、規則に従えば自分らしくない。
世間はあなたに「自分らしくあれ」と本気で言いはしない。「自分らしくあるふりをしろ」と言うだけだ。
それで、「自分らしく」を、せいぜいが、下らないファッションや乗る車や奇行で演じるしかなく、ますます自分から外れ、やり過ぎると病気になってしまうのである。
「何様のつもり」という言葉には、「つもり」という否認の言葉が入っている。つまり、「お前は、その何様ではない」と言っているわけでである。
既に言ったように、「何様」は、「神様」を示唆するので、率直に言えば「お前は神様ではない」と言っているのである。この回りくどい言い方が問題だ。
素直に言ってくれれば答えやすいのに。
答えは、「神様のつもりなどではない、神様だ」である。
しかし、再度言うが、神様を演じる限りは神様ではない。演じるというのは、世間のイメージに合わせることだ。世間で考える神様、人の想像した神様など知ったことではない。
役者が、本当の自分が誰なのかを知りたければ演じるのをやめれば良い。
あなたも、押し付けられた役としての自分を演じることをやめれば、自分が本当は誰かを知る。その本当の自分が神なのだ。
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