アイドル
アイドル(idol)というのは、単に人気者という意味と共に、「偶像。崇拝される者」という意味があり、理想の男性像や女性像を示しているのだと思う。
自分の両親や、姉や兄に理想を見出せれば良いのだけれど、現実にはなかなかそうはいかないので、偶像といったものも必要かもしれない。
ただし、エンターテインメント(娯楽の演芸や小説)の差し出すアイドルは、あくまで収益を目的としており、本当に素晴らしい人物像を提供することは、まずない。
そして、自分が持つ男性や女性の理想像が、自分の人間性に大きな影響を与えることは、おそらく確かと思えるので、持つなら本当に素晴らしいアイドルであることが大切だろう。
イエス・キリストのような偉大な人物は、理想として最高かもしれないが、それはあくまでその人物の本質を正しく理解できればの話であり、それは非常に難しいことと思う。ただし、純粋な心を持つ者には容易なことかもしれないが。
ところで、「オデュッセイア」の主人公であるオデュッセウスなどは、まさに理想の男性像であり、しかも、英雄ではあっても、ある意味、普通の男である。
(「オデュッセイア」は、ギリシャ神話の後半部分にあたるトロイア戦争を描く「イーリアス」の続編で、トロイア戦争後に、勝利したギリシャ軍の英雄オデュッセウスが故郷に帰還するまでの物語。ホメーロスの叙事詩で語られる。)
オデュッセウスには、ヘラクレスのような人間離れした力がある訳ではないし、アキレウスのように不死身でもない。超人的な粘り強さや気力を維持した原動力は、再び妻や子に逢いたいからという、平凡なものである。
とはいえ、妻や子に逢うことができなくなるとしても、人の道を外れないためには死の危険にも立ち向かう。
このような、本物の男を知らないから、作られた安っぽいアイドルに熱を上げるのではないかと思うこともある。
オデュッセウスは一例で、優れた文学は、理想の男性像や女性像の宝庫である。
小説を読んだり、ドラマや映画を見る目的の1つは、やはり理想の人間像を見たいということがあると思う。
理想の人間像とは、欠点のない人間のことではない。オデュッセウスにも欠点はあるし、それはいかなるアイドルにおいてもそうである。
国家などが思想統制に利用するアイドルには人間的欠点がない。そんなアイドルはむしろ危険なことが分かる。
しかし、安っぽいアイドルに群がるのは、やはり本物に目を向けないからであると思う。
エマーソンは言うが、いかなる英雄であれ、それは自分なのである。安っぽい英雄やアイドルを崇拝することは人生の損失であり、人間の悲惨である。
【精神について (エマソン名著選) 】 いかなる英雄の物語も、自分のことであると考えないといけない。アメリカ最大の賢者エマーソンは、エッセイ「歴史」の中でそう説く。プラトーンの頭脳も、シーザーの手腕も、イエスの愛も、シェイクスピアの詩も私のものである。 他に、このアメリカ最大の賢者の、「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」という珠玉のエッセイを収録。 |
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