正月気分でずっと過ごす
「正月気分」という言葉がありますね。
これは、比較的、悪い意味で使われることが多いのではないかと思います。
しかし、なぜ正月気分が悪いのか、全く疑問です。
正月気分とは、楽しい気分であるはずです。
ご馳走を食べ、酒を飲み、家族が集まり、普段は離れている兄弟姉妹が顔を合わせて楽しく過ごす。
いつもこんな気分で過ごせるなら素晴らしいことであると思います。
あるいは、「クリスマス気分」とかでも良いでしょう。
お正月やクリスマスは、ゴールデンウィークなどの、単なる連休とは異なり、特別な意味を感じる分、さらに気分が良いのではないかと思います。
子供達にとっては、「夏休み気分」が最高かもしれません。日本の大人にとっては、夏休みに相当する盆休みは、色々忙しいこともあり、あまり良い印象がないかもしれませんが、それでも、学校時代の夏休みを思い出せば、悪いものではないと思います。
指摘するなら、お正月、クリスマス、夏休みの特別な気分とは、新しく生まれ変わるということではないでしょうか?
これまでの自分や、それに付いていた不要なものを捨て去り、真新しい存在になれるのです。
これまでの自分は、もはや「それ」なのです。古くからある偉大な言葉、「私はそれではない」は、こうして成就されます。
コリン・ウィルソンの本には、クリスマスや夏休みを、人間にパワーを回復させるヒントを与えるものとして、よく取り上げています。
コリン・ウィルソンの生涯をかけた目的は、人類の人間性の回復という壮大なものです。23歳で「アウトサイダー」を書いて一夜で世界的作家になって以来、70歳をずっと超えた現在も、それは変わりません。
日常の中で、心身共にくたびれ、憂鬱に陥り、活力を失って、人生が重く辛いものにしか感じられず、何のために生きているのか分からない文明社会の人々に、生の本当の意味を取り戻させ、充実した輝かしい人生を生きて欲しいというのが、ウィルソンの願いのはずです。
これをウィルソンは、「疲れ果ててくたくたの状態でも、自分の好みのタイプの女性がヌードで現れれば、たちまち力の感覚が甦るだろう」と極端に分りやすく表現したこともあります。
そして、子供達が、クリスマスの朝にクリスマス用の飾り付けを見た時の瞳の輝きや、夏休みの前日の幸福な表情といったものが示す、喜びや期待感がどれほど重要で素晴らしいものであるかを強調しています。
特に、私のような引きこもり気質の場合は、学校は辛いことが多く、子供の頃の夏休みの前日の気分を思い浮かべると、今でも大きな幸福感が甦ります。
幸福な感覚がどんなものか分かるというのは、実に素晴らしいことです。その気持ちで生きれば、必ず幸福になれます。
それは高揚感という言葉で現すことができるでしょう。
高揚の正確な反意語はありませんが、埋没とか沈み込んだ感じがそれに当たると思います。
天使は高く舞い上がりますが、地獄に落ちることは不幸なものです。
「鳥になる」という言葉は幸福を感じさせます。人が鳥になりたがるのは、重力を解き放って全てを捨てれば幸福になれることを知っているからです。
真実の恋は「陥る」ものではなく、シャガールの絵のように空に舞うことです。陥った恋は不幸の予感かもしれません。
「お正月」「クリスマス」「夏休み」・・・最も幸福に感じることができるもの、あるいは、かつて感じた幸福感を思い出せるもの。それらがもたらすような気持ちを常に持って生きるべきです。
レクイエム 非常に霊的なアーチストである彩月(さつき)さんの「レクイエム」と「鳥になる時」が収録されたCD。作詞、作曲も彩月さん自らが行っています。 不思議なほど明るい感じの「レクイエム(鎮魂歌)」も、「鳥になる時」も、神秘を秘めた驚くべき作品と思います。音楽と言うのは、1曲の中に哲学書1冊を封じ込めることができるとつくづく感じました。 NHKアニメ「コレクター・ユイ」のオープニングおよびエンディング曲です。 |
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Comments
正月は冥土の旅の一里塚
嬉しくもあり悲しくもあり・一休禅師
人の悟りを得るというは
水に月の宿るが如し
月濡れず水破れず・道元禅師
Posted by: taku | 2010.01.17 12:51 AM
★takuさん
学があるなあ。
冥土の旅って、なんか楽しそうです。
Posted by: Kay | 2010.01.17 07:32 AM