不治の精神病者はガス室へ『夜と霧の隅で』
きっかけはこのツイート。
人工透析のあり方を叩いていた人は、北杜夫の「夜と霧の隅で」も読んだことはないだろうな。ナチスが一番最初に大量殺戮したのは、ポーランド人でもユダヤ人でもなく、偉大なるドイツ帝国建設に役立たないとされた精神病者や障碍者だった事実。
— 半歩前進 (@hanpozenshin) 2016年9月27日
北杜夫といえば『どくとるマンボウ』や『楡家の人びと』しか読んでいなかったが、こんな重い話を書いていたなんて。しかも、これで芥川賞を受賞していたなんて。hanpozenshinさん、ありがとうございます。
そして、読んだら頭を殴られた。これは、治る見込みのない精神病患者を「無益な人間」として安楽死(本文では安死術)させる話。知能に障碍を持つ子どもが次々とバスに乗せられる冒頭は、映画そのもの。どこか空想上のディストピアではなく、第二次大戦時のドイツだ。ナチスは「遺伝病子孫防止法」を1933年に制定し、一年間で5万6千を超える遺伝性精神病者の断種手術を遂行する。
国家による精神病者の安楽死、正気の沙汰とは思えないが、(当時の)科学的に正しいという名のもとに行われていたという。V.E.フランクル『夜と霧』[レビュー]にこうある。ブッヒェンワルト収容所の章だ。『夜と霧』の初版が出たのが1956年なので、冒頭のシーンはここに想を得たのかも。
リムブルクから約八キロのハダマールの小さな町に……ここ数ヵ月、安楽死を組織的に遂行している機関があります。週に数回、このためにかなりの犠牲者を乗せたバスがハダマールに到着しますが、田舎の小学生はこの車の事を知っていて「また殺人箱がやって来た」と申します。
静謐な文体で淡々と描かれる狂気は、生真面目さを通り越して一種の黒いユーモアさえ感じられる。ナチスから患者を守ろうとする医師が主人公なのだが、彼がやっていることは「正しい」ことなの? と読み手に疑義を抱かせるような書きっぷりが興味深い。
なぜなら、よかれと思ってやる医師の行動が、次第に常軌を逸してくるから。そのまま穏やかな治療を続けるならば「治る見込みなし」としてガス室に送られてしまう。ならば一か八かの賭けに出て、思い切った施術で患者を救おうとする。電気ショック療法や頚動脈注射、ロボトミーまがいの不慣れな開頭手術を強行し、陰惨な結果を引き起こす。「科学的に正しい」という確信のもとに、患者を「救うため」、結果的に強制収容所での人体実験と変わらないようなことになる。
次々と失敗する「治療」の中で、ほとんど唯一といっていいほど上手くいっている患者がいる。ユダヤ人の妻をめとった日本人で、彼の不安定な内面を詳細に描くことで読み手に気を持たせ、物語の駆動力とさせている。この日本人といい、医師といい、狂気の中で正気を見分けるのは難しいことを痛感させられる。
Wikipediaの[ニーメラーの言葉]にも「不治の病の患者」があった。ここに引いておく。
ニーメラーの言葉
ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
彼らが不治の患者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は不治の病の患者ではなかったから
彼らがユダヤ人たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私はユダヤ人ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
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コメント
こないだ『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』を読んで衝撃を受けましたが、北杜夫がこのテーマを書いていたことは初めて知りました。読んでみたいです。それにしても、ユダヤ人虐殺に比べて障害者虐殺の知名度がずっと低いのも、一種の差別なのでしょうか。
投稿: hachiro86 | 2016.09.30 22:04
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投稿: Dazz | 2016.09.30 23:05
>>Dazz さん
記事の本文の末尾と「お知らせ」の間に、tweetやfacebookボタンと伴に実装されています。
投稿: Dain | 2016.10.01 08:24
>>hachiro86さん
逆にその本は知りませんでした。リンク先のご紹介を読むと、いかに凄まじいことが淡々と(内密に?公然と?)行われていたかが分かります。ぜひ実際に手に取って読みたいです。
教えていただき、ありがとうございます!
投稿: Dain | 2016.10.01 08:25
前略 お久しぶりです。私は一年前のEテレの番組で知った史実で。だから件のフリーアナウンサーの主張も(拝見する前に)、反面教師と気づいていました。ニーメラーの言葉も科学者の伝記で(改めて)知った後だから。草々
投稿: 大塩高志 | 2016.10.01 23:42
>>大塩高志さん
コメントありがとうございます、この事実、ほとんど知らなかった自分が恥ずかしいです。そして、この記事をきっかけに詳しく知ることができてありがたいです。
投稿: Dain | 2016.10.05 22:21