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カテゴリー「本」の34件の記事

2017年1月 5日 (木)

『ビニール傘』を読んだ

  知人の 岸政彦氏が書いた小説「ビニール傘」をやっと読む事が出来た。

 生活史の聞き取り調査をしている社会学者の著者が初めて書いたこの小説は、女性客を乗せたタクシー運転手の視線から始まって、登場人物の目に映る光景が淡々と書き出されていく。「断片的なものの社会学」での 氏の視線に似ているなと思っていると、いつのまにか別のシーンにいた。丁度グーグルストリートビューで街を眺めているときに、そこに映り込んだ何か、ポストとか、看板とかをよく見ようとズームした後、元に戻ろうとすると今までいた道ではない、どこかずれた、別の、思いもかけない場所が目の前に現れるように、話はズームし少しずつ場所と人を変えながら、なめらかに進んで行く。
違う人なんだけど何かが重なっている。ふと立ち止まって後ろを振り返ったときに別の登場人物の人生が見えたら、それが自分の人生だとなんとなく納得してまた歩き出してしまいそうな、覚束ない感覚が続く。出来事が指の間からすり抜けて、そのすり抜けた瞬間だけ自分の人生を感じられる、そんな心許なさ。

 後半、極々若い、女の子と言ってもよい人物が登場する。この子が語る出来事は、前半に登場してきた登場人物達のものよりは遥にはっきりしっかりしている。それは彼女が生きている事の覚束なさに囚われるにはまだ若すぎるだけなのかもしれない。ならば彼女は年を重ねるうちに、前半に出てきた人達の様に心許なくなってしまうのだろうか・・・

 
 私は新聞などに小さく載せられた、孤独に死んだ人や、情けない小さな事件に巻き込まれて命を落とした人が、少し間違えれば我が身に起こっていたのではという気持ちによく襲われる。たまたま、運良く、難にも遭わず屋根の下で暮らしているが、何処かで違う選択、判断をし、別の出来事に遭遇していたら、彼らの代わりに私が冷たくなっていたのかもしれないと思い、親近感では決してなく、ただその人達と自分との境、違いが判らなくなって落ち着かない気持ちになることがある。この作品を読んで、その不安な気持ちが説明され、共感され(そう、この小説は共感を求めるのではなく読者に共感するのだ)、ほっとした気持ちになった。そして少し救われた。

2016年12月 2日 (金)

トールキンを読んでいる(加筆改訂版)

 昨日から師走です。SNSで「ロードオブザリング」を読んでいると申告してからほぼ丸一年経った事になります。それにも関わらず、私は未だに現在進行形の「読んでいる」です。どうしてこうなったのか、その理由を、読み始めるきっかけ共々縷々綴ってみたいと思います。

 松本市の図書館にトールキンの"The Hobbit"邦題『ホビットの冒険』があったことがそもそもの始まりです。去年の十一月に、現実逃避が出来て面白そうだし英語の勉強にもなるかもと、手に取りました。難しかったら返せばいいわと気楽に読み始めたのですが、これが平易で読みやすい文章の所々に、それより少し難しい単語や構文が良い塩梅に配置されていて、言語学者が子供向けに書くと(実際著者の子供のために書かれたのが最初らしいです)こんなに読みやすく勉強にもなる文章になるのかと、舌を巻きました。そして文章自体も素晴らしく、いい年したおばさんではありましたが私は熱中してしまいました。

 この図書館には「指輪物語」の原書もあります。ホビットを読み終えた私は、年末休館での貸し出し期間延長に合わせて、原書の方を借りました。その時何を血迷ったのか三巻に別れたのではなく一冊のやつを。書庫から司書さんが担いできたそのハードカヴァーは、総頁数1193、漬け物石なみに重い代物だったので、間違いなので書庫に返してとは言えず、泣きながら家に背負って帰りました。
見込み違いはもう一つあって、「ホビット」を書いたときにはまだ子供だった著者の息子さんは、「指輪」を書く頃には難しい文章も読める年頃になっていたらしく、文章のお子様配慮がほぼ消え、トールキンの独自の言語と世界が遺憾なく展開されていました。この本の中で一番判りやすかった文章が、現代社会で通じる言葉しか出ていない巻頭の"Foreword to the second edition"(第2版に寄せて第2版序文)だったといえば、ご理解頂けるでしょうか。それでもお話しは読めば面白いので頑張って読みました。
当たり前ですが返却期限が来ても読めたのはごく僅か。このまま延長してもとても読み切れそうもなかったので、諦めて1300円のKindl版を買い、凶器の様に重い本は図書館に返しました。最初からこうすればよかったのにね;^_^A

 それから返却期日を気にせずトールキンに浸る日々が始まったのですが、2月のある日、目次にあった"Note on the text"(この場合テキスト覚え書き?備考かな?)なる文章を読んでみたのが運の尽きでした。

 これが何回読んでもややこしすぎて理解できない。最後まで読めないだけでなく、読む端から何が書いてあったのか忘れていく。多分日本語で書いてあっても私には判らないと思います。これを読み始めた日から、私は本文を殆ど読めなくなってしまいました。
この備考には、何が書かれているのかというと、この本が発行された直後から著書が被った、印刷工、編集者などによる誤字誤植、そのほか考えられる限りの災難が延々と書き記されているのです。

 54年の初版出版時、戦後の紙不足のせいでこの本は三巻に分けて出版される事になりました。その第一巻には、印刷工、編集者などによる誤字誤植、写植工さんの善意の直しによる誤植などが沢山ありました。一例を挙げるとdwarvesがdwarfsにelvishがelfishに、nasturtiansがナスタチウム(nasturtiums)などになっていて、著者の造語や語源に配慮した精緻な言葉使いに多大な打撃と混乱をもたらしました。一巻の第2刷がその年の12月に出たのですが、実は印刷屋さんが一巻の活字をバラしておりまして、著者にも出版社にも知らせずに組み直したために、普通の文章ならまともでも、トールキンワールドから更にかけ離れたものが刷り上がってしまいました。いつかつけると序文に書いた用語説明もつけられないまま、3巻目が出版されたのはその翌年。それからほぼ十年間、混乱しきった版は刷り続けられました。

 米で間違いだらけの海賊版が出たことなどを間に挟み、トールキンは最初の改訂に着手し、65年に米国から出ました。この版は序文が直され、簡単な用語解説などの巻末付録をつける事が出来ました。しかしトールキンがその本の実物を手にしてみると、想像以上に間違いが多い。トールキンはその訂正を送り、刷られる度に直しが入ったのではありますが、いつも正しく訂正された訳ではなかったので、その訂正自体が更なる混乱を引き起こし、どうしたものか英国での三巻揃った改訂版出版まで遠のいてしまったのでした。トールキンは一度は改訂版について書こうとしたのですが、余りの混乱で出来なかった模様です。

 1966年、英国でもやっと三巻揃っての改訂版が出るやに思えたのですが、米国版で使われた改訂原稿の一部紛失という、まれにあるけどここで起こるとは、な出来事が発生し、英国の出版社はやむなく間違いの多い最初の改訂米国版を元に組み直しせざるをえませんでした。この改訂第2版は、他にも膨大な間違いを含んだものでした。
間違った版と正し目の版の識別が必要になってきたのです。

 67年、米国で改訂版がでます。これは英国版からの写真オフセット印刷で出されたのですが、私には読んでも判らない理由によって出版年が65とか66とかあって今度は図書館や研究者に大混乱を引き起こしました。(ごめんなさい、私も混乱してよく判りません)

 トールキンは諦めず頑張って(というか気になってやらないわけに行かなかったみたい)、なんとか67年に改訂版がで、その後69年のインド版で小さな改訂が載りました。
73年に彼が亡くなった後、息子のクリストファー氏が見直し作業を引き継いで出した改訂版が出たのが74年。これは活字印刷でしたが、作者の改訂原稿にほぼ沿ったものでした。
しかし、それにも間違いが発見され(一番ひどく間違っているのが、この版以前も含めいつも何故かアペンディクスだったそうです)、クリストファー氏は見直しを続けたのですが、ペーパーバッグにする時に必要な組み直しの度に、、必ず間違いが入り混まざるをえなかったそうです。とはいえ英国版ハードカバーはまともだったみたいです。

 そして94年、ワープロ導入で出版!

 私はこれで全て解決に向かうのだとばかり思いました。この訳の判らない世界から解放されると。
あはははは。
いつもの間違いの他に、なんかのバグでセンテンスが抜け落ちてたらしいですよ。
(章ではなくセンテンスでした。お詫びと訂正を致します)

ここまで来ると私疲れ果てて読んでも既になにも理解できなくなり、この先は殆ど読めていません。何回挑戦してもこの辺りで撃沈します。
これらの経緯は"J.R.R.TOLKIEN - A Descriptive Bibliography"という本に詳しく書かれているそうです。

 
 そして2004年、私が読んでいるところの出版50周年版がでて、話はそこで終わった模様です。この版には Note on the 50th anniversary edition なる文章もあるのですが、私は恐ろしくてまだ読めていません。読んでも判るか自信がありません。

 と言う次第で、私はこの巻頭備考を読んでから、ここに何が書かれているのかはっきりさせないと気が済まなくなり、本文には手が付かない状態が長く続いたのでした。
 
 でも、一年十ヶ月経って漸く悟りました。私には無理です。諦めて本文を読みます。

 この出来事について書かれたブログがありました。私の文より参考になると思います。
続・トールキン関連本を読む ( トールキン作品のネタバレ有 )ブログより
Annotated LotR !! 米版 50周年記念エディション(近刊)

 追記
私が買ったアマゾンkindle版は今年の1月には1300円でしたが、確認したところ2524円に値上がりしていました。なんなの、この超インフレは;^_^A
201512221918000画像にある本はハーパーコリンズの91年出版のものです。


 

2016年10月15日 (土)

「サクリファイス」を読んでみた

 近藤史恵の「サクリファイス」を読んでみました。自転車ロードレースを舞台にしたミステリーで、数年前に人から薦められて知っていたのですが、「サクリファイス(犠牲 犠牲的行為)」というタイトルに怯み、手が出せませんでした。私を含めこの競技を観たことのある人が「サクリファイス」と言われて頭に浮かぶのは、チームメイトのエースに対する献身だと思います。ロードレースは世界選手権などの例外を除き、レースはチームで走り、チームの中のエースと呼ばれる選手の順位をあげるために選手達はあらゆる献身をします。この人達をアシストと呼び、エース・アシストが一丸となって動く事による、レース中の様々な駆け引きがこの競技の醍醐味で、アシストは非常に重要です。しかし「サクリファイス」とタイトル付けられると、アシストが浮かばれないだけの、実際の競技とはかなり違うウェットな話である怖れがあり、薦めた人が自転車競技を全く知らない人だった事もあり、なんとか口実をつけて読まずに済ませていました。

 それがつい先日、とても本好きのtakoさんが、このシリーズは好きだとツイートしていて、好奇心から「どんな本?」と訊いてみると「物語全体としてはスピード感があるしキャラも魅力的、また文章も上手いので読みやすいとは思います」(リンク)とのこと。読解力と文章力には一目も二目も置いている彼女の言葉で、これは私の好きなこの競技がどんな描かれ方をしているのか俄然興味が湧いてきました。またtakoさんは個人競技なのにチームで協力するというのも判りにくいとの事だったので、どんな風に書かれているのか、シリーズ最新作は「スティグマータ」ですが、まずは第一作の「サクリファイス」を読んでみました。

 嫌な第一印象は残りつつも、読めば冒頭から掴みが上手く、またツール・ド・フランスのテレビ観戦シーンは、ツールの光景が目に浮かぶ様な鮮やかな描写で思わず引き込まれました。自転車を漕ぐ爽快感もいかにもな描写で魅力的です。主人公白石チカがこの競技に興味を抱く「選手がライバルに優勝を譲る」シーンも実際にありますし(例 06年ジロ・デ・イタリア第19ステージ、フォイクト選手など)、優勝でなくともポイント獲得ゲートでの譲り合いはとてもよくあるので、作者はこのスポーツをやっぱりしっかり観ていると思いました。
しかし17頁、登場人物のエース選手がレース中にパンクをし、同じチームの新人選手からタイヤを借りて試合を続行したため、タイヤをエースにあげて記録を残せなかった選手が契約更新されずチームを去るという逸話で私はちょっとブチ切れました。この展開は有り得ないわ。

 実際のレースでこの様な出来事が起こった場合(割とよく起こる)、自分のタイヤをエースに与えたこの新人は絶大な評価を受けます。何故なら他のチームメンバーが皆脱落している中で、一番エースに近い場所を走り(走る脚力があった)、エースの危機を助ける事が出来たからです。エースにとってそのレースでの順位は大したものでは無かったとしても、いつも上位に食い込む安定感を示せますし、エースの災難にすぐ対応出来るチーム力をスポンサーに印象づけられるのですから、チーム側としてはこの選手にはアシストとしての本分を真っ当したとボーナスを出したり、もっと小さなレースでエースに抜擢しこそすれ、これで更新無しは有り得ません。
サイクルロードレースは、チームで戦ってエースを勝たせる競技なのです。それを知らない筈はない・・・はず。

 作者は当然ですが知っていました。第二章「ツール・ド・ジャポン」で、競技について、選手の役割や走り方をさりげなく説明するときに、エースを助けるのがアシストの役目としっかり書いてありました。尤もこれを明記しないと話が進みません。
しかし選手の生きる道がエースコースとアシストコースに分かれ(まるで一般職採用と総合職採用みたい)、両コースには互換性が無く、チーム内ヒエラルヒーによってアシストは陽の当たらない損な役回りみたいな描写が、随所にはさまれた実際の競技の説明(これが簡潔で上手い且つ正確)と齟齬を来たし、きちんと読む人ほど混乱すると思います。
また主人公チカの同期であり有望選手で、アシストなんかしたくない、自分はエースの器だと思っている自信家伊庭君。アシスト志望のチカとの対比で置かれたキャラなのでしょうが、グランツールの優勝者だってアシストしていたし、強豪名門チームのアシスト選手だって、それ以前はそれより弱いチームのエースだったのです。ロードレースは、たった1人の選手と大集団が真剣に競ったら、どんな天才選手でも1人では勝ち目はない競技なので、他選手を見下す選手に将来の芽はないと、選手なら判るはずなのですが。
加えて主人公チカのアシスト志望なのですが、エースを張れる脚力がなければ、格上チームに行ってアシストなど務まりませんので、この人の競技認識にも問題が・・。

 繰り返しますが、チーム内でそれぞれの役目をこなし、チーム(個人だけでなくチームの順位もある)を勝利に導く事に貢献した選手がロードレースでは評価されます。またレースの賞金はチームメイト全員に分配されます。入ったばかりの水ボトルを運ぶ選手にも分配されます。それも私の聞き違いでなければ、平等に分配されるとか(^_^;)
観客やファンもアシストが良い走りをすればきちんと評価しますし、チームも色々気を使います(前述の様に別のレースでエースにするとか、その日のステージ優勝を狙わせるとか)。エースの順位攻防も、アシスト達の戦略や引っかき回しも、同じ比重の醍醐味として観戦者に楽しまれるのがロードレースです。
また腕利きのアシストを揃えた強豪と言われるチームは、それだけで勝利に近いため、エースを選びやすくなり、結果が悪ければエースがチームから放り出されかねないのです。

 とはいえ地方の小さなチームでは、アシスト選手が不条理な思いや苦労をすることも多々あるとは思います。スポンサーが付かなくなるからその国の選手でないとエースになれないという話はよく聞きます。強い選手にアシストさせて勝った選手も当然いるでしょう。でもずっと観ていれば、全てとは言いませんが、選手は競技者として自分を正統に評価してくれる場所、自分が一番走りやすい、自分の強みを発揮しやすい場所へと流れていくことが判ります。チームが選手を見切る様に選手もチームに見切りをつけています。なのに作者はチームでの不条理を我慢して、ずーっと誠心誠意尽くし続ける、日本型終身雇用や年功序列で流動性のない、この場所で踏ん張るしかない責任感故の「サクリファイス」で何か事件が起こる話にしてしまった。この2012年の対談で(リンク)、著者も「アシストという存在が、ロードレースの構造そのものなんじゃないか」とか「ビジネスライクな競技だ」と述べているにも関わらず。他に事件が起きるネタがないような綺麗な競技ではないのに。

 読んだ私の感想は、話の設定と競技の構造とは違うので、この本を読んで自転車ロードレースを理解しようと考えるのは無茶ですし、この競技にこの「犠牲」のモチーフはやはり無理があったと思います。でも、ここに描かれる競技と実際のそれは全くの別物で、だけど所々に挟まれた解説は正しい、というスタンスで読めば、面白い小説として楽しめると思いました。


 おまけ
 昔NHKのTDF放送は録画でしたが、後から解説を付けるので生放送の解説より詳しく判りやすかったです。その中で、選手同士の恩の貸し借りがあり、助けてもらった恩を返さないと後で大変とか、ここで恩を売っておくと後々都合がよいなどという解説を今だ覚えていたことも、私がこの本の設定にのめり込めなかった理由かと思います。ドライすぎる現実(笑)

日本人のアシスト観とロードレース本場でのアシスト観の違いがよく判る質問と回答(yn_fukuiさん以下いくつか)。この競技が理解されていないだけなのか文化の違いなのかはてさて。


 アンディ・シュレク選手がツールドフランス総合一位だった兄フランクとチームのエース、カルロス・サストレの為に怒濤の走りでライバルを疲れさせ、その後自分も疲れ切って後方に沈んでいった、語りぐさとなった勝負。彼のこの働きによりライバルは脱落し、カルロス・サストレ選手がこの年の総合優勝に輝きました。
この後シュレク兄弟は新しく出来た別チームに他のアシスト選手とともに移り、チームのエースを務めたアンディはツール総合二位(一位のコンタドール選手が失格となり一位になった)になりました。あんでぃー!
TdF Stage.15 .2008 Awesome Andy Schleck (白地に下が黒ジャージで顔が長い選手がアンディです)
https://youtu.be/PZ56WFgE840?t=23m47s


 エースのそばにアシストがいなかった場合にはどうなってしまうのか。
総合一位のクリス・フルーム選手を襲った悲劇(笑)
【大事件】走るフルーム【ツール・ド・フランス 2016 stage 12】
https://youtu.be/xKYn6mFtk0o?t=7m31s

2015年1月29日 (木)

『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』  息苦しい今の社会への処方箋

 この本はネットで記事を書いたことをきっかけに、いわゆるネトウヨと呼ばれる人々、また在特会と称する差別主義グループから攻撃の標的にされてしまったフリーライターの李信恵さんが、ご自身に降りかかる差別との対峙を記録した本です。今まで書かれてきた連載が収録されているため、記述が重複したり章によって時系列が前後したりしますが、本のトーンは統一感があり、著者の息子さんとご高齢のお母様が読んでも判る文を書くことを心掛けたと言うとおり、大変読みやすい本です。


 以下がアマゾンのレビューに投稿したものです。


 プロローグの冒頭から、在特会による排外デモで叫ばれるおぞましい罵倒の数々が現れ、身が縮むような怖さを味わわされますが、それを全身に浴びる李さんの筆致は、当事者がプロのライターだった為でしょう、恐怖を感じる自分、傷つく自分、怒る自分を冷静に見つめ、その上で「この社会を作った大人としての自分の責任」「自分は大人としての責任を果たしているのか」と絶えず心に刻みます。
在特会でもてはやされ、その後恐喝で逮捕されたS少年を著者は心配し、彼と遭遇したら何と言葉を掛けようと自問し、自分なら「おなか減ってない?」と言うであろうなど、主題の重さに反して暖かみが文章に溢れるのは「大人としての責任を果たせているか」という著者の意識が貫かれているためでしょう。
責任ある大人としてヘイトと戦うために何をなすべきか、著者の模索も丁寧に書かれています。アンチ・ヘイトには知識も必要との認識で、著者自身が受けた、あるいは朝鮮学校襲撃事件の法廷で在特会側がした筋の通らない理屈を分析し、既に用語として存在する「沈黙効果」「複合差別」などと結びつけ理解しようとしていきます。この部分は秀逸で、読むうちに、私自身の経験の中から、差別者がよく使う理屈が差別という枠に収まらず、学校で、職場で、相手を黙らせ我意を通そうとするやり口として何度も起こっていた事に気づかされました。いくら知識として知っていても、日常起こっている事例に活かすこともなく見逃してしまっては、それらに味方していたのと同じです。私もこの本で社会が今まで積み上げてきた理論を現実に活かせる様に勉強したいと思います。

 差別と戦おうと決意した著者の周りには、同じく差別と戦おうとする人々が何人も現れます。在特会側の人間を心配したりする李さんと同じような暖かみと柔らかさをもった人達です。何故このように赦せるのか。どうしてこんなに他人との違いを当たり前の様に受け止められるのか、類は友を呼ぶということなのかと不思議でした。しかしそれは差別と戦うには、あるいは差別から身を守るには、差別の根本と正反対の、寛容や公平さ、知識と理論、相手に対する想像力などを身につけざるを得ないからだと思い至りました。好むと好まざるとに関わらず。
著者は外国人児童の支援学級にボランティアとして参加しているのですが、そこで母親がフィリピン籍の女の子と、著者がかわした会話は象徴的です。お互いの違いを認めていればこそ同じ部分を発見した時に嬉しいし楽しい。同じ事が前提になっている社会なら、違いは指弾されるだけ。発見も親近感も楽しさも、起こりようがありません。

 京都朝鮮学校襲撃事件の法廷で、民族教育に触れた部分では、私自身の日本語に対する愛着に気づかされました。日本に住んで日本語を使う日本人の私ですが、この言葉や文字が、私の曾祖父母やそのまた曾祖父母も使っていて、代々受け継がれ、私の血や骨の中に刻み込まれているようないとおしさを私は初めて感じました。日本語はすごいとか、日本文化は素晴らしいとか日々聞かされているにも関わらず、文化や言葉を身近な、自分の中に流れるものの様に感じることが出来たのがこの本でだったのは、皮肉と言えます。

 最終章では李さんのご両親はじめ様々な在日韓国朝鮮人の半生が綴られています。どの人生も一つきり、みな違います。しかし同化圧力の元で、同化した人と、自分らしくと考えた人の間に亀裂も走りました。私達も同じです。日本人だからといって皆同じ訳ではありません。当たり前ですが一人一人皆違うのです。しかし違う事を声高に言えないことが多々あります。社会がマイノリティにあからさまに押しつけていることを、マジョリティもまた自分自身に知らずに押しつけているのではないでしょうか。

 違う文化を認め違う民族の人々と共生する為には、どこの国でもそうですが歴史の清算は避けて通れない問題です。私は今までそういう行為は身を切るように辛い大変なものだと思っていました。しかし清算した後の社会がこの本の端々に現れるような暖かいものになるのなら、それほど厳しく辛いものではないのかもしれないと思いました。ドイツ偉いなどと思っていましたが、結局自国をより快適にするための近道だと知って行っていたのなら、なんかずるい(著者の真似)。

 今の社会に息苦しさ、窮屈さを感じている方に是非読んで頂きたい本です。そして読後、このアマゾンのレビュー欄をもう一度見て下さい。ここには著者が指摘した差別者ロジックの生きた見本があります。そして見えにくい差別への荷担も存在していることにお気が付かれるでしょう。この社会をどうすれば良いのか、この本で著者の李信恵さんと一緒に考えてみませんか。

2013年3月17日 (日)

素養ゼロの私が「社会的なもののために」をお薦めしてしまう5つの理由

 「社会的なもののために」(ナカニシヤ出版)とは、私が思うに"平等と連帯の基盤たる〈社会的なもの〉の正負両面、そして再生できるかについて、その道の専門家達が知恵と知識と情熱を動員して熱く語り倒した本です。


私がこの本を知ったのはFBでした。是非読みたいと思い、絶対に読もうと心に誓ったものの、難しい専門書だろうとかなり敷居が高く感じられていました。
それがひょんな事からこの本を頂いてしまい、私如きが頂いてよいのか戸惑いつつも読み始めたのでした。

そうしたところ、大変わかりやすく、その上対談の熱気に巻き込まれ、ぐんぐん読み進んでしまったのです。

それでもどの章でも社会思想史が網羅されているというか、その知識が前提なのに何故私でも読みやすかったかと申しますと、

お薦め理由その1
脚注の出来がとてもよい。

 簡潔でわかりやすい注でした。この注にはほんと助けられました。
この注には著者や編集者の方々は大変ご苦労されたようですが、実にわかりやすかったです。
 世の中には読んだら余計にわからなくなる注とか、子供でも知っている様な事しか書いてない注とか(入門書ではなかったのに)、更にひどいのはある注は1行で、別の注は30行で内容は著者のオノレワールド炸裂(注なんですから著者の考えではなく一般的な事実を書いて欲しい・・・)という注があるのに、この本の注は見事でした。参考文献一覧だけでも読む価値のある本はありますが、この本は注だけでも読む価値があると思いました。巻末に索引付けて欲しいくらいです。


 理由その2
 わかりやすい。入門書としても社会人の勉強としても良い。


 良い本は読み手に対する間口が広いことが良くあります。専門家が自分の分野について書いたものの方が入門書よりわかりやすく、また有益だったりするのはままある事だと思います。
学生の教材として書かれる入門書はどうしても歴史を網羅しすぎるというか、枝葉の理論も書かれていて却って読むと混乱しますが、この本はポイントを絞って深く書かれているのでこの分野の思想史の流れを追いやすく理解しやすいです。
勿論勉強するには両方必要ですが、省かれたであろう枝葉の理論や他の理論の勉強は、この本の豊富な注や参考文献も手がかりにすればよりよく深く学べると思います。

理由その3
対談なのでわかりやすい。

 各章冒頭に基調説明がありそれについて対談があるので、不明な部分などはその場で説明を求められてますし、何より一つの事柄に対しても複数の人間が語るので著者一人の書くものよりわかりやすいです。
なんというか、わからない部分は違う参考書を読んでみろ受験生的感想で恐縮ですが、大変わかりやすかったことは事実です(汗)


 それで読めば今必要とされている内容だと私には思えたのです。

お薦め理由その4
今の日本について語られている。

「はじめに」で、1938年、日本に厚労省が誕生したとき、その前身が社会局という名だったにも関わらず何故「社会省」ではなく、書経からわざわざ探し出してきた馴染みのない厚生省と名付けられた事が書かれています。
もし厚生省ではなく『社会省』だったらその後の日本社会はどうなっていたのかと考えざるを得ませんでした。
勿論日本だけではなく様々な時代、様々な国での「社会的なもの」について話されるのですが、対談にもそれが日本とどう繋がっているのかという視座がはっきり感じられました。
もちろん全体としては『社会的なもの』の歩み(我ながら陳腐な言い方だわ)が議論されているのですが、その中から時に合わせ鏡のように今の日本が浮かび上がって来る事がままありました。
例えば第一章 社会的なものとしての公共サーヴィス 図書館は誰のものか?などは、納税の対価としてしか考えられていない図書館に気づかされてちょっとぎょっとしました。


お薦め理由その5 トドメ

今、社会的なものとは何なのか知っておく必要があるのではないか。

 民主党政権下で「子供手当」に何故所得制限をつけないか、またつけてはいけないのか、私は上手く説明出来ませんでした。自分の中の社会的なものに対する空白・無知をひとしお感じた瞬間でした。


 今民主党から自民党に政権が戻り、これからの日本は社会保障などの様々な社会的なものを他の諸々と一緒に捨てる可能性が高いと思います。
ならば社会的なものが長い人類の歴史の中でどのように考えられ、現在の形になったのか、今だからこそ知っておくべきだとも思います。「社会的なるもの」がどのように積み上げられてきたものなのか、日本の歴史も(第五章に詳しい)含めて、捨て去るならその成り立ちと中味をきちんと理解してから捨てるべきではないかと思います。
 
 この本はやがて出る論文の前哨戦というか序章という位置づけなのだそうです。この後に来る本は私には歯が立たないでしょう。でも誰でも読める形で今この本が出たことは大変幸運だったと思います。
勿論素養のある沢山の方々もこの本について学ぶ事が多いとおっしゃているので、素養のある方にも十分お薦めできます。
様々な人が様々な立場視点から、それぞれ汲み取ることが出来る本だと思います。

以上が素養ゼロの私がこの本をお薦めする5つの理由です。


 「社会的なもののために」(アマゾン)

Keiyamamotoさんによる『社会的なもののために』(略して社もため)ツイート

 「社会的なもののために」勉強ページ」

2011年10月 3日 (月)

子供と魔法と温泉と

 ようやく「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」を読む事ができました。いわゆる伝記本で興味深い記述も多々あるのですが、内容は「ええーーっ!ほんと?」と思うような事から「え~、ほんまかいな~」な事まで、かなりのレンジに富んでおりました。

 

 その中で、彼女、マルタは自分が天才的なピアニストであると周りから思われるのが嫌だった、注目の的になるのがかなり苦痛であったという記述があり、大昔、彼女のコンサートでの出来事をまざまざと思い出し、私ははたと膝を打ったのでした。今思えば、あの時彼女はそういう心境だったのだと。

 

 彼女のコンサートには、81、84、87と三回行きまして、多分87年のクレーメルとのデュオの時だった気がするのですが(84年かも)、楽屋で彼女に挨拶を述べるために(マルタ・アルゲリッチにですよ!)観客は一列に並んでいたのです。
私は楽屋へ行って良いものかどうか酷く迷い悩んでしまい、勇気を振り絞って楽屋にいった時は一番最後でした。
長々待っていよいよ私の番になり、彼女の前に進み出た時、入り口近くの壁際に立っていたマルタ・アルゲリッチは、一瞬だけ、微かに、潜むように壁と柱の隅に身を寄せたのです。その時彼女は大ピアニストというより、思いっきりバツの悪いことに狼狽える表情。

 

 この本を読んで初めて、あの時挨拶に来たファンの賛辞が彼女にとっては居心地の悪いものだったのだと理解できました。
ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは、でもとても感じよく、にこやかに一人一人と言葉を交わしていたのです。そして頑張り抜いた最後の最後が、NHKホールでポゴレリチを追跡した(リンク)この私だったのです。これは危ない。

 

そしてその時私が発した言葉は

 

 

 長野にはとても良い温泉がたくさんあります。今度は是非、入りに来て下さい!!!

 

 
 今考えると私はどうしてこんな事を言ってしまったのかとうろたえるばかり(^_^;

 

 しかしこれを聞いた時の彼女のほっとした表情ときたら。
大きく安堵の吐息をつき、急に表情がぱあっと明るくなって大笑いしながら満面の笑みで、「いいわ、いいわ、もちろんよ~」みたいな返答をしてくれ(推定です。緊張の余りなんと言われたか覚えていません)、握手して頂いたのです。サインもして頂きました。まるで長年の友達にでも対するような、気さくで温かい態度でした。
他にも何か色々話しかけられた気もするのですが、緊張のあまりもう何が何だか・・・。

 

 

 あのマルタ・アルゲリッチがこんなに温かい人柄だと判って、私は天にも昇る心地でしたが、それでも彼女の最初の表情はずっと謎でした。そしてこの本を読んでその謎がようやく解けました。最初に居たのは出来れば逃げ出したいマルティータだったのだと。そしてそれも彼女なのだと。

 

 音楽家ってタフでないと務まらないとは思っていましたけど、タフとは限らないところに大変さがあったんですね。
 
 これが私が過去なんども「姐さんと握手した~」と吹聴していた(リンク)握手事件の顛末です。温泉は温泉でも『別府』という展開ですし。 枯れ尾花ぽくて、すみません(;^_^A アセアセ

 

追記  姐さん握手記事、間違って違う記事をリンクしていました。直しました(~_~;)

追記2  姐さんのドキュ映画の感想文をアップしました(リンク)

2011年9月 3日 (土)

大野更紗「困ってるひと」

 ウェブサイトで連載されていた大野さんの戦いの記。ウェブで読んで、本でも読んで、何度でも読みたい本でした。

 この本が素晴らしいのは軽妙な語り口やとんでもない面白さ、格好つけずにありのままを書いてそれ自体が現在「困っているひと達」の参考になっていること等色々あるのですが、何より一番の理由は、難民を支援し、その難しさを知り、支援を続ける為に、真に支援するとはどういうことなのかを常に考え続けていた人が、自身の闘病を通して社会のあり方そのものを問うている事が、単なる闘病記の枠を越えて広く社会に訴える作品になった理由だとおもうのです。

 病名が判って(それまでも大変だったわけですが)、難病な自分が生きていくには自分を支える仕組みが当然あるはずと大野さんは考えます。しかしそれは驚くほど少なく、しかもそれを受けるには、申請に気の遠くなるような労力を必要とするものでした。

 病室のベッドで山のような書類と格闘する難病人大野さんに主治医の一人、パパ(はパパでも星飛雄馬のパパ)先生はお説教します。彼女だけでなく彼女のパパ、ママにまで。
曰く「社会の制度や障害の制度や他人をむやみに頼ってはなりません。そういった精神が治療の妨げになります」と。

最初は私も大野さんと同じように反発しましたた。病人シバいても無理だってと。でも今読み返すと、日本で普通に生活出来ない病気、治らない病気に罹ったら最後、頼れるものは家族や友人だけなのかもしれません。
その人達に山ほどの手間を掛けさせ、役所に行かせ、さて、それに見合う助けを得ることが出来るのか?

大野さんはたまたま東京に住んでいたので障害者2級でタクシー券が出ました(それを受けられると理解できたのは大野さんが院生でムズイ文章でもくじけなかったからでしょう)。しかしとある難病マダムの住む自治体では、受けられるのは高速のETC割引きだけ。それさえないマダムもいるのです。斯様に福祉は財政状況による地域格差が激しい。
これは福祉は余った金でやるということ、お金がなくなれば(今まさしくそうなのですが)福祉は削るという事です。
戦後焼け野原で何もなかった頃の考え方が見直されずに続いているのだと思います。
高度経済成長期もバブルの時も、この考え方が変わらなかったため、福祉に予算をつける時、お金がない時に削れないと困るという理由から、恒久的財源が必要になるような施策にはとても慎重だったと私は思います。そして自己申請主義を守り通し、必要な人達の前に山ほどのハードルを置いて、資格のある人さえはねつけて来たとも。

余った金でしかしない福祉なら、金がなくなったら一体どうなるのか?その答えの一つが彼女も苦しめられた3ヶ月で退院の制度でしょう。
パパ先生のお説教は、そんな心許ない保障ならば、いっそないものと心に決めろということなのかと考えてしまった今回です。
事実自治体が財政破綻した時、福祉や水道料金などを削り支出を抑えさえすれば、建設債だけは発行できるのです。もし住んでる自治体が破綻したりしかかったりしたら・・・。

 しかしこの様に保障が手薄な社会で、人が一度難病になってしまうと、その人達の背負うものはとてつもなく巨大で深くなってしまうのです。
大野さんの心身もマリアナ海溝に落ち込むが如き状態になりました。これが自宅療養だったら病人と家族は、きっと諸共その海溝の奥底に落ちて行くに違いないでしょう。

難民支援に明け暮れていた頃の大野さんは、国境近くにあるキャンプからチェンマイに戻った時、シャワーとシズラーのサラダバーで「支援者」である自分自身から離脱する儀式をしていたそうです。その儀式があったればこそ彼女は支援を続ける事ができたのだと思います。
でも難病人の家族や友人にはシズラーはなく、いつもいつも、途切れる事なく続く、「助ける側の」、「頼られる側の」自分がいるだけなのです。これは美しい愛や絆や思いやりだけで引き受けられるものでしょうか。もし家族や友人が耐えきれずポキリと折れたら?
多分それは患者の死を意味するでしょう。

こう考えるとパパ先生のお説教「自立せい!」「頼るな!」は、一度難に遭えば身近な人にすがるより生きる道のない日本で生き延びる、ただ一つのライフハックなのかも知れません。パパ先生にシバかれたベテラン患者さん達はそれに呼応して「生き仏」の様な病のエリートになっています。でも、ひょっとしたら、生き仏エリートになれた人しか生き残れなかったのかも知れません。生き残れる難病患者にも適正を求める社会なのかもしれないのです。

 私はこの本を一人でも多くの人に読んで頂いて、今の日本の社会のあり方以外に道は本当にないのか、皆さんと一緒に考えたいと思っています。特に震災復興のため公共事業投資が叫ばれる今、日本の福祉と公共投資のバランスがこれで良いのかどうかも含めて。

大野さんは重病の中この本を書き、ボールを私たちに投げました。そのボールを私はしっかり受け止めたいと思います。今受け止めなくてもまた次のボールが何処かから来るなどと考えては絶対にならないと、この本を読んで改めて感じています。

2010年7月22日 (木)

久々の『家庭画報』

 先日通っている医院の待合室で、『家庭画報」をじっくり読んでしまいました。『家庭画報』と言えば、信じられないお値段のお品紹介や観光地など目もくれない旅行記事という、並外れたセレブ力と高飛車さ加減で、歯医者さんの待合室でたまたま手に取った若き日の私を心底震撼させた雑誌なのでした。あの飛びっぷり、他の追随を許さなかったなあ・・・。
そんな畏れ多い雑誌を久々に手に取り緊張気味の私。どんな恐ろしい世界が繰り広げられているのかと思いきや、意外にもあれれ???だったのでした。

 有名人の母と娘記事では、他者は絶対マネできない特殊ぶりは影を潜め(ないこともないのに何故か強調しない)「完璧な専業主婦」などという、妙に射程距離の短い文言があったり、「今人気のバラと暮らす」では、紹介されたお宅こそ、「な、何これ?」的な衝撃を与えるものの、そこに続く「貴女もバラの世界へどうぞ」なお買い物の手引きには、銘店ではあるのでしょうが、ネット販売可みたいな使えるお店がずらずらと載っているだけなのです。
かつての『家庭画報』ならそれこそ「やはりこの店の品数と品質は・・・」の一言を添えて、「英国園芸家協会会員限定種苗店(所在地ロンドン郊外)」みたいな(あるかないか知りません、私がいま適当に作ったので)、そんなお店でどうやって買い物しろと?と叫びたくなる店揃えだった様な気がするんですけど。現在のは優雅に笑ったマダムの目だけ笑わず値札みてる様な、実用性というか現実味が滲み出すぎている風に思えるわけです。

 昔の(20数年前です)のあの飛びっぷりは何処へ行ってしまったのかしら。世知辛い今の時勢を反映してしまったのかしら、あの『家庭画報』が・・・。

 などとつらつら考えてみたら、私が読んだ頃はバブル直前だったのですね。
思い起こせば、『家庭画報』だけだったかはさすがに記憶はないですけど、「地味な和服を優雅に着こなし、並んだ名前にひぇーーーとひれ伏す様な文人墨客と文通している(それも筆と墨で!)、隠れ家的京都の老舗旅館の女将がその半生を語る記事(勿論旅館名もおかみの名も勿論私は知らない)とか、現松本幸四郎夫人のインタビューだけ載せて(「私が○○を使い始めましたのは・・・」)商品の説明や写真は一つもないという、当時まだ日本ではマイナーだった某国有名化粧品の広告があったりという、そんなもの読ませてどうすんの?的記事が満ちあふれていた様な気がします。料理ののったお皿の値段が一万数千円とか(勿論一枚で!)。
そんな、今思えばちょっとどうかと思う時代の雑誌と、現在の雑誌を比べて、地味、とか地に足が着きすぎ、とか文句言ったら申し訳ない気もします。

 でも、ちょっと懐かしいんですよね。
読んでるだけなら、
それを手本に実行しようとしさえしなければ、
その突飛ぶりがもの凄く面白い雑誌だったんですけど・・・。

私、当時でさえ、あの雑誌はお笑いの部類であり、これを本気で受け止めるような人は、たとえ大富豪であろうといないに違いないと思っていました。でもこれも今考えると、ひょっとしたら真面目に受け止める読者がいたかもしれない不安を感じます。大金持ちでは多分無く、大金持ちを目指して闘志を燃やしている人達なんかで・・・。

 本当にいたのかも。でなければ、バブルなんて起こりようがないもの・・・。あの時代、みんなで血道を上げて「上」を、それも「上」の形だけを目指していた感じがありますもの。あの当時型から入ってではなく、型しか入るものが無かったかのように。
あれから20年、今漸く型から出ることが出来ていたらいいのですけど。

 私どうだろ。『家庭画報』はさすがに住む世界が違うのでマネしようがないから無事でしたが、もっと身近なものだとはまっているかも。

 20数年、変わらずそのままな私のお脳みそなのか?(;^_^A アセアセ

家庭画報 5月号(リンク

2009年2月18日 (水)

エルサレム国際ブックフェア

 村上春樹のエルサレム賞受賞について記事を書いて以来(リンク)、ブックフェアについてももっと詳しく調べてみなければと思っていたところ、こんな記事に背中を押されました。

ynet.com 'Murakami mustn't accept Jerusalem Prize' (リンク

 ここではP-Navi infoのビーさんが パレスチナフォーラムが村上氏に宛てたオープンレター(リンク)がかなり長く引用され、またパレスチナフォーラムの主張も載せられた後、ブックフェアのベテラン製作責任者Zeev Birger氏にこの様に述べさせています。(済みません、土下座して謝ります。何を血迷ったのかパレスチナフォーラムとパレスチナ情報センターとを昨夜取り違えてしまいました。英語で間違えるならまだしも、日本語で考えていて間違えるとは。本当に申し訳ありませんでした。)

 "the people behind the letter are apparently unfamiliar with the facts and are unaware of literature's role in bringing people closer together. "Had they bothered to study the facts they would have learned that the fair has been promoting serious and non-political cultural dialogue for the past 40 years,"

 この手紙の背後にいる人々は、どうも事実に疎く、そして人々をよって結ばせる文学の役割に気が付いていない様だ。
もし彼らが事実を学ぶ労を厭わないでいてさえくれたら、このフェアは真摯で、非政治的、文化的対話を過去40年にわたって促進してきた事が判るだろうに。


 なるほど。調べれば判るのか。と言うわけで、調べさせて頂きました。
 
まずはハアレツ紙記事から

 24回エルサレム国際ブックフェアは40カ国から出版業者、エージェント、編集者、作家など1200人を集めて行われるとの事。「文学カフェ」という(恒例らしい)イスラエルの作家と外国から招かれた作家が語り合うプログラムもあるそうです。

そして検索で見つけたのが次の二つでした。
天気が良かったのでブックフェアに夫と出かけてみましたという一般参加者からの報告もあったのですが、ブックフェアそのものに招待された参加者の記事が良かろうと絞ったところ、私に見つけられたのは次の二つでした。なのでこの組み合わせは意図的なものではありません。

 まず今年のブックフェアのリアルレポート(リンク

 PWという雑誌??のウェブ版?(Reed Bisinessというアメリカの出版会社らしいです)が、数人のブックフェア会員(つまり招待された編集者など。このフェアにはフェローシップ制度がある)に頼んだ感想や経験談が載せられています。訳すのが面倒だったので要旨だけかいつまんで(汗)
 
 2/16日付けのレポート。
まずフェアの代表製作責任者Yoel Makov氏の暖かい出迎えを褒め、イスラエルとパレスチナの複雑な関係や、最近の選挙についてのセンシティブな話題はいつでも供されたとの一文の後、ディナーに遠足に水泳などなど楽しいプログラムについての感想と、もてなし側をも含めた色々な人々との会話の充実が述べられています。

 2/13日付でレポート
このブックフェアの前に参加したParaty(ブラジル)のフェアをひいて、どちらのフェアも楽しそうな雰囲気に溢れている事や、ゲスト(作家)の選択に注意を払っている事(Paratyではトニ・モリスンが招待された事。エルサレムでは勿論村上春樹)
Paratyはかつて植民地貿易の地であり、エルサレムは聖書の地である事。そして今の21世紀の資本主義が陰鬱なスパイラルに出版界を引きずり込んでいる時、このような上辺だけの場所で出版人が会合をする目的は作家を見つけたり取引権やe-readersやそれよりはやや軽い会話をする為と書かれています。

 さて、次(実はこちらの方を先に見つけてました)

 The Guardian, Saturday 26 February 2005 のAida Edemariam 氏の記事(リンク)の後半部分です。

 05年のブックフェアでイスラエルとパレスチナの作家達をイスラエル占領下のヨルダン、西岸地区の中間地帯(No man's land)へ一緒に連れて来るという試みが行われたが、パレスチナ側の作家は殆ど現れず、参加した一人(ここまでは要旨です)、

Sayed Kashua said that in addition to all the daily challenges, there are few presses, little publicity. Hence they find themselves submitting to a grand irony: to ensure being heard, they must write in Hebrew.

 Sayed Kashua氏が言うには、日常の難題のその上に、あまり報道陣がおらず、殆ど世間に知られなかった。したがって、彼らは大いなる皮肉-確実に聴いてもらう為にはヘブライ語で書かなければならない-に屈した事を知った。
記事終わり


 
 まずリアルレポートですが、最初のレポートは多分ブックフェアのこぼれ話的読み物を要求されての記事でしょう。楽しそうな状況が伝わってきます。そして二番目は、ブックフェアの眼目について。どちらも人と会うというブックフェアの眼目を落とさずきちんと書いていますし、良いコントラストといえるでしょう。普通のブックフェアならば。
しかしイスラエルはほんの半月前の停戦までハマスのロケット攻撃に曝され、自衛の為のやむを得ない反撃をしていた(イスラエルの主張です)はずなのです。その地に足を踏み入れて、自分の命の危険をまるで感じていないかの様な記事になっています。ガザは1000人以上の死者が出ています。生死の境が近くで繰り広げられていたにも関わらず、それらが全く語られないだけならまだしも、語らない理由さえ語られないことで(普通なら触れるでしょ?やっと平穏を取り戻したとかなんとか)、このレポート自体に不思議な、ある種の非現実的な雰囲気を含ませたように思います。これがフェアの雰囲気なのか、レポーターの状態なのか私には判りかねますが。

 次のAida Edemariam 氏の記事ですが、イスラエルとパレスチナの作家を一緒に連れてくる試みというのがBirger氏の言うような対話の促進を目的としたものであるならば、その場へ報道陣を連れてくる責任はフェア側にあるでしょう。パレスチナ人の作家が勝手に記者会見を開いた訳ではないので、ヘブライ語で語らなかったという方向へ持っていくのは皮肉にしても無理があるばかりでなく、この皮肉のため普通なら落ち度とも言えるフェア側の不手際をひどく見えにくくしてしまっています。
デイリーな小記事を連ねたものなので、記事と言うよりは日記に近いかもしれませんし、売れない作家に接する機会も多い仕事柄、聞き手がいなかったという作家の苦情は慣れっこだった事もありましょう。しかしその傍らでは「文学カフェ」があり、イスラエルと外国の作家(05年は判りませんが07年はフランスから招かれました)との対話が行われているのです。この方はカフェに招待された外国人作家にヘブライ語が出来るかお訊きになられたのでしょうか?

 
 リアルレポートも、05年のフェアの記事も、普通だったら目の前にぶら下がっているような出来事、避けるにしてももう少し配慮をするような大きな出来事(戦争と交流とは名ばかりの催し)への素通りが共通しているようです。これはこのフェアの伝統なのでしょうか。もう一つ皮肉を言えば「人々を結ぶ文学の役割」でBirger氏やイスラエルが過去40年にわたって結ぼうとしてきたのは、誰でもない、自分たちだけのお友達関係だったのではないかとさえ思えます。 
どう考えても国家戦略としてのブックフェアにしか見えません。フェアの主催はイスラエル外務省ですし。

 ここで「ねこねこブログ」のねこねこさんがわざわざアップして下さった、筒井康隆の「文学部唯野教授の女性問答」の一部を引用させて頂きます(リンク)。

政治的、ということでは、だから筒井先生だって例外じゃないんだよね。政治的には無党派で、時には無政府主義者だなんて言われたりもしてるけど、(政治体制側の出した)金沢市の出してる泉鏡花文学賞貰ってるんだしさ。もう、どんな批評家だって、作家だって、否応なしに政治的にならざるを得ないんです。でも別にそれがいけないってわけじゃないの。いちばんいけないのはむしろ、文学理論の中には政治に左右されない純粋なものがあり得るって考え方です。何度も言うけど、無自覚に政治を無視したりしていると共犯関係がもっと密接になっちまうんだよね。ぼくがマルクス主義批評を評価するのは、あなたの言う「逆説的に」とは違うかもしれないけど、そうした立場(文学の逃れられない政治性を自覚している立場)からです。

 Birger氏もリアルレポートを書いたフェアの会員もEdemariam氏 もそれぞれの立場、考えからそれぞれの発言をしたと思います。それがいけないわけではない。
*私はどんな意見であってもその存在自体を否定する事は絶対にいけないと考えてます*(*追記挿入です)
でもそれが文学である事を理由に、あたかも非政治的で中立であるかの様に見なされ扱われることはどう考えてもまずいだろうというのが、今回このブックフェアを調べた私の感想です。やっぱ声上げといて良かったわ。

 そしてそのブックフェアに受賞しに村上春樹氏は出かけたのでありました。彼は出版仲良しさん達の真ん中で踊ったのか?踊らされたのか?

 踊るつもりだったのなら度胸ありすぎ。というかすごいかも(汗)

追記
 PW(publishers weeklyの略らしい)サイトで楽しそうな遠足レポを書いた方はドイツから来たという立場上、ああいう書き方しか出来なかったのだろうと思っていました。私でもああなるだろうと。
でもさっきふと思ったんですが、あれだけ楽しげに遠足だの景色だの(死海が見渡せるなら他もみえるのでは?)ワインだのごちそうだのおもてなしだのと書いてあると、レポを装った告発レジスタンス記事?などとも読めそうな気がしてきました。皆様結構したたかかも。出版人ってそうなのかもね。

 それから村上春樹の受賞スピーチの一節(注:会場にはこの会員達がいたわけです)

"You are the biggest reason why I am here."

やっぱり意味深


追記その2

 ハアレツ紙が掲載した村上春樹の受賞スピーチ(リンク)の全訳が出ています。

47トピックス【日本語全訳】村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ(リンク


 それから受賞スピーチの感想をブログに書いた方々に声を大にして言いたいのですが、
会場はクローズなものであり、招待客の多くはブックフェアに来た出版人と思われます。

つまり受賞会場にいた人=イスラエルの国民ではありません。

 あの受賞スピーチを聴いたイスラエル人はとても少なかった可能性があるのです。

 

関連記事

 「村上春樹のエルサレム賞受賞 アーサー・ミラーの場合を見る」 (リンク

 「村上春樹の利用法」(リンク

2009年2月 1日 (日)

村上春樹のエルサレム賞受賞 アーサー・ミラーの場合を見る

 長い前置きです。
 村上春樹氏のエルサレム賞受賞について、私はmojimojiさんの記事(リンク)や更にtoledさん他ののP-Navi info記事(リンク)の英訳(とスペイン語訳とフランス語訳)記事(リンク)にも賛同したのですが、それは何が何でも止めて欲しいと村上氏に要求したいというよりは、出来れば出ないでくれたら胸をなで下ろすだろうという私の考えの表明の意味しかないつもりでした。mojimojiさんの記事もその様に読めましたし。つまりある考えの表明の様な。

ある意味チャンスですよ、村上さん。事と次第によっては、こちらのリストに載ることになるのでしょう。 >「注意深くお金を使うために」  この話、是非、あちこちで話題にしましょう。どうにかして村上春樹氏の耳に入らないかと思うわけですが、どうしたらいいんだろ?

 確かに最後に村上氏の耳に入らないかと書かれてはいますが、話題にして目に付かせる緩さに安心できました。この記事に賛同した人の中には同じ様に考えた人も多いのではと思います。ただ話の流れからそうは思われてなさそうなのをみて、私の考えについてだけは、自分が説明不足だったと今は反省しています(mojimojiさんやtoldさんには当然それぞれの考えがおありだと思います)。
繰り返しになりますが、私は村上氏に自分の考え通りに行動してもらうことを要求しているのではなく、彼の今回の受賞に対してパレスチナの現在を考えると決して手放しで喜べない、という意見表明をしたいだけなのです。そう言う考えもあるのだと。

 それでは何故手放しで喜べないのかと言えば、これはy_arimさんの記事
「個別論と一般論、具体論と抽象論のすれ違い、問題のレイヤーの違いについて」(リンク

「Aをフルボッコにして大勢から非難を浴びている最中のBが人望厚いCを褒め、モノをくれるという。Aは息も絶え絶えだ。果たしてCはどう振舞うのか、多くのひとが注目している」
 

 これに集約できると思います。特に今はイスラエルのガザ攻撃がちょっと停止したばかりです。この時期に「エルサレム賞」とパレスチナ問題を全く離して考えることは難しいと思います。

 そしてこの賞について調べてみたところ、この賞に付随した部分で、今のパレスチナのおかれている状況と大変似た部分がある事が判りました(やっと本題です)。

 05年の受賞者は劇作家のアーサー・ミラーです。彼は先約があるとして授賞式には出席せず、受賞スピーチを録画して送ったのですが、これは当然予測された事ではあったのですが、その内容はイスラエルのパレスチナ占領を批判するものであり、たまたまウルトラ保守だったエルサレム市長はそれに対し癇癪(Fit of temper)を起こした(1)というオマケが付きました(2)。

 これだけならば良くある事ですが、問題はその出来事について言及している米紙の記事がどう考えても少ない様に思える事なのです。

 ニューヨークタイムズは、「エルサレム賞」についてはほぼ毎回受賞者決定時に報道しているにも関わらず、またグレアムグリーンの受賞については、授賞式でグリーンがそれに相応しいかという抗議があったと話が読書欄とはいえ出ていますが(3)、ミラーの受賞インタビューに関する記事は見つかりませんでした。またミラーの死に6ページに及ぶ追悼文を掲載したにも関わらず(4)、その中でもこの事には触れていません。
ワシントンポストでも記事はありませんでした(あったらごめんなさい)。
アーサー・ミラーに関しての検索もしてみましたが、彼の経歴には「2003年 『エルサレム賞』受賞」とだけあるのみです。enウィキペディアにも書かれていませんでした。
 先に挙げた記事はそれぞれ、オブザーバー紙(英)、ガーディアン紙(英)、左翼の雄ともいえる雑誌ネイション(米)のものです。

 これは無視できる些事なのでしょうか。

 ブックマークでもコメントしましたが、E.W.サイードは「イスラエルと世界(主に米英)はあたかもパレスチナ人がいなかった様にふるまい、そのナラティブ(物語)を奪いとっている」という趣旨の発言をあちこちでしていたのですが、ミラーの行動に対する反応もこれに近いのではないでしょうか。

 「エルサレム賞」が悪い賞だとは思えません(調べて余計にそう思う)。しかし賞の趣旨とは裏腹に、それが利用されている向きも否定できないと思います。

「どうぞ授賞式には何でもなさって下さい。ただし伝えるのは私の意向で」

 ソンタグは何を言うかは明白でしたし、受け入れを表明した方がイメージアップに繋がるでしょう。では何故、やはり苦言を呈しそうだったミラーは駄目だったのか?
穿ち過ぎかもしれませんが、この時の市長の対応を衆目に晒したくなかったのではないでしょうか。ミラーのスピーチはこの賞の中に忍び込んだある種の欺瞞をはぎ取ったのかもしれませんが、それが知られる事がないならば、彼の行為に何の意味がありましょう。

 この姿は私には一般人でも家庭人でもなくテロリストとしての存在しか望まれないパレスチナ人の姿と重なります。少し前のNYTで、読者がガザ在住のパレスチナ人レポーターに質問する記事中に「(一般人の被害が出ていると報道されている事に対して)どうやって一般人とテロリストを区別出来るのですか?区別しているのですか?」という質問がありました。テロリスト以外のパレスチナ人は想定の範囲外かの様です。
何故そうなのか。パレスチナ人に対してテロ以外の部分について殆ど報道されていないからです。パレスチナ問題は今までずっと、この報道の不均衡(特に米国内が酷いですが)という問題が付いて回りました。そしてアーサー・ミラーの受賞スピーチも、それと似た不均衡が見られます。作家のナラティブを黙殺し、都合の良い受賞のみを伝える不均衡が。

 米国に住みながらも、しようと思えばネットなどの情報や本、雑誌などに普通の米国民よりは接する機会の多いであろう村上氏が、他ならぬナラティブを紡ぐ作家としてこの賞をどう踊るのか、または踊らされるのか、踊るつもりが踊らされたようにしか見えなくなるのか、ご本人にとっては難しい判断だと思います。
勿論その判断を私は尊重しますが、それでも私はこの受賞を喜ぶ気になれませんし、喜ぶ記事に賛同することもできません。何をやってもナラティブを都合良く改造してしまう文学賞に対してなぞ。

2/3 追記します
 書いた後、ちょっと無理筋だったと反省していたのですが、今読み返すと、やはり何をやっても都合良くしか(少なくとも米国内に於いて)報道しない事が判っている賞の存在は、全ての作家にとって問題があるのでは?と思ってしまいます。どの記事で読んだのか忘れてしまったのですが、授賞式は招待客のみのクローズなものだそうですし。
授賞式に出席して、ただ受賞して帰ってくるのが村上春樹らしいと仰る方もいらっしゃるのですが、この賞に関してはそれをすると「作家」としてどうよ?と。まあ、アーサー・ミラーの件だけでそう決めつけるのは短絡ですが。
追記終わり。

2/6 再び追記

 「作家としてどうよ?」部分が上手く説明できずにいたのですが、
きちんと説明して下さったブログが存在していました。

 「地を這う難破船」(リンク

 「エルサレムと表現」(リンク

最後に
 05年受賞者のAntónio Lobo Antunes(ポルトガル)と07年のLeszek Kolakowski(ポーランド)については調べ切れませんでした。すみません。


 関連記事

「エルサレム国際ブックフェア」(リンク

↓ちょっとだけ追記しました(太字部分)
 1
 アーサー・ミラーについてのガーディアン紙の記事(リンク


2
 「エルサレム賞」授賞式の様子 オブザーバー紙(リンク
市長は受賞スピーチの返事で「(ミラーの)絶頂期は50年前だった」などと言ったそうです。
そしてミラーはビデオスピーチだったので、市長とスピーチライターは事前にこれを見ている筈とか
(そうしないとお返事スピーチが書けないので)。

 受賞スピーチの全文  雑誌ネ-ション(リンク

 ついでにネーションのソンタグの記事(リンク
「行くな!受けるな!と散々言われた」というソンタグのエルサレムポストでのインタビューを引用して、
「はい、私たちがそう言いました」と書いてあります。

ソンタグについてはニューヨークタイムズでは受賞を伝える短文とこの記事だけがヒットした(多分。漏れてたら済みません)(リンク
その「この記事」には、批判はするつもりというソンタグの言葉と上に挙げた受賞拒否の圧力がすごくて大変だったというエルサレムポストのインタビューだけが載っていたのでした。

3
 ニューヨークタイムズの記事(リンク
オブザーバー紙の編集委員がグリーンの作品にある「アンチ・セミティズム」を非難した、という記事です。

nofrillsさんよりブックマークコメント(リンク)でご指摘を頂きました。
その通りです。オブライエン氏は「グリーンの作品が社会の中での個人の自由についてだったなんて、自力では思いもしなかったろう」と言った???のであって、「アンチ・セミティズム」は受賞後に議論が起こったと書かれておりました。お詫びして訂正させて頂きます。

お詫びついでに、TB頂いたnofrillsさんのブログ「tnfuk [today's news from uk+]」の「コナー・クルーズ・オブライエンについてのメモ」(リンク)にオブライエン氏の発言とその後の議論としての文学教授の投稿文のきちんとした訳が載せられていますので、そちらをご覧頂くようお願い致します
訳して下さって本当にありがとうございます。助かりました。
そして更に、nofrillsさんが調べて下さって判ったのですが、このコナー・クルーズ・オブライエン氏、
サイードの「ペンと剣」に登場しています(ちくま学芸文庫59p)
その部分の抜粋もnofrillsさんの記事に載せられていますので、是非どうぞ。

4
 ニューヨークタイムズの追悼文(リンク

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