ヘッダ・ガーブレル イプセン
イプセンは好きな作家です。「野鴨」も好きですが、この作品も好きです。
どこが一番好きかというと、主人公ヘッダの性格の悪さです。これをよい性格にしてしまうと単なる悲劇になってしまい普遍性がなくなります。
凡庸な、才能というものも、思いやりや情というものもまるでない、只名家のガーブレル将軍の娘で美しいというだけのヘッダ・ガーブレル。このヘッダを、由緒正しいガーブレル将軍の娘という社会的な価値でしか考えようとしない、夫を含めた周りの人々。この周りの人間達に対して彼女が感じる怒りや反発。その為に試みる様々な抵抗。
その抵抗の中では人の命さえ軽んじるような、つまり彼女自身が他者を自分の道具として考えているというものすごい矛盾。
ヘッダの学生時代の友人は才能を鼓舞するミューズとして描かれますが、この女性も心惹かれるのはその人物の本質ではなく、その人物の持っている才能、もっと露骨に言えば、その才能から生み出された、間違いなく世間の賞賛を受けるであろう結果としての「作品」です。
このいわば「才能の結晶である作品」が目の前にぶら下がったときに、「ガーブレル将軍の娘である妻」からあっという間に「作品」に乗り換えるヘッダの夫やそれに乗じる登場人物達。
戯曲として書かれているので、時間も、場面も、全てが凝縮され、テーマが一段と際だっています。
当時の上流社会を厳しく糾弾した作品とされていますが、この糾弾は今でも、いえ何時の時代でも、どの社会においても、当てはまってしまうのではないでしょうか。
人間に対して、人間としての価値を絶対みようとしない社会。人間を誰かの物差しによってのみしか考えない社会に対する、この作品に描かれた絶望的なあがきは今でも血の滲むような生々しさを持っていると私は思います。
「ヘッダ・ガーブレル」 イプセン著 岩波文庫から出ています。
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