アフターダークを読みました
読んだのはこれが三冊目という村上初心者の、感想と言うよりは読書メモです。
外からは見えにくく、また普段はお肉の中に隠れている人間の思念は、何故か夜になると外界へ迸り出る様な、または吐き出されているような、誰でもそうなんだろうけれど度々感じる状況、そういう舞台設定です。
そんな外見よりも思考が先に目に入ってしまうような状況で、自分って本当はどうなんだろう?という根元的な問いかけを登場人物にさせていく話なのですが、ディテールは凝りに凝ってるし、全てのものは両義性というか、アンビバレンスというか、どっちにも転がれる曖昧さを秘めて悩ましいお話でした。以下、悩ましかった部分をいくつか挙げてみたいと思います。
題して「アフターダークの村上ワールド」
その1 主役はだあれ?
一番登場するのは19才の大学生、浅井マリなのですが、読み進めていくとマリはどうも姉のエリの分身というか派生したもので、閉じこめられたエリの代わりに夜の街を彷徨っている様にも読めてきます。
エリもマリもどちらかが幻影になってしまいそうだけれど、それは作者によってキッパリ否定されてます。どちらも実在。しかも助けを求めていたはずのエリが、エレベーターの逸話で見事に逆転してしまったり。
マリとエリ、この二人のどちらにウエイトを置いて読むかで、まるっきり違う話になってしまいそうです。
その2 高橋くんってどうよ?
真夜中の「デニーズ」でマリに声をかける大学生の高橋くん。
若くて無害そうで、でも実は結構苦労していて中身がぎゅっと詰まった出来過ぎた人物。友達はあまりいないなどと言いながらカオルさんやコオロギさんなど、とんでもなく立派な人々とお知り合いだったり。
この人物が吐露する考えはあまりに出来が良く、おまけに話すタイミングが切過ぎて私は途中からこの人は人間ではない救世主だ、と思うようになりました。
この高橋くん、作者の請い求める人間像なのか、はたまた単なる作者のナルシシズムなのか、判断に大変苦しんでしまいました。
ちなみに彼は右の耳たぶが少し欠けています。
その3 わざとタカナシローファット
誰もいない真夜中の会社で、一人プログラミングの仕事をしている白川さんが妻に買ってきてと頼まれた牛乳です。
普通ローファットミルク(低脂肪牛乳)というと、生乳から遠心分離器で乳脂肪を少し抜いたものと、脱脂粉乳を水に溶かしたいわゆる加工乳に分類されるものがあり、加工乳タイプはそんなの飲むくらいなら同じ低でも「低温殺菌牛乳」を少し量を減らして飲んだ方が良いというツッコミが出来る商品ではあるのです(雪印で騒ぎになったあれですね)。
しかし恐ろしいことに、こだわりブランド「タカナシ」では、調べてみたら加工乳のローファットの他に、生乳タイプの低脂肪と、生乳低脂肪でさらに低温殺菌というタイプまであるのです。
どのタイプを買ったのかで、異常なこだわり人間からブランドだけのあんまり考えてない人間、更には考えてみた上でタンパク質の変化より低カロリーを優先するという、私ならあり得ない選択肢をする人間まで、様々なレンジの人物像を想像できるのに、どれを頼まれたのか会話では上手くぼかされ、しかも特定のコンビニでなら買えるという、ここまで読者を煙に巻くか、な設定で私は殆どドツボに填りました。
その4 白川さんとはナニモノなわけ?
唐突に登場し、本人は殆ど語らず、マリやエリ達との接点も直接は語られず、謎のまま消えていく勝ち組と思われるサラリーマンの白川さん。他の登場人物と違って、この人物の人となりを雄弁に語るシーンが極端に少なく、その行動原理、理由、その他諸々は何故か救世主(もしくは導者)高橋くんによって唐突に語られ、その量も多めという人物です。
例えば132頁、「すかいらーく」でマリに話す高橋くんの言葉。
「そうだな・・・音楽を深く心に届かせることによって、こちらの身体も物理的にいくらかすっと移動し、それと同時に、聴いている方の身体も物理的にいくらかすっと移動する。そういう共有的な状態を生み出すことだ。たぶん」
読めば判るのですが、この「移動」と言う言葉はこの小説の中でどうしても必要な言葉なのです。そして高橋くんのこの言葉が白川さんに直接結びついてはいないのですが、私には意味深です。
遡って115頁、会社で一人仕事中の白川さんが聴くのは「イヴォ・ポゴレリッチの演奏する『イギリス組曲』。」
私はたまたまポゴレリチファンなのでそう言えるんですが、彼の演奏にはすっと移動させるようなもの、またそれに必要な呪術性があると思います。そう考えると白川さんは呪術師(似非でも願望でも瓢箪から駒でも)の役を担わされているのかも、という邪推もなりたちそうです。
また彼は暴力の表象としてでているのか?はたまたエリの(普遍的に人間の)閉じこめられた輪を断ち切るものとして登場するのか?も謎なのです。
高橋くんのハワイの昔話で「世界を見ようと思ったら犠牲が必要」と語られ、その後白川さんは高橋くんと同じように、やがて耳を失う運命になる予感が、予感だけですがあるのです。これは払うべき犠牲と考えてよいのでしょうか。
そして物語も終盤になった午前4時33分に彼の内面がようやく語られるのですが、それが
「論理が作用を派生的にもたらすのか、あるいは作用が論理を結果的にもたらすのか?」
という、殆どおちょくっているとしか思えない一行で、私は完全に夜明け前のまっくら闇に突き落とされたのでありました。
最後 大都会の夜ってどうよ
個々人の飛び出た思念がどっと行き交って昼とはまるで違う様相を呈する、そんな夜の街に身を置くと、飛び出た思念が触れるのか感じるのか、昼間では起こらないような、起こっていても絶対気がつかない類の自分と他人の連結が出来てしまい、それが特に人が多い大都会の夜は単なる連結だけでは済まず、その蓄積が巨大なエネルギーを蓄えしまっているような感覚。ここまでは私もついて行かれるのです。
この目にも見えない、感じる事も出来ないエネルギーの持つ力が、この小説の中の出来事を直接的に引き起こしているように読ませるあたり。しかもそれをあざとさと巧さのどちらにも転びそうな書き方を狙うなんて、ちょっと・・・ちょっと手に負えないかも、です(汗)。
本自体はさくさくと数時間で読める分量で、上記以外にも謎がてんこ盛りという空恐ろしいほんでした。
再読しましたが、最初に読んだときと二度目と印象がかなり変わってしまいました。もう一度読んだらまた印象が変わるんでしょうね。図書館の本で良かったと、今しみじみ思ってます。
最後にタカナシ乳業のサイトです。商品紹介、牛乳部門はここです。←すごいです^_^;
ポゴレリチ関連のURLも載せます。
ドイツグラモフォン社のポゴレリチのページ
ディスコグラフィのページ
HMVのポゴレリチ イギリス組曲のページ
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コメント
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私は牛乳を買う時は、賞味期限と値段で決める為に拘りが有りません!香港に居た時は手に入り易さからロングライフ牛乳が多かったですね
投稿: JohnClark | 2007年4月15日 (日) 13:09
JohnClark 様
実は私もこだわらない人間みたいです。^_^;
ロングライフ牛乳、便利ですよね、あれ。買い物出来ないときに一つあると安心感が違いました。ただ売っているところが少ないのと、あの形が開封すると冷蔵庫内で、結構場所をとるのが難点でしたが。
今は生協の宅配なので、牛乳が向こうから来てくれます(嬉涙)。
投稿: ぽんず | 2007年4月16日 (月) 07:26