タイトルは煽りです。
この国会答弁はかなり有名で重要なのですが、議事録が長くて読みにくいため、どなたか吉岡議員の歴史認識に関連する質問の全文と政府答弁だけわかりやすく抜きだしてくれないだろうかと長年思っておりました。しかし誰もやってくれないため、やむなく自分でやってみました。重要部分は太字で強調しておきました。
ブログデザインの関係で強調部分が読みにくくなってしまいましたが、お急ぎの方は太字部分だけ読んでも概要はお判りいただけるかと存じます。
なお、質問にある安倍幹事長は安倍晋三氏ではなく安倍晋太郎氏のことです。
質問している 吉岡 吉典 氏(1928年5月16日 - 2009年3月1日)は日本共産党の参議院議員です。
第112回国会 外務委員会 第10号
昭和六十三年五月二十四日(火曜日)
午前十時二分開会
○吉岡吉典君 これはもうちょっと時間をかけて本当はやりたいんですけれども、先ほどもありましたように、きょうのこの委員会は今国会の最後の外務委員会ですから、私はどうしてもきょうもう一問やっておきたい点を大臣にお伺いしたいと思いますので、やむを得ずテーマを変えたいと思います。
それは、今国会は私ここで二回も取り上げましたように、奥野発言というものをめぐって大臣の辞任という問題(下記参照のこと)が起こった点です。
この大臣の辞任、奥野さんが辞任したということでこの問題は外交上の決着はついたということにもなっているわけですけれども、私はこれでは終わらない、これで終わらないからいろいろな問題が起こる。
つい最近も自民党の安倍幹事長が、奥野発言は間違っていない、これによれば、あれは中国、韓国対策及び野党対策でやめたんで、発言内容が間違っていたわけではない、こういう発言を行っている。私はここらあたりに今日の政府・自民党の平均的な認識があるのじゃないかと思いましたけれども、それをそのままほっておくことができないというところが今日の重大な局面だと思います。
私は、なぜこういうことが起こったか。これまで二回問題にしてきましたけれども、きょうは別の面から、結局こういうことが起こる、また外国から日本への強い不信が、四十数年たってもまだ戦前の日本の侵略への不信が残っているのは、戦後四十数年間日本がきちっとした形で過去の他民族への植民地支配及び侵略戦争についての清算をしてこなかった、そこにあると私は思って幾つかお伺いしたいと思います。
私は、戦後四十年間あるわけですが、幾つかの時期を振り返ってみて、どうしてもやる必要があったと思います。
第一にポツダム宣言を受諾した際。この際、日本は、本来過去の植民地支配、侵略戦争の清算をすべきだったわけですが、当時はそういうことは全然やられない。当時の政治状況というのは、終戦時、国体護持が全力挙げての当時の支配層の関心だった。この時期のことは私はとりあえずは述べません。
次の問題はサンフランシスコ講和会議、これが日本が過去を清算する必要のあるもう一つの重要な時期だったと思います。
あの平和条約、安保条約については、私ここでも述べましたように我々は明確な見解を持っていますが、それはともかく、講和会議だと言うからには日本はやはり過去の決着をつけるべきだった。
私は、かつて古本屋で百円で買った議事録ですけれども、
外務省がまとめたサンフランシスコ会議議事録という本
をこれまでも何回も読み、今回も読み返してみました。
これを読んで私が非常に改めて感じましたのは、
サンフランシスコ会議でアジア諸国が、幾つもの国が日本の侵略を厳しく糾弾する演説をやっている問題なんですね。
私、事前にこれに関連して質問するということも通告しておきましたので、
どういう国が日本の過去の侵略について厳しい批判を行ったか、外務省の方から述べていただきたいと思います。
○政府委員(斉藤邦彦君) サンフランシスコ講和会議の際に日本より被害を受けたと述べた国は、ラオス、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、オランダといった諸国であると承知しております。
○吉岡吉典君 私が読んだところではまだ幾つかありますけれども、数はいいわけです。
これらの国の演説というのは、私が読んだ本によれば、事前にダレス特使がいろいろ圧力をかけたり、買収工作をやって本会議でこういう演説が行われないようにさんざん工作したにもかかわらず飛び出した発言で、当時の吉田首相は、ダレスの力も大したことないなと側近に語ったということまである本で書かれている。
そういう状況の中での発言ですけれども、例えばインドネシアはこう言っていますね。「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損失があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。」、こう言っています。四百万人が殺された。
フィリピンの演説を読んでみますと、こう言っています。「千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他にわが国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。」後、続くわけですけれども、私は改めてこの議事緑を読んで、こういうことを日本国民にも知らせないできた。同時にサンフランシスコ平和会議の受諾演説で吉田首相はこういうアジア諸国の批判に答えてもいない。私はそうこの速記録を読みましたけれども、別の読み方なさっていますか、外務省どうですか。
○政府委員(斉藤邦彦君) ただいまの御質問が、当時の吉田総理犬住の受諾演説で、日本が侵略行為をやって近隣の国に被害をかけたということを直接言及したかどうかという御質問であったとすれば、受諾演説の中にはそういうくだりはなかったと承知しております。
○吉岡吉典君 ここが私は戦後の日本と諸外国との関係を考える場合に非常に大事な問題だと思います。
講和会議で、今読み上げましたような百方人、四百万人が殺されたという演説があった。本当にアジア諸国のそういう声に耳を傾けようという姿勢で講和会議をやれば、私はそういう批判に一言ぐらいは少なくとも答えてあるのが当たり前じゃないかと思いますけれども、和解と信頼の条約だということでアメリカへの感謝の言葉はさんざん述べてありますけれども、これに答えることはなかった。戦後の講和会議での出発点、アジア諸国のそういう声を無視しての出発だったと、そこに私は今の問題がある。私は、今からでも講和会議のときにその声に答えなかったその答えを出すべきだと思います。それをやらないから教科書問題その他あらゆる発言のたびに問題が起こる。侵略の決着はつけられていないと思います。
ついでにお伺いしますけれども、この日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。
○政府委員(斉藤邦彦君) そのような声明を行った国はなかったと承知しております。
○吉岡吉典君 よく中曽根さんがお書きになっている本の中でも、それから奥野さんも、結果として独立を与えたんだということを述べられております。しかし、私もこれ何回も読みましたけれども、
日本のおかげで独立したなどというのはサンフランシスコ会議に参加した国の中でもどこもありません。そういう発言というのがいかに根拠のないものかということを示していると思います。
外務大臣、講和会議はこういう状況なんですね。それでよかったかどうか。私はアジア諸国に少なくとも何らかのことを言うべきだったと、吉田首相批判をやれというわけじゃありませんけれども、それから長い時期を経た今、アジア諸国といろいろな問題が起こっている時点でお考えにならないかどうか、大臣の意見をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(宇野宗佑君) 吉田総理が献身の努力をなさいまして我が国の独立を確実にしていただきました。これは我々としては感謝しなくちゃいけません。同時に、昭和二十六年の一月に、第十回国会におきましては、吉田総理は次のように述べておられます。「正しき観念に欠くる軍備は、外に対しては侵略主義となり、内においては軍国主義政治となるのは、わが国最近の事実の経過に徴してはなはだ明らかなところであります」こうしたことで、吉田総理といたしましては、十年間にわたる無謀なる戦争による名状しかたい破壊と混乱の後始末をなし、そうしていろいろと本大戦に対する反省の言葉を述べておられます。
同時に、私たちはその後、累次申し述べておりますが、アジアに対しましては常に経済大国日本は軍事大国にならないということを総理も宣明し、また私も明らかにいたしております。また、過般来申し上げておりまするとおり、特に戦後の後始末をいたしました日韓基本条約あるいはまた日中友好平和条約等におきましては常に反省の意をあらわしておるということでございますから、我々といたしましては今後もそうした気持ちを失うものではありません。
○吉岡吉典君 今その日韓条約に話が及びました。私は、サンフランシスコ平和会議に次いで日韓条約、このとき我々は、日韓条約については当時我々の理由を挙げて反対していますが、しかしともかくこれは日本と朝鮮、韓国との関係を清算すべき時期である、そういう時期になってしかるべきだと思いますが、それがならないできた。そこにいろいろなときに日韓の過去の植民地支配をめぐるトラブルが起こるもとだと思います。
最大の問題は、私は四月の委員会でも述べましたけれども、日韓保護条約とか日韓併合条約が対等の立場で結ばれた、自主的に結んだ条約だという点ですね。私は前にも申し上げましたけれども、きょうも実は時間があれば、奥野さんは外国によって日本の歴史が書きかえられた、書きかえられるというから、そうではなく、事実に沿った歴史が描かれていないところに問題があるということを、日本のしかも公的な文献できちっとしたいと思って、実は日本の公文書あるいは公的立場にあった人の本もいろいろ持ってきましたけれども、それ一々紹介しているとここでもう時間がありませんから、一々述べません。
日韓条約のときのそういう答弁、これは私は今なお朝鮮、韓国の人民を傷つける答弁だと思います。
明治九年の日韓修好条規に始まる一連の条約というのは、これは本当に当時の人々の書いた本によってもひどいことをやったんですね。
第一回目の最初の日本が韓国、朝鮮に押しつけた不平等条約である修好条規、明治九年ですけれども、
これは朝鮮総督府から出た本、戦前出た本ですけれども、この中で、アングロサクソン流の武力外交にならうものだったと。それで、アメリカから日本が不平等条約を押しつけられた、それを今度は逆に朝鮮に押しつけたということを詳しくお書きになっている。
それから、日韓保護条約がどういうふうにして結ばれたか。これは外務省の発表しているさまざまの文書の中にあります。私は、一つだけこれはぜひ読んでいただきたいと思いますけれども、保護条約のときの全権公使、林権助氏自身が書いた「わが七十年を語る」という本ですけれども、これを読んでみますと、伊藤博文と相談して大臣が逃げ出さないようはこういう手を打った、また韓国の判こが持ち逃げされないようにこういう手を打ったということがつぶさに書かれている。会談といいますけれども、外務省の例えば保護と併合という条約を読んでみても、伊藤博文が韓国の閣僚を集めて尋問しているわけですね。おまえ賛成か反対か、メンタルテストをやるように、おまえは反対だからおまえはそれじゃバツ、おまえは賛成、マルといってやったという状況がつぶさに当時の公式な立場にあった人々の本で書かれているわけですね。
そういうことをやってきて結んだ条約、これが自由な立場で結ばれた条約だということは改めなければ、どんな言葉を吐いてもこれは本当の意味の日本と朝鮮との歴史の清算にはならないと思います。
もう時間がありませんから、私ついでに述べさせてもらいますけれども、朝鮮併合後の問題で奥野さんは、韓国があれこれ言うのがようわからないとおっしゃっていましたけれども、日本が韓国でやったことについては、これまた外務省及び国会図書館に今はある本で、もういっぱい出ていますよ。これは三・一運動のときに現地から送られた電報が、今もうこんな本になって出ています。この原本は私は外務省にあると聞いていますけれども、こういうのは僕は少なくとも学術研究の対象にはしてもらいたいと思います。
これを読んでみると、驚くのはもう三・一運動のときに教会にみんなを集めて、それでみんな銃殺して焼き払った。しかし、こういうふうに公式に認めるとぐあいが悪いので、失火で焼けたということにしましたなどという手の内まで書いた電報があるわけですよね。
そういうことを日本はやってきた。そして、そういうのを暴徒呼ばわりでやってきたわけですね。そういう歴史を我々は隠しちゃならないと思います。
私はここで、これも六五年の日韓国会でのそういう政府の答弁を変えるということを直ちに求めません。しかし、そのままでよかったということでは済まされないと思いますので、そういう見解について何らかの研究なり検討をやる用意はあるかどうかということだけはお伺いしておきたいと思います。
○政府委員(藤田公郎君) ただいま委員が種々御言及になりました研究書、それから過去の文献等々は、一部分は外務省で外交史料館において開示しているものもございますし、一部は国会図書館にだけしかないものもあると思いますが、
一九一〇年以前の日韓両国間のやりとり、応酬につきましては、日韓国交正常化交渉の過程におきまして、ただいま委員の御言及になりましたような立場、それから我が方の立場を踏まえましていろんな議論が行われたということはよく御高承のとおりでございます。
その結果を踏まえまして、日韓基本関係条約第二条に記しておりますように、一九一〇年以前に日韓両国間で締結されたすべての条約及び協定は、日韓併合条約を含めまして「もはや無効である」ということを言っているわけでございまして、日本の立場というのはここに述べられているとおりということでございます。
その後、いろいろの機会に、本院も含めましていろいろ応酬が行われておりますが、政府としましてはそのような立場で一貫して御説明をしているとおりでございます。
○吉岡吉典君 時間が来ましたから、私は今のでは満足できませんけれども、ここであれこれやろうとは思いません。
日中についても、日中共同声明の際、国会で当時の田中総理は、中国に対して侵略だったということは私は言えないという答弁です、当時はね。しかし、今国会でいろいろ論議がありました。私は、これは日中共同声明の当時の田中首相の答弁、侵略だとは私は言えないという答弁を少なくとも発展させたものととっていいかどうか。この点、大臣。
○国務大臣(宇野宗佑君) 田中総理の発言はいざ知らず、私たちはやはり戦前の日本の行為が侵略だという世界的な非難、これに対しましては率直にそれを受けとめなければなりませんし、私自身ははっきりと軍国主義の侵略である、こういうふうに申しておりますから、私はそれでいいんじゃないか。私たちは現在そういう気持ちでおる、こういうふうに思っております。
○吉岡吉典君 私は、さらにこういう問題が起こることと関連して、教科書問題がこの数年間問題になっていますけれども、これについても結論として過去の侵略を否定したり覆い隠したりするような教科書をつくって教育したら、もう奥野さんのような日本国民ばかりできるようになると思います。そうなったら日本と世界との関係というのはこれは大変なことになる。
私は、戦後、中国を侵略した人々がつくった「侵略」という本ができたときに、かつて戦前の大臣も務められた風見章さんがお書きになって、これに序文を書いて、「日本民族が自らの歴史の中でおかした、このような罪悪に眼をつぶることは、ふたたび同じあやまちをくりかえすもとになるであろう。」と言って、日本が行った罪悪というものに我々は目をつぶらずに、はっきりさせることこそ大事だということをお書きになったことがある。私は日本国民の今後の教育にもこういう見地が必要だと思います。
というのは、例えば教科書でも三・一連動というのについて、教科書改訂で、かつて集会と書いていたのを暴動と書くように改めている。こういうことではこれは日本の将来が大変なことになると。そういう点で、今度の国会というものを踏まえて外務省は、こういう過去の歴史、対外関係について日本政府全体に資料を提供して、正しい歴史認識を確立する中心になっていただきたいということを要望して終わります。
奥野氏は国土庁長官だった1988年5月、国会で「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」「あの当時、日本にはそういう(侵略の)意図はなかったと考えている」と発言して閣僚を辞任した。
東洋経済ネット「政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている」
質問に出てくる外務省発行の「サンフランシスコ会議議事録」 にある各国日本非難発言は
「美しい壺日記」「サンフランシスコ講和会議にみる「アジア解放の戦争」という怪」の記事末尾に詳しく書かれています。
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-127.html
当ブログの関連記事
「慰安婦問題についての覚え書き」
http://ahoudori.tea-nifty.com/blog/2014/08/post-d038.html
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http://ahoudori.tea-nifty.com/blog/2018/09/post-f2f2.html
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