これいただくわ ポール・ラドニック
読書の秋と言うことで感想文、のっけてみました。15年も前に読んだ本の再読です。^_^;
登場人物はニューヨークに住む揃って買い物名人、旧エスカー三姉妹と無理矢理引きずり出された甥のジョー・レックラー君。この四人の買い物道中記です。帯の惹句は、
おかしくて、心温まる世界初の「買い物小説」!
我が道を行きどんな困難もうち破る長姉ポーラ。哲学的な中庸と諦観でバランスをとり決して自己主張しない次女アイダ。
この二人のいうなれば生き方の達人達を見つつ育ったジョーの母へディ。へディも二人の姉と、回想でしか語られない彼女の母親の様に人生を切り開くべく奮闘努力を致します。押してみたり、退却したり。でも上手く行かない、ずっと昔から。
夫は立派なものだし、息子達も(難ありとも言えますが)超一流大学。郊外に自宅あり、自身パートとはいえ仕事もしている。でも彼女自身はいつも何処かに不安があるんですよね。有閑夫人の贅沢な悩みとか?いいえ、実はもっと切実なんです。
人生は、幸せは、まじめに頑張らなくては手に入らないと言う脅迫的な気持ち。そして自分はそんな事ができないと判ってしまっているが故の不安。
それを打開すべくへディさん、とてつもなく過激な計画を考え(もともとやや過激なんですが、この方)、そしてこのお話で展開される紅葉見物兼お買い物旅行を決行するのです。メイン州にある L.L.ビーン本店を目指して。
道中のこの三姉妹とジョーの掛け合い、またこの人たちの買い物ぶり。実にすごいし面白い。でもへディの悩みが少しずつ漏れてきます。それぞれがちょっとづつ脱線しながらもそれに対処する姉二人はやっぱり人生の達人です。途中から登場するケリーもこの達人伯母さん達に助けられます。
11月のメイン州で白の合皮ハイビスカス付きパンプスを買ったケリーの一言。
「これで物が言えるようになったわね、人並みに」
買い物はかくも偉大。(笑)
でもケリーはまだ若い。パンプスでどうにかできる次元はとうに過ぎてしまったへディは一体どうなるのか。
結末が竜頭蛇尾という感がなきにしもあらずですが、下手に説明するより含みが残って良いのではと思います。
読み返して良かったと思いました。若い時はへディの気持ちに対しては一神教の持つ父性的な抑圧を軽く茶化している、程度の認識しかありませんでした。実際そう言うおちょくりが軽快なタッチで語られるので余計に。でも日本人の私が読んでも身につまされる位、へディの抱える不安は普遍的だと今は思います。
当たり前の事ですが、完全な人間なんていないんですよね(笑)
これいただくわ ポールラドニック著 小川高義訳
白水社 1990年
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