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カテゴリー「猫」の37件の記事

2016年5月30日 (月)

ぽんずオバにゃんは、故猫せいねの夢をみたか

 よく似たタイトルの前記事とは関係ありません(多分)

 フェイスブックには「過去のこの日」なる、自分の過去の「今日」の投稿をまとめて表示してくれる機能があります。そして今日表示されたのがこの投稿。

そう言えば夕べ故猫せいね(アイコン猫の父親です)の夢をみた。ひらりとどこからか現れ、悲しそうな顔をして大きな瞳で私を見つめていた。前にせいねの夢を見たときはとても良くして下さった方が亡くなられたので起きたとき不安だったけれど、夢でも会えたのが嬉しかった。
                      2013年5月30日
 
  同じ内容をツイッターでも呟いていました(リンク

 こんな夢を見た事も、こんな投稿をしていた事もすっかり忘れていました。

 猫が死んでから今日までの15年間に、私はせいねの夢を三回しかみていません。せいねが死んだ後すぐにに見た、夢と言うより半分覚醒していた私の思考が濃厚に入り込んだものが一回、このツイートに書いたSさんがお亡くなりになる二日前のもの一回、そして、数年前の、夢に見たことだけしか覚えていない一回と、計三回だけです。

 何故こんな忘れていた夢の話をしているかというと、実はこの後、6月30日に伯母が急死していたからなのです。三回(四回?)夢をみてその後二回お葬式、それもどちらも故猫せいねが直接会ったことのある人・・・・(^_^;)

 偶然だとは思うんです。そして私が全く覚えていないだけで、せいねの夢を山ほど見ている可能性もあるわけです。なにより、父が亡くなったときにはせいねの夢を見なかったのですもの。
とはいえ、父は余命宣告されほぼ予定通り寿命が尽きたのですが、Sさんは容体が急変、伯母は歳に不満は無いものの、発作で文字通り急逝したので、どちらも一同びっくりという共通点はありました。

 こうなるとせいねの夢を見たいのか、見ると怖いのか我ながら分からなりますが(でも見たい!だから三回目の夢の記憶を消したのかも)、月イチのブログ更新がやっとの身の上で、月末も押し迫った今、今月のブログネタを提供してくれた故猫せいねに深く感謝をする私でした。取り敢えず今は更新出来て良かった(;^_^A アセアセ)

追伸
もっとも私の見る猫の夢って、これとか(リンク)、これとか(リンク)。普通にかわいい夢が一つもない様に思えるのは気のせいですかね?フキフキ "A^^;


故猫せいねはこんなヤツにゃ↓
星音の写真

2016年4月30日 (土)

腰痛おばさんはにゃんこオシリの夢を見るか?

 結論から申し上げますと、見ます(キッパリ)

 何時からかと問われれば、今年の一月半ば、雪かきでぎっくり腰になって暫くしてからです。

 夜寝ていて、ふと気がつくと故猫ほっしいが私の隣に一緒に寝ているという夢なのです。うちの猫達は生きている時、寒い時期は私の布団に潜り込んで、好き放題私を押しのけて寝ていたのですが、その時の感触というかなんというかが、本当に隣に寝ている様な夢で、朝起きても本当の出来事だったのではないかという思いがしばらく続くほどでした。

 そしてある夜、真夜中過ぎ、私の指先に故猫ほっしいのオシリが触れたのです。本当にほっしいだったのです。その時はそのまままた寝入ってしまいましたが、朝目が覚めたとき、懐かしくて涙がこぼれてしまいました。

それからも猫のオシリが私の側にいることが何度もありました。

 この頃私は腰は痛いし調子は悪いし、法事の準備もしないとならないしで、日々大変だったのですが、夜故猫が添い寝をしてくれる夢が見られるので随分救われていました。夜、死んだ飼い猫が布団の中にいても怖くなんてありませんでした。

 しかしある晩のこと、ふと目覚めた私の指先に、確かに猫のオシリが触っているのです。これは夢ではありません。暗闇ではあっても目は開いている・・・。これ、何?^_^;

 それは、私が布団の中に入れたニトリ(だと思う)のクッションでした。
 
 腰が痛むときは膝を曲げた方が楽なので、膝の下にクッションを入れて寝ていたのですが、私が眠りに落ちるや否や、クッションは多分私によって蹴飛ばされ踏みつぶされ丸められて、布団の片隅に追いやられていたのでしょう。
そのクッションの、毛足の長い表面が、潰れて丸まると、偶然、故猫ほっしいのオシリの毛並みにそっくりになったのでした。踏みにじられていない状態では似ているなどと思いもしなかったのに、ちょっと丸めると完全に猫の毛並みになるなんてびっくり。

 こんなオシリのそっくりさんが布団の中にいるわけですから、それは猫の夢も見るでしょう。ほんと、毎晩夢を見ていましたもの。
でも人間って現金なもので、それがクッションだと分かった途端に夢も見られなくなってしまい、ちょっぴり残念ではあります。
その埋め合わせにと言ってはなんですが、今は起きている時にクッションを丸めて故猫のオシリを作ってそれを満喫しています。

 さて、皆さん、丸めると猫のオシリになっちゃうクッションがどんなものか知りたいでしょ。ごめんなさい。買ったのが大昔なので検索しても見つかりませんでした。似たのも見つけられませんでした。畝のあるベロアみたいな生地で出来たクッションで、半額セールで数百円でした。

 このオシリ感を分かち合えなくて残念です。いや~、ほんと残念(*^_^*)

2015年12月19日 (土)

にゃんこのソコヂカラ

  昔々も大昔の事、天井裏でアヤシの物音がしたことがありました。アヤシとはいえ、走り抜ける足音とか、カリカリかじる音などで、音の主はあの生物であろうと察しが付いたので、家族一同恐れおののいていたところ、丁度我が家に来たばかりの、まだ生後数ヶ月だった猫の星音が、ある夜、天井をキッと睨み付けて「ニャーーーーー!」と一声ないたところ、その晩からアヤシの物音はぴたりと止んでしまいました。
それ以来、星音と息子猫ほっしいの父子二代が健在の間は、我が家はあのアヤシの生き物を恐れる事無く安心して暮らすことができたのです。
ほっしいが死んだ後は、ご近所猫のシロちゃんが毎日のように庭に遊びに来てくれたので、引き続き我が家は安泰でした。

 しかし、2012年、お風呂大改装とベランダ改修工事を挙行したところ、静かな環境をかき乱されたシロちゃんはちょっとプンスカ、そして専用お昼寝台撤去に大プンスカで(だって工事の都合上仕方なかったのよ)、庭にあまり来てくれなくなってしまいました。

 翌2013年5月、庭の物置内にアヤシの黒い物体が散らばっているのが発見されました。まごう事なきあの生物の落とし物です。肥料の油かすと、藁、マルチのビニールなどが被害に遭っていました。私は物置の中身を出して中を掃除し、薬局で、臭いで撃退する「ねずみの見張り番」を買って物置内に置いたところ、それ以降アヤシの黒い物体を見かける事はありませんでした。
しかし、この「ねずみの見張り番」はハッカの匂いが結構きつく、それを嫌ってか、シロちゃんが庭に来る回数はぐっと減ってしまいました。

 その年の秋には床工事となり、またもシロちゃんの平穏を破る事になってしまいました。
しかも暫く使っていなかった障子を使い始めたので、部屋の外にシロちゃんが来ても今までみたいにすぐ判るという訳にはいかなくなってしまったのです。


昔はこんな感じだったのが

Amayadoris

 遊びに来たよ~ 中に入れて~!


来ても判らない。。。

10xlbk123s

 (部屋が散らかってる~)


 シロちゃんの足は遠のきました。。。。



 そして、2015年、12月16日木曜日、突然天井裏で不気味な音が鳴り響いたのです。あの、黒い物体をまき散らし、おしっこ掛けながら歩き回るというあの生物なのか!!!物置をあける度に、黒いものが落ちてないか、怯えたあの日々が、また起こるのか!!!!
今度は家の中に黒いものが落ちていて、掃除に這いずり回る事になってしまうのか!!!!(震)

 私は即ホームセンターに走り「ねずみの見張り番」をゲット、天井裏にセットしました。しかし音のする場所と、天井裏への入り口がある場所はちょっと離れているのです。梁を伝って天井裏を移動なんて私にはちょっと無理なので、目指す場所まで臭いが届くかどうか、微妙なところです。はたして、設置後もアヤシの物音が継続。袋タイプのものもあったので、それを入り口から目指す場所に投げ込んだりして、経過を見ることにしました。たった一声で撃退したにゃんこは偉大だ。これはシロちゃんをないがしろにしたバチがあたったんだわ(T_T)

 ねずみに怯え、天井裏への出入り(押し入れの天井部分から出入りするのでそのたびに布団を出し入れして、落ちてくる埃を掃除機でお掃除)で疲れた私は、心に栄養を与えようと、翌日図書館で本を借りる事にしました。

 最近映画化もされ、原作もすばらしいと評判の斎藤惇夫「冒険者たち」
その書き出しはこうでした。
 
 ドブネズミのガンバは、台所の貯蔵穴に住んでいました。


 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!ねずみの話はいやぢゃああああ!

 大人になって、手に取った児童文学で、最初の一頁で読み通せないと思ったのはこの本が初めてでした。

 にゃんこは偉大です。人間の読書にまで影響を与えるのです。

 ちなみに、アヤシの物音は木曜日を最後に聞こえなくなりました。が、断熱材の上を走れば音はしないので、毎日怯えながら生きています。ああ、お猫様! (T_T)

2015年9月 6日 (日)

すれ違う私たち

 今年の春から夏にかけて、雨がちの日が続きました。それゆえご近所猫のシロちゃんはあまりうちの庭に遊びに来てはくれませんでした。

 そんな寂しい思いをしていたとある朝、集積場にゴミを出しに行った帰り道、Mさん宅(シロちゃん宅)前に佇むシロちゃんと遭遇したのです。数週間ぶりの邂逅に懐かしさのあまり思わず声を掛けてしまいました。
「シロちゃん、おひさしぶり~」
「合いたかったわ~。最近ちっとも行き会えないんだもの」

と久々にあえた嬉しさに話し続ける私に、シロちゃんもはにかみながらも小さく合いの手を入れてくれます。満更嫌ではないかのよう(*^_^*)

立ち話も終わりに近づき、私は最後にこう付け加えました。

「遊びに来てね、待ってるから。絶対に来てね」


 それからしばらく雨の日が続きました。何日も雨が降り続いた後、ふと、雨が止んだ日がありました。私はその朝、慌ただしく車に乗り、車道から我が家の庭にふと目をやると、芝生の上でシロちゃんが、出て行く私を見つめながら凝然と佇んでいたのです。
どうみても「ええっ!せっかく来たのに出かけちゃうわけ?」と言っているとしか思えない表情をして。

 私は今車から降りて数分間シロちゃんの相手をすべきか、または家に電話して、母にシロちゃんが庭に来ているから歓待するように頼むべきか迷いました。しかしその時母は腰を痛めていて、窓際まで動かすのも憚られ、私も時間が迫っていたため、やむなくそのまま車で走り去らざるを得なかったのです。

これが時間のある時だったら・・・(T_T)

 それから暫くして、また朝のゴミ出し帰りにシロちゃんと遭遇しました。私は前回の非を心から侘び、我が家に是非また遊びに来て欲しいと伝えました。

 その後また雨の日が何日も続きました。漸く雨がぽつりぽつりと小止みになった土曜日の午後、私は雨脚の間隙を縫ってスーパーに買い出しに行くことにしました。
車に乗って車道に出ようとしたとき、道の遥向こうにシロちゃんが、私の車を見つめながら佇んでいるのです。その姿は「また出かけちゃうの?せっかく出てきてあげたのに」と言っている様にしか見えませんでした。
スーパーに行くのを止めようか。一瞬そう考えました。しかし降り続く雨で我が家の食料は底を尽いていました。今行かなければ今夜食べる物が無い。私は涙を呑んで、シロちゃんから顔を背け車を出しました。シロちゃん許してと心の中で叫びながら・・・。

 その翌々日朝、窓のカーテンを開けた私の目に飛び込んで来たものは、芝生の上にてんこ盛りになった、猫の落とし物でした。シロちゃん、許してくれなかったんだ(涙)
その後ゴミ出し時に遭遇した時、何度も謝ろうとしたのですが、私を見ると即顔を背けて話を聞いてくれようともしてくれませんでした。それから母が入院したり(私が忙しい)猛暑になったり(シロちゃんは暑い時期には出歩かないのです)で、シロちゃんの顔を見ることはほとんどありませんでした。

 あれから二ヶ月以上経った今になって何故こんな話をするのかと言えば、一昨日のゴミ出し時に久々にシロちゃんと遭遇でき、その時に、私は嬉しさの余りまた「遊びに来てね」と言ってしまったからなのです。
 
 これから暫く我が家は母の病院通いでほぼ無人。こんな事はゴミを出す前に分かっていた事なのに・・・

 シロちゃんに「仏の顔も三度まで」があるのかどうか。私は今戦きながら日々を過ごしています。

 馬鹿だ、私って大馬鹿だ~(号泣)

2014年4月 1日 (火)

王の歩み 忍びの早業

昔々のこと。

シャンプー大嫌いの故猫星音を無理矢理お風呂に入れ、レスリングのようにとっくみ合ったままドライヤーをかけ終わった、とある穏やかな夕暮れ。

星音は廊下の片隅で、気持ち良さそうにグルーミングをしていました。


私は廊下に寝転がり、尺取り虫の様にくねくね近づいてすっきり顔の猫に向かってこう言いました。

「お風呂に入ると気持ち良いでしょ」

顔を背けて完全無視をはかる星音に更に近づいて

「お風呂に入ってさっぱりしたでしょ」とたたみかけると、敵は煩わしいと思ったかすっくと立ち上がり、私を残してすたすたと去っていきます。

私は床に寝転がったまま立ち去る猫の背中に向かって

「素直じゃないわね、さっぱりして気持ち良いのに。認めなさいよー」と更なる一言を発したのです。

すると星音はその場でぴたりと歩みをとめ、振り返ってこちらに向かってまいりました。

私の目を見つめながら、長い被毛をたなびかせ、パリコレモデルのような歩き方で。

わー、エルメスオムのモデルさんみたーいヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

 あまりの格好良さに半口開けてうっとり見とれる飼い主の前までひたひたと歩みを進めた我が飼い猫は、一瞬の微笑みを見せたその直後、くるりときびすを返し、シャンプーの残り香がするふわふわの尻尾で私の顔をかすめたと同時に、風呂上がりですべすべの後足を強力な回し蹴りで・・・

 バキッ!!

と私の眉間に命中させたのです。

目から火とは当にこのこと。涙と鼻水が同時に吹き出しました。


飛び交う星の残像の中、床に這いつくばった私が漸く目を開け見たものは、廊下を曲がっていく飼い猫の、たてがみをたなびかせた王の歩みでありました。

 巷に虚偽と陰謀が渦巻く、今日四月一日だからこそ、実話百パーセントのこのお話しをさせて頂きました。
本当です。本当にあったお話です。

 その後、「ちょっとからかったからって、あんまりじゃないのよーーー」という負け飼い主の遠吠えがむなしく廊下と玄関に響いたことは申すまでもありません。

 負けた、飼い猫にガチで負けた。今思い出しても悔しいっっっ(号泣)

追記です。
犯にゃんはコイツね。
星音の写真

2013年10月28日 (月)

猫の幸せ


『おはぎときなこのこと』


ちょっと前になりますが猫のおはきなちゃんの話をこのブログで読んだときにはただただ大切にされている様に感激してしまって他にはなにも考えなかったのですが、今頃岸さんの主張される「猫は自分が幸せなことがわからない」が少し違うのではないかと思いまして、我が家に起こった12年前の出来事をつらつら書いてみたいと思います。

それはうちの星音が死んだ一ヶ月ちょっと後、2001年10月27日の事でした。

とても穏やかな日だったのですが、庭で突然猫の鳴き声がしたんですね。それもちょっとあまり聞いたことのない大きな声の。母の話によるとその声に反応してうちの息子猫ほっしい(当時16歳)も大声でなき返したところ、黒い小さい子猫が矢のように走ってきてサッシの外側に貼り付くように身を寄せたんだそうです。
私が居間に行ったときは子猫とほっしいはサッシ越しに見つめ合ったりすりすりしたり。うちのは完全室内飼いなので、普通なら外の猫は怖がるのですが。
その猫はそのまま庭に居続け、迷い猫疑惑が浮上してきました。

夕方になり冷え込んでくるとほっしいの心配の仕方は一層エスカレートし、サッシの前に仁王立ちになって中へ入れろと大コール。しかし入れたら仔猫ちゃんは家に帰れなくなってしまいます。暗くなったので晩ご飯はあげることにしたのですが、その時もほっしいは私についてきて中味を検分。あげるのが一番高い猫缶である事を確認したときの満足の表情は今でも目に浮かびます。
ご飯を食べるのを窓越しに確認し、夜は冷えるので段ボールと毛布を設置して、それも窓越しに確認してオッケー貰って(うちの猫にだ)その夜は暮れました。

ここからはかいつまんで書きますが、翌日から縁側に住まわせ(トイレも出来るお利口さんでした)、警察に届けたりチラシを作ってポスティングしたりして大々的に飼い主を探しました。それでも飼い主は見つかりませんでした。藁にも縋る思いで地元のコミュニティ紙に広告も出し、図書館に行って同じコミュニティ紙の過去の迷い猫広告も探したところ、一つだけとてもよく似た黒猫を探している広告があったのですが、掲載日が一ヶ月以上前。さらに直線距離で5キロ先という遠さ(猫は実際には近くで迷子になる事がほとんど)さらにさらに、生後八ヶ月とのこと。子猫に見えたあの猫は八ヶ月なのか?
電話を掛けると飼い主さんのお母様がお出になってまだ見つかっていないとのこと。取り敢えず飼い主さんの仕事が終わったらまた連絡をということにして家に帰ったのですが、この時既に11月でして、飼い主捜しに疲労困憊していた私はもうぬか喜びはしたくなかったのです。九ヶ月なのか小猫なのか、はっきりさせようと健診がてら獣医さんに連れて行くことにしたわけです。

もう夕方だったので大急ぎで獣医さんに連れて行ったところ、「これは子猫じゃないでしょう。一歳にはなってないけれど、八~九ヶ月ですよ(笑)」ということに。
ところが突然聞こえた車のバースト音でそれまでものすごく大人しかった黒猫ちゃんが診察台から脱兎の如く逃走。運の悪いことに混んでいる時で診察室の戸が開いていて、出口から裏の堤防草むらに逃げ込んでしまったんですわ。みんなで探したけれど堤防は広くて見つからず。泣きそうな私に先生の奥さんは「草むらにすくんでしまったら見つからない。そのうちうちの(猫)が探して連れてくるから大丈夫」とキッパリ。そう言われて暗くなったのでやむなく帰ったんですが、雨も降ってくるし寒いし川もあるしでその晩は眠れませんでした。

が、でかした猫ちゃんは連れて戻って来たのでした。
どうも黒猫ちゃんが落ち着いた頃を見計らって近づいて説得して連れてきたみたい。雨の中しょぼしょぼと飼い猫ちゃんの後ろから家に入ってきたそうです。
当時はだだ喜んだだけでしたけれど、今考えると猫のコミュニケーション能力と自分の状況把握能力は侮れないと思います。獣医さん宅に戻ることのメリットを知ってないと説得できないでしょう。猫は群で暮らす習性はないんですから。
うちのほっしいだって黒猫ちゃんと意思疎通して分かったのか、他の猫とのやりとりで知ったのかは分かりませんが、寒い夜に外で寝る野良の辛さをどう考えても完全に理解していたとしか思えないのです、あの仁王立ちチェックは。

結局、黒猫ちゃんは行く方しれずになっていた猫ちゃんで、飼い主さんはとても良い方でお母様も心配の余り寝込むほどだったそうで、猫ちゃんの帰還に大喜びでめでたしめでたし(見つかっても喜ばれなかったらというのも私の心配の種でした)だったのですが、以上の出来事から岸さんの「猫は自分が幸せであることを知らない」には同意できないのです。
猫は自分の境遇を知っている。おはちゃんは自分が幸せな事を知っていながら知らんぷりをしていると私は思うのです。

2013年9月13日 (金)

夢のはなし

 夕べ夢を見ました。

 気がつくと私はとても広くて綺麗な、でも見知らぬお部屋に立っていました。そしてその部屋にはそれはそれはかわいい猫ちゃん(短毛種・ベージュ色・おんにゃのこ)がいました。

 猫ちゃんは落ち尽きなく部屋の中をぐるぐる歩き始めました。鳴く声もかなり不安そう。

猫ちゃんはどんどん速度をあげて部屋の中を歩き回ります。私は心配になります。

猫ちゃんは更に更にぐるぐる部屋を回ります。ほとんど走っていると言って良い速度です。私は不安で体がこわばります。

 私の不安と心配が高まり頂点に達したその時、猫ちゃんはぴたりと歩みをとめ、顔だけ私の方を振り返って大きな声で叫びました。

 「わからないの?この部屋にはトイレがないのよ!!!!」

なんてこと!

私はトイレを探すべく部屋の戸を開けました。部屋の外は紛れもなく我が家の廊下です。この先の納戸の中に猫トイレを仕舞ってあったはず。私は廊下に半分身を乗り出し猫ちゃんに呼びかけました。「今トイレを持ってくるから待っていて!」


 しかし猫ちゃんは既にトイレ体勢(猫を飼った方はお判りですね。あれです。あの姿勢です)をとっているのです。金の足が付いたロココ調大理石ティーテーブルの真下、薄いピンク色をした、ものすごくふかふかで、ものすごく高そうなセンターラグの真ん中で。

 麗しの猫ちゃんは高らかに叫びました。「待たないわ!」

 私はテーブルに向かって全身全霊でヘッドスライディングをしました。我が家にまだ猫がいた頃ペットシートを持ってスライディングをしつつ猫のお尻の下にシートを差し込んでいた癖が出てしまったのでしょう。もちろんペットシートを持っておらず、全く無駄な行為であることを承知しながら。


 手を伸ばしうつ伏せで倒れたまま「しょわしょわしょわ~」と液体が敷物にしみ込む音を聴きながら目が覚めました。暫く起き上がる気にはなれない夢でした。


 恐ろしかった。本当に恐ろしい夢でした(T_T)

2013年4月 1日 (月)

しみじみ語るにゃんこのおもいで 映画鑑賞のお話し

 家の故猫ほっしいはテレビを観るのがかなり好きで、動物もの(特にコアラと鳥が好きでした)の他に「ドイツロマンチック街道」や、楽しげなミュージカル映画を良く観ていました。

 さて、猫がうたた寝をしている有る静かな夜のこと。
テレビでヒッチコックの「鳥」が放送され家族で観ていたのです。
大昔に観ているので「恐くもないよね」などと最初のうちこそ笑っておりましたが、そのうち段々と恐ろしくなり画面を食い入るように観ていたその時、ふと視界の端に白い三角形が目に入るではありませんか。

 なんとそれはテレビの前で固まっているほっしいの白いイカ耳。
寝ているとばかり思っていたのにしっかり観ていたのです。あまりの固まり方にさぞや恐かろうと慌てて目の前を手で覆うと、手の下から覗いてみる始末。
恐怖のイカ耳はそのままで目はランラン。
出来るだけ見せないようにしながらも、人間が観たいばかりに結局最後まで観てしまったのでありました。

 その晩の真夜中過ぎ、草木も眠る丑三つ時に突然大きな悲鳴に私は叩き起こされました。灯りをつけるとほっしいが叫びながら壁を登ってカーテンレールの上を走り回っているのです。
父親猫星音が「何?何が起こったの?早くこの状況をなんとかしなさいよ」という風情で私を睨み付けるので、「病気でも怪我でもなくて、夜観た鳥の映画でうなされて寝ぼけたと思う」と私が答えると(ほんとに答えてしまいました)、あああれ、あれ真に受けたの?呆れた~という顔をして背中を向けて寝てしまいました。寝るなよ~(T_T)

 その後駆け周り続けるほっしいを椅子にのって捕獲し、夢であることを言い聞かせ、あやして寝かしつけたのでありましたが、翌日の晩も寝ぼけて鳴いたのでございます。二日続けて悪夢ですよ。
以来我が家では「鳥」鑑賞は法度となったのでありました。

 
 先日チャンネルを合わせたら、たまたまWOWOWでこの「鳥」を放送していて、途中からでしたが何年?何十年?ぶりで観たのでしたが、もうイカ耳する猫もいないと思うと、その寂しさはいかんともし難いのでありました。

 一緒に観ると楽しかったのですよ。

 今日はエイプリルフールですがこれは脚色ゼロの実話です。信じない人もいるかもなので、念のため今日やったエイプリルフールツイートのリンクを貼っておきますね^_^;

2011年9月19日 (月)

10年目

 明日9月20日は10年前、故猫星音が息をひきとった日です。

 あの年も夏暑くて、なんとなく元気がなかったのを猛暑のせいだとばかり思っていました。
それが前の晩(つまり10年前の今日ですが)急に具合が悪くなり、
一晩付き添って、朝一番に獣医さんに電話して駆け込んだわけです。
もう危篤状態でしたが。

 呼吸が止まったとき全ての臓器がパタパタッと同時に止まって、これは天寿を全うした証拠ですよ。普通はこうはなりません。と獣医さんは仰って下さったんですが、その時は助かる術が何処かにあるかもと、一縷の望みを探していたので、なんかはしごを外された様な気がしたものです。天寿じゃ無理だ・・・(笑)

 星音を抱えて獣医さんから出ると空が青くて・・・。前日までひどい暑さだったのに風もさわやかで、ああ秋なんだなあと。

 10年経って、どんなに忘れたかと思っていましたが、あの時の感覚、あまり変わってない気がします。
確かに当時とは違いますけど(涙に暮れてませんし)、心の中で、時間の砂に深く埋められてはいるけれど、掘り起こせばあの時のままの状態で出てきそうな、そんな感じです。
 
 別れというものは、悲しい出来事というものは、もしかするとあまり色あせなくて、だから時間の砂で埋めていくより仕方がないものなのかもしれません。

3月11日、どれだけの悲しい別れがあったのか、想像もつきませんが、いたわるように、時の砂が降ってくれればと思います。


 


星音の写真

2011年8月13日 (土)

シロさま おん昼寝

  庭で一番きたないこの場所でなくてもとか

  ここが涼しい場所なのか?とか

  いろいろ言いたいことはあるのですが、ぐっと堪えてただ一言。

      つけもの石は枕じゃない


   と思う、シロさま、御昼寝のご様子


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