九月二十日 幻影の話
私は四国へお遍路に何度か行ってまして、一緒にお四国に行き、また大変お世話になっていたおばさんが、帰ってきた後「にゃーごさん(おばさんはいつもうちの猫達をこう呼んでいた)は良い子にしてた?」と聞くのです。私は猫どもの私に対する鉄拳制裁、その惨劇の数々を涙ながらに語りまして、それを聞いたおばさんの笑うこと笑うこと。
おばさんはうちの猫にあったときにも、開口一番「仕返ししたんですって?」と言い、当然飼い猫星音(せいね)は「だってほんとにひどかったんだもの~」と言わんばかりの返答をし、猫を飼った事がないおばさんは「まあ、言葉がわかるのね」といたく感心。その後ふたりはなにやら目と目で語り合っておりました。
そんな星音がおばさんの入院中に死んでしまい、お見舞いに行くたびに「にゃーごさんは元気?」と聞かれた私は、たとえ寿命でも入院中の人に死にましたとは言えず 、明るく「元気ですよ~」と大嘘をつき通しました。おばさんが亡くなる翌年の二月まで。息子猫のほっしいは生きていましたし。
おばさんのお通夜の晩、お寺さんの枕経の最中にふと顔を上げると、おばさんの横たわる布団の足元、その上1.5メートルくらい上におばさんが、開いた窓から顔を出したように現れて
「ちょっと、にゃーごちゃんこっちに来てるじゃない」と一言。
びっくりしたような、ちょっと非難するような目で見つめたあと、私のあの時の気持ちを察した様な、やさしい、でもちょっとしんみりした表情をしてからその姿は消えました。
寒い夜でしたし、私も疲れていたので目の錯覚か、文字通りの幻影だったのでしょう。でも、あのおばさんのくりくりっとした悪戯っぽい大きな目を幻覚でも見てしまうと、おばさんと星音が私のワルクチ大会で盛り上がっているようで気が気ではなくなり、そしてほっと安堵もできたのです。
親しい人、ものたちが、死んだ後に再会して内輪話に盛り上がるという考えは、生き残った私にはとても大きな慰めでした。
お通夜の晩のおばさんを9月に入ってからしきりに思い出していました。そして九月二十日は星音の十一回目の命日だと気がつきました。
そして前にもおばさんの夢をみて安堵したことを思い出しました(この記事にあるSさんです)
今朝、十一年前と同じ抜けるような青空を眺めると、お通夜の晩に感じた安堵感と暖かいものをまた感じたのです。
蛇足
私03年にも四国行ってたのか。忘れとったわ(汗)
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