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カテゴリー「出来事」の22件の記事

2012年9月20日 (木)

九月二十日 幻影の話

 私は四国へお遍路に何度か行ってまして、一緒にお四国に行き、また大変お世話になっていたおばさんが、帰ってきた後「にゃーごさん(おばさんはいつもうちの猫達をこう呼んでいた)は良い子にしてた?」と聞くのです。私は猫どもの私に対する鉄拳制裁、その惨劇の数々を涙ながらに語りまして、それを聞いたおばさんの笑うこと笑うこと。
おばさんはうちの猫にあったときにも、開口一番「仕返ししたんですって?」と言い、当然飼い猫星音(せいね)は「だってほんとにひどかったんだもの~」と言わんばかりの返答をし、猫を飼った事がないおばさんは「まあ、言葉がわかるのね」といたく感心。その後ふたりはなにやら目と目で語り合っておりました。

 そんな星音がおばさんの入院中に死んでしまい、お見舞いに行くたびに「にゃーごさんは元気?」と聞かれた私は、たとえ寿命でも入院中の人に死にましたとは言えず 、明るく「元気ですよ~」と大嘘をつき通しました。おばさんが亡くなる翌年の二月まで。息子猫のほっしいは生きていましたし。

 おばさんのお通夜の晩、お寺さんの枕経の最中にふと顔を上げると、おばさんの横たわる布団の足元、その上1.5メートルくらい上におばさんが、開いた窓から顔を出したように現れて
「ちょっと、にゃーごちゃんこっちに来てるじゃない」と一言。
びっくりしたような、ちょっと非難するような目で見つめたあと、私のあの時の気持ちを察した様な、やさしい、でもちょっとしんみりした表情をしてからその姿は消えました。

 寒い夜でしたし、私も疲れていたので目の錯覚か、文字通りの幻影だったのでしょう。でも、あのおばさんのくりくりっとした悪戯っぽい大きな目を幻覚でも見てしまうと、おばさんと星音が私のワルクチ大会で盛り上がっているようで気が気ではなくなり、そしてほっと安堵もできたのです。 
親しい人、ものたちが、死んだ後に再会して内輪話に盛り上がるという考えは、生き残った私にはとても大きな慰めでした。

 お通夜の晩のおばさんを9月に入ってからしきりに思い出していました。そして九月二十日は星音の十一回目の命日だと気がつきました。
そして前にもおばさんの夢をみて安堵したことを思い出しました(この記事にあるSさんです
今朝、十一年前と同じ抜けるような青空を眺めると、お通夜の晩に感じた安堵感と暖かいものをまた感じたのです。

蛇足
私03年にも四国行ってたのか。忘れとったわ(汗)

2012年8月13日 (月)

わんこの思ひ出

 皆様、大変ご無沙汰しております。6月7月と大変バタバタしておりまして、遂に7月は一本の記事も書くことが出来ませんでした。月一更新なら今まで何度かありましたが更新無しは初めてです。えーんえーん(>_<)

 怒濤の様に過ぎ去ったこの二ヶ月間に何が起こったか?についてはおいおい記事にしたいと思いますが、今日は唐突に思い出したあるわんこの思い出を語りたいと思います。


 それは今から二・三年前の夕方のこと。たまたま道路工事による信号待ちで、いつもは止まらない場所に停車して、私は車列が動き出すのを待ちながらみるとも無しに歩道を眺めておりました。
すると向こうから一頭のドーベルマンが飼い主らしき人物と一緒に向こうからやって来たのです。
その犬を連れている人は警察の鑑識課みたいな服を着ており、このすぐ側に警察犬訓練士のお宅があることを知っていた私はこれが訓練中のわんこであると察せられたのでありました。
間近で初めて見る訓練中の警察犬は、真っ直ぐ前を見つめ整った歩幅で規則正しく、たったったったっと、それはきびきびと歩いてくるのです。目つき、顔立ちも使命感と緊張感が漲っており、巷のお散歩中のわんちゃんたちとは天と地ほどの違い。


なんという賢そうなわんこであろう。

私は思わず嘆息しました。この犬がもし人間だったとしたらどれだけ頭の良いことだろう。少なくとも私などは足元にも及ばないと。

 

 そう思った瞬間、その犬と私は目が合いました。羨望のまなざしでヨダレをたらして眺めていた私に向かって使命感に燃えたかの君は、

  うわー!コイツおれより馬鹿!

と、ありありとその目で語った後、優越感を浮かべながらまた前方を見つめて歩き続けたのでございます。


 そこになおれ!噛みついてやる!噛みついてやるーー!

 猛り狂った私が、どうして車から飛び出さず、犬にも噛みつかずに済んだのかは今もってよく判りません。多分暴力的な人間に噛みつかれたときの、あの犬の驚愕が心に浮かんだからかもしれません。

あれから幾星霜、正鵠を射られることが人間にとってどれだけ打撃になるのか、あの犬を思い出す度に思い知らされるのでした。

 やっぱり噛みついておけばよかった(号泣)

2011年11月 5日 (土)

お芋のおもひで

 それは今から十年以上前、高知県窪川町での出来事でした。

 お昼の時刻もかなり過ぎたある秋の日、私の前にはさつまいもの天ぷら半分が鎮座していたのでした。

それは2㎝程のどっしりとした厚みがあり、切られた断面はしっかりとした濃い黄色。しっとり甘やかな水分を保証するかのように、身は微かな透明感を持っていたのでした。
もう見るからに美味しそうで美味しそうで。私こんなにそそるお芋の天ぷらをみたのは初めて。しかもこれは私のお膳。私のお昼。ああ、なんて幸せな・・・。

 と、思った瞬間現実に引き戻されたワタクシ。
場所は四国37番札所の岩本寺。
私はなんとお遍路さん。
そしてここ37番と38番金剛福時は四国の中で一番距離があるお寺。その距離なんと90キロ以上(当時です)。
当時私は体調不良なのに無理したためか道中ずっと酷い乗り物酔いに悩まされ、更に慣れない秋の蒸し暑さのせいか高知県に入ってから二晩ともろくに眠れなかったのです。そんな身でこれから2時間余り、バスにゆられて39番経由で足摺岬の突端にある38番まで、天ぷら一皿食してたどり着けるというのでしょうか。
 
 何故に一皿か?
お寺さんで出された天ぷらをお芋だけ食べて、あと全部残してお遍路的に許されるのかどうか、頭が朦朧としていてもう判らなくなっていたのです。
今思えば、箸をつけずとも残飯になっていたとは思うのですが、あの時はそれに思い至らず、お芋を食べるなら天ぷら全部、食べないなら一口も食べないという究極の選択となってしまったのです。
泣く泣く私はお芋を諦めました。この距離で天ぷらは無理。

 その判断は多分正しかったと思います。
その日の夕方、海に向かってそびえ立つ、38番金剛福寺の門前に立った私は、背後の海でもくずとなって漂っているのと選ぶところのない精気のない状態でした。ふらふらと境内に足を踏み入れて数歩、薄くなった影が漸く人並みの色に戻った気がしてほっとしたのでした。人間の命とは、なんと細い糸のように頼りないものだろう。生きているということは、なんと稀なことだろう。

その後、生きていれば、またお遍路さんになれて、あんなお芋の天ぷらを頂ける日も来るだろうと私は自分に言い聞かせました。夢もかなって、私はその後も更に2回、お四国を回ることが出来ました。

 でもあれ以来、どれだけ期待しても、どれだけ念じても、私は高知県内はおろか、四国でさつまいもの天ぷらに、ただの一度も遭遇することは出来なかったのです。

 今苦労を重ねたお遍路で、思い出すのはあの時の天ぷら。天ぷら天ぷら、もう天ぷらの煩悩だけ!土佐のあの道は、私の煩悩が漂っているに違いない・・・・

 どうしてこうなった(号泣)

2011年10月13日 (木)

秋の空・・・みみ

それは母が検査入院した先月末の事でございました。

秋の空はどこまでも高く、日は輝き、病衣を着た患者さん向けの室内温度は私にはかなり暑く、検査を待ちくたびれた事もあり、部屋を出て暫し廊下の椅子に腰を下ろして休憩していたのでありました。


 窓を背に腰掛ける、通る人影もまばらな午後2時近い病院の廊下。静かなひととき。


 ほっと一息ついていると、急に目の前で声がしたのです。思いっきり一本調子な低い声。あまりに一本調子なため、その言葉が文字の様に中空に浮かぶ幻影まで見えるくらい。

 「サビシイ・サビシイ・サビシイ」

 何?このデジタル仕様と異様に相容れない台詞は。SFに出てくる喋る機械みたい。更にあたりには、いえ廊下には、私以外人っ子一人いないのに。音源も方角も全く不明。強いて言うなら廊下の真ん中にぽっこり現れた感じ。それも液晶ディスプレイ、声の分際でベージュ色^_^;

 私は考えました、真剣に。まるで機械のような話し方の主の正体を。そしてたどりついた結論は・・・。


私の前の壁向こう、つまり2○△号室に天才腹話術師が入院しているのです(多分)。
彼の新しいネタが、最新鋭喋る掃除機(ありがち)。
最近ご主人が怠けているので「サビシイ・サビシイ・サビシイ」とか「ヘヤ・キタナイ・ケガレタ」と、デヂタルチックに喋る練習(あるあるあるある)。
それが一言だけ漏れ聞こえた(決定打!)


 なんて完璧な推理なの~~!ほーっほっほっほっ( ̄∇ ̄)

 と言う事にしておこう(・_・)


ハゲシク追記
考えたんですけど、空耳なのだから音源を探す必要って、もしかしてなかった?
今頃気がつくなって話ですがフキフキ "A^^;

2009年7月31日 (金)

涙のMRI

 一昨日の予告通り、昨日私はタリーズのある例の病院へMRI検査に行って参りました。
検査棟の中でも長い廊下の先、ちょっと人里離れた感のあるMRI検査室へ到着したのは、指定された検査30分前きっかり。我ながら上首尾の到着を遂げたのでありました。

 待合室で検査が怖いと泣いてしまった小さな男の子に心中同情してしまったり、隣の女の子が読んでいたグルメ雑誌を盗み見したり、奥さんの付き添いで一緒に来たおじさんと何気に話で盛り上がったりしたあと、私の順番になったのでありました。

 更衣室で病衣に着替え終わると、職員の人に「ヘアピンはありませんか」とか「貼り薬は?」と矢継ぎ早に聞かれ、MRI経験者の余裕も何処へやら、突然緊張に襲われてしまった私なのです。そこへ「キャミソールはつけていませんか?ストラップにリングがあるのがあるんです」と問われて、「大丈夫ですっ」と身につけた婦人用メリヤス肌着を思わず見せてしまったのは、年齢のなせる技ではなく緊張のなせる技だったのです(多分)。
渾身の金属チェックの後、長いすで更に一人待つこと数分間。MRI室の冷凍倉庫ばりの金属ドアに圧倒されるビビリアンなワタクシ。こんなドアでは子供が怖がるのも当然かも。

 いよいよその金属扉の中に招き入れられ、当たりを見回す余裕もなく台に乗せられ、あっというまに腕ごと胴体をベルトで括り付けられ防音ヘッドフォン装着。そして今度はなんと、ジェイソンのマスクの様な鉄製ガードを顔の上からガチャッとセット。こんなの前回なかったわ・・・(恐)

「それでは検査始めます。頭動かさないで下さいねー」と係の人の朗々たる声が耳に突き刺さった後、一瞬の間を置いてMRI名物、例の爆音開始。
が、音が前とはひと味違っているのです。前回は普通に工事現場のドリル音だったのが、今回は「ぐぃーーん、ぎゅぃーーん、びぃーーー」と、いかにも巨大コイルから発生していそうな不気味な響き。MRI検査十年後の発がんリスクなんて大甘で、一層パワーアップしたこの音では今にも発がんしそうな感じ。めまい治療で癌になるのはいや(泣)

 あまりの不気味な音に、つむるつもりだった目を見開けば、頭上に窓があって隣の部屋がくっきり。検査台ごと直立したのかとよくよく見れば、ジェイソンマスクに鏡がつけられて、それで足元にある管理室との窓が見えることがわかりました。
なるほどこれなら患者の表情も確認できるのかと、そこに映る世界をキョロキョロ見回せば、何やらぴくぴく動く物発見。
良く見ると、息を吸う度に視界に浮かぶ、お腹を縛り付けているベルトの端。更にその先には微かに見える私のつま先らしきもの。足をちょこちょこ動かしてみると、確かに動く。おお、動く、と感心したのもつかの間、視界の更に先、壁の窓ガラスに私の足の裏がしっかり映っているではありませんか。
これを誰かに見られたら恥ずかしいので、慌てて足を揃えれば、こんどは呼吸の度に盛り上がるベルトが鏡の下端にちらちら映るのであります。そのゆらぎが何故か私の笑い中枢を刺激し、突き上げるような笑いの衝動に見舞われてしまったのでありました。
とにかく呼吸を整えねばと、焦れば焦るほど息も上がり、お腹のベルトは一層ぷーかぷーかと視界に浮上。更なるおかしさを醸し出すのでありました。

 いかん!これは見てはいけない!と目をつぶって精神統一を図ろうとした途端、こんどは別の異変が。

鼻の頭がかゆいっ!

 笑いを堪えて顔面を刺激したのでありましょうか。手も使えず頭も動かせない中でこのかゆみ。とにかく堪え忍ばねばと、必死の形相百面相。そんな極限状態の中でふと気がつけば、鏡で窓が見えるからには、窓から私の顔も見えるはず。
この顔が人目にさらされるなんてー(汗)
誰が鏡なんて考えついたのー(叫)
こんな顔を人に見せた上に、死にかけてると思われて検査を中止されてはたまりません。発がんリスクを抑えるためにも顔まで元に戻さねばならないのです。ああ、どうしよう。

 音楽です。ヘッドフォンからの音楽に集中しましょう。
って、電磁波で音が歪んじゃってるーーー(涙)
しかも良く聞くこの曲名を思い出せないーーーー(泣)
そのショックでかゆいのが止まったーーー(これは良かった)
どうして私がこんな目にーーー(号泣)

 ・・・・・

 永遠に終わらないのではないかと思った検査が無事終わり、息も絶え絶えに更衣室に戻った私の目に飛び込んだのは「この検査は体に外を及ぼしません」と壁に貼り付けられた注意書き。

 どーこが無害よっ(T.T)

2019年、謹んで追記
 MRI検査でガンにはなりませんよね。CTじゃないですもの。
その部分を謹んで訂正させて頂きます。
私どうしてこんな勘違いを・・・(汗)

2008年12月21日 (日)

雨がぽつりと降る日には

 車の販売台数が31年振りの低調を記録している今、実は車を買い換えました。
今まで乗っていた車が電気系統から走行中エンストを頻繁に起こすようになってしまったのです。15年ものなので、車検を乗り越えてもう一年保たせる度胸はさすがの私にもございません。

 という次第で我が愛車はマチ子ちゃんからサクラ子ちゃんへとバトンタッチされたのでありました。新しい子は良いです。ハンドル軽くて、小回り効いて。運転楽だわ(涙)

 そんなこんなで例年よりかなり快適なこの年末、本日所用の帰り道、雨がぽつりぽつりと降って参りました。

「雨か・・・」

と、ワイパーを動かしたところ、なんと間欠ワイパーが無いっ!
実は忙しくて説明書はちらっと見ただけ。それにワイパースイッチの説明など誰が読むというのでしょう。

 軽じゃあるまいし、とよくよく見れば、リアのワイパーには間欠があるので、ある事はあるはずなのです。
あれこれ探すのですがどうしてもみつからず、ぽつぽつ雨のなかガシガシワイパーを動かして走る事しばし。ようやくワイパー速度調整つまみを発見し、そこでワイパー速度を遅らせる事に成功したのでありました。なんか面倒だわ、この車。

 それからしばらくの後、雨もほぼ小やみになったところ、今度はワイパーが止まらない!

 信号もなく、避待地もない田舎道(皆様結構高速です)、停まるに停まれず必死でワイパースイッチを動かす私。確かに「INT」と書いてあるので間欠ワイパー付きで、「STOP」ともあるので止まる筈なのに、どうしても止まらないのです。どうして?何故?(T.T)

 慌てる中、車はいつの間にか堤防へ出る立体交差に。確かこの交差点は右に行くときは左へ曲がるはずと、ワイパーに気を取られながらも案内板を見ると、右は右折の印。「そうだったっけ?」と右折をすれば、意に反して左に折れていくではありませんか。そう、この交差点は左右どちらも「右折」する交差点だったんです。しかもここから堤防道路に入ると暫く降りられないのです(号泣)

 ようやく田圃の中の激細道へ降り、元の交差点まで泣きながら戻り、もう一度、今度は一本向こうの道を右折して、ようやく本来の方向に進むことが出来たのでありました。長い道のりでした。

 そしてほっとした直後、ワイパーがまだ動いていた事を発見。田圃の真ん中にいる時はころっと忘れてました。堤防道路で停車は出来ないのに(号泣)


 私は無事帰って参りました。ワイパーも止めることが出来ました。なんのことはない、コンパクトなスイッチを大きく動かしてスキップしていただけの事でした。

 ぽつりぽつりと雨の降る、のどかな午後になる予定だった日・・・(大号泣)

2008年8月17日 (日)

○×さーん

 お盆も微妙に過ぎてしまったのに書いてしまいます。実話なのでこの出来事にオチはありません。そしてこの話は四国遍路中の出来事です。

 03年秋、71番弥谷寺寺(いやだにじ)でのこと。このお寺は昔から、近所の人たちが死者がでるとその霊を背負う格好をし、苔むして脇に小石が積まれている(通称賽の河原)石段約300段を登るのです。それで「いやいや登る祖谷寺」という有り難くない名前を頂戴しているらしいのです。そして上に着いたらその霊を降ろし、後を振り向かずに一目散に逃げ帰るのです。この時絶対に後を振り向いてはならず、もし振り返ったら死霊が来るという話を、話しぶりから小さいときに絶対背負わされて登らされたに違いないであろう添乗員Oさんから、その昔聞かされたのでありました。
と、脅かされながらも、大師堂にあった今はコンクリートになってしまった不動堂?の雰囲気など、私は結構気に入っていたので嫌いなお寺ではありませんでした。

 しかし嫌いではないとはいえこの年は既にメニエールになっていたので、さすがに石段は堪え、帰りはいつも一緒にお参りに行く一団の最後尾をよろよろと歩いていたのでした。吐き気と冷や汗でかなり参りまして、やっと山門が見えた時には、下にあるお茶屋さんの事しか頭の中に存在しないと言う状態となっていたのです。

 と、丁度その時

 「○×(私の姓)さーーーん」

 年の頃なら30代後半からせいぜい40代女性の呼ぶ声。雰囲気としては『雪国』の冒頭にある「駅長さーん」でしょうか。そう呼びかけられて、ワタクシ思わず振り向いてしまいました。そう、振り向いてしまったのです。

 振り返った石段には下りの人はおらず、装束ではない、観光客と思しき女性達の後ろ姿が見えるだけ。誰かが呼んだ風も無ければ、呼びかけに答えている風もなく、皆様ただ黙々と登っていくだけ。多分、この人たちの誰かが登りながら偶然にも私と同じ名字を叫んだのでありましょう。でも、でも、そのお陰で振り向いてしまった私はどうすればいいのですかっっっ。

 と暫く怒り狂っていたのですが、疲れのあまり都合良くこの出来事を綺麗さっぱり忘れてしまったのでした。

そして5年後・・・
 
 お盆も近い8月11日、どうしたものか唐突にこの事を思い出してしまったのです。今更思い出しても困る訳ですが、上手い具合にその晩夢を見ました。

 とても良くして頂き7年前に他界されたSさんのおばさん。困ったときに必要なものが全て入っているおばさんの荷物を、既に受け取っていた事を思い出すという夢なのです。夢の中のその荷物は、どこにでもある普通の買い物袋でした。生前おばさんが使っていたチェック柄で、アンズの砂糖煮だのおはぎだの、ジャムだのお漬け物だの、人にあげるために作った品々がぎゅうぎゅうに入っていた姿そのままで、一番上に綺麗な花柄タオルを掛け、その上で手提げ部分が結ばれていました。普通の袋、でも中身はとても優れたもの、という夢。

 という次第で、振り向いた事は気にしない事にしました。なにやら暖かい気分にもなりました。そしてこの気持ちを表現すべく、記事にしようと日付を調べていたら、この年撮った結願記念の写真がないのです。日記には書いてあるので行った事は間違いないのですが、私写真、どうしたんでしょ(汗)。ついでに日記によると、私八十八番札所で納め札忘れたとあるんですわ。ちゃんと納めて帰って来たんでしょうね、私。暖かい気持ちはそのままですが、なんかまた不安になってきた(大汗)。

2008年4月14日 (月)

シメ夫妻の愛情と裏切り

 それは穏やかな朝の事でございました。ぼんやりと庭に目をやると一羽のシメが餌を探しておりました。

 今冬はあまり見かけなかったシメ。去年の冬には夫婦揃って我が家を訪れ、二羽で仲良く餌をついばんで、その仲の睦まじいこと睦まじいこと。今年はあまり見かけず、しかも今も雄だけ。雌の安否が心配になっていたのでございます。

 と、その時、私が何気なく触ったお煎餅の袋に反射した光に驚いたのか、シメはぱっと飛び立ってしまったのでありました。心配していてもたってもいられないつもりで、それでも煎餅を食べにかかった我が身の食い気が、嗚呼厭わしい。神経質な野鳥の事、これを境にもううちへは来てくれなかったらどう致しましょう(涙)。

 と思いきや、庭木の根本に動くものが。目を凝らすと雌のシメ。異変に気づかずお食事中。

 えーーーーーーっ!

 妻を見捨てて自分だけ逃げたわけ?自分がおとりになるどころか警告さえ発せずに黙って自分だけ?

 呆然とする私の前に、さっきの雄シメがリターン。何気に及び腰に見えるのは私の偏見でございましょうか。びくつきながらも地面をつつき始める雄シメ。妻の安否確認より食い気なんて(私も食い気ですけど)。何も知らずあどけない顔で餌を啄む雌や哀れ。なんて夫なの。なんてヤツなの。この事を知らせてあげないと彼女の命に関わるわ!

 「ちょっとー、シメの奥さーん、お宅のご主人たらねえ・・・」
 
 
 これって親切心なんだろうか(;-_-X;)


 ちなみにシメとはこんな感じの鳥なのです→ウィキペディア「シメ」

2007年11月 4日 (日)

それはバナナの様に・・・

 それはバナナの皮で滑って転ぶのと同じ位に、あまねく世の中に知れ渡っているにもかかわらず実際には殆ど発生しない出来事だと思っていました。














P1000005s

 本日発見。

 信じられない~。自分が当事者でなくて良かった。いえ、目撃者になるのもかなり嫌。

 腰掛けた人、無事だったんでしょうか。ベンチの傷はまだ新しいんですけどフキフキ "A^^;

2007年3月24日 (土)

お大事に

 終わりつつありますが、お彼岸中と言うことで、お寺の話をします。
今から数年前、吉野蔵王堂の方から八坂村に由緒正しい観音様をお祀りしたお寺があるんですよ、とネットで教えていただき、三月のとある日、地図を片手にお参りに行ってみたのでありました(覚音寺の由来 リンクフリーとの事でリンクさせて頂きました)。

 しかし出発前から一抹の不安。何故ならばこのGoogle mapを見ていただけると判ると思うのですが、目的地Aへは微妙に道がないのです。

 地図でははっきりしないので、Google Earthの画像を載せてみました(ポップアップで大きくなります)。


 Yasaka3右側にくねくね見えるのは犀川です。それにそって国道19号がはしってます。


 さて、19号から大町に出る道は何度か通った事があったので、取り敢えず何とかなるだろうと出かけたのですが、メインストリートから外れたとたんに急に寂れた感じになりまして、山肌沿いを進む道は、曲がりくねっている上に何が怖いと言って、真昼なのに妙に薄暗い。空を見上げれば確かにまだ明るいのです、しかし道は今にも日が落ちそうな薄暗さ。山と山とに挟まれているので、お天道様の日が道に届いてないのです。
今にも日が沈みそうな暗さの中を一人で運転というのは、ものすごく心細いのです。二人でも、下手喧嘩でもしたら谷底に落ちそうな山道ですし。とにかく怖かったのです。

 そんな状況のなか、かなり必死で登っていって、ようやく山門というか、お寺の駐車場みたいなものにたどり着いた時の安堵感、道の暗さとは打って変わったそこだけ日光が降り注いでいる庫裏と本堂を、眺めた時の、嗚呼嬉しさよ、なのでありました。

 本堂に向かう道にはまだ雪が厚く残っていましたが、かなりるんるんと雪を踏み分けて進みました。一体買い物はどうしているのだろうという、重大な疑問を抱きつつ庫裏の横を通りぬけ(犬に吠えられた)、目指すお堂へやっと到着。この時、わたくし相当雪まみれになっておりました。

 やっとここまで来た、やっと到着したのだ、私はやっとここまでお参りに来ることが出来たのだ。とにっこり微笑んだ私の目の前に、白く輝く一枚の張り紙。

 「観音様はただいま京都で入院中です。退院は4月の○日の予定となっています。その頃またお参りに来て下さい。」

 私、仏罰でも当たったのでしょうか。

 茫然自失の中、雪の中にかなり長時間佇んだ後、また雪をかき分けて駐車場に戻りました。途中庫裏のお庭に繋がれている数頭のわんこちゃん(結構可愛い大型犬)達に、不審者としてまたぞろ思いっきりほえられましたが、行きの様にドックフードの調達手段の心配などもうどーでもよろしい状態になっており、我が車の中へわき目もふらずに倒れ込んだのでした(涙)。

 帰りの道は全く記憶にありません。当時は4月になったらまた行くつもりでしたが、現在に到るも再度のお参りは出来てません。何というのか、どんな道か知ってしまうとどうにも行きにくい道なので。故に仏罰の真相もいまだ不明です・・・^_^;

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