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カテゴリー「とほほな話」の166件の記事

2023年1月29日 (日)

寒中お見舞い申し上げます

ご無沙汰しております。2022年は遂にブログの更新が出来ませんでした。
何かを頑張っていたとか、忙しくしていたとかではなく、何もしないあまり、ブログの更新もできなかった、去年はそんな年だった気がします。
それで去年を振り返りますと、7月の末頃でしたでしょうか、ふとドラマでも観てみようという気になり、「カササギ殺人事件」という「刑事フォイル」の脚本を書いているアンソニー・ホロヴィッツの原作脚本の推理ドラマを観ました。これが面白かったので原作を図書館に借りにいき、原作は貸し出し中だったのでその続編を借りて来ました。
その続編が面白かったのです。本の中に作中ミステリが丸々一作分入る、小説のサンドウィッチという贅沢さ、本編も作中作品もアガサ・クリスティーへのオマージュが山程ありクリスティーファンには堪らないものでした。作品名を挙げると犯人がわかってしまうので言えませんが、一つだけ言っても大丈夫なのは(多分)「終わりなき夜に生まれつく」でしょうか。グレタ役の人もおり、あの筋を辿るのか辿らないのかハラハラさせ続けた揚げ句、最後に「こうきたか!」という仕掛け(言わん方がよかったんかいな)。
大層な面白さでございました。
その後ドラマ「薔薇の名前」を観始めました。原作は前世紀に読みましたが粗筋以外は忘れていることも多く、原作を読み直そうと、視聴を中断して図書館へ。
「薔薇の名前」やはり最高です。今回は念を入れて解説本も借り、しっかり二度読みいたしました。
その後9月に横溝正史に目覚め、10月は法事の準備、11月は法事疲れで寝込み、年の瀬にやっと中断していたドラマ「薔薇の名前」の視聴を再開しました。ギブアップした第二話からです。
そして再開数十秒で「ベレンガーリオって誰?」となりました。

たった四ヶ月で、全てを忘れ果てていた模様です。

そしてもう一つ告白せねばなりません。
8
月に図書館で借りたあの続編。アガクリ作品が少なくとも5本は作中に散りばめられ、ミス・レモンみたいな有能秘書がメアリ・ウエストマコットの小説を読む、あの小説の題名を忘れてしまって、どうしても思い出す事ができません(涙)。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし

水の泡よりはかない私の記憶よ・・・(涙)

本年も宜しくお願い申し上げます。

 

2021年12月 9日 (木)

ガウンの話

 押し入れの奥底でガウンを発見しました。亡くなった親戚宅にあったもので未使用だったので家に持ち帰り、母が使わないというのでしまい込んでそのまま行方知れずになっていたものです。
「ああ、ここにあったんだ」

 起きたら即戦闘だった介護時代、私にはガウンを着る時などありませんでした。でも今は違います。これを着て湯上がりにゆったりまったり映画でもみたらどんなに楽しいだろう。
そう考えた瞬間、私は後先考えずガウンをひっつかみ洗濯機に放り込みました。一度洗った記憶はあるのですが数年間押し入れの底にあったので使うなら洗濯は必至です。
その日は寒く洗濯物の乾きにくい日でした。私も具合が悪く倒れそうでした。
それでも頑張って信じられない程重くて嵩張るガウンを洗濯し干し、乾ききらないのを室内で場所を移動させながら乾かしました。
苦労の甲斐あって夜にはちゃんと乾きました。これなら今夜から使える!
私はそそくさと晩ごはんを掻き込み大慌てでお風呂に入って、パジャマの上からガウンを羽織りました。これからがゴールデンタイム~♪
しかしガウンは寒かった。
あんなに嵩張っていたのに思っていた程暖かくない。しかも膝丈なので足が寒い。膝掛けを脛の周りにぐるぐる巻きにしても寒くていられない。
それでも「ゆったりまったりな宵」を楽しむべく、格闘すること15分。このままでは風邪を引きそうだったので、やむなく布団に撤退することになりました。
まだ午後830分でした。(号泣)

2021年5月 5日 (水)

カフェオレの話

  去年の5月、私は指の手術をしました。手術と言っても手のひらに1センチほどの切り傷が二箇所できるだけの、部分麻酔で小一時間ほどで済むものでした。でも傷口にパッドを当て包帯でぐるぐる巻きにするため、看護師さんから「運転はできなくなりますから当日は車では来ないで下さい」と言われ、5月の午後、包帯ぐるぐるの左手を抱え、電車の時間の30分以上前に最寄り駅にたどりついたのです。これぞ私の狙っていたことでした。
思い起こせば210ヶ月前の20177月、朝高熱を出し動けなくなった母が私が手術した病院に救急搬送。一緒に乗せられてきた私は家に入院荷物を取りに行くためにこの駅に来たのでした。時間も同じ午後3時頃、電車の時間まで少し間があり、バタバタしていた私は朝から飲まず食わず。駅前にはカフェ。私はテラス席に腰を下ろしました。疲れていたのか寒気がした私は真夏なのに温かい飲み物が欲しくてカフェオレを注文しました。目の前に運ばれてきたそれはコーヒーとミルクの良い香り。小さく息を吐いて一口すすろうとしたその瞬間、駅にいた乗客達が一斉に改札を通ってホームに出る姿が見えるではないですか!え?うそ!もう来たの?と混乱しながらも、これは私も行かなきゃと、カフェオレをグビッとのんだところ熱い。

熱すぎる。

体が冷えていたのか喉の奥まで焼き尽くされる様な熱さでとても一気には飲めません。

荷物をまとめて車で戻らなければならない私には乗り遅れる選択肢はありません。涙を呑んでカフェオレを諦めお勘定をして駅に走りました。ホームに辿り着いた私の目の前にやって来たのは反対車線の電車でした。

それから15分以上、既に捨てられカップも洗われてしまったであろうカフェオレのことを考えながら私は乗るべき電車の到着をまったのです。


  あの時のリベンジを果たすときが遂にやってきたのです。キップは往復を購入済み。急な事で電車の時刻もしっかり頭に入っていなかった前回の轍を踏まないために時刻表もばっちり確認済み。余裕をもって店に入り、堂々と注文したカフェオレ。
うっとりと微笑み口に含んでふと顔を上げると、店内の時計は発車時刻の14分前。店に入ったときは35分前だったのにいつの間に?
大丈夫だ落ち着け。14分あればカフェオレ一杯くらい飲み干せる。そう考えて呼吸を整えグビッと飲めば
熱い。どうしてこんなに熱く感じるのか、とても簡単に飲める温度ではありません。

何故?どうして?と混乱した上に熱くて味もよく判らないカフェオレを、飲み干せたのかどうかさえはっきり覚えていない状態で私は家に帰ったのです。
なんなの?どうしてこうなるの?どこで20分も経ってしまったの?


  白状しますと最初のカフェオレから次のカフェオレの間に、あのお店にはリベンジの為に2回行ったのです。でも1回目はほうじ茶とおやきセット、2度目は玄米カレーを食べてしまい、カフェオレリベンジを果たせないままだったのです。今度こそ達成できると思ったのに。
あれ以来あのお店に行かないまま1年が経とうとしています。
食い気に惑わされた私はカフェオレをゆっくり味わうという野望は捨てた方がいいかもと思い始めているこの頃です。

2019年12月31日 (火)

大晦日の虹

 今朝、洗濯物を干しにベランダに出てみたら虹が出ていました。わりとすぐ近くにはっきりと。雲に遮られて完全な弧を描いていたわけではありませんが、目の前に濡れたように輝いている大きな虹はとても美しいものでした。今年は私にとって大変な年でしたが、光る虹を観ていると「がんばったよね」と背中をポンポンと叩かれたような、そんな緊張が解けるような気がしました。しらず、笑顔になっていました。

『終わりよければ全てよし』

 そんな気持ちで明るく大晦日を過ごせそうでした。

 午後二時までは。


その後、

 ハプニングによる二度目の大物洗濯。

 ハプニングによるエクストラ買い出しドライブ&お店が既に年末休業で手ぶらで帰宅。

 ほとほと疲れ果ててお風呂に入って、「追い炊き」スイッチを押すつもりで「風呂自動」スイッチをオフしてしまい、湯量を増やして溺れるか(お湯を張った状態で自動スイッチを押すと湯量がかなり増えるタイプの給湯器なもので)、こまめに追い炊きをして、忘れた時には風邪を引くか、どちらにしようか悩み抜く羽目に陥りました。
結局追い炊きコースにしたのですが、その判断が正しかったかどうかも不安なまま、私は大変なことを思い出したのです。

 「田作り」を作るのを忘れていました。

 今年に限ってごまめを二袋も買ったのに・・・(涙)

 冷えゆくお湯の中で、気の抜けない2019年をしみじみかみしめたワタクシでした。

 さようなら今年。

 どちら様も良いお年をお迎え下さいませ。

追記

 お風呂から出た後、キッチンで椅子に躓いて転びそうになったことは、いつかよい思い出になるのでしょうか・・・・

2019年12月25日 (水)

Merry Christmas!!!

 ブログ更新を随分サボってしまいました。
その間色々あったのですが、なんとか生きていました。

しかし、先々週に家族Aが高熱を出し、すわ!入院か!と気を揉んだせいか、はたまた今までのイロイロ疲れが出たのか、先週後半からどっと体調を崩し、金曜午後からめまいで寝込んでしまったのでした。
この年末の忙しい時に・・・・(しくしく)

 寝込むのが3日にもなると買い置き食料も尽きかけてきますが、その時私の心は希望に燃えていました。明日の25日になれば、クリスマスになれば、生協さんが年末のご馳走を運んできてくれる♪

 そうです!自分の不調をしっかり認識していた私は、年末用ご馳走チラシから冷凍ローストビーフ他を11月のうちに早期申し込みで注文し、お届けを12月25日コースにしておいたのです。

 クリスマスになればごちそうがやってくる!
最悪年内にそれを食べてもいいし、何より年越し料理のプレッシャーから解放される!

 私、なんて準備が良いの?

 そして今日、愛と平和とご馳走が届くクリスマス♪

の、はずだったんですが、ローストビーフがない!というか伊達巻きと昆布巻き以外のご馳走がない!!!そんな馬鹿な!!!

 明細書を見ても項目がないんです。それで目の回る頭でつらつら考えたら、ローストビーフをクリスマス用とお節用の二つ注文しようか一つにしようか悩んだんですね。で、しばらく考えてみようかと、注文入力欄にあったローストビーフを0にして・・・ 

数を戻すの忘れたみたい。天は我を見捨てたか(号泣)

 
こんなワタクシですが、皆様には一年間大変お世話になりました。

 悲しすぎるので、来年まで寝込んで良いですか?(涙)

2018年12月29日 (土)

目をキラッキラ輝かせていた人の話

 ご無沙汰しております。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は10月に指の腱鞘炎になってからあれこれ用事も足せず、結果11月半ば、指が少し動くようになってから怒濤の日々となり、先月のブログ更新をギブアップしたのみならず、12月8日サントリーホールでのポゴレリッチコンサートをも断念し、12月は生きる気力も失せ果て、腱鞘炎の注射もしそこねて年末に至りました(涙)

 さて、コンサートに行かれなかった私の為に、お友達の皆様が演奏の情報をアレコレSNSに書き込んで下さりました。本当にありがとうございます。 
今回の演奏時間はやや長めだったそうで、その話から2010年は三時間もかかったのよね~などという話になり、当時を思い出すべく、このブログにアップしたその時のコンサート感想文を読み直したのでした。その時の記事はこちらです(リンク
 このコンサートの翌年冬にポゴ師は演奏時間がやや短くなり「王の帰還」と言われ、その後割と普通の速度になって、世間様から完全復活したと認められたわけです。そこらへんを2012年5月来日から2016年12月まで、飛び飛びですが聴いてきた私には疑問が一つあったのです。
 早く弾けるならなんであんなに遅く弾いたの?と。

 あの遅い演奏を聴いたればこそ、私はその後の演奏会での理解が深まったとも思うし、何よりあの演奏が素晴らしかったと思っているので、文句はないのですが、でも早く弾けるなら早く弾けばよくない?と思ってました。あの遅さを彼の精神面での苦難の現れと考える向きも一部であるようですが、精神のどっかが乱れてたらあれだけ緻密な演奏を長時間できっこないので私はその説は採用しません。曲の構造が恐ろしい程よく判るので聴衆へのレクチャーかとも思いましたが、それならマスタークラスとかの他の場所でやるべきだし、彼ならそうするだろうとも思いました。
 
 何よりポゴ師は昔のインタビューで「何故曲をバラバラにして遅く弾くのだ」と問われて「私は美しい曲を美しく弾いているだけ」と答えているのです。
あの、作曲家(演奏家ではないのよ、これが)の圧倒的な才能の前に跪かせるような、眼前に拡がる曲の構想が圧倒的に大きくて、聴いている人間が米粒の様に小さく感じてしまうような、つまりどでかい凶器で聴衆をぶん殴るような演奏を「美しい曲を美しく弾いてるだけ」とか、あまりに表現が地味ではないでしょうかと。

 とはいえ、長年観察してきた演奏家なので、本人は真面目に答えている可能性が高いように私には思えます。あの演奏と、この表現の乖離に私は戸惑いました。

 それが、今8年前の感想文を読んで、思いもかけずこの積年の謎が解け気がするんです。また何故私にでさえ作曲家の意図が手に取るようにわかったのかということも。


 簡単に言ってしまえば、精巧な機械を分解して、その部品一つ一つを眺め、部品の美しさ、配置の冴え、連携する動きの妙を、目をキラッキラさせながら熱く語る人っていませんか?
 ポゴレリッチは極端に遅いテンポで音をバラバラにすることで、曲の構造や作曲家の意図を誰にでも分かる様に明瞭に示しました。その出来は恐ろしくもすばらしいものだったので、私は、その図は彼が頭の中で描いたものであり、それを表現するためにステージ上で頑張っていると思い込んでいたのです。
 だから音をバラバラにして
「ほら、この組み立て、すごいでしょ」とか
「この音!この大きさのこの音!これをここに置くことが4小節後を見据えた布石なんですよ。すごいでしょ」とか
ステージ上でそういうことしているとは夢にも思わなかったのです。


 でも8年経って(07年からなら11年)、あの時の衝撃が少し記憶から薄れた今、自分の感想を読み返すと、どうもそうとしか考えられなくなってきたのです。
機械は分解したら動きませんが、曲は部品がよく見える程度に分解しても曲の内と考える人も一定数いそうですし(私がそうです)
これなら「美しい曲を美しく弾くだけ」って表現も確かに成り立ちそうです。
そして彼の演奏を「こんなの曲じゃない」と怒った名もなきお客様がいらしたと漏れ聞いておりますが、この考えも理屈としてはあるかなと、今頃(2018年12月)思った次第です。

 という分かってる方々には8年前から明々白々だった事柄を、なぜ今頃、それも慌ただしい年末にアップしたのかと問われれば、それは私がお馬鹿さんだからです。

 そうです。元々壊れていたお脳がついに瓦解したんです。

 こんな壊れた私を一年間暖かく見守って下さって、皆様本当にありがとうございます。 
 でも、聴きたかったな、あの演奏・・・・

と、変な未練を残しつつ、皆様には良いお年をお迎え下さいませ!

追伸
リンクを盛大に貼り損ねてました。いや~、私らしいわ(笑)

2018年10月22日 (月)

お手々が痛くなった話

 不詳ワタクシめ、夏前から中指や薬指を曲げると元に戻らなくなることが度々ありまして、とはいえ忙しかったのと、痛みが余りなかったため、指を掴んでぐっと伸ばしてそれでヨシとしていました。

 しかし、先週急に寒くなってきてから、指がしくしく痛み始め、医者が休診になる土曜日昼過ぎからはずきずき痛み出したのです。もうね、じっとり冷や汗が出るくらい痛かったです。
かねてより、ばね指(曲げた指が戻らなくなるやつですね)についてネットで調べていた私は、これはいよいよ腱鞘炎が本格的なってきたと思い、腰痛で処方された湿布を貼ったのですが、少しも効かず、痛みは増すばかり。

本日、泣きながら整形外科に駆け込んだところ、やはり指の腱鞘炎との診断。そうだろうそうだろうと思いつつお医者さんの説明を聞く私。
 お医者さん曰く

まずは湿布を貼って安静にしてみて(うむうむ、ネットで調べたぞ)

それでも駄目なら注射をして(これも承知だ!)

最終的には手術という手もある(そこまでちゃんと調べたぞ、私!)

と、無意味に勝ち誇っていた私に、ドクターは

「じゃ、手のひらに湿布ね」

 えっ?そっち?


 下調べしました。炎症の図解もちゃんと見ました。なのに湿布を手の甲に貼りました。
手の血行不良とともに、お脳の血の巡りにも多大な疑問が湧き上がる神無月。
ワタクシぽんずは、指の安静のため、暫くネットを休ませて頂きます。

 ではでは(;_;)/~~~

 誰か私に自棄団子持ってきて~(T_T)

 今よくみたら、手のひら、指の付け根が赤く腫れ上がってましたわ(涙)

2018年7月19日 (木)

六月は終わらない

 三月にハライタを起こして以来、私は自分が倒れた時の心配を今まで以上にするようになりました。単なる胃痛でもうっかり入院した日には、家族の葬式になりかねない我が家。この脆弱性を塞がねば!

 てなわけで、五月に胃カメラ呑んで診断がついてから(慢性胃炎でした)、喫緊の課題、「家族Aの介護度を変えてもらう」に着手。認定変更願いを出し、再認定調査日が六月の初めとなりました。

 その前にケアマネさんとの打ち合わせがあり、病院に定期診察があり、家族Aのプチ発熱があったのですが、調査当日家族A大発熱。朦朧とした中での調査となり、これなら要介護1をゲット出来るとほくそ笑んだその瞬間、
「元気な時を想定して評価させていただきます」
という調査員さんのお言葉。
いや、ちょっと。元気な時も今とあまり変わらない状態になったから再調査をお願いしたのに!その元気な時の状態って、もう消え去ってしまったのに!
ワタクシ、人生でこの瞬間ほど、『捕らぬ狸の皮算用』という言葉をかみしめたことはありませんでした。

 熱があるのに質問されたりしたせいか、家族Aはその後もりもり発熱し、一回通院するも、月曜日には入院と相成りました。

 入院直後のドタバタがやっと終息してきた水曜日、リンリン鳴った電話に出ると「市の耐震診断の順番が来ました。来週水曜日にお願いします」とのこと。去年の3月に耐震診断の申し込みをしていたのです。それが今か!今くるか!と思いつつも、これを断ったらいつになるのかわからないので泣く泣く承諾。

 その翌日、私は自分の甲状腺が腫れている事に気がつき、昔通った専門医に連絡。これも家族A入院中でよかったと考えるべきか。

金曜日に結構遠い専門医に行き、血液検査の結果は来週だけど、多分ほとんど心配ないと言われ、いらぬ真似をしてしまった感から疲れが倍増。

 土曜日朝、ふとみると庭のラズベリーがたわわに実り中。そういえば今年の三月、大量生産を夢見て支柱を買って手入れをしたんだっけ。

 そういえばラズベリーって、今みのるんだ・・・(涙)

 熟してしまえば猶予はない。収穫したら日持ちはしない。

 私は土曜日朝、泣きながらラズベリーの収穫に勤しみました。そして2時間近くかけて摘んだ実を、即効でジャムに、するつもりが瓶がない!涙を拭いてホームセンターで瓶を買ってきましたよ。

 少しゆっくり出来ると思った土曜日はこのようにジャム造りで忙殺され、翌日曜日、月曜日も引き続きたわわに実り続けるラズベリー対策に忙殺されたのでありました(さすがにご近所に配りましたよ。家の中に食べる人いないんだもの)

同時進行で、耐震診断の準備です。天井裏に入るための戸袋と押し入れから、中身を撤去しなければなりません。これが大変で。というか、ここ数年二階は物置状態になっていたのでまずはそれを片づけるために、カラーボックス買ってきて組み立てましたよ(しくしく)

 床下に入る入り口はあるんですが、それ、洗面所の洗濯機の下にあるんです。はい、洗面所も片づけませんとね(えんえーん)

 迎えた水曜日、土砂降りだったんですが、診断していただきました。すべての部屋を点検していただき、全てのドア引き戸がきちんと開くかも点検していただき、三時間近い診断は終わったとき、私はその場でくずおれそうになりました。
おわかりいただけるでしょうか。
部屋にあったものを、とりあえずとひたすら放り込んだ押し入れや物入れ、納戸の戸を、確認のために自ら開け閉めしなければならなかった、この精神的苦痛が・・・

しかし私の仕事は終わらない。戸袋と押し入れから出したものを元に戻さなければなりません。なんとか片づいたその瞬間、病院から電話。いわく家族Aが退院したいと言い出したそうな(愕然)

 Aは熱も下がり血液検査の数値も良くなっていたのですが、ケアマネさんと訪問看護の人と病院とで金曜日に打ち合わせをする手はずになっており、それが済むまで入院していてね(はぁと)と頼んでいたのですが、数値が良くなりゃ居る義理はないとAは断固退院を主張。この世の中で、誰が家族Aに立ち向かえるでしょうか?結局翌木曜日に怒濤の退院となりました。 

 翌々日の金曜日は例の打ち合わせを我が家で開催。一応片付けとお掃除をしませんと(涙)
 
 それから訪問介護サービスとの契約とか、電動ベッドの搬入とか、あれやこれやこれやあれやが続きました。ながい。6月長い。あまりに長くて一年くらい6月やってる感じで、ある時私はおののきました。もしかしたら6月は永遠に終わらないんじゃないだろうか。世の中が7月になっても、私だけ6月のこの世界に留め置かれてしまうんじゃないだろうかと。
 
 不安を募らせながらも、6月30日の翌朝、目を覚ましてみれば、世界と私は7月に突入していました。我ながらなんという馬鹿なことを考えたものか、と苦笑いしながらその朝、起きたのですが・・・・

 今、家族Aは再び入院中で(肺炎が癖になったらしいです)、耐震診断の結果説明がもうじき来るそうで、七夕の夕方届いた知らせでは、介護認定は血も涙もない要支援2で、
結局私はまだ一人6月に取り残されているような気がします。

 なぜだ~(T_T)

 追伸

 ちなみに猛暑はちゃんとやってきました(号泣)

2018年4月18日 (水)

春の菜摘みの・・・

 ある時、鳥が運んできたのか、庭にヨモギが生えました。最初は小さすぎて摘むことも憚られましたが、少しずつ大きくなり、今年の春、ついに立派なヨモギの草むらが出来ました。これなら好きなだけ摘めそう。苦節三年。我ながらよく頑張りました!

 ということで、ヨモギの葉っぱを一生懸命摘んだわけです。そして丁寧に水洗いし、重曹を入れた大鍋の湯でしっかり茹でて、水に晒してあく取りをしました。

後は水気を切ってラップに包んで冷凍すれば好きな時に草餅が作れます。今年は飽きる程草餅が食べられる~

 出来上がった茹でヨモギは、しかし何の匂いもしないのです。確かに茹ですぎた感はありますが(1~2分のところを5~6分茹でてしまった)、あまりにも風味がない。母にも一口食べてもらったのですが、やっぱり香りがしないとのこと。

 そう言えば摘んでいる時にもあまり匂いがしなかったなあと、庭に出て生のヨモギの葉で匂いを確認してみました。やはり殆ど匂わない。はて面妖な。

 ということでネットで調べてみたらとヨモギとよく似ていて間違えやすい植物に出ていたのが、あろうことかトリカブトだったのです。

 アガサ・クリスティーの小説にもよく出てくるあの猛毒のトリカブト。家族に「水仙には毒があるからニラと間違えないように」と口を酸っぱくして注意していたこの私が、トリカブトを大事に育て上げ、食べてしまったとは!母にまで食べさせてしまったとは!しかも下手すれば致死量!

 30分も経たずに痺れなどの症状がでるのだそうですが、その時既に食べてから30分以上経っていて、母に告げても「まだ死んでないから違う」との事だったので違ったのだと思います。何より花の色が全く違いました。庭の草はヨモギそっくりの花が咲きます。

 もう一度庭に出て草を確認しました。ヨモギなら裏に細かい毛があるはずなのに見えない。葉の裏は白いのに毛がない。一体これは何なんだ。

 ネットで調べた次の候補は「ブタクサ」

 ブタクサアレルギーのある私が後生大事に庭でブタクサ育てていたとは(涙) 

しかし、これも葉の形が違いすぎます。

 私は三度庭に出て溜息をつきました。葉の形も花も、葉裏の色もヨモギにそっくりなのに、裏に毛のないお前は何者なの。

と、明るいところでよく見たら葉の裏に毛が・・・。葉っぱをゴシゴシ擦ってみれば微かにヨモギの香りが・・・ 

その後わかった事は、ヨモギには個体差があり、香りの少ない株もあるので摘むときは香りを確認してから摘むようにとのことでした。知らずに育ててしまったワタシ(T_T)

 朝、意気揚々と納戸から大鍋や大ザルを出してきた私は、その日の午後、無言のまま洗って乾かした鍋とざるを仕舞ったのでありました。

 我が家の庭はどうしてこうなってしまうのでしょう。三年掛けて育て上げたのに・・・(しくしく)

2018年3月31日 (土)

死ぬかと思った話(注 死にませんでした)

 この記事は4月18日に書きました。

 なんとかギリギリ月イチ更新をしていたブログでしたが、3月は記事を書くことが出来ませんでした。2012年7月以来の出来事です。なにゆえ私はブログ更新が出来なかったのかをつらつら書き連ねてみたいと思います。

 3月17日土曜日、明朝7時からの隣組河川清掃に備えて私は九時過ぎに寝床に入りました。それからどの位時間が経ったのかは判らないのですが、寝返りを打った途端背中に激痛が走りました。寝違えたと思ったのですが、今度はみぞおちの辺りが強烈に痛み始めました。それも息をする度に締め付けられるような痛みです。
呼吸の度にぎりぎり痛み冷や汗が出てくる、これは、これはもしかして心臓?私狭心症?
心筋梗塞は背中だの肩だのが痛くなる事が多く、ダイレクトに心臓の辺りが痛む場合は大体心臓ではないのですが、痛むのは肋骨中央のちょっと左寄りと背中という、心臓マッサージをする当にその場所です。
コレステロール値が低く血圧も低い私が、まさか循環器系疾患になるとは思いもしなかったので暫し茫然としてしまいました。寝耳に水とはまさにこのこと。
これが狭心症ならば死なないけれど心筋梗塞だったら下手すると今夜中に死んでしまう。救急車を呼ぶべきか。しかし心筋梗塞を起こした親戚も一晩肩凝りで寝られないまま(当人はそう思っていた)無事朝を迎えたではないか。とはいえ急死する人も多い。ここはおっとり構えている場合ではないのではないか。救急車を呼んだ方が・・・


 その時思わぬ考えが頭に浮かびました。

『部屋が汚すぎる』

 死にかけているときにこれを考えるかと自分でも呆れたのですが、二月三月と体調が悪くお掃除がおざなりになっていたところへ、遂に掃除も片づけもする気力も消え失せて一週間経ったのがこの夜だったんです。家中ひどかったんですが、一番酷い場所が何を隠そう今寝ているこの部屋。ここへ救急の人が来るわけだ、穴があったら入りたい。恥ずかしくて死ぬ。

 と思ったんですが、このままここで死んでも他人が部屋に入る訳で、死体になる前に出た方が安穏であろうと、救急車を呼ぶことにしました。しかし携帯電話のあるところまで動けそうにありません。というか、動けない。
皆さん、電話は枕元に置いておきましょう。私がどれだけ後悔したことか。


 どうしたものかと煩悶しているうちに、痛みのストレスと不安からでしょうか、めまいの発作まで起きてしまったのです。
心筋梗塞疑惑とめまいのコラボ、地獄の責め苦ってこんなものですかね。
こうなると話はより複雑になります。目を回しながらアレコレ受け答えをしつつ救急車で搬送され、病院で検査を受けて、医者から「心臓じゃありません、命に別状ないですから帰って良いですよ」と言われたら普通は「よかったばんざい」でしょうが、めまい中に負荷を掛けられた私は、その場で倒れて一ヶ月寝込みかねません。そうなると介護認定の低い母の行き場がなくて別のお葬式が出かねません。生きてさえいれば、明日タクシーで病院に行っても心筋梗塞ならカテーテル検査で3~4日の入院で済む。

 救急車呼ぶのリスク高すぎる・・・(^_^;)

 ここからの数分間、私の脳みそはありとあらゆる事を考えました。母の事から、救急車を呼んで玄関の鍵を誰が開けるかから、明日の河川掃除欠席をどうやって組長さんに知らせるかまで、何をどうするのが一番良いのかを。

 そして痛みで疲れ果て、もうどうでもよくなりました。最後に8日後の26日朝に放送されるNHKクラシック倶楽部「イーヴォ・ポゴレリッチ」の事が頭に浮かびました。時間指定で録画予約をしているのですが、私が死んでしまえば、家族に観る余裕があるとも思えず、結果誰も録画を観ることはないでしょう。結局私は観られないんだ。汚れた部屋もそうですが、予め計ったりできないのが死というものだ、「癌は死を準備する時間を与えられる稀な病気」という言葉は本当なんだなどと思いながら、私の意識は薄れました。

 翌日ワタクシ生きて目が覚めました。昨夜あれだけ下手の考えを開陳できたということが、危機的ではなかった証拠とも申せます。救急車呼ばなくてよかった(^_^;)

 とはいえ、体調はひどいもので歩くのもやっとでしたが(最初痛くて歩けませんでした)、組長さんに欠席のメールをし、母の朝ご飯と昼ご飯の用意をし(どうやって動けたか思い出せません)、即入院になった時の用心に着替えにタオル洗面道具などをバッグに詰め込み、日曜当番医に行きました。診てもらいました。

 で、狭心症といわれると思っていたら、胃けいれんでした。
言われてみれば、確かに心臓と言うより胃がある場所でしたけど、胃けいれんなんて考えもしませんでした。死ぬかと思う程痛いとは聞いていたけど、ほんと死ぬかと勘違いしましたわ(^_^;) 

 てことで、狐につままれた様に死を免れた私は、お薬を処方していただいて、帰りにスーパーで母用にお総菜を買えるだけ買って帰り、まだまだ痛かったのでそれから数日寝込む事になりました。また胃の痛みも取れなかったので、暫くお薬を飲み続け、なんとなくうだうだしているうちに最終週となり、26日朝4時起きしてポゴを聴いて廃人となり(というか痛みがぶり返したのです)、気がつけば4月となっていたのでした。

 これがワタクシの5年8ヶ月ぶりに月イチブログ更新が出来なかった顛末です。死ぬかと思ったんだから、ブログ更新出来なくてもいいですよね(^_^;)

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