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2026-03-05

江戸時代の小判の改鋳は信用創出のためですよね

江戸時代の「小判の改鋳(かいちゅう)」を「信用創出」と捉えるのは、非常に鋭く現代的な視点ですね。

厳密な経済学用語としての「信用創出(銀行預金と貸し出しを繰り返して通貨量を増やす仕組み)」とは少し異なりますが、「通貨発行益(シニョリッジ)を得るための財政政策」、あるいは「マネタリーベース強制的に拡大させるリフレ政策」という側面で見ると、おっしゃる通りの性質を持っています

江戸時代の改鋳(特に元禄期の改鋳)がどのような意図で行われたのか、整理してみましょう。

1. 幕府の「お財布事情」と通貨発行益

改鋳の最大の目的は、多くの場合幕府財政赤字補填でした。

金銀の含有量を減らした新しい貨幣を作り、古い貨幣と交換する際に、余った金銀でさらに多くの貨幣鋳造します。その差額が「通貨発行益」として幕府の懐に入りました。

豆知識元禄の改鋳を主導した勘定吟味役荻原重秀は、「貨幣国家が定めるものであり、たとえ瓦(かわら)であっても通用する」という趣旨発言を残しています。これは、貨幣価値を「素材(金)の量」ではなく「公的な信用」に置こうとした、当時としては極めて先駆的な**「管理通貨制度」**に近い考え方でした。

2. 経済成長に伴う「通貨不足」の解消

慶長年間(江戸初期)に決めた貨幣流通量では、元禄期の発展した経済規模商業の活発化)を支えきれなくなっていました。

デフレ状態回避商品流通量に対して貨幣が足りないと、物価が下がり景気が冷え込みます

通貨供給量の拡大: 金の含有量を減らしてでも枚数を増やすことで、市場流通するお金を増やし、経済を回そうとした側面があります

3. 「信用」と「インフレ」のトレードオフ

改鋳は魔法の杖ではありませんでした。

メリット幕府財政が潤い、一時的に景気が刺激された。

デメリット貨幣の質が落ちたことで「貨幣への信頼」が揺らぎ、激しいインフレ物価高)を招いた。

特に、その後の新井白石による「正徳の治」では、逆に「貨幣の質を元に戻す(金の含有量を増やす)」というデフレ政策がとられましたが、これは市場から通貨消滅させ、深刻な不況を招くことになりました。

まとめ

江戸時代の改鋳は「貴金属呪縛から逃れて、公的な信用によって通貨量をコントロールしようとした試行錯誤」だったと言えます現代中央銀行が行う金融緩和に近い発想が、300年前に既に実践されていたのは非常に興味深いですよね。

2024-02-08

カンジョーブギョーにお任せアレ!wwwwww

オウフwwwいわゆるストレート知行質問キタコレですねwww

おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww

フォカヌポウwww拙者これではまるでブギョウみたいwww

拙者はオブギョーサマではござらんのでwwwコポォ

まず増田殿にお教えするのは、一万石とか十万石とかいう「石高」とは持っている領土生産力であって、それが実収入ではないのでござる。言ってみれば、諸経費込みの総売り上げ≒年商に相当するものなのでござるな。なので実はトヨタ7億石大名説」はあってるのでござる。日本の総石高天保年間に3千万石チョイ位でござるので、トヨタすごいでござるなぁ・・・

ところが、個人についてみると年収1000万円は途端に一石6万円換算はおかしくなるのでござる。

増田殿が個人事業主で年商1000万円ならば166石取りといってまあおかしくはないでござる。でも増田殿、サラリマンでござろう?

これ即ち、中下級武士クラスでござる。ただし、この階級でも、年収から一部の経費を負担しなければならないのでござる。しかしまあ、サラリマンも額面給与手取りは違うでござる。その辺は深く考えないで欲しいでござる。

この階級のオサムライサンは、オチンギンの貰い方に2通りあるのでござるよ。

一つは、お殿様からちっちゃい領土を分けて貰って、そこのアカりがオチンギンになるパティーンでござる(知行制)。地方や物成りによってもまちまちでござるが、大体村一つで200~1000石ぐらいになるでござる。石高人口は大体同じぐらいでござる。今だと田舎にある大字ぐらいが1つ村だと考えてくだされ。

現代で言ってみれば、大会社のシャッチョサンに「お前にこの子会社任すから、そこのアガりで食ってくれ」ということなのでござる。小なりと言えどもシャッチョサンなので、身分的にも良いのでござるよ。

この場合領土石高に対する年貢収入が実際の年収になること、賢き増田殿ならお分かりいただけると思うでござる。実際の年貢税率は、これも時代地方によって違うでござるが、35~50%でござるよ。

ただし、本当にもらった領土経営するとなるとひじょーにマンドクサなので、江戸時代も進むと「領地を持っていることにはなってるけど、お米は藩からもらう知行蔵米制)」というスタイルほとんどになったのでござるなぁ。ほとんど、という言葉を裏返すと最後まで領土経営を続けたところもあったんでござる。

その下のクラスになると、ストレートにお米を給料としてもらえるでござる(蔵米制)。これは藩の領地から取り立てた年貢米で、年に何俵という形で支給されるでござる。俵1つにはお米が0.35石入っているでござる。この0.35という数字、奇しくも領土1石から取れる年貢米と大体同じなのでござる。よって50俵もらえるオサムライサンは、50石の領土を持っているオサムライサンと、大体同じ収入になるでござる。しかしサラリマンは多少高給でもシャッチョサンよりは身分的には見劣りするのでござるなぁ・・・。この辺は拙者共も身分を取るか実入りを取るかで苦労したものでござる。

なので年収1000万円のサラリマンは、お米に直すと166石≒474俵取りのオサムライサンでござる。つまり474石分の領土収入的には等しくなるでござる。

これは、ニッポンイチカンパニーである江戸幕府では500石超の「大身旗本」というクラスにあとちょっとで手が届くちょっと惜しい感じの家格。役職でいうと、具足奉行本社のどうでもいい課長)や各地の郡代出張所長)が大体このぐらい、ちょっと手を伸ばせば勘定吟味役経理課長補佐)、御小姓(社長秘書)ぐらいのポジションでござる。

その他な藩では、その藩の石高次第ではござろうが、数万石規模の小大名ならば家老職にもなれるぐらいの石高でござるな。逆に大大名クラス家老職は万石取りでござる。

そう考えると年収1000万円、今も昔もそんなに変わりがない気がするでござろうよ。。。

 

 
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