【反面教師】「働かないオジサン」と接して感じた陥ってはいけない働き方。
一定の年齢までにキャリアアップができず、そのまま定年を迎えていく。
そんな人は、どの会社にも多数存在するし、自分にもその可能性は十分ある。
でも、少なくともその立場になったとして、同じ会社に居続けるのであれば、職場において働くことを放棄するだけでなく、周囲の生産性を下げるような働き方に憤りを僕は感じている。
なんで、あのオッサンより自分の給料の方が少ないのか?
自分のほうが10倍以上働いているじゃないか?
と悶々としている僕に現実を突きつける記事があった。
出所:清家篤『定年破壊』を元に筆者作成
右の図は、この理論のエッセンスを示したものである。社員の賃金カーブが企業への貢献度を左下から右上に横切る形になっている場合には、定年が必要だという理屈である。
つまり企業は、社員が若いときには、貢献度よりも低い賃金を払い、その差異の部分を中高年になったA点以降に付加して支払っているというのである。これが働かないオジサンに実際の貢献度以上の給与が支払われている理由だということになろう。
(東洋経済オンライン:https://toyokeizai.net/articles/-/28116?page=2)
自分にも同じことが言えるのか?
上記のようなことは確かに理解できる。しかし、これが成立するのはあくまで、会社の経済状況が健全かつ前時代的な年功序列的な考えを保っている会社であることが前提のはずである。
これからの変化の速い時代において、目の前の仕事の成果ではなく、過去の定性的な功績を振り返り、給料を支払っているほど余裕のある会社はごく限られるのではないだろうか。
残念ながら、僕の会社もそのような前提が、今現在においては成立している。
しかし、恐らくだが、僕にそのチャンスがくる可能性は極めて低いだろう。
(キャリアアップしないまま、高給をもらうこと。)
だからこそ、「お前たちは給料泥棒か。」
と言いたくなるような一部の働かない中年社員たちを見て、そして業務上の接点の中で感じた理不尽を自分の記憶にとどめて、反面教師にしたいと思う。
・徹底した指示待ち
やれと言われなければ、動かない。
だが、指示する人はいない。指図だけはする。
・過去の経験でしか考えない
⇒切り口がいつも同じ。
すべて、自分の全盛期の常識で考える。
・重箱の隅をつつく指摘で権威を示す
⇒下の立場の人間には威張りたい。
点の話を大ごとにしたがる。
年齢を重ねる中で、「もし、自分だったら…」という視点で考え続けなければいけない。