このバンドは、ポストロックに反逆してやろうって—— mouse on the keys、6年ぶりとなるフル・アルバムを先行ハイレゾ配信
鍵盤とドラムから生み出される、幾何学模様のように複雑かつ精密に絡み合うアンサンブルとアグレッシヴなバンド・サウンド。その唯一無二のグルーヴで、世界的な評価を得ているmouse on the keysが、6年ぶりにフル・アルバムをリリース。より磨きのかかった演奏力、より複雑さを増した楽曲が、彼ら独特の熱さを通して遺憾なく発揮された本作は、もはやどんなジャンルにも当てはまらない孤高の名作となってしまった。そんな本作を1週間先行、24bit/44.1kHzのハイレゾ版で配信。
今回、新作『the flowers of romance』の発売にあたって、彼らへのインタヴューを2編に分けて公開。前編となる本ページでは、mouse on the keyが結成にいたるまで、そしてバンドの軸となっている哲学について、大いに語ってもらった。どこよりも早くリリースされたこの最高傑作とともに、お楽しみいただきたい。
後編 : ニュー・アルバム『the flowers of romance』が出来るまで… はこちらから
6年ぶりの新作を1週間先行配信!!
mouse on the keys / the flowers of romance(24bit/44.1kHz)
【Track List】
01. i shut my eyes in order to see / 02. leviathan / 03. reflexion / 04. obsession / 05. the lonely crowd / 06. mirror of nature / 07. hilbert dub / 08. dance of life / 09. the flowers of romance / 10. le gibet
【配信形態 / 価格】
24bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
まとめ購入のみ 2,484円
INTERVIEW : mouse on the keys
mouse on the keysの川崎昭(ドラム)は、話しがめちゃくちゃ面白いと聞いていた。僕は初インタビューだったのだが、噂に違わず、それはそれは面白かった。赤裸々だし、彼の人生事態が炸裂している。あまりにも面白いので、急遽2回に分けて掲載する。後半編は、さらにヤバイ。期待してて! そら、音楽も面白くなるわな。
インタヴュー : 飯田仁一郎
文 : 高木理太
mouse on the keysをやるってことが僕にとってのアイデンティティの確立
——2011年の震災が起こって、灰汁とのライヴ・セッション音源をチャリティとして発表して以降のここ2、3年は少し活動がゆっくりになったかなというイメージを持ったんですが、その辺はどうですか?
川崎昭(以下、川崎) : 震災の前後、1年の間に3度ヨーロッパ・ツアーをやってるんですよ。それが2010年の春前と、年末、年が明けて2011年の3.11の周辺で3回目を周ってて。
清田敦(以下、清田) : 3.11はまさに向こうを周ってる時でした。
川崎 : その頃はかなりハードに活動していた時期でしたね。
——1回のツアーで何本ぐらいライヴをこなしてたんですか?
川崎 : 長くて2週間とかで、短いと1週間とか。トータルその時期の3回のヨーロッパ・ツアーで約40カ所ぐらいは行きましたね。丁度その時期ぐらいからひどい頭痛に悩まされるようになったんです。しばらく様子を見てたんですけど、熱を持ってるような感じもあったんで、病院でMRI撮ったんですね。その時に脳神経内科の先生に言われたのは、原因が分からないと。だから、出せる薬も無いから麻痺や障害が出たらまた来なさいと言われて。あー、なんて西洋医学は冷たいんだ! って思いましたね(笑)。それならば東洋医学だと思って整体師に見てもらったら良くなってきて。さらにハードに仕事するの止めたり、ライヴの本数減らしたらだいぶ良くなりましたね。
——その時のバンドの決断としては、活動全体を少し休む、ライヴだけをやめて曲作りはするって感じのどっちだったんですか?
川崎 : 昔は昼間は仕事して、夜はパソコンで曲を作るって作業を寝ないでやれてたんですけど、自分の体やパッションの衰えを感じてきたところで体が壊れて。だから、全体として活動を緩めましたね。
——その時期は結構追いつめられているような感じだったんですか?
川崎 : そもそも、mouse on the keysをやるってことが僕にとってのアイデンティティの確立のためだったんですよ。そして2010年に体を壊したんで、このやり方では長続きしない、生きる方向性を変えなきゃまずいなって思いはじめましたね。その意味では精神的に追いつめられてました。まあ、mouse on the keys結成当時も、追いつめられてたんで、常にこんな状態ですが(笑)。
ある時から自己啓発本を読み漁り始めた
——それは以前やられていたnine days wonder(現、9dw)からの脱却、変化っていうことですか?
川崎 : そうですね。20代の間は、大体nine days wonderをやってた時期で、nine days wonderはサイトウケンスケっていう天才的リーダーの元、音楽を作るっていう感じだったんです。 大学を卒業する頃、音楽でなんとか生活出来ないかなと思ってたんですけど、自信はなかったんです。親に大学まで行かせてもらって、自信も無いのにバンドで食いたいって言っても説得力が無いし、一度就職しようと思って会社員になったんですね。でもそこからスランプが始まって、何をして生きていけばいいか分からなくなったんですよ。学生の頃は自分がリーダーとしていくつかのバンドをやっていたんですけど、社会人になってから、特に音楽でのスランプ状態が酷くなって…。サイトウケンスケに出逢い、そこで音楽に対して凄まじいセンスと情熱を持った彼について行こうと思ったわけです。
——そのスランプっていうのはどういうものだったんですか?
川崎 : 僕が勤めていた会社は、家に帰れないこともザラで。ここでこんなに時間を使うんだったら自分の好きな事に費やした方が良いと思い、2年ぐらい勤めてその後フリーターになったんです。やっぱり自分の野心のあるもので頑張らないとダメだなと思って辞めたんですけど、その当時の自分のレベルや音楽的にもハードコアやその流れのものが好きだったので、日本の社会の中では生計を立てられるわけ無いと思っていて。そこで気持ちが板挟みになっちゃって、音楽が嫌いになっちゃったんですよ。
——そんなスランプの中でnine days wonderを続けていたんですか?
川崎 : そうですね。ドラムをやりつづけてきたっていうことしかその時の僕には無かったので、これを止めたらホントに自己喪失になると思って必死にしがみついていた感じです。サイトウケンスケの音楽愛にはすごく尊敬の心を持っていたし、彼がグイグイ音楽を作りたいっていう気持ちがあったんで、自分はリーダーシップを取らずに彼の補佐になれればなと。当時僕は、音楽嫌いになりながらも、自分の興味がテクノなどに向いていて、例えばSquarepusherとかAphex Twinはいいな〜と。こう考えると音楽嫌いというか、バンド嫌いになってた感じですね(笑)。その時にサイトウケンスケがやりたかったのは90年代のエモとかポストハードコアとかっていう流れの音だったんですけど、正直な話、彼のやりたい音が自分の中で、完全には分からないんだけど、彼の情熱には何かあるはずだって信じることにしたんです。ただ振り返ると、最初の頃、彼が良いと言っていたものはあんまり良いとは思わなかったんですね。
——それは書けますかね? 大丈夫ですかね(笑)?
川崎 : そこは、あんまり本人に言った事無いことなんですけど(笑)。ぶっちゃけると、エモとか激情が劣化したメタルやハードロックみたいに感じられて。新しくもないし、下手くそな音楽だなあとか思ってました(笑)。今思うと、単に自分の音楽的リテラシーが低かっただけなんですけどね(笑)。
——でも、周りの友人の方はその周辺の方が多いですよね(笑)?
川崎 : 多いですね。その当時の人たちは今も友達で、宝なんですけど。当時は自分が病んでたし、同じ空間にいながらも最後まで挨拶しない人がいたりとか、暗いね〜(笑)。
一同 : (笑)。
川崎 : だから、当時ライヴハウスで知り合った人達は、どうせ何年かしたら会わなくなるだろうと思ってたんですよ。そうして自分の中で色んなものに壁を作りながら、nine days wonderは二重人格的にやっていたバンドです。こんな音楽は面白くない、とにかくドラムが叩ければいい、ライヴでストレス発散してやれ! みたいなね。とは言え、やってる内に良さが分かってきちゃったんですよね(笑)。だからサイトウケンスケの感覚が早かったんですよ。あのバンドをやっていたおかげで自分のドラムのスタイルが出来たので感謝です。
——なるほど。そんな矛盾を抱えながらnine days wonderを続けてたんですね。その抱えてたスランプは、一体どうやって脱したんでしょうか?
川崎 : そんな感じで、鬱っぽくていつもため息ついてたんです。でも、それじゃいけないと思って、ある時から自己啓発本を読み漁り始めたんですよね(笑)。
——それはヤバいですね(笑)。
川崎 : それで色々読んだ中にバッチリ刺さった本があって、ナポレオン・ヒルって人の『思考は現実化する』っていう本で、成功哲学のベスト・セラーなんですけど。その中に成功する為の6ヶ条っていうのがあって、これを読んだ時に、実践してみようと真剣に思って。それで自分を分析してみて、その本に書いてあった戒律みたいなもの、これはしてはいけない、仕事はプラスアルファでやれ、一番のモチベーションは異性への愛であるとか、性欲をコントロールしてその力をビジネスに変えろみたいなのを律儀に守って心がけるようになったんですよ。これ、今考えると、完全に洗脳されてますけどね(笑)。
——完全にそうですね(笑)。
川崎 : でもそれを実行していくようになって、不安が消えていったんですよ、本当に。何だか危ない話ですね、これ(笑)。そうして自分の生活や気持ちを整理していったら、スランプから少しずつ脱していくことが出来たんです。 さらに僕は、この成功する為の6ヶ条を、音楽に応用し始めるんですね。 つまり、どういう音楽を作ったら良いか、作りたいのかっていう願望を追求していったんです。そんな中、ふとピアノの入ったバンドがやりたいなと思ったんです。
——それは一体何故でしょう?
川崎 : それは原体験として、家にピアノがあって母や姉がやってたりしてたので、昔からピアノに対する憧れがあったんですよね。中学生の時に初めて買った楽器は、ドラムじゃなくてシンセサイザーですし。愛読書はキーボード・マガジンでした(笑)。その中でも、お気に入りだったのがハワード・ジョーンズと坂本龍一さんで。坂本さんの『音楽図鑑』はほぼ毎日聴いてましたね。特に、80年代後半から90年代にかけての坂本さんを僕はビート期って呼んでいるんですけど。その辺りが大好きです。
いかにも正攻法っぽくどう皮肉るかってのが目標
——川崎さんのおっしゃる、坂本龍一さんの“ビート期”にはどんな魅力があったんでしょう?
川崎 : 初めて触れた小学生当時は、シンセやピアノの響きがどこか浮遊していて、映画でいうと『ブレードランナー』みたいな感じの、これは未来の音楽だ! って感動してたんです。その頃、音楽的知識はまったくなかったですし。しばらく経ってから、坂本龍一読本みたいなのを読み漁って、坂本さんの音楽的な要素を自分なりに書き出していってたんです。結果として分かったのが、当時、ソロでの坂本さんは、ワールド・ミュージックの流れに乗って、ファンク、フュージョン、ダブ、ニューウェイヴ、エレクトロ、ヒップホップ、現代音楽、沖縄民謡、南米音楽、アフリカ音楽などがごった煮になったミクスチャー音楽だとわかったんです。初めて聴いた時に僕がその音に未来を感じたのは、単なるフュージョンとかプログレ、ジャズじゃない第三の音楽のようなものだったからだっていうのが分かって。この第三音楽感は、シンセサイザー「Fairlight C.M.I」で組まれたリズムに起因するんですけど。まあ、だから、この時期のような音をやるべき、やりたいんだなってその時に思ったんですよね。
——なるほど、それがmouse on the keysを結成する上でのベースだったんですね。
川崎 : ですね。そうやってナポレオン・ヒルの成功哲学を読んだことで、mouse on the keysの青写真が出来たという(笑)。だから、nine days wonderは良いバンドだけれども、自分の家庭の事情もあり、自分のペースで出来る、自分の為の音楽をやらなきゃダメだと思って、辞めたんですよね。そんな感じでmouse on the keysを結成したんですよね。
——mouse on the keysを結成した当時は、ポストロックが全盛だった時期ぐらいだと思うのですが、そこからの影響は無かったんですか? 例えば、トータスであるとか。
川崎 : 無いですね。BOREDOMSとかの方が好きでしたし。時代的にトータスとBOREDOMSって近いと思うんですけど。僕がBOREDOMSを知り始めた頃ってバットホール・サーファーズだとか、ニルバーナやソニック・ユースとかのジャンク / グランジ経由でBOREDOMSがオーバーグラウンド化した時期で。スランプに陥る前はBOREDOMS周辺のバンドばかり聴いてました。ポストBOREDOMSみたいなバンドがいっぱいいたと思うんですけど、当時の何かに似ているのは嫌だって空気感が好きでしたね。スランプに陥ってる間は、さっきも言ったみたいにテクノに傾倒して、そこから脱する時、坂本さんに回帰し、さらに、坂本さんの『Neo Geo』の共同プロデューサーのビル・ラズウェルがやってたMaterialやPraxis、ジョン・ゾーンのNaked City、ポップ・グループから枝分かれした、ピッグバッグとかリップ・リッグ&パニックみたいなパンク臭がありながらも実験的でトロピカルな感じだったり、ファンキーな感じのバンドを好んで聴いてましたね。とにかく坂本さんが抽出していた音楽のエッセンスや文脈を意識して聴いてたと思います。その精神、構造にnine days wonderで培った、激情とかポストハードコアのドラムのテイストを混ぜようと思って。ジャズっぽいものではなくて、『音楽図鑑』的な構築されたリズム、トラックメイカー的な感じで手癖を排除してやるっていう。生バンドですけど、クオンタイズされ、グリッドが合った感じでクレイジーにやるっていう。自分たちのバキバキ感ていうのはそこにルーツがあると思うんですよ。だからmouse on the keysは一般的に言うジャズじゃないんです。ハードコア、スラッシュメタル、デスメタル、ブラックメタル、グラインドコア、ウルトラ・ヴァイオレンス、ファストコアも大好きで、そこもグリッド感で見てて。パンクの劣化した音質でグリッドが合ってるのはすごくカッコ良いなと思ってますね。単なるハイクオリティなジャズの感じとは明らかに違って、パンク、ニューウェイヴ以降、サンプラー / シンセサイザー / シーケンサー普及以降の感覚がデフォルトのバンドっていうのが僕らなんだと思います。
——でも、今回頂いた資料には、“日本を代表するポストロック・バンド”って書かれてますよね(笑)。そこについてはどう思ってるんですか?
川崎 : それは皮肉みたいなもんですよね(笑)。このバンドは、ポストロックに反逆してやろうっていう気持ちで始めたようなもので、いかにも正攻法っぽくどう皮肉るかってのが目標ですからね。ある意味ポストロック的な何かってのは理解してるから、逆にそういう人たちがやらない組み合わせは何かなって。音楽性もアメリカの文化が出来上がる前、その前の時代の価値観をそういう80〜90年代の英米のストリート・バンド系音楽に乗っけてやろうみたいな。イメージとしては、ストラヴィングスキーとハードコアが混ざったら絶対カッコいいんじゃないかってのが始まりですよね。だからポストロックをやろうと思ってないというか、ポストロックって言われてますけど、結局僕らはポストロックを殺す為にやってるようなものですから(笑)。