バブルの王様⑦「ゴルフ場錬金術」
「ここができた頃はまわりに大きなビルがなくて、見晴らしがよかったんです。遠くの富士山がはっきりと見えていたくらい。京王プラザができてから、隠れてしまった。このあたりもすっかり変わりしました」
1989(平成元)年冬に東京・四谷のアイチ本社ビルの会長室で森下安道に初めてあったとき、本人がそう昔話をしていたことを思い出した。とかく暗いイメージが付きまとう貸金業者の根城を吹き抜けの総ガラス張りの明るいビルにしたことが自慢だったのであろう。森下には、そんな子供のようなところがあった。本社ビルを建てて間もなく、京王プラザをはじめとした西新宿の高層ビル群が現れた。
森下はバブル景気の訪れるずい分前から貸金業者として大きな財を成し、これでもかといわんばかりの錦衣玉食を楽しんだ。なぜあれほどまで莫大な財産を手にできたのか。その錬金術について、森下を知るある同業者は次のような自説を展開した。
「突き詰めると、森下さんは金融業者ではなかったんだと思います。手形割引でカネを貸していた頃はたしかにそう見えたけど、そこから先のやり方は違う。言ってみたら、森下さんの頼りは土地なんですね。つまり不動産屋だった。戦後、上がり続けてきた優良な地べたを持てば間違いなく儲かる、という土地神話の信奉者。土地を担保にカネを貸した時点で、すでにそれを自分のものにしている感覚でした。株にしても、美術品にしても、表向きそれを担保にカネを貸しているけど、よくよく見ると相手は土地持ち。金利で儲けながら、同時に不動産を自分のものにする。それが森下さんの狙いだったように感じます」
(以下略)