1978年から43年にわたってスズキの経営トップを務め、軽自動車の普及に努めた前会長の鈴木修(すずき・おさむ)さんが25日、悪性リンパ腫のため死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会を後日開く予定。喪主は長男でスズキ社長の俊宏(としひろ)さん。
岐阜県下呂町(現下呂市)生まれ。中央大法学部卒業後、銀行勤務を経て58年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。2代目社長だった鈴木俊三氏の娘婿となった。63年に取締役に就任し、常務、専務を経て78年に社長に昇格。2000年に会長になったものの、08年に会長を兼務しながら社長に復帰した。
一貫して小型車、軽自動車の開発、販売に力を入れ、「アルト」「ワゴンR」などの人気車種を世に送り出した。81年に米ゼネラル・モーターズ(GM)の出資を受け入れる(08年に解消)など、海外メーカーとの提携戦略も主導した。
82年には、日本の自動車メーカーとして初めてインドへの進出を決意。現地で人気の高い小型車を現地工場で生産するなどして浸透し、子会社「マルチ・スズキ」は同国でシェア首位を占めるまでに成長した。
07年にインド勲章「パドマ・ブーシャン」を受章。15年6月には会長職にとどまりながら、社長職を長男の俊宏さんに譲り、21年6月に会長職も退いた。社長、会長の在任中で、連結売上高を約10倍に当たる3兆円に拡大させた。
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