御嶽山山頂 剣ヶ峰にて鬼滅パトロール(YAMAP) Kimetsu
世の中を明るくしたいので世界に向けて発信してほしいと託されたのでここに掲載。
We want to brighten the world, to people all over the world.
噴火から7年。。御嶽山に登るのは今回で3回目である。
初めて登ったのは噴火の2年前の
2012年7月のことである。
空気が薄くて?高山病ちっくになったのはなんとなく覚えている。
本文には書いていないがニノ池の周りを周回した後、
昼食にレトルトカレーを2袋も食べて胃もたれして気分が悪いままの下山だった。
下山後にはケロリと治ったのでやはり軽い高山病だったのかなという記憶。
2014年9月27日午前11時52分発生の噴火によって戦後最悪の火山災害となった。
噴石等による犠牲者58名に加え、未だ5名の行方不明者が残されたままとなっている。
噴火の瞬間の映像(YouTubeより引用)
噴火に係る陸自災害派遣20日間の活動(YouTubeより引用)
あの日は天気が良く遠征日和だったので日帰り遠征で伯耆大山に登り、
下山後「みるくの里」にて二度目の昼食だったかカフェだったかを摂っているときに
御嶽山が噴火したとの速報が流れていて情報を見守っていたのを覚えている。
噴火から2年後には御嶽山の北側、濁河温泉から五ノ池小屋を経由して
摩利支天山に登り、噴火後閉鎖されたままの痛々しい山頂を遠目に仰いだ。
御嶽山山頂までの登山規制が解除されてからも多数の犠牲者が出た山に足が向かず封印していた。
そして噴火から7年が経過。
久しぶりに御嶽山に登ってみたいという気持ちが湧いてきた。
奇しくも週末ごとに雨模様の関西に対して御嶽山は好天の予報だった。
中央道中津川までは短時間にスムーズに来れるがそこからの下道がやたらと長い。
家を21時に出発し、1500台駐車できるという鹿ノ瀬センターハウス前に到着したのは2時頃。
外は満点の星空。
5時半まで約3時間の仮眠。
始発7時のスキーゴンドラに乗車。(飯森高原駅最終は16:30分発)
往復券を購入すればJAF割で10%オフになるが最終発に間に合わない山行になるかもしれないので片道きっぷ。
御嶽山は3000mを超える標高でアルプスに属していてもよいが、あえてどこにも属さない一匹狼(独立)の道を選んだという。
森林限界を越えるまでにすでに硫黄の臭いがする。
またいつ噴火してもおかしくない。
下山時はなんども滑りそうになった丸太や薪の足場が延々と。
八合目にある女人堂に到着すると同時に森林限界を超えた。
北アルプスや南アルプスをも見渡しながら最初の休憩。
岩ゴロ浮き石ゾーンでは、下ってきた女性が何度も転倒の末に頭をぶつけておられて心配になった。
9合目直前、石室山荘の中を通り抜けるルートにて山荘でおしるこ休憩。
次はニノ池との分岐点で山頂を先に行くか、ニノ池ヒュッテの名物担々麺を目指すか迷ったが、
ニノ池周辺で過ごす時間を長く取りたいので先に山頂へ。
避難シェルターや慰霊碑を目の当たりにするとたしかに噴火があったことを実感。
沈痛な面持ちとなって剣ヶ峰への階段を登る。
山頂からは、犠牲者の最も多かった八丁ダルミや王滝頂上を見下ろせる。
下りてきて慰霊碑に手を合わせ、一路、ニノ池へ向かう。
青く広かったニノ池には噴火の際の火山灰が堆積して隅っこで水たまり程度になっていた。
遠目にはまるで凍ってしまったかようにも見えた。
ニノ池山荘を過ぎてほどなくニノ池ヒュッテに到着は11:30分。
山と高原地図のコースタイムの1.1倍に少しの休憩を散りばめただけであったが
今回は登山計画をぜったい守るとがんばった結果、予定より一時間以上の余裕を残していた。
名物担々麺はギリギリ売り切れていたので代わりの鍋焼きうどんにするもなかなか絶品であった。
そんなこんなでまだ十分な時間があったので、三ノ池が見える白竜避難小屋まで行くことにした。
またの名を、白竜教会サイノ河原避難小屋だ。
ヒュッテから近くに見えていた避難小屋へは大きく下って賽の河原を通って登り返し。
ガスがなければ見えると聞いていた三ノ池はばっちり眺めることができた。
ニノ池山荘まで戻ってきて休憩。あとは女人堂での休憩までほぼ一気に下山。
そして飯森高原駅には15:35に到着。
鹿ノ瀬温泉はわりと賑わっていたので通過。
オフロードを走ってたどり着いた貸し切り状態のけやきの湯で汗を流して帰国の途へ。
関西からなんとか日帰りで来れる御嶽山、有意義な遠征だった。