えすとえむ『IPPO イッポ』


 靴に何のこだわりもない。
 スーツを着る毎日だが、同じ革靴を履いている。たまに別のを履くが、「紙屋さん、なんですか、その煮染めたみたいな靴は…」と言われる。年配の上司が「靴でその人の価値がわかるもんな!」と言っている中にきっとぼくのことは含まれていまい。というか、すでに値踏みされているということか…。


 コーディネートの中に位置づけたことすらない。
 いや、「スーツにスリッパはヤバい」とか「赤い靴だとダメだ」くらいの、「目に余るその選択」というほどでなければOKという程度のものだ。


 つまり靴に何の関心もない。
 そういう男が読んで面白かった、何度も読み返しているのがこのマンガ、えすとえむ『IPPO』(集英社)である。イタリアで12から靴の修業をし、17から正式に職人として働いてきた弱冠22歳の一条歩が店を開く。

22歳ってどんなだったっけ

IPPO 1 (ヤングジャンプコミックス) 新卒と同じ22歳。
 自分が22歳だったとき、葬式に行ったら「このたびは御愁傷様です」という定型の挨拶すらロクにできなかった人間だった。有名な講師を呼んでおいて10人しか集めず怒りを買ったりした。マナーや礼儀にこだわることを虚礼としか思えず、そういうことを気にするやつを因習にとらわれたバカだと思っていた。他人に感謝しない人間だった。完全な欠陥人間である。
 22歳とはぼくにとってそういう歳である。
 22歳の人間から無礼を受けても、「ぼくよりはマシだ」と思える。


 ところが、歩は違う。
 これが22歳だろうかと思えるほど、礼儀正しい。
 いや、礼儀正しいことだけなら、就活本で学んだそのへんの新卒だってやるだろう。
 もの馴れている。
 靴の注文についてあれこれ話した後で、

「で 今日は オーナーさんは?」

と言われる。22歳のぼくなら「えっ…ちょっ…やだなあ、お客さん。ぼくですよ。ぼく。目の前にいるぼくがオーナーなんですよ!」とか言いそう。


 歩はそうではない。
 いかにも(あらら……またか)という言葉を飲み込むような1コマをはさんで、

申し遅れました
私がIPPOの一条歩です

と落ち着いて返す。
 たったこれだけのやりとりだが、歩の人となりが伝わる。
 単に年齢に見合わぬ卓越した技術を持っているというだけでなく、接客におけるこの落ち着いた対応は、人生における経験やそれに見合う知性を感じさせる。


 こんな22歳いないだろ。
 いないけど、造形してみました、ってのが作者の気持ちだろう。
 そして「ほうっ…」と思うほど、歩の造形は成功している。こういう22歳がいたら。そしてこんな職人に靴をつくってもらえたら、と思わず引き込まれる。


 そうなのだ。
 このマンガは歩というキャラクターの開発に成功したことによって魅力的な作品世界をつくりだしている。

セリフや展開の小さな気遣いがいい

 えすとえむのセリフ回しはよく考えられている。
 靴の色や形を選びきれない義足の女性・足立結(あだち・ゆい)が

決まらなくて…
左右違う色にする…
なんて変な夢まで見ちゃった

と言う。
 歩はそれにたいして

そうですか…
それではもう一度どのような靴をご希望か
お話しいただけますか?
色や形ではなく目的として
何故 注文靴(ビスポーク) なのか


と問い返す。
 このとき、歩のセリフは「それではもう一度どのような…」で始まってもおかしくはない。
 しかしぼくはここに

そうですか…

という一言が入っているのが、いい、と思った。
IPPO 2 (ヤングジャンプコミックス) いったん相手の言っていることを受け止めている印象が出る。それも、大げさではなく。なければ、セリフが少し性急に、機械的に流れる。ストーリーの従属物のようにして。
 こういう小さなクッションが物語のリアリティや上品さを生んでいる。


 足立が後日(別のエピソード)別の靴の注文で歩を訪れ、深夜の作業を手伝っているとき、歩が「僕も頑固です」と2人で頑固論を始めるシーンがある。
 歩の頑固論が始まるときに、足立の携帯に電話がかかってくる。会話がいったん途切れる。携帯を受けた足立のセリフは、

あ はい 大丈夫です
リハにはちゃんと間に合うんで
はーい では のちほど

というだけである。このセリフ自体には何の重要性もない。
 歩はその間作業をし続けている。

「…で?」
「え?」
「一条さんが思う頑固って?」


と足立は話を再び立ち上げる。
 携帯電話で、頑固論をいったん切っているのがいい。
 そのまま流れる、つまり、歩が論じ続けると少し押し付けがましくなる。携帯電話で途切れることによって、歩はもうそのことを話すつもりはなかったことが「え?」というセリフでわかる。つまり作業の余興のようなものとして口にしただけで、もともと「熱く」語る予定などなかったことがわかる。
 足立は興味を抱いた。だから、再び水をむけて、歩の頑固論を聞きたがったのである。
 歩自身は披瀝するつもりもなかったが、という奥ゆかしさ。内に秘めたものがある、というポジションのまま、歩は頑固論を語ることができる。


 このシークエンスは、歩がなぜ足立が持ってきた靴造り(コラボ)の話に乗ったのかを語るところで、歩の「正直で情熱家」であるところに心を動かされてしまうくだりである。
 「今度よかったら改めて食事でもどうですか?」と品よく足立が誘うコマが最後に小さく挿入されているが、歩という男性の魅力に、歩自身はそうした光彩を放ったとは無自覚なまま、足立が心を動かしている。いわばほんのちょっとだけエロチックなのである。
 仕事の姿がこんなふうに女性の心を動かすなんて……。
 いいわー。
 やってみたいわー。
 
 

クールなのに温かいのは

 歩は知的でクールである。
 クールであるにもかかわらず、冷たくない。
 歩に人間的な温かさを感じさせるものはその技術の描き方である。


 前述の義足の女性・足立が、注文する靴の色・形で悩んでいる時に、先に書いたとおり、歩はなぜ足立自身が靴を作ろうと思ったのかという原点を確認させる。
 緑かボルドー(深みのある赤)か、果てまたは茶系かと悩んでいるところに、オフホワイトのヌメ革(渋に漬け込んで着色する前の自然な状態の皮革)を提案する。

なめした後に染色してない
革そのものの素材感が特徴です
はじめは革そのものの色ですが
日光にあてたり使い込んでいくうちに
つやが出て色が濃くなり
やがてアメ色になります


この革はまだゼロの状態


1歩を踏み出し一緒に歩く靴には
もってこいの素材だと思うのですが…

 じっと歩を見つめる足立。
 やがて口もとだけのアップのコマ。
 この提案を受入れたのである。


 当人自身が迷って見失ってしまった原点を掘り起こし、当人が思いも及ばなかった選択肢を提案し、その原点に到達させる。歩の口調は終始一貫クールであり、それ自体に熱さはない。にもかかわらず、依頼主の迷いの雲を払い、核心を取り出してくる。これぞプロの仕事である。


 こうしたところに、歩の技術の温かみを感じるのだが、ヒューマンだというわけではなく、クールに突き詰めていったところが温かみに通じるという展開がたまらない。


 歩のように仕事をしたい、と思いながら、鼻くそをいじってパソコンをたたいているので、無理だなと思う今日この頃である。