流山道① 淵江村役場/氷川神社/賽積院

流山道
 ○ 淵江村役場跡
 ○ 保木間氷川神社
 ○ 賽積院
 ○ 大乗院
 ○ 流山街道名地プチテラス
 ○ 西光寺
 ○ 花畑浅間神社花又富士
 ○ 六木中央公園
 とめぐってきました。

〇流山道

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(説明板)
「流山道
 本説明板の前を東西に走る小道は、江戸の昔から流山道と呼ばれた古道である。保木間で日光街道からわかれ、南花畑、内匠橋、六木を経て流山に向かう。この道に接する宝積院と氷川神社は戦国時代の武士・千葉氏の陣屋があったと伝えられることから、道の成立は戦国時代以前にさかのぼると考えられる。
 この道を東進すると花畑大鷲神社や成田山と結んでおり、西に進むと西新井大師に通じる信仰の道でもある。ここから大師道・成田道という別称もある。なお沿道には寺院・神社や旧村地帯が分布し、保木間の旧家の多くもこの道に沿って建っており、地域の歴史を今に伝える。
  平成十年九月  東京都足立区教育委員会」

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〇渕江村役場跡石碑 足立区西保木間1-8-13
 「渕江村役場跡
  昭和52年11月設置 足立区」

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〇保木間氷川神社(千葉氏陣屋跡) 足立区西保木間1-11-4
  当地は千葉氏の陣屋跡だったとされ、千葉氏が氏神の妙見社を祀り、後に天神を祀る菅原神社となったと伝えられています。

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(説明板)
「保木間氷川神社
 祭神として須佐之男命・豊受姫命・菅原道真を祀る。当社の創建は明らかでないが、中世この地は関東の豪族千葉氏の陣屋跡と伝えられ妙見社が祀られ、のち天神を祀る菅原神社となった。それ故に隣接の天神社別当寺宝積院は、その山号を北斗山と称するという。
 江戸時代、保木間・竹塚・伊興三村の鎮守は、もと伊興氷川社で、明治の初め当社もそこに合祀されたが、明治五年分離して、社名を氷川神社と改め保木間村の鎮守となった。
 この地域一帯は、伊興地区についで早く開け、平安期末から鎌倉期にかけて発展した。保木間の地名は、平安期末に西国の武士が木の柵を設け、田畑を起こしたことによると伝えている。またこの地域では、古墳時代の土師器や鎌倉期以降の板碑などが多く出土している。
  平成元年一月  東京都足立区教育委員会」

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<田中正造と保木間の誓い>
「田中正造と保木間の誓い
 一八九〇年代に発生した足尾銅山鉱毒事件は近代史上で特筆される公害事件である。一八九八年(明治三一)九月群馬県邑楽郡・栃木県安蘇郡等の被害住民三○○○人が鉱毒被害を訴えるため上京した。被害問題に取り組んだ田中正造(当時衆議院議員)は、同年九月に二十八日、上京する被害住民とここ保木間氷川神社で出会い、鉱毒問題の解決に努力するという演説を行い、被害住民を帰郷に導いた。この時被害住民たちは涙して演説を聞いたといい、これを保木間の誓いという。
 当時東京府南足立郡渕江村だったこの地では、村長坂田正助と村会議員が、上京途中憲兵や騎馬警官による阻止・排除を受けた被害住民に、炊き出しを行って出迎え、被害住民と共に正造の演説を聞いた(「田中正造日記」)。こうした被害住民への支援は渕江村の人々と被害住民の農民同士の連帯感によって支えられていたという。
  平成十年九月  東京都足立区教育委員会」

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「田中正造肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 天保12年11月3日〜大正2年9月4日(1841年12月15日〜1913年9月4日)

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<忠魂碑>
 戦後撤去された忠魂碑が再建されています。

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<保木間稲荷社等>

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<富士塚>
 明治9(1876)年築造の榛名塚を富士塚に転用しています。
 扁額「榛名神社」のかかる鳥居があり、その先に富士塚があります。
 富士山の溶岩である黒ぼくで築かれています。
 右手に登拝道があります。頂上は「榛名神社」石祠です。

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〇賽積院 足立区西保木間1-11-4
 寶積院は、北斗山と号します。淵江領を領地とする千葉一族が、一族の崇信する北斗妙見を祀るため、室町時代後期に創建したと考えられています。
 新四国四箇領八十八箇所霊場第84番札所、荒綾八十八ヶ所霊場の第63番札所です。

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<札所碑>
 新四国四箇領八十八箇所霊場第84番の札所碑です。
 次の85番は、延命寺です(こちらで記載)。

(正面)
 「新四國八十八箇所
  第八十四番」
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(左側面)
 「是ヨリ八十五番四丁」
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(右側面)
  天保14年3月の紀年
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<札所碑>
 「荒綾八十八ケ所第六十三番寶積院」
 荒綾八十八ヶ所霊場の第63番の札所碑です。次の64番は王蔵院です。

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<本堂>

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<六地蔵/庚申板碑>
 六地蔵とその左に延宝7(1679)年銘の庚申板碑があります。

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