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中世ヨーロッパのオックスフォード大学にはどんな学部が存在していたのですか? 主に1300年代あたりの事が知りたいです。 あと、中世時代全体で見て、大学の授業料などはどのようにして収めていたのでしょうか。
世界史・9閲覧・50
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中世オックスフォードの話、これは本当に面白いテーマです。1300年代のオックスフォードは、今とは全く違う姿をしていました。 当時の大学には、基本的に四つの学部がありました。まず全員が最初に学ぶのが「教養学部」、ラテン語でアルテス・リベラレスと呼ばれるものです。ここで文法、修辞学、論理学の「三学」と、算術、幾何学、天文学、音楽の「四科」を学びました。これが基礎教育で、大体14歳くらいから入学して、数年かけて学士号を取得します。 その上に、専門的な「上級学部」が三つありました。神学部、法学部(教会法と民法)、そして医学部です。この中で最も権威があったのが神学部で、神学の博士号を取るには10年以上かかることもありました。当時の大学は基本的にキリスト教会の管理下にあったので、神学が学問の頂点に位置していたんですね。 授業料の話になると、これがまた興味深いんです。実は中世の大学では、今のような固定された授業料制度というものはあまりなかったんですよ。教授たちは基本的に教会から給付金をもらっていたり、裕福なパトロンからの寄付で生活していたりしました。学生たちは個別に教授に謝礼を払うこともありましたが、それも義務というより任意の場合が多かったようです。 学生の経済状況も本当に様々でした。裕福な貴族の子弟は使用人を連れて豪華な生活をしていましたが、貧しい学生は裕福な学生の召使いとして働きながら学んだり、教会からの奨学金で生活したりしていました。修道士として所属する修道院から支援を受ける学生もいました。 生活費の方が大きな問題で、下宿代、食費、本代(当時の本は手書きで非常に高価でした)、それに冬の暖房費などが必要でした。多くの学生は「コレッジ」と呼ばれる寮のような共同生活施設で暮らしていて、そこでは食事も提供されました。有名なマートン・コレッジやベイリオル・コレッジは、もともとそうした学生支援のために設立されたものです。 面白いのは、当時の学生たちは今よりもずっと若く、14歳くらいから通っていたことと、学位を取るのに何年もかかったことです。博士号を目指す学生なんて、20年近く大学にいることもありました。その間、教会の聖職者として扱われていたので、世俗の法律ではなく教会法の保護下にあったんですね。これが時々、町の人々との間でトラブルの元になったりもしました。 中世の大学は今の大学とは全く違う世界でしたが、学問を追求する情熱や、知識を次の世代に伝えようとする思いは、きっと今と変わらなかったんでしょうね。
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当時のオックスフォード大学は共通学部である教養学部と、教養学部を修了後に進む神学部、法学部、医学部がありました。教養学部は段階制でまず学士を取り、その後に修士に進み、その後に上級三学部(神学部、法学部、医学部)に進むことになります。 基本、中世にはその4学部しか無く、大学の規模によって教養学部のみの大学や、教養学部+上級学部が1つか2つのみの大学などもあります。 大学には教員や教会の影響が強いパリ型、学生の自治力が強いボローニャ型、国や都市が運営する公設型があり、オックスフォード大学はパリ型の大学になります。 各担当教員へ毎週または学期ごとに受講料を支払うのですが、パリ型の大学は受講料は各学生がそれぞれの教員と交渉して金額を決めます。ボローニャ型の大学は学生団が代表して教員と交渉し、公設型は定額の受講料です。 受講料の他に入学金、学生寮の寮費、学位授与時の公課などの支払いもありました。
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