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三国干渉について、ロシアの誘いにフランスやドイツが乗ってロシアに有利に働かせたのは何故ですか? ロシアは大国ですし、日本の邪魔をしてる場合なのかな?と思ったのですが、フランスやロシアにはどんなメリットがあったのでしょうか? 浅い質問ですみません。回答よろしくお願い致します。

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回答(4件)

いえいえ、浅い質問なんかじゃないですよ。むしろ、この疑問を持つことが歴史を理解する上ですごく大事なんです。確かに「大国のロシアがなぜわざわざ日本の邪魔を」って思いますよね。 実は、ロシアにとって日本が遼東半島を手に入れることは、かなり深刻な問題だったんです。当時のロシアは、不凍港を求めて南下政策を進めていました。遼東半島の先端にある旅順港は、冬でも凍らない軍港として非常に価値が高かった。それを日本に取られてしまうと、ロシアの東アジアでの影響力が大きく削がれてしまうわけです。シベリア鉄道の建設も進めていた時期でしたから、満州から朝鮮半島への影響力を確保したかったんですね。 ドイツの参加理由も興味深いです。当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「黄禍論」つまりアジア人の脅威という考えを持っていました。日本が強くなりすぎることを警戒していたんです。それに、ロシアの関心を東アジアに向けさせておけば、ヨーロッパでのロシアの圧力が弱まるという計算もありました。ロシアが極東に気を取られていれば、ドイツにとっては好都合だったわけです。さらに、中国での利権獲得にも興味がありましたから、ロシアと協調することで自分たちも利益を得られると考えたんでしょう。 フランスは少し事情が違います。1894年に露仏同盟を結んだばかりで、ドイツに対抗するためにロシアとの関係を大切にしていました。ロシアから協力を求められて、同盟国として断りにくかったという側面があります。それに、フランスも中国に権益を持っていましたから、日本があまり強くなりすぎるのは好ましくなかった。東南アジアにフランス領インドシナも持っていましたしね。 結果的に、三国干渉の後、ロシアは旅順と大連の租借権を獲得し、ドイツは膠州湾を、フランスは広州湾をそれぞれ手に入れました。つまり、日本に遼東半島を返還させることで、列強が中国を分割する口実を作ったともいえます。 日本からすれば、戦争で勝ち取った領土を、戦ってもいない三国に横から奪われたわけですから、屈辱以外の何物でもありませんでした。この経験が「臥薪嘗胆」のスローガンとなり、後の日露戦争への道に繋がっていくんです。 大国だからこそ、利権争いには敏感だったんですね。むしろ、力があるからこそ、新興国の日本が台頭してくることを警戒したともいえます。国際政治って、本当に複雑で、一見不思議に見える行動にも、それぞれの国の計算が隠れているんですよね。

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フランスはロシアと同盟関係にありました。(露仏同盟) もちろん同盟の仮想敵国はドイツです。 一方のドイツもバルカン半島や地中海などをめぐり、フランスやロシアとの対立が顕著になり、ヨーロッパの国際関係が微妙になっていました。 ロシアの眼をヨーロッパから遠い極東に移してもらうことはドイツ、フランスともヨーロッパの緊張を和らげる効果があったので、ロシアの味方をすることにより緊張緩和をしようという狙いがありました。 またドイツでは皇帝ヴィルヘルム2世がビスマルク首相を解任して親政を開始した時期です。 皇帝ヴィルヘルム2世は 「日本は中世のモンゴル帝国のようなもので、キリスト教徒は警戒するべき」 という黄禍論で有名な人物です。 日本に対する警戒感が強い君主でもあり、対立するフランスやロシアではあったものの便乗しという部分もあるようです。

この時期は、列強による世界分割もほぼ終了しているから、新たな進出先がそんなにありません。 いくら仲が悪いといっても、新たに出現したドーンと儲かりそうな植民地候補筆頭の中国には進出したいし、そのためには日本の勢力伸長が大いに邪魔で排除したい、という点で利害が一致したということですね。 ちなみに、今でも米中は対立しながら貿易を続けていますが、国同士の外交というのは表面上は関係が悪いようでも、利害が一致するならそこでは協力することもある、というのが普通です。

フランスは単純にロシアと同盟関係にあるから。ドイツについては、ロシアの南下政策の重点を、バルカン、中東方面から東アジアに向けることで対立を避けようとしたため。