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幕閣や蘭学者はオランダ経由の情報で、欧州が大変な戦乱になっていることや、その原因であるナポレオンの名前については知っていたはずです。 ナポレオンがクーデタで政権を握ったのが1799年、ワーテルローの戦いで没落したのが1815年で、15年以上オランダの船が来ないということはないですから。ただし、船が来るのに数カ月かかるので、情報に時間差はあるわけですが。 もちろん、庶民はナポレオンの名前なんか全く知らなくて(幕府は海外情勢については一般に知らせない方針だったから、瓦版にそういうニュースが載るということもなく)、ごく一部の人しか知らなかったはずですけど。
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彼の名が日本で広く知られるようになったのは幕末から明治になってからです。 でも1818年に頼山陽が「仏郎王の歌」と言う漢詩でナポレオンをたたえる詩を書いており、当時の知識人の間で話題になったらしいです。1818年はギリギリナポレオンが存命していたころです〈1821年に彼は死んでいる) でもナポレオンの名が知られたからと言って1818年から数年間で日本の政治に直接的に大きな影響があったわけではありません。 庶民に至っては「?」だったでしょう。
有名とは言い難いでしょう。 文化8年(1811年)、「露寇」であるゴロヴニン事件が発生しますが、翌年に捕虜のロシア軍人が欧州情勢について幕府に陳述しています。また1813年にはロシア語の新聞にナポレオンの記事が載っており、ナポレオン帝政が続いている段階で情報をキャッチはしているのです(肝心のオランダはフランスの衛星国になっていたため、幕府に正確な報告を上げていなかった。ただしフランス革命については「収束した」という誤った形ですが、幕府はやや遅れて把握しています)。 その後も幕府天文方は、ナポレオン存命中に、ロシア語文献で理解をかなり深めていた形跡があります。ただしそれは一部の専門家の関心事でした。 日本で本格的にナポレオンの伝記が紹介されたのは、没後です(欧州においてもナポレオンブームが起きたのは1820年代ですが)。名だたる蘭学者(高橋景保、小関三英、箕作阮甫ら)による研究が進み、特に安政期に小関による伝記が出版されて、志士に大きな影響を与えました。なお、吉田松陰のような兵学者は、それに先立つ嘉永の頃からナポレオン情報に接しています。 さらにその後は洋式兵制導入の過程で、幕府を中心にナポレオンの戦術が紹介され、「知らないと話についていけない」状態になっていきます。
ごく一部で有名。 徳川慶喜はナポレオン3世から貰った服装して大奥などから大顰蹙買っている。 その騎乗姿は写真に撮らせ鶏卵紙で現存している。原版は不明。