1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グロピウス。教授には、カンディンスキー、P・クレー、J・イッテン、モホリ=ナギ、G・マルクス、O・シュレンマーがおり、芸術と技術の再統一を図るという教育理念のもと、1933年ナチスにより閉校されるまでの14年間、美術(工芸・写真・デザイン等を含む)と建築に関する総合的な教育を行った。
[インタヴュー]
...でやるか、柱を見せるかが問題で、壁で組むとバウハウス調で、フレームを見せると日本風になり、丹... ...壁で埋めているけれど、それが見えているからバウハウスと日本風が合体している。フレームが出てい...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[批評]
...三度、ワイマール、デッサウ、ベルリンというバウハウスの短い歴史の足跡をたどる旅を繰り返した。... ...『バウハウス/近代デザイン運動の軌跡』(利光功訳、パルコ出版、一九七七)。 Frank Whitford, Bauhaus, 198...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.143-165
[批評]
...バウハウス設立八〇周年記念祭行事──バウハウス・デッサウ財団 一九一九年四月のグロピウスによる... ...The Dessau Bauhaus Building 1926―1999』に収録している。 6──926年のバウハウス校舎落成式バウハウス講堂(ア...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[批評]
...1 新たな空間表現 バウハウスの建築の図的表現を特徴づけるもののひとつとして軸測投象(axonometric pro... ...ピウス★三の論文「国立バウハウスの理念と形成(Idee und Aufbau des Staatlichen Bauhauses)」には次のような記...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.185-195
[論考]
...リカへ移動したバウハウス精神の変質を体験し、その地で建築から感覚情報へバウハウスの統合理念が... ...“Light Box Study:” Eggs and String, 1938 1、2出典=The New Bauhaus, School of Design in Chicago: Photographs 1937-19444 モホリ=...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.205-216
[批評]
...一九二六年一二月四日に催されたデッサウのバウハウス新校舎の落成式には、一五〇〇人以上の来賓が... ...とになる★二。 1──バウハウス・デッサウ新校舎、1926年12月4日 The Dessau Bauhaus Building 1926-1999, 19982──...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.174-184
[批評]
...てこのプロジェクトのそもそものアイディアがバウハウス・デッサウでのセミナーに基づき、かつ「壁... ...て、「モダニズムとナチズム、バウハウスの写真における考察(Bauhaus-Photographie im Nationalsozialismus)」と...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.90-102
[インタヴュー]
...村健太郎《伊勢》と《桂》の違い│丹下健三のバウハウス批判 青井──ところが、角南隆がボスだった... ...いた。《桂》が弥生的──丹下さんから見るとバウハウス──で、おそらく《伊勢》と《桂》は丹下以...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[批評]
...において今世紀の創造的ジェネレーターとしてバウハウスの存在が掲げられることが多い。今世紀前半... ...りしれない影響を及ぼしてきた。そして現在、バウハウスのポジション、思考、方法が、近代において...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.166-173
[連載 6]
...も出ている。既にハンネス・マイヤーによってバウハウスに招聘されていて、このグループ──の少な... ...の狙いであった。 ★一一──Peter Galison, “Aufbau/Bauhaus; Logical Positivism and Architectural Modernism”, Critical Inqu...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[論考]
...したものだった。その典例は予想されたようにバウハウスと連動してドイツに興った。この学校が関係... ...成長した[図4]。一方で夫君の作品のひとつ 《Bauhaus Balconies》(一九二六─二八頃)はロシア構成主義...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[技術と歴史 4]
...ロケット研究所はナチによってストップされ、バウハウスを閉鎖するように、ロケットのアマチュアの... ...ました。近代建築の歴史を考えると、ドイツのバウハウスの連中がアメリカに亡命した歴史、それから...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[現代住宅論 7]
...る伝統的な美学に気づいていたわけである。 バウハウスがアメリカにもたらしたインターナショナル・... ...る技術と表現の乖離を鋭く抉り出している。 バウハウスの革新者たちによってアメリカにもたらされた...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[インタヴュー]
...流行として受容するものでした。表現派や初期バウハウス、アール・デコなどをごちゃ混ぜにしたのが... ...も──あの人はル・コルビュジエというよりはバウハウスですが──そうなりました。ル・コルビュジ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[神戸]
...成に役立つものとなることを目指している。 バウハウスの実験は従来からのデザインの領域を拡張し、... ...ンタラクション(バウハウスの造形的ダンス)の可能性をかいま見せる 出典=BAUHAUS, TASCHEN, 1993 19──チ...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.172-183
[論考]
...ダヤ教会堂)(一九九四、図22)やデッサウのバウハウス校舎(一九九二、図21)、ウィーンのウィトゲ... ..., Bauhaus Dessau. Photo: Kelly Kellerhoff, Berlin. ドイツ統一直後に行なわれたこのプロジェクトでは、バウハウス...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.73-101
[インタヴュー]
...だって、新しい様式の一種で流行のデザインがバウハウスやル・コルビュジエだと見られていたのです... ...デオロギーと繋がっていくわけです。もともとバウハウスの理念は、装飾を取り付けることによって芸...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[批評]
...たのである。 三番目の理由は、彼が疑いなくバウハウスのデザイナーのマルセル・ブロイヤーやミース... ...237. ★九──Rosemarie Haig Bletter, ‘Women Designers at the Bauhaus,’ lecture in the women and the Environment series, School of Ar...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[論考]
...してはバウハウスとも影響関係にある(実際五〇年代にはヨルンらは「イマジニスト・バウハウス」と... ...ら、このように言いきるヨルンは、実は一方でバウハウスの運動に関してはシンパシーをもっていた。...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.54-66
[現代建築思潮]
...シトロワン住宅案」が二二年、グロピウスの《バウハウス校舎》が二三年、リートフェルトの《シュレ... ...するわけです。 4──ワルター・グロピウス《バウハウス校舎》 出典=http://www.paw.hi-ho.ne.jp/tnktanaka/ world%...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[連載 5]
...らその両者の一致を考えた機械美学を批判し、バウハウスなどと一線を画し(とはいえノイラートはそ... ...グロピウスよりも逼迫していた。ノイラートはバウハウス流のタブラ・ラサからはじめるファンダメン...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[グローバリズム 4]
...念のため)。 2 ワイマール 一九九九 バウハウスがワイマールからデッサウ、ベルリンと転々し... ...使われている。ここで触れるのはワイマールのバウハウスで一九九九年に開かれた国際シンポジウム〈Gl...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[論考]
...多く刻みつけられてきた。写真史の始まりからバウハウスの辺りまでを扱った数少ないテーマ展「写真... ...という、方便の道筋が案出されねばならない。バウハウスやロシア構成主義の建築写真が真に二〇世紀...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[論考]
...ホリ=ナジが牽引した一九二〇年代のドイツのバウハウス系のアヴァンギャルドな写真が、建築を素材... ...のである。 1──ラズロ・モホリ=ナジ撮影、バウハウスのバルコニー、1926 出典=Van Deren Coke, Avent-Garde ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[万博という問題系 3]
...ました。この人はバウハウスの残党ということになっているけど、ほとんどバウハウスにいたわけでは...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[技術と歴史 3]
...。 ドレッサーは多才な人で、一八八〇年代にバウハウスが五〇年早く出現したようなデザインの陶器の... ...すぎていないかという批判ともとれる。近代をバウハウス的に一直線に突き進むというのが大道だとは...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[現代住宅論 2]
...で、ロウはワルター・グロピウスのデッサウのバウハウス校舎と、ル・コルビュジエの国際連盟コンペ... ...の建築も物理性と記号性の両面を備えている。バウハウス校舎のガラス・カーテンウォールは物理的に...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.225-233
[論考]
...誌掲載当時から、記事は広く購読されており、バウハウスでも、リリー・ヒルデブラントが翻訳した記... ...精神』誌時代に顕著になるル・コルビュジエのバウハウスやドイツへの両義的な係り(理解と反発)か...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[論考]
...えるのが妥当だと思われる。モダニズムの聖地バウハウスの合理性そのものを、一場の道化芝居に変え... ..., 1993. 7…Photographies No.7, May 1985. 8…Hans M. Wingler, The Bauhaus, MIT Press, 1978. ■頁210・211 1…Le Temps d'um mouvement, Ce...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.205-244
[日本]
...建築のトラウマから作品を解放するのである。バウハウス初代校長としてヴァルター・グロピウスは『... ...国社)。 ★二──ヴァルター・グロピウス『バウハウス叢書1 国際建築』(貞包博幸訳、中央公論美術...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[鼎談]
...すか。もっと別の方向では、トム・ウルフの『バウハウスからマイホームまで』(晶文社、一九八三)... ...はシカゴで写真を撮ってきて、モダニズムとかバウハウス流というものと桂との間で三角形の対角線的...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[批評]
...エが行なっていた建築と機械とのアナロジーやバウハウスにおける芸術とテクノロジーを和解させるプ... ...ダンな経験の衰弱について語っているものは、バウハウスの鉄骨構造なのではなく、ミースの建築であ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[建築を拓くメディア]
...ストの発信、または、同年発足したバウハウスにおけるバウハウス宣言に相応する発言が、宣言以前に...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[批評]
...一九九七年刊行された)、一九九六年八月からバウハウス・デッサウ財団アカデミー部門の代表責任者... ...ランス、イヴェントの記録と論説を収録、Edition Bauhaus; 1)、一九九五年にはゴットハルト・フックス博...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.81-89
[批評]
...なくてはなるまい。後述のエレクトロニック・バウハウスの構想はそのような思想に立脚している。メ... ...REGULATOR AS PROGRAMエレクトロニック・バウハウス(EB) Electoronic Bauhaus このプロジェクトは、電子メデ...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102
[論考]
...empirista, Feltrinelli, 1986. ★九──Cf. P. Galison, "Aufbau/Bauhaus: Logical Positivism and Architectural Modernism", Critical Inqu... ...it., pp.289-297. ★十四──特に、一九二九年にはバウハウスで、自身の研究に関する講義を行なっている...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.107-125
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、...と対立した左派(ノイラートやカルナップををバウハウスに招請したハンネス・マイヤーをはじめとす...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放すること...次々に亡くなったのも、一九六〇年代だった。バウハウスを去った後、アメリカに移住し、ハーヴァー...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[技術と歴史 1]
はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる...鈴木──グロピウスが設計したデッサウの 《バウハウス校舎》もやっています。キューガーデンをは...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[都市観測者の手帖 3]
...ep.ne.jp/%7Esar002/teiten/index.html 参考文献 『h/c』(バウハウス、二〇〇〇)。 『Casa BRUTUS』二〇〇〇年七月...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.43-43
[建築の解體新書 6]
正確な絵本……中谷礼仁 0 約一年前、関西に越して最初のころ、どうにも馴染めなかったのは、住まいのまわりのいたるところに古墳が点在していることでした。 下宿先...ナリズムの旗手であったトム・ウルフによる『バウハウスからマイホームまで』(昌文社、一九八三)...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.10-18
[翻訳]
..., in Regina Bittner ed., Die Stadt als Event, Frankfurt/New York: Bauhaus/Campus Verlag, 2002. ★二一──Spinoza, Treatise on politics,...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148
[論考]
0 メガロポリスとオーガニゼーション・マン 一九四二年、鉄道でアメリカ北東部を旅していたフランスの地理学者ジャン・ゴットマンは、ヨーロッパには見られないような数...。セルトは前任者のグロピウスが編成していたバウハウス流の領域横断型の教育プログラムを、このア...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[グローバリズム 1]
...ムはデルフト工科大学だったり、ワイマール・バウハウスだったり建築の学校の主催である。つまり、... ...定的だった。後にまた触れるが、ワイマール(バウハウス)で行なわれたシンポジウムで、基調講演を...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[インタヴュー]
世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職...ン論の手がかりになりました。アンドレアスはバウハウスの画家リオネル・ファイニンガーの息子です...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[境界線上のアメリカ 4]
1 夜闇のノース・アメリカン・ハイウェイを走っていると、光の船に出逢うことがある。クルーズコントロールを時速六〇マイルに設定し、ステアリングの微操作だけでぼんや...ばこの例は、その後まもなくトム・ウルフの『バウハウスから我らの家(アウア・ホーム)まで』とな...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.232-238
[建築の言説、都市の言説 5]
いくぶん道化者で、いくぶん神のようで、いくぶん狂人で……それが透明性なのだ。 (『ニーチェについて』G・バタイユ) コーリン・ロウは多くの顔を持っている。歴史...の教育は一般的なカリキュラム──ボザール、バウハウスの折衷──で充分間に合ったはずだが、ロウ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.26-28
[リアリティについて 4]
カルヴィーノは講義の第三回を「正確さ」に当てている。 今日さまざまなメディアから垂れ流され、一瞬にして忘れ去られていく言葉が、本来の姿を現わす約束の地としての文...はまったく異なる写真特有の性格を形成した。バウハウスがその教育課程において写真に重きを置いた...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.61-63
[CONCEPTUAL 日本建築 2]
07 四帖半 4 1/2 sheets TATAMI ROOM 私性はここで育まれた 『四畳半襖の下張り』という春本(好色文学)が知られている。文豪・永井荷風...離派建築会」の成立(一九二〇)にはじまり、バウハウス出身者たちの運動がつづき、東京高等工芸(...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.208-221
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えま...頌」を藤森照信さんが、丹下さんはあの文章でバウハウスを落としてル・コルビュジエを持ち上げた、...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[技術と歴史 12]
山名善之──ジャン・プルーヴェは、家具デザイナー、エンジニア、プレファブの始祖という言い方がされてきています。もちろん、彼のデザインは個人の卓越した才能によって...イツの状況、第一次世界大戦後の一九一九年にバウハウスが設立されて一九三三年に閉校になるまでの...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[シンポジウム]
第一部:スーパースタジオ一九六六──一九七三 一九六六──スーパースタジオの源泉 クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア──本日は、スーパースタジオの活...たと言えます。その後、ブルネルスキの作風はバウハウスが理想とし模範とした社会を映す鏡のような...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ム...「具体芸術」を経た芸術の非物質化の流れは、バウハウスにおいて近代建築運動と一体化を遂げた。 時...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
43 JAPONISME──「近代」に向かってめくられた最後の頁 Last pages towards the MODERN, which western so...ある(このことをトム・ウルフは見誤った。『バウハウスからマイホームまで』[諸岡敏行訳、晶文社...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[中国で内装をつくる 3]
今回から大きな書店の内装設計、施工監理のプロジェクトを紹介する。新華書店の北京で三番目の直営店の内装。この書店は中国最大の国営店で、全国津々浦々にフランチャイズ...」北側外観。「く」の字に折れ曲がった外観。バウハウスをモチーフに設計された外観だとか。ドイツ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.42-44
[ミュージアム・テクノロジー随想 1]
本連載のシリーズ題名にある「ミュージアム・テクノロジー」というのは、二〇〇二年一〇月に東京大学総合研究博物館に開設された寄付研究部門に付けられた部門名である(産...うち、シュルレアリスムは建築に疎遠である。バウハウスは言わずもがな、表現主義も未来派も構成主...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.41-42
[1990年代以降の建築・都市 20]
神殿ではないということ 東京から二時間半ほどのドライブで、過疎化が進む地方の小さな街につく。妹島和世は、世界的に活躍する日本の女性建築家だが、東京にはまだ主要な...ほど、こうした考え方は、グロピウスによる《バウハウス校舎》でも採用されていた。また、ミース・...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.21-22
[論考]
都市計画はひとつの工学的な技術体系として(…中略…)物的・実体的な諸施設の配置・構成を手だてとし、個別的・社会的なもろもろの空間や構築物を媒介として、都市社会を...ーが行なっている。一九二〇年代にデッサウのバウハウスでグラフィック・デザインの工房を率い、そ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったた...思ったりするわけです。ドゥースブルグはまぁバウハウスをひっくり返しちゃうほどのインパクトがあ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[論考]
ジョン・ケージが編集した『ノーテーション』★一やロジャー・ジョンソンが編集した『スコアーズ──ニューミュージックのアンソロジー』★二、あるいはエルハルト・カルコ...的な効果はあったようである。イッテンなどのバウハウスの芸術家たちは音楽を図形的に表わそうとし...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.162-171
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めた...にして同書は、グロピウスによる「デッサウのバウハウス」の建物の白いプラスターの使用を「一時的...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現...ものとして「感じられる」のだとする理論と、バウハウスのシュレンマーの作品を反映する考え方、つ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政...尾一貫性を考えている。それはデ・スティルやバウハウス、そして構成主義の一貫性よりも溌剌とした...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[図版構成]
身体劇場──形式と空間 演劇やダンス、パフォーマンスを総合して〈舞台芸術〉、あるいは〈パフォーミング・アーツ〉と呼ぶとき、それらの共通項として主題化されるのは、...を果たしていた。ロシア・アヴァンギャルド、バウハウス、あるいはデ・ステイルなどの芸術家たちは...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.143-154
[対談]
グリッドと風景 松畑──風景あるいはランドスケープという概念について今回の特集で僕が言おうとしたものの一つは、ランドスケープを政治的、経済的に捉えて、ランドスケ...現象的な透明性に分けているでしょう。前者はバウハウスのカーテンウォールで、文字通り透明、後者...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.58-67
[論考]
日本の近代の「都市問題」は、集約してみればその中心にいつも「住宅問題」が位置していたといえる。日本では、たとえばアメリカなどとは異なって、宗教や民族あるいは言語...化することを提案している。新たな共同体は、バウハウスにおいても、あるいはハワードに影響を受け...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.146-153
[論考]
...の書物』、INAX出版、一九九九)。 ★九──“From Bauhaus to Rem Koolhaas”, interviewer Katrina Heron, WIRED 7,1996. ★...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.165-172
[建築を拓くメディア]
本稿は近年日本で出された西洋建築史関連書のレヴューとして依頼されたものであるが、限られた誌面のなかでのべつ幕無しに情報を提供したのでは無味乾燥な話になってしまう...さらにもっと直接的に、モダニズムを代表するバウハウスの起源がゴシック・リヴァイヴァルにあると...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.122-123
[建築を拓くメディア]
建築系の映像といえば、デルファイ研究所からリリースされた「現代建築家シリーズ」が基本的なビデオといえるだろう。ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウ...築鑑賞』(UPLINK、二〇〇四)が素晴らしい。《バウハウス校舎》や《カサ・ミラ》から《ヴィラ・ダラ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.134-135
[論考]
一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろ...ち立てた理由であろう。堀口は「私はドイツのバウハウスのようなものを作りたい気持ちでした。然し...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[批評]
美術館は巨大な鏡である。その中で人は、最後にはあらゆる面から自らを見つめ直し、自分自身が文字通り賞賛に値すると知り、そしてあらゆる芸術雑誌に表現された恍惚感に自...文脈においてそれは、例えば、グロピウスの《バウハウス校舎》へと向けられる同様の問いと同じ心性...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[図版構成+論考]
黒の製法 1──黒顔料の製造機械 一五二一年チェザリアーノによるウィトルウィウス解説図 「まず、黒色顔料について述べよう。(…中略…)小さい炉がつくられ、(…...房、一九八七) カジミール・マレーヴィチ『バウハウス叢書11 無対象の世界』 (五十殿利治訳、中央...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[論考]
1 ヴァーチュアル・ハウスと襞の形象 インターネット環境がパーソナルなレヴェルで普及していった一九九〇年代に、さまざまな分野で「ヴァーチュアル・リアリティ(VR...彼を導いていった。他方カンディンスキーは、バウハウスの講義に基づいた次の著作『点と線から面へ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[翻訳]
屈折は、変異する曲率を持つ表面を記述する記号である。だが、非存立[inconsistance]と移行存立[transistance]の間にあるこれらの表面を、ほ...者たちが最初の幾何学的作品を制作する以前、バウハウスがプロブレマティックな仕方で技術形態、社...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.192-207
[対談]
実験住宅と社会的大儀 中谷──「実験住宅」という特集の企画趣旨を聞いたときに、「実験」なんて誰でもしているじゃないかと思ったんですね。町場の大工のみならず日曜大...。それに、木造の陸屋根は戦前に土浦さんとかバウハウス系の人たちはみんなやってます。 中谷──お...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[プロジェクト]
住宅と農村計画│石山修武 自宅《世田谷村》はいまだに未完である。個人住宅の設計は自宅で打ち止めにしようと考えていたが、その考え自体も未完となり、いくつかの試みを...家│カイ・ベック 私はドイツ、ワイマールのバウハウスから来た交換留学生だ。私の弟は農家になるこ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.64-72
[論考]
...rnaments in der architektonischen Moderne. Universitätsverlag der Bauhaus-Universität Weimar: Weimar, 2002, S.62. ★一九──「神経...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.70-79
[シンポジウム]
アーキグラムとカウンターカルチャー 五十嵐──「アーキグラムの実験建築一九六一─一九七四」展は、展示の構成を巡回しながら少しずつ変えていくもので、アーキグラムの...関しては、例えばル・コルビュジエ、あるいはバウハウスは工場、サイロ、自動車、飛行機などの写真...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[論考]
客観主義は社会的世界を、観察者に提示されるスペクタクルとして構築する。観察者はアクションに対する「視点」を取り、それを観察できるよう退いている者たちであって、そ...用(グレイン)エレベータや蒸気船を好んだ。バウハウスの校舎は工場のように見えた。ミースはアメ...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175
[ダイアローグ]
趣味の都市──秋葉原 森川嘉一郎──話の枕として、ここ二、三年私が行なってきた若者の個室の実態調査について少しお話しします。一〇代の後半から二〇代にかけての人た...っていうことが重要だったのが、ある時期からバウハウスなどを源流とする教育が流れ込んできて、人...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.48-61
[論考]
一、 複数文化主義の帰結 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。「リゾームには始まりも終わりもない。リゾームは常に中間に、ものの間に、存在の間にある、つ...としたバックミンスター・フラー。もちろん、バウハウスの神話とニューエイジの神話を横切らなけれ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.132-141
[論考]
建築における、その理論と実践(現実)の乖離——このような傾向が露になってきたのは一九世紀半ばからの建築を含めた美学に起因するであろう——を嘆く者。いや、理論が現...透明性〉〈虚の透明性〉がそれである★一四。バウハウスに代表される近代の「ガラスの箱」は、単に...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[論考]
ここでは、アンビルトの実験住宅について見ていくのだが、そもそも実体を持つ建築というジャンルにおいては、アンビルトというあり方そのものが、きわめて矛盾をはらんだも...認しておく。未来派にしても、コルビュジエ、バウハウスにしても、マニュフェストによって、来るべ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104