増刊セカニチ! 甘ったれで悪いか!
先ずは此方を御覧頂きたい。
【1】「ファンは何を言うのも自由だけど、ファンのあり方をどうこうと言うのはおかしい。ファンのあり方なんて人各々でしょ」
【2】「梨田監督批判も擁護も自由だけど、擁護派はおかしい。批判の意見があるとすぐに排除したがる。批判がある事を許さない」
【3】「ムリにネガる必要もないけどムリにポジる必要はない」
【4】「負け試合ではファンも声をあげないと。ちゃんと批判しないのはファンじゃなくてお金を運ぶだけの客」
【5】「『まだ●●試合ある』『監督にも考えがある』なんて甘ったれ。そういう人はblog巡りを控えろ」
【6】「責任を問われない監督なんて居ないんだから、責めるのは当然。監督の気持ちとか知ったこっちゃない」
・・・此は一人の発言したことである。決して複数の自称"ヒハン派"の歓談の内容ではない。
私は常日頃「『ファンのあり方問うべからず』のように言いながら、『ムリにネガるなポジるな』『批判しないのはファンじゃない』『そんなこと言うのはファンじゃない』と言うのはおかしい」と言ってきている。だってそうでしょ?自分で「ファンのあり方問うべからず」と言うのに「アレをするな」「此はこうしろ」「そんなのはファンじゃない」では、その方自身がファンのあり方をクドクドと説いてるではないか。
それともアレか?貴方だけはOKで、貴方以外はNGという意味なのか?なーんだ、そういうことか。ゴメンゴメン、そこんとこ一寸気付かなかったわ。貴方だけはファンのあり方を解いても良かったのね、それなら仕方がな・・・・無いわけないっちゅーの!なんだそれ?貴方もまた"「僕だけが正義」ちゃん"か?自分はよくて、他人はダメか?
そんな訳で久方ぶりに水銀柱が上がりまくったので、そういうアレについてアレ。
【1】「ファンは何を言うのも自由だけど、ファンのあり方をどうこうと言うのはおかしい。ファンのあり方なんて人各々でしょ」
【2】「梨田監督批判も擁護も自由だけど、擁護派はおかしい。批判の意見があるとすぐに排除したがる。批判がある事を許さない」
【3】「ムリにネガる必要もないけどムリにポジる必要はない」
【4】「負け試合ではファンも声をあげないと。ちゃんと批判しないのはファンじゃなくてお金を運ぶだけの客」
【5】「『まだ●●試合ある』『監督にも考えがある』なんて甘ったれ。そういう人はblog巡りを控えろ」
【6】「責任を問われない監督なんて居ないんだから、責めるのは当然。監督の気持ちとか知ったこっちゃない」
・・・此は一人の発言したことである。決して複数の自称"ヒハン派"の歓談の内容ではない。
私は常日頃「『ファンのあり方問うべからず』のように言いながら、『ムリにネガるなポジるな』『批判しないのはファンじゃない』『そんなこと言うのはファンじゃない』と言うのはおかしい」と言ってきている。だってそうでしょ?自分で「ファンのあり方問うべからず」と言うのに「アレをするな」「此はこうしろ」「そんなのはファンじゃない」では、その方自身がファンのあり方をクドクドと説いてるではないか。
それともアレか?貴方だけはOKで、貴方以外はNGという意味なのか?なーんだ、そういうことか。ゴメンゴメン、そこんとこ一寸気付かなかったわ。貴方だけはファンのあり方を解いても良かったのね、それなら仕方がな・・・・無いわけないっちゅーの!なんだそれ?貴方もまた"「僕だけが正義」ちゃん"か?自分はよくて、他人はダメか?
そんな訳で久方ぶりに水銀柱が上がりまくったので、そういうアレについてアレ。
先ず言っておきたいが、私はどちらかというと擁護派になる。私自身としては"擁護"というより"理解"であり、"擁護派"というよりは"理解派"、"知梨派"とでも言ってくれればありがたいと思っている。自称"ヒハン派"があーだこーだと言うが、その言葉に梨田監督への理解があればそれは立派な批判だと思うし、成る程とも思う。
だが、何度も書いてきている訳だが中々理解した上でされてる批判というものに出会わない。"ヒハン"を自称するものの多くは采配の意図を考えようともせず、「結果が悪いんだからそれ以上理解する必要はネエ!結果が全て!何をどうしたかったかなんて甘ったれの言い訳だ!」とでも言わんばかりの否定。こんなものは批判などではない、否定ありきの罵詈雑言を"批判"等と偽るな。
そして先日も言ったが、こういう彼らは梨田監督を理解しようとしたか?ただ自分の願望を押し付けるばかりで、梨田監督がどういう環境でどういう意図をもってチームを率いたか?そして球団は梨田監督に何を求めたか?そういうことを考えたことがあったか?自分の願望は押し付けて、梨田昌孝という監督は理解しようとせずに拒絶し続けただろう?その理由さえ梨田監督に押し付けて。
そういう一切は仕方ないと思う。理解したくないものも人間ならある筈だし、自分が理解したくないという事を認められずに「理解できない」としか考えられない事も、人間ならばあることだ。それは仕方ないと思うし、その存在を否定などできない。だからと言って容赦や遠慮の用意はないが。
理解できない人がいる事も、梨田監督を生理的に受け付けない人がいる事も、此の際一切構わない。だが、だからと言って理解できる人、受け入れられる人、理解しようとする人や受け入れようとする人が、自分勝手な屁理屈で「甘ったれ」等と罵られる道理はない筈だ。
貴方が「まだ何試合ある」とか「監督にも考えがある」とか思えないのは仕方ないし、思いたくなければ思う必要もない。思って頂かなくて結構。だが、それは貴方の主観であり、他者についてどうこうと言うものではないだろう。だいたい、「ファンのあり方をどうこうと言うものではない」といったのは誰か?そんな事を吐くのなら、自分の気に入らないファンも居るモノとして受け入れるしかないと思うのだが。
件の「『まだ何試合ある』とか『監督にも考えがある』は甘ったれ」と言うものも、そうなら貴方が言わなければ済む話ではないのか?貴方が言った事と貴方がしてる事、それらを総合するとやはり、「お前らは俺に指図するんじゃねぇ、俺はお前らに指図すっけどな!」になると思うのだが。
貴方が自身の思う「甘ったれ」をやらない、或いはそれに基づいて「甘ったれ」ない意見を垂れ流すのは貴方の自由だ。だが、貴方と意を異にする方々が、偶々貴方が「甘ったれ」と思うような事を言ったとしても、それは他人の勝手であり、幾ら貴方が「甘ったれ」たくないとはいえ、貴方が彼らを「甘ったれ」と罵る道理はない。貴方が前言を覆し、ファン批評的な事をしたいと思ったのであれば仕方ないのだが。
今回私が引っ掛かったのは此。「監督に責任がない筈がない」此は至極当然だが、誰か「梨田監督は悪くない!選手が実力を出せないのが悪いんだ!」とでも言ったのか?少なくとも貴方が参加もせずにコソコソ除き見ているハッシュタグで、「まーた梨田の糞采配か」という誹謗はあっても、そうした「梨田監督は一切悪くない!責任もない!」といった声は無かったと思うが。
「糞采配!」という誹謗に対する反論があっても、決して梨田監督を無条件に擁護などしていないと思う。どうにもこの方、ネガや誹謗中傷に対する異論や反論は、無条件無責任完全擁護ばかりだと印象付けたいらしい。
また「何処其処(他競技団体)では全て選手の責任にした監督がいた」と例を挙げているが、その他競技団体の監督とやらと梨田監督の類似性はなんなのだ?梨田監督が一度でも「誰某のせいで負けた」等と敗戦の責任を選手に押し付ける事があったか?少なくとも野村克也氏やオリックス・岡田監督、読売・原監督のように、敗戦後のインタビューで選手名を出して「コイツが悪いんや」と言う事は無いと思うのだが(因みに楽天の星野監督は、この御三方よりは結構マイルドだと思う)。
そこで態々他競技から引っ張ってきてまで「無責任監督」の例を示した、その意図が難しい。恐らくは「こんな監督もいたけど責任は監督に無い筈無いんだぜ」とでも言いたいんだろうが、梨田監督が同様の無責任監督か、或いは野村・岡田・原の3氏のように選手を吊し上げる監督であった場合には適当であっても、そうでない場合は些か譬えがボヤけてしまう、適当でない譬えになってしまうと思うのだが。
監督に責任は当然あるし、無い訳が無い。だが、それを追及するのは誰の仕事なのか?そして責任の追及はいの一番で、今此処ですべき事なのか?
私はどんな形であれ、どんな結果に対しても監督の責任は球団が契約と言う形で評価を下すと、そしてそれが絶対的、或いは最大公約数的に正しいと思っている。それが契約社会の責任の果たし方ではないだろうか?そして、責任を追及するより前に、原因を追及するのが先ではないか?結果と内容を吟味し、どうしてこうなったのかを追及しない事には、責任の所在と言うものははっきりしない。責任の追及などしようがない。
此処で言っておきたいのは、監督には絶対的に責任があるとはいえ、選手に責任が無いと言うことも有り得ないと言う事。確かにコーチが指導し見定めて、監督が最終的に判断をするものだが、選手も監督やコーチと同様に無責任ではいられないと言う事。
勿論、起用した最終的な責任は監督にあるし、選手の状態を管理するコーチにもある。ただ、プレーそのものについては「やるべき事ができたか」「監督やコーチが求めたものを出せたか」、そういう次元の責任は選手に存在します。この責任も最終的には査定と言う形で球団が判断するものですが。
私が思うのはね、監督やコーチ、或いはフロントの責任は声高に責め立てるのに、選手のプレーには一切、或いは殆ど関知しない。それはそれでおかしいんじゃないか?「何某選手はあの場面で恐らく監督が求めたであろう事を理解できていなかったのではないか?あれでは試合には使い辛い。だが、監督やコーチはこの選手が本当にあの場面でやりきれると思っていたのか?起用責任が問われる」と続くべき処が「何某ちゃんに○×させるなんて!何某ちゃんは悪くない!何某ちゃんに○×させた監督が悪いのよ!><」となってしまう。此ではただ自分の思い込みをぶつけているだけである。
こうしたところ、私が梨田監督(だけに限った話じゃないが)に対して理解しろと、理解なくして批判は有り得ないと言う理由だ。ただ認めたくない、拒絶してるんであればそれでも構わんが、批判と自称するならそれでは不完全過ぎる。
理解の無い批判など批判である筈もない、一方的な思い込みで断罪される魔女裁判のようなものだ。相手の考えを理解する姿勢もなく、端から有罪ありき、処刑ありきで罵詈巉謗の裁きを下す。裁く前から有罪と刑罰が決まっているのだからまともとは言えない。
こう言うことを私は何度となく言ってきたのだが、某氏によると「甘ったれ」らしい。まあ、それでも結構だが。そして魔女裁判に異を唱えると「自分と異なるものを認められない幼稚な擁護派」なのだと。此も言われる分には全く構わん。
だが、自分の今まで言ってきた事を思い出してみろ。いかに矛盾に満ちているか?人間だもの、矛盾の一つ二つはあるだろう。だが、自分の姿勢の根本の部分に矛盾があるのは如何なものか?「ファンのあり方を問うな」と言いながら、自分と合わぬ・・・主に彼が"擁護派"と呼ぶファンに対して制限的な事を言ったり「こうしなくちゃダメ」と言う。
もしも、それが双方に対して言っているのであれば、まだ毛程はマシだったろうが、彼が覚めたような顔で諌めているのは、常に擁護的や理解的、また穏便的な方ばかりである。
つい最近も「乱暴な言葉に言い返すのはよくない。同じレベルに降りている事に気付くべき。乱暴な人も居ることを受け入れてスルーしましょう」だとか。確かに売り言葉に買い言葉の喧嘩は誉められたものじゃないが、それを注意するのなら双方に対して注意するのが筋じゃないか?貴方が仰る事は即ち、「治安を乱すならず者も居るけど気にしてはいけない。居る事を受け入れてスルーしていれば良い」こんなんじゃ町内会の治安は崩壊しますね。
勿論、どんなに抵抗しても、どんな策を講じても、それでも場を乱す人間は居る。だが、だからといってそれに屈して受け入れると言うのはとんでもない。先日、些細な事かも知れないが、HBCラジオのハッシュタグで人種差別発言をするものがいた。その者曰く「何を言おうが自由じゃないか」との事。確かにそれも一理だが、自由なら義務と責任が発生する。「何を言おうが自由」なら、他者もまたその者に対して「何を言おうが自由」、此は受け入れねばなるまい。
そうした暴言を許さないと言う空気は必要だろう。仮にそれで途絶えることがなかったとしても、そういう発言をその場が決して認めている訳ではない、そういう意思表示になる。「どうせ居なくなりゃしないんだから目くじら立てなさんな」と言うのは「警察が居ようが自警団を作ろうがならず者は居なくなりゃしない。だったら無駄なことは止めてしまえ」と言うようなものである。
ですから、ハッシュタグと言うフォローによらない同志の集まりにおいて、そうした場にそぐわぬ声に対する拒絶反応はあって然るべきだと思う。少なくとも現時点で問題となる声が場を支配していない以上、拒絶反応があるのは当然だし、場がその声に支配されていない意思表示は必要である。尤も、状況が変わって場がその声に支配されたら立場は逆になるのだが。そうなっていない以上、そういう諍いはあって当然のモノなのだ。
それを諌めるというのなら、双方を問い質すのが筋ではないか?「おいおい、両方とも落ち着け。お前も気持ちはわかるがそれでは相手と一緒だぞ?どっちがどっちだかわからんぞ?お前(もう一方)も少し言葉を選ばないとどこに言っても問題起こすぞ」と。
それが「乱暴な人に突っかかるのは良くない。受け入れてスルーしなさい」では、原因となる発言をしたものにはなんの非もないと言うのか?何処の市民かわからない市民団体的と言うか。「戦うから平和じゃないんですよ。戦わなければずっと平和なんですよ」みたいな。そういう無防備宣言的な考えは組織を崩壊させますよ。
結局のところ擁護派や理解派を制限し、自分と同じように「セキニン!」「セキニン!」叫ぶ声を正義としてるんですよ。卑怯なことに、自身は第三者を装い「どっちかって言うと擁護派は異常だよね~」みたいに振る舞って。
貴方自身がどういう考え方でどのように叫ぼうが一向に構いませんが、貴方の言う「ファンのあり方を問うな」が実は「(擁護派のファンはヒハン派の)ファンのあり方を問うな」であると言うのはおかしいと言うのです。そして常に第三者を装い、何時も輪の外でそういう自身が禁じた筈のファン批評を行う。此はどうにも納得できない。
結局貴方がしたいことはなんなのか?最近も「違うファンを認めましょう」みたいに言いながら、「監督の気持ちなど考える奴は甘ったれ」と、自分と異なるファンを巉している。相手に「違うファンを認めましょう」と言いながら自分は認めない、短期間でのこの矛盾はどう説明するのだ?
この方、異論や反論は全て拒絶反応と思っている節があるが、異論や反論もまた相手を認めずには有り得ない行為だ。この方が「存在を認められる」と言うのは「誰にも反対されない、違うと言われない」事を指すのであれば、この方は狭い範囲でしか認められないでしょうね。可哀想に。
この方は以前「考えの違う人はわかりあえなんてしない」と仰ってましたが、この方の考えですと永遠に無理ですね。だって、そもそも「考えが違う」って事を当の本人が認められないんですから。そして違う考えがぶつかりあうことも否定的、禁止的に考えてる訳ですから。
そうじゃなくて・・・厳密にはわかりあうんじゃなくて認めあうんだよな。相手はそもそも自分と違うんだと認めて、何が自分と違うのか認めて、場合によっては激しい接触も経て、それで同じにはならないけど、違うものとして認めあうんだよ。「同じじゃないからわかりあえない!」で止まってたら、結局自分以外は認められないんだよ。
まぁ、それで不便がないんなら良いんだろうがね。ただ、その都度自分と異なるものを「違う」だけで見下し、自分が入るつもりもない輪を自分好みに変えようとする。参加もせずに自分の考えを反映させようとするのはどういう理由か?そんなに変えたいのなら、自分も輪に入って発言すれば良い。只の傍観者がなんの不満があると言うのか?貴方は#lovefightersや#hbc_fightersのハッシュタグをどうしたいんだ?変えたいんなら輪に入って自分で動かせ、自分の言葉で動かせ。第三者面してあーでもない、こーでもないと言うのは正直(此くらい漢字で書いて欲しいんだが)卑怯だと思う。
俺ですか?ヒキョウでもラッキョウでも結構。ただ、貴方はそうとられる言動を繰返し、卑怯と言われてもちゃんと受け入れるんですよね。人に「受け入れなさい」と言いながら自分は「イヤイヤ!」なら、もはや卑怯にも値しないな。
【世界日本ハムなう】
はい、すいません。今回はほぼ個人攻撃です。ただね、俺としては梨田監督の悪口とかは言われても仕方ないと思いますよ?黙るつもりもないですが、そのお陰でやってる部分もありますからね。ただ、「どういう意見があっても良い」と言いながら片方に肩入れし・・・此処まではまぁ良いんですけど、反対側を強く制限するようなのは如何かと。挙げ句の果てに「見てないけどわかる!梨田は下手!」ってのもありましたし。
結局、梨田監督を理解するつもりなんて無いんですよね。自分の考える・・・自分の理想と違うってだけで否定するんですから。理解せずに拒絶、そういうことなんです。
実はその方とは以前は普通に(向こうの)米欄で会話もしていたんですけどね。あの方「ファンのあり方を問うな」とかいってましたけど、自身では凄く頑固な「ファンはこうあるべき!」って考えを持ってますよ。今回はJリーグの監督なんかを引き合いに出してましたが、理想としてはJリーグの"サポーター"と称するような熱狂的なファンが理想のようで。まぁ、そういうのはJリーグでやって欲しいんですけどね、正直。
まあ、そういう人が居ると言うことは認めるしかないですけどね。何を望むかとか、そういうのも自由だし。ただ、その自由は彼の自由であって、私の自由ではない。彼がそうして便衣兵ののように背後から撃つのであれば、正規兵同様に対処するまでです。一発だけでも誤射とは思わないし、たとえ誤射でも誤射とは思わない。
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だが、何度も書いてきている訳だが中々理解した上でされてる批判というものに出会わない。"ヒハン"を自称するものの多くは采配の意図を考えようともせず、「結果が悪いんだからそれ以上理解する必要はネエ!結果が全て!何をどうしたかったかなんて甘ったれの言い訳だ!」とでも言わんばかりの否定。こんなものは批判などではない、否定ありきの罵詈雑言を"批判"等と偽るな。
そして先日も言ったが、こういう彼らは梨田監督を理解しようとしたか?ただ自分の願望を押し付けるばかりで、梨田監督がどういう環境でどういう意図をもってチームを率いたか?そして球団は梨田監督に何を求めたか?そういうことを考えたことがあったか?自分の願望は押し付けて、梨田昌孝という監督は理解しようとせずに拒絶し続けただろう?その理由さえ梨田監督に押し付けて。
そういう一切は仕方ないと思う。理解したくないものも人間ならある筈だし、自分が理解したくないという事を認められずに「理解できない」としか考えられない事も、人間ならばあることだ。それは仕方ないと思うし、その存在を否定などできない。だからと言って容赦や遠慮の用意はないが。
理解できない人がいる事も、梨田監督を生理的に受け付けない人がいる事も、此の際一切構わない。だが、だからと言って理解できる人、受け入れられる人、理解しようとする人や受け入れようとする人が、自分勝手な屁理屈で「甘ったれ」等と罵られる道理はない筈だ。
貴方が「まだ何試合ある」とか「監督にも考えがある」とか思えないのは仕方ないし、思いたくなければ思う必要もない。思って頂かなくて結構。だが、それは貴方の主観であり、他者についてどうこうと言うものではないだろう。だいたい、「ファンのあり方をどうこうと言うものではない」といったのは誰か?そんな事を吐くのなら、自分の気に入らないファンも居るモノとして受け入れるしかないと思うのだが。
件の「『まだ何試合ある』とか『監督にも考えがある』は甘ったれ」と言うものも、そうなら貴方が言わなければ済む話ではないのか?貴方が言った事と貴方がしてる事、それらを総合するとやはり、「お前らは俺に指図するんじゃねぇ、俺はお前らに指図すっけどな!」になると思うのだが。
貴方が自身の思う「甘ったれ」をやらない、或いはそれに基づいて「甘ったれ」ない意見を垂れ流すのは貴方の自由だ。だが、貴方と意を異にする方々が、偶々貴方が「甘ったれ」と思うような事を言ったとしても、それは他人の勝手であり、幾ら貴方が「甘ったれ」たくないとはいえ、貴方が彼らを「甘ったれ」と罵る道理はない。貴方が前言を覆し、ファン批評的な事をしたいと思ったのであれば仕方ないのだが。
今回私が引っ掛かったのは此。「監督に責任がない筈がない」此は至極当然だが、誰か「梨田監督は悪くない!選手が実力を出せないのが悪いんだ!」とでも言ったのか?少なくとも貴方が参加もせずにコソコソ除き見ているハッシュタグで、「まーた梨田の糞采配か」という誹謗はあっても、そうした「梨田監督は一切悪くない!責任もない!」といった声は無かったと思うが。
「糞采配!」という誹謗に対する反論があっても、決して梨田監督を無条件に擁護などしていないと思う。どうにもこの方、ネガや誹謗中傷に対する異論や反論は、無条件無責任完全擁護ばかりだと印象付けたいらしい。
また「何処其処(他競技団体)では全て選手の責任にした監督がいた」と例を挙げているが、その他競技団体の監督とやらと梨田監督の類似性はなんなのだ?梨田監督が一度でも「誰某のせいで負けた」等と敗戦の責任を選手に押し付ける事があったか?少なくとも野村克也氏やオリックス・岡田監督、読売・原監督のように、敗戦後のインタビューで選手名を出して「コイツが悪いんや」と言う事は無いと思うのだが(因みに楽天の星野監督は、この御三方よりは結構マイルドだと思う)。
そこで態々他競技から引っ張ってきてまで「無責任監督」の例を示した、その意図が難しい。恐らくは「こんな監督もいたけど責任は監督に無い筈無いんだぜ」とでも言いたいんだろうが、梨田監督が同様の無責任監督か、或いは野村・岡田・原の3氏のように選手を吊し上げる監督であった場合には適当であっても、そうでない場合は些か譬えがボヤけてしまう、適当でない譬えになってしまうと思うのだが。
監督に責任は当然あるし、無い訳が無い。だが、それを追及するのは誰の仕事なのか?そして責任の追及はいの一番で、今此処ですべき事なのか?
私はどんな形であれ、どんな結果に対しても監督の責任は球団が契約と言う形で評価を下すと、そしてそれが絶対的、或いは最大公約数的に正しいと思っている。それが契約社会の責任の果たし方ではないだろうか?そして、責任を追及するより前に、原因を追及するのが先ではないか?結果と内容を吟味し、どうしてこうなったのかを追及しない事には、責任の所在と言うものははっきりしない。責任の追及などしようがない。
此処で言っておきたいのは、監督には絶対的に責任があるとはいえ、選手に責任が無いと言うことも有り得ないと言う事。確かにコーチが指導し見定めて、監督が最終的に判断をするものだが、選手も監督やコーチと同様に無責任ではいられないと言う事。
勿論、起用した最終的な責任は監督にあるし、選手の状態を管理するコーチにもある。ただ、プレーそのものについては「やるべき事ができたか」「監督やコーチが求めたものを出せたか」、そういう次元の責任は選手に存在します。この責任も最終的には査定と言う形で球団が判断するものですが。
私が思うのはね、監督やコーチ、或いはフロントの責任は声高に責め立てるのに、選手のプレーには一切、或いは殆ど関知しない。それはそれでおかしいんじゃないか?「何某選手はあの場面で恐らく監督が求めたであろう事を理解できていなかったのではないか?あれでは試合には使い辛い。だが、監督やコーチはこの選手が本当にあの場面でやりきれると思っていたのか?起用責任が問われる」と続くべき処が「何某ちゃんに○×させるなんて!何某ちゃんは悪くない!何某ちゃんに○×させた監督が悪いのよ!><」となってしまう。此ではただ自分の思い込みをぶつけているだけである。
こうしたところ、私が梨田監督(だけに限った話じゃないが)に対して理解しろと、理解なくして批判は有り得ないと言う理由だ。ただ認めたくない、拒絶してるんであればそれでも構わんが、批判と自称するならそれでは不完全過ぎる。
理解の無い批判など批判である筈もない、一方的な思い込みで断罪される魔女裁判のようなものだ。相手の考えを理解する姿勢もなく、端から有罪ありき、処刑ありきで罵詈巉謗の裁きを下す。裁く前から有罪と刑罰が決まっているのだからまともとは言えない。
こう言うことを私は何度となく言ってきたのだが、某氏によると「甘ったれ」らしい。まあ、それでも結構だが。そして魔女裁判に異を唱えると「自分と異なるものを認められない幼稚な擁護派」なのだと。此も言われる分には全く構わん。
だが、自分の今まで言ってきた事を思い出してみろ。いかに矛盾に満ちているか?人間だもの、矛盾の一つ二つはあるだろう。だが、自分の姿勢の根本の部分に矛盾があるのは如何なものか?「ファンのあり方を問うな」と言いながら、自分と合わぬ・・・主に彼が"擁護派"と呼ぶファンに対して制限的な事を言ったり「こうしなくちゃダメ」と言う。
もしも、それが双方に対して言っているのであれば、まだ毛程はマシだったろうが、彼が覚めたような顔で諌めているのは、常に擁護的や理解的、また穏便的な方ばかりである。
つい最近も「乱暴な言葉に言い返すのはよくない。同じレベルに降りている事に気付くべき。乱暴な人も居ることを受け入れてスルーしましょう」だとか。確かに売り言葉に買い言葉の喧嘩は誉められたものじゃないが、それを注意するのなら双方に対して注意するのが筋じゃないか?貴方が仰る事は即ち、「治安を乱すならず者も居るけど気にしてはいけない。居る事を受け入れてスルーしていれば良い」こんなんじゃ町内会の治安は崩壊しますね。
勿論、どんなに抵抗しても、どんな策を講じても、それでも場を乱す人間は居る。だが、だからといってそれに屈して受け入れると言うのはとんでもない。先日、些細な事かも知れないが、HBCラジオのハッシュタグで人種差別発言をするものがいた。その者曰く「何を言おうが自由じゃないか」との事。確かにそれも一理だが、自由なら義務と責任が発生する。「何を言おうが自由」なら、他者もまたその者に対して「何を言おうが自由」、此は受け入れねばなるまい。
そうした暴言を許さないと言う空気は必要だろう。仮にそれで途絶えることがなかったとしても、そういう発言をその場が決して認めている訳ではない、そういう意思表示になる。「どうせ居なくなりゃしないんだから目くじら立てなさんな」と言うのは「警察が居ようが自警団を作ろうがならず者は居なくなりゃしない。だったら無駄なことは止めてしまえ」と言うようなものである。
ですから、ハッシュタグと言うフォローによらない同志の集まりにおいて、そうした場にそぐわぬ声に対する拒絶反応はあって然るべきだと思う。少なくとも現時点で問題となる声が場を支配していない以上、拒絶反応があるのは当然だし、場がその声に支配されていない意思表示は必要である。尤も、状況が変わって場がその声に支配されたら立場は逆になるのだが。そうなっていない以上、そういう諍いはあって当然のモノなのだ。
それを諌めるというのなら、双方を問い質すのが筋ではないか?「おいおい、両方とも落ち着け。お前も気持ちはわかるがそれでは相手と一緒だぞ?どっちがどっちだかわからんぞ?お前(もう一方)も少し言葉を選ばないとどこに言っても問題起こすぞ」と。
それが「乱暴な人に突っかかるのは良くない。受け入れてスルーしなさい」では、原因となる発言をしたものにはなんの非もないと言うのか?何処の市民かわからない市民団体的と言うか。「戦うから平和じゃないんですよ。戦わなければずっと平和なんですよ」みたいな。そういう無防備宣言的な考えは組織を崩壊させますよ。
結局のところ擁護派や理解派を制限し、自分と同じように「セキニン!」「セキニン!」叫ぶ声を正義としてるんですよ。卑怯なことに、自身は第三者を装い「どっちかって言うと擁護派は異常だよね~」みたいに振る舞って。
貴方自身がどういう考え方でどのように叫ぼうが一向に構いませんが、貴方の言う「ファンのあり方を問うな」が実は「(擁護派のファンはヒハン派の)ファンのあり方を問うな」であると言うのはおかしいと言うのです。そして常に第三者を装い、何時も輪の外でそういう自身が禁じた筈のファン批評を行う。此はどうにも納得できない。
結局貴方がしたいことはなんなのか?最近も「違うファンを認めましょう」みたいに言いながら、「監督の気持ちなど考える奴は甘ったれ」と、自分と異なるファンを巉している。相手に「違うファンを認めましょう」と言いながら自分は認めない、短期間でのこの矛盾はどう説明するのだ?
この方、異論や反論は全て拒絶反応と思っている節があるが、異論や反論もまた相手を認めずには有り得ない行為だ。この方が「存在を認められる」と言うのは「誰にも反対されない、違うと言われない」事を指すのであれば、この方は狭い範囲でしか認められないでしょうね。可哀想に。
この方は以前「考えの違う人はわかりあえなんてしない」と仰ってましたが、この方の考えですと永遠に無理ですね。だって、そもそも「考えが違う」って事を当の本人が認められないんですから。そして違う考えがぶつかりあうことも否定的、禁止的に考えてる訳ですから。
そうじゃなくて・・・厳密にはわかりあうんじゃなくて認めあうんだよな。相手はそもそも自分と違うんだと認めて、何が自分と違うのか認めて、場合によっては激しい接触も経て、それで同じにはならないけど、違うものとして認めあうんだよ。「同じじゃないからわかりあえない!」で止まってたら、結局自分以外は認められないんだよ。
まぁ、それで不便がないんなら良いんだろうがね。ただ、その都度自分と異なるものを「違う」だけで見下し、自分が入るつもりもない輪を自分好みに変えようとする。参加もせずに自分の考えを反映させようとするのはどういう理由か?そんなに変えたいのなら、自分も輪に入って発言すれば良い。只の傍観者がなんの不満があると言うのか?貴方は#lovefightersや#hbc_fightersのハッシュタグをどうしたいんだ?変えたいんなら輪に入って自分で動かせ、自分の言葉で動かせ。第三者面してあーでもない、こーでもないと言うのは正直(此くらい漢字で書いて欲しいんだが)卑怯だと思う。
俺ですか?ヒキョウでもラッキョウでも結構。ただ、貴方はそうとられる言動を繰返し、卑怯と言われてもちゃんと受け入れるんですよね。人に「受け入れなさい」と言いながら自分は「イヤイヤ!」なら、もはや卑怯にも値しないな。
【世界日本ハムなう】
はい、すいません。今回はほぼ個人攻撃です。ただね、俺としては梨田監督の悪口とかは言われても仕方ないと思いますよ?黙るつもりもないですが、そのお陰でやってる部分もありますからね。ただ、「どういう意見があっても良い」と言いながら片方に肩入れし・・・此処まではまぁ良いんですけど、反対側を強く制限するようなのは如何かと。挙げ句の果てに「見てないけどわかる!梨田は下手!」ってのもありましたし。
結局、梨田監督を理解するつもりなんて無いんですよね。自分の考える・・・自分の理想と違うってだけで否定するんですから。理解せずに拒絶、そういうことなんです。
実はその方とは以前は普通に(向こうの)米欄で会話もしていたんですけどね。あの方「ファンのあり方を問うな」とかいってましたけど、自身では凄く頑固な「ファンはこうあるべき!」って考えを持ってますよ。今回はJリーグの監督なんかを引き合いに出してましたが、理想としてはJリーグの"サポーター"と称するような熱狂的なファンが理想のようで。まぁ、そういうのはJリーグでやって欲しいんですけどね、正直。
まあ、そういう人が居ると言うことは認めるしかないですけどね。何を望むかとか、そういうのも自由だし。ただ、その自由は彼の自由であって、私の自由ではない。彼がそうして便衣兵ののように背後から撃つのであれば、正規兵同様に対処するまでです。一発だけでも誤射とは思わないし、たとえ誤射でも誤射とは思わない。
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