さて、印旛沼。血+のラストはアメリカ、種はヤキンドゥーエ、種死は月面・・・・と歴代土6と比べてかなーり地味な最終決戦の地ですが、そこがまた妖奇士らしくていいかなとも思います。
さて前回往壓も言いましたが、印旛沼の工事自体悪いことではないと思います。江戸を守るというただ一点のみにおいてですが、事実江戸がどうにかなったら幕府の一大事な訳ですから、そういう考えで事を進めるのも悪くは無いと思います。
話は現代。こういった事業が自身に直接利益が無い、或いはあっても実感できるものでないと即座に「無駄な公共事業の中止を」と騒ぐ人が居ます。アトルもそう感じたんでしょうね、自分が江戸に住んでいて実際には利益を受けるはずなのに、恵まれていて当たり前みたいな感覚でこういった人の犠牲の元に成り立っている生活とは考えられないのでしょう。昼にポークソテーを食べた奴が「豚がかわいそうだから殺すな」と言うようなものです。
水回りといえば、えのきどと隔週でアクセス月曜のパーソナリティーをやってる作家さんがどこかの知事をしていたときの「脱ダム宣言」があります。これも実際には金の動きについて疑問を感じて行われたものですが、結構公共事業の抑制主体と見られがちだったりします。
実際にはどんな話かと言うと、まずダムを作れば国から補助金が出る。「国から金が出るんだからどんどんやろうぜ」って声が当然出るわけなんですが、確かに工費の8割が国から出て県の負担は2割に止まるんですが、工費の9割は県外のゼネコンに持っていかれて実質県負担の2割の半分を県外のゼネコンに支払うだけで、県には全然金が落ちないわけだというわけです。それがおかしいと、だから県内の企業でもできるような事業に置き換えて県内の企業に仕事を回そうというのが脱ダム宣言のミソだったりします。
とまぁ結局公共事業は行うものですし、行わなければならないものな訳ですよ。脱ダムは非常に志は高いんですが、ダムの仕事を長野ではやらない=長野県では県外のゼネコンに仕事を回さないとなると、いざ何かやるとなったら国から後回しにされたり、或いは十分な予算が回されずに工期が非常に延びるということも考えられます。国だってお金に限りがあるどころか借金経営なんですから、やるとなったらお得意さんから優先的になるのはある意味仕方が無いことですよ。まぁ、長野は高速も新幹線ももうあるから構わないのかもしれませんが。
つまり脱ダムは「長野良ければ全て良し」でしかないわけで、鳥居さんに言わせれば「小さい」訳ですよ。長野のことは考えているように見えて、日本全体の中での長野と言うものを見ていない。ペログリ康夫ちゃんは長野を独立国にでもするつもりだったんでしょうかね?
話が逸れまくってるところから更に逸れてしまいましたが、もとの逸れたところに戻せば、公共事業=悪ではない訳ですよ。問題なのは利権がらみで計画が変更されたり、順番が変えられたりということです。
例えば新幹線。無駄な公共事業の筆頭に挙げられますが、その予算たるや年間で高速道路の足元にも及ばない訳ですよ。潰したところで何の節約にもならない額なのに、公共事業費削減しましたのポーズのために予算が抑えつけられる。そして湯水のように予算をつぎ込む高速道路はそちらはそちらで遅々として進まず。
そして作られた新幹線も東北なんかは岩手選出議員の「盛岡よりコヒへは当分延ばさせない」の一言で盛岡で暫く足止めを喰らってた訳ですよ。途中分割民営化とかありましたが、まともな頭で計画を進めていれば今頃は新幹線は北の大地走ってましたよ。本来青函トンネル開通も新幹線に合わせたスケジュールでしたから(若干食い違いはあったとしても)。
なんだかわからなくなってきましたがw公共事業は必要なんですよ。必要だから計画される訳です。闇雲に「反対!反対!」「中止!中止!」と叫ぶより、無駄をなくし適切な形で実行させる事の方が大事なんじゃないでしょうか?
康夫ちゃんも「県外のゼネコンに金持ってかれるから脱ダムだ」って言うんじゃなく、逆に「ダム作らせまくって、一々県外から来るより長野に住んだほうが早いようにしてやる」ぐらいの方が良かったんじゃないですかね?
「格差社会を正せ!」と騒いでいる自称市民の団体が、地方の公共事業を批判して予算の抑制に追い込み、結局地方と中央の生活基盤の格差を拡大させているというのは笑えないジョークですね。
・・・・結局纏まんないや。
もうちょっとだけ続くぞい
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