増刊セカニチ! 「ファイターズらしさ」ってなんだ?
えー、HBCラジオさんでは野球中継の後番組として、TBSからネットの「Dig」が始まる22時迄の間「ファイターズDEナイト!(通称:DEナイト、デナイト、FDN)」という日本ハム応援番組がありましてね。
勝った試合の後なんかはそりゃもう歓喜のメッセージばかりで楽しげなんですが、負けた試合の時にはそりゃもうファンの鬱憤晴らしの場といいますか。
お決まりのメッセージは「ヒッシサが足りない」「ガムシャラサが足りない」「シンケンミが足りない」など、自分の思い通りにしてくれなかった選手達、そして監督やコーチに必死になって鞭を振るう、裁判所兼処刑場のようになってしまう訳です。
此の状況は昨日今日の話ではなく、優勝した平成18年も夏前迄は「ヒルマン監督じゃ勝てない」などといった声が多数ありましたし、梨田監督就任初年度の平成20年などはそりゃ酷い有り様で、2年前まで必死にヒルマン前監督を叩いていたのを忘れたように「ヒルマン監督が作り上げた私達のファイターズを梨田監督が壊していく」的な声がね。
そして今年は此だけ貯金を重ねている事実を無視して、負けた時には「待ってました!」と言わんばかりの選手・監督・コーチバッシング。あ、批判なんかじゃないですよ?感情のままに何かを虐待する様を"批判"とは言いませんよ。
そんな事を書くと「それなら番組に反対意見のメールを出せばいいじゃない!」とお思いの方もいるかも知れません。実際に梨田監督就任初年度の酷い叩きように何度も出しましたですよ。でも、其れは読まれること無く、番組でこずゑ嬢が「あんまりきついこと言わないで、との声もあるんですが、キツいこともファンの正直な気持ちなので」との弁。
此以来、私は試合の振り返り解説者の感想、ベンチリポの為に聞きはしますが、メールなどを送る気は失せました。
いやね、私に文才がなくて没になるなら仕方ないですよ?もっと気の利いたメールを寄越せと、そういうんならね。でも、そうした「負けた日の叩きへの反論や擁護は受け付けません」なんてのはね、放送局としていかがなものかと。
叩きがファンの正直な気持ちというならしゃーない。でも、それに対する反論だったり、擁護だって正直な気持ちじゃないんですか?一方だけを出して「ファンの正直な気持ち」なんていうのは、それこそ韓流への不安や不満を抹殺して韓流をゴリ押しするのと変わり無いんじゃないですか?
反対側の"正直な気持ち"も同様に取り上げてくださいよ!メディアがそういう事をやってるから、梨田監督や選手への理解の声が伝わらず、強いては多くのファンが理解を深めないまま叩きに趨る、そういう循環になってるんじゃないですか?
ちょっと熱くなりました。そんななかで前から気になることがあるんです。それは「ファイターズらしい野球ができてない」とか、その「らしさ」っていったいなんなの?って事です。
勝った試合の後なんかはそりゃもう歓喜のメッセージばかりで楽しげなんですが、負けた試合の時にはそりゃもうファンの鬱憤晴らしの場といいますか。
お決まりのメッセージは「ヒッシサが足りない」「ガムシャラサが足りない」「シンケンミが足りない」など、自分の思い通りにしてくれなかった選手達、そして監督やコーチに必死になって鞭を振るう、裁判所兼処刑場のようになってしまう訳です。
此の状況は昨日今日の話ではなく、優勝した平成18年も夏前迄は「ヒルマン監督じゃ勝てない」などといった声が多数ありましたし、梨田監督就任初年度の平成20年などはそりゃ酷い有り様で、2年前まで必死にヒルマン前監督を叩いていたのを忘れたように「ヒルマン監督が作り上げた私達のファイターズを梨田監督が壊していく」的な声がね。
そして今年は此だけ貯金を重ねている事実を無視して、負けた時には「待ってました!」と言わんばかりの選手・監督・コーチバッシング。あ、批判なんかじゃないですよ?感情のままに何かを虐待する様を"批判"とは言いませんよ。
そんな事を書くと「それなら番組に反対意見のメールを出せばいいじゃない!」とお思いの方もいるかも知れません。実際に梨田監督就任初年度の酷い叩きように何度も出しましたですよ。でも、其れは読まれること無く、番組でこずゑ嬢が「あんまりきついこと言わないで、との声もあるんですが、キツいこともファンの正直な気持ちなので」との弁。
此以来、私は試合の振り返り解説者の感想、ベンチリポの為に聞きはしますが、メールなどを送る気は失せました。
いやね、私に文才がなくて没になるなら仕方ないですよ?もっと気の利いたメールを寄越せと、そういうんならね。でも、そうした「負けた日の叩きへの反論や擁護は受け付けません」なんてのはね、放送局としていかがなものかと。
叩きがファンの正直な気持ちというならしゃーない。でも、それに対する反論だったり、擁護だって正直な気持ちじゃないんですか?一方だけを出して「ファンの正直な気持ち」なんていうのは、それこそ韓流への不安や不満を抹殺して韓流をゴリ押しするのと変わり無いんじゃないですか?
反対側の"正直な気持ち"も同様に取り上げてくださいよ!メディアがそういう事をやってるから、梨田監督や選手への理解の声が伝わらず、強いては多くのファンが理解を深めないまま叩きに趨る、そういう循環になってるんじゃないですか?
ちょっと熱くなりました。そんななかで前から気になることがあるんです。それは「ファイターズらしい野球ができてない」とか、その「らしさ」っていったいなんなの?って事です。
"らしさ"って言うと恐らく・・・日本ハムの場合は「守備からリズムを掴んで」とか、「相手のミスを見逃さずに」とか、そういうのを思い浮かべる方が多いと思います。「何処からでも点が取れる」とか「相手投手が息吐く暇のない強打線」なんて答える方はそれ程多くないと思います。
その"らしさ"のルーツは恐らくですが、平成19年のリーグ2連覇達成時の戦い方なのではないでしょうか?此の年は前年日本一のチームからSHINJO(新庄)選手・小笠原選手と打の主力選手が2人も抜け、更に残ったセギノール選手も衰えを隠せなくなった頃。得点力は当然落ち、それを投手力でカバーしての優勝。結末は日本シリーズ第5戦、中日・山井投手に8回まで完全、9回も岩瀬投手に抑えられ、継投での完全試合という形に。
恐らくは此の年のリーグ優勝~クライマックスシリーズ制覇までの戦いが、今でもよく言われる"ファイターズらしさ"のベースになっているのではないでしょうか?
余談って訳でもないですが、その前年・・・日本一に輝いた平成18年の日本ハムは、先程挙げたSHINJO選手・小笠原選手・セギノール選手らの活躍も大きく、かつダルビッシュ投手のブレイクに八木投手も新人王の大活躍と投打のバランスが非常にとれたチームだったと思います。3番から小笠原・セギノール・稲葉・SHINJOと続く打線はダイエーの「100打点カルテット」に続く、近年屈指の好打線ではないでしょうか?
"らしさ"も出来れば此の年のチームを指してくれれば良いと思うのですが、流石に此の時のような打線を組むことは、今後は叶わないモノだと諦められてるんでしょうかね?だから、強打者を並べた平成18年型よりも、守備と投手力がメインの平成19年型に"らしさ"を求めるのでしょうかね?
また、主力選手が抜けて一般的に弱体化したと思われた戦力での優勝も、多くのファンの心を未だに惹き付けているのではないかと。そして信奉者の少なくない白井ヘッドコーチ(当時、現:横浜二軍監督)が関わった、現時点では最後の日本ハムファイターズだという事もあるんじゃないでしょうか。
ということは梨田監督以前の最終年の野球ですし、そうなるとそうしたファンは"梨田監督の采配"は端から所望しておらず、好きだったけど諸事情で球団を去ることになったヒルマン前監督と白井前ヘッドコーチの野球をそのまま再現してくれる事を、梨田監督に対して求めているのではないでしょうか?意識的・無意識的を問わずにね。もしそうだとすると、凄い失礼な話だと思いますね。
"らしさ"のルーツが平成19年にあると、ここまでで私が推測したのですが、その平成19年の日本ハムの野球には大きな欠点がありました。それは貧打です。そりゃ平成18年と比較して中軸打者が2.5人も減ってるようなものですから。それを全体で何とかカバーしてリーグ優勝、クライマックスシリーズ制覇まで到達はしましたが、だからといってホイホイ再現できるものではないでしょう?その再現性の低さ、再現の困難さが、平成19年のチームを基準とした"らしさ"の欠点なのです。
そもそも、チームは常に変わっていくものと私は考えてます。選手だって年を取れば実力も低下しますし、移籍等で選手の顔触れも変わっていきます。そこにある時期を切り取って基準化した"らしさ"を宛がっても、あまり意味がないようにも思うのです。常に違うチームに秒単位で変化し続ける訳ですから、極端な話ですが"出来る事"もその都度違ってくるでしょうし、同じことをさせてもダメだと思うのですよ。
あ、此はあくまでファン視点の"らしさ"の話だからね。「馬鹿の一つ覚えのバントは良いのかよ!」ってのはアレですよ。そりゃ戦局の話だね。また、別のお話ですよ。
梨田監督に"ヒルマン流"、ヒルマン前監督時代の事を求めるのはナンセンスです。そもそも全く同じものが見えてる訳ではないでしょうし、ヒルマン前監督に気付かなかった事、出来なかった事をしてくれれば、それで良いのではないでしょうか?
梨田監督は当初は前年までのチームを引き継ぐ形でしたが、賢介選手を3番打者に起用するなど、ヒルマン前監督との違いも見せていました。そして森本選手の怪我による離脱以降は、賢介選手を1番打者で起用し、リーグを地味に代表するトップバッターとしての地位を築けました。
賢介選手は元々は打撃の評価が高くプロ入りしたのですが、一軍定着の際に打撃への欲を封印させられ、主に犠打で好機を繋ぐ役目を任されました。此の辺り、現在陽選手へのバント指示にブーブー言われている方は、如何御考えでしょうか?恐らくヒルマン政権の次が白井政権であったなら、陽選手の代わりに賢介選手が今でも犠打のスペシャリストをやらされていたのではないかと、私は思うのです。
梨田監督は多分、賢介選手の打撃センスを「犠打だけでは勿体ない」と考えて3番打者、そして1番打者に起用したのではないかと。同じように、ヒルマン政権では守備の切り札的で打撃は期待されていなかった飯山選手も、金子誠選手の加齢による衰え、故障による離脱があったとはいえ先発起用が増え、打撃の場面も増えました。鶴岡捕手も2番打者としての起用で刺激するなど、守備だけではない貢献を求めています。
こういった梨田監督の選手起用は、恐らくはそれまでの硬直化した役割分担を破壊し、各選手にもっと柔軟に実力を発揮して欲しいと、そういう意味合いがあったのではないでしょうか?その事で伸びた選手もいるのですが、それまでの常識(実際はヒルマン流への拘り)から理解が難しく、結果として「ヒルマン監督・白井HCが作り上げたファイターズを壊された」「梨田の野球はファイターズらしくない」等と言われてしまってるのではないでしょうか?
先述の通り、梨田監督とヒルマン前監督とではモノの見方も違うでしょうし、そうなるとやることも変わるものですよ。加えて、求められる平成19年の野球は再現が困難極まりないモノで、それを基準とされたら藤田元司さんだって凡将にされてしまいます。
そして常に変わりゆくチームに、固定された"らしさ"も可笑しいんじゃないかと。せめて"らしさ"と言うならば、過去のチームを参考にするのではなく、最近のベストゲームを基準に言うべきではないでしょうか?今居る選手の、今の最良の仕事を"らしさ"とするならば、あまり無理が生じないと思うのですが。
自分が好きだった過去のチームを今のチームに押し付けても、決して満たされずに空しくなるだけだと思うんですけどねぇ。
【世界日本ハムなう】
途中からなんか違う話も混じってますけどね。何て言うかね、梨田監督は梨田監督の野球しかできないと思うのですよ。まぁ、前任のヒルマンさんが途中で考え方を改めて日本流に改めたって例はありますけど、それだって彼の本意じゃ無かったですからね。本意じゃない事をさせるなら、そこで監督を代えると言う手もあったんじゃないかと。まぁ、当然考えたんでしょうが。
で、犠打を巡って「馬鹿の一つ覚え」とか。まぁ、あの場面で犠打以外の選択肢は当然あったでしょうが、犠打のシチュエーションでしたから、結局犠打を選択したんじゃないかとね。セオリー無視して後悔するのと、やるべき事をやって後悔する、そのどちらかって判断だと思います。あの場面で選んではいけない選択肢ではなかったと思いますよ、実りませんでしたが。
何より、そうして「馬鹿の一つ覚え」と仰るならば、ヒルマン政権時に賢介選手がやはり犠打マシーンと化していたこと、そしてそこから解放したのが梨田監督であるということは、いったいどう御考えなんでしょうかね?まぁ、それを言ったらキリがないんですけどね。
ただ球団の方針で、監督が変わっても野球が大きく変わらないと言うのはありますが、だからといって全く同じって訳じゃないですし、差異はあるわけですよ。それを否定しちゃうともう誰も何もできないと思います。
後書きがなにか本文の付け足しになっちゃいましたけど、らしさらしさって言うんなら、言うべきは今年の"らしさ"なんじゃないの?いつまでも"平成19年型らしさ"を出してくるんじゃないよ、と。選手の顔触れも、残った選手の能力も違うんだから、"らしさ"も変わっていかなきゃならないんですよ、ええ。
↓以下TB用リンク
その"らしさ"のルーツは恐らくですが、平成19年のリーグ2連覇達成時の戦い方なのではないでしょうか?此の年は前年日本一のチームからSHINJO(新庄)選手・小笠原選手と打の主力選手が2人も抜け、更に残ったセギノール選手も衰えを隠せなくなった頃。得点力は当然落ち、それを投手力でカバーしての優勝。結末は日本シリーズ第5戦、中日・山井投手に8回まで完全、9回も岩瀬投手に抑えられ、継投での完全試合という形に。
恐らくは此の年のリーグ優勝~クライマックスシリーズ制覇までの戦いが、今でもよく言われる"ファイターズらしさ"のベースになっているのではないでしょうか?
余談って訳でもないですが、その前年・・・日本一に輝いた平成18年の日本ハムは、先程挙げたSHINJO選手・小笠原選手・セギノール選手らの活躍も大きく、かつダルビッシュ投手のブレイクに八木投手も新人王の大活躍と投打のバランスが非常にとれたチームだったと思います。3番から小笠原・セギノール・稲葉・SHINJOと続く打線はダイエーの「100打点カルテット」に続く、近年屈指の好打線ではないでしょうか?
"らしさ"も出来れば此の年のチームを指してくれれば良いと思うのですが、流石に此の時のような打線を組むことは、今後は叶わないモノだと諦められてるんでしょうかね?だから、強打者を並べた平成18年型よりも、守備と投手力がメインの平成19年型に"らしさ"を求めるのでしょうかね?
また、主力選手が抜けて一般的に弱体化したと思われた戦力での優勝も、多くのファンの心を未だに惹き付けているのではないかと。そして信奉者の少なくない白井ヘッドコーチ(当時、現:横浜二軍監督)が関わった、現時点では最後の日本ハムファイターズだという事もあるんじゃないでしょうか。
ということは梨田監督以前の最終年の野球ですし、そうなるとそうしたファンは"梨田監督の采配"は端から所望しておらず、好きだったけど諸事情で球団を去ることになったヒルマン前監督と白井前ヘッドコーチの野球をそのまま再現してくれる事を、梨田監督に対して求めているのではないでしょうか?意識的・無意識的を問わずにね。もしそうだとすると、凄い失礼な話だと思いますね。
"らしさ"のルーツが平成19年にあると、ここまでで私が推測したのですが、その平成19年の日本ハムの野球には大きな欠点がありました。それは貧打です。そりゃ平成18年と比較して中軸打者が2.5人も減ってるようなものですから。それを全体で何とかカバーしてリーグ優勝、クライマックスシリーズ制覇まで到達はしましたが、だからといってホイホイ再現できるものではないでしょう?その再現性の低さ、再現の困難さが、平成19年のチームを基準とした"らしさ"の欠点なのです。
そもそも、チームは常に変わっていくものと私は考えてます。選手だって年を取れば実力も低下しますし、移籍等で選手の顔触れも変わっていきます。そこにある時期を切り取って基準化した"らしさ"を宛がっても、あまり意味がないようにも思うのです。常に違うチームに秒単位で変化し続ける訳ですから、極端な話ですが"出来る事"もその都度違ってくるでしょうし、同じことをさせてもダメだと思うのですよ。
あ、此はあくまでファン視点の"らしさ"の話だからね。「馬鹿の一つ覚えのバントは良いのかよ!」ってのはアレですよ。そりゃ戦局の話だね。また、別のお話ですよ。
梨田監督に"ヒルマン流"、ヒルマン前監督時代の事を求めるのはナンセンスです。そもそも全く同じものが見えてる訳ではないでしょうし、ヒルマン前監督に気付かなかった事、出来なかった事をしてくれれば、それで良いのではないでしょうか?
梨田監督は当初は前年までのチームを引き継ぐ形でしたが、賢介選手を3番打者に起用するなど、ヒルマン前監督との違いも見せていました。そして森本選手の怪我による離脱以降は、賢介選手を1番打者で起用し、リーグを地味に代表するトップバッターとしての地位を築けました。
賢介選手は元々は打撃の評価が高くプロ入りしたのですが、一軍定着の際に打撃への欲を封印させられ、主に犠打で好機を繋ぐ役目を任されました。此の辺り、現在陽選手へのバント指示にブーブー言われている方は、如何御考えでしょうか?恐らくヒルマン政権の次が白井政権であったなら、陽選手の代わりに賢介選手が今でも犠打のスペシャリストをやらされていたのではないかと、私は思うのです。
梨田監督は多分、賢介選手の打撃センスを「犠打だけでは勿体ない」と考えて3番打者、そして1番打者に起用したのではないかと。同じように、ヒルマン政権では守備の切り札的で打撃は期待されていなかった飯山選手も、金子誠選手の加齢による衰え、故障による離脱があったとはいえ先発起用が増え、打撃の場面も増えました。鶴岡捕手も2番打者としての起用で刺激するなど、守備だけではない貢献を求めています。
こういった梨田監督の選手起用は、恐らくはそれまでの硬直化した役割分担を破壊し、各選手にもっと柔軟に実力を発揮して欲しいと、そういう意味合いがあったのではないでしょうか?その事で伸びた選手もいるのですが、それまでの常識(実際はヒルマン流への拘り)から理解が難しく、結果として「ヒルマン監督・白井HCが作り上げたファイターズを壊された」「梨田の野球はファイターズらしくない」等と言われてしまってるのではないでしょうか?
先述の通り、梨田監督とヒルマン前監督とではモノの見方も違うでしょうし、そうなるとやることも変わるものですよ。加えて、求められる平成19年の野球は再現が困難極まりないモノで、それを基準とされたら藤田元司さんだって凡将にされてしまいます。
そして常に変わりゆくチームに、固定された"らしさ"も可笑しいんじゃないかと。せめて"らしさ"と言うならば、過去のチームを参考にするのではなく、最近のベストゲームを基準に言うべきではないでしょうか?今居る選手の、今の最良の仕事を"らしさ"とするならば、あまり無理が生じないと思うのですが。
自分が好きだった過去のチームを今のチームに押し付けても、決して満たされずに空しくなるだけだと思うんですけどねぇ。
【世界日本ハムなう】
途中からなんか違う話も混じってますけどね。何て言うかね、梨田監督は梨田監督の野球しかできないと思うのですよ。まぁ、前任のヒルマンさんが途中で考え方を改めて日本流に改めたって例はありますけど、それだって彼の本意じゃ無かったですからね。本意じゃない事をさせるなら、そこで監督を代えると言う手もあったんじゃないかと。まぁ、当然考えたんでしょうが。
で、犠打を巡って「馬鹿の一つ覚え」とか。まぁ、あの場面で犠打以外の選択肢は当然あったでしょうが、犠打のシチュエーションでしたから、結局犠打を選択したんじゃないかとね。セオリー無視して後悔するのと、やるべき事をやって後悔する、そのどちらかって判断だと思います。あの場面で選んではいけない選択肢ではなかったと思いますよ、実りませんでしたが。
何より、そうして「馬鹿の一つ覚え」と仰るならば、ヒルマン政権時に賢介選手がやはり犠打マシーンと化していたこと、そしてそこから解放したのが梨田監督であるということは、いったいどう御考えなんでしょうかね?まぁ、それを言ったらキリがないんですけどね。
ただ球団の方針で、監督が変わっても野球が大きく変わらないと言うのはありますが、だからといって全く同じって訳じゃないですし、差異はあるわけですよ。それを否定しちゃうともう誰も何もできないと思います。
後書きがなにか本文の付け足しになっちゃいましたけど、らしさらしさって言うんなら、言うべきは今年の"らしさ"なんじゃないの?いつまでも"平成19年型らしさ"を出してくるんじゃないよ、と。選手の顔触れも、残った選手の能力も違うんだから、"らしさ"も変わっていかなきゃならないんですよ、ええ。
↓以下TB用リンク
- 関連記事
-
- 増刊セカニチ! 「1番 セカンド スケールズ」で何が悪い!!! (2011/09/06)
- 増刊セカニチ! ダルビッシュ有のアメリカ挑戦を邪魔するモノはナニか!? (2011/09/03)
- 増刊セカニチ! 「ファイターズらしさ」ってなんだ? (2011/08/30)
- 増刊セカニチ! 出したいけど出せない!?救援投手 (2011/08/07)
- 増刊セカニチ! オオノガー!ツルオカガー! (2011/08/06)
テーマ : 北海道日本ハムファイターズ
ジャンル : スポーツ