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生物として健全

 柳沢厚生労働大臣の「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」という発言を批判している人のところに、「子供を二人以上持ちたいというのは、子供を持ちたくないというのに比べて生物として健全」あるいはもっとはっきり「子供を持とうとしないのは生物として不健全」という趣旨のコメントを残して行く人を何人か見かけた。
 だが、これは誤りなのだ。なぜなら人間はホッキョクグマやベンガルタイガーではないから。

 そりゃもちろん、「すべての個体が子供を残そうとしない」のであればその生物種に関しては滅びるしかない。「健全」という言葉には価値判断が含まれているから、あんまり使いたくはないのだけど、確かにこの状態では種族が滅亡してしまうのだから健全ではないといってもいいかもしれない。しかし、ある個体が子供を残そうとしない、と言うケースは存在する。

 まずは極端な例だ。ミツバチとかアリの社会はどうなっているか。生殖能力を持っているのは一匹の女王と少数の雄。残りは生殖能力を持たない雌ばかりである。ここでは遺伝子レベルで積極的に”子孫を残さない個体”というのが社会の中に組み込まれている。もっとも彼女らの場合、群れ全体がひとつの生物と考えてもいいくらいになってしまっているからかなり特殊な例ではある。ハチやアリでもここまで高度な社会性を獲得していないものはいるから、もともとはすべての個体が生殖能力を持っていたのが、自然淘汰を続けるうちにこのような適応形態になったのだろう。あえて言ってしまえば、このような生物においては、”子孫を残さない個体がいること”によって群れ全体の健全さが保たれているのだ。

 さすがにハチだのアリだのでは人間から遠すぎる。こんなの参考にならない、と思うかな。では、狩猟生活を行なっていた頃の人間と極めて近い生態を持っていると考えられている生き物を紹介しよう。狼である。

 狼の生態についてこちらこちらを見てみると、群れの中で子供を作っているのは群れの上位にいる一組の夫婦であって、他の個体は生殖能力を持ちながら子供を産んでいない。彼らは群れの中ではベビーシッター役になったりしているわけだ。おそらく野生の中で子供を育てるというのは大変なことなのだろう。群れのすべての狼が子供を持とうとしたら、へたをしたらすべての子供が死んでしまう。子供を産むカップルは一組にして、生まれた子供は群れ全体で育てる、という適応をしたのだと思われる。実際、大きな群れの中で生まれた子供のほうが生存率は高いそうだ。やっぱりここでも、子供を産まない個体の存在が群れ全体の健全さを保っている。

 最初に例にあげたホッキョクグマやベンガルタイガーのような孤独なハンターであれば、確かに子供を残そうとしない個体は種族を生き延びさせるために寄与はしない。あえて不健全と呼んでもいい。では、人間っていう種族は? いつから孤独なハンターになってしまったのだ?

 どうだろう、これでも「子供を持とうとしない個体は生物として不健全」なんて言えるだろうか? もしもこの言葉を狼が聞いたら、「ほう、それで良く群れを維持していられるな」なんて感想を持つかもしれないな。

*追記:
エントリー中で「健全」「不健全」という言葉を使ってますが、生物学として語る時にこのような使い方をするのはあまり良くないと思ってます。「生物として健全な個体」と言ったら、器質的に障碍のない個体、という意味にとるほうが正しいはず。
まあ、だからなおさら安易に「生物として不健全」なんて言って欲しくないんですけどね。
 

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