ペトリ M35
拙僧はツイッター的な「焼酎ナウ」とか「有名観光地ナウ」とかは否定的だ。いや、それらも古くで今は「リア充(リアルに充実)」というのか。公のネットワークにアップデートする以上、安定的なクオリティの文言を心がけるべきだな。ちょっと御綺麗な無国籍居酒屋で「1杯380円」レベルの添加アルコール系の焼酎で充実なんて安い人生じゃないっすか。ああ、でも、最近の若い連中の可処分所得は悲劇的に低いからなあ。聞くとシェリーのブランドくらいは知っているんだが、実際に飲んでいるのが発泡酒だからなあ。発泡酒で「生」って、どういう理屈なんだろう。知りたくもないが。
拙僧の駄文のクオリティの低さを直接的に批判されても謝るしかないのだが、皆様に時間を割いていただき、読んでいただける文言を心がけているつもりでいるのだ。「評価に依存しない発言」を無節操に送り続けるのも、文化として否定するのは本意ではない。でも、それを拙僧自身がやるのはちょっとねえ。もっとも、本来の自分のアイデンティティに反する発言をすることに、ある種の光悦を感じるのは分からなくもない。マゾヒティックの一種だとは思うが。だからという訳でもないのだが、今(本稿執筆時)は「ちょっとイイ、ブルーチーズが入ったのでスペイン産メルローでいい気分」である。そのブルーチーズは、勿論、拙僧の可処分所得で確保していたのではなく、妻の裁量で確保したものだ。普段、「中華圏の裁量からは距離を置くべし」とドクトリンを確定しているのだが。今日は既にメルローを1L位、消費してしまったよ。この真昼間っから。でも、不完全なロジックは人間としての有機的な魅力と無関係でないのでは。それにしても、妻の稼ぎで昼間っからワインを飲むのを正当化できないけど。
拙僧の妻は三河にしては十分な年収を稼いでいると思うな。少なくても、三河自動車の「近い筋の関連企業」で、大陸担当と北米担当を担っているのは大したものではないか。実際には北米担当と言いながら、立ち上がるのは中米の工場なのだが、契約や借款は英語で構成する必要があるのだ。現在においては、単純に「北米担当や現地駐在はエリートで、それ以外の諸国は左遷」という訳ではないのだろう。それにしたって、ゼロから新規に稼働する工場の約款を作っているっていうのは凄いよなあ。なんか、他人事だけど。お天道様が真上にお鎮座なさるのにスペインの赤ワインを1Lくらい仰ぐことができるのも、妻の可処分所得による。それで、このx年、仕事らしい仕事はしていない拙僧って駄目よねえ。妻も、なんで拙僧の様なチンピラに惚れるのかねえ。いや、拙僧は妻に惚れているが。勿論、妻の体調的なコンディションやモチベーションによってディナーのメニューを用意するのは、拙僧に相当な仕事である。しかし、常識的にはダメな亭主よねえ。
拙僧らの夫婦が三河に移転した時に、妻は自動車のデザインに無頓着だった。彼女が幼少期に自動車といえば解放軍払い下げのトラックなんてのはイイ方で、ひとまず動いているのが信じられない程にクタビレたバスか農業目的なトラックだろうからな。単車だったら側車付きの長江あたりが転がっていんだろうなあ。彼女の生家の近くに北京ジープなどという一定のクオリティを維持した自動車が訪れたとは考えずらいな。なので、妻が三河自動車の「近い筋の関連企業」という三河にしては素性の良い企業に派遣で所属し、1年後に正社員として起用された時には、妻は自動車の構成を全く認識していなかった。辛うじて認識していたのは拙僧の運用していたホンダ・ビートくらいだ。なので、三河の足として、マツダ・デミオ(1.5L、MT)を動員した時には
「この車は(例外的に)エンジンが前にあるからうるさいんだねえ。」
と、評価していたな。常識的にはミッドシップと言うビートのレイアウトが稀なのだが、それを妻に指摘するのはフェアでないな。今では妻も「ハイオク仕様のエンジンがエラクもなければ、4WDや大排気量車は重いので、ブレーキも減ればミッションやタイヤも減るしコスト損だ」ということをほぼ理解しているな。エンジンを切るときも必ずエアコンをオフする。レガシイはビートよりもリッチなので神経質にならなくても大丈夫だが、やはり心がけは大事だな。自分の妻を褒めるもの、日本人的には感心したものではないのだが、拙僧宅は国際結婚だから例外だろう。大した妻だわ。
過日、イルクーツクに帰郷した際に妻をカフェに導いたのだ。日本と言うかイルクーツクの「新盆(あらぼん)」という習慣に対応する「長男の妻」という立ち位置は、かなりハードだと拙僧も認識していたので、息抜きを作らなければならないよな。勿論、「東京遊び」という名目で1泊のイルクーツク回避の時間をセッティングしたのだが、それだけでは解決はしないよなあ。妻は儒教圏の慣習で育ったから、「面倒な親戚づきあい」を頭では理解しているのだが、それで負担が軽減するかというと、そんなことはないよな。それで「イルクーツクにしては気の利いたカフェ」で休憩したのだ。表立って「キミ(妻)が疲れているから」という理由だと、意地っ張りな妻は納得しないからな。ストーリーとしては「父親の遺産分けの帰り道に、気の利いたカフェで一服しようよ」という体をとったよ。拙僧のツマラナイブログに付き合って下さる方はご理解頂けていると思うのだが、「ヒモ」も楽な身分ではない。妥当性のある妻が休むストーリングの構成が必要なのだ。もしも、「ヒモ」に憧れを持っている若い方が本ブログをご覧になっても、高度に政治的(格別に東アジアに特化した)な返答が10秒以内に脳に発生できなければ、諦めた方がイイだろう。女子によって有効なジャンルは異なるだろうが、スグに言葉が出ないようなら「ヒモ」は向いていないから。
それで妻なのだが、自動車のブランドに無頓着だと拙僧は理解していた。妻が三河自動車のクリティカルな装備を生産している「近い筋の関連企業」に勤めているとしても、何かしらの自動車ブランドに傾倒するかは別問題だ。実際のところ、海外(主にヨーロッパ、特定するとドイツ)のブランドよりも、三河自動車の品質管理の方が遥かに精度が高いことを妻も認識しているだろう。拙僧は正直言って三河自動車の田舎モノのローカルルールや小学生レベルの意地の張り合いは「パーだ」と断言している。そのインド車と対抗するには不相応な品質水準や「カイゼンに要する会議時間の膨大さ」は、韓国人や中国人、インド人の商売の展開にスピード的に対応できないのではと悲観的だ。しかし、今のところ過剰な品質管理が自動車という複雑で多くのパーツで構成する工業製品の信頼性を高めているのは事実だ。なので妻の自動車ブランドに対する姿勢はロジカルな物だと認識していた。それが、イルクーツクのカフェで輸入自動車の雑誌を見ながら
「お金に余裕があれば、こういう車(ドイツ製高級車)が欲しいよね。」
と言うのだ。それがメルセデスのCシリーズを示していたのか、BMWの5シリーズを示していたのかは良く覚えていない。更に
「お金に余裕があるならば、Rikkieにアウディのロードスター(妻はオープンカーと言っていたと思う)を買ってあげたい。」
と言うのだ。いやいや、同志朋友兼妻は田原工場に実際に見学したことがあるよね。多分と言うか確実に、メルセデスのC180アバンテージやBクラスの新車に資金を投下するより、レクサスの認定中古の方が遥かにイイよ。確かに、拙僧は過去にアウディのロードスターがイイねというようなことを言ったけど、それは200万円くらいのディーラー認定中古車の話であって、新車で500万もぶっこむ車ではないぜよ。だって、あいつは1.4tもあるんだよ。そんな重っ苦しい四ツ輪を峠で転がしても、楽しいのは最初の2週間だけだよ。そんな金があるなら、現所有のユーノスロードスターNA8(16年落ち)をリフレッシュした方ほうが絶対にイイ。ところが妻は
「それはRikkieがマニアックな知識があるからで、標準的には外車(ドイツ車)の新車が尊敬される。」
と言うのだな。キミは既に北京市民ではないぜよ。フレキシブルな価値観に順応してほしいものだな。第一、高額な自動車だから尊敬されるとか、偉くなった気分になるのは田舎モノくらいぜよ。ああ、三河は田舎だから通用するのか。それにしても、そんな金があるならCRMのブロックタイヤをブリジストンのバトルウィングにして欲しいのものだ。ブロックタイヤだと80以上でリーンすると、どこにすっ飛んで行くのか全く予測できないので怖いんよ。
もっとも、そういう、権威主義的な発想を修正するのも国際結婚の醍醐味だな。それでも、メルセデスのBクラスを新車で買うくらいなら(いや、中古でもだな)レクサスの認定中古の方が遥かに割に合うと思うのだが。
なので情緒的なブランド優位志向を排除するのは、封建制や伝統的権威主義を批判する教育を受けた(はずの)妻にも難しい物だなあ。そういうところが妻のチャーミングでもあるのだが。「ペトリ」というブランドは安定性を確立できなかった。勿論、1960年代の方にとっては「手の届くブランド」として敬意を示していたと思う。しかし、21世紀も一回りを経た現在では「ペトリの電子カメラ」に投資するのはリスキーだろうなあ。それでも、拙僧個人は「ペトリ」のブランドに親近感、或いは応援したい気持ちを隠すのが難しい。自分が権威主義の社会で敗北したからだろう。
コンテンツもご覧いただきたい。
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
最近のコメント